第2節 世界経済の構造変化、サブプライム住宅ローン問題と日本経済
アメリカのサブプライム住宅ローン問題と、それに端を発した金融資本市場の混乱やアメリカ経済の減速は、日本からの輸出の弱含みや企業マインドの慎重化という形で、既に日本経済に大きな影響を及ぼしている。また、日本の景気が「踊り場」で踏みとどまり回復を続けるかどうかの鍵も、その行方が握っている。ただ、こうした事態を「外的なショックが日本に影響した」と捉えるだけでは不十分である。この問題が世界経済のどのような構造変化の中で生じており、日本経済のショックに対する脆弱さが、こうした文脈の中でどう理解されるのかを考えてみよう。
1 資金の流れの変化とサブプライム住宅ローン問題の影響
サブプライム住宅ローン問題は、欧米の金融機関が大きな損失を被ったことや、更に大きな損失を抱えているのではないかとの疑念から、世界的な金融資本市場の混乱を招くこととなった。世界各地の市場において株価が大幅に下落し、ドル安が進行した。各地で運用されている資金は瞬時に世界を駆け巡るため、アメリカの問題にとどまらず、各地で生じた様々な要因を契機として大きな変動をもたらしている。金融機関等の直接的な損失が小さかった日本においても株価は大幅に下落した。また、為替レートは、2007年夏までは円安傾向となっていたが、金融資本市場の混乱を背景とするドル安から、一転して円高方向に急速な動きがみられた。
まずは、サブプライム住宅ローン問題の背景となった資金の流れを振り返ってみよう。
(1)世界的な貯蓄過剰とアメリカへの資金流入
サブプライム住宅ローン問題は、直接的には、アメリカの住宅ブームや証券化商品の普及がバブル的な状況に発展、崩壊したことが原因とされる。だが、そもそもこうした状況をもたらした大きな背景を押さえておく必要がある。それは、世界の経常収支黒字がアメリカの巨額な赤字をファイナンスする、という構図である。住宅問題というアメリカの国内問題が世界の金融資本市場に大きな影響を与えたのは、こうした資金の流れのためである5。
● 90年代末以降、新興国がアメリカの経常収支赤字をファイナンス
世界的な資金の流れの前提となる主要地域の貯蓄投資バランスについて、90年以降の変化をみると、日本は一貫して貯蓄過剰であり資金供給国となっている。一方、アメリカは一貫して貯蓄不足であり資金受入国となっている(第1-2-1図(1)、第1-2-1図(2))。
その他の地域を含めてみると、90年代の終わりに大きな転換期があったことが分かる。それまでは日本だけが大きな資金余剰国で、アメリカを含めその他の地域に資金を供給していたという構図であったのが、90年代末以降は、NIESと中東が、日本とともに貯蓄過剰、資金供給国となっている。通常、資金は資本蓄積が十分な先進国から、資本形成が旺盛な成長率の高い途上国に流れると考えられているが、新興国がアメリカの経常収支赤字をファイナンスするという逆の形で流入している。
また、こうした世界的な資金フローについて、2000年代に入って以降の変化に着目し、地域間の取引の形で示したものが第1-2-2図である。この図からも、中国や中東からアメリカへの資金フローが増えている様子が分かる。
世界的な貯蓄過剰の背景には、ディスインフレ下で世界的に金融緩和政策が長期にわたって維持されたことも挙げられる。2004年から2006年にかけて、アメリカではFRBが政策金利を1%から5.25%まで17回にわたって引き上げたが、長期金利は安定していた。余剰となった資金は、欧米において住宅ブームを招き、世界最大の消費国であるアメリカに流れ込んだのである(第1-2-3図)。
● アメリカに流入した資金が証券化商品を介して住宅バブルの生成を促進
アメリカの国内需要は、GDPの約7割を占める消費支出が経済成長率を上回って増加し、また、住宅投資も2002~2005年には前年比5~10%程度の高い伸びとなった。貯蓄率は98年には4.3%であったが、2005年には0.5%台まで低下し、純輸出は97年の1千億ドル程度の赤字から、2006年には6千億ドルを超える赤字となった。
この間、アメリカへの資金の流入が住宅投資の大幅な伸びを支え、またそれによる住宅価格の上昇が、ホームエクイティローン6等の仕組みを通じて消費の拡大につながった。その結果、経常収支の赤字が一層拡大し、資金のさらなる流入が生じたものと考えられる。アメリカの住宅ブームにおいては、住宅価格の上昇に対する過度な期待や証券化等の金融技術の発展等を背景にサブプライム住宅ローンの貸出が急速に普及した。同時に、サブプライム住宅ローンを担保とする住宅ローン担保証券(RMBS)やRMBSを担保に再証券化したCDOへの投資も、高利回りを求める銀行や傘下のオフバランス運用機関(SIV)、ヘッジファンド等で広く行われた。こうしたことが住宅価格の上昇に拍車をかけ、住宅市場はバブルの様相を呈することになった。
また、このような中、86年以来純債務国であったアメリカは、更に債務を膨らませ、2007年末の純債務残高は約300兆円に達している(第1-2-4図)。
(2)サブプライム住宅ローン問題が世界の金融システムに与えた影響
サブプライム住宅ローン問題の発生前後の資金の流れの変化をみたのが第1-2-5図(1)(2)である。同問題の顕在化により、金融資本市場は一時機能不全に陥った。世界の投資家のリスク許容力の低下は、様々な分野に影響を及ぼしている。
● サブプライム住宅ローン問題は長期化、資金は国債や原油へシフト
サブプライム住宅ローン問題は、投資銀行業務を中心に大きなプレゼンスを持つ欧米の金融機関の損失となって現れた。当初、この問題は、住宅ローンや一部のクレジット市場といった範囲にとどまり、金融システム安定化への取組が適切に行われれば実体経済に大きな影響を持たず、早期に正常化するとみられていた。だが、信用の低下した住宅ローン担保証券や、それらを仕組んだ証券化商品等は市場での売却が困難となり、流動性に欠ける状況となったままである。こうした資産が金融機関のバランスシートに計上されているため、財務状況の不透明感から短期金融市場での貸し渋りが生じている。これに対し各国中央銀行は潤沢な流動性の供給を行ってきた。
リスク許容力の低下した投資家の資金は、一つはより安全な資産に向かった(“flight to quality”)。アメリカでは国債が買われて、長期金利が低下した。もう一つの流れは、複雑な金融商品を嫌って単純な商品に向かった(“flight to simplicity”)。すなわち、資金が原油市場など一次産品の市場に流れ込んで、これが原油や一次産品の価格高騰をもたらす一因となっている。
● 個人消費の低迷や雇用情勢の悪化でアメリカ経済は減速、景気後退懸念も
資金の流れに関する大きな問題の背景は、資金を受け入れる側のアメリカが、適切な投資対象を提供できなくなってきたことにある。
住宅市場の問題はアメリカの国内問題であって、本来、海外にまで影響が及ぶものではないはずだった。だが、証券化商品を大量に取得した欧米の金融機関が巻き込まれたため、金融資本市場を通じて世界経済に影響を及ぼすこととなった。金融技術では、リスクの分散化はできてもリスク総量の軽減はできず、肝心の担保である住宅価格が下落し始めたことで、信用リスクが一気に顕在化したものである。
現在の貸し渋り等の金融システム問題は、世界の金融当局の迅速な対応とともに、各金融機関の財務状況が徐々に明らかになっていくに従い沈静化していくことが期待される。
一方、依然として残る問題は、アメリカの実体経済の弱まりである。これは、住宅投資の減少、雇用情勢の悪化、更には信用面やマインドの悪化を通じた個人消費の低迷というプロセスで生じている。こうした状況下で、アメリカでは景気後退懸念が高まってきている(第1-2-5図(3)~(6)、第1-2-5図(7))。アメリカ政府は、大規模な減税を中心とする景気対策を策定し、4月から戻し減税が実施されている。減税による可処分所得の増加により、5月の消費は緩やかな増加となったが、年後半にかけて再び減速するとの見方もある。また、金融政策では、FRBは政策金利を引き下げて景気を下支えする姿勢をとってきたが、原油・資源価格の高騰によりインフレ懸念がある中、市場では金利据え置きが見込まれている7。こうした状況の下で、引き続きアメリカ経済の動向が注目される。
2 サブプライム住宅ローン問題と日本経済
ここから、日本に視点を戻そう。まず、サブプライム住宅ローン問題の顕在化前後の日本と海外の間の資金の流れについてみる。その後、なぜ日本の株式市場が大きな影響を受けたのかを検討する。
(1)海外と日本の間の資金の流れ
日本では経常収支黒字を背景に、対外純資産が250兆円(2007年末)を超えて積み上がっている8。その中で対外証券投資の動きをみると、投資信託が大幅に増加してきた。これは、円安に伴う評価増もあるが、国内の低金利、低リターンを受け、個人投資家が海外債券・株式を組入れた投資信託を積極的に購入したことによる。
● 海外からの所得の受取は増加したが依然低収益
こうした対外資産の積み上がりから、日本への所得の流れが大きくなっている(第1-2-6図(1)、第1-2-6図(2))。証券投資等による資金の動きの活発化を背景に、受取が支払を大きく上回って拡大している。また、後でみるように海外子会社の業績好調を背景に直接投資収益の受取も拡大している9。
だが、しばしば指摘されるように、その中身には依然課題を抱えている。まず、収益率の低さである。確かに、国内で運用する場合と比べれば、為替変動リスクがあるものの、海外での運用ではハイリターンが得られる。しかし欧米、特にアメリカの対外資産運用と比べると、日本の運用内容はアメリカ国債など安全資産に偏っている。直接投資の収益率も国際的にみて低いとされる。アメリカは対外純債務を約300兆円も抱える国でありながら所得収支が黒字である。
では、アメリカは純債務国でありながらどのように所得収支を稼ぎ出したのか。それは、自国に低コストで取り入れた資金を、高収益の海外資産で運用したからにほかならない。アメリカの対外債務は日本の5倍以上だが、対外資産も大きく日本の約3倍の残高がある。これは、英国にも当てはまり、対外資産は日本の約2倍の残高がある(第1-2-7図)。すなわち、米英のマネーの流れは資金を取り入れて高利回りで運用する「投資型」であるのに対し、日本のマネーは貿易黒字に基づいた海外への「貯蓄型」であるといえよう。
● 家計の外貨建投資信託購入が増加している可能性
このように、日本からの資金の流れは対外投資でも比較的安全指向であるが、サブプライム住宅ローン問題の背景となった世界的な資金余剰には、日本からの資金の流れがあるとの指摘もある。こうした資金の流れの出発点は、日本国内で最も資金余剰となっている家計とみられる。その様子を調べてみよう。
日本の家計が持つ金融資産は約1,500兆円に上る。これは、アメリカの家計の1/3程度だが、欧州主要国と比べると大きい。また、その資産全体の約半分が現金・預金であり(784兆円)、現金・預金に限ればアメリカより多い(第1-2-8図)。その一部の資金が動くことになれば、国際的な資金フローには非常に大きな影響を与えうる。
さて、家計のリスク資産への投資の全体については第2章に委ねることとし、ここでは対外資産での運用に絞って検討しよう。家計の金融資産残高の変化をみると、対外証券投資は増加傾向にあるが、これには2006年度までは円安基調であったことが大きい。取引フローの点からみると、外貨預金、対外証券投資とも、2005年度、2006年度は減少している。2007年度には増加しているが、外貨預金や対外証券投資は残高が小さいことから、家計からの資金フローは海外へ直接向かう大きな流れにはなっていない(第1-2-9図)。
一方、家計が保有する投資信託の動きをみると、順調に伸びてきている(第1-2-10図(1))。このうち外貨建がどの程度かを直接知ることはできないが、個人投資家向けが多いとみられる契約型公募投資信託の運用状況を投資信託協会のデータでみてみよう。それによれば、同信託の外貨建分の残高は、2005年度約8兆円増、2006年度約9兆円増、2007年度約2兆円増となっている(第1-2-10図(2))。
また、財務省の「対外及び対内証券売買契約等の状況」で投資家部門別対外証券投資をみると、投資信託委託会社等を経由して4~6兆円のフローがある。ここには家計以外の銀行や生命保険会社等の機関投資家向けも多いと思われるが、家計は年金・保険準備金を金融資産として保有している。このような外貨建投資信託への資金フローに含まれる形で、家計の資金は間接的にも海外に向かったものとみられる(第1-2-10図(3))。
2007年後半から2008年にかけては、伸びは鈍化しているものの、急減した姿にはなってはいない。家計の金融資産からリスクマネーの受け皿として、今後とも増加していくことが期待される。
家計からの資金が外貨建投資信託やその他の経路でどの程度の規模が海外に向かったのかは必ずしも明らかではないが、長期にわたって国内で低い金利水準が続き内外金利差が拡大してきた中、為替レートが円安傾向で推移してきたことを背景に、個人投資家の資金の海外への流れが大きくなったことは間違いないだろう。
● 海外投資家による円キャリー取引が増加したが、サブプライム住宅ローン問題の発生後は巻き戻し
円キャリー取引については、ヘッジファンド等の海外投資家が、円を借りて高金利の通貨に換えて運用を行い、数十兆円規模で海外の金融資本市場に少なからぬ影響を与えてきたとの指摘もある。日本での資金調達が海外市場への投資とどのような関係にあるのか詳細は不明だが、海外投資家の短期的な投機資金の動きを一部示すといわれるシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)における非商業目的投資家の国際金融市場(IMM)先物取引ポジションをみると、円ショートのポジションが高水準で推移していた。しかし、サブプライム住宅ローン問題の発生後は、円ショートポジションが大きく縮小している。損失を被った投資家が取引を解消している可能性がある(第1-2-11図)。
この間、外国銀行の在日支店の資金調達の動向をみると、低金利の円の調達を積極的に進めている。無担保コール市場での調達残高をみると、2005年までは2兆円を下回っていたが、2006年には5兆円台、2007年には9兆円台と急速に拡大した。また、資産・負債の動きをみると、本店向けの資金供給が増加している。在日支店から本店に送られた資金は、オフショア市場の決済に用いられるなど、為替市場に影響を与えない円-円取引が多く、それ自体を円キャリー取引とする見方は一般的ではないが、一部は海外投資家の円資金調達を反映しているとみられる。2007年半ば以降、本支店勘定の資産残高は急減しており、サブプライム住宅ローン問題の発生による影響が現れている(第1-2-12図)。
コラム3 外国為替証拠金取引
個人投資家が行う海外投資としては、外貨建投資信託の購入のほか、円キャリー取引の形態として、外国為替証拠金取引が話題となることが多い。証拠金取引とは、投資家が約定元本の一定率(5%~10%程度)の証拠金(保証金)を業者に預託し、差金決済による外国為替の売買を行う取引で、証拠金に比べて大きな取引をする(レバレッジをかける)ことが可能である。それは実態上、資金を借り入れているのと同様と考えることができ、非常にハイリスクな商品といえる10。日本では、98年4月に外国為替及び外国貿易管理法(外為法)が改正され登場した。現在、取引所取引と店頭(相対)取引の方法があり、インターネット取引の普及に伴い、急速に拡大している。
外国為替証拠金取引は、金利収入(インカムゲイン)と売買益(キャピタルゲイン)の両方をねらう取引であることから、円が低金利通貨であり先安感が強い中で活発な売買が行われたものと考えられる。差金決済取引で実際の通貨の受け渡しは基本的には行われないが、積み上がったポジションは、個人投資家の売買の相手方である金融機関(取引所におけるマーケットメーカー等)によるインターバンク取引を通じて、資金が海外へ向かうこととなる。
実際の外国為替証拠金取引の規模を把握することは、店頭取引の状況が明らかではなく困難だが、東京金融取引所の為替証拠金取引をみると、かなりの規模で取引が行われているものと考えられる(コラム3図)。
(2)株式市場の世界的な連動と日本の株価下落
日本の金融機関は、サブプライム住宅ローン関連の証券の保有比率が低かったことから、その影響は限定的なものにとどまっている。一方で、海外の金融市場の混乱を受け、日本の株価も下落するなど、大きな影響を受けている。問題は、日本の株価の下落率が、アメリカや欧州における下落率よりも大きかったことである。なぜこのような事態が生じたのだろうか。一つには、日本では輸出関連業種のウエイトが高いが、これらの業種の収益は為替レート変動の影響を受けやすい。こうした中で円高が進んだため、株価の下落率が大きくなった可能性がある。この点については第2章で扱う。以下では、日本の株式市場そのものに内在する原因を考えよう(第1-2-13図)。
● 外国人投資家の活動が株価の変動を増幅
日本の株式市場は、外国人投資家の比率が急激に高まり、保有比率は3割近くまで上昇している。売買についても、約6割を外国人が占めることとなり11、外国人投資家の行動が株式市場を大きく変動させる要因となっている(第1-2-14図(1)、第1-2-14図(2)、第1-2-14図(3))。
外国人投資家の売買をみると、株価が上がるときには買い越し、株価が下がるときには売り越している。一方、国内の個人投資家がその逆の行動を行っている。国内の機関投資家は、長期的な安定的な運用を行う観点から、その保有比率の割には、売買高が低くなっている(第1-2-15図)。
一般に、海外投資家が株の売却を始めた場合、これを受け止める投資家が不在であると、株価は急速に下落する。個人投資家のリスクの許容度はさほど大きくないと考えられる。世界の株価が下落する中で、損切りの売りを巻き込む形で相場の下落が勢いを増したが、日本市場では押し目買いできる体力のある国内投資家が減っていたことが、日本の株価が世界の市場に比べて下落幅が大きかった理由として考えられる。
同様の動きは、J-REIT市場でもみられた。同市場は2004年ごろから急速に拡大したが、2005年後半から外国人投資家による買い越しが目立ってきた。特に2007年の年初にかけては外国人が主導する形で時価総額も大きく増加した。しかしその後は、相場が弱含んでいる。こうした中で、外国人が損失の穴埋めのため換金売りをした結果とみられる大きな下落も生じている(第1-2-16図)。
● 日本市場の厚みのなさが問題
このような大きな変動の要因として、日本の市場に厚みがなく、多様性が足りない点も指摘できる。90年から2006年にかけて、証券取引所における売買代金の変化をみると、ニューヨークでは16倍、ロンドンでは14倍に増加したのに対して、東証の場合は5倍にとどまっている。厚みがなければ、ニューヨークやロンドンと同様の取引であっても、東京では相対的に変動は大きくなる。
また、2006年末における株式上場企業に占める外国企業の割合は、ニューヨークで20%、ロンドンで10%であるのに対して、東証はわずか1%にとどまるなど、ローカルな市場となっている(第1-2-17図)。そのため、日本国内の景気の動向など、日本独自の材料による株価の変動が大きいことも指摘できよう。
(3)グローバルな資金の流れの変化を踏まえた日本の課題
前述のとおり、日本には対外純資産が積み上がっているが、それは究極的には家計が保有しているものである。サブプライム住宅ローン問題では、日本の金融機関の損失は相対的には少なかったとされるが、その一方で、巨額の金融資産を持ちながら、その活用は極めて限定的なものであって低利回りに甘んじており、同時に為替リスクにもさらされている。世界の金融資本市場がリスクマネーの供給を拡大してきた中で、日本がそうした構造変化から取り残されてきているのも事実である。
● 家計は適切なリスクマネジメントの下でリスク資産を含む資産運用を考えていく必要
日本の家計が保有する金融資産は約半分が現金・預金であるが、現在の低金利によって利子所得は小さなものとなっている。高齢社会において金融資産をどのように運用するかが、極めて重要な問題であり、家計でもある程度のリスクの負担なしには、必要なリターンが得られない。特にこれまで金利収入に頼っていた高齢世帯等では既に低金利で厳しい状況となっている。
こうした状況もあって、一部の資金は低金利を嫌って投資信託やその他のリスク資産に向かった12。このような動きは、金融資産全体からみればわずかではあるが、金額として数十兆円単位の資金の流れを生み出した。また、企業が貯蓄超過にある中で、高い収益率が見込める投資機会が国内で十分に見出されていない。そこで家計がリスク資産に投資した一部が海外へと向かった13。
これまで日本の家計は、所得の大半を雇用者所得として、一部を利子所得の形で得て生活を営んでいた。しかし、これからの高齢社会では、より多くの人が現役時代に蓄積した金融資産から収入を得て退職後の生活を支えなければならない。そのためにも、適切なリスクマネジメントの下で、リスク資産も含めた資産運用を考えていく必要がある。こうした点については、第2章で詳しく分析する。
● 日本の金融資本市場に厚みを持たせ、金融セクターの競争力を高めることが課題
一方、高齢化が進めば、それにより国内貯蓄が減少することが考えられる。そうした中で国内の経済成長を持続させていくためには、海外からの資金(資本流入)を活用することが重要になっていく。日本の金融資本市場が欧米の市場と遜色のない厚みを持ち、内外の投資家による活発な取引が行われることが、日本の家計の金融資産の運用を効率化、多様化していくためにも不可欠となるだろう。
また、高齢者にとって、海外への投資を自身で行うことは困難であろうが、日本の証券市場に海外企業の上場が十分あれば、海外への投資と同じ効果を身近に得ることになる。日本人は、モノや多くのサービスにおいて世界最高の水準を享受しているが、金融サービスについては不十分な状況にある。金融セクターが競争力を高め、それ自身が産業として発展するとともに、効率的な資金配分を担うことで日本経済の成長を促すことも必要である。こうしたことは、金融資本市場改革の重要性を示している。
3 世界貿易の拡大とアメリカ経済減速の影響
世界経済の連動性が高まった背景としては、金融資本市場の連携が強まったことに加え、世界貿易の活発化が挙げられる。海外で何かショックが起きた場合、海外市場の流れを東京が引き継ぐなど、金融資本市場を通じて影響は瞬時に世界を駆け巡る。一方、財・サービスの貿易を通じた影響は、時間をかけて現れてくるものである。以下では、世界貿易が活発化する中での日本の位置づけを確認した上で、アメリカ経済の先行きが日本にどう影響するかを探る。また、海外現地生産の拡大等を通じた日本企業のグローバルな展開の状況もみておく。
(1)世界貿易の拡大と日本経済
まず、新興国が経常収支黒字国として登場してくる、90年代以降の世界貿易の拡大について概観しよう。
● 日本経済は輸出主導だが、世界貿易の拡大の中での輸出シェアは縮小
世界の財・サービス貿易の動向をみると、90年代初頭までは名目GDP比20%程度であったのに対し、その後大きく拡大し、近年では同30%程度となっている(第1-2-18図)。
これを、貿易による世界経済の連携という点からみると、2000~2002年と、2004~2006年の比較では、中国からの輸出入は対アメリカ、対EUで大幅に拡大する中、アジア域内でも中国を中心に双方向で拡大している。中国が輸出を急速に拡大する中、日中間では日本からの対中国輸出の増加が、中国からの輸入の増加を上回っている。また、日本は中国以外のアジアへの輸出も増加させている(第1-2-19図)。一方、世界市場において、中国を中心にアジアのシェアが拡大しており日本の輸出シェアは低下している(第1-2-20図)。
世界の貿易総額の動きと比べると、日本の貿易総額の伸びは低い。アジアの伸びとは比較にならないが、アメリカ、EUと比べても伸びが低い。輸出入別にみると、日本は輸入の伸びが小さい(第1-2-21図)。
次に、世界貿易の拡大を支える労働力の変化についてみると、世界の輸出市場に参加する労働力人口は、この20年間で約4倍に増加していると推計される。相対的に労働力の豊富な新興国経済が世界貿易の連携の中に組み込まれてきたことにより、労働集約財の輸入圧力、賃金の引下げ圧力が加わっている。一方、日本への輸出(日本の輸入)に関連した部分は約2倍の増加にとどまっている(第1-2-22図)。
第1節では、輸出が日本の景気回復を牽引していることを指摘した。しかし、世界貿易の変化の中に日本経済を置いてみれば、グローバル化の成果を国内では十分享受できていない姿がみえてくる。日本からの輸出がグローバルな競争にさらされる一方、輸入の伸びが小さいことは、日本国内への影響が比較的小さかったと理解することもできるが、グローバル化の効果が国内に十分に取り込まれていないともいえる。人口減少が始まった日本経済にとっては、外国の低賃金労働力との競合が問題となるような経済構造から脱却し、グローバル化のメリットをいかに積極的に国内へ取り込んでいくかが課題となっている。
コラム4 中国における賃金・物価と為替レート
新興国経済の労働力が貿易を通じて世界市場に供給されることとなり、先進国の労働制約を緩和し、グローバル競争の中での賃金抑制圧力となっている。こうした新興国の勢いはどこまで続くのだろうか。
一般に経済成長率が高い経済(主に発展途上国)ほど実質為替レートが急速に増価する傾向にあるとされる。この現象を理論面から説明するのが、バラッサ=サミュエルソン仮説(以下、BS仮説)である。この仮説によると、成長の牽引役として高い生産性上昇率を持つ貿易財部門で賃金が上昇すると、国内労働市場での裁定を通じ非貿易財部門でも賃金上昇が生じるため、結果として起こる2国間のインフレ格差を反映し実質為替レートが増価することが示唆される。この仮説は特に高度成長期の日本などにみられた固定為替相場下でのインフレと、その後の変動相場制下での円高を説明する上で、有用であるとされる。
これまでの中国では、このBS仮説が妥当しないものとされてきた。中国は1991年以降、10%以上かそれに近い実質成長率を維持しているが、消費者物価上昇率は1998年にはマイナスとなっており、実質為替レートが減価するなど、その後しばらくは「低インフレ下の高成長」というBS仮説が想定しない状況を続けてきた。このことの理由としては、BS仮説における幾つかの前提のうち、「労働の総供給量は一定」という仮定が、農村部に数億もの余剰労働力を抱える中国では事実上成立していないためであるといった指摘がなされてきた。
しかし、最近の中国ではインフレによって実質為替レートの増価が進行している(コラム4図)。好景気が長期に渡り、農村部から都市部への大規模な労働力移動が進んだことで、中国の労働市場は完全雇用に近づきつつあり、そのため非貿易財部門でも賃金が上昇し、実質為替レートの増価が生じているものと考えられる。これはBS仮説の想定するシナリオに沿った現象なのかどうか、注目される。
● いわゆる「デカップリング」に対しては慎重な見方が必要
アメリカでは、住宅投資の落ち込みだけでなく、消費の低迷、雇用の減少がみられ、景気が弱含んでいる。果たして、「アメリカ経済が減速しても、アジア諸国や新興国の内需が強く、世界経済は連動しない」という、いわゆる「デカップリング」論はどう評価されるだろうか。前述のとおりアジア域内の貿易も拡大しているが、アジア諸国の対アメリカ輸出のシェアは縮小傾向にあるものの依然として大きなウエイトを占めている。こうしたアメリカ経済の減速を反映して、中国やNIES、ASEANのアメリカ向け輸出は既に鈍化しつつある(第1-2-23表、第1-2-24図)。
アメリカの景気後退が現実のものとなり、それが長期化すれば、こうしたアジア各国のアメリカ向け輸出が更に鈍化するに従い、日本のアジア向け輸出が相当程度落ち込むと考えられる14。
例えば中国の輸出入を品目別にみると、輸出の多くが消費財や資本財であるのに対して、輸入は生産財が8割弱、資本財が2割弱を占めており、最終消費財の割合は4%程度に過ぎない。生産財や資本財のどの程度がアメリカ向け輸出に関連するものであるかは必ずしも明らかではないが、アメリカ向けの輸出依存度が高いことからすれば、アメリカが後退局面入りした場合の中国を通じた日本への影響は、間接的であっても小さくはないだろう(第1-2-25図(1)、第1-2-25図(2))。
なお、アジア経済が減速しても産油国である中東、ロシアの成長が続くという見方がある。しかし、世界の多くの国々が減速する場合、原油価格の高騰の持続性に疑問があること、そもそも日本から中東やロシアへの輸出は急増したとはいえ全体からみると小規模であることから、これらの国々の存在を以って「デカップリング」の成立を主張することは難しい。
冒頭に指摘したように、貿易を通じた世界経済の連動は、時間をかけて現れてくる。したがって、アメリカ経済の減速の影響は、どの程度の期間で考えるかによって評価が違いうる。比較的短期間であれば、アメリカ経済が一段と減速しても、アジア諸国等の経済が高成長を維持する可能性は十分ある。アジア諸国等の高成長が、強い内需に支えられているのは確かである。中国ではオリンピック需要等もあって、固定資産投資の高い伸びが続いている。
しかし、そうした国々でも輸出の経済成長への寄与は大きく、アメリカが景気後退に陥れば、国内需要の拡大だけでこれまでのような成長を維持していくとは困難だろう。短期間では「デカップリング」が成立しているようにみえても、最終的には何らかの影響が及ぶことは避けられない。
現在の日本経済は輸出の牽引力に頼っており、アメリカの景気後退が現実化、長期化すれば、既に弱含んでいる輸出が更に下押しされ、それに伴い生産も減少傾向がはっきりとしてくる可能性がある。また、先行きの懸念から、企業マインドが更に悪化し、設備投資も控えられることになるだろう。今後のアメリカ経済の動向には留意が必要である。
コラム5 中国からの食料品輸入の減少
2008年1月に、中国からの輸入冷凍調理食品による薬物中毒事件が発生した。この事件では、冷凍調理食品に毒性の強い薬物が混入していたことから、事件発生後に消費者が冷凍調理食品の購入を控えるといった影響があった。家計の消費支出の動向をみると、2008年1月から2月における冷凍調理食品に対する支出は2007年の同月に比べ事件発生後に大きく減少したことが分かる(コラム5図[1])。しかしながら、家計の食料品支出に占める冷凍調理食品への支出ウエイトは2007年平均では0.6%と小さく、さらに、その他の食料品への代替があったと考えられ、食料品全体の支出額は事件の前後で大きな変化はみられず、個人消費に与えた影響は限定的であったといえる。
一方、食料品輸入の動向をみると、中国からの食料品輸入がこのところ減少傾向で推移していることが分かる(コラム5図[2])。減少傾向は2007年半ば頃から既に始まっており、この背景には、様々な要因があると考えられるが、その一つとして、2007年夏に一部の中国産魚介類の安全性を問題視する報道や中国における偽装食品に関わる報道等により、中国産食品に対する不安感が高まったことの影響も考えられる。2007年夏頃の景気ウォッチャー調査をみると中国産食品を不安視するコメントが多く寄せられている。また、今回の薬物中毒事件後の調査でも消費者が中国産食品を避けているといったコメントが多く寄せられている。
(2)日本企業のグローバルな展開
日本と世界との財・サービスを通じたつながりは、輸出入のみならず、日本企業のグローバルな展開によっても深まっている。
● 海外現地生産が高まっているが、貿易への影響は相手国により違い
まず、これまでの伝統的なグローバル化の手段である海外での現地生産の動向をみよう。海外での生産は、製造業を中心として、過去、急激な円高や貿易摩擦の悪化等への対応を目的として開始されることが多かった。現在でも、現地での需要への対応や、為替リスクのヘッジ、生産コスト削減等の動機により、海外現地生産比率は高まってきている。現地生産を行う企業の割合を製造業全体でみると、2004年度の60%程度から、2007年度には65%を超えている。現地生産高比率は、2007年度には18%程度となった見込みである。また、輸出比率が高い業種ほど海外生産比率が高いという関係がみられる(第1-2-26図)。
地域別にみると、当初は北米の現地法人の売上が大きかったが、このところアジアや欧州の割合が高まる形で、海外生産比率が高まっている。一方、直接投資残高の業種別シェアをみると、2006年末では6割近くを製造業が占め、特に輸送機械、電気機械のシェアが高くなっている(第1-2-27図)。
日本の輸出入と海外生産の関係を更にみるため、海外生産比率の高い製品について貿易特化係数15で比較しよう(第1-2-28図)。対中国については、輸出比率が高くかつ海外生産比率が高い輸送機械、電気機械、一般機械で、輸出特化の傾向が強いが、全体的に係数が低下している。これは、日本からの輸出の中国での現地生産への切り替えや、中国で生産した製品を日本へ輸出する動きを反映している。一方、対アメリカでは、現地生産比率が高いにもかかわらず特化係数は低下していない。これは、例えば、自動車は早い段階からアメリカで現地生産を進めてきたが、現地の生産台数を販売台数が上回っており、日本で生産した分が輸出されている(第1-2-29図)。現地生産には、日本からの輸出を代替するケースのほか、車種によって日本での生産とを棲み分けているケースもある。また、国内の工場との間でマザー工場制16を導入する例もあり、海外生産と国内生産の関係については、各企業のグローバル戦略が反映されているものと考えられる。
● 生産拠点の国内への回帰の動き
こうしたグローバル化の進展に伴って、このところ生産拠点の日本への回帰の動きが指摘されている。国内回帰と海外生産はこれまで以上に連携を深める方向で進められている。日本が製品開発と生産技術の拠点となり、世界の拠点に技術を発信していく形である。
日本企業が国内に生産拠点を置く理由について、製造業全体でみると、「利用している技術が高度で、海外生産が困難だから」が最も高く、次いで「少量多種生産等の国内の需要に対応可能だから」となっている。特に、「加工型製造業」では企業が国内で生産を続けるのはコスト面や取引先との関係以上に、「利用している技術が高度で、海外生産が困難だから」を理由とする割合が高い。また、海外に生産拠点を置く理由については、「現地の製品需要が旺盛又は今後の拡大が見込まれるから」が最も多く、次いで「良質で安価な労働力が確保できるから」となっている(第1-2-30図)。
このように、海外生産の拡大と矛盾なく、国内での生産拠点の維持・強化が進んでいる。国内の生産拠点では、最新技術や高付加価値品の生産が行われ、海外では、現地市場向けの生産が行われるという棲み分けが行われており、国内拠点はマザー工場として世界に技術を発信する役割も重要となっている。
● 海外での利益の日本への還元
日本企業が海外での売上高を伸ばす中で、その収益が国内に還流していないのではないかとの指摘がある。
海外で生産を行って得た利益のうち親企業の持分は、日本国内へ配当として支払われるか、現地での内部留保(再投資収益)となる。2007年に実際に配当として日本国内に支払われた海外の利益は、約2.9兆円であった。またグローバル企業で海外事業が成長すれば、現地に追加的に資金を振り向けることも当然必要となるが、現地での内部留保(再投資収益)は約2.3兆円であった。すなわち、海外の利益の約半分が国内の所得となっている。直接投資残高約60兆円との対比で投資収益率を計算すれば、配当と再投資収益分を合わせて約9%弱、実際に得た配当分だけならば約5%弱となる。ただし、対外直接投資残高の約60兆円は簿価ベースであり、直接投資残高の時価では120兆円を超えているとの推計もあり、直接投資残高のうちの株式資本にキャピタルゲインも生じているとみられる17。
一方、日本の対外直接投資をアメリカや英国と比べると、残高が小さいため、収益が小さく、かつ収益率も低い姿となっている(第1-2-31図)。日本全体としては、リスクマネーの供給先として、対外直接投資を更に拡大し、そこからの収益率を高めていくことも必要であろう。