第3節 日本企業のリスクテイク能力

日本の企業は様々な努力をしてきたものの、製造業に関する限り、為替レートや原材料価格の変動から受ける影響に大きな改善はみられない。この点は、コアとなる事業分野で積極的なリスクテイクを行うためにも、今後更なる取組が求められるところである。

本節では、「積極的なリスクテイク」の状況について具体的に点検していくこととする。すなわち、事業の「選択と集中」、研究開発投資、M&A、ベンチャー企業といった代表的な手段ごとにこれを評価し、どのような点がリスクテイクを阻害しているかを浮き彫りにする。

1 事業ポートフォリオの「選択と集中」

第1節では、企業の「事業ポートフォリオ」を考えると、特定の事業分野への「選択と集中」はリスクテイク、多角化はリスク分散と解釈できることを述べた。それでは、日本企業はどの程度「選択と集中」を進めているのだろうか。また「選択と集中」はどのような成果をもたらしているのだろうか。

「選択と集中」が重視された背景

70年代から90年代にかけて、日本企業は事業多角化を進めることが多かったが、90年代後半以降は逆に「選択と集中」が経営戦略の基本とされるようになった10。このように考え方が変化した背景には、以下の要因が指摘できる。

第一に、企業経営における株主重視の高まりである。企業の資金調達における株式の比重が高まるとともに、制度面の改革もあって、株主の意向を重視した経営戦略が求められるようになってきた。株主の視点からは、事業分野に関するリスク分散は、複数の事業分野の企業に投資することによって可能である。したがって、企業自身が事業多角化によってリスク分散をする必要はなく、むしろコアとなる事業分野に経営資源を集中的に投入して収益性を高めることが重要な関心事となる。

第二に、90年代の低成長期において、多数の事業を抱えることによる弊害11が顕在化したことである。このことは、上記の「株主重視」の動きとあいまって、相乗効果の期待できない非関連事業を整理する必要性を浮き上がらせたと考えられる。なお、アメリカでは、この問題は多数の事業を抱える企業全体の価値が個々の事業価値の総和を下回って評価されるという「コングロマリット・ディスカウント」につながっている12

ただし、すべての企業にとって「選択と集中」が望ましいわけではない。例えば、いわゆる「成熟産業」においては、売上げの伸張が期待できず、企業価値を高めるためには思い切った多角化が必要である。このような形の多角化は、既存事業に安住せずに新分野を開拓するという意味で、リスクテイク行動とみることもできる。

セグメント情報でみると「選択と集中」は進んでいない

では、こうした考え方の変化に伴って、日本企業の「選択と集中」は実際に進んだのだろうか。ここでは、日経300採用銘柄のうち金融業を除く276社13について、連結財務諸表の事業部門などによる区分(セグメント)情報から、幾つかの指標を作成してその動きを探ってみよう。

第一に、セグメント数である。これは、91年には平均で2.99であったが、その後増加を続け、2007年には3.83に達した(第2-3-1図付表2―2)。セグメント数の増加は、「選択と集中」ではなく、「多角化」が進んだことを示唆する。ただし、セグメントの項目については、個別企業の判断で細分化できるため、セグメント数の増加が必ずしも実際の「多角化」を反映していない可能性もある。そこで、幾つかの業種について、こうした見かけ上の増加を除去したところ、セグメント数はおおむね横ばいであった14第2-3-2図)。いずれにせよ、少なくとも「選択と集中」が進んでいないとはいえそうである。

第二に、コア事業への売上げの集中度である。具体的には、1位セグメントの売上高が、売上高合計に占める割合を調べてみた。その結果、91年に65%であったものが、2007年でも63%と、ほとんど変化していない(第2-3-3図)。

ただし、こうした中でも、業種によっては「選択と集中」を進めている様子が明確に示されている。その一つは、製薬業である。製薬業はセグメント数が減少した数少ない業種であり、集中度の上昇も同時に生じており、国内外を問わず成長性の高い医薬品分野への集中を行っている。鉄鋼業も、見かけ上の増加を除去すればセグメント数がほとんど増えていない中で、2000年代に入ってからはコア事業への売上集中度が上昇しており、集中化が進んだ業種である。

不振事業からの撤退も遅れている

それでは、「選択と集中」へ向けた取組で鍵となる不振事業からの撤退の状況はどうか。上記のサンプル、期間について、2期連続で営業赤字を計上したセグメントを「不振セグメント」と定義し、その動向を追ってみよう(第2-3-4図)。

91~2007年において、「不振セグメント」は169件観察されたが、このうち2期の赤字計上の直後に事業からの撤退ないし一部撤退、あるいは子会社への出資比率の引下げの措置が講じられたのはわずかに1件(0.6%)であった。事業が継続された168件(99.4%)のうち、114件が3期以上連続で営業赤字を計上する事態となっていた。この114件がどうなったかをみると、事業からの撤退などの措置が講じられたのは6件(5.3%)にとどまる一方、2007年時点でそのまま赤字を脱却できない状態か、いったん黒字転換をしても再び赤字に転落するというような「低迷」状態のままとなっているケースが36件(31.6%)もあった。

このように、不振事業からの撤退が進まない15ことも、日本企業の「選択と集中」が進んでいないことを裏付けるものと考えられる。

不振事業からの撤退は株式市場から評価される

以上、「選択と集中」の重要性が高まる中で、実際には日本企業の「選択と集中」が全体として進んだとはいえないことが分かった。最後に、「選択と集中」は、資本市場からのどのような評価につながるのかを、前述の分析で不振事業からの撤退などを行った7社のうち、撤退してから日の浅い2社を除いた5社について調べてみよう。

結果をみると、撤退などの措置を講じたあとは、おおむね株価がTOPIXを上回って推移している(第2-3-5図)。このことは、当該会社の企業価値が高まったと市場が評価した、あるいは、将来における企業価値の高まりを市場が期待した証拠であるといえる。もとより「多角化」「選択と集中」の適否は個々の企業がその経営環境を踏まえて判断することであるが、一般論としては、株式市場を通じたコーポレートガバナンスが浸透しつつある現在、「選択と集中」が有力な経営戦略であると考えることができよう。

2 研究開発投資

日本企業は多くの分野でリスクテイクが乏しいが、その例外ともいえるのが研究開発投資である。周知のとおり、日本は研究開発費のGDP比が先進国の中でも高く、しかもその多くを企業部門の応用研究、開発研究が担っている。そこでここでは、研究開発費の中身にまで立ち入りつつ実態を確認しよう。

増加する研究開発費と高まる基礎研究の比率

研究開発は製品・サービスとして商品化し、その投じた資金16が回収されることが不確実であり、典型的なリスクテイクの形であるといえる。日本の研究開発は、以前から企業がその中心的な役割を担っており、その構造は現在においても変わっていない。更に企業の研究開発費の推移をみると、2001年度以降は着実に増加している。こうした動きの背景としては、国際的な技術開発競争の激化、製品や技術サイクルの短期化、企業収益の改善などが指摘されている17

特に注目されるのは、企業における研究開発を基礎研究、応用研究、開発研究に分けた場合、基礎研究の比率が高まっていることである。基礎研究はハイリスクではあるが、成功すれば革新的なイノベーションをもたらす可能性がある。国際的にみると依然低水準であるが、日本企業における基礎研究比率の高まりは、長期的視野に立ったリスクテイクの積極化として評価することができよう(第2-3-6図)。

研究開発のようなリスクテイク行動の中においても、企業はリスクを低減する取組に努めている(第2-3-7図)。企業が研究開発において重視している取組についてみると18、「開発リードタイムの短縮」、「研究開発テーマの絞り込み」が上位となった。また、5年前と比べると、現在は投資回収年数について3年までとする企業の割合が増加している(第2-3-8図)。開発の早期化や投じた資金の早期の回収という期間の短縮化は、企業として研究開発のリスクを低減させていくための取組と考えられる。

機関投資家の持株比率が高いほど研究開発費が大きい

それでは、研究開発投資に積極的なのはどのような特徴を持つ企業だろうか。ここでは、リスクテイク行動と企業ガバナンス、具体的にはステークホルダーとの関係という観点から分析した19。その結果によれば、研究開発費は機関投資家の持株比率と正の相関を持ち、借入比率と負の相関を持つ(第2-3-9図付表2―3)。これは、機関投資家(外国人、信託銀行など)はよりリスクを取ることで、より大きなリターンを目指す主体であり、こうした傾向がリスクの高い研究開発を増加させるという行動を企業にとらせる20と解釈することもできる21。一方で、借入比率はステークホルダーとしての銀行の存在感が増すことになり、リスクの高い研究開発を抑制することがうかがわれる。

次に、研究開発の中でも特にリスクが高いとみられる基礎研究や新分野の発掘と機関投資家比率の関係を調べよう。すなわち、前述の「研究開発において重要な取組」において、「基礎研究開発能力の向上」「新分野の発掘」をどの程度重要と考えるかによって企業を特徴付け、それぞれの企業グループにおける平均的な機関投資家の比率を比べてみた。結果をみると、いずれの項目においても、それらを「重要である」と考えている企業ほど、機関投資家比率が高いことが分かる(第2-3-10図)。このように、機関投資家の影響力は、研究開発投資に積極的かどうかにとどまらず、研究開発の中でも特にリスクの高い領域分野への取組にも及んでいるといえよう。

3 M&Aに対する姿勢

日本では雇用の流動性が低いとされ、低生産部門から高生産部門への人材の移動が生じにくい。M&Aを通じて人材をチームごと再配置できれば、経済全体の生産性向上につながる。こうしたこともあり、企業価値の増大をもたらすM&Aは日本経済の成長力を高めるツールとして期待される。

M&Aを仕掛けることは、必ずしも積極的なリスクテイクを意識した行為とは限らない。例えば、事業の多角化を目的とするM&Aは、結果的にはリスクヘッジを意味する場合が多いと考えられる。ただ、M&Aが人的、物的な資源を一括して移転させ、既存組織を組み替えて経営効率の抜本的な向上を図ろうとするものである以上、程度の差はあれリスクを伴う行為であろう。

買手側からみたM&Aへの取組については「平成19年度年次経済財政報告」で詳しく分析したので、ここではM&Aを阻んでいる要因として買収される側の意識に焦点を当て、買収を回避したい企業の特徴を明らかにする。

日本のM&Aは増加しているが国際的には低水準

90年代後半以降、持株会社解禁をはじめとした法整備などを背景に、日本のM&A件数が大幅に増加している(第2-3-11図)。もっとも2006年以降、件数は高水準ながらほぼ横ばいとなっている。これは、マザーズ、ジャスダックなど新興市場が低迷する中で、同市場上場企業が買手となる案件の増勢が鈍化していることが影響したと考えられる。加えて、2007年については、アメリカのサブプライム住宅ローン問題に伴う信用収縮懸念によって、必要な資金調達が困難となるケースが生じたことなども影響している可能性がある。

一方、M&A取引金額の推移をみると、日本はGDP比2~3%程度で推移しており、諸外国と比較して低くなっている。実際、98~2005年の平均では、アメリカ10.7%、英国21.8%、ドイツ7.5%、フランス9.9%となっている22。なお、外国企業が日本企業を買収する形のM&A(Out-In型)が全体に占めるシェアは10%前後であるが、これもクロスボーダーでのM&Aが盛んな欧州の主要先進国と比べ相対的に低いことが知られている。

買収防衛策の導入は着実に進んでいる

まず、買収回避のための具体的な動きとして、買収防衛策の導入等の状況をみよう(付図2―4)。代表的な取組としては、「本業を通じた企業価値向上の取組」「ガバナンスや経営管理体制の充実」といった日常的に進めるべきことと、「友好的な企業との株式持合い」「ポイズンピル等の買収防衛策の導入」「取締役の選任・解任要件の厳格化」といった「有事への備え」に分けられる。

前者については当然ながら大部分の企業が「導入済み」「検討中」と回答している。後者については、4割の企業が「株式持合い」を、1割強の企業が「ポイズンピル等」「取締役の選任・解任要件の厳格化」を導入済みである。2008年の状況を前年と比べると、いずれについても増加しているが、中でも「ポイズンピル等」は6.8%から11.7%へと大幅に増加している。

友好的M&Aであっても回避したいという企業が少なくない

次に、自社が買収対象となることをどう考えるか、という企業の意識をみておこう。その際、買収を仕掛ける先が国内企業か外資系企業か、買収手続きが友好的か敵対的か、という場合分けをした上で回答を求めた(第2-3-12図付表2―10)。

予想されたように、「外資系企業による敵対的M&A」を「弊害が多いため回避したい」とする企業は7割を超えた。「国内企業による敵対的M&A」を「回避したい」とする企業も約7割である。一方、「友好的M&A」では、相手が「外資系」の場合45%が、「国内企業」では3割が「回避したい」と回答している。

このように、M&Aはたとえ友好的であっても回避したいという意識の企業が少なくないことが分かった。

株式持合い比率が高い企業ほどM&A回避意識がある

次に買収防衛手段となりうる株式持合い比率23とM&Aに対する回避的な意識との関係を分析する(第2-3-13図付表2―5)。ここで「回避意識がある」とは、上記の4通りの設問(国内企業/外資系企業による友好的/敵対的M&A)に対しすべて「回避したい」と回答した場合をいう。

まず、企業の株式持合い比率が高いほどM&Aに対する回避的な意識がある傾向がみられる。また役員一人当たりの自社株保有金額が高いほどM&Aに対する回避的な意識がある傾向がみられる。

こうした結果の背景には、[1]M&Aに対する回避的な意識が買収防衛策の一環として株式持合い比率を高めている可能性、[2]いわゆる「伝統的日本型」の企業(ここでは、株式持合い比率の高さで示される)や「オーナー企業」などが被買収企業としてのM&A回避意識を強く持っている可能性の両面があると考えられる。

4 ベンチャー企業

第1節でみたとおり、日本のベンチャー投資は欧米諸国と比べて低い水準にある。投資家とベンチャー企業の資金の流れを整理すると、一般に、成長段階に応じて増大していく資金需要の規模に応じて、創業者・知人など、エンジェル、ベンチャーキャピタルなどがベンチャー企業の株式取得を通じて資金を供給する。事業が軌道に乗り、企業価値が増大すれば、投資家は株式公開やM&Aなどの形で投資資金を回収する。こうした流れを踏まえ、日本のベンチャー企業の課題を抽出しよう。

日本のベンチャーキャピタルは金融機関、事業会社の子会社が多い

事業の初期段階でリスクマネーを提供するとともに、経営への参画や助言といった役割を担うのがエンジェルである。エンジェルには起業経験者が多いといわれるが、日本ではその実態はデータとして把握が困難である。エンジェルがベンチャー企業の創出・成長に重要な役割を果たすと考えられることやエンジェル投資のリスクの高さから、税制優遇措置が講じられてきている。その利用実績をみると、2003年度以降は増加傾向にある(第2-3-14図)。近年、税制面での優遇措置24の拡充が更に進められており、エンジェルによる投資の一層の増加が期待される。加えて、今後、ベンチャー企業への投資について様々な環境整備が進めば、更に増加する余地があると考えられる。

次に、ベンチャーキャピタルの特徴をみてみよう。日本では、金融機関系(銀行、証券会社など)が6割、事業会社系が約2割であり、これらの子会社として設立されているものが多い。これに対し、アメリカでは独立系が8割を占めており、金融機関や事業会社の子会社は非常に少ない。金融機関や事業会社の子会社であるベンチャーキャピタルでは、親子会社間の人事異動の多さ等から専門的知識・能力を有するキャピタリストが育ちにくいといわれている。こうしたことから、日本のベンチャー企業の成長可能性を高めていくためには、「目利き」人材の育成、確保を進めることが重要である。

また、日米欧でベンチャーキャピタルへの出資者を比べると、日本は事業法人と金融機関が中心で、年金基金はほとんど出資していないが、アメリカでは年金基金が4割、欧州では3割を占める(第2-3-15図)。これは、年金基金の資金運用に関する方針の違いによるものと考えられる(第5節を参照)。

日本では新興市場の低迷により「出口」である株式公開が低調

ベンチャーキャピタルによる投資の「出口」である投資資金の回収について、日本と欧州を比べてみよう(第2-3-16図)。日本では株式公開が主であるが、欧州ではM&Aや他のベンチャーキャピタルへの売却が中心となっている。日本において「出口」が株式公開中心となっていることは、その成否が新興市場の市況に大きく左右されることを意味する。

日本の新興市場25は、2000年前後のいわゆる「ITバブル」の崩壊後は株価が低迷した。その後、2005年後半には一時上向いたものの、2006年1月の「ライブドア・ショック」以降は下落傾向となっている。こうした市場環境の中で、ベンチャーキャピタルにとっての主な「出口」である株式公開は行いにくい状況が続いている。このように、「出口」が狭まっていることが、ベンチャー企業向け投資を難しくしている面があると考えられる。日本でもM&Aや他のベンチャーキャピタルへの売却26といった多様な形での「出口」が増えていけば、新興市場の市況に大きく影響されずにベンチャー企業向け投資が増えていくと考えられる。

企業内ベンチャーの導入は進んでいない

国際的にみてベンチャー投資自体が少ないこと、独立系のベンチャーキャピタルが少ないことなどから、日本でのベンチャー育成には大企業の役割が依然重要である。そこで期待されるのが、企業内での新たな事業の立ち上げ、すなわち「企業内ベンチャー」である。企業内ベンチャー制度は、事業資金支援を得やすいなどのメリットがある。もっとも、アンケート調査で導入状況をみると、導入企業はわずか1割程度となっている。また、導入していない理由は、「必要性が高くない」が5割以上を占めている(第2-3-17図)。

企業内ベンチャー制度導入企業の特徴をみると、株主構成において機関投資家持株比率が高く、安定保有比率が低い27第2-3-18図)。これは、外国人機関投資家など、企業収益の向上に向けて積極的に経営改革を求める株主の存在が、企業内ベンチャー制度の導入に影響していることを示唆している。