第7節 国際的視点からみた技術格差と技術進歩
日本経済のダイナミズムを維持していく上で最も重要なのは技術進歩による高付加価値製品の開発生産能力と,一層の生産効率の向上であることはいうまでもない。本節では,技術面から日本のサプライサイドを考える。第一にアジア新興国・地域との関係,すなわち日本の技術が途上国に急速に追い上げられているかどうか,第二に先進国との関係,先進国に対してまだまだ遅れておりキャッチアップの必要な分野があるかどうか,第三に海外生産の進展に伴う「技術空洞化」の可能性があるかどうかをみる。
(日本の技術水準の現状)
日本の技術開発力を研究(科学技術論文)及び実用化(特許)という面からみると,アメリカの件数が圧倒的に多いものの,日本は徐々にシェアを高めてきている(第2-7-1表,付図2-7-1)。技術貿易収支(技術対価受取/支払)をみると,北アメリカ,ヨーロッパに対しては輸入超,アジアに対しては通信・電子・電気計測器,自動車工業,電気機械器具工業輸出を中心として輸出超で推移している(第2-7-2図)。過去は全体として輸入超が続いていたが,80年代後半以降アジアに対する輸出超が顕著に拡大し,93年度には全体として輸出超に転じた。また,技術開発の支援体制といえる研究開発投資の動向をみると,日本の研究開発投資総額は93年度で13.7兆円であり,アメリカよりは少ないものの,その他主要先進国を大きく上回っている(第2-7-3図①)。研究開発費の対GNP比率,人口一万人当たりの研究者数等は世界のトップクラスの水準である(同図②,付図2-7-2)。これらの統計は国により対象のとり方,調査方法等に差異があり単純な比較は難しいが,我が国が世界有数の研究開発体制を備え,アメリカに次ぐ研究開発成果を上げ,技術輸出を伸ばしている姿が分かる。しかし,これらは同時に,依然欧米との格差が存在すること,アジアが着実に追い上げていることも示している。
1. アジア新興国・地域の追い上げ
アジア新興国・地域(ここでは韓国,台湾,香港,シンガポールのアジアNIEsを取り上げる)は非常に高い経済成長を遂げている。経済成長は労働,資本投入の顕著な増加により達成された。85年から93年の間に就業人口,民間設備投資ともに総じて日米を大きく上回る増加率で増加した(付表2-7-3)。特に設備投資の増加が目立っている。
アジア新興国・地域の高成長は,目ざましい技術進歩を背景に実現した。先にみた,アメリカにおける特許登録件数においても韓国,台湾はシェアこそまだ小さいものの,ヨーロッパ諸国の登録件数が停滞するなかで,目立って伸びている(前掲第2-7-1表)。また,研究開発投資も先進国に比べればまだ水準は低いものの,急速に増大しており,対GNP比では先進国に急速に迫る勢いを示している(前掲第2-7-3図②)。
(ハイテク産業の躍進)
近年の先端技術産業の進歩は急速であり,輸出総額に占めるハイテク製品の割合が顕著に増大している(第2-7-4図)。韓国では特に半導体,電子計算機,台湾では電子計算機,半導体,香港では通信機,シンガポールでは電子計算機,半導体などの輸出シェアが高まっている。なお,韓国ではVTR,台湾ではカラーテレビ等の家庭電気製品のシェアはむしろ低くなってきている。こうしたなかで,アジアNIEsは,世界市場でのハイテク製品のシェアを高めている。半導体を例に取ると,アジア・太平洋企業の世界市場に占めるシェア(オーナーシップベース,以下同様)は94年には欧州企業と等しくなっている(第2-7-5図①)。また,日本が得意とするDRAM(Dynamic Random Access Memory:記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)におけるアジア企業の追い上げは激しく,94年のDRAMのシェアは日本企業の46.8%に対して,日本以外のアジア企業が27.7%となっている。なかでも94年のDRAMシェアの世界トップ10社のうち,韓国企業は第1位を始め3社,日本は4社,アメリカが3社となるなど,韓国の躍進は特に注目に値する。
(ハイテク産業成長の背景)
アジアNIEsの成長には質の高い人的資本と多国籍企業による技術移転とが重要な役割を果たしたと考えられる。例えば,日本からアジアNIEsへの技術移転は,QCサークル,技術研修等人を媒介として行われていることが多く,教育水準が高いアジアNIEsの労働力は訓練を通じた技術移転を有効にすることが考えられる( 付表2-7-4)。アジアNIEsでは高等教育(大学以上)在学率は日本を下回っているものの,修士,博士課程の学位取得者比率は逆に日本を上回っている。
技術移転については,第一に,先進国からの技術輸入がある。先に見たように,日本からアジアに対する技術輸出超は80年代後半以降目立って拡大している。同時に,技術移転は委託生産の進展を通じてもなされたと考えられる。アジア工場出荷額に占める生産委託は全体としてはまだ小さいが,事務機械部品は8割以上,その他の部品等でも比較的高い割合を示すものがあり,それらにおいては92年度から94年度にかけて伸びを高めているという調査結果がある(日本機械輸出組合調査,付表2-7-5参照)。
(政府の役割)
アジアNIEs側でも官民共同の技術開発や技術導入のためのインフラ整備等において政府が一定の役割を果たしてきた。韓国においては,80年頃までは政府が積極的に技術開発を推進してきた。しかし,これ以降は,政府は海外からの直接投資に対する規制を大幅に緩和するとともに,先端技術を開発するためのプロジェクトを運営(研究団地の設立,民間企業の共同開発の助成等)し,民間の技術開発の促進を図った。93年には新経済5か年計画技術開発戦略部門計画を策定し,広帯域ISDN,超高密度集積半導体,次世代自動車技術開発,先端生産システム等国家的に推進すべき先導技術開発事業を定め,官民共同で出資しており現在実施中である。台湾は国内市場における外国企業のシェアが高まることを警戒し,外国企業の出資比率を制限し,政府主導型の技術開発を実施している。現在は,国家科学技術発展長期計画(86~95年)を実施中であり,この中で,政府は「科学工業園区」と呼ばれる工業団地を創設し,エレクトロニクス関連産業を中心としたハイテク産業の育成を促進している。香港とシンガポールは,もともと非製造業比率が高いこと,また外資の割合が高いこともあって,政府は技術開発計画を主導するというよりは,外資を誘致するための政策や運輸・通信等のインフラの整備を中心に実施してきた。このため,両国においては外資系の多国籍企業が技術開発促進の中心を担ってきた。以上,政府主導の台湾,政府主導から官民共同ないしは民間主導に移行した韓国,基本的には外資による技術導入のための環境整備が中心の香港とシンガポールというように様々な形で政府が役割を果たしてきたといえる。
(日本との関係)
以上,アジアNIEs企業における技術進歩は目ざましいが,初めに示したように,総じてみれば,現在日本との技術格差は依然大きい。アジアに対しては電子機器,電気機械,自動車分野等を中心に技術輸出額が増加しており,アジアからの技術輸入はほとんどない。また,アジアNIEsの特許取得状況や研究開発投資も急増しているが,日本との間には依然として大きな差がある。
日本の生産技術の優位性をみるに当たって,日本的雇用・開発システムの果たした役割は重要である。すなわち,配置転換を含む従業員の柔軟な編成,勤続年数が比較的長期であることからくる技術情報の企業内移転,部品・関連企業を巻き込んだ事実上の共同開発・設計方式(デザイン・イン・システム)が,生産システム全体への技術と効率向上の波及と浸透を容易にしてきた。確かに,アジアNIEsは一部の先端的分野で,既に日本をしのぐ技術力を示している。しかしながら,先端技術製品の生産に必要な資本財や部品の国内供給体制はまだ十分とは言い難く,部品や周辺産業まで巻き込んだ生産過程全体への技術浸透には遅れをとっている。その結果,例えば,電子部品,家電向け半導体等において輸入,特に日本に対する輸入に依存している。85年から94年の間の輸出額は,アメリカドルベースで,韓国,台湾で約3倍,シンガポールで約4倍,香港で約5倍に増加したが,一方で,半導体等電子部品の輸入は韓国,香港で約6倍,台湾で約10倍,シンガポールで約9倍と大きく伸びており(第2-7-6図),全て輸入先一国ベースでは日本が最大である。韓国,シンガポールにおいては対米依存度が低下した一方で対日依存度が高まった。また,我が国企業のアジア製造拠点についても,特殊仕様の半導体,集積回路,自動車等のトランスミッションやエンジン,ポリ塩化ビフェニール,鋼材等といった生産財は日本からの調達に依存している(前記日本機械輸出組合調査)。
さらに,技術開発に関する人的資本についても,アジアNIEsの教育水準は高いとはいえ,人口一万人当たりの研究者数は日本を大きく下回る(付図2-7-2)。また,アジアに生産拠点を築いている日本企業の間では,全体として必要な技術者,特に中堅技術者が不足しており,定着率の低さ,中間管理職不足を問題視している声も高い。
以上のことから,アジアNIEsと日本との技術水準格差は依然大きく,研究者不足,周辺技術の未整備,資本財の対日依存を考えると,アジアNIEsが日本の技術水準を一気に追い越すとは考えにくい。しかしながら,アジアNIEsは教育水準の高い人的資本を有し,研究開発費も目立って増加しており,一部の先端技術産業においては日本をしのぐ勢いをみせていることから,日本との距離は急速に縮小していく可能性が高いのも事実である。
2. 先進国との技術競争
(ハイテク産業での競争)
半導体DRAM市場においては,日米が圧倒的シェアを占め,93年に北米が日本のシェアを上回った後,94年には再び日本が北米のシェアを上回るといった激しい競争を繰り広げている(前掲第2-7-5図①)。北米企業はMPU(Microprocessor Unit:超小型演算処理装置:コンピュータのCPU(中央処理装置)の機能だけをLSI(大規模集積回路)に持たせたもので,パソコンの心臓部などに利用)とフラッシュメモリー(電気的に書き込み・消去可能な不揮発性メモリー:電気的消去機能と大容量化を両立できるため,携帯電話などに利用)には圧倒的シェアを占めている(同図③,④)。MPUはDRAMに比べて高付加価値製品であることから,アメリカは付加価値ベースでは半導体市場で世界を席巻しているといえる。
一方,日本は電子デバイス分野等重要なハード技術を有しており,欧米企業が生産するハイテク製品にも不可欠の部品を提供している。例えば,コンピュータ周辺装置であるページプリンタの中枢部品(焼付部分他)においては日本企業のシェアは9割を超えている。また,製品レベルにおいても半導体製造装置における日本企業のシェアは約8割を占めている(同図⑤,⑥)。
(ソフト分野の遅れ)
技術貿易収支において,北アメリカ,ヨーロッパに対しては輸入超が続いているのを先にみたが,さらに,先端技術に関しては,海外からの技術導入がますます増加している。これは専らソフトの導入が急速に増加していることを反映している(第2-7-7図)。急速なソフト導入の背景には,コンピュータのダウンサイジングとソフト市場参入の困難さがある。すなわち,コンピュータについては,かつては汎用大型コンピュータが主流であり,その性能向上においては超LSIの技術開発が決め手であったが,日本メーカーは超LSIの技術開発に目ざましい成果を挙げた。しかしながら,80年代終わりごろから,世界的にダウンサイジングの流れが急速に強まってきた。すなわち,パソコン,ワークステーションの性能が急向上すると同時に,それらをネットワークで結ぶシステム,ソフトの需要が高まった。加えてコンピュータのユーザーのすそ野が広がり,より非定型的な業務のウエイトが高まるなど情報化の内容にも変化がみられるようになったことも指摘できよう。このように,パソコンの発達によってソフトの利便性が高まり,ソフトの発達がパソコン需要を高めるといったソフトとハードの相乗効果が起こった。
そもそも,アメリカにおいてはコンピュータ通信の歴史は古く,既に69年には国防総省における分散型オペレーションの研究プロジェクトであるARPANET(Advanced Research Projects Agency NETwork:高等研究計画庁ネットワーク)が開始されている。その後,ARPANETは研究者間のネットワークとしての性格を強めていき,当初は専門家の使用が中心だったものが,次第にネットワーク関連技術やソフトウエアが発達し,さらにインターネットへと発展していった。そうしたなかで,パソコンの心臓部品であるMPUを始め,OS(オペレーティングシステム),アプリケーション・ソフト(データベース,通信関係他)など情報技術関係においてアメリカ企業が圧倒的優位を持つようになり,その多くがデファクトスタンダード(事実上の世界標準)となっているために,日本企業の参入が困難になっている。
(日本の情報サービス業)
日本のソフトウェア分野はアメリカに比べて遅れているとはいえ,日本における情報サービス業(ソフトウェア生産を含む)の成長には目ざましいものがある。通産省「特定サービス産業実態調査報告書(情報サービス業編)」によれば,93年の情報サービス業の年間売上高は6.51兆円であり,73年の0.17兆円と比較すると,20年間で約38倍の伸びとなっている。しかし最近の動向をみると,景気の低迷等から92年は前年比1.2%とわずかな伸びにとどまり,93年は73年の統計開始以来初めて前年を下回った。
なお,情報サービス業の業態は以下の四つに区分される。
- ①ソフトウェア業 :受注ソフトウェア,ソフトウェアプロダクト
- ②情報処理サービス業 :オンライン/オフライン情報処理,システム等管理運営受託,他
- ③情報提供サービス業 :データベースサービス
- ④その他の情報サービス業:各種調査,その他
このうち売上高で約60%を占める①のソフトウェア業は,その主力が汎用機中心のシステム開発であるため,パソコン等の急激な普及等によって売上高は90年から伸び率が鈍化し,93年は前年を下回った。ここで注意すべきは,製造業に分類されるコンピュータ関連業種やゲーム関連業種などもかなりのウエイトでソフトウェアの生産に寄与していることである。したがって,ソフトウェア売上高全体をとらえようとすればこれら業種も加味すべきであるが,統計上ハードウェア売上高との分離が難しいため,全体像をつかむことは現状では困難なものとなっている。
次に,マルチメディア関連の中核産業として②の情報処理サービス業,③の情報提供サービス業が挙げられるが,景気の低迷もあって売上高は92年はほぼ横ばい,93年は前年を下回った。日本でのマルチメディア社会の行方を左右することになると思われるだけに,これら産業の今後の成長動向が注目される。
3. 海外への生産拠点の移転と研究開発
海外生産が進展するにつれて,研究開発部門の国際展開も進展していく。アメリカ製造業企業では,60年代から70年代にかけて海外直接投資が急増した。その際,海外研究開発投資も活発に行われた。72年のコンフェレンスボードのアンケート調査によると,44.7%の企業が,66年,71年,72年のいずれかの年で海外で研究開発費を支出したことがあると回答している。また,60年代後半から70年代前半にかけて国内の研究開発投資の伸び率を上回る勢いで海外研究開発投資が増加している。商務省の調査によると,82年時点では,国内研究開発投資の約10%を海外子会社で行っていた。
(進む研究開発の国際展開)
我が国企業についても研究開発は国際的に展開されつつあるがその規模はまだ小さい。我が国企業の海外への研究費は89年度以降急増しているが,93年度は減少した( 第2-7-8図 )。また,社内使用研究費に対する比率をみると,93年度は0.88%に過ぎず,92年度の0.93%からわずかに低下している。日本の研究開発のうち,8割以上は応用・開発研究であり,既に述べたように,日本の生産技術の強みは部品・関連企業も巻き込んだ生産システム全体の効率向上,すなわち,生産現場に密着した生産応用技術にあるといえる。したがって,生産基盤がアジアを中心に海外に移転すれば,技術開発も海外に移転する可能性が大きいとも考えられる。ここでは各種アンケート調査から,海外研究開発,特に海外生産が急速に拡大しているアジアでの研究開発の今後の姿の手掛かりを探る。
海外生産の結果,生産技術は多かれ少なかれ流出することは避けられない。日本輸出入銀行の「海外直接投資アンケート調査」によると,最も多い回答は,「生産技術の一部は海外に流出するが,重要な技術は国内に残る」(47.1%)で,次いで「生産技術は海外に流出するが,国内でより高度な技術の開発に努める」(44.2%)となる。「生産技術は海外に流出し,新製品の開発能力にも悪影響を及ぼし,技術競争力,開発力が低下する」というのは,回答企業の3%に満たない。
重要な技術を残す,すなわち高度な技術開発に努めるためには,国内の研究開発拠点の維持が必要である。93年度の企業の研究開発費に占める基礎研究費比率は前年度に比べ低下しているが,アンケートによれば94年1~3月の調査時点において,国内にどうしても残したい拠点として,本社,基礎研究,応用研究が挙げられている。また3年後程度の将来については,全体的に国内にどうしても残したい拠点の割合は低下しているなかで,基礎研究を残したいとする企業の割合は高い(第2-7-9表)。
研究開発体制のグローバル化に当たって,企業は海外拠点を築くよりも,海外有力企業との提携・協力を考えている。アンケート調査によると,ほぼ半数の企業は海外企業との提携や,ベンチャー投資を考えている一方で,研究開発人員を日本人技術者のみと考えている企業は6割,研究開発拠点を国内のみとする企業は7割と高い割合となっている(付表2-7-6)。素材型産業の方が,加工組立型に比べて国内・日本人志向であるが,加工組立型においても,最先端技術に関しては,日本人技術者のみ,国内拠点のみと挙げている企業の比率は素材型を上回る。このように,研究開発全体としては徐々にグローバル化が進んでいるが,海外での大規模な研究開発拠点の展開はまだ考えられていないといえる。
このように,研究開発実施地としては日本が際立って高くなるが,現状の海外研究開発は北米,ヨーロッパ中心である。93年度の地域別研究開発投資をみると,北米が51.8%,ヨーロッパ40.5%に対して,アジアは6.4%に過ぎない(通産省「海外事業活動動向調査概要」)。しかしながら,今後の研究開発実施予定候補地となると,アメリカに次いで,アジアを挙げる企業の比率が高まってくる(前記日本輸出入銀行アンケート調査)。その際,現地市場向けの応用研究においては,アジア,特に広大な市場を持つ中国の割合が高くなっている。
それでは,アジアにおける研究開発の現状はどうだろうか。アジアにおいては,93年度には,現地向けの開発研究が過半であり,基礎研究の割合は低い(付図2-7-7)。ほぼ5年後の将来計画においては,世界市場向け製品の開発研究比率が顕著に高まる一方で,むしろ基礎研究の比率は小さくなっている。
(生産と研究開発の分離は可能か)
上でみたように,93年度の企業の研究開発費に占める基礎研究費比率は前年度に比べ低下したものの,企業は,生産拠点が海外に移転しても基礎研究部分を国内にとどめたいとしている。それでは生産現場と分離した研究開発は可能なのだろうか。アンケート調査によると,国内に生産現場がなく国内で製品設計を行った場合,海外生産現場に日本人技術者が頻繁に訪問する,情報交換を行う,国内に生産の試作ラインを作ることなどにより,ほとんどの企業は支障をきたさないとしている(第2-7-10表)。生産技術の場合も,設計開発の場合に比べれば技術がより現場に密着しているために,支障をきたす程度もやや大きいものの,日本の生産技術開発センターや日本の似た製品の製造現場において研究を進めることにより,生産現場が国内に存在しないことによる支障が生じることがほとんどないという場合が多い。また,海外生産の増加は,従来の日本の生産技術の強みである上記デザイン・イン・システムにも変化を迫るものと考えられる。調査によると,協力メーカーの絞り込みを指摘したケースが存在していることから,デザイン・イン・システムにも変化の動きが出ていると考えられものの,今のところまだそれほど目立った動きではない。
一方,生産の海外移転に伴い国内の研究開発能力の低下を懸念する意見もある。科学技術庁「民間企業の研究活動に関する調査」によると,生産拠点の海外進出に伴い,我が国の研究開発能力が国内の技術連鎖(生産現場で得られた情報や問題を研究開発部門にフィードバックし,また,研究開発部門での成果を生産・事業に結び付ける連続的なプロセス)に悪影響が出るという企業が87年度の8.8%から94年度には28.1%に増加しており,このような懸念についても留意する必要がある。
以上,海外生産の進展につれて,企業の研究開発行動もグローバル化しているが,企業へのアンケート調査によれば,国内では基礎研究や重要な研究は残したいとしている。特に,現在生産拠点として急速に伸びているアジアに対しては,将来的にも基礎研究の割合は低いことが予想されている。また,企業の様々な努力により生産現場から分離した研究開発が行われているなかで,様々な問題が出たり従来のデザイン・イン・システムに変化が生じる可能性はあるものの,その動きはまだ小さい。
(日本の技術進歩の特徴と今後の展望への手掛かり)
技術進歩を大きく二つに分類すると,新製品を生み出すプロダクト・イノベーションと既存の製品の生産プロセスを改良(コストダウン,既存の製品の品質,性能の改善)するプロセス・イノベーションに分けることができる。過去日本は欧米で研究開発された基礎技術を応用し画期的な新製品を生み出してきた(プロダクト・イノベーション)とともに,生産工程に密着したプロセス・イノベーションに特に優れた能力を発揮してきた。日本の産業のハイテク化が進み,日本が既に先頭ランナーの一員となった今,かつてのような技術導入の余地が少なくなってきている。また生産拠点の海外移転が進展するにつれて,生産工程と密着した形のイノべーションが海外に移転するのも間違いないと思われる。さらに,アジアNIEsにおける生産技術の高まりとともに,プロセス・イノベーションの分野の追い上げも進んできている。そこで,我が国にとって今後ますます重要になると思われるのは,ハイテク産業におけるプロダクト・イノベーションとその重要な前提条件となる基礎研究の充実である。
ハイテク産業においては,基礎研究と応用・開発研究の距離が近く,製品化のためにも従来ならば基礎研究の範ちゅうに入ると考えられていたタイプの研究が必要となってこよう。市場における潜在的需要を具体化するために,開発研究が応用研究を発展させ,基礎研究の成果につながる,すなわち,市場と技術がスパイラル的にかかわり合って進むため,研究基盤と製造基盤は密接な関係となる。アメリカでも,生産基盤が海外移転しても,基礎研究部分が国内に残ったといわれている。そこで,海外生産による技術の空洞化を避け,先端技術の開発を進めるためにも,基礎研究の一層の充実を通じて,ハイテク産業におけるプロダクト・イノベーションの能力を強化し,国内にコアとなる製造基盤を維持することが重要となると考えられる。
(まとめ)
以上みてきたように,これまで日本の技術優位は「品質の高い製品を安く大量に供給」する生産現場に密着したハード技術にあるが,このような量産ハード技術はアジアからの追い上げを受けていると同時に,ソフト分野での遅れが目立っている。また,化学,医薬品などの分野では,欧米と比べた技術力の格差が指摘されている。アジア新興国・地域の追い上げ,先進国との先端技術の格差等,技術面からみた日本の競争環境は厳しいが,今後は我が国の研究開発体制,人的資本,優れたハード技術等の蓄積を活用しつつ,従来分野に加えて,ハイテク産業におけるプロダクト・イノベーションを一層充実させることが重要である。情報通信,環境関連,高齢者対応等社会構造の変化に伴って重要性を増している分野もあることから,そこに技術のフロンティアを見いだすことができよう。
日本経済は生産性の向上により過去の円高を乗り切ってきた。現在の円高により我が国産業の競争条件は非常に厳しいものとなっている。過去円高を経験するたびに,厳しい国際競争によって生産性上昇が目ざましかった貿易財と,国際競争にさらされていなかったり規制により競争が制限されてきた例が多い非貿易財との間の生産性上昇の格差は拡大し,これが内外価格差を拡大させることとなった。一方,我が国のサプライサイドをみると,生産要素の有効利用や,知識の集約などを通じて輸出競争力や生産効率を高めてきた。我が国産業は円高により全体として輸出競争力が低下しているのは事実であるが,サプライサイド面が急速に悪化したわけではない。こうしたことから,今回の円高局面を乗り切る,換言すれば,円高下にあって実質所得の増大を目指すためには,経済全体の効率化を図り生産性を上昇させる必要がある。そのためには,従来遅れていた非製造業における生産性の上昇と,一層の技術開発の推進さらにはその成果を基にした新規分野の開拓,そしてそのための人的資本の活用といったサプライサイド面の強化が不可欠であろう。