2 円高下の国内産業調整とサプライサイドをどうみるか
第二のテーマは1ドル=80円台を経験し日本の貿易・産業構造はダイナミズムを失っていないか,またダイナミズム復活の条件を日本経済のサプライサイドは満たしているかどうかという点である。
(円高は日本経済の強さの現れであった)
日本経済は1970年代初頭の変動相場制の幕開け以降度重なる円高のハードルを乗り越えてきた。それは度重なる円高を貿易財の高い生産性の上昇で乗り切ったからである。そして同時に重要なことは日本経済の高い生産性が円高をもたらしたのであると理解することである。71年以降の円レートの動きをみると,すう勢としては貿易財のPPP(購買力平価)を反映した動きになっていたことからもこの点は納得できよう。このようなPPPを反映した円高は日本経済の実力を示すものでもあったし,自由貿易のメリットを国民が享受するあらわれでもあったといえよう。
そしてこのような円高はその時代その時代の比較優位を有した産業が選手交代をするなかで起こったのである。もちろん,このようなプロセスにおいても部分的には産業調整のコストは伴った。なぜなら,各産業の間の生産性格差が大きい場合,生産性の極めて高い比較優位産業が登場したり,あるいは比較優位産業の更なる生産性の上昇によって為替レートが増価した場合,相対的に生産性の上昇率が小さい産業はより比較劣位化するからである(「製造業の間の生産性ギャップ」)。しかしこのようなタイプの産業調整のコストは産業構造の高度化に伴う摩擦的なコストであったと理解すべきである。日本経済はこのような摩擦的コストを自由貿易の利益で吸収しつつ比較優位の構造を柔軟に変化させつつ経済大国へと成長したのである。
(為替レートのミスアラインメントと産業調整の厳しさ)
しかしながら現実の為替相場はしばしば均衡レートからかい離して増価することがある。これが為替相場のミスアラインメントである。これまでをみても,円相場は均衡レートからかい離して増価した時期があった。このような時期においてはそれまで比較優位を有していた産業までもが相対的な競争力を失い,厳しい産業調整を強いられることになる。
しかしながらこれまでの日本経済においては為替相場のミスアラインメントによる痛みは比較的軽微であったといえよう。その理由は,為替増価のミスアラインメントの時期は最近を別にすれば比較的短期に終わったことである。そしてその背景には先に述べた内需拡大によって支えられた為替レートの経常収支調整メカニズムが有効に働いていたこと,円高のミスアラインメント時期の前に円安のミスアラインメントの時期があったこと,さらにいえば,比較優位を持っている産業がスムーズに交代したことである。
以上の点を踏まえた上で80円台を経験した日本産業の比較優位構造をみてみよう。第2章で分析したように現実の為替レートが80円台になれば現在のコスト構造を前提にする限り相対的な競争力を有する貿易財産業は極めて限られることになる。日本の貿易財産業の競争力は著しく劣位化することになる。
このような異常な事態が生じる理由は財市場と金融・資本市場の調整のスピードが異なっていることによるものである。前者の市場の価格調整は比較的時間を要するのに対して後者の価格は一夜にして変化をするのである。しかしながらこのような事態が長期にわたって持続すると考えることはこれまでの経験にもかんがみれば極めて非現実的であろう。そして,このような異常な事態から,再度比較優位原理が働くような世界にいかに速く返れるかどうかは財市場における次のような調整スピードにかかっているのである。第一は為替レートの変化による経常収支調整のスピードである。これについては上で述べたように日本の場合は今後輸入の増大によって基調としては経常収支黒字が縮小していくことが期待されている。為替レートの調整機能は死んでいないのである。こうして時間を要するものの,経常収支が縮小するなかで円高圧力が弱まることが期待される。第二は産業構造の再編や規制緩和を伴った価格・賃金の伸縮性である。円高のメリットをより迅速に浸透させ,物価を低下させるとともに,各種の生産要素の価格に対する市場メカニズムを十分機能させていくことが必要である。
(空洞化問題をどうみるか)
いわゆる「産業空洞化」という言葉は様々な意味合いに用いられるが,もし円高下の製造業部門の縮小ということであれば最近の急激な円高以前のデータを見る限り,我が国の場合は空洞化が顕在化しているとは言い難い。実質ベースでみた製造業のシェアはおおむね上昇している。名目ベースでみた製造業のシェアは非製造業に比べてやや低下しているが,これは製造業の生産性の相対的上昇によって価格が低位に安定していたことによるものである。製造業部門の名目ベースでの低下は製造業部門のパフォーマンスの良さを反映していたと解釈すべきである。また空洞化は貿易収支の黒字の大幅縮小,あるいは赤字化ということであればなおさらそのような現象はみられていないことはいうまでもない。また海外投資と国内投資の代替については,「他の条件にして一定」であるならばある程度の代替はあるものの,海外投資のファイナンスの仕方や国内需要の動向によって代替の程度は変わってくる。最近の輸入の堅調な増加の中で輸入浸透度は上昇しており,国内生産に対する影響は徐々に高まっているが,これは円高下の国内産業構造の高度化へのプロセスを反映したものと理解すべきである。また直接投資と貿易の関係は代替関係にあるというよりはむしろ相互促進的な関係にある。さらには,生産性の上昇を背景にした途上国の追い上げがあったとしても現実の為替レートが均衡レートに近い正常な世界では実質賃金は交易条件の改善によって上昇する可能性が高いのである。
もちろん以上のような分析にもかかわらず円高下の産業調整に懸念がないわけではない。例えば現下の雇用情勢は厳しい。現在までのところ企業の対応は配置転換や出向,または一時的に余剰労働力として企業内に保蔵しつつ,新規採用者を抑制するという企業内労働市場で調整している。また賃金についても海外との競争が厳しい貿易財産業においては賃金調整が観察されている。
しかしここで留意すべき点は,既に述べたように為替レートのミスアラインメントが大きくないときの比較劣位産業の産業調整・雇用調整は,市場経済のダイナミズムゆえに発生するものであり,ある意味では不可避であり受容しなければならないということである。と同時に現実の為替レートのミスアラインメントが大きい状況下の産業調整・雇用調整は極めて深刻であるという点である。特に最近の円高等を踏まえ製造業の海外への生産シフトの加速の傾向がみられることは,国内の生産・雇用にとって大きな懸念材料となっている。この意味からも為替レートのミスアラインメントの解消が何よりも重要な政策課題になってくるのである。為替のミスアラインメントさえなくなれば空洞化は必然でもなければ,「帰らざる河」でもない。
(非貿易財産業の活性化)
ところで,以上みたような為替レートのミスアラインメントによる産業調整コストや貿易財産業の空洞化懸念を可能な限り小さくできる道は何であろうか。そのヒントを与えてくれるのがドイツとアメリカの対照的な例である。ドイツは我が国と同じようにすう勢的なマルク高を経験しているが,「内外価格差」が大きな経済問題になっているようにはみえない。その理由の一つは非製造業の生産性上昇率が製造業のそれより高いことにある(「製造業と非製造業の間の生産性ギャップ」)。非製造業の懐の深さである。これと逆の例がアメリカである。アメリカにおいては80年代前半のドルのミスアラインメントの時代において,非製造業の生産性に伸び悩みがみられた。このことが80年代以降のアメリカの実質賃金の鈍化の大きな背景となっている。このようなドイツとアメリカの例から学ぶベきことは,円高のデメリットを最小にし円高メリットを大きくするためには,円高のメリットをより相対的に享受できる非貿易財部門の活性化による生産性の上昇が図られなければならないということである。そのためには非貿易財部門における一層の競争促進策の推進が望まれる。このような政策はこれまでも度々いわれてきた情報通信,医療,健康関連,住宅,余暇などの新規産業の輩出を促すことにもなり,それが最終的には内外価格差の縮小と国民の実質賃金の向上にもつながることとなるのである。
にもかかわらず,円高下の国内構造調整や一層の競争促進策の推進は短期的には各種の調整の痛みを伴おう。現在の日本経済はそのような過渡期にあるといえよう。選択肢は二つである。一つは当面の痛みを恐れて構造改革の推進をためらうことである。もう一つはこのような調整コストは日本経済が中長期的に持続可能な成長を維持し,新しい比較優位の構造へと変革していくためにやむを得ない必要なコストであると認識し,改革に果敢に取り組むことである。その選択は最終的には国民自らが行うべきことであるが,当面の痛みにとらわれすぎた経済運営は中長期的には国民自らの利益に反する可能性があることを銘記すべきであろう。このような調整のコストを恐れて今後閉じた政策(輸入規制,輸出規制,直接投資規制,国内規制)を行っていくならば日本経済の前途に道はない。
さらには日本経済のサプライサイドはマクロ的にもミクロ的にも決して弱っているわけではない。今後は日本経済が現在有しているこの優位性を発揮して生産性の向上を維持できるならばプラスサムの世界で調整のコストを小さくできるのである。
(中期的展望)
ここでの分析の結果は円高下の競争力の低下や内外価格差,さらには空洞化問題の背景には為替レートのミスアラインメントと賃金と生産性のかい離という現象があることをみた。そしてこれらの要因を取り除くことができるならば円高は怖くないこと,また円高のコストを小さくするためにも非貿易財部門の活性化が可能かどうかが鍵になることを強調した。そしてそのような構造問題は日本経済が有している現在のサプライサイドを更に強化することによって解決可能であることをみた。重要なことは,為替レートが思うようにならないことを嘆くのではなく,日本経済のシステムや体質を為替レートに調整する努力をすることである。そのためには円高のメリットを活用し,円高と共に生きる覚悟を持つことが必要である。