第1節 バブル後の調整を終えて正常化する企業行動
企業部門は、1990年代末から2000年代初めにかけての厳しいリストラの過程を経て、雇用・設備・債務の3つの過剰を解消し、より強固な財務体質への転換に成功した。その結果、4年以上に及ぶ今回の景気回復過程において、企業収益は、中東での紛争勃発や石油価格高騰といった外的ショックにもかかわらず、堅調な増加を続けている。ミクロ的にみた場合にも、企業行動にようやく前向きの動きがみられるようになっている。具体的には、企業の設備投資は増加し、配当も企業収益の増加に合わせて増配が行われるようになっている。ただし、企業の行動は、過去と比べれば慎重な面もあり、設備投資は依然としてキャッシュ・フロー(内部資金)の範囲内にとどめられているほか、賃金面については、最近では緩やかながら増加しているものの、収益改善の程度と比べると賃金の上昇は限定的である。
以下では、3つの過剰を解消した企業部門の回復の状況について概観した後、企業部門の過剰債務の解消が設備投資や企業の利益処分に与える影響について分析する。また、過剰雇用が解消された後も賃金の伸びが緩やかなものにとどまっている背景について検討する。最後に、個別企業の財務データを用いて、リストラを行った企業のパフォーマンスがその後どのように回復したかを実証的に分析する。
1 3つの過剰を解消し回復する企業部門
● バブル崩壊後に大幅に低下した全要素生産性
バブル崩壊後の90年代は、どの産業にとっても極めて厳しい状況となった。バブル崩壊から今回の景気回復が始まった2002年までの期間について、JIPデータベースにより1、GDP成長率とその内訳をみると、以下のような特徴がみられる。
産業合計の実質GDP成長率は、80年代の4.4%程度から1990-2002年には1.1%へと低下した。成長会計に基づき、その内訳をみると、労働投入の寄与は80年代から90年代以降の期間にかけて1%程度低下しているが、労働の質向上分の寄与はそれほど変化なく、専ら労働時間短縮によるマンアワーの労働投入の低下によるものとなっている(第2-1-1図)。資本投入の寄与については、同じ期間に1%強低下している。その内訳をみると、資本の質及び量ともに寄与が低下している。こうした背景には、90年代に新規投資が抑制される中で設備年齢が上昇し資本の質が劣化したこと等を反映している可能性が考えられる。最後に、全要素生産性(TFP)の伸びの寄与は、1.4%程度から0.3%程度へと大幅に低下しており、要因別では最も大きくGDPの低下に寄与している。こうした90年代におけるTFPの低下の要因については、需要の大幅な低下によって稼働率が低下したことが主因とする見方がある一方、供給側の要因、例えば資源配分の非効率化、ITなど新技術への適応の遅れ等の影響も反映しているとの見方もある2。
産業別のTFP寄与の動向をみると、80年代から1990-2002年にかけて、製造業では1.1%から0.4%へ、非製造業では0.4%から0%へとそれぞれ低下がみられる。各産業別には、製造業においては電気機械及び輸送機械が80年代と同程度の生産性の伸びを示しているほかは、総じて1990-2002年に生産性の低下がみられる。非製造業については、1990-2002年において、建設業の生産性が大きく落ち込んだことに加え、金融・保険業も生産性の伸びが大きく低下している。産業別のばらつき度合いをみるために、80年代以降の期間について変動係数(標準偏差を平均で除したもの)を計算すると、80年代半ばから90年代半ばにかけて産業間のばらつきが大きくなる傾向がみられ、その後はおおむね横ばい程度で推移している。
2003年以降の期間については、JIPデータベースのような詳細なデータがないため厳密な比較はできないが、国民経済計算に基づいて2003年から2004年までの期間について簡易的な計算を行うと、産業計のTFPの伸びは1%強程度まで回復しているとみられる3。
● 3つの過剰の解消により改善した企業の収益性
第1章で既にみたように、雇用・設備・債務の3つの過剰はおおむね90年代初の水準まで低下し、調整の動きはほぼ収束したとみられる。こうした3つの過剰の解消により、企業の損益分岐点比率は低下し、それが好調な企業収益を下支えしている(第2-1-2図(1))。
業種別の状況をみると、製造業については、債務の過剰感は非製造業と比べて小さかったものの、雇用、設備の過剰感は相対的に大きかった。しかしながら、リストラ努力や需要の回復もあって2005年以降は雇用、設備とも過剰感が解消した。損益分岐点比率についても90年代初の水準まで低下している。製造業全体でみると、1998年度から2005年度の期間における損益分岐点比率低下のうち、人件費削減と売上高増加がそれぞれ半分程度ずつ寄与している(第2-1-2図(2))。非製造業については、債務の過剰は不動産業を中心に相対的に大きいが、雇用や設備の過剰は建設業を除くと比較的限定であった。このため、非製造業では、3つの過剰の縮小の程度は製造業と比べて小さかったが、不動産業では過剰債務の大幅な削減がみられ、建設業では厳しい過剰雇用の削減が行われた。製造業と比べて雇用や設備のリストラの程度は小さかったこともあり、非製造業では損益分岐点比率の低下は緩やかなものとなっている。
● 企業レベルの資本生産性は上昇
3つの過剰が解消したことで、企業の資産効率は大幅に向上している。法人企業統計によると、全産業のROA(総資産利益率)は、ボトムであった1999年の2%台後半から2005年及末時点で4%台半ばまで回復し、1992年以来の水準まで戻している。業種別にみると、製造業の回復がめざましく、2005年末でROAは6%近くに達している(第2-1-3図)。
ただし、ROAの推移だけをみると、最近時点では上昇しているとはいっても、長期的にみれば、90年代初めのバブル期の水準と比べて低い水準にとどまっている。しかしながら、これをもって、バブル期の方が現在よりも資本の生産性が高いとは一概にはいえない。というのは、現在から振り返ってみれば、バブル期の投資の多くはファイナンス面で銀行借入の増加によって支えられていたが、そうした投資プロジェクトの一部は債務の元利払いに見合うだけの収益を生み出すことができず、結果的に不良債権化したものが見受けられるためである。そこで、ここではROAとは異なる指標から資本の生産性をみてみよう。資本の生産性という観点からは、ROAは資本の使用コストを差し引いたものではないため、資本の「粗」付加価値率ともいえるものである。
これに対し、資本コストを考慮した「純」付加価値率をみる方法がある。こうした考え方は、EVA®(経済付加価値)と呼ばれ、スターン・スチュワート社により計算方法が提案されている4。具体的には、経済付加価値とは、税引き後営業利益から、税引き後負債コストと株主資本コストを合わせた加重平均資本コストから計算される資本費用を差し引いたものになる。ここで、株主資本コストとは、株式の期待収益率を表すもので、株式市場全体の動向とそれに対する個別株式の変動率から計算される。
過去の研究によると、こうした経済付加価値でみると、バブル期において、日本の主要企業では投下資本利益率(税引き後営業利益を投下資本で除したもの)が総資本コストを下回っており、経済付加価値はマイナスであったことが指摘されている5(付図2-1)。今回の試算では、99年度以降で必要なデータの入手可能な上場企業約8百社の財務データを用いているが、計算結果によると、経済付加価値は2002年度以降プラスに転じており、企業の資本活用の効率性が向上していることが分かる(第2-1-4図)。内訳をみると、投下資本利益率が2002年度以降上昇する一方で、総資本コストが2003年度まで緩やかに低下したことにより、両者の差がプラスに転じている。このように、日本企業の資本効率性が改善している背景には、安定的な株式持合いの解消等もあって、資本の出し手である株主に対するリターンが強く意識されるようになっていること等が指摘されている6。
2 バブルの負の遺産の解消と企業行動の変化
90年代に増加した企業の過剰債務は、設備投資など企業活動の重石となり、経済の低迷をもたらす一因となった。90年代末から2000年代にかけて過剰債務が解消されてくると、企業は設備投資等の増加に前向きな姿勢をみせるようになってきている。ただし、過去と比べれば、企業行動には慎重な面も残っており、企業がより効率性を重視している姿勢もみられる。以下では、企業の財務状況がどのような形で企業行動に結びついているかを分析する。
(1)引き続く企業の債務返済
● 低下する企業の有利子負債比率
マクロ的にみると、企業は有利子負債の返済を進める一方で、株式による資本調達を増やしていることから、企業の総資産に占める有利子負債の比率(以下では負債比率と略す)は低下が続いている。法人企業統計によると、企業の負債比率は、90年代初めから98年頃までほぼ横ばいで推移してきたが、それ以降の期間については急速に負債比率を低下させている(第2-1-5図)。製造業と非製造業に分けてみると、製造業の負債比率が90年代初めから一貫して緩やかに低下してきているのに対し、非製造業の負債比率は98年までやや上昇が続いた後、急速に低下しているという特徴がある。
● 資金フローでみた企業の債務返済額は縮小の動き
資金フローの動向から、企業部門がどのように借入れの返済を行ってきたかをやや詳しくみてみよう。資金循環統計によると、1998年から2005年末までに、非金融法人部門の借入残高は約190兆円減少したが、同じ期間における非金融法人部門の毎年の資金余剰額(貯蓄超過額)は平均で21兆円であり、これを累計すると約170兆円となる(第2-1-6図(1))。したがって、企業が貯蓄を増やした分は、ほぼすべてが借入金の返済に充てられた計算になる。
こうした非金融法人部門の貯蓄超過がどのように生じたかを、国民経済計算でさらに詳しく投資面と貯蓄面に分けてみると、1998年と2004年を比べると、グロスの投資額は2.1兆円減少したに過ぎないが、固定資本減耗が過剰設備削減の過程で6.3兆円増えているため、ネットでみた投資は8.5兆円程度減少している(第2-1-6図(2))。他方、貯蓄面については、同じ期間に12.6兆円増加している。これは支出面で利払い費が11.3兆円と大幅に減少したこと等を反映している。
ただし、最近時点では、こうした企業の債務返済の動向にも変化がみられている。資金循環統計でみると、企業の借入返済額は2003年の26.4兆円から2004年には13.2兆円へ縮小した後、2005年には1.8兆円の借入れ増加に転じている7。また、企業部門の資金余剰額も2003年の約38兆円から2005年には12兆円弱へと縮小している。
● 過剰債務が企業活動を抑制する仕組み
企業は様々な手段で資金調達を行い、その資金を用いて事業や投資活動を行っている。その一つの手段に過ぎない銀行等からの借入れとしての債務の多寡が企業活動にどのように影響を与えるかについては幾つかの考え方がある。
一般的な企業の資金調達の行動に関しては、完全市場の下では、企業の資金調達において資本と負債の間の選択は企業価値に影響を与えないとする「モジリアーニ・ミラー(MM)命題」が成り立つと考えられる8。一方、完全市場であるとの仮定を緩め、借り手と貸手の間に情報の非対称性が存在する場合を想定すると、企業は資本コストの安い順番に資金調達手段を選ぶ傾向があると考えられる(ペッキング・オーダー仮説)。具体的には、企業は、資本コストの安い順に、内部留保、銀行借入、株式・社債等による外部市場からの調達という順番で資金調達を行うとされる。ここで、銀行借入れの資本コストが株・社債による調達よりも安いのは、銀行は一般投資家よりも当該企業の情報を有していると考えられるからである。
こうした資本コストの違いによって、企業は、収益が増加し内部資金が豊富になると、なるべくコストのかかる借入れを減らそうとするほか、投資を行うのであれば、なるべく内部資金を優先的に使用すると考えられる。加えて、企業が過剰債務を抱えている場合には、倒産確率の上昇によって財務リスクが高まるため、企業はコストとリスクのバランスをみて、債務残高が企業の想定以上に上昇した場合には、自律的に債務を減らすインセンティブを持つとともに、設備投資等も内部資金の範囲内に抑制する傾向があると考えられる。
● 過剰債務解消後も続く債務比率の低下傾向
上場企業において過剰債務が解消された現在でも債務比率をさらに低下させる動きが続いている背景には、単に過去の過剰債務の解消というだけでなく、財務戦略として、手元の豊富なキャッシュフローを用いて企業が積極的に債務を圧縮している可能性も考えられる。これは以下の実証分析により確認できる。
多くの企業は、一時期ほどではないにしろ、依然として債務の返済を進め、負債比率を低下させているが、理論的には、必ずしも債務比率は低ければ低いほど望ましいという訳ではない。借入れの利払いが課税所得の計算において損金算入できることを考えると、借入れによる資金調達は株式と比べてコスト的な優位性はあるため、コストと債務によるリスク上昇とのバランスによって一定の水準に収束すると考えられる。しかしながら、法人企業統計等のマクロでみた債務比率がほぼバブル期前の水準まで低下し、過剰債務がほぼ解消されたとみられる現在においても、企業は借入れを増やすことに引き続き慎重である。そこで、こうした企業の資金調達行動の変化の背景を調べるために、東証1部上場企業約1350社のパネル・データを用いて企業の負債比率の決定要因に関するモデルの推計を行った。推計結果に基づいて、最近の債務比率の動向について幾つか特徴を挙げると、以下のとおりである(第2-1-7図)。
第一に、景気回復によって企業収益率が改善し、キャッシュフローが豊富になっていることから、この要因が債務比率を低下させる方向に働いている。ROAに対する債務の反応度が時系列的にどのように変化してきたかをみると、90年代前半と比べて、90年代後半以降はROAが改善すると債務比率がより大きく低下するようになっている。こうしたことから、企業は、かつてと比べてキャッシュフローの改善を債務返済により優先的に割り当てるようになっていると考えられる。
第二に、業種別の特徴をみると、負債比率の調整速度(前期の負債比率の係数を1から引いたもの)は、製造業よりも非製造業の方が高い。これは、相対的に負債比率が高い非製造業において、負債比率の引き下げをより迅速に行なっていることを示している。
第三に、推計結果から示唆される最適債務比率の時系列的な推移をみると、90年代初めから一貫して低下傾向が続いており、少なくともここで取り上げている上場企業については、債務比率の水準をまだ当面は低下させる動きが続く可能性を示唆していると考えられる(前掲第2-1-7図)。
(2)過剰債務の縮小と設備投資の増加
● 債務比率の高さが設備投資に与える影響は高まる
過剰債務が存在する下では、企業は設備投資よりも債務の返済を優先するため、理論的には設備投資を抑制することが考えられる。ここでは、先ほどの理論に従って、企業の設備投資が、実物資産の収益性と金利コストの差である投資採算といった基礎的な要因の影響を受けるほか9、内部資金の多寡や債務比率といった資金調達面からも影響を受けるというモデルを設定し、企業のパネル・データを用いて推計した。
推計結果をみると、資金調達面も実際に設備投資に影響を与えていることが示されている。2000年度から2004年度のデータ(連結ベース)を推計した結果では、内部資金(キャシュフロー)が高いほど投資が増え、債務比率が高いほど投資は抑制されるという結果になっている(第2-1-8表)。また、取引先銀行のバランスシートの悪化により貸出しが抑制され設備投資を抑制する可能性を考慮して、各企業のメインバンクの格付を変数として用いて推計すると、メインバンクの格付が低いほど、設備投資が抑制される傾向がみられる。こうしたことを考えると、企業の設備投資は、実物面だけでなく、過剰債務や取引先の銀行の脆弱性といった資金制約によっても抑制されてきた可能性が考えられる。
以上のような資金調達が投資に与える影響を過去と比較するために、一貫したデータ入手が可能な単体ベースの財務データを用いて、90年代前半、後半、2000年代前半の3期間について同じモデルを推計した。すると、いずれの期間においても、内部資金が高いほど投資が増える傾向がみられるが、債務比率が投資に与える影響については、90年代前半には統計的に有意でなく係数の符号もプラスとなっている(債務比率が高いと投資も増加)。その後、90年代後半には統計的には有意でないものの係数の符号がマイナス(債務比率が高いと投資は減少)に転じ、さらに、2000年代前半では、統計的にも有意に債務比率の高さが投資を抑制する方向に働くことが示されている。こうしたことから、最近の期間になるほど、投資決定の際に債務残高の高さがより強く意識されるようになっていると考えられる。
最近の期間だけをみると、ROAが継続的に上昇し、キャッシュフローも大きく増加する中で、債務比率も90年代初めの水準まで低下したことから、これらの要因全てが方向としては設備投資の増加に寄与している状況にあると考えられる。ただし、企業は、かつてと比べてバランスシートの状況をより強く意識しながら慎重に設備投資を行っている面があり、バブル期のように、企業設備が資金制約の緩和によって過度に拡張している可能性は今のところ小さいと考えられる。
(3)配当の増加
● 企業の株式配当は増加
企業の配当の動向を法人企業統計でみると、配当金額は1990年代から2000年代初めまで、景気循環にかかわらずほぼ一定額で推移してきたが、2002年度以降については、企業収益の回復とともに金額自体が明らかに増加傾向に転じている(第2-1-9図)。近年の純利益の伸びは、配当金額の伸びを上回っていることから、社内留保も増加しているが、これは最近時点だけに限ったものではなく、過去においても、日本の企業は業績にかかわりなく一定額の配当を行なう傾向があるため、不況期には配当性向が上昇し、好況期には配当性向が低下する傾向があることが見受けられる。
● 収益性の改善と有利子負債比率の低下を背景に増加した配当
企業が収益のうちどの程度を配当に割り当てるかについても、これまでと同様の理論が当てはまると考えられる。つまり、収益率が高くキャッシュフローが増加している場合や将来の成長機会を豊富にもっている場合には、企業は資金制約を考慮せずに配当を増やすと考えられる一方、債務比率が高い企業ではなるべく配当を抑える傾向があると考えられる。そこで、企業のパネル・データを用いて、配当の増・減を被説明変数として、モデルを推計した10。
推計結果によると、予想通り、総資産営業利益率、総資産の成長率の係数がプラスで有意となっており、収益率が高く内部資金が増加している場合には配当を増やしている一方、有利子負債比率はマイナスで有意となっており、債務比率が高い企業ではなるべく配当を抑えて内部留保を積み増す傾向にあることが示唆されている(第2-1-10表)。
こうした推計結果に基づくと、2002年度から2004年度にかけて配当確率が高まる傾向にあるには、総資産営業利益率の増加や総資産成長率といった収益性に関する要因の影響に加えて、有利子負債比率が低下したことも大きく寄与していると考えられる。
3 引き続き抑制される人件費と労働分配率低下の背景
90年代に高止まった労働分配率は、2000年代に入ってから急速に低下し90年代初めの水準に戻ったが、その後も、企業収益増加の割には賃金の伸びは抑制された状態が続いている。以下では、労働分配率が低下した要因と、その後も賃金上昇が緩やかなものにとどまっている背景について分析する。
● 労働分配率は2000年代に入って大きく低下
90年代には、労働分配率は生産性や資本深化等の動向から得られるトレンドを上回って上昇した11(第2-1-11図)。こうした背景には、労働時間短縮によって時間当たり労働コストが上昇したことや、年功賃金制の下でデフレになっても名目賃金が下がらないという下方硬直性が90年代において実質賃金の押上げに働いたことが指摘されている12。しかしながら、2000年代に入ってからは、労働分配率は顕著な低下がみられる。
以上のような労働分配率の低下がどのような要因によって生じたのかを分析するために、一般的な賃金交渉型の賃金モデルを想定した上で、企業が過剰債務を抱えたことにより、賃金確保よりも企業の存続が優先されたため賃金の抑制が可能となったのではないか、成果主義賃金の導入といった制度面の変化が賃金にも影響を与えたのではないか、といった仮説について検証を行なった13。
● 過剰債務の存在が企業の人件費低下を促す
賃金交渉型の賃金モデルでは、経営者に対する従業員の交渉力によって賃金が決定されることを想定しており、企業収益の状況に加えて、従業員の交渉力(代理変数として従業員の増減を用いている)も賃金に影響を与えると想定されている14。労働市場全体の需給を表す産業平均の賃金動向や失業率も賃金に影響を及ぼすと想定されている。
推計結果によると、労働市場全体の需給を表す失業率は賃金に対して想定されるような影響をもたなかった一方15、債務比率については賃金抑制に働くことが示されている(第2-1-12表)。1995年から1999年までの期間と2000年から2004年までの期間を比べると、賃金の調整速度(1から前期賃金の係数を引いたもの)が上昇し、賃金はより迅速に調整されるようになったことが示唆されるほか、従業員が賃金に与える影響力が小さくなっていることが示唆される(第2-1-12表)。後者については、リストラ圧力等によって人員の抑制が行われる中で、交渉における従業員の影響力が低下した可能性が考えられる。
● 成果主義賃金の採用は結果的に人件費を抑制
成果主義賃金導入の影響については、推計結果によると、利益率と成果主義ダミーの交差項の係数がマイナスで有意となっていることから、成果主義を導入している企業では、収益の増加の割には賃金があまり上昇しないということが示唆される(第2-1-12表)。したがって、企業が意図したかどうかは別として、結果として成果主義の導入は、企業収益の状況にかかわらず賃金を抑制する効果を持った可能性が考えられる。成果主義賃金については、それを導入したからといって平均的な労働者の賃金が低下する訳ではない。しかし、仮に年功制賃金の下で、労働者の高齢化によって生産性以上に賃金を支給している企業があるとすると、そうした状況下では、成果主義賃金の導入が企業全体の人件費の抑制につながる可能性が考えられる。
以上のような推計結果をまとめると、労働分配率が2000年代に入って低下したのは、失業率の上昇によって示される労働需給全体の悪化といった要因よりも、個別企業において、リストラ等によりインサイダーである従業員の賃金への影響力が低下したことや、債務比率の高さが賃金を抑制した可能性が高いことが示唆される。加えて、成果主義を採用した企業では、収益の状況が賃金に反映されにくくなっており、それが、労働分配率が低下した後も、企業収益の増加の割に賃金上昇が緩やかなものにとどまっていることの背景にあるものと考えられる。
4 リストラによる企業行動への影響
以上にみたように、企業部門における雇用・設備・債務の過剰が解消に向かう中で、企業部門のパフォーマンスは改善しており、経済全体の生産性も上昇してきている。以下では、過去にリストラを行なった企業のその後のパフォーマンスがどうなったかについて分析する。
● 企業レベルで採用された幅広いリストラ手段
3つの過剰の解消に当たっては、各企業レベルでは、様々なリストラ手段が組み合わされて実行されたと考えられる。
内閣府平成13年度企業行動に関するアンケート調査によると、調査が実施された2002年1月時点において、雇用・設備・債務に関して過剰感があると答えた企業の割合は、それぞれ5割強、3割弱、5割弱となっていた(第2-1-13図)。こうしたことを背景に、当時は様々なリストラ手段がとられた。具体的には、財務体質改善への取組については、過剰在庫や有利子負債の圧縮、保有する金融資産や不動産の売却といった財務的な措置は半数近い企業が実施している。加えて、事業・組織再編に関する措置としては、不採算・低収益事業の縮小・整理といった措置が5割程度の企業でとられたほか、劣化した子会社・関連会社の整理、M&Aや持ち株会社化を通じた事業再編といった措置もかなりの数の企業が実施している。人件費削減のための施策としては、能力給へのシフト、賞与の削減、新規採用者数の削減、正社員からパート・派遣職員へのシフト等の措置が約半数の企業でとられたほか、賃金水準の引下げや希望退職者の募集といった直接的な人件費削減策も2割前後の企業でとられた。
● 多様なリストラ措置がもたらした企業業績の改善
以上のようなリストラ措置によって、どの程度企業のパフォーマンスは改善したであろうか。そこで、平成13年度企業行動に関するアンケート調査の結果と各企業の財務指標を用いて、アンケートが実施された2002年以前の過去5年間に行っていたリストラ措置が、2004年度時点までにどの程度企業の業績や株価等に影響を与えたかを推計した。具体的には、既にみたような財務面の措置、事業・組織再編に係る措置、人件費削減策を実施した企業において、ROA(総資産利益率)が1998年から2004年の間にどのように変化したか、また、株式市場における企業価値の評価を表すと考えられるトービンのq(株式時価総額と負債合計の総資産に対する比率)の2005年時点の水準にどのような影響を与えたかをみた。
推計結果によると、財務面の措置については、過剰在庫の圧縮、有利子負債の圧縮、保有不動産の売却を行った企業でROA及びトービンのqともに上昇しているほか、株式売却や保有資産の証券化もROAにはプラスの影響を与えている(第2-1-14図)。ちなみに、リストラ措置と企業業績の逆方向の因果性(企業業績からリストラ措置への因果性)がないかをみるために、こうした在庫・負債の圧縮を行った企業の特徴をロジット分析でみると、リストラ措置がとられた初期時点にあたる1998年から2000年時点では、これらの企業のROAは他の企業と比べて統計的に有意に低かった。しかし2002年以降については、これらの財務措置を実施した企業のROAはその他の企業と比べて高いか、あるいは統計的に変わりがないという状態になっている(付表2-2)。こうしたことから、これらの財務措置はROAの回復に寄与したものと考えられる。
事業・組織再編に係る措置については、不採算・低収益事業の縮小・整理、子会社・関連会社の整理を実施した企業ではROAやトービンのqの上昇がみられているが、グループ経営の導入、M&Aの実施についてはROAに対してマイナスの影響がみられる。先ほどと同様に、ロジット分析によって、事業・子会社の縮小・整理の逆方向の因果性を調べると、不採算・低収益事業の縮小・整理、子会社・関連会社の整理を実施した企業では1998年から2000年時点ではROAが他の企業と比べて有意に低かったものが、2002年以降については他の企業と同じ程度まで回復しており、これらの措置をとったことによってROAが改善する効果があったことが示される。
人件費削減については、能力給へのシフト、正規社員からパート・派遣へのシフト、早期退職の優遇、役員報酬の引き下げといった措置を実施した企業ではROAの上昇がみられており、ロジット分析で逆方向の因果性を調べても、こうした結論が支持される。他方、賞与の削減や新規採用者の削減といった措置をとった企業のROAは低下がみられるが、逆方向の因果性が有意にみられることから、むしろ、企業業績が悪化している企業がやむなくこうした措置をとっているという状況であると考えられる。
次に、企業統治とリストラ措置との関係をみるために、外国人持株比率、メインバンク持株比率、社外取締役比率といった変数との相関をみた16。すると、メインバンク持株比率の高い企業では株式売却、不採算・低収益事業の縮小・整理等のリストラ措置が促進された可能性が示唆されるほか、社外取締役比率の高い企業でも、保有不動産の売却や不採算・低収益事業の縮小・整理、早期退職の優遇といった措置がとられた可能性が示されている。他方、外国人持株比率が高い会社では、リストラ措置があまりとられないという傾向が広くみられる。この点については、外国人持株比率の高さがリストラ措置を抑制しているというよりも、外国人が株を購入するような企業はそもそも業績がよく、リストラ措置をとる必要がないという可能性も考えられる。