第二部 各論 六 金融 1 通貨と産業資金の供給
昭和二七年度の一般経済諸指標は戦後はじめて伸び悩みの状態を示したが、金融指標は、これとややかけはなれた動きをみせている。
たとえば生産および物価を銀行貸出とくらべてみると、第一四図にみるように前二者は二六年春頃から伸悩み二七年度に入つても、ほとんど横這い状態となつているが、銀行貸出は依然増勢をたどつている。これはなぜであろうか、またかかる貸出増加を通じて金融は二七年度経済においてどのような役割を果したであろうか。
このような銀行貸出の増加にも拘らず、二七年度には二六年の夏から秋にかけてのようなオーバーローンの激化はみられなかつたが、その背景はどのようなものであつたか。
以上のような問題を解消するために、金融諸指標を数字的に検討することからはじめよう。
1 通貨と産業資金の供給
(一)日銀券
(1)増加率
第三七表にみるように、日銀券は二四年度を例外としてその後は依然増加しているものの、その増加額も増加率も低下し、二七年度は五八四億円の増加、一二・八%の増加率であつた。
二七年度中の通貨の動きをみると、上半期はほとんど横這いで、僅かに五七億円の増加に止つたが、下半期は五二九億円の増加となつている。これは産米の増加、米価引上、年末手当の増加、賃金の上昇などから所得が増加し、これに伴つて一般の消費水準も上昇し、現金需要が増加したためである。
(2)発行の経路
日銀券増発の経路をみると、二四年度から二七年度まで日銀信用の増加が主要な経路となつている。これは一つには財政の引揚超過を金融でカバーしたことの反映であるが、動乱後の二五、六年度にみるようにさらに追加して日銀信用が増加したのは、これによつて動乱後の物価上昇によるほか拡大再生産の資金需要を賄うためであつた。
しかし二七年度のように経済活動が一般に伸び悩んだ時期にあつて日銀信用がなお増加しているのは注目すべきである。
(二)産業資金供給
(1)総産業資金
二七年度産業資金供給総額は一兆三九七二億円に達し、前年度を二五%上回つている。これを卸売物価で修正した実質的規模でみても対前年比二七%、動乱勃発時の二五年度に対して四四%の増加である。いまこれを供給形態別にみると次表のとおりである。
第一に内部資金の比重は動乱のブームにより高収益をあげた二六年度が最も高く二七年度は減価償却が若干の増加をみたが、社内留保が減少したので、総体としての比重は低下している。
第二に財政資金は二六年度以来急速にその比重を増加したが、二七年度においてその増加がやや鈍化している。
第三に株式調達資金は二五年度以降増大の一途をたどつているが、二七年度は株価の高騰に支えられて著増している。
第四に金融機関貸出の比重についてみると、二六年度は内部資金の急増によつて相対的に低下したが二七年度は再び増大している。ただ外部資金のなかで占める比重についていうと、二五年度七一・七%、二六年度五九・四%、二七年度五八・五%と次第に低下しているのが注目される。これは上に述べたような財政資金、株式発行の増加に基づくものである。
つぎに総産業資金を設備、運転資金別にみると、第三九表のとおりであるが、二六年度のごとく好況であつた時期にはやはり設備資金の比率が高く、全体の四一・三%に上り、二七年度になると若干低下して三七・九%になつている。
(2)設備資金の供給
二七年度の設備資金供給は五二九五億円で二六年度のそれを実質的に物価調整後一七%、二五年度のそれを同じく七四%上回つている。
設備資金を供給形態別にみると、まず内部資金は二六年度には設備資金供給の五〇%を賄つたが、二七年度はそれよりかなり低下したが、なお四〇%を占めている。
内部資金がこのように設備資金のなかで高い比重を占めているのは動乱後の高収益による社内留保の増大によるがすでに企業収益が減退した二七年度にもかなり高い比重を示したのは資産再評価、特別償却制の拡充による減価償却の増大に起因している。しかしながら戦前には設備投資の約六割が減価償却によつていたことと考え合せると、戦後償却がかなり改善されたとはいえ、なお償却が不足しているといわねばならない。
このような事情から戦後は外部資金調達の比重が高くなつてきているが、二七年度の外部資金調達では株式が前年度の一〇・四%から一六・四%に顕著な増加を示したほか、財政資金投資、社債の割合も若干高くなつている。
これに反し一般金融機関貸出は二五年度の二九・〇%から二六年度には一七・二%に減少、二七年度も一七・六%に止まつている。しかしこのうち銀行分のみとれば、二六年度の一三・六%から二七年度には一〇・二%にかえつて減少している。銀行設備資金の貸出の減少は二六年秋の融資抑制方針決定以降、その融資が主として四大産業に限定されたためである。
かくて二七年度における設備資金供給形態の特徴は(1)内部資金の減少、(2)銀行貸出の減少、(3)株式、財政資金の増加ということである。
つぎに設備資金の業種別供給実績をみてみよう。この場合内部資金の業種別内訳は正確には掴みえないので第四一表のように主として外部資金についてのみ検討しよう。
(一)消費部門では相対的に前年度より減少し、とくに繊維では前年の一五一億円に対し二七年度は僅か一五億円にすぎない。(二)基礎部門では、石炭、化学工業は減少し、鉄鋼は増加している。鉄鋼は収益が減少したが、継続工事を強行しているので、外部資金依存率が増大し、これが外部調達の増加となつたのであろう。(三)投資財部門では機械が前年の約三倍という激増ぶりであり、窯業は若干減少したがこれは運転資金を繰回して設備投資を補つていると思われる。この部門において設備拡張がかなり顕著なのは電源開発などからの受註増加を反映したものである。(四)電力、海運、農林水産では、主として財政投資が増大している。電力、海運、鉄鋼、石炭の四大産業の全体に占める比重は前年度の四九・二%から五六・〇%に増大した。四大産業への資金供給源選別の集中度をみると、銀行貸出および財政投資の集中がとくに顕著である。
(3)運転資金の供給
二七年度の運転資金供給額は八六七七億円で、前年度を約三割上回つている。これを供給形態別にみると約一割が内部資金により、残りの大部分が一般金融機関貸出であり、しかもその大半が銀行貸出によるものである。この銀行貸出の業種別動向(附表第四九表参照)を生産のそれと照合しながら検討してみよう
第五九図に示すように消費財、投資財生産部門では生産と運転資金貸出の動きに大きな乖離はない。すなわち輸出に関連の深い消費財生産部門は生産減に見合つて貸出も減少している。一方内需にめぐまれた消費財(たとえば食料品、医薬品、織物等)、および投資財(電機、セメント等)生産部門は生産がかなり増加しており、それに対応して貸出もふえている。もちろん運転資金貸出は生産のみに左右されるものではなく、各業種に特有な因子が数多く存在する。しかし上にあげた業種は基本的には生産の動向とほぼ照応した動きを示したということができる。
これに対して鉄鋼、石炭、肥料のごとき基礎財生産部門では生産の動向とは全く違つた動きを示しているのが注目される。これらの業種は概して生産は減少しているにも拘らず、貸出増加は極めて高率である。
このような製造業の動きに対して、それ以外の業種、すなわち海運業、物品販売業の貸出増加が額においても増加率においてもとくに著しいことが注目される。
こうみてくると、総説第一四図にみるような貸出と生産の乖離は主として基礎財生産部門と物品販売業に対する貸出が非常に増加したことに基づいていることが分かる。この原因については後に述べることとする。
(三)貯蓄の動向
以上の産業資金供給に対して、これを賄つた国民貯蓄を検討しよう。もちろん産業資金の全部が、国民貯蓄で賄われたわけではなく、減価償却や日銀信用、財政資金によつて供給された部分も多い。しかし国民貯蓄そのものも二七年度には前年度に比してかなり増加している。(国民貯蓄についてはその概念についてもいろいろ立場があるし、推計方法についても困難な問題が多いが、ここでは各種欠陥を承知しつつ一つの推計を試みた。計算方法については附表第五〇表参照)
(1)貯蓄の増加高
第四三表にみられるように二七年度の貯蓄増加高は七六八〇億円で、前年度の七〇九四億円を約一割上回つているがこれを戦前に比較してみると八割弱に止まつている。このように所得がほぼ戦前並みに回復したにも拘らず、貯蓄が低位にあるのは、一つには税金が重いからである。もつとも戦前の貯蓄のうち公債消化にあてられた部分を差引いて産業資金に回しうる貯蓄を比較すると二七年度は戦前を一四%上回ることとなる。
(2)法人、個人別にみた貯蓄
戦前の貯蓄は法人一八・一%、個人八一・九%の比率で行われた。これを標準とすると、二五、六年度は法人の比率が二四・五%、三〇・五%と著しく高くなつた。しかし二七年度の法人分は景気の後退、収益率の低下を反映して一六・八%に低落し、その実績も前年度からみると四〇%減となつている。従つて二七年度の貯蓄増加は、ひとえに前年度を三割余上回つた個人貯蓄の激増に基づくものといえる。
このような個人貯蓄の増加がいかにして可能であつたか。それは総説あるいは「国民生活」の章でみたように都市の勤労者、農家、個人業主の実質所得が著しく増大したことに基づくものと思われる。
(3)貯蓄形態別観察
貯蓄はその形態からいえば、株式、出資証券、社債のごとき有価証券投資と、金融機関預貯金、保険および現金から構成される。このような形態別の貯蓄のそれぞれについて重複部分をすべて除くことはできない。ここでは一般預金のうち金融機関相互間の預金および金融機関手持小切手のみを差引いて、形態別の百分比をとつてみる。
これによると二七年度の貯蓄形態別百分比は、保険が増大し現金が減少した程度で大きな変化はない。株式投資の絶対額が増加したことも、全体の貯蓄が増加したため百分比の上ではほとんど響いていない。
しかしながら二七年度を戦前と比較すると著しい相違がみられる。有価証券投資は戦前の三一・九%から一〇・七%に、保険は一六・三%から九・六%に減少し、その減少分を四七・九%から七五・四%に増加した預貯金の比率の増加が補なつている。このような国民貯蓄の構成変化は戦前戦後の国民所得構成変化の反映で、個人賃貸料所得、個人利子所得、個人配当、重役賞与、社内留保のような長期性貯蓄の源泉となる所得が戦前二一・九%であつたに対し、二七年は七・三%に減少しているなどの事情によるものであろう。
このように戦後の貯蓄はその大部分が預貯金の形態をとるが、以下にその預貯金の検討をしてみよう。
(4)預貯金について
第四五表によつて金融機関別の預貯金増加額をみると、二七年度は主として個人(個人業主を含む)預金からなつている信託、信用金庫、郵便局の預貯金の増加が目立つている。同じ個人預金でも、農協関係のそれは著減しているが、農家の貯蓄が有価証券投資や他の金融機関預金に流れたことなどの事情によるものであろう。
銀行預金は前年度に比し、比重は若干低下したものの、全預貯金の六六・二%を占めている。この実態は何であろうか。つぎにこれを分析しよう。
銀行預金の預金者別内訳を百分比でみると第六〇図のごとくであるが、戦後法人預金の比重が大きいのは主として粉飾預金と両建預金の増加によるものであろう。このようなみせかけの預金増を除いた実質的比重を考えた場合、個人預金、無記名定期預金の比重はグラフに示すように横這いではなく、むしろかなり増加しているとみなければならないであろう。それでは個人預金はどのような層でとくに増加したかがつぎの問題になる。
銀行個人預金増加における金額階層別百分比をみると、第四六表のように、一〇万円から五〇万円の金額階層の預金が逐年増加している。これらの預金階層は主として個人業主および会社重役階層にあたることはほとんど疑問の余地がないであろう。なお無記名定期預金でもこの階層の預金が最も多く同預金増加額の三六%を占めている。
これに対して一〇万円以下の預金は二六年度以降急激にその比重を減じていることが注目される。しかも同じ階層の無記名定期もほとんどふえていない。これらの階層は主として上層の勤労階層の預金と見做され、家計調査からみれば、なんらかの形で貯蓄が増加している筈であるから、この階層の銀行預金増加の減勢は、貯蓄のうちより多くの部門が株式および投資信託などに向けられたためと思われる。