第4節 イノベーションの源泉と競争力の向上への課題

2007年に訪れる人口の波は、労働力の減少というチャネルを通じて日本の潜在的な成長力にも少なからず影響を与える可能性がある。第1節で述べたように、労働力が減少していく中で一人当たり所得を維持していくためには技術革新による生産性の向上が不可欠である。また、人口要因が国内マーケットを縮小させていく中で、各企業は付加価値の高い技術創造により競争力を伸ばしていくことが求められる。

本節では、まず、企業の認識する競争力の変化やその背景を概観した後、競争力の源泉となる我が国企業のイノベーション活動の実態やこれを促す要因、イノベーション活動が企業の生産性に与える影響等について検証する。その中で、我が国は研究開発投資が高いにも関わらずそれに見合った生産性が確保されていないという見方に関連して、企業のイノベーション活動、ひいては生産性の向上を促すのは必ずしも研究開発投資の多寡ではなく、製造現場等での創意工夫、研究・技術人材であり、さらには組織形態など研究開発を活かす経営の在り方であることを示す。本節の後半では、我が国の生産性向上の重要な課題であるサービス分野におけるイノベーションの実態や、今後、若年層を中心に国内での人口制約が強まる中で、次代のイノベーション活動を担う科学技術・研究人材の確保に向けた課題等について述べる。

 企業の競争力を左右するイノベーションの力

ここではまず技術創造に関する企業の意識調査(以下、企業サーベイという)58をもとに、企業が認識する自社の競争力の変化やその背景等について簡単に述べる。企業サーベイにおいては、主に各企業の提供する製品・サービスの相対的な強みという観点から企業の競争力が過去3年間でどう変化したと評価しているかを調査しているが、これによると、競争力が強くなったとする企業が全体の31%程度であるのに対し、弱くなったとする企業が33%程度となっており、全体としてばらつきがみられる(第3-4-1図)。業種別にみると高収益を続けている素材産業や不良債権処理が進展した金融等において競争力が高まったとする企業の割合が相対的に高い。競争力の強化に影響した要因としては、製品・サービスの品質・機能や種類に続いて製品・サービスの開発力が挙げられている一方、競争力の劣化に影響した要因としても第一に開発力が位置づけられており、製品・サービスの機能等を向上させるための開発の力、つまりイノベーションの能力が企業の競争力を大きく左右しているということが確認される。

 研究開発投資は活発だが、効率性に課題

企業の製品・サービスの開発力の背景の一つに挙げられるものとして研究開発投資がある。ここでは、我が国の研究開発投資の現状やその効率性について述べる。我が国は1970年代より研究開発を通じて科学技術を製品化することによる企業価値の増大を目指してきた結果、2002年度の日本の研究開発投資額はGDP比で3.12%と、主要先進国の中では最も高いシェアを持つに至っている(付図3-31)。このような我が国の研究開発投資の特徴は、政府部門による投資額のウェイトは国際的にも相対的に低く、その7割超の投資額が民間セクターによって負担されているということにある。

我が国ではこのように民間を中心に研究開発投資が積極的に行われているわけであるが、第1節でみたように今後人口制約が強まる中で、我が国の経済力を維持していくためには、このような研究開発活動がイノベーションを通じて生産性の向上に結びついていくことが何よりも重要である。しかし、先進諸国における全要素生産性と研究開発投資GDP比の変化の関係をみるとこれらには緩やかな正の関係がみられるにも関わらず、1990年代以降の我が国においては比率が高まる一方、全要素生産性の伸びは低下している。全要素生産性の変化を技術革新のみに帰することはできないものの59、研究開発投資の規模に見合う生産性の向上が必ずしも実現されていなかった可能性が示されている(付図3-32)。

こうしたことは、民間部門を含め我が国の研究開発投資の効率性が低いことを物語っている可能性がある。研究開発投資効率を測る指標の一つとして、5年間の累積営業利益を過去5年間の累積研究開発費で除した効率性指標の推移をみると、足元では景気回復による企業収益の回復を受けて若干ながら上昇しているものの、長期的なトレンドとしては低下傾向にある(第3-4-2図)。こうした姿から、我が国企業の研究開発効率が過去に比べて悪化する傾向にあるという可能性がみてとれる。

 日本企業のイノベーション活動の実態

そこで次に、研究開発投資というインプット(投入)と利益率や生産性というアウトカム(成果)とをつなぐ要素、つまりアウトプット(産出)として企業のイノベーション活動をとらえ、我が国企業のイノベーション活動の現状をみることにより、研究開発効率性の低下の要因を考えてみたい。

まず我が国のイノベーション活動の現状を我が国で最初の企業のイノベーション活動に関する包括的な統計調査である文部科学省科学技術政策研究所の「全国イノベーション調査」を用いて示すこととする。同調査によると、調査対象産業で従業員10人以上の企業のうち2割強が、1999年~2001年の3年間のうちに、プロダクト・イノベーション(何らかの新規の、あるいはかなり改善されたプロダクトの市場への導入)もしくはプロセス・イノベーション(サービスの供給方法やプロダクトの配送手段を含む何らかの新規の、あるいはかなり改善されたプロセスの導入)を達成したとしているという結果になっている(以下では、こうした割合をイノベーションを実現した企業の割合と定義して用いる)。諸外国との相対的な関係をみるために、EUにおける同様の調査から、EU諸国におけるイノベーション実現企業の割合をみると4割程度となっており、少なくとも両調査からは、我が国企業においてイノベーション活動がより活発であるという姿はみられない(第3-4-3図60

 経営・組織の在り方が研究開発効率を左右

企業が何らかのイノベーションのための活動を行わなかった、あるいは、活動したものの完了しなかった理由としては、同調査では、人材の不足という問題のほか、技術や市場に関する情報の欠如、組織の硬直性などが挙げられており、イノベーションの成否には人材育成を含めた経営・組織面における企業の取組の差が影響していることが示されている。そこで次に、経営・組織上の取組の在り方とイノベーションの成否、さらには企業の収益性や生産性との関係から企業の競争力の向上のための課題を考えるために、内閣府の企業サーベイの主要な結果をみる61

第一に、同調査においては、新製品や新サービス(既存製品・サービスの大幅な改善も含む)等のプロダクト・イノベーションについては7割近い企業が、また生産技術や流通プロセスの改善等のプロセス・イノベーションについては5割弱の企業が、これを過去3年内に達成したとしているが(付図3-33)、こうしたイノベーションのうち、プロダクト・イノベーションの多くは企業の研究開発部門で実現されている一方、製品製造やサービス提供の現場で生まれるというケースも多く、特にプロセス・イノベーションにおいては特に重要なイノベーションの源泉となっていることが分かる。本節の冒頭で述べたように、企業の競争力の変化とその製品・サービスの開発力は大きく関係しているが、さらに競争力の変化とイノベーションの達成の有無の関係についてみると、競争力が強くなったとしている企業の方が、そうでない場合よりもプロダクト・イノベーションにおいてはその達成割合が8%ポイント程度、プロセス・イノベーションにおいては15%ポイント程度高くなっていることが確認できる(第3-4-4図)。

第二に、企業の研究開発活動等の取組がどの程度製品やサービスの向上等の成果に結びついているかという点については、「半分程度は結びついている」「あまり結びついていない」「まったく結びついていない」という企業が8割以上を占めるなど、企業自身も自社の研究開発効率についてはさほど高い評価を与えていない様子が窺える。その理由としては、やはり、研究スタッフの質・量という人的資本面の問題や市場ニーズを捉えることの難しさなどが主に挙げられている。

第三に、研究開発効率やイノベーションの達成に強く関係すると考えられる企業の経営・組織上の取組の状況をみる。調査では研究開発戦略に関するビジョン策定、研究開発戦略と経営戦略やマーケティングとの連携、人材確保・育成のための戦略の策定、研究開発の進捗管理等の12の項目について実施の有無を質問しているが、研究開発戦略に関する責任体制の明確化や研究開発の進捗管理といった点では5割以上の企業が実施している一方、人材の流出防止や確保・育成、組織体制のフラット化等については相対的に低い実施率にとどまっている(第3-4-5表)。これらの項目を単純に合計し「技術経営点数」としてスコア化(最大12点)し、研究開発効率との関係をみると、おおむね技術経営得点が高いほど研究開発効率が高いという姿が確認できる(第3-4-6図)。

 イノベーションの成否やその収益力は人材や経営の在り方に影響される

以上の結果を踏まえ、次に、イノベーションの成否やイノベーションにより開発された製品・サービスが売上に占めるシェア等に関して、研究開発効率を高め、企業の競争力向上の鍵となる「技術経営」等の経営体制の在り方や研究開発投資の規模等の要因がどの程度影響しているのかを詳しく分析してみたい。具体的には、1企業がプロダクト・イノベーションを実現するか否かを示す「イノベーション性向」、2イノベーションで生まれた製品・サービスが企業の売上高に占めるシェア(「イノベーション効率」という)、3企業がイノベーションによって開発された技術等を保護するための特許を保有しているか否かを示す「特許保有性向」、4そうした特許により保護されている売上高のシェア(「特許効率」という)を被説明変数とし、企業規模や業種の違いを考慮した上で、これらを過去の研究開発投資売上高比、技術経営得点もしくは知財経営得点62、企業内研究者比率、国内研究機関・大学等との連携の有無等で説明するモデルを推計した(第3-4-7図63

推計によれば、第一に、技術経営得点や知財経営得点が高いほどイノベーション性向や効率、特許保有性向や特許効率が高まる傾向がみられる。中でも、技術経営得点の高さはイノベーション性向を高める方向に寄与する一方、知財経営得点の高さは特許の保有の有無に特に強く関係していることが確認できる。特に、技術経営得点が最も高い(12点)企業と最も低い(0点)企業ではイノベーション性向に40%ポイント程度の差が生じる。第二に、企業内の研究者比率は特許性向に対しては有意に働かないが、イノベーション性向に対しては有意にプラスの影響を与えており、企業は特許戦略という観点からよりも、イノベーション活動の源泉として研究者を採用していると考えられる。例えば、研究人材比率が10%ポイント高い企業ではイノベーション性向は2%程度高まる。第三に、産学連携という形で大学等と連携している企業は、イノベーション関連の指標よりも、特許保有性向や特許効率において有意に高い値を示しており、TLO(技術移転機関)64の増加傾向とあいまって、大学等の研究成果を活用した経済効果の高い特許取得が活発化している可能性を示している。第四に、研究開発投資比率の各指標に対する影響はプラスではあるものの必ずしも有意ではないことが示されており、研究開発投資の大小それ自身というよりも、むしろ経営の在り方など企業内のインフラ的な側面が重要であることが分かる。

コラム8 知識経営とイノベーション

企業のイノベーション活動を活性化するインフラとして、経営戦略上の取組、中でも知識経営(knowledge management)の実施は特に重要な要素とされる。ここで知識経営とはEUのうちフランスで実施された「第3回共同体イノベーション調査(CIS3)」等で定義されている4つの経営手法-1知識経営に係る文書化されたポリシーの整備、2知識共有の促進を企図した価値観・企業文化の形成、3従業員や役員の保持を企図したインセンティブ作り、4知識獲得のための他社とのパートナーシップ・戦略的提携の実施-からなる概念である。知識経営の実施状況を企業の特性ごとにみると、大企業ほど、また技術の集約度が高い製造業ほどいずれの項目でも知識経営の実施割合が高い。ただし、大企業や高技術集約産業においても、従業員等の引き留めのためのインセンティブ・ポリシーの実施度は3割弱と他の項目に比べて低く、会社の従業員が職務に関連して行った発明(職務発明)に関して、従業員が会社に対して相当の対価を求める訴訟が数多くなされたことにみられるように、職務発明の権利帰属等の取扱いに関する体制整備の遅れという問題が少なからず反映されていると考えられる。

このような知識経営が製造業のプロダクト・イノベーションの達成に結びついているか否かをプロビット・モデルにより評価すると、いずれの経営方針も全く実施していない場合に比べ、1つでも経営方針を実施していれば、その要因だけで何らかのイノベーションを達成している確率は10%前後高まることが示される。このように、知識経営に代表される経営・組織の在り方は企業のイノベーション活動の成否に大きな影響を与えている可能性が高い。

コラム図8 知識経営とイノベーション

 人材や経営の充実はイノベーションを通じて企業の生産性を高める

次に、人材や技術経営の整備といった要素がイノベーションの達成を通じて企業の生産性に影響しているという点をみるために、労働生産性を被説明変数とする推計を行った。結果は、上のケースと同様に、研究開発投資の規模は労働生産性に対して有意な影響を与えていないが、技術経営や研究人材の充実は、イノベーション実現の可能性を高めることを通じて、企業の労働生産性の上昇にプラスかつ統計的に有意に関係していることが分かる。特に、技術経営得点が上位50%の企業は下位50%の企業よりも、また研究人材比率が上位50%の企業は下位50%の企業よりも、それぞれ労働生産性が2割程度高くなっている(第3-4-8図)。ここでは、企業財務データからマッチング可能な企業のみを分析の対象としたため、サンプル数が限られていることに留意する必要があるが、上述の結果と同様に、企業の技術創造の成果である生産性に関しても、研究開発投資の多寡よりもむしろ、技術経営や知識経営の在り方などのインフラ的要素が、企業のイノベーション活動の促進を通じて寄与するところが大きい65ということを表しているといえよう。

 サービス部門におけるイノベーション活性化のための課題

産業構造や就業構造においてサービス業の重要性が高まっている中で、同分野におけるイノベーションの促進は、今後の経済活性化の鍵であると考えられる。OECD諸国において、卸・小売、金融・保険、情報通信、対事業所サービスといった民間サービスが付加価値に占めるシェアはこの20年程度で大きく拡大し2000年時点で50%程度を占めるなど経済成長を牽引する一方、これら諸国の雇用創出の源泉ともなっている。先進諸国の90年代から2000年代初頭にかけての民間サービス部門の付加価値成長率と雇用の増加率を比較すると、おおむね正の関係がみられるが、その中でも我が国はサービス部門の成長力が相対的に低い位置にある(第3-4-9図)。一般に、民間サービス分野は、対事業所サービスや卸・小売業を中心に経済全体の労働生産性向上に対する寄与も大きく、アメリカや英国等ではサービス業の労働生産性の寄与が大半を占めるが、サービス部門における我が国の労働生産性は相対的に低いグループに属しており、結果として、経済全体の生産性上昇率が低い中で依然として製造業の生産性上昇がその大宗を占めるという構図になっている66

我が国の市場サービス分野のイノベーション活動を、上述の日本とEUのそれぞれのイノベーション調査の結果から比較すると、製造業に比べ何らかのイノベーションを実施している割合がサービス業の方が低いという点では大きな違いはないが、プロダクト、プロセス別のイノベーション実現については、我が国のサービス業は、製造業対比でみると、どちらかといえばプロセス・イノベーション重視で、プロダクト・イノベーションの力が弱いとみられる(付図3-34)。上述の企業サーベイの結果からも、製造業に比べて非製造業のプロダクト・イノベーション性向等が相対的に低いことが分かる。我が国のサービス業において、企業内のイノベーション活動を阻害する要因としては、能力のある従業員の欠如が最も多く挙げられており、サービス業においても人材の量的・質的不足の問題が影響しているものと考えられる(第3-4-10図)。特に、我が国のサービス業はIT技術の活用の遅れが指摘されており、例えば、医療のIT化の推進に必要な情報の標準化などIT化を阻害する制度や慣行の改善と並んで、高度なIT人材を確保することにより医療・教育分野を含め幅広い分野においてIT活用の深化を図っていくことが課題となる。

 縮小する研究・技術人材の確保のための課題

既に述べたように製造業、サービス業を問わず、研究・技術人材の確保はイノベーション活動にとって極めて重要な要素である。しかしながら、今後は高齢化・人口減少により研究・技術人材は絶対数も人口に対する比率も低下していく恐れがあり、特に創造性豊かであると考えられる若手人材の急激な減少が懸念される(第3-4-11図)。企業サーベイによれば多くの企業が、研究開発が成果に結びつかない理由として人材の量的な不足、質的な不十分さを挙げており、人口制約が強くなっていく中で研究・技術人材に対する需要は今後一層高まっていくものと考えられる。以下では今後の研究・技術人材の確保に関する主な課題を述べる。

第一に、高度な専門知識を持つ人材としては企業等における博士号取得者の活躍が期待されるが、博士号取得者数はこのところ横ばい傾向で推移しており、他の先進諸国と比較しても博士号取得者の比率は依然として低いことが分かる(第3-4-12図)。

第二に、多くの企業が博士号取得者の採用に積極的ではなく、企業において博士号取得者が十分に活用されていないという現状がある。企業が積極的な博士号取得者の採用に踏み切らない理由としては、博士号取得者の持つ専門性と企業が求める専門性のミスマッチなどがあると考えられ、若手研究者の流動性の促進等により博士号取得者の積極的な活用を図っていくことも重要な課題であると考えられる。

第三に、今後の研究・技術人材の潜在的プールとなる理工系(理学・工学・農学)の大学入学者の推移をみると、大学入学者全体の伸び率が少子化の影響から減少に転じている中で、理工系の入学者は全体以上に減少しており、理工系の入学者の比率は低下傾向にある(付図3-35)。さらに、より将来にわたる研究・技術人材の動向を占う意味では、子どもの数学、科学に関する関心や学力が参考になる。OECDの学習到達度調査(PISA)によれば、科学的リテラシーでは2000年から2003年にかけて2位を維持しているものの、数学的リテラシーにおいては、依然として上位に位置しているものの、調査対象の国・地域の中で2000年の1位から2003年には6位となっている。子どもの数学、科学の学力と将来の研究人材の輩出の相関は明らかではないものの、「学力低下」や「理科離れ」67がさらに進むようであれば将来の研究・技術人材確保の観点からその影響が心配される。

第四に、我が国は研究・技術人材における女性の比率が低いという問題がある。他の女性労働者と同様に出産・育児等による継続性の難しさがあるものの、他の職種と比較しても研究者の女性比率は極端に低くなっている(付図3-36)。そのため女性研究者の増加は研究・技術人材を確保していく上で重要な課題であると考えられる。

この他、研究補助者や技能者、研究事務その他関係者などに従事する研究支援人材が減少していることも問題となっている。特に企業における研究支援人材の減少が著しく、研究開発の効率性に悪影響を与えている可能性がある。

我が国は、現状の人口当たりの研究者数は他の先進国と比べても高い位置にあるが、イノベーションの結びつく研究・技術人材を今後中長期的に確保していくには、上述したように多くの課題がある。イノベーション活動の活性化により我が国の競争力を維持していくためには、子どもを含む若年層の間での科学に対する興味と意識の喚起、教育カリキュラムの改善、女性の積極的な活用、若年研究者の流動性の促進によるミスマッチの解消等を通じて人材確保に積極的に取り組んでいくことが求められる。

 本章のまとめ

本章では、2007年に始まる人口減少と団塊世代の定年退職の開始という2つの大きな「人口の波」という切り口から、人口動態がフロー・ストックの両面から日本経済にもたらす含意や、家計行動や企業行動への影響を幾つかの側面から概観した。

家計行動に関しては、1年齢・世代別の消費選好等からみれば旅行などのサービス消費等がさらに拡大する一方、人口の核となる団塊ジュニア世代の消費性向は現時点では必ずしも高くなく、中核年齢人口が長期的には減少傾向にあるという点ではマクロの消費マーケットへの影響が懸念されること、2高齢化要因は今後とも貯蓄率の低下を促すものの中期的には貯蓄率がゼロを下回る可能性は小さい一方、貯蓄ゼロの者が若年層に多く存在すること、3高年齢層のリスク志向が高いことを前提にすれば今後ともリスク資産を中心に資産需要は堅調に推移することから、「貯蓄から投資へ」の裾野が広がれば、アメリカで一部に指摘されるような高齢化による金融市場の「溶解」懸念は少ないこと、4住宅ストックの伸びは世帯数とともに鈍化する中で、ここ数年は団塊世代の退職後の住み替えや団塊ジュニア世代の住宅取得活発化によりある程度の需要が見込まれる一方、豊かな高齢社会の実現のためにはリバース・モーゲージ制度の拡充も視野に入れた既存ストックの有効活用が課題となること等を述べた。

企業行動に関しては、1これまで人件費の押上げ圧力でもあった団塊世代労働者の定年退職により、短期的には企業収益への押下げ圧力が緩和されること、2若年の雇用は団塊世代を中心に高年齢雇用者の賃金コスト負担の大きさから抑制されていた点は否めないが、既に団塊世代の定年退職を見据え、そうした抑制効果が頭打ちとなり、若年雇用の拡大の息吹が出始めていることなど団塊世代の退職のプラス面を指摘した。一方で、団塊世代退職が企業の競争力に及ぼすマイナスの影響という側面から、3製造業の現場労働者を中心に団塊世代の労働者には熟練の技術が体化されていることから、これら労働者の継続雇用も含め技能継承が一層の課題となること、また、4団塊世代の雇用者の退職が迫り、退職給付にかかる負担が重くのしかかる恐れがあり、確定拠出年金への移行を含めた企業年金改革の促進が課題となること等を述べた。

人口減少や少子高齢化による労働力の減少が経済成長へのインプットという面からはマイナスの影響を与えざるを得ないことは改めて指摘するまでもない。また、医療制度や介護保険制度は現在の需要・供給構造を前提とすれば、高齢化の影響とあいまって医療・介護費を維持不可能なペースで増加させ、後世代への負担を巨大なものにする恐れがある。社会保障制度の改革はサービスの質の維持という一義的な目的に配慮しつつも、可能な限りの費用の抑制という観点が重視されるべきである。一方、消費意欲を喚起するなどマクロの消費マーケットを活性化しつつ、経済全体の生産性を高めるのは、魅力ある商品・サービスを生み出す企業のイノベーション活動である。イノベーション活動の核となるのは、これを支える人材(労働の質)であり、技術や知識を収益力に活かす経営である。第1章でみたように構造改革の推進により「3つの過剰」を含め資源配分の非効率性が解消されつつある中、我が国の安定的な成長基盤を確立していくためには、「人間力」を軸とした生産性向上のための努力がより一層その重要性を増していくであろう。