第1節 景気底入れの背景
第1章 景気回復力の展望
第1節 景気底入れの背景
日本経済は、2000年10月に(1)景気の山を越え、景気後退局面に入った。その後、2001年を通じて、生産は大幅に減少するとともに、失業率も既往最高水準を更新し、景気は悪化を続けた。実質経済成長率は、2001年4-6月期以降マイナスに転じた。デフレが進行する中で、日本経済がデフレスパイラルに陥るのではないかとの懸念さえ生じた。しかし、2002年に入ると、輸出が増加に転じ、生産は下げ止まった。景気は、1-3月期には底入れしたと判断される(2)。
景気循環の観点からみると、今後景気が底入れから持ち直していくと90年代以降では3回目の景気回復となる。GDPデフレータでみると、90年代半ば以降マイナスが続いているので、その意味でデフレ下における3回目の景気回復期となる(3)。過去2回の回復局面(4)では、海外経済の減速や金融システム不安などをきっかけに、民間需要主導の力強い回復が達成されないまま、後退局面に移行した。今回の景気回復力は、どのように展望できるであろうか。
本節では、今回の景気底入れの背景及び過去2回の回復局面と比べた特徴点と、デフレの現状について検討する。
1 景気は底入れへ
(1)景気の現局面
● 景気の悪化から底入れへ
今回の景気後退は、2000年後半以降、アメリカ経済が急速に減速し、それを契機に世界的に景気が減速するなかで、輸出が急減することによって始まった。
実質GDPの推移をみると(第1-1-1図)、2000年前半までは純輸出や設備投資が成長を牽引したが、2000年10-12月期になると純輸出が減少に転じた。そのことは、在庫の積み上がりと、それに対応するための生産の減少をもたらし、景気は2000年10月以降、後退局面に移行した。個人消費が2001年4-6月期、7-9月期に微減となり、設備投資が減少を続ける中で、実質GDPは、2001年4-6月期から2002年1-3月期まで4期連続でマイナス成長を記録し、2001年度の実質経済成長率も前年度比1.9%減となった。この間、雇用情勢は大きく悪化した。完全失業率は上昇傾向にあったが、7月に5%台に乗った後、12月には5.5%を記録した。他方、国内卸売物価や消費者物価などの物価は下落を続け、地価や株価などの資産価格も下落を続けた。こうした状況のなかで、デフレスパイラルの懸念が生じたため、その阻止を目的に、財政政策面では第2次補正予算の編成を行うとともに、金融政策面では一層の量的緩和が進められた。
2002年に入ると、輸出が下げ止まり、増加に転じた。これによって出荷が下げ止まると、在庫調整の進展を背景に、生産も下げ止まりをみせることになった。業況判断も、大企業を中心に下げ止まりに向かい、企業収益についても下げ止まりの兆しがみられた。他方、失業率の上昇は一服し、国内卸売物価も下げ止まり、横ばいで推移するようになった。
今回の景気の谷を仮に2002年1-3月期とすると(5)、景気後退局面の長さは約5四半期となる。第2次石油ショック以降の景気後退局面の平均期間は約9四半期であるので、今回の景気の底入れは相対的に短期間で実現されたことになる。
● 景気底入れの背景-対外要因:輸出が増加
今回の景気底入れの背景については、対外要因と国内要因とに分けて考えることができる。まず、対外要因としては、前述のとおり、2001年中大幅に減少した輸出が、2002年に入って下げ止まり、年央にかけてアジア向けを中心に大幅な増加を示したことが挙げられる。輸出が増加に転じた要因をやや詳しくみると、以下のように整理できる。
第1に、アメリカ経済における景気回復である。アメリカ経済は、ITバブル崩壊を受けて2000年央頃より減速を始め、2001年1-3月期から3期連続でマイナス成長を記録することになった。しかし、IT関連財を中心に在庫調整が急速に進展したことに加え、減税や金融緩和を柱とする積極的な財政金融政策が打たれた結果、個人消費が堅調な動きを示すことになった。この結果、実質GDPは、2001年10-12月期、2002年1-3月期と成長率を高めた(第1-1-2図上図)。アメリカ経済は、2002年1-3月期には、景気回復過程に入ったと判断される。
第2に、アジア経済も回復したことである。アジア経済は、アメリカ経済の景気回復を先取りする形で、IT関連財の輸出が主導しながら回復の動きを示した。また、韓国などでは、個人消費や建設投資が増加をするなど内需も堅調となった。
なお、我が国からの輸出がアジア向けを中心に増加している理由としては、アジアの生産増においてアメリカ向けの輸出が大きく寄与していることから、アメリカ経済の回復の影響が大きいといえる。IT関連財の在庫調整の進展、消費の堅調な動きを背景に、アメリカを最終需要地、アジアを組立加工地として、日本からアジアへの部品輸出の大幅な増加がもたらされていると考えられる。実際、アメリカにおける輸入は、2002年に入って大きく増加している(前掲第1-1-2図中図、下図)が、これにはアジアからの輸入の寄与が大きい。
第3に、為替レートが円安で推移したことである。円の対ドルレートは、2000年10-12月期には109.82円であったが、2001年1-3月期に118.09円となった後、円高に振れた局面もあったものの、基本的には円安基調で推移し、2002年1-3月期には132.46円となった。このような円安は、日本の輸出品の価格競争力を強化し、輸出増加に寄与したと考えられる。2000年10-12月期以降、円の対ドルレートが一定で推移したときに比べ、その後の円安は2002年4-6月期の輸出数量を2.6%強高める(四半期伸び率を平均0.4%強引き上げる)影響があったと試算される(付注1-1)。
● 景気底入れの背景-国内要因:在庫調整の終了
このような対外要因は、輸出を通して景気の底入れをもたらす要因の1つとなったことは間違いない。しかし、これだけでは、早い時期の底入れは可能ではなかったであろう。景気の底入れを可能にしたもう1つの要因として、国内要因もみておく必要がある。特に重要なのは、企業部門における急速かつ大幅な生産調整である。景気の悪化に伴って出荷が大きく減少し、在庫が大幅に積み上がったが、企業部門は急速かつ大幅な生産調整を行った。このような生産調整と、輸出の増加を背景とする出荷の下げ止まりによって初めて、在庫調整が速やかに終了することとなったのである。
もっとも、国内部門全体を見渡すと、強い調整圧力の下にあった。企業部門は、中期的な観点からバランスシート調整、資本ストック調整、賃金・雇用調整等を強力に進めた。銀行部門も、不良債権が依然として高水準で推移するなかで、金融仲介機能が低下した状態が続いた。家計部門も、厳しい雇用・所得環境と先行き不透明感のなかで、個人消費や住宅投資について慎重な姿勢を取らざるを得なかった。これらは、景気に対する下押し圧力として作用した。
また、この間、財政金融政策は、デフレスパイラルに陥る懸念を払拭するために、機動的な対応を行った。財政政策は、財政構造改革の観点から2001年度予算に取り組んだが、2001年12月にはデフレスパイラル阻止のための緊急対応プログラムを策定し、第2次補正予算の編成を行った。金融政策は、2001年3月に採用された、日銀当座預金残高を操作目標とする量的緩和政策の目標水準が、累次にわたって引き上げられていった。財政金融政策のマクロ的な効果については、第3節で詳しく検討することにする。
(2)今回の景気底入れの特徴
● 過去の景気回復局面との比較:期待成長率は一層低下
景気は底入れし、今後持ち直していけば、バブル崩壊後の90年代初頭以降、3回目の回復局面となる。過去2回の回復局面では、海外経済の減速や金融システム不安などをきっかけに、民間需要主導の力強い回復が達成されないままに後退局面に移行してしまった。今回の景気回復力を展望するために、ここでは、現在の局面について、過去2回の回復局面と比較しながら、特徴点を整理することにしよう。
今回の景気後退及び景気底入れが、海外経済の減速とその回復によるところが大きいことは既にみたが、その結果として、過去2回と比較しても、生産などの変動幅は大きい。今回の景気底入れを2002年1-3月期として、輸出、生産、稼働率の動きを比較してみると(第1-1-3図)、今回の特徴は、景気の谷に向けて、落ち込みが急になっているとともに、底入れ時のリバウンドも大きくなっていることである。
次に、民間需要の動向をみてみよう(第1-1-4図)。設備投資については、景気の谷に向けて、今回は前回とほぼ同じペースで、減少が続いている。底入れ後の状況についてみると、93年秋以降の回復期においては、バブル崩壊後の資本ストック調整が深いものとなったため、なおしばらくは減少傾向が続いた。明確に増加に転じたのは95年度以降であり、その後97年までは携帯電話やパソコンなどの本格的な普及も背景に、比較的高い伸びを示した。しかし、アジア危機や金融システム不安をきっかけに、98年入り以降減少に転じている。次の99年初からの回復局面では、バブル崩壊直後に比べ、ストック調整圧力が小さく、比較的早めに回復に転じ、IT関連を中心に増加した。しかし、95-97年の回復に比べても盛り上がりに欠けるまま、米国を始めとする海外経済の減速による輸出及び生産の減少が波及する形で、2001年度には大きく減少した。
一方、個人消費について、景気後退から底入れにかけての動きをみると、前回が金融システム不安などを背景に消費者の不安心理が高まり、消費が落ち込んだことと比べると、今回は、前々回同様、前期比では底固く推移している。ただし、消費水準としては、97年秋以降強まった消費者の先行きへの不安感が大きくは改善されない状態が続いていることもあり、低迷が続いている。
以上が実体経済の動きであるが、最後に、先行きに対する経済主体の見方を比較しよう(第1-1-5図)。マインド面を、企業の業況判断D.I.や消費者態度指数をみると、低水準ながらも過去2回の水準まで改善している。しかし、他方で、企業の期待成長率は一層の低下を示している。マインド面での底入れが裏付けられているが、先行きの回復力については、過去と比べても、やや慎重ないし悲観的な見方が強いといえる(6)。
今回の景気底入れ時の特徴は、輸出の増加を背景に、鉱工業生産が急速かつ大幅な落ち込みから持ち直していることである。しかし、同時に、期待成長率が過去に比べてさらに低下しており、今後の回復力が力強さを欠くものであることも示唆している。こうした特徴を踏まえ、各経済主体の動向及び先行きの見方などについての詳しい分析は、2節以降で行うこととする。
2 デフレの現状
今回の景気底入れの動きと並行して、引き続きデフレが進行していた。GDPデフレータでみると、90年代半ば以降伸び率はマイナス傾向にあり、今後景気が持ち直していった場合は、今回の景気局面はデフレ下における3回目の回復局面ともなる。デフレは、景気にとっては重しとなっている。次節以降における検討の前提として、デフレの現状とマクロ経済への影響について整理しておくことにしよう。
(1)一般物価デフレ
財・サービス価格の動向をみると、物価が継続的に下落しているという意味で、デフレは依然として続いていることが確認される。これを、3つの指標(国内卸売物価、消費者物価、GDPデフレータ)によってみることにしよう(第1-1-6図)。
● 動きがやや異なる国内卸売物価と消費者物価
まず、国内卸売物価の動向を前年比でみると、92年から99年までの間は、消費税率の引き上げの影響が見られた時期を除くと、下落基調にあった。2000年には原油価格の上昇を主因に輸入物価の上昇が波及したため、一時前年を上回る状況がみられたが、2001年に入ると需給緩和がみられたこともあって下落幅が拡大した。この結果、年度でみると、2000年度に0.1%の下落となった後、2001年度には1.1%の下落となっている。しかし、2002年に入ると、円安や需給の改善の影響もあって下落幅が縮小し、前月比横ばいで推移するようになった。
次に、消費者物価(生鮮食品を除く総合)の動向を前年比でみると、95年以降は一時的な下落(7)がみられたものの、99年秋以降になると下落は継続的にみられるようになった(8)。国内卸売物価が上昇した2000年においても、消費者物価は下落を続けた。年度でみると、2000年度の0.4%の下落に続き、2001年度も0.8%の下落となっている。2002年に入っても、引き続き弱含みで推移している。
国内卸売物価と消費者物価の動向が相違することには、次のような背景がある。国内卸売物価は、輸入物価や需給の変化に対して敏感に反応する(第1-1-7図)(9)。一方、消費者物価は、国内卸売物価の影響を受けるが、同時に小売段階での競争圧力を反映するため、同じ消費財で比較しても国内卸売物価とは動きが異なっている。特に最近は、輸入浸透度の上昇に伴って下落圧力が加わっており、消費者物価の下落をもたらす大きな要因となっている(10)(第1-1-8図)。
● GDPデフレータは引き続き下落傾向
国内卸売物価や消費者物価は、輸入物価の変動の影響を直接的に受ける。これに対して、国内の基調的な物価動向を捉えるには、輸入物価の変動による直接的影響を除いた付加価値の動向で捉えることが重要である。その意味では、GDPデフレータが重要な指標となる。
GDPデフレータは、名目GDPと実質GDPとの比として求められる。名目GDPは生産された名目付加価値の総額で、おおむね名目賃金と名目利潤からなっている。他方、実質GDPは生産された実質付加価値の総額である。このことから、GDPデフレータは、実質生産1単位当たりの賃金(ユニット・レーバー・コスト)と実質生産1単位当たりの利潤(ユニット・プロフィット)の動向を示す指標であると考えることができる。GDPデフレータが下落していれば、輸入物価等の外生的要因とは別の、国内的要因によって物価が下落していることになる。その意味で、GDPデフレータは、デフレが「ホーム・メード」であるか否かの指標であるということができる(11)。
GDPデフレータの動向を前年比でみると、94年度以降は、消費税率引上げの影響のみられた時期を除くと、下落基調にあることが確認できる。2000年度では1.9%の下落、2001年度も0.9%の下落となっている。このことは、デフレに対して国内要因の寄与が大きかったことを意味している。
● 一般物価デフレの要因
以上のようなデフレの要因については、昨年の「平成13年度年次経済財政報告」において分析した。具体的には、(i)安い輸入品増大、IT等の技術革新、流通革命等の「供給面の構造要因」、(ii)景気の弱さからくる「需要要因」、(iii)銀行の金融仲介機能低下による「金融要因」、が挙げられる。
こうした要因が早期に解消するとは考えにくいことから、当面、一般物価デフレは続く可能性が高い。
(2)資産価格デフレ
デフレは、財・サービス価格面だけでなく、地価や株価等の資産価格面においても進行している。全国の地価は、国土交通省「地価公示」によると、91年をピークに下落を続けており、株価も、上昇局面を挟みつつも、2002年は89年末の3、4割程度の水準(TOPIX)で推移している。ここでは、地価及び株価におけるデフレの現状と背景について整理する。
● 地価下落の要因
80年代後半に急騰をみせた地価は、91年以降、下落を続けている。地価の動向を国民経済計算における土地資産額の対GDP比でみると、バブル崩壊後の90年をピークに10年以上にわたって下落を続けており、現在は、バブル期前の80年代前半並みにまで下落している。
地価下落はなぜ起こっているのだろうか。ここでは、収益還元モデルによって地価動向を検討してみよう。収益還元モデルでは、地価は、(i)土地が現在生み出す収益や将来見通し、(ii)安全資産利回り(金利動向)の変化、(iii)安全資産利回りを上回る土地投資への期待収益率(いわゆるリスクプレミアム、土地投資の不確実性や投資家のリスク回避度で変動)で説明される(12)。ここでは、土地が生み出す当期の収益としてはオフィス賃料、収益の期待上昇率として不動産業の期待成長率、安全資産利回りとして名目長期金利(10年物国債)を用いる(付注1-3)。リスクプレミアムについては、一定と置いたケースと、理論地価と実際の地価が一致するとしてリスクプレミアムを逆算するケースの2通りについて試算してみる。
ここで各指標の動きを確認しておこう。当期の収益については、バブル崩壊後、地価の下落要因になっている。全国のオフィス賃料は、91年をピークに下落傾向に転じ、97年には横ばいになったものの、2001年まで下落が続いている(13)。東京のオフィス賃料でみても、91年をピークに2001年まで下落が続いている(14)。また、賃料の動向に影響を及ぼすオフィスビルの空室率(空室率が上昇すると、賃料が低下するという関係がある)でみても、東京23区ではその他の都市に比べ低いものの、2001年6月期以降、5四半期連続で上昇を続け、その他の大都市でも上昇傾向にある。
収益の期待成長率も、下落要因として寄与している。不動産業の期待成長率(5年、内閣府「企業行動に関するアンケート調査」)は、89年をピークに低下基調に転じており、特に93年と94年に大きく低下した後、99年までわずかに持ち直したものの、2000年以降は再び低下している。
金利は上昇要因となっている。名目長期金利(10年物国債)をみると、80年から87年にかけて低下を続けた後、上昇に転じたが、91年をピークに低下傾向が続いている。
以上の地価決定要因に加えて、リスクプレミアム値を一定と置いた理論地価を求めてみると、実際の地価とおおむね同方向の動きを示すが、実際の地価に比べて変動幅は小さく、バブル期の上昇率及びその後の下落率はともに小さい。次に、理論地価と実際地価を一致させるように、リスクプレミアム値を逆算すると、バブル崩壊後、大幅に上昇している。
以上の試算結果については、次のような解釈が可能である。バブル崩壊後、不確実性の上昇やリスク回避度が高まったことから、投資家が要求するリスクプレミアムが上昇している可能性がある。
しかし、逆算して求めたリスクプレミアム値がバブル期以前の時期と比べても大幅に上昇しており、単に投資家が求める期待収益率の高まりだけで説明し難い。収益還元モデルをベースとした要因だけで説明が困難な背景として、土地市場を巡る環境が大きく変化していることが挙げられる。すなわち、バブル期までは、「地価は上昇を続ける」という土地神話が根強く、土地保有に対するリスクは低いとみられてきたのに対し、最近になって、「所有から利用価値重視へ」と大きく変化している。実際の土地市場においては、地価は、以前は周辺の取引価格等を反映して決まっていたが、個別物件ごとの利便性、収益性等が重視されて決まってくる度合いが強まり、不動産流通市場の整備も進んでいる(15)。この結果、利便性、収益性の低い地点の地価が下がることで、平均した地価を引き下げていると考えられる(16)。
また、バブル崩壊後のリストラや不良債権処理による土地処分等といった供給要因が、地価に対する下落圧力となっていることも考えられる(17)。こうした供給圧力は、利用価値を高めることが可能な経済主体への土地の再配分の進展も意味しており、土地の生産性向上へ向けた動きと捉えると、中長期的には土地の生産性・収益力を高めることになる。このため、供給圧力が一巡してくれば、地価にも好影響が期待できよう。
● 地価下落の地域別特徴
収益性に応じて地価が決まる面が強まっているということは、地域別の地価動向からもうかがえる。
最近の地域別の地価動向(商業地)の特徴を対前年比でみると(第1-1-9図)、東京圏では下落幅が縮小しているのに対し、大阪圏、地方圏ではこのところ下落幅が拡大している。また、東京都では都心で地価が高い地点ほど下落幅が小さく、一部では上昇を示しているのに対し、地方圏等では、大方の県で県中心地の地価が高い地点ほど県平均に比べて下落幅が大きい。
地域及び地点ごとの地価動向の違いは、土地の収益力の違いを反映しているものと考えられる。例えば、地価の下落幅が縮小している東京では、オフィスビルに対する需給を示す空室率は、立地が都心に近く、質の高い大規模なオフィスビルの需要が強いために低水準にあり、オフィスビルの収益力が高まっていることをうかがわせる(第1-1-10図)。法務省「民事・訟務・人権統計年報」によると、土地取引件数も、全国的には低迷しているのに対して、東京ではこのところ急増している。これに対して、東京以外の大都市は、企業の本社移転やリストラによりオフィスビルの需要が低迷しており、空室率が高い都市ほど、地価の下落率も大きい傾向がうかがえる。また、地方の県庁所在地等地方都市において、地価が高い中心地の下落率が大きくなっていることについては、支店統廃合等に加え、大規模小売店の郊外への進出による商店街等中心市街地の空洞化等が影響しているものと考えられる。
このように商業地地価が平均的に下落するなかで、収益性に応じて地価が決まる面が次第に強まっている。
● 株価動向の要因
株価も、バブル崩壊後は、変動を伴いつつ下落基調で推移している。2002年2月にはTOPIXで922ポイントを記録し、バブル期以前の85年2月の株価水準にまで下落した。
株価下落の要因についても、地価と同様に、企業収益やその成長期待が低迷したことが考えられる。企業収益については、第2節で詳しくみるが、バブル崩壊後は低調に推移しており、中でも当期利益は2001年度に赤字となった。期待成長率についても、内閣府「企業行動に関するアンケート調査」で、低下傾向をたどっている。他方、名目長期金利(10年物国債)の低下は、株価の下支え要因になったと考えられる。
この他に株価下落要因として考えられるのは、一部企業における倒産など信用リスクの高まりである。業種別に株価の推移をみると、電気機械や輸送用機械がバブル崩壊後しばらくして回復を示しているのに対し、不動産、建設、銀行といった業種がバブル期初期の半分以下の水準まで下落している。このような差異は、基本的には業種ごとの収益力の差を反映したものと考えられるが、極端に株価が下がった業種や企業については、信用リスクの高まりも反映していると考えられる。
また、90年代後半以降の株価の動向には、持ち合い解消等を伴う金融機関の株式売却の影響も検討する必要がある。実際、個別企業ベースで、企業の株価下落と金融機関による株式売却との関係をみると、正の相関を見出すことができる(付注1-4)。
持ち合い解消を目的とする金融機関の保有株式の売却が行われても、単に保有者が金融機関から他に移るだけであり、本来は企業価値の変化をもたらすものではなく、その点では株価には影響しないはずである。にもかかわらず企業の株価下落と金融機関による株式売却との間で正の相関がみられることについては、幾つかの考え方ができる。
まず、金融機関持ち株比率が高い企業の市場評価の低下と同時期に、金融機関による株式売却が行われていることが考えられる。また、金融機関による大量の株式売却により、一時的に需給バランスが崩れる場合が考えられる。
さらに、金融機関との株式持ち合い関係が企業の市場価値に影響を与えていた可能性がある。すなわち、金融機関と企業の双方にとって取引関係や経営の安定等のメリットがあるものとして、株式の持ち合いが進められ、株価に現れる市場評価を高めていた可能性がある(18)。また、持ち合い関係を背景に、取引金融機関、なかでもメインバンクが企業を破綻させないという市場の見方も強かったと考えられる。これに対し、90年代後半以降になると、金融機関側として、不良債権処理や経営体力低下、時価会計の導入等を背景に、株式保有のコストやリスクが高まったことから、株式売却の必要性が強まったこともあり、持ち合い関係も見直されることになった(19)。また、相次ぐ大型倒産もあって、メインバンクが主要な取引先企業を破綻させることはないという市場の見方も弱まった。この結果、金融機関の持ち株比率が高い銘柄ほど、株価が下落した可能性がある。
銀行による株式保有については、自己資本の範囲内にとどめることが義務付けられているため、今後も市場への放出が続き、株価を下押しする要因になる可能性がある(20)。このため、2002年に入って銀行等保有株式取得機構が設立された。銀行の選択によって株式を機構に売却することが可能となり、銀行による株式売却が株式市場に及ぼす影響を最小限のものにとどめることが期待されている(21)。なお、日本銀行では、2002年9月に、金融システムの安定への取組として、金融機関が保有する株式の買取りについて検討を表明した。
● 資産価格デフレによるキャピタルロスは巨額
以上のような資産価格デフレは、マクロ経済的にはどの程度のインパクトがあったのであろうか。その点を、国民経済計算でみてみよう。
バブルが崩壊した90年以降、日本経済全体では、株式と土地併せて1,158兆円※のキャピタルロスが生じた(第1-1-11図)。このうち、土地が734兆円※、株式が424兆円である。土地は91年以降一貫してロスが発生しているが、株式は、株価が上昇した局面もあり、累計でみるとこの程度となる(22)。
経済主体別でみると、最もキャピタルロスが大きかったのは、家計で、合計437兆円に及ぶが、その多くは土地である(23)。次いでロスの大きいのが非金融法人企業で合計357兆円であり、やはり土地がやや多い。金融機関は合計231兆円となっている。金融機関は、こうした直接的なキャピタルロスに加えて、不良債権の増加による間接的な影響も大きいと考えられる。
2000年中のキャピタルロスに限っていえば、株式が105兆円に対して土地は81兆円である。家計はやはり土地のキャピタルロスが大きいが、企業及び金融機関は株式によるキャピタルロスが大きい。2001年以降も、地価、株価とも大きく下落しているので、さらにキャピタルロスが膨らんでいると推定される。
このような巨額のキャピタルロスは、実体経済に対して、どのような影響を与えたのか考えてみよう。
● デフレは実体経済を抑制
デフレは様々な経路を通じて実体経済にマイナスの影響を与える。財・サービス価格面でのデフレが実体経済に与える影響については、昨年の「平成13年度年次経済財政報告」において分析した。結論を要約すると、次のようになる。
第1に、企業にとって、デフレは実質債務負担を増加させる。このため、新規の設備投資等が抑制される。
第2に、デフレに併せて名目金利や名目賃金が低下しない場合、実質金利や実質賃金が上昇する。この結果、収益が圧迫され、設備投資等が抑制される。
それでは、資産価格デフレが実体経済に与える影響はどうか。資産価格デフレが実体経済に影響を及ぼす経路としては、(i)負債側の価値が固定されているのに対して資産側の価値が減少することによるバランスシートの悪化と、(ii)担保価値の減少や株価下落による資金調達の困難化、の2つの経路が考えられる。
第1のバランスシートの悪化に対しては、経済主体は、負債を減少させることによってその修復を行おうとする。このために、例えば企業の場合、キャッシュフローを設備投資のような前向きな支出ではなく、債務の返済に充てることになる。また、家計の場合も、実質資産が目減りすると、家計支出を抑制して貯蓄を増加させたり、住宅の買替えを見送ったりすることが考えられる。借入を行っていなくても、株価下落等で資産が減少すれば、消費を抑制する等逆資産効果が発生する可能性がある。この結果、実体経済に対して下押し圧力が加わることになる。
第2の担保価値の減少に際しては、企業は既存の借入について担保の追加を求められる場合がある。担保見合いの新規借入の場合には、借入額はその分少なくなる。これも、実体経済に対して下押し圧力を加えることになる。この結果、経営困難に陥る企業が増加し、銀行からの借入の返済について見込みが立たなくなると、銀行にとっての不良債権が増加することになり、金融仲介機能の低下をもたらす。また、資産価格デフレのために含み益が減少すると、不良債権を処理するための原資も少なくなる。さらに、株価が低迷すれば、株式の新規発行による資金調達が困難になる。
以上の点から、資産価格デフレは、バランスシートの悪化や資金調達の困難化によって、設備投資や個人消費等にマイナスの影響を及ぼすとともに、金融機関の不良債権を増加させて、実体経済を抑制することになる。他方、実体経済の低迷は、一般物価や資産価格のデフレの要因ともなる。
こうした強い下押し圧力のなかで、企業、銀行、家計の各経済主体は、難しい対応を迫られた。次節では、各経済主体の行動について詳しくみることにしよう。