第3章 第1節 物価安定下の世界経済

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第1章 世界経済の現況 第2章 アメリカ経済の長期拡大の要因と課題 第3章 物価安定下の世界経済
第1節 第2節 第3節 第4節 第5節 第6節 第1節 第2節 第3節 第4節 第1節 第2節 第3節 第4節
概観 アメリカ 欧州 アジア 金融・商品 通貨・金融システム 特徴 要因 生産性 課題 現状 要因 特徴 金融政策

第3章 物価安定下の世界経済

《第3章のポイント》

[世界的な物価安定の現状]

物価の安定は近年の世界経済の大きな特徴である。ほとんどの先進諸国で、インフレ率は1970年代には二桁に達したが、今日では数パーセントという極めて低い水準にまで下がってきている。先進国以上に高いインフレ率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じてインフレ率は大幅に低下してきている。

[世界的なディスインフレの要因]

先進国の物価安定の背景には、経済政策面の要因としては、a)金融政策が物価安定を最大の政策目標として運営されるようになったこと、b)財政の健全化によって物価安定を目指す政策当局への信頼感が高まったことなどが挙げられる。次に、供給側の要因としては、a)原油を始めとする一次産品価格の下落、b)グローバリゼーションの進展、c)規制改革を始めとする経済構造改革の進展、d)技術革新、e)労働市場の変化等が挙げられる。

[物価安定下の経済の特徴]

物価安定下の経済の特徴としては、名目金利が低く、名目賃金上昇率も低いことなどが挙げられる。また、分配面では、インフレによる債権者から債務者への実質的な富の再分配が抑制される。

[物価安定下の金融政策]

物価安定を達成した90年代のマクロ経済政策は、景気後退局面での物価下落(デフレ)の可能性の高まりと資産価格の大幅な変動という新しい課題に直面している。数パーセントという物価上昇率が実現され、景気後退期にはデフレに陥る可能性も高まっている今日においては、物価上昇率が過度に下落することに対してはそれが過度に上昇することに対してと同様に警戒するべきと考えられる。とりわけ、経済がデフレスパイラルに陥ることのないよう注意を払うべきである。また、資産価格の動きが経済及び金融の安定性にどのような影響を与えるかということを無視して、金融政策の運営を行うことはできない。

物価の安定は近年の世界経済の大きな特徴である。ほとんどの先進諸国で、インフレ率は、1970年代には二桁に達したが、今日では数パーセントという極めて低い水準にまで下がってきている。先進国以上に高いインフレ率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じてインフレ率は大幅に低下してきている。本章では、こうした世界的物価安定の現状、要因についてみた後、物価安定下の経済の特徴を描き、さらにマクロ経済政策への含意について検討する。

第1節では、まず、1970年代以降の先進国、途上国、市場経済移行国の物価動向について概観する。次に、第2節では、世界的なディスインフレ(物価上昇率の低下)の要因について検討する。第3節では、今日の物価安定下の経済がかつての高インフレ下の経済と比べてどのような特徴を持っているかを描く。最後に、第4節では、デフレと資産価格変動という、物価安定下におけるマクロ経済政策、とりわけ金融政策の新しい課題について主に検討する。なお、第2節以降では主に先進国を念頭に置きつつ議論を進めている。

第1節 世界的な物価安定の現状

先進国は70年代の二度にわたる石油危機を主要因とした物価の高騰を経験した。その後、各国政府はいかにして物価を安定させるかを常に大きな政策課題としてきた。一次産品価格の低下や金融政策の成功などもあり、80年代半ばからは総じてディスインフレ[注1}の傾向が継続しており、近年では先進国の物価上昇率は50~60年代の水準にまで低下している(第3-1-1図)。このディスインフレは90年代には先進国のみならず途上国、市場経済移行国など世界的にみられる現象となっている。本節では、まず70年代以降の世界各国・地域の物価の歩みをたどってみよう。

第3-1-1図 世界的に安定しつつある物価

1 先進国

(70年代:石油危機の経験とインフレ抑制の努力)

60年代末から先進国では、総じて拡張的な財政・金融政策などの結果、物価上昇率が次第に高まり、先進国の平均消費者物価上昇率は1970年には、8.4%[注2]と、1950年代初め以来の高い水準に達した。その後1972年には燃料以外の一次産品価格が急騰し、1973年10月には各国の景気がピークに近い状況の下で、第一次石油危機が発生し、原油価格が4倍になった。この結果各国の物価は高騰し、平均消費者物価上昇率は73年8.0%、74年13.5%となった。その後先進国の物価上昇率は徐々に低下を始めたが、78年末には第二次石油危機に見舞われ、先進国の物価は再び高騰した。79年の平均消費者物価上昇率は9.5%、80年は12.3%を記録した。このように70年代の物価高騰の主因は二度の石油危機による原油価格の高騰であることは明らかである。しかし各国ごとの物価上昇率には相当の差が見られ、その明暗を分けたのは政策対応の違いであった。物価の高騰と景気の後退に見舞われ、アメリカでは当初順応的な(accommodative)金融政策がとられた。イギリス、フランスなどの欧州各国でも同様の対応がとられた。アメリカでは、その後雇用の回復がみられ、また金融引締め政策がとられたにもかかわらず、消費者物価上昇率は高水準で推移した(75年9.2%、76年5.8%)。このようなインフレの継続は、人々のインフレ期待を高め、期待インフレの高まりは現実のインフレ抑制を一層困難にさせるという悪循環に陥った。そのため、78年末の第二次石油危機発生時点では以前よりもインフレを誘引しやすい状況にあり、実際にアメリカは第二次石油危機において第一次石油危機の時よりも深刻なインフレに見舞われた。

インフレの何が問題なのか。その一つは、インフレ収束のコストが高くつくことである。そのことを81年央~82年におけるアメリカ経済が証明している。アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)は、79年10月、インフレ抑制と安定的な貨幣供給をねらいとして、日々の金融政策上の操作目標を、それまでのフェデラル・ファンド・レートから非借入準備預金へと変更し、極めて厳格な金融引締めを行った。その結果、アメリカ経済は、80年前半に軽い景気後退を経験した後、高金利による経済活動の抑圧から81年央~82年には再び景気後退に陥ったのである。失業率の動向をみると、79年の5.8%から80年7月には7.8%へと2%ポイント上昇した後、81年央からの景気後退期において再び上昇し、82年末から83年初にかけて10%を超える高水準に達した。

一方ドイツ、スイスでは政府が第一次石油危機発生後も抑制的な金融政策を堅持したため、原油価格上昇による物価上昇は比較的軽度ですんだ。70年代半ばには物価上昇率を5%未満に抑えることができたため、第二次石油危機においても影響は他国に比べ軽いものであった。

(80年代~90年代:ディスインフレの進行)

70年代に物価高騰に見舞われた先進諸国は、80年代に入ると物価安定を重要な政策課題として掲げ、金融政策のみならず、財政政策、構造政策をも含んだ幅広い政策努力によってインフレを抑制しようとした。このような政策努力は、原油等一次産品価格の下落とも相まって、総じて成功し、先進国の平均消費者物価上昇率は86年には2.6%まで低下した。その後も、89年から90年にかけての時期を除き、物価上昇率は低下傾向を示しており、98年の平均消費者物価上昇率は1.4%と、約30年ぶりの低水準を記録している。こうした80年代、90年代を通じてのディスインフレの要因については、次節でより詳細にみることとする。

2 中南米

(80年代:高インフレの時代)

中南米における80年代は、累積債務の重圧の下、大幅な財政赤字や高インフレを抱えた低成長の時代であった。86年には主要国におけるインフレ抑制政策の効果もあって一時落ち着きをみせたものの、87年以降はインフレが再燃し、90年には中南米諸国の平均物価上昇率は前年比482%となった。

公的債務が対外債務の大きな割合を占めている中南米においては、82年の債務危機以降その利払いが財政赤字増大の大きな要因となった。債務危機以後、新たな国外からの借入れによるファイナンスが困難になったため、政府は財政赤字のより多くの部分を国債発行に頼ることになった。国債発行により資金を集めるには実質金利を高目に維持する必要があった。高インフレを反映した名目金利上昇による国債利払いの増大は財政赤字を拡大し、さらにそれを補填するために国債を発行するという悪循環をもたらした。加えて、中南米では中央銀行による国債の引受けが安易に行われる傾向にあった。

また、貿易収支の改善を図るために、80年代においては数度にわたり為替レートの切下げが実施され、ドル建て債務が現地通貨建てでみて増額することとなり、これも財政赤字拡大の要因となった。さらに政治的側面をみると、83年にアルゼンチン、85年にブラジルなど80年代に中南米諸国は軍事政権から民主政権へと移行した。その新しい政権は民衆の支持を得るために、社会政策面での歳出を増加させる傾向にあったため、財政赤字を拡大させる要因となり、ますますインフレを加速させることとなった。

(90年代:インフレの収束)

しかし89年、90年の物価高騰後、90年代の前半には、中南米においてもブラジルを除きインフレが収束した。メキシコでは90年代前半には財政赤字の削減によりインフレは収束したものの、94年末の金融危機後メキシコ・ペソは減価し、95~96年の消費者物価上昇率は前年比30%を超えた。しかし対外債務削減のため緊縮財政を実施し、97年以降、消費者物価上昇率は低下傾向にある(98年は15.9%)。アルゼンチンも90年代初頭のハイパー・インフレーションの後(89年の消費者物価上昇率は4770.4%、90年は7485.2%)、91年4月から固定相場制(1ペソ=1ドル)を導入し、94年までの高い経済成長率のなかでインフレを沈静化させることに成功し、96年以降は世界的にみても物価上昇率は非常に低い水準に抑えられている(消費者物価上昇率は97年0.5%、98年0.9%)。一方ブラジルでは、89年以降物価上昇率は高水準で推移し、94年7月のレアル・プラン(通貨レアルの対ドル固定、財政緊縮など)の導入前には、消費者物価上昇率は約5000%(94年6月前年同月比)にまで達したが、その後インフレは収束し、96年には16%にまで低下させることに成功した(98年の消費者物価上昇率は3.2%)(第3-1-2図)。

第3-1-2図 中南米の消費者物価上昇率

3 市場経済移行国

(90年代:価格の自由化)

91年12月、ソ連は15の国に分裂し、69年の歴史に幕を閉じた。そして92年初め、ロシアでは価格自由化が断行され、市場経済の移行に向けた経済改革が開始された。92年の価格自由化によりロシアの物価は一挙に数倍に上昇した。改革開始当初、政府は短期間でのインフレの収束を期待していたが、財政・金融の引締めが徹底できず、インフレの収束が遅れた。95年以降ロシアの消費者物価上昇率が低下したのは、IMFの指導により緊縮財政を厳格に行ったためである(消費者物価上昇率は対前年比で95年204.9%、96年52.7%、97年14.7%、98年27.4%)。ただし、98年のルーブル切下げ後、99年に入り消費者物価上昇率は前年比100%超と急騰している。

中・東ヨーロッパでは、68年から徐々に価格統制を削減していたハンガリー、ある時点から大多数の品目の価格を同時に自由化したポーランド(90年)、チェッコ(91年)とも本格的な改革の導入に伴い価格が高騰したが、緊縮財政政策の取組などにより、95年以降物価上昇率は低下傾向にある(第3-1-3図)。

第3-1-3図 ロシア・東欧の消費者物価

4 東アジア

(80年代:高い成長率と安定した物価)

アジアNIEs、ASEAN諸国の80年代の経済の動きをみると、経済成長率は、アジアNIEsでは80年代前半の7.3%から80年代後半には9.4%[注3]へと高まり、ASEANでも4.0%から7.3%へと成長の高まりを示している。同時期の世界の経済成長率はそれぞれ2.7%及び3.6%[注4]であったことと比較すれば、この地域のダイナミックな成長ぶりがわかる。一方、この時期の消費者物価上昇率をみると、アジアNIEsでは80年代前半の6.5%から80年代後半の4.4%へ、またASEANでも10.0%から7.6%へと低下している。

この時期、高い成長率と物価の安定の両立がアジアNIEs、ASEANにおいて達成された背景としては健全なマクロ経済政策運営が挙げられる。例えば、79~80年の第2次石油危機の際には、これらの地域の多くの国では比較的早い段階で財政及び金融の引締めを実施しており、インフレ抑制を重視したことがわかる。こうした健全なマクロ経済運営を通じた物価の安定を基盤として為替レートの安定や経済に対する信頼が増すなど、マクロ面での好条件が作られたのである。

(90年代:総じて安定した物価)

90年代に入っても、東アジアの消費者物価上昇率は、途上国の中では極めて安定的に推移した。経済の好調さを背景に94年ごろに一時物価上昇率が高まったものの、通貨・金融危機直前までは、多くの国・地域において再び低下していた(96年 アジアNIEs 4.3%、ASEAN 5.6%)。その後、97年にはタイ・バーツの下落に端を発した通貨・金融危機が周辺諸国・地域へ波及し、97年後半から98年前半にかけて通貨減価の影響や食料品価格の高騰などから、ASEANを中心に物価上昇率は大きく高まった。ASEAN4か国の中でも最も深刻な影響をうけたインドネシアでは98年の消費者物価上昇率は前年比58.2%となった。しかし98年後半から99年に入り、通貨の落ち着き、消費の低迷などから、一部の国を除き物価上昇率は低下傾向にある(第3-1-4図)。

第3-1-4図 アジア諸国の消費者物価上昇率

  • 注1 本章では「ディスインフレ」とは物価上昇率が低下する現象、「ゼロインフレ」とは物価上昇率がゼロの状況、「低インフレ」とは物価上昇率が数パーセントの状況、「デフレ」とは物価が下落している状況と定義する。
  • 注2 本章では物価上昇率は、各国比較を行うため特別な記載のない限りDatastreamのデータを使用している。そのため、他の章、巻末統計の各国が発表している消費者物価上昇率とは必ずしも一致していない。
  • 注3 ADB,“Asian Development Outlook” 巻末統計 Growth Rate of GDPの伸び率の単純平均。81-85年の平均を80年代前半、86-90年の平均を80年代後半とした。
  • 注4 IMF, “International Financial Statistics 1998 Yearbook”のWorld GDP(Constant, % change)を単純平均。
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