第2章 第2節 雇用の質的向上を通じた失業の解消(ヨーロッパの場合)
第1章 世界経済の現況 | 第2章 知識・技能の向上と労働市場 | |||||||
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概観 | アメリカ | 欧州 | アジア | 金融・商品 | IT | アメリカ | 欧州 | アジア |
第2節 雇用の質的向上を通じた失業の解消(ヨーロッパの場合)
EU諸国では、グローバル化やIT革命の進展が労働市場に変革を迫るなかで、雇用の増大が最重要課題となっている。各国政府は大幅な政策転換を図れずに構造失業を抱えたままとなっていたが、欧州経済統合の深化が厳格な財政規律の遵守を要求していることを契機に、各国政府も政策転換に乗り出している。
そこで本節では、まず、欧州における構造的失業の内容とその背景となっている労働市場の硬直性について検討する。次に、構造的失業というEU各国共通の問題を解決してEU経済の発展を促すには、就業能力(エンプロイヤビリティ)を向上させることが重要であるという観点から、EUレベルでの雇用政策の転換とそのなかでみられるようになった若年層や就業者に対する職業訓練の事例を概観する。最後に、最近の構造的な失業率の動向を分析することにより、こうした取組が奏功している可能性を探る。
1 ヨーロッパの労働市場の硬直性
グローバル化やIT革命の進展は、欧州の労働市場に変革を迫っている。EU統合の進展もあり、グローバル化の流れは、欧州各国の国境を越えた企業の再編を促し、あらゆる業界で企業買収・合併が進んでいる。ITの普及は、労働者の知識・技能や就業形態に変化を促している。これらの労働をとりまく環境の変化にもかかわらず、欧州各国の就業構造は10年前とほとんど変化がみられない。また、IT技術の浸透についても欧州は米国と比較して遅れている。例えば、パソコンの普及度合やインターネットの活用状況を欧米間で比較すると、いずれも欧州各国の遅れが目立っている。このような産業構造転換の遅れ、IT普及の遅れは、欧州の将来の競争力の低下を懸念させるものとなっている。
しばしば、「欧州の労働市場は硬直的である」と指摘される。事実、93年以降総じて景気拡大が続いているにもかかわらず、欧州では多くの国で失業率は高水準で推移している(第2-2-1図)。欧州の労働市場は、景気循環の局面にかかわらず失業を恒常的に抱えている状態にある。こうした構造的失業を生む要因は、労働市場が硬直的であるために解消されない需給のミスマッチや手厚すぎる失業給付といった政策要因などが考えられるが、ここでは、構造的な失業の要因として労働力需給のミスマッチに着目する。
労働市場における需給のミスマッチの動向を、労働需要側の求人数と失業率の関係でみると、ドイツでは98年末以降、企業が労働需要を増大させている一方で失業率の低下は大きくない(第2-2-2図)。また、失業率が低下してきたオランダやイギリスでは98年末以降、フランスでは95年末から97年にかけて労働需要が高まる一方で失業率が下げ止まっており、これらの国において雇用のミスマッチが拡大していることがわかる。
労働力需給のミスマッチには、過剰労働力が衰退産業にとどまる一方で成長産業では労働力が不足している、あるいは地域間で雇用需給に不均衡が生じているといった、産業間・地域間でのミスマッチがある。一方、同一企業内でもIT部門など特定の部門、特に一定の技能を要求するような部門における労働力が不足していたり、一国内において若年層や女性といった特定の層において高失業が発生したりという質的なミスマッチがある。
以下では、このような労働需給のミスマッチがどのような現象をもたらしているか、またその現象の欧州固有の背景とはなにか、そして、構造的な失業解消のために何が必要なのか、を検討する。
(1)活発化しないEU域内の労働力移動
(産業間の労働力移動)
EU各国では、農業や製造業といった既存産業において雇用過剰感が高まる一方で、IT産業での労働者不足といった産業間での労働力需給ミスマッチが生じている。これらの背景には、まず、欧州では労働者を解雇する際の要件が厳格である国が多いことが挙げられる。そこで、労働市場の柔軟化を図る方策として、労働保護法制を見直し解雇条件を緩和することが有効であると考えられる。しかし、解雇条件を大幅に緩和し雇用者が被用者を容易に解雇できるように転換することによって労働市場の柔軟化を図ることは、個人の権利や社会的連帯を重んずる欧州の社会風土の下では困難と言わざるを得ない。
製造業を中心に民間部門に対して多額の補助金が注入されていることも、生産性の低い産業を温存し、産業間の労働移動を妨げることにつながっている。例えば、EU主要国の製造業に対する国庫補助金の推移をみると、各国とも近年では若干減少してきているが(第2-2-3表)、名目GDP比(1998年)ではドイツが0.54%、イタリアが0.73%に達している。これらの補助金のうち、当該産業内における雇用維持を目的としてどの程度の資金が用いられているかを把握するのは困難であるが、資源の効率的な配分という見地からは、競争の促進を図ることなく多大な補助金を注入し続けることは賢明な政策とはいえない。このような認識の下、EUでも補助金削減の重要性を強調し、2000年3月に開催されたリスボンEU臨時首脳会議の議長声明においてもその旨が盛りこまれている。
このほか、産業間労働移動が不活発である背景には、全般的に起業が活発でないことが挙げられる。EU諸国の多くは、アメリカと比較してサービス分野が発達途上にあることから、特にこの分野の起業環境を整備することの効果が大きいと期待される。「起業家精神」の向上は、後述するEUレベルでの雇用戦略の中においても重視されており、会社設立に関する手続の簡素化や税負担の軽減、ベンチャーキャピタル市場の拡大等によって起業環境を整備し支援していくことが、構造失業の解消のためにも重要であるといえる。
(地域間の労働力移動)
EUにおける労働力の移動を考慮する際には、域内における国境を越えた労働移動もみる必要がある。EU域内では、ローマ条約によって労働移動の自由が保証されてきたにもかかわらず、総じて、域内での国境を越えた労働力移動が活発化しているとはいえない。
労働人口に占めるEU国籍の外国人労働者の比率(例えばドイツ国内の全労働人口に占める、フランスやベルギー等EU14か国の国籍を有する労働者の割合)を、95年と99年で比較してみると、外国人労働者が増加しているのはベルギーやルクセンブルグ、アイルランドといったいわゆる小国であり、ドイツではこの間むしろ減少している(第2-2-4図)。また、EU全体及びユーロ圏全体でも外国人労働者比率の高まりは微小である。このようにEU域内での国境を越えた労働移動が活発化しないのは、言語上・文化上の差異が大きな隔たりとなっているためだと考えられる。その解消は容易でないことから、今後とも急速な変化は望めないものと考えられる。
(2) 労働の質的なミスマッチ
前述の産業間・地域間・国家間の労働力調整とは異なり、同一企業内でも既に過剰雇用を抱えながらもIT部門など特定の部門、特に一定の技能を要求するような部門における労働力が不足していたり、あるいは、一国内において若年層や女性といった特定の層においてのみ特に高失業が発生したりという事態が考えられる。これが質的なミスマッチである。
EU各国では、若年層の失業率が高いこと(第2-2-5図)、また、高学歴の者に比べ低学歴者の失業率が相対的に高い、といった傾向が全般的に観察できる(第2-2-6図)。
(若年層の高い失業率)
高い若年失業率の要因として、厳格な労働保護法制の影響が指摘できよう。EU各国では前述のとおり解雇要件を厳格に規定していることから、雇用主からみると中高年の過剰労働が存在していたとしても、自由な労働量調整は困難である。そこで、過剰労働を抱えたまま若年者の新規採用を控えるといった事態が考えられる。このように厳格な労働保護法制が若年層の雇用機会を狭めていると考えられる。労働量調整をしなければならない場合にも、時間や費用をかけて育成した熟練労働者を解雇するよりも、コストのかかっていない若年者を解雇しやすいとも考えられる。若年層が労働市場に参入する前に、労働市場が要求する職能訓練を受けることでスキルを習得しておけば、雇用主にとっても若年層を雇うインセンティブが発生すると考えられる。
(スキル別で異なる失業率)
学歴別の雇用動向をみると、高学歴の者の失業率は低学歴の者のそれを下回っている。より詳しく、スキル別の雇用動向をみると、一定の技能を有した高スキルの労働者は、1992年から97年の間の雇用増加により大きく貢献している国が多く、高スキル労働者は雇用機会が多いといえる(第2-2-7図)。一方、現在の失業者が失業する直前に就いていた職をスキル別にみると、低スキル労働者のシェアが高スキル労働者を上回っている国が多く、低スキル労働者の失業リスクが高いといえる(第2-2-8図)。
スキルの格差はIT化によってますます拡大しやすくなっている。IT化の進展は労働市場において必要とする技能を急速に変化させており、今日の労働市場においてはITに関する技能を有していることが強く要請されている。しかし、アメリカと比較して欧州のIT浸透度はかなりの遅れをとっているのが現状であり(第2-2-9図)、IT技能に関しても質的なミスマッチが生じている可能性が高い。欧州各国政府はIT技能の修得を容易にするため、さまざまなプログラムを進めているが、ミスマッチの解消にはなお時間を要するであろう。最近ではドイツのように「IT移民」と呼ばれる外国人IT技術者の受入れ政策を打出す例もみられる(コラム参照)。
ドイツのIT移民
ドイツでは、2000年7月現在、約389万人の失業者を抱えているにもかかわらず、情報通信産業における人材不足は深刻である。ドイツの情報通信産業の市場規模は、就業者数で120~150万人に達しドイツ最大の基幹産業であった自動車を既に上回ったといわれているが、ドイツ政府は技術者や専門家について約7.5万人が不足していると試算している(1)。
シュレーダー独首相は、2000年3月13日、国内のコンピューター専門家不足を補うため、2万人の外国人労働者をインドや東欧をはじめ各国から受け入れる方針を発表し、従来厳しく制限してきた移民政策について条件付きながらも大幅な転換を図ることとした。5月にはIT移民を許容するための「グリーンカード法案」が閣議決定された。各界の反応は賛否両論であり成立が危ぶまれたが、7月には法案可決、8月1日から同制度は導入された。
同制度は、情報通信技術に関する学位等を有するEU域外国の国籍者に対して、あるいは学位等を有していなくとも雇用主が最低10万マルクの年収(約550万円)を支払うことを条件として、最大2万人に対して最長5年間の特別ビザ「グリーンカード」を交付するという制度である。法案の段階では、特に労働組合や野党から「EU域外からの技術者補充は現行の枠組みの中で十分であり、急務なのは若い人材を育てることだ」、「移民でなく訓練を」といった反対論が展開された。
これに対しドイツ政府は、政労使の対話の枠組みである「雇用のための同盟(Alliance for Jobs)」において技術者不足解消のための職業訓練の重要性を強調、2005年までに25万人のIT技術者を養成するべく訓練機会を設けることなどで合意してきた。しかし、これらが実効を示すには時間がかかることから、短期的な技術者不足を解消するために同制度を導入する必要があると訴求してきた。8月1日に同制度が導入されてから、既に1,360人に対して「グリーンカード」が交付されている(9月7日連邦政府発表分)。
2 就業能力(エンプロイヤビリティ)向上の重視
(1)注目されるエンプロイヤビリティ
労働をとりまく環境が変化するなかで、多くの大陸欧州諸国において、90年代後半の景気拡大期においても、雇用情勢は改善をみせなかった。環境変化に対応して、従業員の技術・能力を向上させることの重要性が高まったことから、EU各国の企業は職業訓練を増加させるようになっている。
一方、失業率が高水準で推移したこと、失業者に占める若年層や長期失業者の比率が高水準で推移していることを背景として、EU諸国政府にとっても、雇用の増大は最重要課題となった。この背景には、EMU第3段階移行を控えて財政健全化等のマーストリヒト基準を達成するため歳出削減圧力が高まったこと、一元的金融政策の開始と厳格な財政規律の下で発動できる経済政策に関する自由度が著しく低下したこと等がある。
(イギリス、オランダの経験)
多くのEU諸国が高失業を抱えるなかで、イギリスやオランダは他国に先んじた労働市場改革の結果、失業率を著しく低下させてきた。両国は、80年代には11%台の失業率を記録し、高失業と高インフレといった種々の病弊をもつ先進国の特徴として「イギリス病」、「オランダ病」といった言葉まで生まれた。その後、イギリスでは労働市場に市場原理を導入することによって、また、オランダでは労使協調路線の下で特にパートタイム労働を促進することによって失業率を急激に低下させ、現在ではEU諸国でも失業率が最も低いグループに入っている(詳細は平成10年度年次世界経済報告参照)。
このように両国はそれぞれに労働市場の柔軟化を図り、それが現在の低失業率に結びついており、他のEU諸国からは労働改革において先んじたといえる。しかし、イギリス、オランダ両国においても若年失業者や長期失業は依然として解消されておらず(2)、特にオランダでは失業期間が6か月以上の長期失業者が失業者に占める割合が約85%と非常に高くなっている(第2-2-10図)。
EUが各国の労働情勢を概観・比較する際に用いている手法にならい、失業率、長期失業率、若年失業率の3つの失業に関する指標について、EU域内で最も良好なパフォーマンスを示している国と比較した場合にどの程度改善が遅れているかを比較した。イギリスでは3つの指標それぞれに、EU域内ではほぼ最良の状態を達成しているものの、依然として若年失業や長期失業が課題となっている。オランダでは、長期失業の解消が大きな課題となっていることがわかる(第2-2-11図)。
イギリスやオランダの経験は、労働市場への市場原理の導入やパートタイム労働の導入だけでは、スキルのミスマッチの解消や若年失業、長期失業者の発生を回避しきれない、ということを示している。これが、労働市場に参加する者の就業に関する能力(エンプロイヤビリティ)への注目が集まるようになった背景となっている。
(エンプロイヤビリティ向上のねらい)
「エンプロイヤビリティ」とは、雇用可能性などの訳が与えられることもあるが、労働者自身が職業生活において必要な技術・能力を身につけることによって就業や転職、キャリアアップなどの可能性や機会をひろげることを意味する。 エンプロイヤビリティの向上は、現在のスキルや職種、学歴の高低などに関係なく、労働市場に参加している全ての層において求められるものである。従来指摘されているように、欧州各国では最低賃金制度を採用している国が多く、かつ、その最低賃金の水準が高い国が多い。欧州委員会統計局(EUROSTAT)が示した1999年の最低賃金(月次、税引き前)の国際比較によれば、ルクセンブルグ(1,162ユーロ)、ベルギー(1,074ユーロ)、オランダ(1,064ユーロ)、フランス(1,036ユーロ)と、776ユーロの日本(1998年)や809ユーロのアメリカと比較して、多くのEU諸国において最低賃金が高水準である(3)。最低賃金が高いということは、その水準で雇用される者の労働インセンティブを喚起する一方、雇用主からみればその賃金に見合った労働生産性を確保するために最低賃金層の雇用の質を一定以上の水準に向上させる必要があることになる。現在のスキルの高低のいかんにかかわらず、エンプロイヤビリティの向上は企業競争力の向上に結実するものである。
(2)企業の社内トレーニングの増加
(職業訓練における企業の役割)
労働者は一定の技能を習得することによって、あるいは、若年者は教育過程において職能訓練を経験することによって、いずれも自らのエンプロイヤビリティを向上することにより、雇用機会を自ら増大させることとなる。例えば、就業者のエンプロイヤビリティ向上のためには、失業リスクの高いロースキル職から雇用機会の多いハイスキル職へと転換するための職業訓練が有効であろう。企業は社内での訓練を提供し、個人は自らのエンプロイヤビリティ向上のためにそれらの訓練を受け、政府はそれを促進するといった具合である。新規に労働市場に参入してくる若年層や、既に職に就いている者に対して、労働市場のニーズに合致したスキルを習得する訓練の場を提供することは、将来の失業を回避することにつながる。
フランスを例にみると、1980年には企業の全従業員数の18.1%にすぎなかった職業訓練受講率は、90年には31.8%、97年には35.5%と増加している。また、従業員数によって企業規模別にみると、小企業から大企業まで、企業規模にかかわらず80年以降訓練受講率が高まっており、職業訓練が広く浸透していることがうかがえる(第2-2-12図)。
職業訓練を実施する主体としての企業の役割は、すでに政府と並んで大きなシェアを占めている。各国別に職業訓練の実施場所をみると、職業訓練施設や教育機関ではなく企業等の就業現場での訓練を中心とした職業訓練を実施している割合は、デンマークでは約80%と高く、次いでドイツでは60%強となっている(第2-2-13図)。また、ほとんどのEU諸国でも職業訓練の20%以上が企業等の就業現場中心で実施されており、職業訓練に占める企業の役割が大きく、被雇用者のエンプロイヤビリティを向上させるための訓練の場を提供する企業が多い。
一方、職業訓練にかかる費用をどのような主体が負担しているかをみると、中央政府や地方政府の負担率が高く、企業の負担率が低い国が多い。なかでは、デンマークで企業の負担割合が30%強、フランスやオーストリアで10%強となっているのが目立っている(第2-2-14図)。
(フランス企業の職業訓練)
職業訓練の実施主体としての企業の役割が高まっている一方で、訓練に参加する個人は、職業訓練をどのように捉えているのであろうか。フランスを例にみると、現在の職種・スキル別に職業訓練受講率に差異があり、管理職の方が事務職や非熟練労働者よりも職業訓練受講率が高い。また、企業規模が大きくなるに従い、いずれの職種でも訓練受講率が高くなっている(第2-2-15表)。
職業訓練に対する満足度に関する調査の結果をみると、自らが参加した職業訓練が実際の業務に役立っていると満足している人が多い(第2-2-16表)。しかし、教育達成度別に詳しくみると、学歴の低い者のなかには概して職業訓練に満足していない人が多く、逆に高学歴者は職業訓練に対して有用だったと評価しているという傾向が見出せる。
以上より、フランスでは訓練機会が管理職により多く与えられていること、中小企業では大企業に比べて職業訓練を受講する機会が少ないことなど、職業訓練を受講する機会が均等でないという問題点が観察できる。トレーニングを受講する者の多くが幹部職員およびその候補に限られているという職業訓練機会の不均等に関する問題点は、OECD等によっても指摘されている(4)。
(3)EUレベルでの雇用政策の転換
(EUレベルの雇用政策の枠組み)
構造失業の存在というEU諸国共通の悩みを抱えていたこと、また、99年からのEMU第3段階移行を控え、各国は緊縮財政を強いられ、悪化する雇用情勢への対応に苦慮することとなった。このような状況下において、失業問題に緊急に対処する必要性から、1997年、アムステルダム条約において欧州委員会に各国の雇用政策を調整する権限を付与した。これにより、欧州理事会は加盟各国の雇用政策およびEUのガイドラインの実施状況を調査し、勧告を行う権限を有することとなった。さらに、97年以降EUレベルでの取組が本格化した。97年11月には、ルクセンブルグ欧州臨時首脳会議において、(1)就業能力(Employability)の向上(職業能力を労働者自身が磨くことのできる制度の整備等)、(2)起業支援(Entrepreneurship、起業のための行政手続の簡素化等)、(3)変化への適応能力(Adaptability)の向上、(4)雇用機会の平等化の推進(Equality)という4つの柱を明記した雇用戦略を策定した。この雇用戦略に基づき各国に行動計画を毎年提出することを義務付け、各国の相互監視制度の下で欧州委員会が計画の実施状況を評価するというモニタリングシステムが導入された。
さらに、本年3月のリスボン欧州特別首脳会議においては、EU経済がかつてないほどの良好な状態であると評価すると同時に、EUが抱える弱さとして、1,500万人を超える失業者が存在すること、長期にわたる構造的失業の存在、電気通信・インターネット分野でEUが依然として発展途上にある、といった点を指摘、これらの問題への注視を怠るべきでないとした。リスボン首脳会議に欧州委員会より提出されたレポート(「eEurope,An Information Society For All, Progress Report」)では、ヨーロッパのIT化の現状について、米国と比較して対応が遅れていることを強く意識している。このレポートは、アメリカではインターネット関連の就業者が230万人(1999年)と推計されるのに対して、EUではデータはないもののそれを著しく下回るものと推定している。また、インターネットを中心としたニューエコノミーへの移行が生産性を向上させるとし、それが実現しているアメリカに対して、EU各国はかなりの遅れをとっているとしている。
このような認識に基づき、本年6月には「eEurope Action Plan」(欧州電子行動計画)を策定した。このなかで、ITリテラシー(原文ではdigital literacy)は「全ての人々のエンプロイヤビリティにとって必須の要素である」として、IT能力の向上がエンプロイヤビリティを向上させることと一体であると強調している。
(消極的政策から積極的政策への転換)
97年から取組が本格化したEUの雇用政策は、雇用政策の消極的政策から積極的政策への転換を促している。OECDによれば、消極的政策とは失業手当の給付等失業者の所得保障を主とした政策であり、一方、積極的政策とは労働力の質の向上を目的とした職業訓練、雇用創出、職業紹介といった政策と整理されている。ただし、これらの分類は、雇用政策に関連する支出の動向を把握するために便宜上分類したものにすぎないことには留意が必要である。例えば、失業手当を給付しながら就業インセンティブを喚起するような措置は、積極的政策措置の色彩を強く帯びているものの失業給付に関する支出として消極的政策に分類される。こうした限界はあるが、OECDの分類に基づいて雇用関連の公的支出の内訳をみると、近年では、EU各国において、積極的政策支出シェアが高まっている(第2-2-17図)。
従来の雇用政策は、既に失業した者を対象として、職業訓練を施したり失業手当を支給するといった、いわば事後的で受動的な雇用政策に主眼があった。既に就業した者や若年者のエンプロイヤビリティのみならず、従来の消極的雇用政策の対象者である、現在失業している者についても同様にエンプロイヤビリティ向上は必要である。
EU諸国の多くは、失業者に占める長期失業者の割合が日米と比較しても非常に高く、構造失業の大きな要素となっている(前掲第2-2-10図)。長期失業発生の要因のひとつとしてしばしば指摘されるのが、いわゆる「失業のわな」の問題である。失業給付を受けることである程度の生活水準を実現した失業者は、就業インセンティブを阻害され、その失業状態に甘んじてしまうという現象がある。また、欧州では労働保護法制と高水準の最低賃金によって、若年者が労働市場に参入しにくく、かつ、一度失業すると失業期間が長期化しやすい。このような失業のわなによる長期失業者の発生は、社会保障支出を増大させることにより国家財政を圧迫することにもつながる。しかし、伝統的にEU諸国では手厚い失業給付を行う高福祉国家が多く、改善にはつながってこなかった。このようななか、欧州通貨統合の深化によりEU各国は厳しい財政規律を遵守する必要が生じ、社会保障支出の削減圧力が強くかかるようになった。失業のわなの解消については、OECD等の国際機関もEU各国に対して重ねて指摘してきた問題でもあり、近年では社会保障支出の見直しを進める国がある。
雇用関連の公的支出のうち、失業給付と早期退職勧奨措置に関する支出の和からなる消極的雇用政策支出をみると、多くの国でその伸びが抑制されている。特に、ドイツとイタリアでは、失業者一人当りの実質消極的雇用政策支出が大きく減少している(第2-2-18図)。
従来型の消極的雇用政策の見直しに加え、長期失業を解消するために就業インセンティブを与える積極的措置の重要性が高まっている。現在失業している者に対して、現在の労働市場で必要とされる技能習得を目的とした職業訓練を行うことによって失業の長期化を回避することが重要となる。そこで、失業状態にある者が技能習得のための職業訓練にどの程度参加しているのかをみると、多くの国で、職業訓練受講者のうちの10~20%を失業者が占めている(5)。
もちろん、積極的雇用政策への転換を促しているのは、「失業のわな」からの脱却が必要であることだけではない。企業内における雇用のミスマッチや、現在教育過程にある若年層の失業化といった課題は、従来型の消極的雇用政策では解決できないものであり、エンプロイヤビリティの向上を支援する積極的な雇用政策が必要だからである。なかでも、若年層のエンプロイヤビリティ向上のためには、学校から職場に円滑に移行できるよう、現在の労働市場のニーズに合致したスキルを学校で習得するような訓練機会を付与し、同時に現在の労働市場で必要とされるスキルを的確に把握するためにも政労使の対話を重視し相互理解を図ることが重要であろう。
(積極的雇用政策支出の推移)
積極的政策には、労働力の質の向上を目的とした職業訓練や雇用創出策、職業紹介などの政策が含まれる。雇用関連の公的支出全体のGDP比を比較すると、アメリカ、日本と比べて雇用関連支出そのものがEU各国では高い水準にある。また、そのうち積極的措置の占める割合も日米に比べて高く、さらに積極的措置のうち、雇用訓練や若年者対策などのエンプロイヤビリティ向上策のための支出割合が高い(第2-2-19図)。
積極的政策支出のGDP比の推移を詳しくみると、雇用政策の転換にもかかわらず、90年代以降、特にそのための支出規模が急激に拡大したというわけではない(第2-2-20図)。雇用政策については景気状況や政権の性格等に大きく依存しているため、その支出規模をもって政策の転換を跡づけることには難しい面がある。
(4)高まる職業訓練の重要性
欧州各国ではアメリカや日本と比較して、特に若年層の失業率が高く、また、失業者に占める長期失業者の割合が特段高くなっていることに、欧州労働市場の硬直性が現われている。
以下では、若年層や現在の就業者のエンプロイヤビリティを向上させることや長期失業を予防することを目的とした政策事例を概観する。
(職業訓練重視型:ドイツ、フランス、イタリア)
ドイツやフランス、イタリアでは、若年者や失業者に対する職業訓練を実施することを重視し、訓練を通じて直接エンプロイヤビリティを向上させようとしている。
ドイツでは、「デュアルシステム」という、職業学校における職業教育と、企業における職業訓練を組み合わせた制度が導入されている。この教育期間は通常16~19歳の3年または3年半である。デュアルシステムの訓練生は生徒であると同時に企業に雇用されているため、賃金が支給され社会保障制度の対象となる。また、訓練が実際の労働に沿ったものとなっているため、訓練から労働への移行がスムーズに行われるという利点がある。ドイツの若年層の失業率が他の年齢層よりも低いのはこの制度のためだという見方もある。
このほか、ドイツでは99年1月より、「若年失業者削減のための緊急プログラム」を実施している。これは、25歳以下の若年失業者に対し、雇用または職業訓練ポストを確保することを主目的とするものである。具体的には、養成訓練(企業と若年層の間で締結される訓練と実習を組み合わせた契約)に至らない若年者に、各種の職業準備訓練措置を施すことで適格段階まで引上げ、要請訓練契約の締結などを目指し、就職の機会を与えるものである。99年には約22万人がこのプログラムの適用となった。
このように、就業が困難な若年者に対して政府が訓練を施し、直接的に就業能力を向上させる例は、フランスやイタリアでもみられる(6)。
(就労インセンティブ型:イギリス、デンマーク)
イギリスやデンマークでは、職業訓練の実施と同時に、失業の長期化を予防するための就労インセンティブを喚起する政策を並行して実施する例がみられる。
イギリスでは、従来から、進学や就職の際には、「一般全国職業資格(GNVQ:General National Vocational Qualification)」や「全国職業資格(NVQ:National Vocational Qualification)」といった、一定の職業資格を取得していることが条件となっている。政府は、特にこうした資格を取得することが困難な者に対して、企業や各地の訓練機関における訓練やそのための助成を行っている。また、16~17歳を対象として、教育訓練のための費用を融資する制度もあり、自助努力の精神を養っている。
しかしながら、イギリスでは全体の失業率が著しく低下してきた一方で、若年失業率は依然高水準で推移している(7)。イギリス政府は、若年失業を解消するため、98年より「若年層のためのニューディール」対策を講じている。これは、6か月以上、失業給付申請を行っている全ての若年失業者(18~24歳)を対象としている。まず、「入口(Gateway)」において面接を受け、就労のためのアドバイスをもらいながら、最長4か月間、就職活動を行う。「ニューディール」を開始した98年1月から2000年7月までの間で、約11万人の若者が就職している。この間で就職できなかった者は、以下の4つのオプションを選択するか、自営として開業する道を選択できる。4つのオプションとは、(1)助成金付きの就職をする(企業に一定の助成金を支給)、(2)教育や訓練を受ける、(3)ボランティア団体で就労する、(4)環境保護活動に従事するという選択肢である。このオプションを拒否すれば、求職者給付の受給資格を失うことになる。
イギリス教育雇用省によれば、98年1月から2000年7月までの間、「ニューディール」に参加した者は約49万人にのぼり、そのうち、22%が助成金なしの就職を、7%が助成金付きではあるが就職している(第2-2-21表)。
「ニューディール」の効果を評価するには時期尚早であり、オプションの選択に関して、助成金付き就業というかたちで就職を促進するという改善の余地があるとの指摘もある(8)。しかしながら、職業訓練資格の取得を促進することでエンプロイヤビリティを高めると同時に、若年失業者の就労インセンティブを高めて失業の長期化を予防するというイギリスの手法は注目に値する。また、イギリス政府は「ニューディール」の成果を肯定的に評価し、対象を高齢者等に拡充し始めている。
デンマークの若年失業政策プログラムは、すべての若年失業者を対象とし、失業期間が6か月を経過すると、少なくとも18か月間、職業教育または特別なコースメニューに参加する権利と義務が生じる。この間は、失業給付よりもはるかに低い手当しか支給されないため、若年層の長期失業を防ぐ仕組みとなっている(9)。この結果、プログラムが適用されるときに失業状態のままでいたのはわずかに1/3であり、残りはプログラム期間に入る前に仕事を自力で探すか、普通の教育を受けることにより、長期失業に陥ることを防ぐことができたとしている(10)。措置の内容が頻繁に変更されたり、デンマーク経済の好調が続いていることから、本プログラムの効果を適確に把握することは困難ではあるが、若年失業の解消と長期化を予防する措置として注目に値する。
3 変化を始めたヨーロッパの労働市場
(1)制度の見直しの進捗
構造的な失業を抱えるなかで、労働時間の柔軟化やパートタイム労働の増加が観察される国があるなど、欧州の労働市場にも若干の変化がみられるようになっている。
(パートタイム労働の増加)
EU諸国においても、パートタイム労働に関する規制緩和や税制を見直す国が増えている。OECDは、ドイツで高齢者のパートタイム労働に関する規制が緩和されたことや、イタリアにおいて新たに労働市場に参入したパートタイム労働者に関する社会保障拠出金を軽減することにより雇用主へのインセンティブを付与したことなどの例を挙げ、パートタイム労働に関する規制緩和を積極的に評価している(11)。近年では多くのEU諸国においてパートタイム労働の比率が高まっている(第2-2-22図)。
(労働時間に関する規制)
労働時間に関する規制について、近年では、フランスやベルギー、スペイン、ギリシャ等において、労働時間の自由化を求める労働者と操業時間の延長を望む雇用者の間で締結する労働時間協定に関する規制を緩和し、より柔軟な労働時間設定を可能とする動きがみられる。同時に、ワークシェアリングを通じて雇用を増大させるという動きがフランスやベルギーでみられることも注目される。フランスでは法定労働時間を週39時間から35時間へと削減する法律が2000年2月から本格的に施行され(詳細は第1章第3節参照)、ベルギーでも同様の法案が検討されている。フランスの週35時間労働制の経済的効果について、雇用増大効果を重視する見方もある。一方、現行制度では、週当り労働時間の減少にともなって収入が減少しないよう補償することとなっており、単位労働コストの上昇によって、長期的には企業の競争力を阻害するとの懸念もある(12)。
(2)低下しはじめた構造失業率
足下の雇用情勢をみると、EU各国では、依然高水準ながらも失業率が低下するところが増加しており、EUレベルでの政策転換に関する取組が奏功し始めている可能性がある。OECDによる構造失業率の推計結果をみると、90年から98年の間にアイルランド、オランダ、イギリス、デンマーク、スペインにおいて低下している一方、ドイツ、フランス、イタリアでは上昇している。98年後半のアジア通貨危機・ロシア危機を契機に、EU経済は一時的な減速を経験したが、その間も多くの国において失業率の低下が続いたことから、構造的な失業率が低下してきている可能性がある。直近までのデータを用いて、構造失業率をNAIRU(Non-Accelerating Rate of Unemployment:インフレを加速させない失業率)によって推計すると、ユーロ圏、EU15か国の平均ともに97年以降低下してきている(第2-2-23図)。
国別では、イギリスやオランダが近年急激に構造失業率を低下させてきており、フランスにおいても緩やかに低下している可能性がある。一方、ドイツやイタリアでは、顕著な低下は今のところ観察されないものの、98年以降は横ばいまたは極めて緩やかに低下している。EUレベルでの雇用への取組は本格化したばかりであるが、構造失業率が低下に向かっていることは、その取組の実効性を示唆するものといえる。
- 1 ドイツ政府ニュースリリース"Emergency program to satisfy personnel needs in Germany's information technology sector"(2000年5月23日)より。
- 2 例えば、オランダはEU諸国のなかでも高成長と低失業を実現している国であるが、2000年9月には、失業長期化の防止や若年層の職業訓練教育の推進等を目的とした失業対策プログラムを実施するため、欧州委員会の構造基金(域内地域間格差是正のための基金)に支援を要請、2000年9月には今後7年間で17.5億ユーロの支援が承認された。
- 3 EUROSTAT"Statistics in focus, Minimum Wages in the European Union,1999 Now applied in 8 countries"(99年7月)
- 4 OECD "Economic surveys 2000 France"
- 5 欧州委員会のデータ(99年)によれば、各国の職業訓練受講者に占める失業者の割合は、スウェーデン35.4%、デンマーク27.5%、ルクセンブルグ23.3%、スペイン20.8%、ドイツ18.4%、フィンランド16.6%、オランダ16.4%、オーストリア15.1%、イタリア13.2%、ベルギー12.4%、アイルランド10.0%、ポルトガル7.4%、イギリス7.4%、フランス3.1%となっている。
- 6 フランスでは、「就職困難若年者の就職への道のりプログラム(TRACE)」によって、16~25歳の就職困難な若年層に対して、個人に応じたプログラム(職業訓練、研修、助成雇用など)を提供している。イタリアでは「若年者のための職業編入計画」によって、18~32歳以下の若年者に、職業訓練などを通じて個人の能力の向上を図ることとしている。具体的には、低学歴者の能力向上を目的とした職業訓練への支援、高い専門性を持つ職種につき労働実務を経験させることへの支援などである。
- 7 OECD基準では、イギリスの失業率は96年8.2%から99年6.1%と低下した一方、16~24歳の若年失業率は96年14.7%、99年12.3%と高水準で推移している(OECD "Employment Outlook 2000")。
- 8 OECD "Economic Surveys 1999 United Kingdom"
- 9 従来は、失業状態にある25歳以下の者で失業給付を受給する資格があり公式な職業訓練や教育を受けていない者を対象としていたが、99年1月よりすべての若者失業者が対象となった。
- 10 欧州委員会経済・金融総局及び雇用・社会問題総局"Joint economic report 1998"では、これを「motivation effect」と評価している。
- 11 OECD "Implementing the OECD Jobs Strategy :Assessing Performance and Policy"
- 12 OECD "Economic Surveys France"(1998年版、2000年版)、"Implementing the OECD Jobs Strategy: Assessing Performance and Policy"
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