平成7年

年次経済報告

日本経済のダイナミズムの復活をめざして

平成7年7月25日

経済企画庁


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むすび

1 自律回復をどう展望するか

まず第一の分析テーマは日本経済の自律回復がなぜ遅れているのか,そして自律回復をどう展望するかという点である。この論点については次のように分析した。まず財政・金融両面からの累次にわたる有効需要喚起政策を背景にした公共投資や住宅投資の景気浮揚効果がこれまでに比べ小さくなることが予想される状況の中で,自律回復の鍵である個人消費と民間設備投資の回復がもう一つかんばしくない。すなわち景気けん引車の主役のバトンタッチが遅れているのである。

(緩やかな伸びにとどまった個人消費)

まず,個人消費に関していえば,耐久消費財のストック調整の進展や所得減税などの影響もあり昨年央には一時期盛り上がりをみせたがそれ以降は総じて緩やかな回復に終わっている。これは消費性向が近年の回復局面と同様に上昇しなかったと同時に実質消費を決定する最も重要な要因である実質所得の伸びが盛り上がりに欠けるからである。そして,その背景には労働市場での本格的改善の遅れがある。労働市場は所定外労働時間が増加基調に転じてきているものの,製造業を中心に雇用情勢は依然として厳しさが続いている。そして,このように雇用情勢が厳しいのは今次景気後退期の雇用情勢がそれほど悪化しなかったことが一つの背景となっている。

(持ち直しに転じる設備投資)

設備投資についてもようやく持ち直しの動きがみられ始めたばかりである。すなわち,設備投資を決定する重要な要因である稼働率はこのところ緩やかに上昇してきたが依然として本格的な投資の回復を促すのに十分なレベルにまでは達していない。そしてその背景には投資が投資を呼ぶメカニズムが弱っていることをみた。特にこれまでの回復期と比べて今般の回復期に特徴的なことは,1投資の先行指標である機械受注の伸びほど実現された投資が伸びていないこと,2中小企業の設備投資が出遅れていること,3さらには第三次産業の投資の回復が弱いことが挙げられる。そして,その背景として,国内の資産価格の低下や建設投資のストック調整がいまだ完了していないこと,さらにはいわゆるディスインフレの影響もあって非製造業を中心に売上が鈍化していること等を指摘した。このように現在の設備投資が依然として力強さに欠ける背景にはバブル崩壊の後遺症やディスインフレの進行といった過去から引き継いだ負の遺産と現在進行形の構造変化も底流にあると考えられる。

さらには今後の先行きについては3月以降の円高の進行が設備投資に抑制的に作用するとみられる。しかしながら他方,今後中期的に設備投資が下方に屈折すると即断することはできない。現在の投資の伸び悩みは第一次石油危機後のように日本経済の成長が大きく下方に屈折したことによるものではなく,稼働率の低い水準からの立ち上がりに起因するところが大である。今後は稼働率が一定のレベル(たとえば90)を越えてからの投資の動きに注視する必要があろう。

(価格破壊をどうみるか)

ディスインフレの影響については既にみたように非製造業の収益の足踏みとなって現れているが,このような表面に現れた現象の底流には生産性の高い革新的企業家(イノベーター)の出現によって競争が激しくなり,これまで非製造業にとどまっていた円高のメリットが家計や製造業に移転する現象であるとみることができる。それゆえ,規制緩和の中で生産性の高いイノベーターによって仕掛けられた価格破壊は短期的には生産性の低い伝統的な業態にとっては調整のコストを伴う負の現象であるが,中期的には市場のダイナミズムを引き出し更なる生産性の向上を促すという意味においてポジティブな現象であると理解すべきである。しかも現在進行形の価格破壊は今後とも持続する可能性もある。

(期待される経常収支調整メカニズム)

3月上旬以降の急激な円高・ドル安は日本経済が有している経済的基礎条件によって決定される均衡水準からみても大幅にかい離(ミスアラインメント)している。その背景は,昨年12月以降のメキシコ情勢などのニュースを引き金として生じたものであるが,さらにはアメリカの財政赤字・経常収支赤字の継続によるドルの過剰供給懸念や我が国の経常収支黒字の継続等を材料とする投機的なドル売り圧力などもこうした動きの背景となっている。このように考えると,為替相場を各国の経済的基礎条件を反映した為替相場に返し,それを維持するためにはまず何よりも基軸通貨に対する信任を取り戻すことが重要である。そのためにはアメリカは一刻も早く財政赤字の一層の削減と経済のソフトランディングを図る必要がある。また我が国としても先般の「緊急円高・経済対策」に加え,同対策の「具体化・補強を図るための諸施策」を着実に実施に移し,景気回復の本格化と経済構造の転換を促進させることによって,経常収支黒字は一層縮小することが期待されている。さらには,関係国は世界の安定的な通貨システム維持に向けての協調に努力する必要がある。

我が国の経常収支黒字の縮小が重要な政策課題であることはいうまでもないが,それは何らかの目標水準を掲げるという方法によって行うことは賢明ではない。経常収支黒字縮小の基本はあくまで為替レートの調整メカニズムを生かすことであり,またそのメカニズムを高めるための景気回復の本格化である。不完全雇用下の貯蓄・投資バランスの拡大の中で,経常収支黒字が拡大する場合には,本来国内の成長と雇用維持のために使用されるべき国内貯蓄が十分に活用されていないという解釈もでき決して望ましいことではない。景気回復を伴った場合の為替レートの経常収支調整メカニズムは依然として失われてはいないのである。我が国の経常収支黒字は現在,縮小傾向にある。今後はドルベースでは足元のJカーブ効果によって一時的には黒字が増加する可能性もあるが,基調としては輸入増等を背景に緩やかに縮小していくことが期待できよう。

(回復の展望)

今後,円高等によって足踏みがみられる景気回復基調をいかに自律的なものにしていくかを展望する上で重要な視点は,最終需要の底堅さの程度,特に設備投資が本格的に立ち上がってくるタイミングである。この視点からみると設備投資については既に述べたようにようやく持ち直しつつあるといえども前年比で増加に転じるには今しばらく時間を要しよう。日本経済はかつて,設備投資が持ち直しから増加に転じるまでに時間を要した第一次石油危機後の経験を有している。当時はエネルギー価格の高騰による潜在成長率の大きな屈折の中で設備投資は回復せずその後のミニ調整を迎えたのである。

しかしながら,他方,今回の回復局面を当時と比べると幾つかの点で異なっている。第一に日本経済の潜在成長力が当時のように大きく下方屈折したとはいえないこと,第二に円高のメリットを生かした実質所得の増加や実質資産残高の増加が消費に与える効果を今回は期待できること,第三は住宅建設も緩慢な推移ではあるものの,足元で大きく下振れする可能性は少ないこと,第四は政策面からみると,公共投資については伸びの低下がみられるものの,4月14日の「緊急円高・経済対策」を踏まえた平成7年度補正予算での積み増し等もあって,引き続き最終需要にプラス寄与となっていくことが期待される。また最近における一層の金融緩和策の効果も期待できるなど,当時との相違点があることにも留意する必要がある。

それゆえ今後は,最近の急激な円高等によって足踏みがみられている景気回復基調を後退させないとともに,現在みられている明るい芽を育てていくことが重要であり,そのためには足元の最終需要の動向に引き続き十分注意を払いながら,先般の「緊急円高・経済対策」に加え,同対策の「具体化・補強を図るための諸施策」の実施など適切かつ機動的な経済運営を図っていかなければならない。


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