第5節 企業とイノベーション・研究開発
戦後の日本経済の発展,高度成長の原動力として日本企業のイノベーションが大きな役割を果たしたといわれている。本節では,日本の研究開発,イノベーションの特色を民間企業の活動を中心に考察したい。その際,戦後の活発な技術輸入をどう評価するか,また,日本の場合,研究よりも開発,基礎的研究よりも応用研究が強いといわれるが,日本の研究開発の特色はなにか,また,それが企業の組織,雇用慣行,生産技術等とどのような関係を持っているかを考えてみたい。
1. 技術導入の評価
戦後の日本の技術革新において,技術導入が大きな役割を果たしたことはしばしば指摘される。大戦時の空白時期には,欧米との技術交流が遮断され,先進国との間で大きな技術的な格差が生まれ,戦後しばらくの間は内外の技術水準の格差の解消のため,技術導入が大きな役割を果たした。日本の近代化を開始した19世紀末から20世紀初頭は,欧米では第2次産業革命の時期に当たり,その技術革新の成果は短いラグで日本に伝播した。技術導入に際して,それを選択,理解,実用化していく技術的基盤は戦前から備わっていたのである。60年代には重化学工業への産業構造変化の中で,技術導入は活発化した。直接投資規制もあって,技術導入は大幅に自由化された68年から70年始めにかけて高い伸びを示したが,70年代後半以降は比較的緩やかな伸びに止まっている。全研究開発支出に占める技術導入額の割合をみても60年代まで国際的にも高かったが60年代後半以降低下傾向にあり,両者の前年度伸び率も70年代後半以降,相関が明確でなくなってきている等,技術導入の研究開発における役割も変化してきた( 第3-5-1図)。
また,戦後,積極的な技術導入を行ったのは日本ばかりではなく,西ドイツやフランス等も50,60年代に活発な技術導入を行ったのであり,アメリカの技術へのキャッチ・アップや世界的な技術革新の流れの中で技術導入を捉えるべきであろう。
2. 日本の研究開発の特色
まず,日本の研究開発の特徴についてみると,第一は,日本の場合,基礎研究よりも応用・開発研究に比較優位があることである。
自然科学でのノーベル賞の受賞者数は極端な例と考えられるが,日本の学位取得者についても特に学士において理学系より工学系の比率が国際的にみても高い(第3-5-2表)。もっとも,基礎研究での競争力をある程度示すと考えられる学術論文の発表数の世界に占めるシェアは80年代に物理や工学においてやや増加しており,日本も基礎研究の分野も徐々に強くなってきていると考えられる。
第二は日本の技術開発において,プロダクト・イノベーションよりもプロセス・イノベーションが志向されていることである。プロダクト・イノベーションとは従来存在しなかった製品を新たに開発するような技術革新を指すが,プロセス・イノベーションとは既存の製品の生産工程や技術を改良し,または,新工程を創り出すことにより,製品コストを削減したり,品質,性能を改善するような技術革新を意味する。
上記の特色は,新製品の発明の多くはアメリカでなされていることによって明らかである。日米企業のアンケート調査によれば(第3-5-3表),アメリカ企業は日本企業に比し,プロダクト・イノベーションに関連した研究開発を重視している。企業の直接的な生産性向上には明らかにプロセス・イノベーションの役割が大きく,アメリカ企業がプロダクト・イノベーションにより画期的な新製品を開発するのに力を注いだため,プロセス・イノベーションを重視しなかったことも競争力低下の一要因であったと考えられる。
さらに,技術革新の進展していく経路を考えてみると,基礎的研究を土台としたプロダクト・イノベーションはまさに画期的,根本的革新であり,このようなイノベーションは偶発的に起こるため,技術水準は不規則な階段状で,大きく上昇する面が強い。一方,応用・開発研究に裏打ちされたプロセス・イノベーションは連続的で,それぞれは小さいが堅実な進歩・改良といった面が強い。この場合,1つ1つの結果は技術水準に大きな影響を与えないかもしれないが,連続的に起こると,その漸進的革新の累積効果は大きなものとなろう。特に,商業的には小さな改善が新しい広大な市場を開拓する場合があり,そのような改善の累積は日本製品の世界市場での競争力を決定づけたといえる。VTR,テレビ,半導体,計算機等はアメリカで発明されたものであるが,日本が現在,世界市場で高い競争力を誇っているのは上記のような継続的改良をほどこすことにより商品化,品質の向上を図るとともに,大量生産,低コスト化に努めてきた結果といえよう(第3-5-4表)。
このようなイノベーションの経路の違いは,それぞれの研究開発目標を暗に示しているといえる。つまり,日本のイノベーションの場合,その経路は小さな改善の積み重ねであり予測し易い。これはとりもなおさず研究開発が継続的に小さな目標をクリアーする形で行われている可能性が高い。最も典型的な例が半導体の中でもDRAM(記憶保持動作が必要な随時書込み読出しメモリー)であろう。1Kビット(70年),4KビットDRAM(72年)まではアメリカ企業で開発されたが,16Kビットは日米同時(76年),64Kビット(78年)は日本が世界に先駆けて商品化し,それ以降新たなDRAMの開発競争には絶対的優位を誇っている。これは,当初は技術を導入しつつも,それを消化し,絶え間ない研究開発活動によって高性能化,量産化,低コスト化を図り,商品が標準化すると更に高付加価値の商品開発にシフトしていったという企業行動が影響を与えたと考えられる。各DRAMの価格の推移をみても,このような段階的,継続的な技術革新の進展をみることができる(第3-5-5図)。
一方,アメリカのプロダクト・イノベーションの場合,イノベーションの経路は予想しがたく,イノベーションのための小さな目標を作るのは難しい。こうした意味で,例えば化学産業については,新しい化学反応を見つけるといった基礎的研究,プロダクト・イノベーションの重要性が高いこともあって,アメリカやドイツがかなりの競争力を誇っており,両国で世界輸出の30.6%(89年)を占めている。また,プロダクト・イノベーションが比較的重要な人工衛星等の宇宙機器産業についてもアメリカが強い競争力を持つと考えられる。
3. 日本の研究開発の背景
(企業の組織形態との関係)
上記のような日本の研究開発を支えるものとして,まず,企業内の組織が挙げられる。日本の場合,生産現場と研究開発部門が,お互いに密接に情報の交換を行ったり,連携を組み,プロセス・イノベーションに役立っている。また,生産現場の担当者がグループを作って品質管理や改善のための問題提起を行うこと(QCサークル)の寄与も大きい。これに対して,アメリカの場合,かつての敵対的労使関係,科学的労務管理(テイラー・システム)に象徴されるように,生産現場と企画・管理・研究開発等の経営部門との間のかい離が経営陣の財務重視,生産現場軽視を生み,プロセス・イノベーションを妨げていた面があったといわれている。また,消費者の嗜好の多様化,変化に適切に対応すべく,製品差別化や品質の改善を進めていくためには,生産現場の意見のみならず,販売・流通部門との密接な情報の交換も重要であろう。日米企業について,研究開発プロジェクトの提案がどこからくるかをみると(第3-5-6表),アメリカ企業は同じ開発部門からくる割合が高いが,日本企業の場合は,生産現場や顧客からの提案の割合が全体の30%を占め,アメリカ企業の同割合(18%)と比較して高く,この傾向は電気機械産業ではより顕著である。
自動車企業についても国際比較すると,日本の自動車メーカーは,継続的改善という開発要素を開発プロセスにも生かすことにより,その開発期間は約4年と欧米企業の約5年と比較して短い。これは,日本企業の場合,製品エンジニアリングと工程エンジニアリングを,それぞれの部門の緊密なコミュニケーションの中でほぼ同時平行的に行っていることも影響している(第3-5-7図)。しかしながら,化学産業のように他の産業と比較してその技術がプラント設計で決まる度合いが高く,生産現場での経験蓄積のイノベーションに対する寄与が比較的小さい産業もあることも留意する必要がある。
(雇用慣行との関係)
次に,企業内のローテーションによる技術者のキャリア形成も日本の研究開発に貢献してきたといえる。第3節でみたように日本の雇用慣行システムとして終身雇用,配置転換を指摘したが,研究者,技術者も例外ではない。彼らは研究開発部門以外の部署も経験していくことで昇進していくのが普通である。例えば,技術者のローテーションの可能性を国際比較してみると(第3-5-8表),アメリカは他研究所や設計部門が半分近くを占めているが,日本の場合は比較的各部門のバランスがとれていると考えられる。このような昇進パターンが更に研究開発部門とその他の事業部門(生産,販売部門)との深い連携関係を維持し,情報の共有,交換を円滑にすることに貢献していると考えられる。
また,イノベーションのためには上記の情報交換とともに,技術者の人的資本の蓄積をいかにスムースに行うかという問題がある。アメリカの研究開発の場合,基礎的研究はある意味で研究内容が普遍性を持つため,技術者の企業間移動は必然的に高くなるであろう。この場合,企業が研究者養成のための投資(教育,訓練)は回収できにくいという短所はあるものの,基礎的研究においては研究者の人的資本として企業へ入る前の教育が重要であるため,研究者の移動によるスピル・オーバーの効果がかえって大きいかもしれない。
一方,日本のプロセス・イノベーションや品質の改良といった研究開発は企業に固有な性格を持ち,その企業での研究開発だけでなくその他もろもろの経験(OJT等の企業内訓練を含む)が重要と考えられる。終身雇用制度により企業内訓練・教育を通じた企業内の人的資本の蓄積が行われてきていることが,日本の研究開発を可能にしていると考えられる。技術者の転職経験比率をみても,アメリカの38.2%,ドイツの42.7%に対し,日本は5.8%とかなり低くなっている(出所,第3-5-8表と同じ)。
(生産技術との関係)
最後にプロセス・イノベーションと生産技術との関係を考えてみたい。半導体のようにダイナミックな規模の経済が存在する産業では,学習効果が働くため,右下がりの習熟曲線を持ち,生産コストを引き下げるためのイノベーションを図るためには,研究開発のみならず,生産を通じた経験の蓄積が重要になってくる。特に,長期的に企業に固有の人的投資を容易としている雇用慣行,研究開発における生産現場重視の下でこうした経験の蓄積は強化されるため,半導体のような産業で日本が高い競争力を持っていることをかなり合理的に説明できると考えられる。また,日本の場合,市場の大きい民生用に特化したこと,半導体メーカーは総合電子機器メーカーであるためユーザーでもあることが,更に好影響を与えたと考えられる。各種の半導体の累積生産量と価格をみると(付注3-10),累積生産量の増加が価格の低下にはっきりと寄与している。特に,線型回路の場合,両者の関係は安定しており,累積生産量が10%増加すると,価格が2.6円低下するという結果が得られた。
4. 日本の技術革新の問題点
以上のように,応用・開発研究を土台としたプロセス・イノベーションを日本のイノベーションの特徴とすると,その背景には,企業の組織形態や雇用慣行が密接に結びついていることがわかる。これは,これまでも各節でみてきたように結果として労働者の長い労働時間に結びつく可能性がある。例えば,研究・開発部門の技術者の実週労働時間を国際比較すると,特に,開発部門において,アメリカの46.0時間,ドイツの45.1時間,イギリスの40~42時間に対し,日本は55.9時間と格差が大きくなっており,技術者の不満をみても欧米諸国に比較し,労働時間に関する不満の割合が高い(出所,第3-5-8表に同じ)。このような状況の下,時短を進めるために家電メーカーや自動車メーカーにはモデル・チェンジの長期化やモデル数の縮小を検討する動きも出てきている。
また,日本の技術開発の効率性は様々な観点から指摘でき,最終的には高品質,低価格製品として消費者にかなりのメリットを与えてきたといえる。しかし,このような研究開発システムの革新的なプロダクト・イノベーションに対する有効性は相対的に低く,あらゆる産業に対し万能というわけではない。また,絶え間ない品質改良や製品技術水準の向上ほどに消費者の利便が高まっていない可能性があることも考えると,今後の技術開発においては,プロダクト・イノベーションを志向した基礎的研究もより重視していく必要があろう。
最後に,特許等知的財産の保護の問題について考えてみよう。アメリカでは自国の産業の競争力の低下は一部には知的財産の保護が不十分という認識があるのは事実であり,日本を含むいくつかの国の企業とアメリカ企業との間で特許侵害に関し問題が起こっている。特許侵害事件は基本的に私企業間の紛争であるが,その中には,例えば,日本を含め多くの国が先願主義を採用しているが,アメリカは先発明主義を取っているなどといった各国間の制度の相違により問題が生じるケースや制度は同じでも運用が異なるため,ある国では特許となるが他の国では特許とならない事態もみられる。したがって,日本としては知的財産保護制度に関する問題について,ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉等の場を通じて,国際的に整合性のとれた制度の早急な構築に向け,率先して努力していくとともに,今後とも知的財産保護制度の調和に努めることが必要である。