第4節 デフレ克服への展望
今回の景気回復は、2002年初めから数えて2年半が経過しており、この間に、デフレは徐々に緩やかなものとなり、国内企業物価はわずかながら上昇、消費者物価は横ばいとなっている。しかしながら、消費者物価は、既に述べた医療保険の自己負担割合引上げや米価の上昇といった一時的要因によって押し上げられていた面もあり、総じてみれば緩やかなデフレ状態を脱するには至っていない。このようにデフレが継続している限り、実質債務残高の増加により不良債権問題の解決が遅れ、金融システムの健全性が損なわれるとともに、名目金利はゼロ以下にならないという制約によって金融政策の効果も限られたものとならざるを得ない。また、政府部門も実質債務残高の上昇や税収の減少によって財政再建が困難となる。このような状況で外的なショックが生じた場合には、経済政策は柔軟な対応ができず、景気が失速する可能性が高まる。したがって、日本経済が持続的な成長経路に乗るためには、デフレを克服し、かつ、デフレに再び戻らないようにすることが重要である。この節では、最近の物価動向について、需要面、供給面、金融面から多面的に考察するとともに、それを克服するために必要な金融政策の在り方を論じる。
1 横ばいとなる一般物価
● 素材価格の上昇により国内企業物価はわずかながら上昇
国内企業物価の動向をみると、国際商品市況の上昇を受けて、2002年末から素原材料価格が上昇に転じ、それに連れて中間財の価格も2003年後半から上昇に転じている(第1-4-1図)。他方、最終財価格は依然として低下が続いており、川下での価格転嫁はまだ十分できていない。さらに、最終財の内訳をみると、非耐久消費財価格は米価上昇もあり一時的に上昇しているが、資本財、耐久消費財の価格はほぼ一貫して低下が続いている。
素原材料価格上昇の製品価格への転嫁の状況について、経済産業省が2004年3月に行った調査では、川上にある非鉄金属、鉄鋼など素材業種ではかなり転嫁が進んできているものの、自動車、電気電子機器など川下でより消費者に近い業種では、7割から8割の企業が価格転嫁は全くできていないと答えている(第1-4-2図)。企業になぜ価格転嫁が難しいかを尋ねると、「競争が激しくて価格転嫁ができない」と答えている企業が最も多い。過去に素原材料価格が上昇した局面において、消費者物価(生鮮食料品を除く財)にどのように転嫁されたのかを現在の状況と比べてみると、1970年代の第1次・第2次オイルショックの時には、原油価格の上昇がほぼ同時に消費者物価の上昇という形で表れているのに対して、今回や1999年に素原材料価格が上昇した際には、消費者物価に対する影響は限定的であると考えられる(付図1-19)。また、素原材料価格から消費者物価への影響を統計的に検証するために、この2変数からなるVARモデルを推計して、素原材料価格に対するショックが消費者物価(生鮮食品を除く財)にどのように波及するかを調べた。推計の結果によると、素原材料価格に対するショックが消費者物価に与える影響は、1970年から1989年までのデータを用いた場合の方が、1990年以降のデータを用いた場合よりもかなり大きいことが示されている(第1-4-3図)。こうしたことから、90年代に入ってからは、内外の競争が激しくなる中で、企業の価格転嫁が容易でなくなっている可能性が考えられる。
● 消費者物価は横ばいで推移
消費者物価は2003年第2四半期頃から、横ばいとなっている。ただし、これは、医療保険の自己負担割合の引上げなどの制度的要因、米の不作による米価の一時的な上昇といった要因によって押し上げられている面がある。これらの要因の前年比での寄与度は2004年3月時点であわせて0.5%程度である。しかしながら、こうした要因を除いたとしても、消費者物価の下落幅は徐々に縮小しつつある。
そこで、消費者物価のどのような品目が上昇し、どのような品目が下落を続けているのかをみるために、2001年第1四半期と2004年第1四半期時点の生鮮食品を除く消費者物価について、上昇している品目と、下落している品目に分けてみた(第1-4-4図)。すると、ウェイトでみて、上昇している品目と下落している品目の割合は、2001年第1四半期、2004年第1四半期ともに52対48と変化がない。ただし、下落している品目をさらに2%以上下落しているものと2%未満の下落の品目に分けると、2001年第1四半期から2004年第1四半期にかけて、2%以上下落している品目の割合が19%から14%へとかなり低下し、その分2%未満の下落となっている品目の割合が上昇している。したがって、最近上昇している米価などの影響を除いたとしても、大幅に価格が下落している品目が減ることで、徐々にデフレの度合いは小さくなっていることが分かる。具体的な品目でみると、2%以上継続して下落している品目にはパソコンなどの電気機器があり、下落が若干緩やかになっている品目には衣料などがある。ただし、パソコンなどの価格が大きく下落しているのは、指数の計算にあたって技術進歩を考慮した品質調整が行われていることを反映している面が大きい。また、上昇が続いている品目の7割程度は教育費といったサービスであり、価格が上昇している財には米類などがある。
● 需要要因がデフレ緩和に貢献
デフレが緩やかになっている要因の一つには、景気回復によって需給が若干引締まり方向に推移していることがある。既にみたように、現在みられる素材価格の上昇は最終需要財価格や消費者物価には十分転嫁されてはいないが、徐々にではあるが需給要因によってもデフレが緩和しつつある。こうした需給と物価の関係をみる一つの目安として、GDPギャップの大きさが用いられる場合がある。ただし、GDPギャップと物価上昇(下落)率との関係は、インフレ率が一定以下に低くなると、GDPギャップの変化ほどには物価上昇率が変化しないことが知られており、また、GDPギャップの計測に関しても様々な問題があることが指摘されている(11)。実際に、GDPギャップと消費者物価、GDPデフレータの推移をみると、長期的にはこれらの変数の間に正の相関関係があると考えられるが、例えば、2001年にはGDPギャップのマイナスが拡大する一方、消費者物価の下落幅はそれほど大きくならないなど、両者の関係が弱くなっているとみられる期間もある(12)(第1-4-5図)。
こうした点に留意する必要があるものの、景気回復が始まった2002年初から2004年初までの期間についてみると、GDPギャップが縮小する中で消費者物価(生鮮食品を除く総合)の下落率は0.8%ポイント縮小した。こうした物価下落率の縮小には、既に述べた制度的あるいは一時的要因も含まれる点は割り引く必要があるが、それを考慮しても、景気回復によってデフレが徐々に穏やかになってきている状況にあると考えられる。
他方、GDPギャップとGDPデフレータの関係については、2002年初から2004年初までの期間についてみると、GDPギャップが縮小するなかでGDPデフレータはむしろ下落幅が拡大しており、両者の関係は弱くなっている。
● 供給側のデフレ要因も緩和
さらに、デフレが緩やかになっているもう一つの要因としては、供給側の要因が一時ほどには物価下落に寄与しなくなっていることがある。そこで、技術革新や規制緩和、輸入浸透度の上昇等の供給側の要因が物価に与える影響をみるために、消費者物価の品目を、技術革新要因で変動するもの、規制緩和要因で変動するもの、輸入競合要因で変動するものの3つに大きく分け、さらに、輸入競合要因のうち輸入浸透度が上昇しているものの技術革新の影響も同時に受けている電気機器を区別した(第1-4-6図)。この計算結果によると、規制緩和要因は、最近の航空運賃の値上げなどもあり、2003年末から2004年初にかけて一時上昇に転じていたほか、輸入競合要因についても、衣料品などを中心に2003年に入ってから下落幅がかなり小さくなっている(13)。他方、パソコンやカメラなど技術革新による性能の向上をヘドニック指数で調整している品目(品質の向上分が価格の下落に反映されている品目)については、2002年央あたりからマイナス寄与の大きさがほとんど変わっていない。供給側要因全体としての寄与は、2001年時点では0.7%から0.8%程度消費者物価を押し下げていたが、2004年初時点では、供給側要因によるマイナス寄与は0.2%程度になっている。3つの供給側要因別にその背景をみると、規制緩和要因のマイナス寄与度が低下しているのは、航空運賃の上昇はやや一時的な側面はあるが、基本的には、規制関連料金の引下げの動きが足元で一服していることを反映している。輸入競合品に関しては、衣料等の下落幅が縮小してきたことは、輸入浸透度が既にある程度の水準に達していることを反映したものと考えられる。他方、技術革新要因については、デジタル家電等の新製品において技術が進歩しており、価格も低下していることから、今後も引き続き一定の下落が続くものと考えられる。
コラム1-2 民間企業設備デフレータの下落幅はなぜ拡大したのか
民間企業設備デフレータ(以下、投資デフレータ)とは、民間企業が投資する機械設備や工場など構築物の価格である。2003年の投資デフレータは、5.4%の下落と、国内企業物価が0.8%の下落にとどまったことに比べて、その下落幅が大きかった。(コラム図1-2(1))この投資デフレータの大きな下落はGDPデフレータの下落幅拡大に寄与した。では、2003年に投資デフレータと国内企業物価の乖離がなぜ大きくなったのか。
まず、国内企業物価が素原材料や中間財を含んでいるのに対して、投資デフレータは機械設備や構築物等の最終財価格を合成したものであるため、価格下落の大きい機械設備の動きが反映されやすい。さらに、国内企業物価が基準年にウェイトを固定するラスパイレス算式であるのに対して、投資デフレータは各年のウェイトを用いるパーシェ算式であるため、こうした算式の違いによる要因も働く。そこで、算式の違いによる要因により、どの程度の違いが生じるのかを見るため、国内企業物価の内、IT機器を含む一般機器、電気機器等を総合した指数(IT関連機器の比率は、2002年39%→2003年42%)をラスパイレスとパーシェの両算式で作成し、両者を比較すると、下落率に5.0%程度の差が生じた。(コラム図1-2(2))
よって、2003年に投資デフレータと国内企業物価の乖離が大きくなったのは、IT機器の価格下落幅が大きく、かつ、企業の設備投資に占めるIT機器の比率が大きくなった中で、投資デフレータはそうしたウェイトの変化を反映しやすいパーシェ指数であるということが一因としてある。なお、今後、投資デフレータがどう推移するかを考えてみると、(i)IT機器の価格下落は続くが、設備投資に占めるIT機器のウェイトが更に上昇するとは限らないこと、(ii)構築物の価格が最近の素材価格の上昇を反映して下げとどまる可能性があること、を考慮すると、必ずしも更に下落が大きくなっていくとは考えにくい。
2 デフレと金融政策の動向
デフレの状況を総合的に判断する上で、金融部門が正常化に向けて回復しつつあるかどうかは大きな鍵となる。以下では、最近の金融市場の動向と金融政策の効果について論じる。
● デフレが続くなかで量的緩和が継続
2003年から2004年にかけての短期金利と対米ドル円レートの動向をみると、短期金利は依然としてゼロ近傍で安定的に推移しているものの、対米ドル円レートは2003年度後半から円高ドル安が進んだ。開放経済において、為替の動向も含めた総合的な金融の状況をみる指標として、金融コンディション・インデックス(Monetary Condition Index)が用いられるが、これは、実質短期金利と実質実効為替レートを加重平均したものである。このMCIの推移をみると、2000年以降については、おおむね緩和方向での推移がみられるが、2003年には、デフレの程度が縮小してきたことによって実質短期金利が低下した反面、為替が円高方向に変化したことから、総合ではわずかながら若干引締め方向への変化が観察される(第1-4-7図)。
緩やかなデフレが続くなか、2003年から2004年前半にかけて、日本銀行は量的緩和政策を維持・強化してきた。日銀は、2003年10月に、金融調節面で機動的に対応する余地を広げるとの観点から、日銀当座預金残高の目標レンジの上限を2兆円引き上げたほか、2004年1月には、目標レンジをさらに3兆円引上げ、30~35兆円程度とした(第1-4-8図)。
また、2003年から2004年3月にかけて、政府・日銀による外国為替市場への35.1兆円の円売り・ドル買い介入が行われた。
● 量的緩和継続へのコミットメントの明確化
デフレが徐々に緩やかになるなか、日銀による量的緩和政策がいつまで続くのかということが注目されるようになったが、これに対して、日銀は2003年10月に量的緩和政策継続のコミットメントの明確化を行った。具体的には、「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上」という条件について、第一に直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できること(具体的には数ヶ月均してみて確認)、第二に消費者物価指数の前年比上昇率が先行きについても再びマイナスとなると見込まれない、具体的には、日銀政策委員の多くが、「展望レポート」における記述や政策委員の見通し等により、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していること、さらに、これらが満たされても、経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合もあること、を明らかにした。
こうした日銀の量的緩和継続に関するコミットメントは、市場の金融政策の先行きに関する不透明感を減じ、その後の長期金利安定に一定の効果を持ったと思われる。この点について、2003年10月時点と2000年のゼロ金利解除時点における物価や需給動向に対する日銀の政策反応パターンを対比してみよう。経済学的には、金融政策当局は、その時点における期待物価上昇率と望ましい物価上昇率との乖離の程度や、GDPギャップの程度から判断して金利水準を調節すると考えられるが、こうした政策反応を定式化したのがテイラー・ルールである。そこで、一定の仮定の下でテイラー・ルールによる日銀の政策反応関数を推計してみると、日銀が量的緩和継続に関する条件の明確化を行った2003年10月時点では、景気回復に伴うGDPギャップの縮小により、ターゲットとなる金利水準は2000年8月のゼロ金利解除時の水準を既に上回っていたと推計される(第1-4-9図及び付注1-5)。実際の金融当局の政策決定がこうした単純な定式化にのっとって行われているとは考えにくいが、この推計からは、2003年10月の日銀の量的緩和継続の条件明確化は、日銀がゼロ金利解除の時とは異なる政策反応パターンに基づいて政策の決定を行ったものと推察される。こうした日銀のコミットメントは早期の利上げ期待を抑制する効果があったものと考えられる。
● マネーサプライ伸び低下の背景
景気が回復しているにもかかわらず、2003年に入ってからマネーサプライの伸び率は低下してきている。マネタリーベースの伸びは、2002年初めには30%を超える伸び率で増加していたが、2004年第1四半期には、14%程度まで伸び率が低下してきている(第1-4-10図)。また、M2+CDについても、2002年には3%台の伸び率であったが、2003年以降は1%台後半から2%台の伸び率となっている。マネタリーベース伸び率の構成項目別寄与度の内訳についてみると、日銀当座預金の寄与度は依然としてかなり大きいが、日銀券発行残高の寄与度は2002年初めをピークに低下が続いている(第1-4-11図)。
このように日銀券発行残高の伸び率が低下しているのは、基本的には信用不安の低下に伴って現金保蔵を増やす動きが一服してきているためである。また、M2+CDの伸びが低下していることについても、同様に現金通貨の伸びが低下してきていることを反映しているが、それに加えて、2001年以降M2+CDを押上げてきた郵便貯金(定額貯金)が大量に満期を迎えたことや、エンロンの破綻の関係で投資信託の解約が増加したことなどに伴う現預金の増加といった要因が剥落してきたこともある(14)。
こうした過剰な通貨保蔵の動きが落ち着いてきたことにより、貨幣乗数の低下速度が若干緩やかになっている。貨幣乗数について詳しく調べると、M2+CDをマネタリーベースで除した貨幣乗数は、恒等式の関係を利用して、非金融部門の現金・預金比率、金融部門の現金・預金比率、金融部門の準備・預金比率の3つの要因に分解できる(第1-4-12図)。これらの要因の時系列的な推移をみると、貨幣乗数が急速に低下していた2001年後半から2002年前半にかけては、(i)信用不安の高まりに伴って非金融部門の現金・預金比率が上昇した、つまり家計や企業等が銀行預金よりも手元現金をより多く持つ傾向があった、(ii)日銀の量的緩和政策導入を反映して金融部門の準備・預金比率が高まった、つまり民間銀行が日銀当座預金の残高を積み増した、といった現象がみられた。他方、2002年後半以降、貨幣乗数の低下幅が縮小してきているのは、信用不安の低下によって非金融部門の現金・預金比率の寄与度が低下していること、つまり、家計や企業が手元の現金よりも銀行預金により多くの資金を置いていることを反映している。
ちなみに、マネーサプライ(M2+CD)が伸びるためには、貸出の増加などにより、通貨発行主体である金融機関のバランスシートが拡大する必要がある。現状では、銀行等のバランスシートは拡大しているものの、資産構成の推移をみると、2001年から2003年にかけて、貸出金の割合が57.7%から53.5%へと低下する一方、ほぼそれと見合って国債等の割合が12.1%から15.2%へと上昇している(付表1-20)。
こうした点を別の視点からみると、資金循環の構造変化がマネーサプライに影響を与えているという見方もできる。M2+CDは、家計や企業など資金余剰主体が保有する現預金である。このため、これらの主体がネットで金融資産を増やすことはM2+CDの増加につながる。ただし、これらの主体が現預金を取り崩して他の金融資産を購入したり、銀行借入れの返済をした場合には、その分だけM2+CDは減少する。実際、2003年において、家計・企業の借入れ返済によるM2+CDの前年比寄与度は▲3.3%であった(第1-4-13図)。他方、家計や企業が資金余剰となっていることは、同時に他の主体、とりわけ政府が資金不足となっていることと表裏一体である。現状では、海外の資金過不足は大きな変化がないので、政府の資金不足の増加分だけ家計・企業の資金余剰が増加する形になっている。この意味では、政府の資金不足の拡大は、M2+CDの増加要因となる。2003年においては、こうした中央政府の資金不足(財政赤字)によるM2+CDの前年比寄与度は4.1%であった。以上の分析によれば、M2+CDが緩やかな伸びにとどまっている背景の一つには、財政赤字が増加に寄与する一方で貸出減少・借入れ返済が抑制的に働いていることがあり、銀行の不良債権処理と企業の過剰債務削減が早く終息する必要があることを示唆している。
以上のようにマネーサプライの伸びは、一時に比べて緩やかになっているが、景気回復にともなって最近では、名目GDPは増加に転じている。このため、名目GDPをM2+CDで除した貨幣の流通速度は、2003年中に下げ止まってきている(第1-4-14図)。こうした貨幣の流通速度の変化は、信用不安など予備的動機による貨幣需要が縮小していることを反映していると考えられる。このように、貨幣の流通速度や貨幣乗数の低下に歯止めがかかってきたことは、不良債権処理の進展や一時期の信用不安の解消によって、金融が正常化に向かう兆しが見えてきたものと考えられる。加えて、2004年に入り、M2+CDの伸び率が、緩やかに上昇してきているが、貸出の減少幅が縮小するなど、景気回復に伴い資金需要が増大する可能性が出てきたことが背景にあることも考えられる。
3 デフレ状況の総合判断と今後の政策
● デフレ状況の総合判断
以上のような物価や金融の状況をもう一度整理してみよう。まず、物価に関しては、内外の景気回復によって需給が締まることによりデフレ縮小方向に需要要因が働いていることに加え、供給側の要因についても、依然マイナスの寄与を続けているものの、一時期と比べれば、その程度は小さくなってきている。また、金融の状況をみると、マネーサプライは低い伸びとなっているが、不良債権処理の進展や一時期のような信用不安による通貨の保蔵意欲が減り、マネタリーベースとM2+CDの関係(貨幣乗数)、M2+CDと名目GDPの関係(貨幣の流通速度)は安定的になりつつある。さらに、2004年に入り、M2+CDの伸び率が緩やかに上昇しているが、貸出の減少幅が縮小するなど、景気回復に伴い資金需要が増大する可能性が出てきたことが背景にあることも考えられる。このように、需要面、供給面、金融面ともに徐々にデフレ脱却に向けて動いている。では、こうしたデフレを取り巻く諸環境を総合的にみた場合、どの程度デフレが継続するリスクは縮小したと判断できるだろうか。この点を考えるためには、以下のような点について注意する必要がある。
第一は、物価の状況をどのような指標でみるかという点である。物価指数によって、対象となる範囲や、2時点間の変化をどのような基準で測るかという点は様々であり、程度の差はあれ、どの指標も何らかのバイアスを持っている。その意味では、絶対的な物価指数というものは存在しないが、分析の目的を限定すれば、それに適した物価指数というものは自ずと限られる。ここで重要なのは、言うまでもなく物価指数のマクロ経済的側面である(15)。物価は貨幣的現象であり実物経済には影響しないという古典派の2分法の世界とは異なり、現実の世界では、物価上昇率の高低は経済の実物面にも影響を及ぼす。具体的には、高インフレの下では、(i)貨幣の保有費用が高まるため、それを回避するために多大な精力が向けられる、(ii)相対価格や将来の物価水準に関する不確実性が高まりリスク・プレミアムが上昇する、といったことのために、結果的に生産的な活動に労働力や資本が有効に振り向けられない。他方、低インフレあるいはデフレの下では、賃金の下方硬直性のために均衡失業率が押し上げられる。また、デフレになると、実質債務の上昇により企業収益の圧迫を通じて金融システムの健全性が損なわれたりする場合がある(16)。こうしたマクロ経済への影響という観点から物価上昇率をみるには、消費者物価指数が最も重要な指標であると考えられる。それは、消費者物価上昇率は、家計の労働供給決定に際して賃金とともに大きな影響を持つとともに、企業の最終製品・サービス価格の変化を反映しているためである。消費者物価指数をみる場合でも、指数の特性やバイアスには十分留意する必要があることはいうまでもない(17)。さらに、物価の基調をみるためには、生鮮食品や石油価格の上昇といった一時的な要因の影響を考慮することも重要である。
他方、GDPデフレータについては、経済全体としての豊かさや生産性がどれだけ増加したかを見るには重要な指標であるが、それが持つ固有の情報によって経済主体の行動が直接的に影響を受けるという性質のものではないと考えられる(18)。こうしたそれぞれの物価指数の特性を考慮しつつ、物価動向に関しては消費者物価等種々の物価統計を総合的に判断することも必要である。
第二に、デフレ・リスクの低下ということを判断する際には、物価上昇率がゼロ以上になるというだけでは不十分であり、多少の外的なショックがあってもデフレに逆戻りすることがなく、緩やかな物価上昇の状態が持続可能であることが必要である。この点については、日銀の量的緩和継続に関するコミットメントでも、「先行きについても再びマイナスとなると見込まれないこと」と明記されているとおりである。例えば、既に論じたGDPギャップと物価上昇率の関係について考えると、仮に不況によってGDPギャップが拡大した場合のリスクに備えるのであれば、現実の物価上昇率あるいは期待物価上昇率がある程度の水準で安定する必要があると思われるが、どの程度のショックを想定してインフレ・マージンを見込むかについては、過去の様々な事例を含め、総合的に検討して慎重に見極める必要がある。
第三に、上記の論点と関連して、デフレ・リスクを判断する際には、金融システムの健全性が十分回復しているかという点も併せて考慮する必要がある。金融システムの健全性が十分に回復していない下では、なんらかのショックがあった際に、金融政策がデフレを防ぐための緩和効果を十分に発揮できず、またデフレに戻る可能性がある。こうした観点からは、金融政策が十分な効果を発揮できるよう、金融部門の健全化を更に進め、銀行貸出やマネーサプライの伸びが安定するような状況になることが必要である。
● 現況はデフレを脱却しつつあるか
以上のような観点からみると、現在の状況は、景気回復によって物価上昇率のマイナス幅が縮小してゼロ近傍まで来ているものの、依然、デフレ克服は「道半ば」の状況にある。第一に、GDPギャップはかなり縮小していると考えられるが、多少の外的なショックがあってもデフレに逆戻りすることがなく、緩やかな物価上昇が継続する状態に至るには、まだ時間がかかると見込まれる。第二に、不良債権処理の進展によって銀行部門の健全性は一時期に比べて改善しているが、金融仲介機能については、依然として貸出やマネーサプライの伸びは低調であり、完全に復元されたとは言えない。こうした中で、日銀の金融政策の波及経路についても、それが十分に機能することが見通せるような状況にはまだない。
コラム1-3 IMFによるデフレ・リスクの検討
デフレの状況に関する総合的な判断の際の参考までに、IMFが作成しているデフレ・リスク指数を紹介する。IMF(2003a)では、物価、需給、金融をそれぞれ表す指標を組み合わせてデフレ・リスク指数を作成し、各国のデフレ・リスクの評価を行っている。具体的には、消費者物価関連の指標、GDPギャップ関連の指標、株価、為替レート、銀行貸出、通貨供給量など11の指標について、それぞれ一定の閾値を超えるとデフレ・リスクがあるものとして1、それ以下ならデフレ・リスクなしとしてゼロという採点をし、それを単純平均あるいは国の状況によって加重平均してインフレ・リスク指数を算出している(19)。したがって、最大値は1となるが、IMFの区分では0.5を超えると高デフレ・リスクというように判断している。これによると、2002年時点では日本、香港、台湾が高デフレ・リスクと評価されている(コラム表1-3)。この指標を日本について2003年末の時点までアップデートしてみると、2001年と比べればリスクはやや低下しているが、依然として0.5を超えており、高デフレ・リスクにある。指数の内訳をみると、需給ギャップに関する3指標がデフレ・リスクなしとなる一方で、消費者物価指数関連の3指標が依然としてデフレ・リスクを示しているほか、金融関連の5指標全てがデフレ・リスクを示唆している(付表1-21)。これは、マネーサプライの伸びや銀行貸出の伸びが依然として低迷していること、為替についても2003年については円高であったことを反映している。このように、実体経済が回復するなか、デフレから確実に脱却するためには、金融部門が健全化し、金融政策の効果が十分に発揮されるような環境が整うことが重要である。
● デフレ克服に向けた政策
以上のように、デフレ克服は「道半ば」であり、その取組は依然重要な政策課題である。デフレを克服するためには、現在の景気回復をできるだけ持続させるとともに、金融部門の健全性をさらに改善していく必要があることは言うまでもない。金融政策については、効果的な資金供給につながるような措置を含め、更に実効性ある政策運営が必要であり、政府においても、需給ギャップの更なる縮小を進めるためにも構造改革を推進する必要がある。その上で、デフレから緩やかな物価上昇に転じる過程においては、デフレに逆戻りするリスクをなくすための政策対応を行う必要がある。
そこで、まず、デフレから緩やかな物価上昇に転じる過程で起こり得る金利上昇に係る諸課題について考えてみよう。
一つは、日銀の量的緩和政策の解除が近づいた段階において、金融政策の先行きが不透明である等の理由で市場に思惑が生じ、長期金利が物価上昇期待分を超えて急上昇することも考えられるが、その場合には、景気回復の足を引っ張る可能性がある。そうした懸念は、日銀金融政策決定会合でも問題提起されている(2003年7月14・15日議事要旨参照)。その意味では、2003年10月の日銀による量的緩和政策解除の条件の明確化は、日銀のコミットメントの透明性を高め、思惑による市場のかく乱を減じる上で有効であった。しかしながら、量的緩和解除後の中期的な金融政策の運営に関する見通しは依然として明らかにされていない。
二つめは、緩やかな物価上昇に転じる過程で長期金利が急激に上昇すれば民間銀行部門が保有する国債に評価損が生じ、自己資本が損なわれる可能性があることである。ただし、これについては、保有国債の評価損は、株式等の他の金融資産の評価益で相殺されることも考えられる。
三つめは、長期金利が上昇した場合には、政府の国債の利払い費が増加することである。こうした観点からも、持続可能な財政構造の構築に向けた取組を今後さらに加速させていく必要がある。
上記のような認識を踏まえれば、デフレからの脱却期においては、金融政策は、いかに長期金利の過度の上昇を防ぎつつ、効果的にデフレからの完全な脱却を後押しするかということが課題となる。この問題に対処するには、先行きの不透明性をなくすために、中央銀行が金融政策の運営ルールを明らかにし、それに関する市場の幅広い信認を得ることが重要である。その意味では、デフレ脱却後も、どの程度緩和的な金融環境がどの時点まで継続されるかについて方針を提示することにより政策の透明性を確保し、市場との対話を通じて市場の予想(期待)の安定化に繋げること、が極めて重要な金融政策上の課題である(20)。
こうした課題については、「物価が一定の上昇率あるいは物価水準に達するまで」という条件を示すことなど様々な議論がみられるが、いずれにせよ、幅広い検討が必要となろう。