第2節 グローバル化による経済的影響

 企業行動とマクロ経済への影響

80年代後半と90年代前半に進行した円高に象徴される国際経済環境の変化は、日本の企業行動に多大な影響を与え、次第にその後の我が国の経済構造を変えていった。たとえば、80年代後半には海外直接投資の増大がみられ、企業の海外生産展開や海外投資の増大、輸入浸透度は、90年代前半以降、いずれも増加基調にある(第3-2-1図)。

90年代後半には、為替レートが円安に転換したが、アジア通貨危機後、再び円高が進展した。我が国では金融システム不安が発生したこともあり、この間、不良債権処理や過剰債務削減という国内経済的なテーマに人々の関心が集中した。その一方で、80年代後半と90年代前半の円高ショックの影響等によるミクロの企業行動の変化は、我が国の国際経済面における構造変化をもたらし、80年代とは異なるマクロ経済の反応を次第に定着させていったと考えられる。

今日、我が国においてグローバル化の問題とされることの多くは、90年代以降の変化と密接な関係があると思われる。そこで、本節では、まず、為替レートの変化に対するマクロ経済の反応がどのように変化してきたかを検証する。次に、この間の企業行動の変化について、我が国の代表的な輸出産業を対象に為替レートの企業収益への影響や海外事業展開の動向等を分析することによって、アジア地域における工程間分業の形成との関係を明らかにする。さらに、こうした変化が、雇用や賃金、消費の面で家計にどのような影響を与えたかについても分析を加える。

本節の目的は、以上の分析を通じて、国際経済的な側面から90年代以降の我が国の構造変化をとらえるとともに、企業がグローバル化するなかでの我が国の課題をつかむことにある。

1 為替レートのマクロ経済への影響

 為替レートと企業の価格設定行動

為替レートの変化は企業行動にどのような影響を及ぼすだろうか。円高のケースで考えてみよう。一般に、円高時には、円建での輸出価格、輸入価格はともに下落する。そのメカニズムは次のようなものである。

円高は、輸出価格の下落を通じて日本の輸出企業の収益を悪化させる(5)。これは、為替レートが円高になり、輸出先での販売価格の円換算価値が減少するためである。この収益悪化の影響を緩和するには、販売価格を引き上げる必要がある。現地製品との価格競争が厳しい場合の価格転嫁は容易ではないが、ブランド品のように他社製品と差別化が図られている場合には価格転嫁はある程度可能だろう。その結果、円換算後の輸出価格は円高によってすぐに下落するものの、現地通貨での価格転嫁が進むことによってある程度回復する。他方、輸出数量は次第に減少する。

反対に、円高は、海外からの輸入品の価格競争力を高める(6)。特に、価格変化によって売上げが大きく変わる製品を輸出する海外の企業は、日本での販売価格を引き下げ、輸出数量を増やすことによって収益拡大を図ろうとするだろう。その結果、円建輸入価格は次第に下落するとともに、輸入数量が増加する。

このように、マクロ経済における為替レートの変化は、ミクロの企業行動を通じて価格や数量を変化させ、今度はそれがマクロ経済に影響を与えるという相互作用が働いている。以下では、こうしたミクロとマクロの相互作用を念頭に置きつつ、為替レートの変化等に対する輸出入価格や数量、貿易・サービス収支、経常収支の反応に変化が近年起きていないかみることにしよう。

 輸出価格の反応の変化:円高による輸出価格の引上げは小さくなる

まず、為替レートの変化に対して輸出入価格がどう反応しているかを計測してみよう(7)。以下の分析は、サービスを含む国民経済計算ベースによるものである。

日本の輸出企業が、円高によって被る企業収益の悪化を一部相殺するために、現地での輸出価格をどの程度引き上げているかをみると、80年代以降、価格転嫁率は緩やかに低下してきたことがわかる(8)第3-2-2図左)。

こうした輸出企業の価格設定行動は、ミクロ的には、輸出市場で価格競争が厳しくなり、売上げを確保するために現地価格の上昇を抑えてきた結果である。同時に、こうした制約は、日本の輸出企業に継続的な生産性向上努力を促し、その結果、円高時の価格転嫁率の引き下げが長期的に可能になったといえる。

これをマクロ的にみると、日本企業の輸出価格上昇率が、日本企業の生産性向上などを反映して貿易相手国・地域と比べて低い場合、日本製品の国際的な価格競争力はその分高まるため、日本の輸出企業による価格転嫁率の引き下げが長期的に可能になったということである。

しかし、80年代後半と90年代前半の円高は、長期的な物価上昇率の差ではとても吸収し切れないほどの短期的な収益減少圧力を日本の輸出企業にもたらした(前掲第3-2-2図右)。特に90年代前半の円高は、バブル崩壊後の調整を引きずる日本企業にとって、企業収益に対する負荷がかなり大きかったことを示唆している。

 輸入価格の反応の変化:円高による輸入価格の下落は小さくなる

一方、輸入価格は、輸出価格と比べると変動が大きい。これは、我が国の輸入のうち、価格変動の激しい食料・原料・鉱物性燃料が4割も占めているためである。そこで、石油・石炭・天然ガスを除いた輸入価格についてみると、近年は為替レートの変化に対する影響が次第に低下し、円高時には従来ほど輸入価格が下がらなくなっていることがわかる(第3-2-3図左)。これは、輸出価格と同様に、貿易相手国・地域における相対的な物価上昇率の高さを反映したものである。つまり、日本に輸出する海外の企業にとってはインフレ格差の分だけ価格競争力が抑えられるため、円高時に日本での価格を引き下げることが容易でないことによる(前掲第3-2-3図右)。

ちなみに、このような輸出入価格の反応は、円高時に円換算後の輸出価格よりも輸入価格の下落率が大きい場合には、一定の輸出額によって多くの輸入が可能となる(交易条件の改善)。反対に、輸入価格よりも輸出価格の下落率が大きいと、一定の輸出額によって可能となる輸入量が減少する(交易条件の悪化)。90年代前半までの日本経済は、円高時には円換算後の輸出価格よりも輸入価格の下落率が大きくなる傾向があった。しかし、90年代末以降、輸入価格の下落率が相対的に小さくなっている(第3-2-4図)。

以上より、(i)マクロ的に企業の価格設定に影響を与える為替レートとは、外国為替市場で取引される各国通貨間の交換レートではなく、貿易相手国・地域との物価上昇率の差を考慮した為替レート(実質実効レートと呼ぶ)であること、(ii)マクロ環境の変化はミクロの企業行動と密接な関係があること、がわかる。

 大きくなった輸出入数量の変動

通常、価格が変化すると、数量が変化する。つまり、為替レートの変化に反応した輸出入価格は、時間の遅れを伴って次第に輸出入数量に影響を与える。これを、輸出入価格の変化がもたらす影響として「価格効果」と呼ぶ。

先に、為替レート変化の輸出入価格への影響は緩やかに低下していると指摘したが、既に述べたように、輸出入価格は貿易相手国・地域との物価上昇率の差を反映する面があることから、為替レートの輸出入価格に対する純粋な影響をみるには、こうした面を取り除かなければならない。その上で、仮に輸出入価格の反応が低下していたとしても、それは必ずしも為替レートの影響力が低下していることを意味しない。為替レートの効果を考える場合には、輸出入価格の感応度のみならず、それらを通じて輸出入数量に与える価格効果を含める必要がある。

さらに、輸出入数量は、価格の変化による影響のみならず、貿易相手国・地域や自国の需要動向の影響も受ける。こうした内外の所得の変化が輸出入数量に及ぼす影響は、「所得効果」と呼ばれる。

80年以降を80年代初期の景気の谷と90年代初期の景気の谷以降に分け、前半期(83年第1四半期~93年第3四半期)と後半期(93年第4四半期~2003年第4四半期)で、為替レートの変化に対する輸出入価格への影響と、それらを通じた輸出入数量に対する「価格効果」及び内外需要の動向がもたらす「所得効果」をそれぞれ計測してみよう。前半期と後半期で得られた結果を比較すると、以下の特徴がみられる(付注3-1)。

第一に、為替レートの変化に対する円換算後の輸出価格への影響度は低下している。また、輸入価格への影響度も同様に低下している。これらは、円高・円安局面で統計的にはほとんど相違が認められない。このことを円高時で考えると、輸出先での現地販売価格は緩やかに上昇することにより円換算後の輸出価格の下落率が小さくなる一方、海外企業による我が国での円建販売価格も下落率が小さくなっていることを意味する。

第二に、輸出価格の輸出数量に対する影響である「価格効果」は上昇している。価格効果の上昇は、アジア企業との輸出競争や海外現地法人による生産との関係で、輸出をめぐる環境が厳しくなった結果、輸出数量が輸出価格の影響を受けやすくなったためと考えられる。この影響度は、円高局面と比べて円安局面では若干低下する。すなわち、円高による輸出数量の減少よりも円安による輸出数量の増加の方が絶対値で小さいということである。こうした輸出環境は、売上げの安定に向けた高付加価値化を輸出企業に促しているものとみられる(前掲第3-2-5図上)。

他方、海外需要の輸出数量に対する影響である「所得効果」は低下している。これは、80年代後半と90年代前半の円高によって、日本企業の海外生産比率が高まった結果、海外での日本企業による製品供給が増えたことによる。こうした状況は、90年代に我が国の世界貿易に占める輸出シェアが低下してきたことにも表れている(前掲第3-2-5図下左)。

第三に、輸入数量に対する「価格効果」も高まっている。価格効果の上昇は、バブル崩壊以降、価格に対する人々の反応が敏感になり、低価格品志向が強まったといわれる現象と整合的である。この影響度は、円高局面と比べて円安局面ではかなり低下する。すなわち、円高時の輸入数量の増加よりも円安時の輸入数量の減少の方が絶対値で小さいということである。このことは、我が国が輸入の増えやすい経済構造になってきていることを示唆している。

他方、輸入数量に対する「所得効果」は高まっている。これは、90年代前半の円高をきっかけに低価格の輸入品の浸透度が上昇し、国内製品に対する代替効果が働いたことによる。実際、円高局面の期間と為替レートの輸入浸透度への影響とは相関がみられる(前掲第3-2-5図下右)。

 円高の貿易・サービス収支の黒字削減効果は高まる

それでは、為替レートの変化がもたらす輸出入価格への影響と、その輸出入価格や内外の需要動向の変化がもたらす輸出入数量への影響を総合すると、これらは貿易・サービス収支にどのような影響を及ぼしているだろうか(9)

いま、為替レートの変化による価格効果(輸出入価格の変化を通じて輸出入数量に与える効果)を「為替レート効果」と呼ぶと、80年代と比べて90年代以降、これによる輸出入数量の変動は大きくなる傾向にある(第3-2-6図上)。その理由は、為替レートの変化に対する輸出入価格の感応度が低下する一方で、輸出入価格の変化が輸出入数量に与える影響がそれ以上に大きくなっているためである。こうした為替レートの変化を通じた純輸出(輸出入収支差)への影響も、その変動が大きくなる方向に変化していることがわかる(10)第3-2-7図上左)。

ところで、円高時と円安時とでは、純輸出への影響に若干の非対称性がみられる。すなわち、80年代以降、我が国では、円高による純輸出の減少効果は、円安による純輸出の増加効果よりも絶対額で大きいという特徴がみられる。したがって、現状に即していえば、円高の為替レート効果は貿易黒字を減少させる方向に強く働く傾向にある。こうした特徴は、90年代以降、円高時の輸入数量の増加が大きくなっていることから、さらに高まる傾向にある(前掲第3-2-6図下)。

こうした背景には、先述したような海外生産比率や輸入浸透度の上昇などの背後で、ミクロの企業や家計の価格に対する反応が変化していることが関係している。したがって、為替レートの効果というとき、実はこうした人々や経済の反応の仕方を指すのであり、このような反応の仕方が定着すると、経済の構造が変化したと認識されるのである。

さて、以上の為替レートの効果に、内外の需要動向の影響からくる「所得効果」を加えると、純輸出への効果が得られる。所得効果については、いま、日本と貿易相手国・地域の実質成長率が同じだけ上昇したと仮定すると、80年代と比べて90年代以降は、相対的に輸出数量の増加が抑えられ、輸入数量の増加が高まるという傾向がみられる。したがって、この効果は、純輸出を減少させる方向に変化していることがわかる(前掲第3-2-7図上右)。

以上より、純輸出及び貿易・サービス収支に対する為替レート効果と所得効果を総合すると、80年代と比べて90年代以降は、円高時の減少効果が大きくなっている一方、円安時の増加効果にはほとんど変化がみられないことがわかる(前掲第3-2-7図中、下)。

したがって、以上の分析結果によれば、80年代と比べて90年代以降の日本経済は、(i)円安による貿易・サービス収支の黒字拡大効果には変化がみられないものの、円高時の輸出減少効果や輸入増加効果が上昇していることから、円高による貿易・サービス収支の黒字削減効果が高まっていること、(ii)海外需要増による輸出増加効果が低下するとともに、国内需要増による輸入増大効果が上昇していることから、我が国の経済成長が相対的に高まることによる黒字削減効果が大きくなっていること、がわかる(11)

 経常収支黒字の構成の変化

以上の分析で明らかになったことは、日本経済が、貿易・サービス収支の黒字が減少しやすい構造に変わってきているということであった。それでは、経常収支はなぜ増えているのだろうか。ここでは、この問題について考えてみよう。

経常収支は国内の貯蓄と投資の差額であり、経常収支の黒字として海外から稼いだ所得は、貯蓄超過として海外への投資・融資に回ることにより、通常、資本収支が赤字になるという関係にある。経常収支の主要構成項目は、「貿易収支」、「サービス収支」、「所得収支」である。

「貿易収支」と「サービス収支」は、新たに作り出した付加価値であるため純輸出(輸出入収支差)として国内総生産(GDP)の一部となる(12)。貿易収支は黒字基調にある一方、サービス収支は運輸・旅行・保険等のサービス購入により赤字基調となっている。他方、直接投資や証券投資等の利子・配当等の受払いである「所得収支」は、過去に国内で創り出された付加価値が経常収支の黒字として累積した対外純資産からもたらされる収益であるため、GDPには含まれない。

2003年の経常収支の黒字額は15.8兆円という過去最高を記録した。しかし、経済取引活動は経済規模に比例するため、その大小が論じられる際には金額の多寡ではなく経済規模との比較によらなくてはならない。そこで、経常収支とその主要な構成項目について名目GDP比をとると、以下の特徴がみられる。

第一に、現在、経常収支の対名目GDP比は、90年代前半と後半のピークとほぼ等しい水準にある。他方、貿易収支の対名目GDP比は、90年代末以降、経常収支を下回っている。さらに、インフレ調整後の為替レートが貿易収支の動向に6四半期程度先行するという時差相関を踏まえると、貿易収支の黒字拡大は2000年以降の円安の影響がみてとれる(第3-2-8図上右)。また、貿易収支の黒字拡大には当面のピーク感もみられる。

第二に、貿易収支にサービス収支まで含めると、経常収支黒字に占める割合は、80年代半ばの90%程度から、2003年には53%にまで低下している。他方、経常収支黒字に占める所得収支の割合は、80年代半ばの10%強から、2003年には貿易・サービス収支と同じ53%にまで上昇してきている(前掲第3-2-8図下左)。

我が国の対外資産から対外負債を除く「対外純資産」は増加基調にあり、このことは、純輸出によって海外から所得を稼いできた構造が、対外純資産によって海外から所得を稼ぐ構造へとシフトしていることを示している。こうした状況は、GDPと国民総所得(GNI、旧GNPに代わる概念)の差である「海外との投資収益等の純受取額」の推移にも表れている(前掲第3-2-8図下右)。

所得収支は、「直接投資収益」、「証券投資収益」、「その他投資収益」から構成されるが、2003年は全体の約85%が証券投資収益収支の黒字であった。これは、国内の低金利による資産運用難を背景に、生命保険会社や銀行、投資信託が代替的に欧米への外債投資を活発化したためである(第3-2-9図左)。生命保険会社などでは、円高の進行により外貨建資産の円換算価値が減少するリスクが高まっていることから、先物市場を利用して為替差損の発生を事前に回避する金融技術を用いた大量の外債投資を行っている。こうした結果、中長期債利子受取総額が増大することにより、証券投資収益が増加しているものとみられる(前掲第3-2-9図右)。

以上より、90年代末以降の経常収支の黒字拡大は、80年代と比べるとその構成に変化がみられること、すなわち、貿易・サービス収支の構成比が低下する一方、対外純資産の増大を背景に所得収支の構成比が高まっていることをみてきた。特に、ここ数年の所得収支の増加は、円資産による運用の代替手段として外債投資が積極化している点が特徴といえる。

 マクロ経済の反応の変化

以上より、90年代以降の日本経済は、国際経済面における構造変化が進展し、為替レートの変化や内外需要の変化に対して、80年代とは異なる動きになってきたことがわかる。

その特徴は次のように要約される。すなわち、第一に、80年代と比べて90年代以降の日本経済は、円安時の貿易・サービス収支の黒字拡大効果には変化がみられないものの、円高時の輸出減少効果と輸入増加効果が上昇していることから、円高による貿易・サービス収支の黒字削減効果が高まっている。第二に、海外需要増による輸出増加効果が低下するとともに、国内需要増による輸入増大効果が上昇していることから、我が国の経済成長が相対的に高まることによる黒字削減効果が大きくなっている。

こうしたなかで経常収支の黒字が近年拡大してきたのは、2000年以降の円安等による貿易収支黒字の拡大という要因に加えて、80年代と比べて貿易・サービス収支の構成比が低下する一方、対外純資産の増大を背景に所得収支の構成比が高まってきたためである。

このことは何を意味するだろうか。

第一に、我が国の相対的な成長率の高さが貿易・サービス収支の黒字を削減する効果を高めていることは、経常収支の国際的な不均衡を拡大させないためにも、我が国にとって持続的な経済成長を図ることが重要な課題であることを示唆している。

第二に、為替レートを投資家の国際的な資産選択を通して決定される資産価格と考えると、我が国の対外純資産の増加は、円建資産と比べて外貨建資産の保有が相対的に増えることによって外貨需要を低下させる。これは、円高圧力となることを意味する。為替レートは短期的には市場において様々な要因によって決定されるが、短期的に過度な変動が抑えられるとともに、中長期的にはそれぞれの経済の基礎的条件に沿った水準に決まることが望ましい。

円は変動相場制移行後、長期的に円高基調で推移してきた。円高の度に経済が打撃を受けるという悲観論が広まりやすい傾向があるが、円高は、輸入品を安く購入することを可能にし、我が国の購買力を高めるという点では良いことである。他方、企業は円高に対し積極的な対応を図ってきたが、急激な円高は輸出企業にとっては収益減少要因となり、景気動向にマイナスの影響を与えかねない。これまで分析したことを踏まえると、円高によるマクロ経済への影響については、引き続き注視していく必要がある。円高はプラスとマイナスの両面があるが、長期的な円高基調はグローバル化の深まりとともに我が国の企業や家計の行動に大きな影響を与えてきた。それについて次に分析したい。

2 企業行動への影響

 輸出企業の行動の変化

これまでは、為替レートに対する我が国のマクロ経済の反応が、90年代以降、どのように変化してきたかをみることによって、グローバル化の中でミクロの企業や家計の行動が変化してきた可能性を示してきた。ここでは、我が国を代表する輸出産業を対象に、企業行動の変化をより直接的に検証することにしよう。

以下では、まず、為替レートの変化がもたらす企業収益へのマイナスの影響を日本の輸出企業がどのように回避してきたかを検証し、その過程で海外生産の果たした役割を示す。次に、海外生産展開を図った企業の存続・撤退の意思決定に影響を与えた要因を分析することにより、海外撤退件数の増大の背景や事業拡張の要因等をさぐる。さらに、こうした海外生産展開を通じて、我が国の輸出入品の付加価値構造の変化やアジア地域における垂直型分業の進展があったことを記す。

ここで行う一連の分析は、国境を越えた企業活動がもたらす経済構造への影響を明らかにすることにより、企業がグローバル化するなかでの我が国の課題について示唆を得ることを目的とするものである。

 為替変動リスクを抑え、企業収益への影響を軽減

既にみたように、円高が企業収益を減少させるにもかかわらず、日本の輸出企業は、現地通貨建輸出価格への転嫁率を低下させてきた。輸出企業の長期的な対外競争力は結果的に維持されたとしても、円高時の輸出価格の円換算価値の減少分を現地価格に十分転嫁できなければ、短期的には企業収益にとってマイナスとなっていたはずである。このような「為替変動リスク」、すなわち、為替レートの変化に伴う現地売上げの円換算後の価値の変動リスクに対して、日本の輸出企業はどう対応してきたのだろうか。

そこで、以下では、まず、日本を代表する輸出産業として、輸送用機械、電気機械、一般機械の3業種を取り上げ、1990年以降の為替レートの変動が企業収益にどのような影響をもたらしたかを計測する(13)付注3-2)。

この企業収益への影響度は、輸出企業が抱える為替変動リスクとみなすことができる。それは、円安時には為替レートの変動による収益拡大効果の大きさを示し、円高時には収益減少効果の大きさを示す。ただし、一般に、企業にとって事後の実現収益が事前の見込みから大きくはずれないことが望ましいとすれば、輸出企業は為替変動リスクをできる限り小さくしようとするだろう。

分析結果からは、以下の特徴がみられる(第3-2-10図)。

まず、企業収益の為替変動リスクの水準は、おおむね各業種の国内生産に占める輸出比率の高さや円建輸出比率の低さと関係する。これは、国内生産に占める輸出向けの割合が大きいほど売上に占める海外取引の割合が大きくなり、その結果、為替変動リスクが高まるためである。他方、円建輸出比率が高ければ、そうした海外取引の多くが円建で決済されることにより、為替変動リスクにさらされる割合も小さくなる。為替変動リスクは、その水準の高い方から、輸送用機械、電気機械、一般機械の順となっている。

 輸送用機械で為替変動リスクは大きく低下

次に、3業種ごとの違いを明らかにしてみよう。

第一に、輸送用機械では、これまで大幅に為替変動リスクの水準を低下させてきた。これは、90年代以降、段階的に海外生産比率を高めることによって輸出比率を引き下げたことによるものと考えられる。また、2000年以降は、海外需要の高まりに伴って輸出比率が再び上昇したのを受けて海外生産をさらに強化するとともに、円建輸出比率を引き上げることによって為替変動リスクを抑えてきたものとみられる。

第二に、電気機械では、90年代以降、輸出比率が徐々に上昇するなかで、アジア地域への海外生産展開を通じてアジアでの現地販売を強化するとともに、アジアを日本やアメリカ向け輸出基地とする輸出構造を定着させた。その結果、後述するように、同一産業内で部品・中間財・完成品の貿易を行う、いわゆる垂直分業の下で、日本からアジアへの輸出が増加するとともに、アジアからアメリカへの輸出も増加していった。2001年のITバブル崩壊後は、日本のアメリカ向け輸出が低下する一方、中国における需要の強さを背景に日本のアジア向け輸出が増加する傾向にある。こうしたなかで、アジア向け円建輸出比率を引き上げることによって、輸出比率上昇に伴う為替変動リスクを抑制しているものとみられる。

第三に、一般機械(コンピュータ、工作機械等)では、輸出比率が上昇傾向にあるものの、円建輸出比率が高いことから、為替変動リスクの水準は相対的に低く抑えられてきた。海外生産比率も低いため、円建輸出比率を高めに設定することによって為替変動リスクに対応してきたとみられる。また、他の業種と比べると、相対的に海外生産比率や円建輸出比率が柔軟に変更されてきたように見受けられる。たとえば、90年代初頭には海外生産比率を引き下げてアジア向け輸出を増やし、90年代後半には海外生産比率を引き上げながらも、円安時には為替変動リスクをとることにより輸出収益の拡大を図ってきた。また、アジア通貨危機後の円高局面では、企業収益の悪化を防ぐために円建輸出比率を上昇させたが、近年は海外生産比率が横ばいを続けるなかで、円建輸出比率が引き下げられていることから、海外生産展開からアジア向け輸出へと回帰しているものとみられる。

以上より、(i)輸送用機械や電気機械では主に海外生産展開を通じて企業収益に対する為替変動リスクの水準を低下させてきたこと、(ii)一般機械では海外生産展開や円建輸出比率を比較的柔軟に動かすことによって企業収益の改善を図ろうとしてきたこと、が分かる(14)。明らかなことは、日本の輸出企業は、個別の要因はあるものの、総じて海外生産展開を進めてきたということであり、ここで重要なのは、80年代後半以降、日本の輸出企業が直面した課題は、為替レートを含めた事業環境の変化に対して、生産や販売の拠点をどこに置くかということであったという点である。そこで、これら輸出企業がどのような海外事業展開を行ってきたか、その特徴について次にみることにしよう。

 海外進出後の事業変化への対応:個票分析

90年代前半に急増した日本企業の海外進出は、90年代後半に入ると急速に減少する。同時に、撤退する企業数も増える傾向にある(第3-2-11図)。こうした日本企業の進出・撤退の特徴は、第一に、進出先の大半がアジア地域であり、撤退地もその多くがアジア地域からであること、第二に、製造業では進出・撤退企業ともに「輸送用機械」、「情報通信機械を含む電気機械」(以下、「電気機械」と記す)、「一般機械」の比率が高いこと、第三に、近年の製造業の撤退企業は電気機械で多くみられること、と整理される。

そこで、データ数が比較的多い96年度、99年度と2002年度の「海外事業活動基本調査」の個票データを用いて、日本に本社をもつ海外進出企業の存続・撤退に影響を与えた要因について分析する。

具体的には、99年、2002年の海外進出企業における存続・撤退の意思決定を、それまでの過去3年間の財務状況や輸出入状況等と関係づけることにより、そうした企業にどのような特徴がみられるかについて明らかにする(15)付注3-3)。この両時点は、99年がアジア通貨危機後、2002年がITバブル崩壊後にあたるため、こうしたマクロ的なショックが日本の海外進出企業にどのような影響を与えたかについても理解を深めることができると考えられる。

 負債の悪化、資本コストの上昇が撤退要因に

存続・撤退の意思決定に影響を与えた主な要因は、以下のように整理される(16)

第一は、負債状況の悪化である。これは、99年と2002年の両時点ともに海外進出企業の撤退に影響を与えた重要な要因である。99年には、特にアジア地域の一般機械と輸送用機械の負債比率の上昇が撤退要因として強く影響しているようにみられる。これは、おそらく、それまでの外貨建資金調達による事業拡張が、アジア通貨の下落によって過剰債務と化したためと考えられる。

一方、2002年のITバブル崩壊後については、世界的には電気機械の負債比率の上昇が特徴的であるが、アジア地域に限れば、電気機械のみならず、一般機械や輸送用機械における負債比率の上昇も海外撤退要因となっている。これは、ITバブル崩壊の場合、震源地が北米地域であったことから、北米向け輸出の減少を通じて電気機械以外の業種もマイナスの影響を被った可能性が考えられる。

第二は、資本コストの上昇や売上高人件費比率の増加である。負債状況の悪化に加え、2002年にはこれらが生じた企業にも事業撤退の傾向がみられる。アジア地域では、輸送用機械や一般機械にこの種の特徴が顕著にみられるが、これらはアジア通貨危機後、財務リストラや事業リストラが遅れた結果を反映しているものと考えられる。

第三は、成長率との関係である。99年と2002年の両時点ともに、一人当たりGDP成長率の高い国・地域ほど企業が存続する傾向がみられる。具体的には、アジア通貨危機後の99年には北米・ヨーロッパ地域で、ITバブル崩壊後の2002年にはアジア地域でそれぞれみられる特徴である。このことは、海外進出企業の存続・撤退には、成長率という基本的なマクロ要因が作用していることを示すものと考えられる。

第四は、日本側の出資比率引上げである。99年に撤退せずに操業を続けた企業は、いずれの業種においても、それ以前の3年間に日本側が出資比率を引き上げているケースが多い。これは、本社による関与の強さが存続決定に影響を与えている可能性を示唆している。他方、2002年にはこうした傾向が認められなくなり、アジア地域の一般機械を除き、日本側出資比率の上昇が存続要因から撤退要因に変わっている。おそらく、日本側出資比率が上昇した場合でも、負債状況の悪化などに応じて撤退の判断が下されるようになってきたことと考えられる。これは、競争激化の中で、より迅速な意思決定が求められるようになった事業環境の変化を示唆している。

第五は、現地子会社・孫会社数との関係である。99年、2002年ともに、現地子会社・孫会社数が増えている企業ほど撤退するという特徴がみられる。99年には、海外進出企業全体で前年の倍以上の企業が撤退しており、アジア通貨危機をきっかけに海外事業の拡張戦略に転換が図られた可能性がある。他方、近年、我が国におけるM&A(企業の合併・買収)の件数が増大していることから、より迅速な意思決定が高まっているとの先ほどの解釈とも併せると、2002年の撤退企業は、日本本社の企業再編や統合などの事情が影響している可能性も考えられる。言わば「選択と集中」の下で、海外進出企業も含めた関連会社の統廃合が進展しているということである。

 輸出入ネットワークを通じた分業体制の構築

第六は、日本との輸出入比率である。特徴的なことは、99年、2002年ともに、日本との輸出入比率の高い企業が撤退するケースが増えている点である。これは、我が国が98年、2001年ともに景気低迷期であったことが影響したと考えられる。

同様に、進出先の国・地域における現地販売比率や現地調達比率の高い企業が撤退する傾向もみられる。これらは、いずれも99年の方が影響度が大きいと考えられる。実際、第三国向け輸出比率の高い電気機械は別として、現地販売比率の水準の高い輸送用機械や一般機械では、90年代後半以降、現地販売比率が低下してきており、こうした傾向は地域別にも確認できる(第3-2-12図左、中)。このことは、次第に日本や第三国向け輸出比率の高い企業が増える傾向にあることを意味する。すなわち、90年代半ばまでみられたような、日本企業が海外に進出して生産拠点を構築し、そこで完成品まで生産して現地販売を行うといった構図から、アジア通貨危機やITバブル崩壊を経て、次第に各国間の輸出入ネットワークを通じた分業生産体制が構築されるようになってきたものと考えられる。

同時に、北米・ヨーロッパ地域とは異なり、この間に、アジア地域では地域内販売比率が低下している。このことは、アジア以外の地域への輸出比率が上昇していることを意味しており、アジア地域がより輸出基地としての性格を強めていることを示唆している(前掲第3-2-12図右)。

以上の分析を通じて浮かび上がってくるのは、(i)マクロ的な要因をベースとし、財務内容の健全性や、本社の関与の強さ・調整速度の速さ等に表れる海外事業展開の基本戦略が存続・撤退を決める基本的な要因になっているということ、(ii)アジア地域に海外生産拠点を確立し、現地販売や日本向け輸出に特化するという90年代のモデルは、アジア通貨危機や我が国の景気低迷によりその効果を低下させ、代わりにアジア地域内で海外生産拠点を分散させるかたちで輸出入ネットワークが形成されてきたこと、(iii)こうした動きの中でアジア地域の競争力が高まり、より日本や欧米地域向けの輸出基地にしていったということ、である。

以上のような日本企業の海外生産展開は、当然のことながら、我が国の輸出入構造にも影響を与えているはずである。つまり、輸出入ネットワークにおいて取引される我が国や海外現地法人の製品には、その製造段階に応じて付加価値にも差ができると考えられる。

 海外現地法人は日本向け輸出を高付加価値化

そこで、この点に着目し、輸送用機器、電気機器、一般機器の輸出入品に関する品質向上等の状況から我が国の輸出品と輸入品との付加価値を確認すると、以下の特徴をつかむことができる(第3-2-13図)。

第一に、輸送用機器については、先にみた2001年の海外生産比率の上昇以降、日本からの輸出品の高付加価値化には一服感がみられる一方、日本の輸入品の付加価値が高まる傾向にある。これは、海外現地法人が日本に対して高付加価値製品を輸出していることも関係していると考えられる。

第二に、電気機器についても、2000年以降、日本の輸入品の高付加価値化が進展している。これも先にみた海外生産比率の上昇と時期が一致しており、先述したような、為替レートの変化に対する電気機械の企業収益の感応度が低下していることとも整合的である。近年の輸出品の高付加価値化は、中国、アジアNIEsなどのアジア向け輸出を含め高まる傾向にある。

第三に、一般機器については、他の2品目と異なる特徴がみられる。すなわち、日本への輸入がより付加価値の低い製品にシフトしている点である。これは、それまで国内で生産していた相対的に付加価値の低い製品の生産が、海外からの輸入に置き換えられてきたことを示唆している。

以上より、我が国の輸出入品の付加価値の動向に着目することにより、日本の代表的輸出産業による海外生産展開が我が国の輸出入構造にも影響を与えていることがわかる。こうした輸出入品の付加価値の高低は、いわば同一産業内における国際的な垂直分業が築かれていることを示唆するものと考えられる。

 アジアにおける工程間分業の進展

これまで、我が国を代表する輸出産業の海外生産展開についてみてきた。同一製品の輸出入品の付加価値に開きがみられることは、日本企業の海外生産展開の進展が、進出先での生産や貿易動向にも影響を与えている可能性を示唆している。すなわち、こうした国際的な生産ネットワークは、相対的に安価な賃金を背景に労働を集約的に利用して生産した製品と、研究開発の成果を反映させた技術集約的な製品とを取引するといった従来型の貿易(製品が同一産業の場合は産業内貿易と呼ばれる)のみならず、同一製品の製造過程で垂直的な分業関係(工程間分業)が進展していることを示すものと考えられる。工程間分業の下では、労働集約的工程を途上国が分担し、技術集約的工程は先進国等技術力のある国が受け持って貿易が行われる。したがって、部品・中間財がある国に輸出され、それを完成品にしてから再び輸出される貿易構造となる。アジア地域では、このような工程間分業が構築されていると考えられる。

そこで、アジア地域における工程間分業の動きを反映して、電子部品、電気機器、一般機械の3製品についてアジアの貿易がどのように変化しているかを具体的に調べてみよう。

各国・地域の世界市場における輸出シェアの増加は、輸出品の多様性を表す品目数や、輸出品に加えられている付加価値の程度によって決まるとしよう。アジア各国・地域(日本を除く)における「製品の多様性」と「製品の付加価値」についてそれぞれ上位4位までの状況をみると、以下の特徴がみられる(第3-2-14図)。

第一に、世界の輸出シェアの伸びをみると中国の成長が著しい。また、アジアNIEsが上位4位内に入っている製品は電気機器のみであり、それ以外は中国かASEAN諸国が占めている。中国が輸出シェアを高めている要因は、同一製品内における品目目数の多さ、すなわち、製品の多様性にあるとみられる。

第二に、製品の多様性については、中国とASEAN諸国が総じて品目数を増やす一方、韓国やシンガポールといったアジアNIEsで増加はみられない。

第三に、製品の付加価値を示す相対単位価格は、世界における輸出シェアの成長や製品多様化の動向とは必ずしも一致せず、韓国、香港、シンガポールなどアジアNIEsの影響力が依然として強いことを示している。

このように中国やASEAN諸国が市場シェアを伸ばす一方、アジアNIEsはさらに付加価値の高い製品を生産するなど、アジアでは生産や貿易動向が大きく変化している。この背景には、それぞれの要素賦存の状況(例えば労働力、資本及び技術)や日本企業の海外生産展開等を反映して、日本、中国、ASEAN諸国、アジアNIEsとの間で、同一産業内における工程間分業が展開されている可能性が考えられる。

こうしたアジア地域における工程間分業構造は、技術力や管理能力等の向上を背景に、高付加価値化を得意とする企業が生産工程を細分化し、各工程を国・地域別に分散させることによって出来上がったものである。技術力の向上に伴う国境を超えた企業活動によって、こうしたネットワークが構築されてきている。

 企業活動のネットワークと構造改革

以上、我が国を代表する輸出産業を対象に、グローバル化による企業行動の帰着するところをさぐってきた。その内容を要約すれば、以下のようになる。

まず、80年代後半と90年代前半の円高は、輸出企業に対して、海外生産比率や円建輸出比率を高めるなどにより企業収益へのマイナスの影響を回避させる行動をとらせてきた。こうした過程でアジアを中心とした海外事業展開が高まるが、98年のアジア通貨危機や2001年のITバブル崩壊の影響、さらには我が国の景気低迷や企業再編・統合の流れの中で、海外事業から撤退する企業も増えてきた。

他方、海外で事業活動を拡張してきた企業も存在する。海外事業展開を進めるうえでは、生産や販売の拠点をどこに置くか、どのような品質のものを生産し、どこに販売・輸出するかということが問題となるが、ミクロにおける企業のこうした一つひとつの対応が集積された結果、我が国の輸出入品の付加価値構造が変わるとともに、アジア地域において工程間分業が形成されてきたということである。

現在のアジア地域にみられる垂直型の分業は、こうしたネットワークの構築によって可能となったものである。とすれば、「国境を越えた企業」の活動によって我が国が受ける影響は、こうした企業活動の国際的なネットワークの中で、「国境によって画された日本」という存在がどのような位置づけとなっているかということと密接な関係があると思われる。

このように考えると、世界的視野に立って我が国の今後の進路を考えるうえで、経済連携の推進や国際経済的な面とも整合的な構造改革がいかに重要であるかが理解されるであろう。この問題については、次節以降で詳しく論じる。

3 家計への影響

グローバル化がもたらす影響は、最終的には家計に様々なメリットやデメリットとなって現れる。そこで、家計の視点からみると、グローバル化の特徴はメリットが「広く薄く」享受されるのに対して、デメリットが一部に集中的に発生することだと考えられる。以下では、それらを具体的に検討してみたい。

 メリットは「広く薄く」、デメリットは「一部に集中」

家計には、消費者としての側面と、雇用者としての側面がある。

消費者の立場からみれば、海外から安価な製品が手に入ったことによるメリットを享受している。これは交易条件の改善によってもたらされ、家計の可処分所得が増加したことと同じ経済効果がある。とくに、内外価格差が大きい場合、その効果は顕著である(付注3-4)。さらに、海外から安い製品が輸入されることによって国内の競争が活発化し、価格引下げ効果を高めるということも期待できよう。

雇用者としての側面からみた場合、グローバル化はどのような影響を及ぼしているだろうか。企業は活動が国際的に活発化するにつれて、内外の企業との価格競争にさらされるようになっている。アジア諸国に比べると国内は賃金コストが高いため、このまま国内で生産を続けていると、コスト面での競争力が劣ってしまうのはもちろんのこと、国内のライバル企業が海外生産に切り替えた場合には、このライバル企業との競争にも不利になってしまう。企業が競争を生き抜くためには、賃金削減や国内工場閉鎖の検討に迫られるほか、生産コストが安い海外に生産拠点を移転せざるを得なくなるかもしれない。こうした結果、国内の生産拠点で働いていた労働者は賃金の減少や雇用機会の喪失に直面することになる。特に雇用喪失をとらえて“産業空洞化”と呼ばれることもある。こうした影響は、とりわけ、労働集約的であるため輸出競争力が乏しい業種で顕著に現れやすい。他方、こうした動きの反対側で輸入拡大に伴う雇用増や非製造業における雇用創出等の現実があるのだが、これらは空洞化懸念に比べて十分には認識されない場合がある。

このように考えると、グローバル化が家計に与える影響は、メリットが広く薄く享受されるのに対し、デメリットが一部の業種や分野に集中的に生じることといえよう。

 輸入浸透度の上昇により価格は下落

まず、グローバル化が家計に及ぼしたメリットを考えてみたい。90年代以降、アジア、なかでも中国からの安値の輸入品が増加した(第3-2-15図)。消費主体である家計は、手頃な値段でそれらの財を手にすることができ、生計費を安上がりで済ますことができた。

それでは、こうした安価な食料や衣料の輸入増加は、国内におけるこれらの財の価格にどのような影響を及ぼしたのだろうか。消費者物価をみると、2000年以降は下落しているが、90年代は横ばいないし緩やかに上昇しており下落傾向はみられない。したがって、消費者物価から90年代の価格効果を明らかにするのは難しい。

そこで、「家計調査」(総務省)のデータを用いて、食料と衣料の価格指数を試算してみた(第3-2-16図)。品目ごとの支払金額指数を購入数量指数で除すことによって購入価格指数を求めたものである(付注3-5)。いずれの財についても、90年代以降、輸入浸透度が高まるとともに価格が下落しており、また、輸入浸透度の上昇が著しい品目ほど価格指数の低下も著しいという強い相関関係があることが分かる。

消費者物価は5年ごとの基準年に選び出された調査品目について価格を調べるのに対して、家計調査は実際に家計がその時々に購入した商品の金額・数量を調べるものであるため、消費者の購買行動の変化をより迅速に反映しているものと考えられる。国内品に比べて割安な輸入品が店頭に増えて選択の幅が拡がったことによって、消費者が国内品より輸入品を購入するようになり、そうした消費者の低価格志向をみてとった小売業者が“価格破壊”に乗り出すなど、需要サイドと供給サイドが相互に作用した結果、家計調査ベースで価格が下落したと考えられる。

 家計の生活必需品への負担を軽減

輸入品の浸透度が高まるとともに、消費者が購入する食料や衣料の価格が低下したことが分かったが、これは、最終的に家計の消費支出にどのような影響を与えたのであろうか。「家計調査」で財・サービス別の支出動向を調べると(第3-2-17図)、年々、経済全体が財からサービスへの比重を強めるのにつれて、消費行動もサービス支出のシェアが高まって財支出のシェアが低下している。しかし、ひとくちに財への支出といっても、内訳をみると、耐久財(自動車、家電など)への支出はあまり減少していないのに対して、半耐久財(被服・履物など)や非耐久財(食料など)への支出は90年代以降、漸減傾向である。品目別にみても、食料や被服・履物、家具・家事用品といった品目への支出額は、減少傾向が顕著である。

こうした財はいずれも、生活必需品的な色彩が強い財であり、価格が下落したことによって、生活必需品に対する支出が安上がりで済んだということができる。こうして可処分所得に余裕ができた分は、教養・娯楽、交通・通信、保険医療、教育など他の財・サービスの支出に振り向けることが可能になったはずである。もちろん、こうした財・サービスへの支出は需要サイドだけの要因で決まるわけではなく、供給サイドの要因も影響している。例えば、携帯電話やインターネットの登場・普及や医療介護サービスの充実など供給サイドの革新が新たな需要を掘り起こした面もある。しかし、新たに登場した財・サービスへの支出を可能ならしめた背景には、安値輸入品の流入によって生活必需品的な財への支出を節約することが可能だったこと、それに伴って可処分所得に余裕が生まれたことが影響していると考えられる。

 食料と衣料の内外価格差の計測

次に、食料と衣料について内外価格差がどの程度あるのかを調べてみよう。

2000年時点の「貿易月表」と「産業連関表」を基に、食料と衣料について、輸入品と国内品の間で統計上読みとれる範囲で同一の品目を選び(食料については、精米、ビールなど84品目。衣料については、背広服など59品目)、輸入額、国内生産高、輸入品と国内品の間の単位当たり価格差(内外価格差)を計測した(17)付注3-6)。

その結果によれば、衣料では、輸入品のシェアが国産品のシェアとほぼ並んでいる様子がうかがえる。特に、単位当たり価格差が大きい品目ほど輸入品のシェアが高い傾向がみてとれる(第3-2-18図)。一方、食料については輸入品のシェアはまだ低いレベルに止まっている。また、単位当たり価格差が700%を超える品目が存在し、それらの品目の国内品のシェアがかなり多いことがみてとれる。したがって、衣料では内外価格差の大きいものは輸入が高まっている一方、食料では内外価格差が大きくても輸入が少ないという違いがあることが分かる。

このような価格差がどの程度の大きさになるかを調べるために、2000年時点における単位当たり価格差と需要量(国内生産と輸入)を掛け合わせて推計すると(前掲付注3-4)、衣料では6.5兆円(2000年の名目GDP比1.3%)、食料では10.8兆円(同2.1%)となる(18)。こうした内外価格差が残っていることに留意していくことが重要である。

 “産業空洞化”への懸念

次に家計が雇用を通じて受けたデメリットを考えてみよう。

我が国では1980年代から貿易黒字が増加し、欧米先進国との間で貿易摩擦が発生した。これを受けて産業界では、生産拠点を欧米に移転する動きが本格化した。一方で、こうした対外直接投資は、国内の生産拠点が海外に流出して国内の雇用機会が失われるのではないかという懸念を生んだ。いわゆる“産業空洞化”への懸念である。90年代になると、対外直接投資先は、欧米よりもASEANや中国といったアジア諸国が目立つようになった。同時に、輸入面でも、こうしたアジア諸国から安価な輸入品の流入が増加し、“空洞化”への懸念に拍車を掛けた。80年代の空洞化は日本をリードする産業が海外移転することによる雇用喪失の懸念であったのに対し、90年代は国内企業が倒産することによる失業増加の懸念という違いがある。

そこで、貿易が雇用にどのような影響を与えたかを調べてみよう。まず、我が国の製造業が国内と海外でどのように雇用を変化させたかを概観するために、国内従業員の伸び率(工業統計表ベース)と国外従業員の伸び率(海外事業活動基本調査ベース)を使って業種別に85年から2001年までの動きをみると、ほとんどの業種で、国内従業員が減少する一方、国外従業員が増加していたことが分かる。特に、こうした動きは90年代前半に加速した様子がうかがえる(第3-2-19図)。

 輸出入が雇用に与えた影響

輸出や輸入は、国内の雇用にどのような影響を与えたのだろうか。まず、我が国の貿易構造の変化をみるために、総務省の「昭和60-平成2-平成7年接続産業連関表」により製造業粗付加価値に対する輸出額と輸入額の比率をみると、85年頃が一つの転換点になっていたことが分かる。すなわち、(i)85年頃を境に、それまで一貫して上昇していた輸出比率が頭打ちになった、(ii)輸入比率は85年頃を境に上昇傾向を強めていった、様子がうかがわれる。そこで、貿易構造の転換点となった85年を基準点として、その後に生じた輸出入構造の変化が我が国の製造業の雇用に及ぼした影響を推計してみよう(19)

ここでは、我が国と海外との貿易比率が85年当時のままで変化が無かったと仮定した場合に、2000年時点でどの程度の就業者数が実現していたか仮定計算を行った。

具体的には、85年時点の輸出比率(輸出額/(国内最終需要+中間需要))と輸入比率(輸入額/(国内最終需要+中間需要))を固定した場合の2000年時点の就業者数を推計し、これを2000年時点の実際の就業者数と比較した。この差は、輸出比率の低下及び輸入比率の上昇の影響によると考えられる。例えば、85年時点に比べて、輸出比率が低下した業種では我が国から海外への輸出が減少したことから、国内の生産も雇用も伸び悩んだ可能性が高い。輸入比率が上昇した業種では海外から我が国への輸入が増加したため、国内の生産も雇用も伸び悩んだ可能性が高い。

計算結果は▲196万人と推計された(第3-2-20表付注3-7)。この数字は、85年当時の輸出入比率が2000年に維持されていたならば、2000年の就業者は実際よりもさらに196万人増えていた可能性があることを意味する。

貿易が雇用に及ぼした影響を業種ごとに調べると、特定の業種に影響が集中的に現れた可能性が高いことがわかる。輸出比率の低下、輸入比率の上昇が10万人以上の雇用喪失効果を与えたと推計されるのは、食料品・たばこ(▲22万人)、繊維工業製品(▲10万人)、衣服・その他の繊維製品(▲32万人)、金属製品(▲10万人)、電気機器(▲36万人)、輸送用機器(▲23万人)である。他の業種への影響は、これらに比べれば限定的である。このように貿易を通じた雇用への影響は、幾つかの業種に集中的に現れた可能性が高い。

 新たな内需の増加によって輸出入の影響を緩和

輸出入が製造業の雇用に及ぼした影響があったことは確かだとしても、それがそのまま現実の就業者数の減少につながったわけではない。

第一に、輸出入のマイナスの影響が大きく試算された食料品・たばこでは、実際の就業者数は16万人増えており、内需の伸びによって雇用が増えたことがうかがえる。輸入された食料は、ただ単に国内産品に取って代わって国内の生産・雇用を減少させたわけではない。消費者のライフスタイルや嗜好の変化に伴って、“食”のニーズが多様化しており、外食産業やコンビニエンスストアなどの売上げが増加している。こうしたニーズに応えるように、輸入された食料が食材・総菜として販売される一方、これと競合する国内産の食料の製造・加工も活性化した。こうした相乗効果によって、食料品の生産や雇用が増加して、実際の就業者数の増加につながったとみられる。

第二に、化学やプラスチック産業でも、実際の就業者数は伸びている。これは、内需が増加したことによって輸出入による影響を緩和ないし相殺することができたためである。特に、化学では、医薬品製造業などで就業者が増えているが、これは医療の高度化や健康志向の高まりなどを映じたものと考えられる(20)

 非製造業では新たな雇用が大幅に増加

この間、非製造業では、同じ85~2000年の間に、633万人の就業者が増加している(第3-2-21図)。増加が目立つのは、サービス業(498万人)、卸・小売業(106万人)である。経済全体において、製造業よりも非製造業の比重が高まる傾向にあり、就業者数のシェアも非製造業が8割(2000年)に達している。製造業では、輸出入を通じた雇用への影響がみられたものの、非製造業ではそれを吸収してなお余りある雇用が生み出されたことになる。

非製造業のなかにはグローバル化の影響で雇用が創出された分野もある。例えば、旅行(海外旅行)、飲食料品小売(ファーストフード、ファミリーレストランなど)である。

さらに、非製造業では、グローバル化とは直接的な関係が薄い分野でも雇用が大きく伸びている。例えば、医療、社会保険・福祉、道路貨物運送(宅配便など)、その他の小売(医薬品小売など)、スポーツ施設・公園・遊園地、ソフトウェア、労働者派遣などである。こうした分野で生まれた新しい消費者ニーズが、新たな雇用を生み出したのである。

このように、グローバル化が進むなかでは、失われる雇用を他の業種でいかに円滑に吸収していくか、また、新たな雇用の受け皿になる産業をいかに育てていくかが重要であり、そのためにも国内における構造改革に同時並行的に取り組んでいくことが重要な課題である。

 輸出入による賃金への影響

輸出入の変化が、我が国の労働者の賃金に与えた影響を調べてみよう。

ここでは、「賃金構造基本統計調査」のデータに基づいて、産業間の賃金格差が輸出入によってどのように変化したかを分析した(21)。被説明変数としたのは、一般労働者(全労働者から公務従事者及び、従業員規模が9人以下の事業所の労働者とパートタイム労働者を除く)の時間当たり所定内賃金である。基準産業として、我が国の代表的な輸出産業である輸送用機械を選び、輸送用機械の賃金に比べて多いか少ないかという産業間の賃金格差を表すダミーを入れて分析した。その際、産業による賃金の違いだけでなく、事業所の規模や労働者の年齢構成、性別、学歴などによって賃金格差が生じている可能性もあるので、これらの要素による賃金格差を表すダミーも入れた。85年、90年、95年、2002年の4時点について推計した産業間賃金格差は(第3-2-22図付注3-8)のとおりである。

 食料と衣服では、賃金に抑制圧力

賃金格差のマイナスが大きいのは、繊維・衣服(▲20%)、食料品(▲12%)であり、時間の経過とともに、マイナス幅が拡大している。既に、貿易が雇用に与えた影響は、食料や衣服の分野で大きかったことをみたが、賃金格差についても食料や衣服でのマイナス格差が目立つ。

食料や衣服で賃金上昇が抑制されている姿は、要素価格均等化の動きが作用しているという指摘がある。要素価格均等化とは、熟練労働者が多い先進国が、非熟練労働者が多い途上国と貿易した場合、先進国は、熟練労働集約的な財を輸出する一方、非熟練労働集約的な財を途上国から輸入するようになる。この結果、先進国では、熟練労働者に対する需要が増す一方で、非熟練労働者に対する需要が減少するため、熟練労働者の賃金は上昇、非熟練労働者の賃金は低下する。こうした賃金動向の結果、先進国では全ての産業において、割高な熟練労働者の雇用を相対的に抑制するようになる(=非熟練労働者に対する熟練労働者の比率を押し下げる)というものである。

要素価格均等化については、熟練労働者と非熟練労働者という統計データが存在しないため、代理変数(生産労働者に対する管理・事務・技術労働者の比率など)を用いた分析がこれまでに行われてきたが、熟練労働者の雇用が抑制されている状況にはないことが示されている。また、賃金や雇用に影響を与える要因としては、輸出入以外にも技術進歩による影響が大きいのではないかとの指摘もある。すなわち、IT技術などの進歩に伴って技能水準が高い労働者へのニーズが高まり、その結果、他の労働者との間の賃金格差が拡大しているのではないかとみられている。したがって、要素価格均等化の動きが現実化しているとは判断できない。

 日本人はグローバル化に対して慎重

このように、輸出入が雇用や賃金に及ぼした影響もあり、日本人はグローバル化に対して慎重であるという特色がある。その実態を国際比較をしながら明らかにしてみよう。世界経済フォーラムの調査(2001年秋実施、対象は25か国)によると、グローバル化が経済に与える影響については、国ごとに意識が大きく異なっていることが分かる。

グローバル化によって経済が良くなるとの期待は、先進国ではオランダ、アメリカ、イギリスなどで高く、アジアの途上国では中国やインドで高い。他方、先進国の中で日本、スペイン、フランスは相対的に期待が低い。なぜ、このような意識に相違があるのか、それに関係する要因を考えてみたい。

第一は、グローバル化が雇用に与える影響との関係である。雇用が増加するとの期待と経済が良くなるとの期待は、高い相関関係にあることが示される(第3-2-23図)。つまり、雇用の増加への期待が高い国においては、経済が改善することへの期待が高いのである。対象国の中で、日本は雇用増加への期待は最も低く、経済改善への期待も先進国中フランスに次いで低い。2001年秋の日本経済は景気後退期にあり、失業率も上昇する厳しい経済環境にあったことが影響しているとみられるが、これまで明らかにしたように輸出入を通じる雇用や賃金への影響も慎重な回答につながっているものと考えられる。

しかしながら、雇用の増加はあくまで期待である。就業者数の実績値をとってその変化率と雇用増加の期待との相関関係を調べると、相関関係はほぼ無かった(第3-2-24図)。すなわち、就業者数が現実に増えることと、雇用増加の期待が高まることはほとんど無関係である。

 日本は輸出入比率が低く、雇用増加への期待は低い

第二に、雇用増加の期待と輸出入比率の関係である。両者は、輸出入比率が高い国ほど雇用増加の期待も高いという相関関係にある。このことは、経済の開放度が高い国の方が、雇用に対する望ましい効果を期待する傾向にあることを示している。これは、やや意外な結果を含んでいる。すなわち、輸出比率が高い国では、自国から海外への輸出が増加することが期待できるため、生産や雇用が増加することへの期待が高いのはうなづける。しかし、輸入比率が高い国では、輸入品との競合によって自国の生産や雇用が減少する可能性があるため、グローバル化には消極的なのではないかと予想された。輸入比率についてはこの予想が覆された形であるが、これはおそらく、輸入が増えることによって、輸入財に関連する産業が活性化し、雇用が増加することを期待する向きが多いためではないかと思われる。

日本は、対象国のなかでは輸出入比率が低い方であり、雇用増加への期待も極めて低い。この結果から、日本は構造改革の取組を進めることによって、グローバル化の便益を更に引き出す余地があることが示唆される。

 OECDの研究では国内所得格差は拡大傾向

経済学の教科書にしたがえば、輸出入が活発化することによって、(i)先進国は熟練労働による製品を輸出し、途上国は非熟練労働による製品を輸出することによって、双方が貿易のメリットを得る。(ii)この結果、前述したような賃金の動きが生じ、先進国では熟練労働者の賃金が相対的に上昇する一方、途上国では非熟練労働者の賃金が相対的に上昇する。

このような理論どおりであれば、先進国では国内の所得格差が拡大することが示唆される(途上国では縮小する)。それでは、グローバル化の進展によって世界各国の国内における所得格差がどのように推移しているかを調べてみたい。これに関しては、OECDや世界銀行などで多くの研究がなされているが、その結果は理論が示すものと異なる場合もある。

まず、OECDの研究によれば、80年代から90年代にかけて多くの加盟国(=先進国)において所得格差が拡大する結果となっている(第3-2-25表)。所得分布の平等度(ジニ係数)は、調査対象20か国のうち約半数の11か国で不平等化が進んでいる。日本でもこの期間に格差が拡大している。他方、オーストラリアやアイルランドなど4か国では格差が縮小している。

このような違いがどのような要因によってもたらされているかを検討してみた。(i)グローバル化を代表する指標である輸出入比率は、格差動向とは無関係であった。(ii)日本の所得格差拡大の大きな要因としては高齢化の進展が挙げられるが、対象20か国について調べると所得格差の動向と高齢化の進展の間に相関関係は認められなかった。(iii)弱いながらも正の関係が認められたのは、失業率の変化幅であった。すなわち、失業率の上昇幅が大きいほど所得格差が拡大する傾向がみられた。

こうしたことから、先進国をとってみれば所得格差は拡大傾向が生じているが、その原因としては国際的な要因よりも、失業のような国内要因の影響を受ける可能性が高いと考えられよう。

また、IMFの報告(22)によると、グローバル化が先進国の雇用や賃金、所得格差に与えた影響はわずかなものであると結論づけている。先進国の労働市場では、非熟練労働から熟練労働に対する需要のシフトが生じ、労働市場が弾力的な国(アメリカ、イギリスなど)では比較的スムーズに労働移動が進んだが、労働市場が硬直的な国(欧州諸国)では失業が増加した。しかし、こうした動きの原因としては、技術革新によって熟練労働への需要が高まったことによる影響が大きく、輸出入の影響は小さいとしている。

 世銀の研究では所得格差は理論どおりではない

他方、世界銀行の研究(23)は、先進国(約20か国)の所得格差(所得10分位別の対平均所得比、90年代前半まで)がグローバル化とどのような関係があったかを明らかにしている。その調査によれば、格差の動きは理論が示すものとは逆になり、開放度(輸出入計の対GDP比)が高い国ほど所得格差が縮小するという結果が得られている。主な原因は、中低所得層の所得格差が相対的に改善することにある。その背景としては、教育を通じて労働の質が向上している場合、開放度の高まりが新たな労働需要を喚起して、所得格差是正の効果を持つと考えられている。

先進国の所得格差に関する幾つかの実証研究の結果は、(i)どのような指標で格差を測るかによって格差拡大に関する判断が異なること、(ii)グローバル化が所得格差に及ぼす影響については、はっきりとした結論は見いだせないものの、少なくとも格差拡大の主要な要因になったとは考えられないこと、(iii)格差拡大については労働市場など国内の要因が大きく影響している可能性が高いこと、したがって技術革新に適合した人的能力を高めていくことが重要な政策課題であることなどを示唆している。

 構造改革の必要性

グローバル化が家計に与える影響は、安い輸入品による可処分所得の増加というメリットがある反面、一部業種を中心に雇用や賃金においてデメリットが生じてきた。メリットについては、食料という代表的な例を調べただけでも潜在的に利用可能なものが大きく残されていることが分かった。他方、デメリットについては、民需の増加を図りつつ産業の再構築や労働者の転職等に関して対処していくことが課題である。家計に対するメリットは広く薄く発生することから、グローバル化に対して慎重な態度をとってしまう傾向がみられるが、構造改革の取組を進めることによって、その便益がより一層実感できるようになるものと期待される。

4 地域経済とグローバル化

グローバル化の進展は地域経済にも変化を引き起こしている。これまでみたように、輸出の低下、輸入の増加が一部業種の雇用を大きく減少させた。それに見舞われた地域経済ではグローバル化から痛手を被ったという意識が生まれるかもしれない。しかし、競争力の優位性は常に変わるものであり、新しい分野で雇用が創出され職に就くことが可能となるような構造的な取組を進めることがマイナスの影響に対処していく上で必要である。ここでは、地域経済がグローバル化からどのような便益を引き出すことができるのか、新しい動きや新規の施策のポイントをまとめてみたい。

 外資系企業の経済効果

対日投資については、地域経済を活性化することが考えられる。

外資系企業の本社は東京、大阪などの大都市に集中している(本社立地割合の上位3都府県は、東京都69%、神奈川県10%、大阪府7%)(24)。したがって、地方圏は外資系企業と縁が薄いのは仕方がないと考えられがちである。

しかし、雇用についてみると、外資系企業の雇用は大都市圏でしか増加しないと思われがちであるが、現実には地方圏で外資系企業の雇用が着実に増加している。外資系企業の支店や関連会社が広く地方に展開しているためである。日本にある外資系事業所で働く従業者のうち46%は、東京・大阪・神奈川以外の道府県で働いているのである(25)

このように地方で外資系企業によって雇用が創出されていることだけでなく、外資系企業の技術・ノウハウが伝播することで、地域経済の活性化につながるものと期待できる。具体的には、外資系企業の労働生産性は国内企業に比べて約2倍の水準にあるとの実証研究がある(26)。高い労働生産性は生活を豊かにするものである。外資系企業の雇用者比率と労働生産性の関係をみると、外資系従業員比率が高い都道府県で労働生産性が高い傾向がみられている(27)

 外国の消費者という新しいチャンス

外国の消費者が着目する我が国の資源として、観光と農産物が挙げられる。これらは、外国の消費者が価値を認めることによって、地域経済にグローバル化のメリットが実現するものである。

第一に、観光については、第2章でみたとおり、アジア地域の所得水準の上昇を反映して観光客の流入が増加している。これは各地方の魅力が外国人に価値あるものと認められているからである。例えば、北海道や東北の雪は、亜熱帯のアジア諸国や季節が逆の南半球からみて有効な観光資源となる。また、温泉についても、外国人の人気が高まっている。こうしたことから、北海道を訪れる外国人観光客は、97年度から2002年度の5年間で2倍を上回る増加(28)となり、このうちアジアからは3倍近い増加となっている。

第二に、農産物については、生活水準が向上しているアジア地域へ我が国の輸出が増加している。詳しくは本章第4節で検討するが、特に、米、りんご、なし、ながいもな