第1節 日本経済とグローバル化

1 グローバル化の意味

 深まる海外経済との関係

一般に、グローバル化とは、資本や労働力の国境を越えた移動が活発化するとともに、貿易を通じた商品・サービスの取引や、海外への投資が増大することによって世界における経済的な結びつきが深まることを意味する。本書においては、このような意味において「グローバル化」を用いる。

世界銀行はグローバル化を「個人や企業が他国民と自発的に経済取引を始めることができる自由と能力」と定義している(2)。ここで、「自由」とは国境を越えて資本・労働力等の移動に障害がないこと、「能力」とは国境を越えて商品・サービスを提供し、あるいは他の国で経済活動をする能力があることを意味する。過去を振り返ってみると、運輸・通信・金融・保険等の技術や情報伝達能力が発達し、貿易や資本などの移動に対する障害が政策的に取り除かれることによってグローバル化が進展し、それが所得水準を高めることによってさらに経済関係が深まっていったと考えられる。このようにグローバル化は経済発展をもたらす動きである。

グローバル化の過程は、一国内において分業が進展していく過程と基本的に同じである。分業によって経済活動の専門化が進み、技術革新を伴いながら経済成長がもたらされる。所得水準の上昇によってさらなる分業が可能となり、経済成長との好循環が実現する。このようにして、世界経済が徐々に包摂され自由主義経済の良さを享受することが可能となる。消費者の立場に立てば、より安くて質の高い財やサービスを選択することが可能になり、生活水準が向上する。

近年のグローバル化には、コンピュータを通じた情報処理やインターネットなどの情報伝達の分野における技術革新が新たな影響を与えている。これらは、金融をはじめとする各種サービスの機能を向上させている。こうした技術変化はこれまでの経済活動の在り方を革新し、金融面を中心に経済取引が瞬時に世界的規模で可能となるなどグローバル化の可能性を高めていると考えられる。

グローバル化の便益を享受するためには、遅れることなく企業の技術革新を促すこと、技術革新に対応して経済社会制度を迅速に適応させるとともに、障害は取り除くこと、それらにふさわしい人材を育成することなどが必要になってくる。

 海外経済との関係においても構造改革が重要

構造改革は国内経済を活性化させるものであるが、グローバル化の便益を引き出す過程においても重要であることを示している。つまり、市場メカニズムを十分機能させ、広く生産性の向上を図るとともに、労働や資本等を生産性の低い分野から高い分野へ移動させることが構造改革の大きな目的であるが、それは海外との経済関係の緊密化からも便益を引き出すことにつながるものである。

投資や雇用、あるいは生産活動の分野において規制が残り構造改革が不十分な場合や、人材育成が技術革新に適応できない場合等では、グローバル化の便益を引き出すことができないことがある。それどころか、投資の停滞や工場の海外移転、失業の増加、所得格差の拡大が生じ、経済が厳しさを増すことさえあり得る。

さらに、国内の構造改革のほかにも、世界的な貿易・投資の推進のためには、各国・地域の協力のもとに製品や規制の標準化を図る必要がある。また、国際分業を進展させて経済活動を高めるためには、契約の遵守、知的所有権の保護や競争政策の強化などが重要となる。

以下では、我が国が変動相場制に移行した1973年以降の状況を概観しながら、とりわけ90年代以降において日本経済のグローバル化の特徴をまず明らかにしよう。その後、次節以降で行う分析の問題意識と主要な結論についてあらかじめ述べることにする。

2 90年代以降を中心とする特徴

 4つの特徴

日本経済のグローバル化について、90年代以降に焦点を当てると次の4つの特徴がある。

第一は、為替レートの変化とその経済への影響である。我が国は、変動相場制移行後、80年代後半には急激な円高に直面し、90年代前半にも緩やかながら長期間にわたる円高を経験した。こうした為替レートの変化は、我が国経済に大きな影響を与えてきた。

第二は、我が国の産業構造や貿易構造の高度化に伴い、貿易相手国や直接投資先としての重要性が、次第にアメリカから東アジア地域へと移ってきた。こうした動きは、海外経済との関係が密接になる中での企業の積極的な活動の結果である。

第三に、我が国の金融・資本取引の面については、近年、海外からの株式投資は増えてきたものの、我が国の国際的な金融・資本取引は、バブルの一時期を除いて活発化してきたとはいえない。貿易面に比べて、金融・資本の動きは低調である。

第四に、欧米諸国と比べると、日本経済の国際的な結びつきの深まり方は緩やかである。これは、我が国の中でグローバル化が進展していると考えられても、欧米諸国と比較した場合には必ずしもそうはならない。

以下では、こうした4つの特徴についてその背景を整理してみよう。

 変動相場制移行と為替レートの大幅な変化

1973年、我が国を含む主要国は、固定相場制から変動相場制に移行し、以後、各国通貨の交換比率である為替レートは外国為替市場で決まるという制度を採用してきた。変動相場制に移行したのは、先進諸国の貿易不均衡が是正されなかったため、為替レートの変更を見込んだ投機資金の動きが激しくなり、国際通貨不安がしばしば発生し、固定相場制の維持が困難になってきたことによる。

第二次世界大戦後、国際社会は、無差別で自由な貿易を通じて世界経済を発展させ、それを通じて世界平和の基盤を固めようとした。こうした国際社会の意思の下で、関税や輸出入制限など、貿易に対する様々な障害を取り除く方向で調整が進められてきた。その結果、運輸・通信技術の進展もあって各国間の貿易量は増大し、敗戦国であった日本や旧西ドイツも輸出を通じて経済水準が上昇した。

これに伴い各国経済の基礎的な条件も変化し始めたが、為替レートが固定されていたために、こうした変化は国際収支の不均衡として現れることになった。すなわち、経済的な実力が相対的に低下しても、為替レートがその実力を反映して切り下がらない場合、その国の輸出品は割高となる一方、他国からの輸入品は割安となるため、輸出が減って輸入が増えることにより、貿易赤字が拡大する。経済的な実力が相対的に上昇した国の場合は、その反対に貿易黒字が拡大することになる。

そこで、市場の機能を活用し、経済の基礎的な条件をより為替レートに反映させることによって、国際収支の不均衡を調整するとともに、他国で発生した経済変動や物価上昇などの衝撃を水際で遮断する試みが主要国で採用されることになった。こうして我が国も変動相場制に移行したのである。したがって、貿易の発展に伴って国際通貨制度の調整が必要になったという意味では、変動相場制への移行はグローバル化の進展を示す象徴的な出来事といえる。

その後、資本移動の自由化や金融技術等の発展によって外国為替の取引が活発化してきたこともあり、為替レートは次第に変動性が高まり、短期的には必ずしも経済の基礎的な条件を反映するように決まっているとはいえない。このことも、外国為替取引の活発化がもたらしている影響といえる。

変動相場制移行後の円ドルレートの推移をみると、80年代半ばに大きく水準を変えていることがわかる(第3-1-1図)。この水準調整は、85年9月のプラザ合意から87年2月のルーブル合意の約1年後まで続いた(3)。この間をはさんで、円ドルレートは、73年3月の変動相場制移行後からプラザ合意までの平均約252円に対して、ルーブル合意後から2004年4月までは平均約121円と、約50%強の円高となっている。また、90年代前半の円高はその期間が長いものの、その間の約48%の上昇率は、85年から87年にかけての約46%の上昇に匹敵する円高である。

このような為替レートの変化は、90年代以降、我が国にどのような影響をもたらしてきたのだろうか。それまでの我が国経済に対する輸出企業の重要性を考えると、企業行動の変化を通じて、我が国の経済構造に影響を与えてきたと考えられる。この問題については、第2節で詳しく検証する。

 貿易・投資面での東アジアの重要性の高まり

次に、貿易と対外・対内直接投資の変遷について概観することにしよう。これらは、労働力の移動と比べてグローバル化が比較的容易な分野といえるが、それでも一様に進展してきたわけではない。そうした状況について、我が国の経済や産業と関係づけながらみることにしよう。

この30年間における貿易面での特徴的な変化は、最大の貿易相手先がアメリカから東アジア地域に変わったことである(第3-1-2図)。この背景にはASEAN、中国の台頭がある。輸出入を合計した貿易取引面では、88年以降、アジアがアメリカを上回る相手国となり、輸入については2002年に中国が単独でアメリカを上回るようになっている。

次に、貿易財について輸出入品目の動向をみると、30年間の我が国の産業の高度化を反映していることがわかる(第3-1-3図)。輸出品については、付加価値の高い工業製品の輸出が増加したことにより、機械機器関連のシェアが大幅に増加する一方、輸入品については、原材料の輸入から半製品・製品輸入に代わり、輸出品と比べて付加価値が相対的に低い製品を輸入するようになってきたことがうかがえる。

サービス貿易については、80年代末から赤字幅が拡大してきた(第3-1-4図)。この背景には、80年代後半の円高を受けた海外旅行の増大がある。また、我が国企業の技術開発力の向上と海外事業展開先へのライセンス供与の増大を反映して、特許等使用料の受取額が増大し、2003年にはその収支が黒字に転じている。

このように、貿易面では、(i)我が国の貿易取引がアメリカから東アジア地域へと重点が移動してきていること、(ii)輸出入品目や技術貿易などから我が国の産業構造の高度化が進展してきたこと、がわかる。

対外直接投資については、60~70年代の販路確保を目的とした投資から、80年代後半には貿易摩擦や円高に対応した製造業の海外進出が増えた。90年代に入ると、輸送用機械や電気機械を中心とした東アジア地域との垂直分業の進展に伴う投資や、金融機関を中心とした業界再編に伴う投資が増大している(第3-1-5図)。近年は一件当たりの金額が大型化しているという特徴もみられる。

地域別にみると、90年代以降、北米地域が減少傾向にあり、東アジア地域の重要性が高まってきたが、アジア通貨危機以降は投資水準が低下してきた。反対に、ヨーロッパ地域では、金融保険や輸送用機械を中心に99年頃から投資が増加傾向にあるが、これは欧州統合市場や輸送用機器の東欧・中欧地域向け輸出を目的とした投資と考えられる。

対外直接投資に比べると、対内直接投資は非常に少ない時期が続いてきたことがわかる(前掲第3-1-5図)。これは、我が国の場合、外資系企業に対して投資制限を課した業種が多く存在したことによる(4)。しかし、90年代末以降、規制緩和の大幅な進展などにより急激に増加し始め、現在では対内直接投資は対外直接投資の2分の1程度までになっている。

地域別にみると、90年代を通じて北米、ヨーロッパ地域からの投資が多く、一件当たりの金額も大型化している。業種は機械機器が大半であるものの、近年では規制緩和や金融再編に伴って、化学(製薬)や金融保険、通信などの増加が目立っている。

以上を踏まえ、貿易と対外直接投資にみられるアメリカから東アジア地域への重点の移動に関係する問題を第2節で分析し、対内直接投資の現状と課題については第4節で検討する。

 低調だった我が国の国際金融・資本取引

国際的な経常取引・資本取引の自由化は、64年の経済協力開発機構(OECD)加盟後に進んだ。一方、外貨建資金調達・運用手段の解禁などを伴う短期金融市場や資本市場の自由化については、それより20年程度遅れ、80年代から90年代にかけて進められた。

ただし、我が国では、80年代後半のバブルの時期を除いて、国際的な金融・資本取引は十分に活発化してこなかったと思われる。その理由は次のように整理される。

第一に、我が国の家計において、ごく最近まで海外での資産運用は選択肢になかったためである。家計が直接保有する金融資産は銀行預金と郵便貯金が過半を占め、近年の外貨預金による運用も全体的には低い水準に止まっている。

第二に、内外金利差が国内借入れに有利な状態が長く、また、景気低迷や過剰債務の返済等により企業部門の資金需要が弱く、海外からの調達金利も高かったためである。

第三に、金融機関においても不良債権処理等への対応のために、海外営業拠点からの撤退等、全体として国際的な活動が低下してきた面も考えられる。

第四に、80年代後半以降、円高傾向が続いてきたために、外債投資を行った場合の円換算後の投資価値減少のリスクが大きく、生命保険会社等の国内機関投資家による国際資本取引が抑えられたためである。ただし、近年は、国内での低金利により資金運用難が続いていることから、外債投資が増大してきている。

このような我が国の側の状況に対して、海外からの資金運用については急速に国際取引が進んでいる。たとえば、我が国の株式市場における外国人投資家の比率は90年代後半に上昇し、90年代前半までの10%未満から2003年3月末には17.7%に上昇している。これはアメリカの株式市場における外国人投資家の比率(2002年6月末7.8%)を上回っている(第3-1-6図)。

他方、株式市場と比べて、国債市場における外国人投資家の保有比率は2003年3月末には3.6%であり、アメリカの国債市場の外国人投資家の保有比率(2002年6月末40.7%)と比べて低い状況にある。また、我が国の貿易における円建比率は、93年頃までは輸出入とも上昇傾向がみられたが、輸出は42.8%をピークに近年は35%前後で推移しており、輸入も20%台前半まで上昇後、横ばいで推移している。

我が国の株式市場を除いて、国際的な金融・資本取引があまり活発でない主たる理由は我が国の低金利にあり、その背景には経済が長く停滞してきたことがある。金融・資本取引は経済活動の水準と密接な関係があり、経済活動の水準は金利に反映される。したがって、我が国の経済が活性化し、円資産運用の期待収益率が高くなることが重要である。そのためには、我が国の経済を持続的な成長軌道にしっかり乗せることがまず重要であろう。

 欧米諸国と比べて緩やかな日本経済のグローバル化

貿易と、直接投資と証券投資を含む対外投資をグローバル化の代表的な分野と考え、国内総生産(GDP)に対する貿易財の輸出入金額及び対外累積投資額の比率をとる。すると、これらの指標はいずれも経済規模に対する対外経済活動の重要性を示すものと考えられる。そこで、これらを「貿易開放度」、「対外投資促進度」と呼び、日本、アメリカ、ヨーロッパの貿易や資本移動の進展度を測ると、以下の特徴がみられる(第3-1-7図)。

第一に、79年から86年までに我が国やヨーロッパで貿易開放度が高まっているが、これは第2次オイルショックとその後の逆オイルショックの影響によるものである。すなわち、この間は石油価格の上昇によって輸入額が上昇したのであり、貿易開放度に特に進展がみられたわけではない。

第二に、ヨーロッパでは、93年以降、貿易開放度や対外投資促進度が上昇してきた。93年はマーストリヒト条約に基づき欧州連合(EU)が発足し、景気回復とともにヨーロッパ域内における貿易・投資が拡大したことや、99年には単一通貨ユーロが導入されたことが影響していると考えられる。

第三に、アメリカの貿易開放度は90年代後半にかけて緩やかに上昇してきた。他方、対外投資促進度の上昇は、94年の北米自由貿易協定(NAFTA)発効や新興工業国向けの証券投資ブームの影響が考えられる。その後、98年にアジア通貨危機が発生し、2000年には国内IT投資に資金が移動したため、対外投資促進度は急激に低下したと考えられる。

第四に、こうした欧米諸国とは異なり、我が国の場合、90年代以降の貿易開放度は15%程度で横ばいを続け、対外投資促進度は80年代後半のバブル期に一時アメリカを抜いたものの、バブル崩壊後は欧米諸国ほど活発ではなかった。近年の対外投資促進度の上昇は、国内での資金運用難による欧米諸国への外債投資が寄与していると思われる。

このような貿易開放度や対外投資促進度という尺度でみる限り、我が国のグローバル化は欧米諸国ほどには進展してこなかったのではないかと考えられる。

90年代は、ヨーロッパやアメリカにおいては、貿易や投資に対する地域的な取組を強力に推進した時期であった。他方、我が国では、バブル崩壊後、その処理に手間取るなかで経済が停滞する状態が続き、グローバル化によって得られるメリットを逸してきた可能性がある。最近になって、ようやく公的支出への依存度を高めることなく、着実な景気回復がみられるようになってきた。こうした民需主導型の経済成長の持続性を高めるうえでも、90年代に失われた機会をどのように取り戻すことができるかを考える必要がある。このことは、グローバル化のメリットを関係諸国とも享受しつつ世界経済の発展に貢献するために、経済連携の促進やそれと整合的な我が国の構造改革を推進することが重要であることを示唆している。この問題は第3節及び第4節で扱う。

 次節以降の分析と結論

以上にみたグローバル化の展開を踏まえ、第2節以降の内容と結論をあらかじめ簡単に述べると以下のようになる。

第2節では、為替レートの変化に対するマクロ経済の反応が、90年代以降は変化し、貿易・サービス収支の黒字が削減される効果が大きくなっていることを明らかにする。次に、輸出企業の海外生産展開に着目し、企業行動の変化の過程を具体的に検証する。その結果、東アジア地域を中心とする日本企業の海外展開の拡大によって、同地域内に工程間分業が形成されてきたことが分かった。さらに、グローバル化が家計に与えた影響については、輸入が顕著に増加している生活必需品の分野で価格下落が大きく、家計はそれに伴うメリットを享受してきた一方、輸出の減少と輸入の増大が国内の雇用減少に影響を与えたことを記す。

第3節では、東アジアを中心とした地域との経済連携にどう取組むべきかという問題を検討する。地域的な自由貿易協定(FTA)は、それ自体の経済効果においても、世界貿易機関(WTO)が目指す自由・無差別の通商体制を補完するうえでも一層の推進を図ることが重要であることが記される。

以上を踏まえ、第4節では、世界的視野に立ってグローバル化の便益を引き出すための構造改革について分析を加える。第一は、自由化対応を進めるなかで、我が国の農業についてである。今後の方向としては、農業就業者の高齢化が進むなかで、一層の生産性向上に向けて農家・土地の一体的な対応が重要であることが明らかになる。第二は、対内直接投資の拡大についてである。我が国の規制は厳しい状況が続いており、内閣の対内直接投資倍増の方針に従って改革を進める必要がある。第三は、少子高齢化等を背景に注目されている外国人労働者の問題についてであり、受入れ拡充について総合的に前向きな検討が必要であることが記される。第四は、我が国では社会保障負担の増大が見込まれるが、それが企業の競争力を低下させる懸念についてである。競争力への直接的な影響はこれまで小さかったと考えられるが、今後は経済全体へのマイナスの影響を過小評価すべきではないことが分かった。第五は、国際的な企業活動をも念頭にどのような競争政策が必要とされるかという点である。競争政策にも国際的調和が求められるとともに、従来、競争とは無縁と考えられてきた分野についてもグローバル化や構造改革への取組とあわせて検討することが重要であることが記される。

本章は、ともすれば、構造改革は国内経済問題のことだと思われがちな面がある点を考慮し、国際経済的な面ともつながりが深いことを示すことを目的としている。