第2節 企業内システムと技術開発
前節でみたように,我が国の技術水準は年々高まっている。特に,応用技術をもとにした製品開発力や製造技術は,国際的にみても極めて高い水準にあり,我が国経済の成長に大きく貢献している。こうした成果の要因として前節では研究開発や成長率の高さや投資率の高さなどを指摘した。しかし,技術進歩や生産性向上のためにはこれらの要素を高めさえすればよいというものではない。
これらは必要条件である。十分条件を満たすものとして注目されるのが,我が国企業のうち成功した企業に多くみられる人事,組織等の仕組みや,経営戦略等の行動様式,さらに取引等の企業間関係の在り方である。従来これらは「日本的経営」や「日本的取引慣行」の名のもとに我が国固有の社会的,歴史的な背景から論じられることが多かったが,ここでは,こうした我が国企業に多くみられる組織及び行動様式は実は,我が国だけでなく世界的にも優秀な企業はすでに用いているという意味で客観性や合理性をもっているのではないか,という観点から分析を試みる。本節ではまず企業内におけるシステムを検討し,次節では企業間におけるそれを検討した後,これらを合わせた我が国の企業システム全休について,第4節で評価を試みる。
1. 企業内の情報のシステム
(技術開発と情報のシステム)
技術開発は企業内のどこで行われるか。まず最初に挙げられるのは,研究所等の専門研究施設であろう。そこでは,高度の専門知識をもった研究者が,研究や開発に専門的に取り組んでいる。しかしながら,新しい技術はごうした専門の研究施設のなかだけで生み出されるわけではなく,しばしば実際の生産の現場での試行錯誤のなかでも生み出される。また,企業にとって新しい技術開発のきっかけとなるニーズやアイデアは,設計,生産,営業など企業内のあらゆる組織をはじめ,取引先等の他企業,一般消費者等社外からももたらされることが多い。
上記の2通りの技術開発の方法を比較してみると,まず研究活動を研究施設に集中させる方法は,専門化,ないし分業の利益を発揮させやすい方法といえる。研究の目標やそのための手段が比較的はっきりしている場合,それに必要な資源や情報を一か所に集中させることは,能率を高める。いわゆる基礎研究については,こうした手法が適しているといえよう。
一方,応用研究,新製品開発,生産技術については,専門の研究施設内だけで行うには困難が伴う。これらの研究,開発に必要な情報や資源は,設計,生産,営業等,企業内の各セクションや,顧客等社外にまで分散しており,それらをすべて研究施設に集めるのは大変であり,また効率的とはいえない。実際には,企業内の営業セクションや顧客から直接もたらされる情報を生かしつつ,設計や生産等の部門(またはそれを代表する担当者)毎に関連する部分を分担するかたちとなるのが一般的であろう。
したがって,企業にとって,応用研究,新製品開発,生産技術開発等を成功させるためには,関連する企業内外の各セクターの間で密接なコミュニケーションが行われ,必要な情報が自由に流れることが極めて重要である。とりわけ,フォーマルな「縦」の命令系統とは異なるインフォーマルな「横」の情報の流れが重要である。企業内の各組織がフォーマルな命令系統のみで情報交換をしようとすると,お互いの共通の上司を一々通さなくてはならず,極めて非効率的となる。特に,製造現場や営業関係の場合,組織の最前線の人が技術革新にとって重要な情報を持っていることが多い。こうした情報が速やかに開発に生かされるためには,フォーマルな命令系統を通じない担当者レベルでの交流が必要である。
なお,上記の情報の「横」の流れについては,企業内の各セクション間だけでなく,それぞれの各セクション内部においても重要である。この点に関しては,生産技術における技術開発が,生産現場における細かい情報のやりとりや,連携によって達成されることからもわかる。例えば,製造現場における担当者がグループを作ることにより,作業の連携,合理化が可能になり,コストダウンにつながる。また,工程間で生産予定について密接な情報交換が行われると「必要なものが,必要なとき,必要なだけ生産される」方式(いわゆるジャスト・イン・タイム方式)が確立され,工程間の中間在庫が大幅に圧縮され,コストが著しく低下する。
ところで,近年,こうした企業内及び企業間における情報の流れの構造の違いが,一段と重要性を増している。これは所得の上昇に伴い,人々の欲求が多様化し,製品差別化が一段と進んでいることに加え,製品自体のライフサイクルが短期化していることから,短期の開発期間で,バラエテイに富み,顧客の嗜好の変化を的確に掴んだ製品を開発することの重要性が一段と強まっているからである。このような状況に対応するためには,開発セクションが設計,生産,営業等の各セクションや顧客等から如何に速やかに的確な情報を集めることができるかが,企業の業績を大きく左右することになる。また,生産現場においては,多品種少量生産や頻繁な様式の変更に対応するために細かい連携が一段と重要になってきている。
(我が国企業の情報のシステム)
さて,こうした情報の「横」の流れに代表される企業内の多角的な情報の流れにおいて,我が国企業は,一般に外国企業に比べて発達している面があるといわれている。なぜこうした傾向がみられるかについては,本節および次節で我が国の企業システム全般の多角的な検討を通じて詳しくみるとして,ここでは,まず,我が国企業が企業内の情報の流れについてどのような特徴を一般的に持っているかについて,主としてアメリカとの比較でみたあと,それがどのように技術開発に結びついているかを示してみよう。無論,議論をより厳密にするためには,アメリカ以外の諸国や,日米それぞれのなかでの企業間の差等も問題にするべきであるが,ここでは主として日米における平均的な姿を比較することによって,我が国により多くみられる点を浮かびあがらせる。この考え方は本章の以下の部分に共通のものである。
まず,企業内部の情報の流れであるが,社内で情報ネットワークが主としてどの様な手段によって形成されているかを日米企業について比較してみよう(第2-2-1図①)。ここでは,社内の情報ネットワークを「人間系ネットワーク」と「機械系ネットワーク」に大別して考える。前者は人と人との対面的情報交換を中心とする会議,文書などを指し,後者はマイクロエレクトロニクスの高度な技術やソフトウェア技術などに裏付けられたPOS(販売時点情報管理),VAN(付加価値通信網),LAN(構内情報通信網)などを指すものとする。ただし,2つの系は対立する概念ではなく,相互補完し,ダイナミックな相互作用を通じて成り立つものである。以上の観点からみると,アメリカ企業が相対的に機械系ネットワークをより多く取り入れているのに対し,日本企業では,併せて人間系ネットワークをも活用していることがわかる。これは,日本企業がより人的で定型化されない情報の交換を可能とするシステムを持っている可能性を示唆している。
次に,新事業,新商品開発のためにどの様な情報収集を行っているかを,やはり日米企業についてみてみると(第2-2-1図②),日本企業は,アメリカ企業に比べ,営業担当者からの口頭,文書,会議等による情報入手や,商品企画,営業企画等の専門担当部門からの情報を重視する傾向が強く,情報のシステムの活用に際して,営業現場の人間等のネットワークを重視していこうとしていると推察される。
(情報のシステムと技術開発の成果)
さらに,具体的な技術開発の成果との関連でみると(第2-2-2図),アメリカ企業の方が,研究開発プロジェクトに関する提案が開発部門内から来る割合が高く,逆に言えば,日本企業の方が,開発部門以外のマーケッティング,製造部門や顧客から得られる比率が高い。特に電気機械においては日米の対比が鮮明になっている。これは,冒頭に述べた技術開発の2通りの方法のうち,アメリカの方が,より研究施設内の技術開発に比重がかかっている一方,日本の方が,営業,製造等の社内の他部門や顧客からの情報を生かしつつ,技術開発が行われていることを示唆している。
このような,多角的な情報を利用した技術開発における日本の優位は,製品開発における成果の違いとなってあらわれているであろうか。この点に関してマクロ的な観点から定量的な評価を下すのは難しいが,個別産業や企業においては,この点が製品開発における成功と関連が深いという指摘は多い。例えば,自動車産業において,日本企業がアメリカ,ヨーロッパ企業に比べ,平均開発期間が3割程度短い(最初の構想段階から実際の発売まで日本企業が平均43か月,アメリカ及びヨーロッパ企業がともに62か月)といった指摘がある。しかも日本車が平均4年程度でフルモデルチェンジされるのにたいし,アメリカ車,のそれは8~10年であるごとを考えあわせると,日本企業の製品開発におけるパフォーマンスの高さが目立つ(第2-2-3図)。
そこで,こうしたことが生じた背景をうかがうと,まず,研究費支出(生産1台当たり)については,主要企業について,1981年,85年にそれぞれ日本(4社平均,319ドル,462ドル),アメリカ(3社平均,464ドル,593ドル),ヨーロッパ(81年は3社,85年は4社平均,472ドル,523ドル)間にそれほど差がない。一方,研究開発の成果をアメリカ国内における自動車技術特許件数でみると,81年,85年にそれぞれ日本(3社平均,180件,315件),アメリカ(3社平均,155件,165件),ヨーロッパ(2社平均,65件,60件)と日本の上昇が目立っている。これは,研究費を効果的に具体的な技術開発に結びつけるという点で,我が国が相対的に優れていることを示している。開発過程における関連部門問および部門内の密接な連携は,こうした成功の有力な原因の1つとみられる。これに関連して,我が国企業のパフォーマンスの高さのより具体的背景として,①部門を越えた強い権限を持つ開発責任者の存在,②開発に関係する各部門の様々な対立を開発の初期段階において表面化させ,解決していること,③開発に関わる各部門が同時進行的に作業を進めていること,なども指摘されている。
以上みたように,我が国企業は,一般的に見て,「横」の情報の流れに代表される多角的な情報の流れにおいて,外国企業に比べ発達している面がある。
こうした情報の多角的な流れは,技術が高度化し,製品差別化が進み,また商品のライフサイクルが短期化している近年の状況のもとでは,上記の自動車産業の例のみならず,幅広い産業で技術革新や製品開発力の高さにある程度貢献しているとみられる。こうしたシステムが必ずしも我が国特有ではなく,一定の普遍性をもっていることについては,海外において,こうした情報の多角的な流れを利用して成功している企業が存在することからもわかる。例えば,アメリカにおいて,航空機,自動車,コピー等の産業で,最近,技術開発の初期段階から,設計,製造,マーケッティングなどのメンバーを参加させ,開発期間の短縮や,より的確な市場ニーズの反映に成功している事例が指摘されている。また,アメリカにおける鉄鋼業(電炉)においても,市場のニーズを的確に掴んで素早く商品構成を見直して成功している事例が報告されている。その意味で,こうした情報の流れは,単に我が国企業に多くみられるというのに止まらず,経済的合理性をもった客観的なシステムと位置づけることができよう。
2. 雇用慣行と技術開発
雇用慣行も,企業の技術開発に大きな影響を及ぼす。そこで,まず,雇用慣行について我が国に多くみられる点について概観し,それが技術開発にどの様な影響を及ぼしているかについて検討する。続いてこの様な雇用慣行が,企業の構造転換,特に1985年のプラザ合意以降の円高に直面した企業の内需シフト等の対応において,どの様な影響を及ぼしたかをみることにする。無論,雇用慣行自体,企業の合理性の追求の結果生まれたものであり,経済環境が変化すれば,それに応じて変わっていく性質のものである。しかし,目下のところ,海外諸国との比較において,我が国に相対的に多く存在する慣行がある。
我が国に多くみられる雇用慣行として主張される代表的なものは,①終身雇用,②年功賃金,③企業別労働組合の3つである。以下では順にその概要をみてみよう。
(終身雇用)
一般に我が国で終身雇用とよばれる雇用慣行は,言葉の厳密な意味での「終身」雇用ではない。労働者は平均的にみて,学校卒業後複数の企業で働き,定年年齢に達すれば,原則的には退職するからである。しかし,我が国労働者が国際的にみて同一企業における平均的な雇用期間が長く,また転職回数が少ないことは事実である。以下では,終身雇用という言葉を,上記の意味での長期的雇用慣行をさしているものと考えて,その実態を概観してみよう。
まず,平均的な雇用期間を国際比較してみよう (第2-2-4図①)。データの制約から計測時点に差があるなど,厳密な比較は難しいが,日本の平均的勤続年数は,1987年現在で約14.4年で,西ドイツ(78年現在)の10.0年,フランス(同)の9.5年,アメリカ(83年現在)の7.2年をいずれも上回っており,少なくとも先進諸国のなかで長い部類に入ることは間違いなさそうである。一方,勤続年数別労働者構成を日米比較してみると(第2-2-4図②),日本(1987年現在)では勤続20年以上の労働者が約2割(20.9%)いるなど,10年以上の勤続者が半数近く(45.0%)を占めているのに対し,アメリカ(1983年現在)では勤続5年以下の労働者が約6割(60.4%)に達している。もっとも,日本においても,近年,若年層を中心に転職率が上昇しており,日本と他国との勤続年数の差も,ごく最近では,上記の結果より縮小している可能性がある。しかし,こうした点を割り引いても,日本における平均的な勤続年数は先進諸国間において長い方であるとみられる。
(年功賃金)
年齢別の賃金について国際比較をする場合も,データの制約から厳密な比較は難しい。入手可能な最新データをとっても,計測時点にかなり差があり,注意を要するが,この点を踏まえたうえで,まず,生産労働者について賃金の年齢別格差をみると,各国ともに年齢とともに賃金が上昇する傾向があるが,そのなかで,日本の場合,諸外国に比べ,年齢による傾斜がきついうえに比較的高年齢まで上昇する傾向が特徴的である(第2-2-5図①)。また,職員(管理,事務,技術労働者の合計)についてみると(第2-2-5図②),日本においても,海外諸国においても,年齢による上昇カーブの勾配が生産労働者の場合に比べきつくなるが,日本の特徴は,20代から30代前半ぐらいまでの上昇が小さい一方,40代後半から50代前半にかけての上昇が大きく,国際比較のなかでは生産労働者同様,比較的高年齢まで上昇する傾向がみられる。
このように年齢とともに賃金が上昇する傾向を示す要因としては,ひとつには年齢とともにある程度熟練度等が増すことが指摘できる。無論,このことは,給与が年齢のみによって一律に規定されることは意味しない。実際には,年齢や勤続年数に加え,職務や資格,さらに各種の手当て等が組み合わされることが多く,その際のウェイトづけも企業により様々である。それでも,①年齢によって賃金が上昇する傾向が相対的に強いこと,②加えて,給与が,諸外国において多くみられるように,主として職種別に規定されるのではなく,同一企業内においては,職種を越えて統一的に規定されていることが多いこと,の二つは我が国企業に多くみられる点である。
(企業別労働組合)
まず,労働組合の組織率を国際比較してみよう。日本の1989年における労働組合の推定組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は,25.9%と,イギリス(88年,45.9%),西ドイツ(88年,40.9%)より低いが,アメリカ(89年,16.4%)を上回っている。しかしながら,日本の場合,形態別にみると,企業別の労働組合の比率が欧米諸国に比べて圧倒的に高いというのが大きな特徴である。労働省「労働組合基礎調査」(88年)により日本の労働組合の組織形態別構成比をみると(単一労働組合ベース),88年現在,組合数でみて企業別組織が94.9%と大部分を占めているのに対し,職業別組織(2.0%),産業別組織(1.6%)は少ない。一方,欧米諸国について,調査方法は異なるが,労働省「海外労働事情調査結果報告書」(87年度)によりみてみよう。これによると,企業に対するアンケート調査で,「交渉する労働組合の形態」を聞いた結果,企業別労働組合,職種別労働組合,産業別労働組合がそれぞれアメリ力において2.6%,13.4%,23.3%,同西ドイツ7.9%,13.2%,13.2%,同フランス23.6%,16.8%,11.6%(労働組合と交渉しない企業があるので合計は100%を下回る)となっている。調査方法が異なる等のため,厳密な比較は困難であるが,少なくとも欧米諸国においては日本のように企業別労働組合が大部分を占めるという状況ではないと推察される。
(企業内移動と内部昇進制)
以上の3つの雇用慣行は,さらに,①職種を越えた企業内部門間移動,②内部昇進制,といった我が国企業によくみられる人事慣行とも密接な関係がある。
長期的雇用を前提とした場合,いったん採用した雇用者は企業内に「固定」され,企業の環境変化等への対応のフレキシビリティを奪いかねないとも考えられるが,このような制約は,雇用者の企業内における移動を活発に行うことにより,ある程度緩和される。その際,賃金体系が職種によって規定されるのではなく,年齢やその他の側面を考慮して企業内である程度一律に規定されていることがこうした移動を雇用者が受け入れるための条件となる。また,職種別労働組合に比べ,企業別労働組合の場合,同一企業に止まるかぎり,職種間の移動を受入れやすい面があるといえよう。
このように,我が国企業は,職種を越えた企業内移動を活発に行っている。
例えば,労働省「昭和62年雇用管理調査報告」によれば,86年1年間で,全労働者の3.8%が配置転換され,なかでも従業員5千人以上の大企業では,13.5%が配置転換された。また,1986年の同調査によれば,若年労働者の配置転換方針について,「ある程度決まった方針がある」としている企業のうちで,最初に担当した業務に必ずしもこだわらず,「幅広い分野にわたって配置転換を行う」とする企業の割合が,高卒事務職について12.9%,高卒現業職で20.4%,大卒事務職で28.6%,大卒技術職で23.0%に達している。また,労働省「昭和63年産業労働事情調査」によれば,新設再編成部門への配置転換や撤退・縮小部門からの配置転換を実施した企業のうち,配転にともなう職種転換をなんらかのかたちで実施した企業の割合は37.9%となっており,職種を越えた幅広い移動が雇用全体についてある程度みられることを示唆している。
また,日本企業において,例えばアメリカ企業に比べ,内部昇進の比率が高いといった調査結果があるが(第2-2-6図),これも長期雇用を前提として成り立つものであることはいうまでもないであろう。
(雇用慣行と技術開発力)
ところで,こうした我が国の雇用慣行は,企業の技術革新,技術開発力と密接な関係がある。
それは以下の理由による。①長期の雇用が保証されることにより,新技術導入に対する抵抗が小さくなる。②前記①とも関淳するが,新技術導入が容易になり,また配転などもしやすくなる結果,企業として新規分野への進出が相対的にしやすくなる。③長期雇用を前提に,雇用者が,一般的に通用する技術に加え,勤務先である特定企業で有用な技術をも身につけようといったインセンティヴが強まる。また雇用主の方も,職種別に「即戦力」を採用する場合と違って,職務経験のない新卒者の採用が多く,教育訓練に対するニーズが強まる。
加えて,教育訓練をしてもその費用をとりもどす前に辞められてしまう心配が少ないと考えられることから,企業側で訓練費を負担してでも教育訓練を行う意欲が強まる。この結果,研究開発に必要な教育訓練に対するインセンティヴが労使ともに強くなる。④雇用者が企業内で幅広く移動することにより,幅広い能力を持った人材が養成される。⑤上に述べたことすべてと関連するが,雇用者と企業の関係が長期的となることから,あらゆる面で長期的な視点に立った行動がとりやすくなり,短期的には効果の期待できない研究開発に関連する投資(企業内の教育訓練もこの観点からみれば一種の投資である)が促進される。特に,内部昇進制は,管理職や経営者を含めた従業員全体に,長期的な視点に立って企業を成長させようという誘因を与えることになる。
このうち③以下の点については後ほど順にみることにして,ここでは,①,②に関連して,プラザ合意以降の円高に対応した企業の製品多角化や内需シフト等の事業転換や異業種への進出について,こうした雇用面での慣行がどの様な影響を持った可能性があるかについてみてみよう。
まず,1985年のプラザ合意以降の円高に対応しての企業行動についてみると,製造業全体の4分の1から3分の1の企業が,国内における既存事業分野での製品の多角化,異業種への進出,事業転換等の新たな事業展開実施について,円高がその契機もしくは計画を早める要因になったと答えている(第2-2-7表①)。また,こうした新たな事業展開において,そのための人材・労働力がどのように調達されたかをみると,企業別の実施割合でみて,新規学卒の採用や中途採用の比率も高いものの,最も実施率が高いのは配置転換である(第2-2-7表②)。特に,事業転換においては,全体の7割強の企業が配置転換を実施しており,配置転換への依存度が大きい。
もちろん,このような雇用面での対応が全くスムーズに行われたがというと決してそうではなく,例えば,労働省「昭和62年産業労働事情調査結果報告書」によれば,こうした円高に直面した85年9月以降87年8月までの2年間で,希望退職者の募集や解雇を実施した企業は製造業全体の12.3%に達し,特に高齢者の再就職について困難をともなった。しかし,我が国の雇用慣行に,弾力的な配置転換を容易にする側面があり,これが企業の新たな環境に直面した際のダイナミックな対応をより容易にしたといってよいであろう。
3. 教育,職業訓練と技術開発
我が国企業の企業内教育,訓練の状況をみると,まず,大企業を中心に,大部分の企業がなんらかのかたちで教育訓練を実施しており,また時系列的にみても,その比率は年を追って増加している(第2-2-8図①)。企業で重視されている教育訓練の内容をみると,大企業を中心にOJT(On the Job Training,就業中の教育訓練)等社内におけるものの比率が高く,逆に社外への委託や自己啓発への援助は,かなりの企業で重視されているものの,相対的には少ない。この点については,新卒であっても中途採用であっても,また,職種によっても,さほど大きな違いはない。しいていえば,管理職においては,Off-JT(Off the Job Training,仕事を一時的にはなれて行われる教育訓練)を重視する比率が高く,なかでも企業外の教育訓練を重視する比率が高い。これには管理職訓練が他の職種に比べOJTになじみにくい内容であるとともに,特に中小企業ではこうした面でのノウハウ等が不足していることが影響していると思われる(第2-2-8図②)。
それでは,企業はどういった目的をもって教育訓練を行っているのかをみてみよう。労働省「昭和59年雇用管理調査」によれば,教育訓練での重視目的(回答企業割合,2つ以内の重複回答)として,全産業ベースで,「通常業務のレベルアップ」(59.0%)をあげる先が一番多いが,「品質,サービスの改善」(27.3%),さらに「新技術・設備の導入に伴うもの」(23.3%),「新製品(商品)の生産,販売に伴うもの」(22.1%)といった技術開発関連を挙げる企業の割合も高い。特に製造業については,やはり「通常業務のレベルアップ」(51.1%)を挙げる先が一番多いものの,最後の2つを挙げる先が多い点が特徴的である(各々34.9%,28.3%)。前項で,我が国に多くみられる長期的雇用等の慣行が,労使双方に教育訓練に対する選好を強める作用があることを指摘したが,現実にも企業がこういったことを重視して教育訓練を行っていることがわかる。
それでは,企業の教育訓練と技術開発パフォーマンスとの関係はどのようなものであろうか。この点については,直接的な立証は難しいが,企業の教育訓練費支出と研究開発活動の間には緩やかな正の相関関係がみられる(第2-2-9図)。これには,技術進歩に伴い,新技術の導入に対応するための教育訓練がより多く必要であるといった側面と,こうした活発な教育訓練が,技術開発の活発化につながるといった側面の,両方向め因果関係が作用しているものと思われる。さらに,すでにみたように,プラザ合意以降の円高の局面で,我が国企業が既存事業分野での製品の多角化,異業種への進出,事業転換等の新たな事業展開を進めるにあたって,配置転換等を弾力的に進めることができた点が効果があったとみられるが,こうした弾力的な対応が可能であった背景には,企業内の継続的な教育訓練により,労働者が幅広い応用力をつけていることがひとつの背景となったとみられる。たとえば,労働省「昭和63年産業労働事情調査」によれば,配置転換を実施した企業のうち80.3%が,その理由として,労働者の既存の技術・知識で新分野への応用が可能であった点を指摘している。
ところで,国際的にみて,日本企業の教育訓練はどういった特徴をもっているであろうか。この点に関しては,日本企業の場合,欧米諸国に比較して,現在雇用者が就いている特定の職種における技能の水準を引き上げるというよりも,より長期的な人的資本への投資といった考え方に立ち,企業内の幅広い部署において,長期に渡って通用するような幅広い能力を向上させることに重点を置いているといった指摘がある。この点を自動車産業について国際比較したのが第2-2-10表である。これによれば,日本企業は欧米企業に比較して複数の職種に対応する訓練が指向されている。また,アメリカと比較すると,上記の点に加え,監督者としての訓練や理論的なレベルでの訓練が重視されているように窺われる。サンプル数が少ないので解釈には注意が必要であるが,以上の調査結果は,上述の欧米企業と比較した我が国企業の重点の置き方に関する指摘と一応整合的である。
このように,我が国企業においては企業内における教育訓練が重視され,またそれが企業内の人事のローテーションとも組み合わされて,系統的かつ広い分野に渡って継続的に行われている場合が多い。このような仕組みは,技術が高度化し,製品差別化が進み,また商品のライフサイクルが短期化している近年の状況のもとでは,経済的合理性をもっていると言えよう。なぜなら,企業内では,より実戦的で最新の必要に応じた訓練を継続的に行うことができるからである。また,人事のローテーションと組み合わされたOJTは,単なる特定の「作業」の習熟のみならず,関連する作業に関する理解を通じて,より応用力のある人材の養成につながる。さらに,継続的な教育訓練や配転は,労働者自身の学習能力を高め,これが新技術等を導入する際にそれを円滑にする面も見逃せない。
もちろん,こうした教育訓練にはコストがかかり,また頻繁な配転は作業の能率を落とす面もある。しかし,前述のような早い技術革新のもとでの多品種少量生産といった環境のもとでは,こうした教育訓練のメリットの方が,より強く現れるとみられる。現に,海外において,電子機械等の一部の大企業で,こうした側面に着目して,大規模で計画的な企業内教育訓練を行っている事例がみられる。
このように,技術開発力や産業の国際競争力と,教育訓練の関連の重要性に関する認識は,近年世界的に高まっている。ここでは企業内教育訓練にもっぱら着目してきたが,それ以外の学校教育等も極めて重要であることは言うまでもない。例えば,1990年の米国の大統領教書が,同国の直面する最重要課題のひとつとして教育の改善を挙げ,そのなかで労働者の訓練と教育の重要性を,経済競争力を維持するといった見地から力説している点が注目される。
4. 企業内研究体制と技術開発
(研究費)
次に,企業の研究開発に取り組む体制がどのようになっているかをみると,まず,研究費については,全体的な動向については第1節でも触れたが,資金負担の観点と併せてみると,まず支出面でのウェイトは,日本も諸外国も民間のウェイトが6割から7割程度で,大きな差は無い(第2-2-11図①)。一方負担面をみると,日本は7割以上が民間負担で,諸外国に比べかなり高い。諸外国においては,政府が民間部門の研究をかなり支援しているのに対し,日本の民間部門は,研究開発活動に積極的に対応しているだけでなく,研究資金も自己負担で賄っていることがわかる。次に,研究費を基礎的なものと応用的なものに分けてみると,我が国の基礎的な研究の比率は応用的な研究の比率に比べ依然として低い水準で推移しているものの,最近時点において諸外国と比較すると,フランス,西ドイツには及ばないものの,イギリスを上回り,アメリカとほぼ同程度になっている(第2-2-11図②)。
以上から,一部にみられる「日本の研究開発が政府の強い援助のもと,応用・製品開発に偏ったかたちでおこなわれている」といった見方は,根拠の乏しいものといえよう。もっとも,企業の狭義の研究費支出パターンに,海外企業に比し,大きな差がみられないといっても,研究開発体制全般について,日本企業と海外企業との間に,一般的にみて差が認められないというのでは無論ない。すでに本節でみてきたように,日本企業は,企業内の情報の多角的な流れを研究開発活動に生かす傾向があり,狭義の研究開発部門以外の部門での活動が,新製品開発に生かされている。日本企業がこうした側面を持つことについては,通商産業省「日米欧企業行動比較調査(90年2月)」(在日外資系企業および欧米に子会社を有する日本企業を対象にアンケートを実施)において,「研究開発に関する戦略として何を重視するか」といった点について,日本企業,アメリカ系企業,ヨーロッパ系企業いずれにおいても「新製品の開発」(回答企業割合,各々34%,33%,32%)が一番重視されているながで,日本企業が相対的に「新しい製造工法の開発・工程の改善」を挙げる比率が高く(同26%,21%,18%),製造技術の開発,改善を相対的に重視しているとの結果が得られていることからもわかる。
(研究開発をになう人的な体制)
次に,研究開発をになう人的な体制がどのようになっているかをみると,まず,技術者の配置であるが,雇用職業総合研究所「技術革新下における企業戦略と技術開発人材の採用と配置」(85年1月調査)により,大卒理工系従業員の部門別配置割合をみると,製造業全体で,研究部門(19.4%),開発部門(27.5%)は当然として,製造部門にもがなり手厚く配置されている(28.2%)。素材,加工別にみると,素材では相対的に研究部門(生産財製造企業(鉄鋼,化学等)22.6%,消費財製造企業(食品,衣服等)22.8%),製造部門(同32.8%,35.4%)に手厚く配置される一方,開発部門が少なくなっており(同18.7%,13.6%),加工では開発部門(同36.5%,37.8%)に相対的に手厚く配置されている一方,研究部門(同15.9%,16.6%),製造部門(同21.3%,24.8%)は少なくなっている。これは,素材においては加工ほど製品差別化が進んでいない一方,製造面では大規模な装置産業が多く,こうした点の影響が出ているものと思われる。次に技術者の交流であるが,我が国企業においては,技術者の各部門間の交流が極めて活発である。加工組立型産業について技術者の交流状況をみると,研究,開発はもちろんのこと,製造,営業,さらに企業の外まで短期,長期併せてかなり活発な交流が行われており,これがすでに述べた「横」の情報の流れを通じて,活発な技術開発につながっているものとみられる(第2-2-12図①)。こうした技術者の交流に関し,国際比較をしてみよう。日英の技術者へのアンケート調査で,研究開発プロジェクトのチームのメンバー構成を比較すると(第2-2-12図②),研究,開発,いずれの部門でも,概して日本のプロジェクトの方が,社内の他部門のメンバーを含むことが多いが,特に開発についてはその差が大きく,社内の他の研究所や製造部門との活発な連携が,我が国のひとつの特徴となっていることが推察される。
続いて技術者の移動の状況であるが,我が国においては,かなりの割合の技術者が部門を超えた移動経験をもっており,しかも狭義の技術部門の枠を超えた移動が活発に行われていることが注目される(第2-2-13図①)。この点に関しても,日英の技術者についてアンケート調査により比較してみると(第2-2-13図②),技術者の配属分野別には,研究分野の技術者についても,開発・設計分野の技術者についても,異分野への移動の可能性があると答えた技術者の割合は,日本の方がイギリスに比べ高くなっているが,特に開発・設計分野の技術者についてその差が著しく,設計,.生産技術等の分野と,開発・設計分野との間のローテーションがに本の方で際立っていることが推察される。
加えて,我が国企業の技術開発を考える場合,生産現場の技能労働者の役割も無視できない。まず,技能労働者の研究,開発部門への移動状況を,雇用職業総合研究所「技術革新下における企業戦略と技術開発人材の採用と配置」(85年1月調査)によりみると,製造業全体で,研究部門への技能労働者の移動が「かなりある」とする企業が5.2%,「少しある」とする企業が31.3%と,それほど多くないが,開発部門への移動は,同じベースで「かなりある」が7.8%,「少しある」が44.3%と,約半数の企業がこうした移動を行っていると答えている。また,小集団活動(職場に少人数のグループを作り,グループが自主的に業務に関連する目標や計画を立てて実行していく活動)の実施状況を,労働省「平成元年労使コミュニケーション調査」によりみると,全休の52.1%の企業において,何らかのかたちで小集団活動が実施されており,これが製造現場における技術開発に果たしている役割は大きいとみられる。すでに,我が国企業の技術開発において,製造現場に起因するものがかなり多いことをみた。
これらのなかには,現場の技術者だけでなく技能者の貢献している部分がかなり多く含まれているものとみられる。
以上の企業内の人的体制にも,我が国企業に多くみられる,企業内の情報の多角的な流れを重視し,研究開発における狭義の研究開発部門以外を活用する姿勢が表れているとみられる。逆に言えば,こうした人的体制が,上記のような我が国企業に多くみられる性質を支えているとみることもできるであろう。
5. 経営のシステムと技術開発
最後に,企業全体の組織構造や経営姿勢について,我が国に多くみられる点と,その技術開発との関連をみてみよう。
まず,企業組織のありかたとして,大きく2通りに分けてみよう。1つは,階層的で堅固な組織構造であり,もう1つは,より水平的で柔軟な組織構造である。前者の場合は,各セクションの役割分担がはっきりしており,それらは統一的な命令系統のもとに統率され,ピラミッド型の組織を形作る。これに対し後者の場合は,各セクションの大まかな分担は決まっているものの,必要に応じて相互に協力するなど柔軟な対応が可能であり,また命令系統もより短く,かつ下部への権限委譲が進んでいる。
(組織構造と経営目標)
我が国企業の組織構造をみると,一般に権限の組織の上部への集中度は比較的小さく,「現場」の権限が相対的に強いとみられ(第2-2-14図①)上記の後者のパターンに近いとみられる。また各ポストの権限の境界も緩やかで,弾力的な対応が可能になっているとみられる(第2-2-14図②)。この点がまさしく本節冒頭でふれた我が国企業に多くみられる「横」の情報伝達に代表される多角的な情報の流れにおける相対的優位性,したがってそれを背景とする特に応用分野における技術開発力,製品開発力の国際的にみた強さの有力な背景となっているとみられる。
次に,企業の経営目標といった観点からみてみよう。日本企業及びアメリカ企業の経営目標,経営戦略等をみると,(第2-2-14図③),経営目標として日本企業が,新製品比率,市場占有率等についてアメリカ企業より重視しているのに対し,アメリカ企業は,投資収益率,株価の上昇等の項目について日本企業よりかなり重視している。
こうした日米企業の目標の違いについては種々な捉え方があるだろうが,一般的に長期間の投資の収益率をはじくことが難しく,また株式市場が比較的短期の企業業績を反映しやすい(この点は特にアメリカ市場において著しい可能性があることを後ほど示す)ことを考えると,アメリカ企業の方がどちらかといえば短期の業績を重視しているとの見方もできそうである。これに対し,日本企業の重視する目標は,どちらかというと,短期の収益よりも,長期的な収益や成長に関連しているようにみえる。この点は次の点からも裏付けられる。
すなわち,通産省「日米の企業行動比較」(88年1月調査)によれば,新規事業に進出する際の採算に関する考え方をみると,半数近く(47.1%)のアメリカ企業が「当初から水準以上の利益見込みがなければその事業には進出しない」としている一方,日本企業の方は,中長期的にみて当該企業の平均利益率以上の利益が見込めるか,あるいは損失見込みがなければ,90.0%の企業がその事業に進出すると答えている。
(経営における長期的視点とその背景)
こうした我が国企業の長期的な視点は,いかにして可能になるのであろうか。
ここでは,①株主の性質,②すでにみた我が国に多くみられる雇用慣行との関係,の2点が少なくとも重要であることを指摘する。
まず,最初の株主の性質であるが,株主が短期的な利益をより重視した場合,経営者もそれに従わざるをえない。こうした点について実証するのは困難であるが,試みに日米の株価が短期的な収益にどの程度感応的であるかを2通りの方法でみてみよう。第一に株価収益率(株価/税引き後当期利益,PER)を金利水準に対して調整して,その変動をみてみよう。利益に直近の実績値をとった場合,この数値(金利修正PER,定義については第1章第1-4-6図参照)が安定していれば,事後的に株価は短期の収益と安定的な関係にあったことになる。結果をみると(第2-2-15図①),アメリカ企業の方が金利修正PERの変動率が小さく,したがってアメリカの方が株価が短期的な収益と安定的な関係にあったことになる。日本の金利修正PERに最近緩やかな上昇トレンドがある可能性もあるので,念のために金利修正PERの四半期平均の前期比もとってみたが,結果は同じであった。第二に,株価関数を用いて,収益変動の株価への影響をみてみよう(第2-2-15図②)。これでみても,アメリカの方が短期の収益にかかる係数が大きく,株価が短期の収益により大きく影響されている可能性が窺われる。
以上の結果は,いずれも,我が国の株価の方が,短期的な収益動向に反応しにくいことを示しており,株主の短期的な業績重視の傾向が,我が国の方が弱い可能性を示唆している。前述の企業の経営目標についてのアンケート調査において,アメリカ企業の経営者が「株価の上昇」を我が国企業に比しかなり重視しているが,両者を考えあわせると,アメリカ企業の経営者の方が,一般的には短期の業績を挙げることに対するプレッシャーを強く感じているとみられる。
次に,雇用慣行との関連であるが,すでにみた我が国に多くみられる点は,長期的視点と関連が深いとみられる。例えば,経営者が内部登用されるということは,経営者が勤務先企業の長期的な業績とある程度運命をともにすることを意味すると同時に,経営者に対する評価基準も,長期的な視点に立つ部分が大きくなる。このような状況は,経営者に短期的な業績よりも長期的な業績を追求するインセンティヴを与える。また,経営者以外の従業員にとっても,長期雇用が一般化していることは勤務に対する評価が長期的なものとなるほか,待遇面でも,企業の長期的な業績とある程度運命をともにすることになる。なぜなら,企業別労働組合のもとでは,労働者の待遇も,個別企業の事情をある程度反映して決められるからである。試みに賃金関数を計測してみると,我が国においては,労働力需給や物価上昇率に関する指標に加え,企業収益が賃金に反映される傾向がみられた。すなわち,収益が賃金と正の相関関係にあるとの結果が得られた。一方,アメリカにおいては,こうした結果は得られなかった(第2-2-16図)。こうした結果からは,我が国企業において,一般的には従業員の間で企業の業績の成果をある程度分かちあう傾向があることが推察される。いいかえれば,企業の業績が悪くなれば,その分賃金もある程度抑制されるわけであり,労働者に対して比較的安定した雇用を保証することに対し,て,企業側が一定の負担を求めたものと解釈することもできる。
長期雇用や内部昇進の慣行は,年功賃金とも組合わさって,企業の成長への指向も生み出す。すなわち,企業の成長は,将来自ら就ける昇進ポストの増加につながるほか,年功賃金を前提とし,売上高に占める人件費の比率を一定とすれば,企業の成長によって自分より若い従業員のウエイトが上昇すると,その従業員自身の賃金もより大きく上昇することになる。この様な経営者を含む従業員の長期指向及び成長指向は,短期的な利益を犠牲にしても将来への成長に向けて投資をする誘因となり,技術開発への指向を強める要因となる。
我が国企業が,一般的にみて,短期的な視点に比較的とらわれずに研究開発をしていることについては,以下の実証分析によっても裏付けられる。すなわち,製造業およびその内訳の主な業種において,それぞれの業種における研究開発費支出と売上高及び経常利益との相関関係をみると(第2-2-17図),製造業全体でも,また,各業種においても,研究開発費支出は,経常利益よりも売上高と密接な相関関係にある。これは,企業が短期的な利益の変動に余り左右されることなく,むしろ売上高の拡大による業容の拡大に対応するかたちで,長期的な視点から,研究開発を安定的に拡大していることを示しているものと考えられる。
ところで,このような,我が国企業に多くみられる,経営目標や従業員の指向における長期指向,成長指向は,我が国固有のやや特殊な経営形態として位置づけるべきであろうか。それともこれはこれで経済的合理性を有しており,企業の経営形態のあり方として普遍性を有していると考えるべきであろうか。
この点を考える際の重要なポイントは,こうした戦略の結果,株主の利益が軽視されていないかといった点である。日本企業の配当率(配当/払込総資本)は,例えばアメリカに比べ,かなり低い(1978~87の10年間の平均,製造業ベース,アメリカ,19.6%,日本11.3%)。また株式一の配当利回りもアメリカ,西ドイツに比べて低い。しかしながら,配当利回りに株価の上昇分を加えた総投資利回りをみると,かなり長期間をとってもアメリカ,西ドイツに比較して遜色ない水準が続いている(第2-2-18図)。これは,長期的にみれば株主の利益は確保されていることを示しており,結果的にみれば,我が国企業の行動は,一般的にみて長期の株主利益最大化と矛盾しないことを示している。
(企業内システムの評価)
こうした点は,我が国企業に多くみられる前述のような性質が「長期の収益最大化」を達成するための経済合理的な側面を持っている可能性を示唆している。すでに,我が国企業に多くみられる情報の流れ,それを可能とする組織特性,さらに雇用慣行や教育訓練について,技術開発や製品開発力を高めるという観点からみて,経済合理性にかなった側面を持っていることをみてきた。したがって以上の議論を総合すれば,我が国企業に多くみられる人事,組織,経営方式を含む全体的な在り方が,「長期の収益最大化」およびそれに向けての「研究開発や製品開発の促進」,「それに必要な投資の実行」を目指すうえでの合理性を有しているものとみられる。こうした我が国企業に多くみられる人事,組織,経営目標,そのための手段等は,すでにみたように,雇用慣行や情報特性等によって相互に密接に関連しており,これらをひとまとめにして「我が国企業の企業内システム」と呼ぶことにすれば,こうしたシステムが,長期的視点に立った投資の促進,技術開発力の向上につながり,それが全体としての我が国の国際競争力の強まりにつながった可能性が大きい。現に,本節の随所でみたように,海外においても,こうした企業内システムと部分的に類似した方法がとられ,それが,企業の技術開発力の強化につながった事例がみられるほか,この企業内システムの優れた面を積極的に取り入れようとの動きも近年目立ってきている。もっとも,この企業内システムが,すべての面にわたって経済合理的であるということはないであろう。企業も社会的存在である以上,我が国だけでなく,どの国においてもそこでの社会的な伝統や習慣,歴史的経緯等が反映される筈である。また,当事者にとって経済合理的なシステムであれば,どのようなシステムであっても許されるといったわけでももちろんない。
一方でこうしたシステムが競争制限的にはたらいていないが,それによリ消費者等の利益が損なわれていないか,充分にチェックする必要がある。この点は我が国の企業間システムとあわせた我が国の企業システム全体の問題として,第4節で再び取上げよう。