第一部 總説……独立日本の経済力 四 自立経済達成の諸条件 2 正常貿易増大の諸問題
(一)国際的条件の変化
戦前(昭和九―一一年)の輸出規模を現在の価格に引直すならば、恐らく四〇億ドルに相当するであろう。現在の輸出は特需を含めても戦前の三割六分で、戦敗国の西独がすでに戦前の三割増の水準にまで達しているのにくらべると立遅れが甚しい。日本の輸出が伸びないという問題は、貿易が外国を相手する取引である以上、国際的な条件に基づくものと、国内的条件に基づくものの両面から検討しなければならない。
ドル不足が構造的に問題は暫く別として、動乱ブーム一巡後の世界貿易の現状を一督すれば各国輸入の制限、国際競争の激化のほか、日本の特殊条件として通商航海条約の未締結、国際通商関係(ガツト、EPU)等からの孤立など日本貿易を阻む多くの国際条件を数えることができる。しかしここでは戦前と戦後との国際的条件の変化について説明することとしよう。戦前の輸出を一〇〇とすればその二割は旧植民地、朝鮮、台湾への輸出であり、さらに二割は現在中共圏に入つている満州および中国本土に対するものであつた。これらを合せて四割相当分が政治的条件の変化から現在極めて縮少していることが日本の輸出減少の第一の原因である。
つぎに戦前輸出の大きな柱であつた生糸がナイロンの出現によつて大巾に減退している。昭和九―一一年には生糸の輸出が全輸出の一一%を占めていた。この生糸や絹製品の輸出減少が日本の対ドル輸入超過の大きな原因になつている。すなわち、この特産物の生糸および絹製品の減退によつて、さらに戦前の輸出の一割近くが失われたことになる。
第三にあげなければならぬのは日本の綿製品輸出が、主な輸出先たるアジア地域諸国の軽工業の発達によつて次第に減少してきたことである。繊維貿易量の減退は世界的な傾向である。たとえば、綿布の世界的輸出量は戦前の七〇億ヤードから一九五二年の四八億ヤードに低減した。戦前総輸出の三割を占め二十数億ヤードに達した日本綿布も現在十億ヤードに遙か及ばない有様なのであるから、それは戦前輸出の二割近い喪失に相当するわけである。
上のように考えてくると、日本が現在の世界情勢に適応するように、日本の産業体質を改善しない限り、数年先の日本の輸出回復力の限界は、戦前の四割、一五―一六億ドルが関の山だとみることができるであろう。
このような情勢に当面して、新市場開拓の期待がつながれているのは「東南ア経済協力」と「中共貿易」である。その現状と問題点については「貿易」の章に述べるとおりであるけれども、要するに前者については多大な努力と年月を要することを覚悟せねばならず、即効を焦ることは禁物であり、また後者に関しても徒らに武力と権益を背景に進出した勢力圏当時の夢を追うことなく、列国に伍して中共市場を確保する前提条件が結局貿易一般と同じく日本商品の国際競争力にあることを認識せねばならない。
(二)輸出を阻む国内的要因
当面の輸出増加を困難にする国内的な原因にはつぎの二面がある。すなわち重化学工業品価格の割高と、国内における消費購買力の増大がこれである。
第二三図に示すように軽工業製品と異り日本の重化学工業品の価格は国際的に極めて割高である。繊維中心の日本の輸出を重化学工業品に切換えることは世界経済の動向から要請される日本経済の宿命であるから、物価割高は日本貿易、ひいては日本経済にとつて極めて重要な問題である。従つてこれについては改めて次項に詳述することとしよう。
つぎは国内購買力の存在である。そのよい例は生糸である。現在生糸の三分の一が輸出され三分の二が国内で消費されている。このような国内需要も結局、個人所得の増加や社用消費の増大を反映した享楽面の繁昌にその原因の一班を求めなければならない。単に生糸だけでなく、あらゆる物資について国内購買力が存在するならば、輸出は伸びないということも疑うことはできない。価格の割高を「輸出を阻害する価格効果」というならば、この購買力の存在は「輸出を制約する所得効果」ということができるであろう。輸出を阻むだけでなく輸出がふえるのも国内購買力の存在が原因である。このように国内景気の動向と国際収支の変動の間には相互に深い関係があるのだ。
なお輸出増大を阻む要因のうち国内および国際両面にまたがるものとしては、販路拡張のための努力の立遅れを指摘しなければならない。一例をあげれば戦前は貿易商社の海外支店は千六百あつたといわれるが、現在は僅かに一割の百六十にすぎない。しかも通商航海条約の未締結のため駐在員も多く一時渡航者の資格で入国し、その活動が不安定になのと、また戦前、国際的にその強大を誇つた三井、三菱等の貿易商社が解体し、現在の貿易商社がその資本力などにおいて著しく弱体化したということも、貿易機能低下の一条件に数えなければならないであろう。自己資本に対するその取引高の比率は、戦前の七・六倍に対して現在は八九倍になつている。
(三)コスト高の原因
重化学工業コスト高の原因の第一にあげなければならないのは、原料高の問題である。前にも示したとおり輸入原料、たとえば鉄鉱石、粘結炭、塩等いずれも割高であり、かつ入手状況が量的、質的に安定していないことがわが国製品のコストと品質に大きくひびいている。とくに動乱直後は輸入原料が高騰したけれども現在ではほぼ動乱前の水準にもどり、今日では「物価」の章に述べるようにむしろ国産原料、とくに石炭の高いことが問題の焦点となつている。
太平洋をはるばる越えて輸入した米炭が日本着で欧米より七―八ドル高い一七―八ドルであるのに、九州産の原料炭が阪神地区で七千二百円、すなわち二〇ドルである。しかも効率を考えれば輸入炭の方がもつと有利である。
原因の第二としてしばしばあげられるのは労働生産性の低さである。しかし「労働」の章に記すように、主要業種別に国際比較を行つてみても、生産性の低さは賃金の低さにカバーされて必ずしもこれに割高の責めを帰すわけにはいかない。ただ戦前日本商品の国際競争力の有力な一因であつた低賃金が次第に改正されている動きを認めることができるであろう。戦前にくらべれば、一般工業では生産性がほぼ戦前並みに戻つたのと見合つて実質賃金も戦前水準に帰つている。ただし石炭鉱業の生産性の回復は戦前の七割程度であるのに賃金は一般工業並みであつて炭価上昇の一因となつている。しかし鉱業における労働生産性の低さを労働者の勤労意欲の低下のせいにすることはできない。なぜならば、この間に坑口から切羽までの距離が遠くなり、炭層が薄くなるほど、炭坑の自然条件が悪化して、これをカバーするだけの投資が充分に行われていなかつたからである。このような意味で生産性と設備投資の関連は何も鉱業に限らない。
そこで設備の老朽化、陳腐化をコスト割高の原因の第三としてあげることにしよう。設備の老朽化、陳腐化は生産性の低さばかりでなく、熱効率や素材の歩留りの悪さの原因でもある。しかも国際的に比較した場合設備の陳腐化の程度が、今後あらたに輸出産業として育成しなければならない機械や金属あるいは化学において著しいことが問題である。なお、工場の熱管理や品質管理あるいは労務管理など経営の技術においても、各国の現状からみてかなりの立遅れがあると認められている。
以上のように原因に加えてコスト高の原因としてしばしば高金利があげられる。なるほど一部の企業、たとえば海運においては間接船費の半分が金利に喰われ、一五%の金利負担にすぎない英国にくらべて著しく不利であるというような例があるけれども、産業全体としてみれば、主要企業の売上高に対する支払利子の平均割合は二七年上期において二・六%である。もちろん戦前の約一%に対して二―三倍の増加であるけれども、金利負担が最近とくに叫ばれるゆえんはむしろ戦前使用総資本の四割であつた金融機関からの借入が、現在八割に上昇し、この外部資金依存割合の増加による支払利子負担の増大が、単なる利率の上昇以上に、近ごろ窮屈になつてきた企業の金ぐりを圧迫するところに問題があるようである。
以上のような種々の原因をもつコスト高に対し国内での対策は主として企業の合理化に集中されている。戦後の投資は繊細設備の復旧を端緒とし、主として生産の量的拡大におかれていた。動乱後の高利潤による投資も最初は設備の増大にむけられていたが次第にコスト切下げのための質的向上が投資の主目標となつた。その状況は「鉱工業生産」の章に示す。とおりである。しかし、一般物価水準の上昇もあつてこれまでの合理化投資が必ずしも現在のコスト切下げに現れていない。合理化の成果がまだ十分に発揮されていない原因としてつぎの三つをあげることができるであろう。すなわち第一に合理化投資がまだ中途であつて、設備の部分的改善など未完成な段階に止まつていることである。その例は重量物の大量運搬を必要とし、この意味で運搬産業といわれる鉄鋼業の工場配置にみられる二、三の近代化設備の挿入だけでは、生産の流れの不備による素材や労務の無駄を排除するのに必ずしも十分ではない。第二は市場の狭さに制約されて近代化した設備をフルに操業することが難しいことである。たとえばわが国の薄板生産設備総計は合理化計画完遂後には一五〇万屯の能力になるが、その時になつて需要は輸出を含めて一〇〇屯前後にすぎないと推定されている。従つて旧式設備の操業を続けるとすれば近代化ストリツプ・ミルの操業率も七割程度に抑えねばならず、コスト引下げに充分役立てたせることができない。第三は雇用問題を激化させることを避けるために、合理化によつて当然浮かしうるはずの人件費を必ずしも切下げられないことである。
今後このような合理化投資の成果を充分に収めるためには、ますます大きな投資と、長い年月とを要するであろう。今の段階でコスト切下げの効果をあげるためには、高能率工場に生産を集中して操業度を高めるとともに、非能率工場と過剰になる雇用とを整理しなければならないけれども、これには社会的制約がある。そこで少くとも工場の製品の単一化、企業の下請系列の整備などによつて、可能な限り操業度の安定と大量生産への接近をはからねばならない。
すなわち、企業のコスト切下げの努力はドツジ・ライン当時の単なる雇用縮小の段階から、現在企業設備の合理化の第二段階にあるのだけれども、さらに国際競争力強化の成果をあげるためには、企業組織全体としての合理化、近代化の第三段階にまで前進する必要がある。