第2節 周辺域外国のパフォーマンス:ユーロ参加国との比較
本節では、ユーロ域外国がユーロという共通通貨を選択しなかったことが、経済に対してどのような影響を与えたかを明らかにする。欧州諸国の中でユーロ圏に参加していない国は少なくないが、それらの国の中で経済規模の大きい英国とスイスを取り上げた上でユーロ圏経済との金融面及び貿易面を通じた関係を分析し、ユーロ圏不参加によるメリット・デメリットを探る。
1.英国とスイスがユーロ圏/EUに参加しない背景
(1)国家主権侵害への懸念
英国は1973年にEU(欧州連合)の前身であるEC(欧州共同体)に参加し、自由貿易協定によって関税障壁を撤廃するなど、ほかの加盟国との結び付きを強めてきた。しかし、EU加盟国であることに対する国民の評価は決して高くなく、欧州共通市場への参加を評価する国民の割合は40%程度と、ドイツやフランスと比べて低水準である(第2-2-1図)。一方、EU加盟による民族意識の喪失を懸念する回答の割合は相対的に高く、統合深化によって自国の文化や国家主権を失うことが危惧されている模様である。こうした中、共通通貨が必要と回答する割合は、ドイツやフランスを大きく下回っている。
スイスはEUに加盟しないものの、73年に当時のECと自由貿易協定を締結するなど、EUとの結び付きは決して弱いものではなかった。政府がEU加盟に関して積極的であったため、その後も人の移動や運輸等の面でEUと二国間協定を結んだ。しかし、国民意識は政府の考えとは逆で、97年と01年に実施されたEU加盟交渉に関する国民投票26ではいずれも反対票が70%を超え、賛成票が過半数を上回る州は一つも無かった。自由貿易協定が国民投票で賛成されていたことも踏まえると、スイス国民はEUとの結び付きによる利益を認めつつも、加盟による主権や文化の喪失を懸念し、それがEU参加に反対する理由になっていると推察される。
(2)経済的理由
英国は97年と2003年にブレア政権の下で「5つの経済テスト」を実施し、ユーロ加盟の経済的利益と損失を評価していた27。これは経済に関する5つの点(収れん性、柔軟性、投資、金融、成長)に着目して実施されたもので、英国への直接投資増加や、既に競争力の高い金融業が一段と成長する可能性があるとユーロ導入による一定の利益を認めていた。しかし、英国の住宅ローン金利が変動金利主体であるため、恒久的にユーロ圏の金利を用いることで問題が生じる可能性があるほか28、金融政策や財政政策の自由度が失われてマクロ経済の安定性が低下すると指摘し、結論として、英国のユーロ圏参加を否定した。その結果、英国はEUに加盟するものの、適用除外規定(opt-out)の下でユーロを採用しないことになった。
一方、スイスに関しても、政府がユーロ加盟による費用と便益を評価している29。この中では、EU予算への貢献等の短期的な損失が市場統合より得られる利益を上回ったり、金融政策統合による金利上昇で投資が抑制される可能性が指摘されている。その結果、EU加盟の場合でも、収れん性が満たされるまではユーロに参加すべきでないと述べられている。加えて、スイスはプライベートバンクに代表される金融部門が発達しているため、EU加盟によって一元的な規則で拘束されることを懸念している可能性もある。
2.ユーロ不参加による経済への影響
(1)マクロ経済パフォーマンス等の比較
まず、マクロ経済のパフォーマンスの視点でユーロ圏及び同主要国と比較し、ユーロ圏不参加が英国及びスイスに有意な差異をもたらしているかを検証する。
ユーロ導入前(90年代)と導入後から08年の世界金融危機前(2000~07年)の実質経済成長率の平均値をみると、英国は同時期における住宅バブルの影響も背景にあるが2.5%から3.2%に高まり、スイスでも1.1%から2.2%と上昇している(第2-2-2図(1))。一方、ユーロ圏は2.4%から2.2%に低下した。ドイツやフランスといった主要国と比較しても、英国及びスイスとユーロ圏との差は際立っている。また、この期間の成長率の変動幅(最大値と最小値の差)は英国とスイスで縮小しており、成長率が高水準で安定していたことが示唆される。ユーロ圏では変動幅が拡大していたことを踏まえると、経済の安定性の面でもユーロ圏外にある英国とスイスが優れていたとみることができるだろう。
雇用面に関して、英国の失業率の平均値は90年代に8.2%だったが、2000~07年に5.1%となった(第2-2-2図(2))。同時期のスイスは失業率が2.9%から2.7%と小幅な低下にとどまるも、低水準で安定していた。両国の失業率の水準や低下度合いにかんがみれば、ユーロ圏全体あるいは同主要国と比較して良好な雇用環境が保たれていたとみられる。
また、物価面では、英国の物価上昇率の平均値は90年代にインフレ目標値である2%を大きく上回っていたが、2000~07年に目標をやや下回る水準まで低下し、変動幅も縮小した(第2-2-2図(3))。スイスも2000~07年には物価上昇率が物価安定の定義とされる2%を下回り、変動も弱まった。ただし、ユーロ圏でも物価上昇率は物価安定の定義(2%未満かつ同近傍)に則した結果となり、変動幅も縮小している。物価上昇率に関しては、英国とスイスがユーロ圏と比べてパフォーマンスが優れていたとは言い難い。
このように、08年の世界金融危機前までは、英国とスイスは経済成長や雇用の面でユーロ圏よりむしろ良好なパフォーマンスを達成していたとみられる。しかし、危機後(08年~12年上期)はそれまでの状況から一変する。英国は厳しい財政緊縮の影響等から経済成長率の平均値がマイナスに転じ、スイスでも大幅に低下した。一方で両国の変動幅は拡大し、経済安定化の度合いも弱まった。雇用面では、英国ではやはり財政緊縮による影響もあって失業率が上昇しており、状況は危機前から悪化している。
また、物価上昇率については、英国で付加価値税の税率引上げ等の影響もあって平均値が危機前から上昇しており、家計の実質購買力を低下させるなど、経済に悪影響を及ぼしていたことが示唆される。スイスでは平均値が一段と低下したが、11年10月より1年以上に亘って物価下落が続き、デフレに陥るリスクが高まっている状況である。
以上を踏まえると、英国とスイスがユーロを導入しないことでマクロ経済上の不利益を被っているとの積極的な根拠は見当たらない。ただし、世界金融危機や欧州政府債務危機等の外的ショックが生じた後に関しては、両国がユーロ圏主要国以上の変動に直面している点には留意が必要である。前節でみたように個別国通貨にくらべボラティリティが緩和された共通通貨を導入している国とそうでない国とで差が生じている可能性もあり、この点に関しては後述のショックに対する耐性の項で検討する。
次に産業構造の変化について考えてみよう。英国とスイスは世界の金融取引の中心的な役割を果たしており、産業別GDPをみても金融業が大きなシェアを占めている。2000年と10年の金融・保険・不動産業の割合をみると、英国では13.5%から16.7%に拡大した(第2-2-3図)。スイスでも同様に、これら業種の割合が8.6%から14.3%に高まった。一方、同業種の割合は、ドイツでは15.3%から16.3%に、フランスでは16.2%から18.0%と高まっていたが、2000年から10年の拡大テンポでみれば、英国とスイスが大きく上回っていた。
したがって、ユーロ圏に参加しなかったことで英国とスイスの金融業の比較優位性が失われたとは必ずしもいえず、金融業のプレゼンスは大きく高まった。英国に関しては、前述の「5つの経済テスト」でも指摘されたとおりユーロ参加前から金融業の競争力が高く、国際金融センターとしての地位が揺るがなかったとみられる。スイスについても同様であったと考えられる。
一方、2000年から10年にかけての製造業の割合は、英国は15.6%から10.7%に、フランスは15.2%から10.3%に低下したが、スイスでは19.3%から17.9%、ドイツでは22.3%から21.5%とほぼ横ばいとなった。後述するとおりユーロ導入後に英国とフランス双方とも輸出が減速している点を踏まえれば、製造業の割合低下の背景には、輸出減速があったと考えられる(後掲第2-2-10図)。なお、共通通貨への参加・不参加にかかわらず製造業の割合が対照的な動きとなっているため、英国及びフランスの輸出減速は、為替面の差異で生ずる価格競争力以外の面からの影響が大きかった可能性があると推察される。
(2)資本取引・貿易面への影響
(i)金融面を通じた影響
第1節では、ユーロ導入後にユーロ参加国間の資本取引が活発化したことを確認した。以下では、ユーロ圏外にある英国とスイスが、ユーロ圏と金融面でどのように結び付いていたかを明らかにするため、ユーロ導入後の資本の流れの変化を確認する30。
ユーロ導入から08年の世界金融危機まで(2000~07年)における英国を中心とした銀行資金の動きをみると、ユーロ圏から調達した資金が主に非ユーロ圏に貸出されていたことが分かる(第2-2-4図)。この期間、国外銀行が英国に貸付けた金額は年平均4,000億ドル弱であったが、その内の70%以上をユーロ圏が占め、特にドイツやフランス、南欧諸国等の割合が大きかった。
一方、英国の銀行が国外に貸し出した金額は年平均約4,000億ドルで、その33%をアメリカ向けが占めていた。アメリカ向けに関しては、単に企業や銀行に流動性を供給するだけではなく、証券化商品の購入にも資金が向けられたとみられ、同国における住宅価格高騰の一因になったと考えられる。英国からの資本流入が住宅価格高騰に寄与した点はヨーロッパでも同様で、英国銀行はアイルランドやスペインを中心に南欧諸国等に対して年平均500億ドルを貸出し、それは両国の住宅市場にも流入したとみられる。また、経済成長に対する期待から、アジアを中心とする新興国向け貸出も増加していた。
しかし、こうした資金の流れは08年の世界金融危機後に一変した(第2-2-5図)。英国は、主要な資金調達先であったユーロ圏から借入返済を迫られた。危機前にはユーロ圏銀行より年平均で約3,000億ドルが英国に流入していたが、危機後には約3,000億ドルの流出に転じた。そして、ユーロ圏からの調達を代替する形で、アメリカからの借入が加速することになった。
他方、危機後の英国銀行の国外に対する貸出は年平均約500億ドルと、危機前の同約4,000億ドルから急減速した。危機後のリスク回避姿勢に欧州政府債務危機も相まって、アメリカ向けに加え、南欧諸国等から資金が回収された。こうした中、危機前に年平均約650億ドルだった新興国向けが危機後に同約660億ドルとなり、スイス向けは同約30億ドルから同約60億ドルと貸出のテンポが加速した。
以上のような資金フローの変化の結果、残高に占める各国・地域のプレゼンスも変化した(第2-2-6図)。借入残高に関しては、危機前には70%近くを占めていたユーロ圏の割合が、危機後には50%強にまで低下し、元々10%未満であったアメリカの割合が20%を上回った。貸出については、アメリカや新興国の割合が危機後に高まることになった。
次に、スイスについてみると、08年の世界金融危機前は英国と同様に資金の調達先として、ドイツやフランス等ユーロ圏のプレゼンスが大きかったことが分かる(第2-2-7図)。そして、調達された資金をアメリカ等の非ユーロ圏に多く貸し出していた。2000年から07年にかけ、スイス銀行の国外貸出は年平均2,000億ドル強で、その40%程度がアメリカ向けであった。英国や新興国向けの割合も比較的大きかった。
しかし、危機後には資金の流れが大きく変わり、ユーロ圏から借入返済を迫られる中、調達先としてのアメリカや英国の存在感が強まった(第2-2-8図)。国外銀行がスイスに貸付けた資金に占めるアメリカ及び英国の割合は、危機前に20%弱だったが、危機後には190%まで上昇した。貸出に関しては、いずれの国・地域からも資金を回収する動きに転じた。危機前に貸出額の大きかったアメリカからだけではなく、欧州政府債務危機の震源地である南欧諸国等を中心にユーロ圏からも資金を引揚げた。危機後、スイス銀行の国外貸出は年平均▲2,000億ドルと危機前(同2,000億ドル強)から状況が一変していることが分かる。
こうした資金フローの変化の結果、残高に占める各国・地域のプレゼンスにも変化が生じた(第2-2-9図)。借入残高では、危機前には70%を超えていたユーロ圏の割合が、危機後に50%まで低下した。代わりに、元々は15%程度であったアメリカ及び英国の割合が、危機後に約40%まで上昇した。貸出に関しては、債務危機の渦中にある南欧諸国等の割合が低下した。一方、資金引揚げのペースが相対的に緩やかであったことを背景に、新興国向けはシェアを高める結果なっている。
ここまで分析してきたとおり、共通通貨導入によって英国及びスイスとユーロ圏との金融面での結び付きは決して弱まったとはいえない。むしろ08年の世界金融危機まで、両国の国外からの資金調達においてユーロ圏は圧倒的な割合を占めていた。ユーロ圏から調達された資金の多くはアメリカ等の非ユーロ圏に向かったが、南欧諸国等にも貸出され、一部の国における住宅価格高騰の一因になったと考えられる。
危機後は、銀行部門を通じたユーロ圏との資本取引が縮小したり、資金フローの逆流が生じている。しかし、それは金融危機やその後に発生した欧州政府債務危機によって銀行のリスク回避姿勢が強まったためであり、英国やスイスのこれまでの金融仲介機能が損なわれたとみるべきではない。
以上を踏まえると、英国及びスイスは共にユーロ圏と非ユーロ圏との資金供給や資金需要の結節点に位置することで、むしろ両国の金融業の重要性を一段と高めていったと評価することができるだろう。
(ii)貿易面を通じた影響
99年に共通通貨ユーロが導入され、ユーロ参加国同士で取引する際の為替変動リスクや両替コストは消滅したが、英国やスイスでは残存したままとなった31。そのため、ユーロ圏内の企業がこうしたリスクやコストを回避しようとして共通通貨導入後に圏内の貿易取引にシフトし、結果的に英国及びスイスのユーロ圏との貿易取引に悪影響を及ぼしたのではないかという仮説がたてられる。以下では、英国及びスイスのユーロ圏に対する貿易量の変化を為替動向等との関係を踏まえながら分析し、共通通貨導入がユーロ圏外にある両国の貿易取引にどのような影響を及ぼしたか検証する。
(ア)貿易量の拡大
前述の金融面と同様、貿易面での英国及びスイスとユーロ圏との結び付きは決して小さくない。英国ではユーロ圏向け輸出が全体の50%強を、同輸入が50%弱を占めていた(2000~10年の平均値)。一方、スイスではユーロ圏向け輸出の割合が50%強、同輸入が70%強であった。
ユーロ圏との実質貿易量(輸出+輸入)を共通通貨導入時と08年の世界金融危機時で区切ってみると、英国では導入前まで年平均10.0%と大幅に増加していたが、導入後から金融危機にかけて同6.3%まで減速し、危機後は同6.1%とおおむね横ばいとなった(第2-2-10図)。一方、スイスは導入前まで年平均5.9%の増加率だったが、導入後から危機にかけて同10.4%まで伸びを高め、危機後には同3.7%と急減速した。共にユーロ不参加国であるが、導入後の両国のユーロ圏との貿易取引の動向は対照的で共通性が見出せない。なお、ドイツでは導入後から金融危機にかけてのユーロ圏向け貿易量が年平均11.8%に加速し、その後も10%台での拡大が続いた。一方、導入前の貿易量拡大テンポがドイツを上回っていたフランスは、導入後に一貫して減速しており、共にユーロ参加国であるものの異なる状況にある。
以下では、こうした貿易量についての英国とスイスとの対照的な動きが、どのような要因に起因するかを確認するため、為替動向との関係も踏まえて詳しく分析する。
ユーロ導入後から08年の世界金融危機までの動きをみると、英国では輸出の減速が貿易量の縮小の主因であったことが分かる(前掲第2-2-10図)。英国のユーロ圏向け輸出は、02年初から04年半ばにかけて機械類を中心に減少が続いた(第2-2-11図(1))。01年のITバブル崩壊後にユーロ圏の景気が減速したことに加え、99年からの政策金利の引上げやユーロに対する不安等からポンドの増価が続き、価格競争力を失ったことが背景にあるとみられる。その後はユーロ圏経済が復調したほか、ポンドが減価に転じたため、危機にかけて輸出は増加基調となった。一方、この期間の輸入は、住宅価格上昇等による内需好調を追い風に増加が続いた。
英国では、08年の世界金融危機後に輸出が前年比で伸びを高めるものの、輸入の伸びが鈍化し、貿易量の拡大ペースは危機前から横ばいとなった(前掲第2-2-10図)。輸出増の背景には、ユーロ圏経済の持ち直しに加え、住宅バブル崩壊の後遺症やサブプライムローン問題で英国の金融機関が大幅な損失を被ったことを背景としたポンドの大幅減価もあったとみられる32。もっとも、11年以降は欧州政府債務危機によるユーロ圏経済の内需の低迷やユーロ安によるポンドの増価もあり輸出の伸びは再び低下している。輸入に関しては、住宅バブル崩壊後の家計のバランスシート調整等から内需が縮小する中、伸び悩んでいると考えられる。
スイスに関しては、ユーロ導入後から08年の世界金融危機にかけてまでは貿易量が拡大した(前掲第2-2-10図)。この期間、スイスのユーロ圏向け輸出は増加が続いた(第2-2-11図(2))。スイスフランが03年にかけて増価したことが輸出を下押した可能性はあるが、英国と比べればその影響は限定的であったと考えられる。輸入に関しては、外需主導の経済構造のため、輸出増が内需増に結び付いたことが背景にあるとみられる。
08年の世界金融危機後は、輸出入ともに前年比では伸びが鈍化し、貿易量の拡大ペースが大きく減速した(前掲第2-2-10図)。11年にかけて輸出は伸びを高めるものの、その後低下し、12年には減少に転じた。輸出の減速にはスイスフランが大幅に増価したことが影響したとみられる33。実際、輸出産業が自国通貨高への耐性を強めているとの指摘もあるものの34、スイス国民銀行(SNB)の調査では製造業の8割超が自国通貨高により悪影響を受けたと回答している35。また、IMFは為替増価が、特に機械・電気機器業種に打撃を与えて失業率が上昇するリスクがあるほか、GDPを押し下げる効果があったと指摘している36。輸出の減少を背景に内需も停滞する中、輸入も伸び悩んだと考えられる。もっとも、11年9月にはSNBがユーロに対する為替レートの上限を設定して無制限介入に踏み切り、為替増価には歯止めがかかりつつある。12年9月にはスイス連邦経済省も、為替増価が抑制されており、無制限介入は輸出産業の収益環境の改善に貢献したと指摘している37。
ユーロ圏向け実質輸出入の動向に関して、ユーロ導入後から危機前までをユーロ参加国と比べると、英国とフランスは、ドイツとスイスに比べて相対的に輸出の増加テンポが鈍かった(第2-2-12図)。前述のとおり、共にユーロ参加国でありながらドイツとフランスの結果には差がみられた。一方、輸入に関しては4か国ともおおむね同じペースで増加していた。英国とフランス、ドイツとスイスの組合わせで貿易動向が類似している点からみると、少なくとも危機前までは通貨の違いが貿易取引に対して決定的な差異をもたらしたとはいい難い。
08年の世界金融危機後は4か国とも09年に輸出入が大きく落ち込み、その後は持ち直しに向かった。しかし、危機前までドイツと同程度のテンポで増加していたスイスの輸出は、危機後の回復力がドイツより劣っており、この局面では前述した為替増価が影響したことがうかがわれる。
(イ)競争力関係や財別貿易構造の変化
以上のように、英国及びスイスの為替変動とユーロ圏との貿易取引の動きをみると、ユーロ導入直後や世界金融危機後には大幅に為替が変動し、貿易取引に影響を及ぼしたとみられる。
しかし、為替変動は価格面を通じた効果であり、貿易取引は非価格面からも影響を受けると考えられる。そのため、為替増価等で価格競争力が低下しても、非価格競争力が改善すればその国の輸出競争力は変わらないはずである。実際、2000年から03年にかけてポンド増価が英国のユーロ圏向け輸出を下押しする一方、スイスのユーロ圏向け輸出はスイスフランの増価にもかかわらず同時期に拡大している。こうした対照的な結果は、両国の非価格競争力に差があることを示唆しているといえよう。
そこで、ユーロ圏との貿易について金融危機前までの主要品目の貿易特化係数をみると、英国では燃料・原材料以外の財でユーロ導入後に輸入特化の度合いが強まっている(第2-2-13図)。特に化学製品や機械、光学機器において価格面と非価格面から競争力が低下したことが示唆される。一方、スイスは化学製品以外の財が元々ユーロ圏に対して輸入特化の状態にあったが、ユーロ導入後は特化係数がほぼ横ばい、光学機器等では上昇した。この結果は、スイス製造業の非価格面での強さに起因するところも大きいと考えられる。
なお、ドイツではユーロ導入後に機械・輸送機器の輸出特化の度合いが強まったほか、光学・精密機器等は輸出特化に転じた。ドイツのユーロ圏との貿易では為替リスクが消滅したことを踏まえると、非価格面に加え前節でみたような労働コストの抑制といった為替変動に影響されない面での輸出価格競争力の強さが示唆される。一方、フランスではいずれの財も輸入特化の度合いが高まり、ドイツとは対照的な結果となっている。
また、貿易構造の変化を99年から07年にかけて財ごとにみると、英国の輸出では、ユーロ導入前に最も割合の高かった機械・輸送機器が99年の45.0%から07年に33.0%へと割合が大幅に低下して輸出減速の主因となった(第2-2-14図)。一方、次にシェアの大きい化学製品は14.0%から18.6%に、燃料及び原材料は7.8%から18.6%と割合が高まった。輸入に関しても同様で、機械・輸送機器は45.9%から41.9%と割合が低下し、化学製品は12.2%から14.8%と高まった。
スイスについては、ユーロ導入後、薬品等の化学製品が99年の25.1%から07年に32.2%まで割合を高め、輸出をけん引した(第2-2-15図)。光学・精密機器等も15.9%から17.2%と上昇した。一方、機械・輸送機器は32.5%から23.9%と割合は低下した。輸入についても、輸出とおおむね同じ動きがみられた。
ここまで分析してきたとおり、08年の世界金融危機までは英国とスイスのユーロ圏向け貿易は対照的な動きをしてきた。両国の為替は03年にかけて大幅に増価した後、減価に転じ、為替変動が貿易取引に影響を与えたことは否定できない。しかし、同じユーロ非参加国で為替がこの時期に似た動きをしているにもかかわらず、両国のユーロ圏向け輸出の結果が異なることは、輸出品目の構造の違いに加え非価格競争力の動向に起因するところが大きかったとみられる38。
一方、金融危機後の両国の貿易動向をみると、為替が大幅に減価した英国と、大幅に増価したスイスとで輸出回復の状況が異なっており、この局面では同じユーロ圏外に位置しながら為替変動の方向の違いによる影響が端的に表われているといえよう。
(3)ショック吸収能力のユーロ圏との比較
(i)中央銀行による金融政策の柔軟性
ユーロ圏における欧州中央銀行(ECB)の一元的金融政策は、全ての参加国の経済情勢が収れんしていることを前提としたものであった。しかし、前節でみたとおり、経済情勢にかい離がみられる中、ECBの金融政策は必ずしも全ての国の状況に即して最適な金融政策とはなっていなかった。一方、英国やスイスでは、中央銀行が自国の経済・物価情勢を踏まえて政策決定をしており、ユーロ圏と比べれば相対的に柔軟な対応が可能と考えられる。
そこで、各中央銀行が政策金利の水準を変更した時点における経済動向を金利の変更幅と共に確認しよう(第2-2-16図)。一般に、中央銀行は景気が過熱して物価上昇率が一定の目安を超える場合(GDPギャップとインフレギャップが共に正値)に引締策を実施し、景気が悪化して物価上昇率が一定の目安を下回る局面(GDPギャップとインフレギャップが共に負値)で緩和策を実施するはずである。したがって、第2-2-16図において利上げは第I象限で、利下げは第III象限で実施されると考えられる。実際、ユーロ圏に関しては、利上げが第I象限で、利下げが第III象限でおおむね実施されている。
イングランド銀行(BOE)は92年よりインフレターゲットを掲げ、物価動向に応じて金融政策を適切に運営する義務がある。しかし、英国では第I象限であっても利下げが行われたケースがあり、景気が拡大してインフレが進行するにもかかわらず、緩和策が講じられたことを示している。これらは07年12月から08年4月にかけて実施されたものである。当時、BOEは景気拡大を認める一方、海外経済や金融市場の動向を踏まえると景気減速のリスクがあるため利下げに踏み切ったと説明しており、たとえその時点の景気が堅調であっても、先行きのリスクによって緩和策を実施する柔軟な姿勢がうかがえる。また、第II象限でも利下げが行われている。これらは08年の世界金融危機直後の対応で、景気が失速する中、需要要因ではなく供給要因で物価上昇率が上振れていたこともあり、大幅な緩和措置が実施されたと考えられる。その後は国債買取による量的緩和も行われている(第2-2-17図(1))。
一方、スイスでは利下げがおおむね第III象限で行われているが、利上げが第III象限または第IV象限と、インフレギャップが負の場合に実施されている時もあった。これらは2000年及び06年に行われており、SNBは物価上昇率が先行き2%を超えるリスクがあることや、ユーロに対する為替レート安定のためECBの利上げに対応したことなどを利上げの理由と説明している。また、11年9月には通貨高に歯止めをかけるために無制限の為替介入に踏み切っており、経済情勢だけではなく為替動向も重視した柔軟な政策が講じられていることが示唆される(第2-2-17図(2))。
(ii)為替変動に対する耐性
次に、ユーロ導入後の英国とスイスの為替変動についてみていく。ここでは、前節と同様に両国の実効レートの変動幅や尖度を用いて、ユーロと比較することを通じてどのようなインプリケーションが得られるかを考察する。
まず英国に関しては、変動幅(最大値と最小値の差)がユーロ導入前からユーロ導入後(08年の世界金融危機まで)にかけて大幅に縮小したほか、導入前に7.4であった尖度は導入後に3.3に低下しており、為替変動の度合いが低下したといえよう(第2-2-18図)。一方、スイスでは変動幅が縮小するも、尖度は導入後もほぼ横ばい圏にとどまっている。両国とも裁量的な金融政策が為替相場の安定に寄与した可能性はあるが、この対称的な結果を踏まえると、英国独自の要因が為替変動に大きな影響を及ぼしたと考えられる。特に、英国では92年にポンドが大幅に下落したため、通貨危機を経験し、それが導入前の尖度が高かった背景にあると考えられる。ユーロを導入せず90年代に通貨危機を経験したスウェーデンでも、変動幅や尖度が英国と類似した動きをしている。
また、08年の世界金融危機後には英国及びスイスの変動幅は大幅に拡大し、尖度はそれぞれ9.1、9.8まで急上昇している。一方、ユーロは危機前後とも尖度はほぼ横ばいとなっている。危機後、英国では住宅価格高騰の後遺症等から景気が低迷する中で通貨が大幅に減価する一方、スイスでは危機の影響が相対的に限定され逆にユーロからの安全逃避姿勢が強まったことから通貨が大幅に増価した。これは、ユーロ圏のような共通通貨よりも、一国の自国通貨が内的であれ外的であれ経済的ショックに影響されやすかったことを示唆する結果といえる。実際、債務危機に苦しむはずのユーロ圏は、為替変動の度合いが英国やスイスと比較して安定的である。ユーロ圏には債務危機の震源地である南欧諸国等がある一方、経済規模が大きく安定的なドイツやフランスといった国もあるため、経済的ショックの影響を互いにある程度和らげることができたとみられる。
共通通貨を導入しないことが為替変動に与える影響に関しては、一元化された金融政策が講じられるユーロ圏とは異なり、英国やスイスでは政策の自由度が高く、それによる経済安定化が為替相場の安定に寄与する可能性も考えられる。しかし、前述の結果からは個別国通貨よりも共通通貨圏を形成することが為替変動の度合いを緩和することにつながっているという見方ができるだろう。
(iii)欧州政府債務危機による影響
ここまで経済的ショックに対する中央銀行の政策や為替変動の違いについて分析してきたが、当面の重要なショックは欧州政府債務危機である。債務危機が英国やスイスに及ぼす悪影響は数多く、例えば、両国の主要輸出先であるユーロ圏の需要低迷によって輸出が悪影響を受けているほか、企業や消費者マインドの悪化が内需拡大の足かせともなっている。
一方、英国とスイスは国債格付がトリプルAの国であるため、危機深刻化の中で安全投資先とみなされ、国債利回りは歴史的な低水準にある。その結果、政府の新発債発行コストが低下したり、企業の借入金利が低下するなど、恩恵も受けていると考えられる。
しかし、両国の安全投資先としての地位も決して安泰なものではない。まず、英国の財政状況はいまだ健全なものとはいえない。財政緊縮を進めているが、11年の財政赤字はGDP比8.3%と、債務危機の渦中にあるスペイン(同8.5%)とほぼ同水準となっており、その状況は少なくとも13年までは変わらないと予測されている(第2-2-19図)。債務残高についてはスペインを遥かに上回る規模である。こうした状況でも国債利回りが低水準を維持しているのは、英国政府による財政緊縮への取組に対する信認があるためである。しかし、それに加え、BOEの国債買取や、そもそも非ユーロ参加国であることも影響したとみられる。実際、Bean (2012)は国債買取の結果、英国債利回りが100bp低下したと指摘している。また、Lama and Rabanal (2012)は、英国がユーロ圏に参加し、債務危機によって利回りスプレッドがフランス、スペイン、イタリアのスプレッド上昇幅の平均並みに拡大していれば、経済厚生が減少していたと述べている。
スイスに関しても、懸念材料は多い。確かに、同国の財政収支は06年に黒字化し、債務残高もユーロ圏と比べれば低く、財政状況は健全であるといえる。しかし、08年の世界金融危機後の急激な為替増価の影響により輸出に負の影響が生じているほか、無制限介入の副作用で通貨供給量は増大している。現在は物価が下落基調であるが、今後も為替介入が続けば物価上昇率が上昇し、国債利回りの上昇要因となる可能性もある。
以上、本節では共通通貨を導入しなかったことが英国とスイスにどのような影響を与えたかを分析してきた。
まず、08年の世界金融危機前までの状況に関しては、英国とスイス両国の経済パフォーマンスがユーロ圏と比べて相対的に良好であり、共通通貨を導入しなかったことで両国が悪影響を受けたとは必ずしもいえないことが分かった。金融面では英国とスイスの対外借入に占めるユーロ圏の存在感が圧倒的に大きかったほか、貸出においても南欧諸国等を中心にユーロ圏への資金流入は増加していた。為替リスクがあっても資本取引は控えられるのではなく、むしろユーロ圏の資金需要拡大を追い風として両国の金融機能がより発揮されてきたと評価できるだろう。一方、貿易面では世界金融危機前まではユーロ導入後のユーロ圏向け貿易取引が英国で減速し、スイスで拡大するとの対照的な動きが観察されたが、これは為替要因よりも非価格面での競争力が大きく影響したと考えられる。
しかし、金融危機やその後の債務危機によって状況は一変した。ユーロ圏に参加しなかったこともあり、英国とスイスは安全投資先とみなされて低金利による恩恵を享受する面もあったが、特にスイスは大幅な為替増価に苦しんでおり、ユーロ圏との資本取引の逆流や貿易取引の縮小を経験しつつある。
このように、英国及びスイスがユーロを導入しなかったことの影響は、その時々の経済情勢や金融業か製造業かによっても異なっている。しかし、両国は経済パフォーマンス等の点でユーロ圏に決して劣っていなかったほか、為替変動リスク等に直面しながらも、貿易や資本取引の面ではユーロ圏とのつながりを強めてきた。現段階で個別通貨制度を維持することの恒久的なメリット・デメリットを判断することは困難だが、両国がユーロ導入を見送る決定をしたことはそれぞれの経済構造や国民意識等を踏まえた選択であり、少なくとも両国とユーロ圏との経済的結び付きを阻害するものでは決してなかったと評価することができるだろう。
コラム2-4:ユーロ圏向け輸出と比して堅調なスイスの非ユーロ圏向け輸出
2008年の世界金融危機後にスイスフランは対ユーロで大幅に増価し、ユーロ圏向け輸出に打撃を与え、それがドイツの共通通貨間の取引であるユーロ圏向け輸出の回復力との差異をもたらしている可能性を本節の(ii)で指摘した。ここでは、危機後のスイスフラン高がユーロ圏向け輸出だけではなく、ユーロ圏外の輸出にも同様の影響を及ぼしているかについて検証する。
08年初から11年半ばにかけてスイスフランは対ユーロで30%弱も増価したが、投資家のリスク回避姿勢の強まりやキャリートレードの巻き戻し(注1)を背景にユーロ以外の通貨に対しても同様に増価基調となり、実効レートも30%強と大幅に上昇した。その結果、非ユーロ圏向け輸出も悪影響を受けることになり、10年以降は輸出の伸び率が低下し、11年半ばからは更にその傾向が強まっている(図1)。
ただし、ユーロ圏向け輸出と比べ、非ユーロ圏向け輸出は比較的底堅さを保っているといえる。11年半ばからユーロ圏向け輸出が前年比で減少に転じる一方、非ユーロ圏向けは増加を維持している。非ユーロ圏向け輸出の落ち込みが比較的緩やかな背景として、世界経済は減速の動きの広がりがみられたものの、アメリカやアジア新興国からの需要はユーロ圏ほどには弱まっていないことが考えられる。
さらに、輸出構造の違いも影響したとみられる。スイスの財貿易収支はユーロ圏とそれ以外で対照的な構造となっている(前掲図2)。財貿易収支全体でみれば年間60億ユーロ程度の黒字だが、ユーロ圏向けは170億ユーロ程度の赤字、それ以外が230億ユーロ程度の黒字である。内訳をみると、飲食料品や燃料等の素材を中心にユーロ圏に対しては輸入超過で、薬品や時計等の精密機器を中心に非ユーロ圏に対して輸出超過となっていることが分かる。
また、輸出される財の内訳をみると、ユーロ圏向けでは光学・精密機器等や薬品の割合がそれぞれ19%、23%なのに対し、非ユーロ圏向けでは各々26%、27%と相対的に高い(図3)。これら2つの財の輸出は、実効レートが上昇する中でも増加基調となっており、通貨高による価格競争力の低下を補い得る非価格面での競争力の強さが示唆される(図4)。また、これらの財は世界金融危機後の落ち込みもほかの財と比べても軽微であり、景気動向にかかわらず底堅い需要がある分野とみなせる。こうしたことから、光学・精密機器や薬品のシェアがより大きい非ユーロ圏向け輸出は、スイスフランが増価する中でも底堅さを維持していると考えられる。
(注1)キャリートレードとは、低金利国通貨で調達した資金を高金利通貨建ての資産で運用して利ざやを稼ぐ取引であり、金融危機前までは調達元として低金利であったスイスフランや日本円が用いられた。運用のために調達資金を高金利通貨に両替する際、スイスフラン等は売られることになるため、それが通貨安圧力となっていた。しかし、危機後にリスク回避姿勢が強まる中で調達資金を返済する必要に迫られ、スイスフランや日本円が積極的に求められ、通貨高圧力になったと考えられる。