第3節 人口の波と企業競争力
団塊世代の60歳定年退職年齢への到達は家計と企業の双方の観点から労働市場にも大きな影響を与える。家計の側からみれば、定年を終えた団塊労働者は、退職金を原資とした資産運用や旅行、娯楽関係等の消費の拡大など需要者としての影響力を強めるほか、それまで培った技能を活かした形での同じ企業での継続雇用や新規開業、NPO等での活動など引き続き労働力として活躍するなどライフスタイルの選択肢が広がる(コラム5参照)。
他方、企業にとって団塊世代労働者は、業種全体でみれば雇用者数全体の約13%、総賃金ベースの約16%を占める人件費の「稼ぎ頭」となっている。労働力の高齢化が著しかった我が国においては、これら世代の雇用が人件費の押上げ圧力を通じて若年の雇用を抑制(クラウド・アウト)していたという可能性は否定できない。今後、団塊世代が定年退職に向かう中で、こうした抑制効果が縮小していくのか、これに従って若年の雇用増加が見込まれるのかが注目される。一方、団塊世代の定年退職は、これら労働者の技能や知識が失われるという可能性や企業年金給付の増大など退職給付制度にかかる負担増という意味で企業経営上無視できない負の影響を及ぼし得る事態でもある。本節ではまず、団塊世代の定年退職年齢への到達が企業にもたらす多様な影響の側面のうち、人件費負担や収益面への影響、若年雇用への意味、製造業を中心とした技能継承に向けた課題といった論点を取り上げる。その後、退職給付制度に対する含意や課題について整理する。
1 雇用、賃金面への影響
● 団塊世代労働者はこれまで総賃金の「稼ぎ頭」
まず、団塊世代の労働者が人件費の面から与える影響についてみるため、年齢階級別の雇用者数や賃金支払額(現金給与総額ベース)のシェアをみてみよう(第3-3-1図)。これらからわかるように、2000年時点で50歳代前半に位置する団塊世代の労働者は、これまで企業の労働力構成や賃金支払額の中心となってきたことが分かる。こうした傾向は製造業で特に強く、中でも50~59歳雇用者の比率が高いのは、製造業では繊維や皮革、鉄鋼、金属製品、窯業・土石、食料品、紙・パルプ、木材などとなっており、非製造業でも不動産業や運輸業など伝統的な業種が中心となっている(付表3-24)。全般的に賃金カーブはフラット化する傾向にあり(第3-3-2図)、団塊世代の雇用者もその影響をある程度受けているものと考えられる(付図3-25)が、これらの雇用者層は、周りの世代よりも人口が多いという「量」の面から、企業の人件費負担の押上げ要因として働いてきたと考えられる。
● 労働分配率の高止まりにも影響した団塊世代労働者
こうした団塊世代の賃金は人件費圧力を通じてある程度労働分配率を高止まりさせる効果をもってきたと考えられる。この点をみるために、企業の総賃金ベースの変化に対する団塊世代労働者の寄与度を計算した。団塊世代労働者の賃金支払額がある時点から別の時点にかけて変化する場合、それは労働者数の構成の変化による効果(雇用者構成変化要因)、年齢を重ねるにつれ少なくとも50歳代前半までは賃金カーブを上っていく効果(賃金変化要因)に分けられる。後者については、経済成長による賃金の上昇(ベースアップ部分)と純粋な賃金カーブ上の動きを厳密に分けることができないことに留意する必要があるが、総賃金コストの変化に対する団塊世代の寄与分についてみると1990年代には雇用者数と賃金の上昇という2つの面から総賃金コスト上昇の2割程度の押上げ要因として働き、2000年時点においても賃金が伸びない中でも雇用者数要因により押上げ要因として働いていたことが分かる。なお、2003年時点においても、経済全体の賃金の抑制や50歳代後半で賃金カーブが下方屈折するという構造から賃金要因は総賃金コストの引下げに働いている一方で、雇用者数要因が引き続き押上げ要因に働いている(第3-3-3表)。このことから、団塊世代労働者の賃金コストの増加は、1990年以降少なくとも2000年代初頭までは労働分配率を0.2から0.9%ポイント分押し上げる方向に働いていたことが分かる。
● 2007年以降当面は人件費負担の抑制は企業収益に好影響
それでは、今後2007年から2010年頃にかけて団塊世代が段階的に定年退職年齢に達していく過程で、企業にとってどの程度の人件費押下げ効果を持つことになるであろうか。ここでは簡単なケースとして、男女別・雇用形態別の賃金プロファイルは2003年時点と同様である、年齢別の雇用者比率(雇用者/人口)は2004年時点と同様である、年齢別の正規・非正規労働者の比率は2004年時点と同様であるなどの仮定を置いた上で、団塊世代に対する賃金支払額の変化を試算した37。これによると、前年比でみた場合、団塊世代の退職が始まる2007から2009年にかけて急速に賃金コストが減少し、その後は減少幅がやや縮小して推移することとなる。特に、2009年にかけて賃金総額が2.6%程度減少するうち、団塊世代を含む2004年時点で55~59歳のグループ層はこれを上回る7.4%程度の押下げ要因となり、企業収益にプラスの影響を与えると考えられる(第3-3-4図)。
その後については、団塊ジュニア世代を含む2004年時点で30~34歳層の人口の高年齢化が控えている。現在の賃金カーブを前提にすると、賃金カーブのピークに当たる45~59歳層の比率が団塊世代の退職後の2010年前後に底を打った後増加に転じることから、団塊ジュニア世代が45歳にさしかかる2015~2020年頃には賃金コストの低下幅は一時的に縮小すると見込まれる。
● 90年代後半以降、新卒正規採用は低下
先にもみたとおり、1990年代から近年にかけては企業の雇用者に占める若年層、特に新卒採用者を含む20歳代前半のウェイトが低下してきている(前掲第3-3-1図)。これは、人口の少子高齢化による影響もあるが、分析の結果は、世代効果でみて、団塊ジュニア世代を境により若い世代の労働力率や雇用者比率が低下し38、失業率が若い世代ほど高まっていることから、先にみたような団塊世代を中心とする比較的高年齢層の雇用者の賃金負担の重さが、90年代後半以降の経済の低迷の中で、これらの若年層の雇用の減少に影響してきたという可能性を示唆している(第3-3-5図)。以下では、こうした可能性を検証してみたい。
第一に、新規学卒者の雇用状況を確認する。各年の常用雇用者数に対する新規学卒者の割合である「新規学卒入職率」の推移をみると、1990年代半ば以降、金融危機を経験した97年から98年に大きく低下した後も、緩やかに低下しており、この間の新規学卒者の採用状況の厳しさを窺わせる(第3-3-6図)。業種別には、製造業や運輸業、建設業といった業種で新規学卒入職率の低下傾向が継続しており、先にみたように団塊世代を中心とする高年齢雇用者が人件費に占めるウェイトの大きさの影響を示唆している。卸・小売業などでは、新規学卒入職率が反転しているが、これは2000年代に入って以降これら業種におけるパート・アルバイト比率の上昇傾向を反映したものである。このため、パート労働者を除いた新規学卒者が入職者全体に占める割合は95年の27%強から2004年には約16%にまで低下している。また、入職者の推移を職歴別にみると、新規学卒者は1995年の約96万人(入職者全体に対する比率は30%程度)から2004年には約69万人(同19%程度)と長期的に低下傾向にある一方、転職入職者は95年の約167万人(同51%程度)から2004年の218万人(同60%程度)まで増加傾向で堅調に推移するという姿になっている。このように企業は、90年代後半以降は新規学卒者の採用を抑制しており、必要な労働力は、転職市場から即戦力としての中途採用か、パート労働者等賃金コストの安い非正規労働者で賄ってきたとみられる。
● 高年齢雇用者による雇用過剰感の増加を通じて若年雇用者比率の低下の可能性
第二に、企業の雇用過剰感と年齢別雇用者のシェアとの関係についてみてみよう。まず、高年齢労働者(50歳以上)比率と、雇用過剰感の関係を業種ごとの特徴を考慮した上でみると、これらの労働者の比率が1%ポイント上昇すると、雇用過剰感が2%ポイント程度高まるという強い正の相関関係がみられる。第1章の分析によると2%ポイントの過剰感の高まりは29万人程度の過剰雇用に相当するためその影響は決して小さいものではない。次に、若年雇用者比率(15~24歳以下)と雇用過剰感の関係をみると、雇用過剰感が1%ポイント高まると、若年雇用者比率が0.2%ポイント程度(雇用者数では10万人強に相当)低下しているという関係がみられる(第3-3-7図)。つまり、高齢雇用者比率等の高さと若年雇用者比率の低さにはある程度の相関関係がみられ、これは、高齢雇用者比率が高ければ、コスト面から雇用過剰感が高まり、新規学卒採用を抑制するなどして若年雇用者比率を引き下げるという因果関係の存在を示している。しかし、こうした関係には、同時に、若年雇用者比率の低下それ自身が結果的に高齢者雇用比率を引き上げるという因果関係によるものを含んでいることに留意する必要がある。
● 団塊世代の雇用抑制効果は近年頭打ち
こうした推計上の問題を回避するため、玄田(2004)は雇用動向調査の事業所票を用い、ある年の年初の事業所内の高齢者雇用比率を説明変数、事業所におけるその一年間の雇用変化率を被説明変数とする回帰分析を行い、ある事業所における高齢者雇用比率の高さから雇用変化率の低さへの因果関係を検証している39。ここでは、この考え方に倣い、1995年、2000年、2003年の雇用動向調査の事業所票を用い、団塊世代雇用比率を説明変数とする回帰分析を行った。この結果をみると、団塊世代が賃金カーブを上がっていった過程にある2000年にかけては、団塊世代雇用比率の係数は有意にマイナスの値をとり、また、係数の絶対値も大きくなっている。例えば、団塊雇用者比率が1%ポイント高い事業所では、雇用変化率が0.08%ポイント低いという抑制効果がある(第3-3-8図)。また、2003年の係数についてみると、やはり団塊世代比率の係数は有意にマイナスとなっているが、絶対値でみた伸び幅は2000年に比べて低下している。この背景には、様々な要因が考えられるが、その一つとしては、先にみたように団塊世代の労働者の一部が2003年には賃金カーブ上の賃金が低下するグループに移行してきていることがあるものと考えられる40。さらに、雇用変化率を一般労働者とパート労働者に分けて推計すると、団塊労働者比率はパート労働者の増減とは有意に関係していない一方で、一般労働者については雇用者全体と同様の結果となることが分かる。これらのことから、団塊世代の賃金コストの押上げ圧力が小さくなるにつれて、雇用者、特に一般労働者の減少への限界的な影響は小さくなっている可能性があり、今後、これら世代が定年退職に向かうなかにあっては、若い年齢層を中心とした正規雇用へのプラスの影響が期待できることを示している。
● 見え始めた若年採用の芽と堅調な中途採用
団塊世代の定年退職年齢到達を見据えた新規学卒者の採用増加という動きは現実のものとして既に現れ始めている。例えば、日本銀行「短観」の新規学卒者の採用計画をみると、産業全体では2004年度に対前年増加率がプラスに転じた後、2005年度にはそれを上回る計画となっている。これを業種別にみると、製造業では電気機械、輸送用機械等の業種、非製造業では金融や不動産、サービス業などで昨年度を上回っている。2006年度採用計画についても、その伸び率は低下しているものの、金融、情報通信業を中心に引き続き新卒採用の増加が続く見込みである(第3-3-9図)。「短観」はパート等の非正規労働者も含み得ることから、大企業を対象にしたアンケート調査(日本経済新聞社)をみると、2006年度の新卒正規労働者の採用計画は、全体でバブル期の1989年度以来17年ぶりの高い伸びとなるなど、今年度に対して大幅増加となっている41。特に、業績の回復が顕著な金融や、団塊世代の技能労働者の定年退職が間近に迫っている製造業等で増加が見込まれており、全体として企業の採用意欲の高さを窺わせる。
そこで、どのような企業で新卒者を含む若年者の雇用に積極的なのかを探るために、内閣府「平成16年度企業行動アンケート調査」を特別集計して分析を行う。同調査によると、企業の今後3年間の雇用計画はバブル期以来初めて増加に転じているが、正社員を最も増加させるとしている企業の70%超が最も雇用を増加させる年齢層として20歳代以下を挙げており、企業の雇用増加計画は新卒を含めた正規雇用の増加を中心としていることが分かる(付図3-27)。さらに、今後3年間に雇用を増加させるか否かを表す指標を、企業の業況感や過去3年間に若年の雇用を抑制してきたか否かを示す指標等で回帰すると、業況感が高い企業ほど、また、過去に若年雇用の採用等を抑制していた企業ほど雇用を増加する計画を持っていることが分かる(第3-3-10表)42。一方、団塊世代を含む50歳代の雇用の過剰感が強い企業では今後雇用を増加させる可能性が低くなっており、過剰雇用を抱える企業では数年内に雇用を増やす姿とはなっていないが、そうした企業でも20歳以下の若年の雇用を増加させる意欲が高いことは注目される。
なお、同調査によると、企業の中途採用積極化の傾向がさらに強まっているが、これは、今後、長期的には新規学卒採用のプールとなる年齢人口(15~24歳)が減少傾向をたどると見込まれるため、供給制約という面から経済全体としてはこれらの人材確保が困難になること、企業が教育訓練費を削減する傾向にある中で、相対的に高い教育コストを要する新規学卒者の採用をかつてのように重視していない傾向もみられること、若年労働者の採用意欲が高まるなかでこれらの労働者の価値が高まり、賃金が相対的に上昇することで、賃金カーブのフラット化が進み、結果として企業間・業種間の労働移動が高まること等によるものであり、中長期的には、より即戦力としての活用が期待される中途採用という形態での若年雇用の増加傾向が続くものと考えられる43。
● 団塊世代労働者の技能継承が課題に
日本企業の技術開発力の源泉の一つには開発・製造現場における高い技能力(「熟れ(こなれ)の技」)があるといわれる。こうした技能力を支えたのが労働力の厚みがあり勤続年数が高い団塊世代の技術労働者であり、これらの世代の労働力の退職問題を契機に技能の継承に関する懸念が指摘されている。
実際、先に用いた雇用動向調査の事業所個票から、専門・技術職や事務職といった職種に分けて、各事業所の職種別未充足求人比率を計算し、これを各事業所における若年雇用者(15~34歳)や団塊世代雇用者の比率等で回帰したところ、2003年においては、団塊世代労働者の雇用比率が高いほど専門・技術職の未充足求人比率が低く、若年比率が高いほど高いという姿が表れていることがみてとれる(第3-3-11表)。このことは、団塊世代労働者に専門・技術労働者が相対的に多く存在する一方、比較的若い年齢層には相対的に少ないという問題の存在を示している可能性がある。
企業側の意識調査によれば、団塊世代を中心とする労働力が今後退出してしまった場合には現在の業務に支障が出るとする現役社員の声が強く、また、大半がこれら労働者の知識やノウハウを伝承することが必要であるとしている。また別の調査においても、団塊世代の退職により、社内ナレッジの継承がうまくいかなくなると考えている経営者が4割に上るなど、企業の経営・現場の双方で危機感が大きいことがみてとれる44。
それでは、団塊世代の中でもどのような労働者の退職が危機感をもたらしているのであろうか。樋口等(2004)の分析によれば、ものづくりに携わるブルーカラーの技能工を中心に、団塊世代より若い世代では技能労働者が急減するとされており、これらを何らかの形で確保することが重要な課題となることが示唆されている。一方、事務職や管理職等いわゆるホワイトカラーでは団塊世代の後の世代でも労働者数に大きな減少はみられず、これらの労働者の不足感は相対的に強くないことが窺われる。
製造部門技能者の高齢化という問題に対し、企業は、必要な者の雇用延長や指導者としての活用や中途採用の増加、新規若年者の採用増加等の対応策をとっているところが多い45。また、研究開発やイノベーションに貢献する研究人材・知識人材に関して、内閣府の企業意識調査(詳細は次節参照)によれば、研究者を採用している企業のうち団塊世代研究者の退職が懸念材料とはならないとしている企業は4割弱であり、製造現場に加え研究開発部門においても団塊世代従事者の高齢化が問題視されている。こうした状況に対して、企業は研究人材の再雇用や定年延長などの継続雇用を重視するとともに、中途採用の増加による補充を主な対策としているところが多い。
このように、企業によっては、既に団塊世代労働者の技能・知識の継承に向けて、必要な高齢労働者の雇用を延長するなどの措置をとっている。一方で、少子高齢化に伴う労働力人口の減少を抑制するための手段の一つとして、就業意欲のある高年齢者がその知識・経験を活かして働き続けることができる環境の整備のため、2004年6月には改正高年齢者雇用安定法が成立した。同改正法により、定年制を定めている事業主に対し、2006年4月1日以降年金の支給開始年齢に合わせて段階的に65歳までの定年年齢の引上げ、65歳までの継続雇用制度の段階的導入、定年の定めの廃止のいずれかの措置を義務づけることとなった。
改正法施行前の企業の定年制等に関する状況をみると、定年を定めている企業は全体の9割以上に達し、そのうち大半が60歳を定年としている。職種に関わらず一律に定年制を定めている企業の7割強は、勤務延長か再雇用制度による継続雇用制度を導入しているが、上述したように、その多くが対象者を限定しているため、今般の改正法によって、高年齢者の雇用や賃金コストが大きく増加すれば、企業収益にも一定の影響は生じ得ると考えられる46。このような中、企業は、定年延長等の場合には給与体系や人事管理制度、次項に述べるような退職給付制度の見直し等により、また継続雇用制度の活用に際しては高年齢者の就業ニーズに合わせた業務内容や勤務形態の柔軟化等により、企業収益への影響を抑えつつ、意欲と能力のある高年齢者の雇用を確保していくことが重要な課題となる。
コラム5 団塊世代の定年後の働き方の多様化
団塊世代の定年退職が迫っている一方で、我が国の高齢者の労働力率は、自営業主等の減少を要因として長期的には低下傾向にあるものの、国際的にみても依然として高い水準にある。また、高齢者にとっての理想の引退年齢も65歳~70歳程度と、他の先進諸国に比べても我が国の高齢者の就業意欲は極めて高い。これは団塊世代でも同様の状況であり、東京都が行った50歳代を対象とした調査においても、団塊世代及びその前後の労働者の大半が定年退職後も仕事を続ける意欲を持っていることが分かる。一方、仕事を続ける理由としては、生きがいや社会参加といった理由も少なくないと考えられるものの、年金だけでは生活できないなど所得面の不安からくる経済上の理由で就業を希望するケースも根強い。
他方、定年退職後の暮らし方の希望は多様化している。内閣府の「消費・貯蓄行動と国民負担に関する意識調査」(2005年)ではサラリーマンの6割超が定年後も何らかの形で働き続けたいとしているが、そのうち6割超がその働き方として勤務時間が短い形態での労働を望んでいる。また、シルバー人材センターなどを通じた地域に密着した働き方も拡がりをみせている。さらに、東京都の調査では50歳代の2割前後が定年後の働き方として起業(シルバーベンチャー)や個人事業を希望しているというアクティブな姿もみられている。実際、新規開業者の開業時の年齢をみると、45歳以上や60歳以上といった比較的高い年齢層のウェイトがここ十数年来最高の水準まで高まっており、仕事の経験や知識を活かした形での起業が広がっていると考えられる。
定年後の暮らし方の一つとして、団塊世代はNPO(民間非営利団体)・ボランティア活動に対する関心も高いことがわかる。特に、団塊世代の女性は、健康づくりや旅行などと並んで、同世代の男性や前後世代の女性と比べてもボランティア活動への意欲が高く、今後、これらの女性層を中心としたNPO活動の活発化も期待される。
2 高齢化と退職給付制度への影響
2007年から徐々に開始する団塊世代の退職は、前項で確認したように、他の条件を一定にすれば、企業の人件費負担を軽減することにより企業収益の押上げ要因に働くと考えられる。しかしながら、団塊世代という人口の「こぶ」が退職期に入ることは、同時に、企業にとって退職一時金や企業年金といった退職給付に関する負担に増加圧力が加わることを意味する。ここでは、企業にとっての退職給付に関する費用の現状、退職給付制度の変遷、今後の課題について検証する。
● 退職給付制度はこれまで企業収益の押下げ要因
退職給付に関する企業の支払・費用負担は、従業員の退職時における退職一時金の支給、企業年金制度がある場合の企業の掛金負担に加え、現時点で発生している退職給付にかかる債務である退職給付債務の変化等を反映する損益計算書上の費用がある47。これらは、財務省の「法人企業統計」上は主に福利厚生費(人件費)に含まれる。福利厚生費の大宗は社会保険料の雇主負担分(法定福利費)であるが、このうち掛金拠出や退職一時金支給を国民経済計算48からみると、1990年代後半以降は退職者の増加や従業員の高齢化等を背景に増加傾向で推移してきた(付図3-28)。
次に、このうち特に、退職給付に関する会計上の費用の動向をみる。そのためにまず、2001年3月期~2004年3月期までのデータの把握が可能な上場企業1,016社について、退職給付債務の動向をみると、2002年から2003年をピークとする厚生年金基金の代行返上(将来返上)という特殊要因が影響して減少傾向となっているものの、従業員構成の高齢化や年金受給者の増加、退職給付債務を算出するための割引率(金利水準)の低下等を反映して、依然として高い水準で推移している(第3-3-12図)。これに対し、企業が社外に積み立てている年金資産は、2002年までの運用収益率の低迷を受け減少した後、2003年半ばに株価が反転したこと等を受け2003年度末時点では若干ながら増加した。これらを比較すると、年金資産は退職給付債務に対して5割強を占めるに過ぎず、退職給付債務から年金資産を差し引いた退職給付の積立不足は依然として高い水準にある。
退職給付債務のうち、資産運用成績や割引率の予期せざる悪化によって発生する積立不足分等49の「未認識債務」は簿外計上されている。そのため、すぐに費用計上する必要はないが、将来にわたって償却を行う扱いとなっている。損益計算書上は各年度の退職給付債務の増加分と未認識債務の償却分等が「退職給付費用」として計上される。このような退職給付費用は、最近はおおむね横ばいで推移しているが50、2003年度末時点でも経常利益に対して30%程度の水準となっており、退職給付費用の動向が企業収益に無視できない影響を与えていることが分かる(第3-3-13図)51。
● 団塊世代の定年退職による影響
以上のような退職給付制度が企業に及ぼしている影響を考慮した上で、2007年以降に到来する団塊世代の定年退職の影響について考えてみたい。現状の退職給付制度を前提とすれば、退職一時金の支給額は2007年以降一時的に大きく増加する一方、年金給付は退職後も長期にわたることからその後も増加傾向で推移すると予想される。他方、退職給付債務については、団塊世代の退職者に対する退職一時金の支払いが逆に一時的な減少要因として働くものの、年金給付に対応する退職給付債務は長期的には増加傾向を続けると考えられる52。退職給付制度として退職一時金のみを採用している企業は減少していることから、中長期的には企業年金にかかる退職給付債務が退職給付費用の増加を通じて企業収益に影響を与えることが懸念される。
現状の過大な退職給付の積立不足分の抑制・解消のためには、運用収益の向上だけでなく、企業によるある程度の掛金負担の増大が必要となる場合もあろう。このような退職給付積立不足分の解消に係る費用負担は、企業収益の低下を通じて、企業の設備投資行動にも影響を与え得る。ここで単純な試算として、毎年の退職給付債務の伸び率と年金資産の運用利回りについて一定の仮定を置いた上で、上場企業1,016社の退職給付の積立不足分を今後10年程度で解消するとした場合に、毎年どの程度の費用が必要になるのかを、各企業の設備投資実績との比率でみてみよう。試算によると、4割程度の企業は積立不足分のギャップを解消するために設備投資の10%以下の費用が必要になるにとどまるが、平均では設備投資支出の47%程度が必要という結果となる(第3-3-14図)。このように今後、退職給付にかかる負担増が収益圧迫を通して設備投資を阻害する可能性もあるということには十分な注意が必要である。
● これまでの企業年金制度改革の進捗:伝統的な給付建て制度の縮小
このように団塊世代の定年退職という本格的な受給者増加を控える中で、これまでの退職給付制度に大きな変化がなければ、企業収益に少なからぬ影響を与えることが懸念される。特に厚生年金基金や適格退職年金という伝統的な給付建て方式の企業年金制度の下では、年金給付額が名目額で固定されているため、金利低下が運用収益率や割引率の悪化を通して、退職給付費用等を増大させるというリスクを排除できない。
このような状況に対し、2001年には、厚生年金基金の代行部分の返上を認め、代行返上を行った厚生年金基金は新たな給付建て企業年金である「確定給付企業年金」への移行を認めること、適格退職年金を2012年3月までに他の制度へ移行すること、新たに「確定拠出年金」を設けること、等を主な内容とする企業年金制度改革が行われた53。さらに2002年には、厚生年金基金を含む給付建ての企業年金の金利変動リスクを緩和できるキャッシュバランス・プランの導入が認められるようになった。
このような制度改革を受けて、企業はそれぞれ自社の退職給付制度の改革を行っている。伝統的な給付建ての制度の基金・契約数等の推移をみると、2012年3月までに廃止が決まっている適格退職年金については契約数、加入者数が共に急速に減少している。また、厚生年金基金についても代行返上等により、基金数、加入者数とも減少している(第3-3-15図)。それに伴い厚生年金基金の掛金収入も近年減少に転じている。給付費は受給者の減少を受けて鈍化してはいるものの、既に支払いが約束されている給付の存在を反映して引き続き増加傾向にある。
● これまでの改革の進捗:新たな制度の導入が進む
新たな年金制度の導入も急速に進んでいる。代行返上後の厚生年金基金の受け皿ともなる確定給付企業年金の数は2005年4月現在で1,142まで増加しており、そのうち6割程度が厚生年金基金からの移行となっている。また、確定給付型の企業年金におけるキャッシュバランス・プランの導入も増加しており、2005年6月1日現在、約470件の確定給付企業年金が導入している。キャッシュバランス・プランとは、給付建ての企業年金制度について、最低限の給付額は確定するものの、市場金利等の基準となる経済指標の動きに合わせて年金原資が変動する仕組みであり、金利の下振れによる退職給付債務増大のリスクを抑えることができることに特徴がある54。「日経企業年金実態調査」によれば確定給付企業年金の45%程度、厚生年金基金の21%程度がキャッシュバランス・プランの導入に積極的であり、退職給付債務の安定化を目的とした同制度の採用姿勢が強まっていることが分かる(第3-3-16図)。
また、確定拠出年金のうち企業型については、2005年4月末時点で規約数は1,422件、加入者数は126万人(2005年3月末速報値)程度まで増加、個人型についても加入者は4.7万人程度まで増加している(第3-3-17図)。企業型の確定拠出年金は、廃止が決まっている適格退職年金からの資産移管を基に設立されているケースが最も多いが、他制度からの資産移管なく新規に創設しているケースも数多く存在する。他制度との併用に関しては、厚生年金基金との併用が最も多いが、半数以上は他の企業年金との併用を行っていない。先述の「日経企業年金実態調査」によれば、今後採用したい企業年金制度としても企業型の確定拠出年金が最も多く、新たな退職給付債務が発生しないことをその主たる理由と挙げていることから、年金制度が企業財務に及ぼす影響の懸念を背景に同制度の導入が進んでいることが分かる。
こうした企業の取組の結果、各企業の退職給付にかかるバランスシートにもわずかに変化がみられる。上述の上場企業1,016社について一人当たり退職給付債務と一人当たり年金資産の関係をみると、仮に積立が100%である場合には45度線上に位置するはずであるが、退職給付会計導入直後の2001年度末と2003年度末を比較するといずれも45度線よりも下方にあり、積立割合は5割程度にとどまっているという状態には大きな変化がみられない(第3-3-18図)。ただし、そのばらつきはこの2年間で縮小し、退職給付債務と年金資産の関係が全体的に右上から原点の方向へと移ってきている。これは、代行返上をはじめとする企業の退職給付制度の改革の動きを反映したものと考えられる。
コラム6 我が国の企業年金制度の沿革
我が国の退職給付制度は、退職一時金と年金が併存しているが、これは企業年金制度のほとんどが退職金制度から切り替えられたものであることによる。そのため企業年金の流れを理解するためには、退職金についてよくみておく必要があろう。退職給付制度の源流は、江戸時代の商家の使用人の独立時などに行われた「暖簾分け」であると言われている。それがやがて形を変え、明治期以降には熟練労働者の足止め策の一つとしての退職一時金制度となって普及していった。しかし、その後の退職者数・退職金額の急激な増加に伴い、年金方式により退職金の支払負担を平準化することが企業経営上の課題として注目されるようになった。このような状況を背景に、1962年には年金の掛金を非課税にするなど企業年金の税制上の取扱いを明確にした税制適格退職年金制度が、1965年には国の厚生年金制度の拡充が進められる中、その一部を国に代行して支給するとともに、企業独自に上乗せ給付を設定することのできる厚生年金基金制度が創設された。厚生年金基金の代行部分は基金運用利回りが厚生年金の予定利回りよりも高く推移していた時代には企業にとってメリットであった。
その後40年近く、これら2つの制度の両輪により我が国における企業年金の仕組みは続いてきたが、会計ビッグバンの一環として2001年3月期から導入された退職給付会計を契機として、大きな転換期を迎えることとなった。新会計制度の導入により給付建て制度の債務(退職給付債務)と資産を時価評価することが必要となったため、金利の低下が長く続く中で退職給付債務の増加リスクを抑制する方法として企業が確定拠出年金制度の創設を強く要望したという背景もあり、2001年10月に確定拠出年金法、2002年4月には確定給付企業年金法がそれぞれ施行された。前者によって企業は退職給付債務の増加を回避でき、後者によって、運用利回りが低迷し企業にとって既にデメリットとなっていた厚生年金の代行部分を返上することが可能となった。また適格年金制度の税制優遇措置が2012年3月末をもって廃止され、同制度が消滅することもあわせて決定された。
(参考文献)久保知行「わかりやすい企業年金」、厚生年金基金連合会「企業年金に関する基礎資料」
● 企業年金に関する今後の課題
このように、退職給付制度の動向を全般的にみれば、従業員構成が高齢化し、これまでの年功賃金制の影響もあり、退職給付関係のコストが労働分配率の高止まりや企業収益の下押しの要因となることが懸念されるなかで、2001年以降可能となった確定拠出年金やキャッシュバランス・プランなど新たな制度の導入によって、企業はそれぞれの人事・財務政策の観点から退職給付制度の改革を行ってきている。他方、退職給付制度は企業の経営方針の一環であると同時に、労働形態や退職後の生活といった家計部門の在り方にも大きな影響をもたらす。つまり、企業の退職給付制度の改革は、コスト縮減等という側面からだけではなく、退職者並びに現在・将来の働き手という幅広い利害関係者との関係に配慮した上で行われることが求められる。
第一に、退職後所得という点では、家計の可処分所得に占める企業年金のウェイトはこれまで高まってきてはいるものの2%程度(退職一時金を含めると6%程度)と、公的年金の13.5%に比べれば依然低いレベルにある。また日本ではアメリカやドイツと異なり、企業年金を含む私的な年金を主な収入源と考えている高齢者の割合は相対的に少ない。(第3-3-19図)。今後、マクロ経済スライドの適用等により公的年金給付がある程度削減されることが避けられない中で、企業年金を含む退職給付の重要性は相対的に高まらざるをえないであろう。
第二に、転職を含め労働者の多様な働き方が広がりつつある中で、年金資産の持ち運び安さ(ポータビリティ)の向上など就業の形態に中立的な企業年金制度の普及が求められている。この点に関して、伝統的な退職一時金制度は、従業員の保持という性格が強く、勤続年数が長いほど支給率が高くなるように設定されていたため、転職者に不利とされてきた。この傾向は近年、ポイント制など従業員の能力や貢献度や勤続年数に基づいて退職時の一時金を算出する成果型退職金の導入が進むなど、是正されつつあるものの、依然として自己都合による離職・転職に中立的な制度とはなっていない。企業年金については、後に述べるように一部に課題は残るものの、2004年年金改正により、2005年10月からはこれまで不可能であった転職時の資産移管が可能になるなど、企業年金間のポータビリティが大幅に拡充される予定である。
● 確定拠出年金の拡充に向けた今後の課題
企業年金の拡充を考える上で、特に確定拠出年金への移行・導入は、今後の企業年金の在り方の重要な選択肢の一つである。確定拠出年金は、給付建て方式の年金では従来企業が負っていた投資リスクを個人に移転するという性質がある一方、退職給付会計上の退職給付債務が計上されないという点や、上述のポータビリティという点では他の制度よりも優れていることから、企業・労働者の双方にとって利点が少なくない制度である。しかし、現状では確定拠出年金の導入は進展してきているとはいうものの、個人型・企業型を合わせても雇用者の2%程度をカバーしているに過ぎず、同制度にはさらなる普及の余地が残されていると考えられる55。
この点に関し、確定拠出年金制度の現状をみると、第一に国民年金の第三号被保険者(専業主婦等)や他の企業年金制度を実施する企業の被用者等は加入できないこととなっており、このように制度的に掛金を拠出することが出来ない人の存在により、例えば、拠出期間の短い者が退職して専業主婦等になった場合、将来少額の給付しか得られない等の問題が生じる。
第二に、加入者が離職した時点で中途給付を受けることが原則禁止されているが、2004年年金改正により、脱退一時金の受給要件は2005年10月に緩和されることとなっている。また、確定拠出年金の資産は、加入者ごとの個人別に管理されており、このような個人別の勘定を持たない確定給付企業年金等の他制度への移換はできないこととなっている。
第三に、確定拠出年金は、そのポータビリティの高さから労働者の産業間・産業内の移動の頻繁なサービス業における企業年金制度として利用が進むと期待できるが、業種別の確定拠出年金導入状況をみると現実には必ずしもそのような姿にはなっていない56。(付図3-30)。
第四に、拠出限度額等の問題である。確定拠出年金制度は、それが企業型か個人型か、加入者が自営業か被用者か、企業に他の年金制度があるかどうかによって、掛金にそれぞれ上限が設定されている。例えば、企業型については2004年10月には拠出限度額が引き上げられ57、他の企業年金制度を持つ企業であれば月当たり23,000円(引上げ以前18,000円)、他の企業年金がなければ月当たり46,000円(引上げ以前36,000円)となっている。まだ制度導入後間もないこともあり、企業型における従業員一人当たりの実際の掛金拠出額はさほど高い水準にはないが、それでも企業の設定する上限額は比較的大規模の企業や他の企業年金がある企業を中心に法定額となっているところが多く(2004年9月末時点)、確定拠出年金に対する潜在的需要は高いと考えられる(第3-3-20図)。また個人型について掛金月額の分布をみると、第2号被保険者(被用者)ではほぼ半数が上限付近に掛金を設定し、また第1号被保険者についても、6割程度が上限の68,000円に対して2万円以下の低い掛金にとどまっているものの、10%近くが上限近くの掛金を拠出している状況にある。企業による労使合意の下での年金制度の任意な選択という観点からは、拠出額の今後の推移を踏まえつつ、現行制度では認められていない企業型年金における本人追加拠出や個人型年金における雇主追加拠出というマッチング制度導入の是非の検討や、上限枠のさらなる引上げが必要となる場合もあろう。
コラム7 確定拠出年金と家計の資産ポートフォリオ
確定拠出年金の普及によって期待される効果の一つに、家計の金融資産ポートフォリオにおける株式等のリスク・アセットの増加がある。アメリカでは401(k)等の確定拠出年金が導入され、家計のリスク選好の変化などとあいまって、これら年金制度を通じた株式保有が急速に進んだとされている。我が国では、2001年度以降の確定拠出年金の導入により資産ポートフォリオに変化が生じているのであろうか。この点をみるために、資金循環統計における家計の金融資産保有割合を年金基金の資産構成で修正したものをみると、2004年度末時点で、修正前は13%弱に過ぎないリスク資産の割合が2割程度まで達するが、この状況は確定拠出年金制度導入以前と大きく変化していない。
我が国の確定拠出年金におけるポートフォリオをアメリカのそれと比較すると、元本確保型の資産の割合が5割以上と高く、逆にリスク型(投資信託型)のウェイトが低いことが分かる。これには、金融商品の特性に対する理解度が低い投資家ほど、元本確保型のウェイトが多く、かつ資産配分の変更を積極的に行わないという特徴がみられる。また、アメリカでは401(k)プランにおける加入者のポートフォリオ選択に非合理性がみられるという指摘もある。確定拠出年金は、資産の運用を企業ではなく個人の自己責任とするものであり、確定拠出年金法では、企業に対して制度の具体的内容、金融商品の仕組みと特徴等に関する投資教育を義務づけているが、より積極的かつ的確な資産運用を促す意味でも、これらに加え、実践的な投資手法の在り方やリスク選好、ライフプランの考え方を含む投資教育の充実が重要な課題であると考えられる。