第3節 経済連携の推進

日本の経済発展はGATT/WTO(世界貿易機関)を中心とする多角的な自由化を推し進めることによって達成されてきた。近年、世界の貿易・投資自由化の取組において、特定の国・地域においてFTA(自由貿易協定)を設定する活発な動きがみられている。わが国は2002年には日星(シンガポール)新時代経済連携協定を締結し、2004年3月には日墨(メキシコ)経済連携協定が大筋合意に達した。さらに韓国、タイ、フィリピン、マレーシアとの二国間協定及びASEAN全体との経済連携に関する協議に積極的に取り組んでいる。

そこで、本節では、日本経済に対するFTAの意義と留意点について概観する。

1 経済連携の取組み

 1990年代以降、FTAが顕著に増加

FTAは地域的な貿易自由化の一形態であり、加盟国間での関税撤廃を基本とする協定である。FTAは地域を限定した自由化を行うという点において、MFN(最恵国待遇)の例外である一方、その域内においては関税等を撤廃するという意味で自由化推進という性格を持っている。

こうした性格にかんがみ、FTA等の地域貿易協定を設定する際には、加盟国は、(i)「実質的に全ての貿易」の自由化を行うこと、(ii)自由化は「10年以内に行うこと」、(iii)FTA等を締結した前後で関税等がより高度または制限的なものであってはならないことが、WTO規定とその解釈において、条件とされている。すなわち、WTOは世界における貿易の無差別自由化を原則とするものであるが、一定地域との間でのみ自由化を行う枠組みであるFTAについても高度な自由化を推進する性格であれば、世界貿易の自由化につながるものとして例外的に認めている。

こうしたFTAが90年代以降、顕著に増加している(第3-3-1図)。WTOに通報された経済連携は合計150件に達している(実効ベース)。80年代は10件に満たなかったが、90年代前半は31件、後半は60件、2000年以降は40件と増加しており、90年代以降が大半を占めている。90年代、欧米先進国による取組(NAFTA、EU)を端緒としてFTAの取組は加速したが、特に、最近は途上国に関係したもの、地域横断的なものも増加している。アジア・太平洋地域においてもここ数年ではFTAの取組は増加し、締結された件数は、12件となっている。

それでは、なぜこのようにFTAが増加しているのかを考えるために、まずWTOの最近の動きを調べてみよう。

 WTOの拡大・進化と停滞

戦後の貿易自由化を主導したGATTを引き継ぎ、貿易における無差別原則(最恵国待遇・内国民待遇)等の基本的ルールを主導するWTOの交渉には、近年、若干の停滞がみられる。象徴する出来事としては、カンクンWTO閣僚会議(2003年9月)の決裂があげられる。これは、ドーハラウンドの交渉促進を狙ったものであったが、主要交渉分野についての合意が難しいことが原因となり、閣僚宣言採択の見送りという事態に陥ってしまった。このように交渉が停滞する背景には、93年妥結のウルグアイラウンド頃から以下のような変化が生じていることが挙げられる。

第一は、加盟国数の拡大である。GATT体制化では、ケネディラウンド(参加国62)、東京ラウンド(同102)、ウルグアイラウンド(同123)と、参加国数が拡大した。特に、途上国の参加の増加をみた。2001年以降のドーハラウンドでは、参加国は147カ国・地域とさらに増加している。この結果、参加国間の利害が大きく錯綜することになり、交渉の合意達成は容易でなくなっている。

第二に、自由化の対象の拡大である。世界経済の発展にあわせ、財の貿易だけでなく、サービス貿易や投資に関する自由化についても交渉対象となった。また、これまでGATTにおける自由化基本原則の対象外となっていた農業分野についても、ウルグアイラウンドで「農業合意」を樹立し、上記基本原則を踏まえた自由化を行うこととなった。このように自由化の対象は拡大してきている。さらに、関税・輸入制限などの国境措置だけではなく、競争政策や知的財産保護など貿易・投資に影響する国内措置も対象として加わったことなど、多角的自由貿易体制におけるルール作りも進められている。このようにWTO交渉の対象分野が幅広いものになっていることも、ラウンドの進捗を遅くさせている。

したがって、WTOが貿易自由化を一層推進していくためには、こうした要因を踏まえて対応していかなければならない。ドーハラウンドで新ラウンドの課題を「ドーハ開発アジェンダ」と銘打ったことからも明らかなように、途上国の参加拡大に対しては、開発問題に十分に考慮した交渉が求められている。同時に、交渉分野の拡大により、論点が多岐に渡り、交渉が長期化する傾向があることを十分念頭に置き、WTOへの期待を裏切らないように交渉を進めることが必要である。

 FTAを通じた自由化の拡大・深化

90年代後半以降にFTAの締結が急増している要因としては、(i)前述のようにWTOにおいて、迅速に合意を形成することの困難さが広く認識されていること、(ii)利益を共通にする国同士が自由化の利益を関係国間で先取りする動きが生じていること、(iii)FTAを国際政治的な戦略の一環として推進しようという思惑が働いていること、などが挙げられる。

最近のFTAの新しい流れとしては、伝統的な貿易自由化(関税の撤廃等)のみならず、投資、競争政策、知的財産、政府調達、人の移動の円滑化、電子商取引、環境、労働関連制度の調和等の分野にまで協定の対象が拡大していることがある。これらの分野は、WTOにおいてさえ新しいものである。このため、従来のFTA(加盟国間の関税を撤廃するもの)に対して、最近のもの(関税だけでなく上記のように幅広い分野を対象とするもの)を経済連携協定(EPA)と呼び、区別することがある。

このように経済連携を深め、新分野のルールをまず二国間で構築することは、次のような長所が考えられる。(i)モノの貿易を越えた、域内での幅広い経済活動の自由化・円滑化の促進のニーズの高まりに迅速に対応できる、(ii)当該分野の制度構築に関するノウハウや経験を蓄積し、それを多角的交渉の場での合意形成の材料とする、(iii)多国間交渉における新分野のルール構築においてリーダーシップを発揮しうる、といった効果が期待できる。このような効果が実現すれば、それはWTOの交渉にも貢献するものであると考えられよう。

しかし、FTAが常に手放しで良いものではなく、それについては経済学者から問題提起もなされている。最大のポイントは、WTOの理念が維持できるかどうかである。すなわち、(1)FTAへの取り組みが、WTOを中心とする多角的自由化の維持・強化につながる動きを強めることができるか、(2)WTOでは伝統的な貿易自由化以外でも多くの分野で自由化規律を導入することを進めているが、それはFTAでも重視されているか、などがその例である。

また、FTAの運営上、原産地規則が必要になるが、FTAごとに異なる規則が適用されるとなると規則が複雑に絡み合った状態に陥り(スパゲッティボウル現象)、行政コストが過大になってしまい、こうした問題を回避すべきとの指摘もなされている。

したがって、FTAを進める場合には、WTOを通じた多角的自由化の推進に十分配慮することが重要である。

2 経済連携の経済効果

 緊密さを増している東アジア経済

日本は現在、東アジア諸国とのFTAの取り組みを積極的に進めつつある(付表3-1)。これら諸国は、地理的に近いことと合わせ、実際に経済関係が緊密さを増している地域であり、FTA締結によって、経済的に大きなプラス効果が期待できる。

日本の貿易構造をみると、輸出のアジア向けシェアは、90年には3割程度だったものが、2003年には4割を上回っている。こうした関係は、第2節でもみたように日本企業のアジア展開とも対応するものである。

また、アジア諸国の関税率は、概して先進諸国と比較して高水準となっており、自由化による関税撤廃のメリットがアジア諸国と日本の双方にとって大きい。さらに、アジア諸国にとっては技術移転等から日本との自由化メリットが大きいと考えられる。

このように、アジア、北米、欧州の3地域のうち、アジアとの更なる自由化を通じ最も大きな追加的利益が期待できる。逆にアジア諸国が日本以外の国とFTAを結び、日本がFTAを結べないでいると、日本はデメリットを被る可能性が高い。

 貿易自由化による経済効果

理論的には、FTAを通じた貿易自由化がもたらすメリットは静態効果と動態効果があり、以下でそれを整理したい。

まず、貿易自由化が直接的にもたらすプラスの静態効果として、締約国間の関税を撤廃することで締約国間の貿易を創出する効果がある(貿易創出効果)。すなわち、自由化により、輸入国の消費者は、今までにはない安価な輸入品を購入する機会を得ることが可能となる。また、消費者の選択の多様化が進むことも考えられる。

また、比較優位の原理に基づいて、双方の国内において高生産性部門への経済活動のシフトが実現する。なお、この際、比較劣位にある産業では、生産性上昇が実現できなければ、縮小することが考えられる。

他方、FTAのマイナスの静態効果もある。効率的な生産を行う非加盟国との間でこれまで貿易取引のあった財は、関税が加盟国間内でのみ撤廃された結果、むしろ非効率的な生産を行う加盟国の財の方が安くなる場合、この財に振り替えられてしまう効果がある(貿易転換効果)。ただし、FTAにおいて加盟国が多い場合には、貿易転換効果の起こる余地が小さくなると考えられる。

以下では、緊密さを増している東アジア諸国との間で関税率をゼロにすることが日本経済に対してどのような効果を持つかについて、応用一般均衡モデルを用いてその影響をみてみよう(30)

ここでは、FTAの実施は、単純に各国の関税をゼロとすることと想定し、日本が東アジア諸国(具体的には中国、韓国及びASEAN)とFTAを結んだ場合の経済効果を計測してみた。なお、東アジア諸国とのFTAの効果を比較するために、日本を含む世界全ての国が関税をゼロにする場合(WTOベースの自由化)の効果も試算した。

試算の結果、貿易自由化の直接的な効果である消費者メリットの増加は次のとおりであることが分かった(第3-3-2図)。

(i)全世界レベルでの自由化のメリットが最も大きい。消費者メリットを測る消費者余剰(安いものをより多く消費できることによって発生するメリット)(31)の増分は対GDP比で約0.6%と試算されている。(ii)東アジア諸国とのFTAによるメリットは、全世界レベルに比べ相対的に小さくなっているものの、プラス効果が示されている。(iii)日本が中国、韓国、ASEANとのFTAに参加しない場合は、貿易転換効果が生じ、日本の消費者余剰はマイナスとなる。こうしたことは、日本が東アジア諸国とのFTA締結に取り組む意義を示している。

このように経済全体でみると消費者メリットは増加するとの結論が得られるが、比較優位の状況やFTAの内容によって産業部門ごとへの影響は異なり、産業調整のコストが発生する。したがって、構造改革を通じて生産性の向上を図ることなどによりFTAに伴うコストが最小限になるように努め、これらの問題に対処していくことが重要である。

 動態的な効果も期待される

応用一般均衡モデルを用いたFTAの効果は、貿易面の静態的な効果を計測するものである。しかし、現実にはモデルでは計測されないが、生産性の上昇や資本蓄積を通じて国内産業やマクロ経済全般に影響を与える、動態的な効果が大きいと考えられる。

第一に、「規模の経済効果」、すなわち、域内の貿易・投資障壁が撤廃され、市場が統合される結果、規模の経済が実現することに伴い、生産性が上昇する効果である。例えばIT関連生産財などでは、固定費用が大きいことなどから、規模の経済による経済効果が働きやすいと考えられる。

第二に、「競争促進・技術伝播」による生産性向上効果である。安価な財・サービスの流入や外資系企業の参入、海外経営者・技術者の自国流入などにより、競争が促進され、優れた経営ノウハウや技術が自国に伝播することに伴う生産性向上効果が考えられる。

第三に、「国内制度改革」による効果である。FTA締結に向けた交渉や締結後の協議等を通じて加盟国間で有効な政策・規制等が共有あるいは移転される。国境措置にとどまらず、サービスや投資分野の自由化を通じて、投資規制の撤廃や手続きの簡素化・透明化、紛争解決手続きの整備など、投資ルールの整備や共通化を行うことで、ビジネス環境を改善し、貿易・投資促進的な制度となることが期待される。

さらに、上に挙げたような諸効果を通じて生産性が上昇することにより、マクロ的な観点からも、加盟国内の期待収益率の上昇や不確実性の低下等を通じて、国内投資や対内直接投資の増加により資本が蓄積され、当該国の長期的成長率にプラスの効果が考えられる。

3 これからの取組

 国内構造改革と一体になって推進

このように、東アジア諸国との経済連携からは多様な経済効果を引き出すことが可能になると考えられ、次のような基本的考え方の下に、経済連携への取り組みを強化していくことが重要である。

第一に、世界経済への貢献とWTOの補完・推進という観点から、WTO新ラウンド交渉を推進しつつ経済連携の取組を行うことである。上にみたように、全世界的な自由化が最も経済的なメリットが高いことを踏まえ、(i)将来のWTOの場での自由化で参考になるような先進的内容を盛り込むこと、特に投資ルール、競争政策、知的所有権などの新しい分野でアジアのレベルアップを目指すこと、(ii)FTA締結に当たっては、WTO関連諸規定との整合性を確保すること、などである。

第二に、アジアの先進国としての日本のリーダーシップの発揮である。このためには、(i)アジアの発展と安定が日本の長期的な利益になることを踏まえ、相手国の発展を促進するという観点も重視すること、(ii)中国・ASEAN間などの域内での他の経済連携と将来的に統合してより広い自由貿易圏となる可能性も念頭に置きつつ進めること、である。

第三に、国内構造改革との一体的推進である。このためには、(i)貿易・投資自由化で生まれる新しいビジネス・チャンスが活用され、新産業や雇用の創出が円滑に進むようにすること、(ii)競争力が弱い分野でも、自由化に伴う競争が活力をもたらす可能性にかんがみ、当該分野の活性化を制約している規制等を見直すこと、などの構造改革の加速である。

我が国の当面の経済連携への取り組みにおいては、看護、介護等の分野における外国人労働者の受入れを含む人の移動の推進に関して総合的な観点から検討することが必要となる。また、農業生産の効率化を促す方向で、農政改革を早期に進めることも経済連携を推進する上で重要である。

さらに、我が国との経済連携交渉において相手側に技術・人材育成、国内法制度(政府調達、知的財産権保護、競争政策等)、通信・物流インフラなどの面で自由化のボトルネックがある場合にはODAなどによる協力も活用しつつ、その改善を支援していくこと、が重要である。

 租税面での協調

さらに、地域間での貿易・投資を活性化させるための取組としては、FTAと並んで、租税条約を改正する動きがある。租税条約は、二国間の課税権を調整することにより二重課税を防止し、企業や投資家の国際的な投資交流を税制面から支援することを目的とするものである。我が国はこれまでに45の租税条約を締結し、55カ国との間で適用しているが、中には締結から長い年月が経過し、企業の海外進出が急増するなど近年の経済実態に対応しきれていないものも存在する。

こうした中、日米租税条約が、新しい租税条約の基本方針(投資所得に対する限度税率の軽減と租税回避行為を防止する措置の導入)の下、約30年ぶりに改正され、2004年3月に批准・発効された。日米新租税条約では、投資交流を促進するため、一般的に源泉地(投資先)国での課税を大幅に軽減することとしており、これにより我が国及び米国企業のクロスボーダーの取引における二重課税のリスクが大幅に軽減されることとなる。また、源泉地(投資先)国免税が拡大することは居住地国課税の占める割合が増えることにつながるため、投資家にとっては税務手続きの手間も省けるというメリットもある。こうした措置により、日米両国間の貿易や投資がこれまで以上に活発化することが期待される。

他方、日本と東アジア諸国との経済関係は緊密化しており、我が国との貿易や投資を活発化させるとともに、東アジア地域において長期的かつ安定的な経済成長を確保していくことは重要である。かかる観点から、日米租税条約において採られた新しい条約の基本方針に沿って東アジア諸国との租税条約を改正することは、FTAの推進とあいまって、日本と東アジア諸国との間の貿易・投資を更に活性化するとともに、域内において投機的な短期資金ではなく安定的な投資に向かう長期の民間資金を環流させる観点から、東アジア地域の経済成長にも資するものと考えられる。