平成4年
年次経済報告
調整をこえて新たな展開をめざす日本経済
平成4年7月28日
経済企画庁
第2章 日本の景気循環の要因と今次循環の特徴
財政金融政策は経済変動を安定化する役割を持つが,戦後の景気循環の歴史は,政策によって景気循環を完全になくすことは不可能なことを示している。ここでは,これまでの景気循環で財政金融政策がそれぞれどのような役割を果たしてきたかを分析するとともに,今回の景気循環における政策環境と今後の政策運営のあり方を考えることとする。
今回の引締め局面では,やや高めの成長の持続に伴うインフレ圧力の高まりが顕在化するのを未然に防止するとの観点から,5次にわたる公定歩合の引上げが実施された。その後,景気が減速する中で,物価を巡る情勢が好転していることを踏まえ,企業家等の心理に及ぼす影響にも配慮し,4次にわたる公定歩合の引下げが実施された。この間,各方面で金融政策のあり方についての議論が高まり,金融政策を景気を下支えするために積極的に運営すべきか,資産価格の高騰を再燃させないよう慎重に運営すべきかが議論の焦点となった。石油危機前後の過剰流動性がインフレを招いた経験から通貨供給量重視の金融政策への移行が図られたように金融政策も過去の景気循環から教訓を学んできたが,「円高不況」に対処するためにとられた超低金利政策が資産価格高騰の一つの背景となった今回の経験も今後の金融政策の在り方に多くの教訓を与えたと言える。
(景気循環と公定歩合)
公定歩合は,拡大期に景気過熱を防止するために引き上げられ,後退期には需要を刺激するために引き下げられる傾向があるが,景気の山谷と公定歩合変更の時期とは時として大きなズレを持っている( 第2-8-1図 )。これを第5循環以降についてみると,公定歩合を引き上げてしばらくして景気の山が,また公定歩合を引き下げてしばらくして景気の谷が訪れるというように,金融政策の効果にラグがみられている。これは拡大期には企業の手元流動性の高まりや成長期待の高まりが金融引締めの効果を浸透しにくくし,逆に後退期には在庫投資,設備投資等実物面での調整が終了するまでは金融引締めを解除してもすぐにはその効果が浸透しにくいことを反映しているものと考えられる。
金融政策のこうした効果ラグを経済企画庁「世界経済モデル」による政策シミュレーションでみると,我が国について短期金利を1%ポイント引き下げた場合,我が国の実質国民総生産は短期金利を引き下げなかった場合との比較で1年目0.12%,2年目0.55%,3年目で1.01%の増加と,その効果は1年目には小さく,2,3年目にかけて拡大することが示されている。
したがって金融政策の実施に当たってはつねに効果ラグを考慮していく必要がある。
(景気循環と実質金利)
高度成長期には企業の資金需要が旺盛で,窓口指導等を通じ,資金の量的アベイラビリティをコントロールすることが金融政策の重要な手段の一つであった。その後次第にこうした規制は撤廃され,金利は市場で決定されるようになってきた。この場合,企業活動に直接影響を及ぼすものとしては,名目金利とともに実質金利の動向が重要である。
一般に,名目金利を固定すると景気は過熱し易いと考えられる。これは需給が引き締まると物価上昇が加速するが,名目金利が固定されていると実質金利が低下し,需要が更に刺激されるためである。このことから物価上昇率の変化に見合って名目金利を変更することはその需要効果から言えば中立的な政策であり,名目金利の変更は実質金利を変化させることによって需要効果を持つと言える。
景気循環と実質金利の関係としては,概念的には,拡大期には物価上昇率が高まり,実質金利が低下するが,金融引締めとともに実質金利が上昇して景気の山がもたらされ,また,後退期には引締めの解除とともに実質金利が低下し,景気が回復に向かうと考えられる。このため,実質金利によって,公定歩合変更の時期と景気の山谷とのズレや景気循環毎の名目金利の水準の違いがうまく説明できる場合がある。例えば,70年第3四半期の景気の山と71年第4四半期の景気の谷はそれぞれ公定歩合変更から約1年程間隔が空いているが,実質金利との関係でみると,実質金利が上昇して程無く景気の山が,また実質金利が低下して程無く景気の谷が生じている( 第2-8-2図 )。こうした関係は,77年第1四半期の景気の山,また金融緩和局面で景気循環が生じた85年第2四半期の景気の山,86年第4四半期の景気の谷についてもみられている。また,金利水準については,74年,80年頃の9%という戦後最高の公定歩合の水準が物価上昇率との対比でみると必ずしも高いものではなく,実質金利でみれば負になることもあったこと,また逆に87~89年にかけての戦後最低の2.5%という公定歩合の水準が物価安定下のものであり,実質金利でみると金利水準が過去と比べて極端に低かったわけではないことがわかる。しかし,実質金利と景気循環はつねに上記の関係が観察されるわけではない。景気の山付近の状況としては,例えば第5循環では引締め開始時に企業の手元流動性が高く,また輸出が増加を続けたこと等から引締め効果の浸透が遅れたことが指摘されている。また,第7,第9循環では2度の石油危機という大きな外的ショックの影響から,実質金利が低下するなかで景気後退が生じた。景気の谷付近についても,例えば第7循環では第一次石油危機のデフレ効果の一巡にともない,物価上昇率が低下して実質金利が上昇するなかで景気は谷を打ち,また第8循環では小規模な在庫調整が終了するとともに,実質金利が特に低下を示さない状況で景気が谷を打った。
こうして景気循環における実質金利の動きは景気の転換点を形成する上で一定の役割を果たしているものと考えられるが,経済に働くさまざまな力は時として実質金利の変化が経済に及ぼす影響を相殺し,あるいはそれ以上の逆の影響を経済に与えることによって景気の反転を妨げてきた。この意味で金融政策は必ずしも万能ではなく,金融政策によって景気反転の条件が整備された後,現実に景気反転が生じるためには企業財務,在庫,資本ストック等,金融及び実物面での調整が進展することが必要であることがわかる。
(金融自由化と公定歩合)
金融自由化の結果,全国銀行(都市銀行,地方銀行,第二地方銀行,信託銀行及び長期信用銀行の合計)の資金調達に占める市場金利連動型資金の割合は7割を超えているうえ,89年以降調達金利に連動した「新短プラ」が導入されたこともあって,市場金利の動向が貸出金利により敏感に反映されるようになっている。
金融機関が短期貸出金利を設定するに際,従来より短期プライムレート(以下「短プラ」と略す)が基準とされてきたが,88年以前は建値としての短プラが公定歩合と連動して決められていたため,市場金利による資金調達を含めた全体としての資金コスト,またそれを反映して貸出先との個別交渉の結果決められる貸出金利(新規)との間にかい離が生じていた。89年に入ると調達金利に連動した「新短プラ」が順次導入されたことに伴い,貸出金利(新規)は若干のラグをともないながらほぼこの新短プラに連動した形で推移するようになった( 第2-8-3図 )。
従って,預貯金金利や貸出金利の大宗が公定歩合に連動していた時期と比べると公定歩合の役割は,変わりつつあるといえる。
しかしこれは短期金利が金融当局の意図と離れて形成されることを意味するわけではない。金融当局は市場の参加者の一員として,資金需給の調節を通じて金利水準に大きな影響を与えることができ,88年11月以降順次実施された調節手段の多様化も短期金融市場に対するコントロールを確保するためのものであったと言うことができる。
ただ,そうした中にあっても,公定歩合はその時々の金融政策の基本的スタンスを明らかにするという重要な役割を担っており,引き続き政策決定の大枠を規定していることに変わりはない。
(資産価格と貨幣需要)
今回の景気循環では公定歩合は89年5月以降5回にわたって引き上げられたが,マネーサプライは引締めに転じた後の89年10~12月から90年4~6月までの間には前年比二桁の増加を示す等その伸びが加速し,逆に90年7月以降公定歩合が引き下げられるなかで伸びが低下するという動きがみられた。ここではその原因を名目総需要と貨幣の流通速度(名目総需要/マネーサプライ)の二つに分けてみてみよう。
まず,M2+CD(平残)の前年比を名目総需要前年比及び長期金利と対比させてみると,90年前半には長期金利の上昇にもかかわらず名目総需要の伸びが高まり,また91年に入って以降長期金利が低下するなかで名目総需要の伸びの低下が生じている( 第2-8-4図① )。次に,貨幣の流通速度をそのトレンド線との関係でみると,89年末にかけて徐々にトレンド線に近づく動きがみられたものが,90年にトレンド線から遠ざかり,91年に再びトレンド線に戻るという動きを示している( 第2-8-4図② )。貨幣の流通速度が最近期においてほぼトレンド線上にあることは,現状におけるマネーサプライの水準が名目総需要との関係において必ずしも低いものではないことを示唆しているが,流通速度がトレンド線を下から上に切る方向に上昇していることは,名目総需要の伸びに比してマネーサプライの伸びが小さいことを示している。
今次景気循環の拡大期に関しては,伝統的な通貨需要関数によるマネーサプライの推計値が実績値に比べて過小に偏る傾向があり,その原因として①超低金利の継続が通貨保有の機会費用を大きく低下させたこと,②金融自由化,特に預金金利の自由化が通貨の資産としての魅力を増加させたこと,③資産価格の上昇が資産効果を通じて通貨需要を増加させたこと等が挙げられてきた。ここで,説明変数に民間正味資産を加えた通貨需要関数を計測してみると,資産項の係数は正で有意である( 第2-8-5表 )。資産価格の変動は資産効果,逆資産効果を通じて実物面に影響を与え,通貨の取引需要を変化させるものとみられるが,それ以上に,資産総額の変動を通じて通貨需要に影響を与えるという経路が存在する。
したがって,最近におけるマネーサプライの伸びの鈍化は,名目総需要の伸びの鈍化の他,資産総額の減少を反映した通貨需要の鈍化等も影響しているものと考えることができる。また,第1章でみたように,貸出金利が低下していることや金融機関の貸出態度に対する企業の判断DI(日本銀行短期経済観測調査)は「厳しい」超幅が縮小していることも,マネーサプライの伸びの鈍化が基本的に資金需要の弱さを反映したものであり,信用収縮が生じているわけではないことを裏付けていると言えよう。
(マネーサプライと物価,資産価格)
マネーサプライの伸びの鈍化が資金需要の弱さを反映したものであっても,理論的には,種々の政策手段により,更に金利低下を促し,資金需要を刺激することが考えられる。しかし,名目総需要を大幅に上回るマネーサプライの増加は中期的に物価上昇を加速させ,経済のインフレ体質を強める危険がある。
前記経済企画庁「世界モデル」による政策シミュレーションによれば,我が国におけるマネーサプライを2%増加させた場合,我が国の実質国民総生産はマネーサプライを増加させなかった場合に比べ,1年目に0.17%,2年目に0.49%,3年目に0.61%それぞれ増加するが,6年目には逆に0.06%減少する。これは時間の経過とともに物価が上昇し,名目マネーサプライを更に増加させない限り実質マネーサプライが減少し,実質金利が上昇して国内需要が減少するためである。
また計量経済モデルでは明示的に扱われていない問題として,マネーサプライの増加や金利低下といった金融緩和が,その時々の状況によっては,資産価格の大幅な上昇をもたらす地合いを形成する可能性にも注意する必要がある。今回の景気循環では87年2月~89年5月の2年余にわたって公定歩合が2.5%という戦後最低の水準に維持され,マネーサプライも高い伸び率を続けた。こうした金融の緩和状況は,円高,原油安によって物価の安定が維持される中で,長期にわたる景気拡大を実現したが,他方でこの緩和局面下で資産価格の大幅な上昇が発生したのも事実である。特に今回の資産価格の上昇には,実体的な土地の収益性の向上等を反映した面がある一方で,金融緩和状況下で潤沢な資金供給が図られ,投機的な取引も活発化したことによる面があることも否めない。今回の景気循環の経験は金融緩和が資産価格に大きな影響を及ぼす可能性を示唆しており,金融政策については,資産価格の変動がもたらす様々な弊害をも考慮に入れて運営に当たっていくとともに,こうした弊害を最小限に止めるために制度上の問題への政策対応も必要となろう。
次に,戦後の景気循環と財政政策の関わりについてみてみよう。
(税収,公共事業と景気循環)
財政政策は,経済活動の好・不調を反映した税収の変化が民間部門の所得の変動を平準化し,経済の変動を安定化する効果を持つほか,税制変更や政府支出の変動等を通じて,様々な形で景気変動と関わりを持っている。
こうした財政政策と景気変動の関わりを定量的に分析することは必ずしも容易ではないが,ここでは過去における税収と公共投資をとりあげ,景気循環との関係をみることにする。
国民所得統計による国,地方を併せた税収と政府固定資本形成の前年比を比較すると,高度成長期,安定成長期を問わず,おおむね,拡大期には税収の伸びが政府固定資本形成の伸びを上回り,逆に後退期には税収の伸びは政府固定資本形成の伸びを下回っている( 第2-8-6図 )。例外として,第9循環の後退期(80年3月~)以降,政府固定資本形成は減少気味に推移し,第10循環の後退期(~86年12月)末期近くになって大幅な増加を示し,税収の伸びを上回っている。
56年以降の8回の景気循環のうち第9循環を除く7つの循環について,税収の伸びと政府固定資本形成の伸びが交差した時期を景気の山の時期と比較すると,平均的に景気の山から約2四半期後に税収の伸びが政府固定資本形成の伸びを下回るようになっている。
なお,財政政策の効果を考える際には,政府の支出はいわゆる公共投資だけではなく,また,公共投資や税収の変動の影響は,その具体的な内容や時々の労働力需給をはじめとする経済状況等によっても異なることに留意する必要がある。また,政府の支出や税収は,一方で財政状況を変化させ,後々の財政政策や資源配分に影響をもたらすものであり,景気循環との関わりのみで財政政策の効果を論じられないことは言うまでもない。
既にみたとおり,基本的に財政・金融政策は景気の振幅を小さくするような運営がなされている。しかしながら,これまでの各局面ごとの財政・金融政策の規模及び波及効果は,その時々の政策環境の違いを反映して必ずしも一様ではない。そこで以下年代順に,65年不況からの回復局面,70年代後半の時期,第二次石油危機後の時期,「円高不況」からの回復局面について振り返った後,現在の財政・金融政策を巡る環境と今後の政策運営のあり方について考えることとしよう。
(65年不況からの回復と財政・金融政策)
65年不況からの景気立ち上がりに当たって,財政政策は相応の役割を果たした。公共事業関係費をはじめとして,高い歳出の伸びが確保され,一方,そうした中で65年度補正予算において戦後初の公債発行が行われ,66年度予算からは建設国債が発行されることとなった。
また,金融政策面でも,早期の公定歩合引下げが実施され(65年1月,景気の山:64年10月),景気の早期回復に寄与した。これは,景気の転換点において国際収支が既に黒字化していたことによる面が大きく,神武,岩戸景気後の公定歩合引下げが,国際収支面の制約から景気転換点後10~12カ月を要したのとは対照的であった。
(70年代後半の景気刺激策)
71年の円切上げ時に生じた過剰流動性,全般的なインフレ圧力の高まりの中で生じた第一次石油危機の発生直後の74年には,いわゆる狂乱インフレの収束が最優先の政策目標となり,急速な景気悪化の下で,公共事業の繰延べや金融引締めの持続による総需要抑制策が行われた。75年入り後は深刻な景気低迷に対し,財政・金融両面で景気刺激的な政策への転換が行われた。財政面では,75年度補正予算で,公共事業の追加が実施された。しかしながら,一方で経済活動の停滞から税収が落ち込み,これに対して特例公債が発行され,続く76年度予算でも,公債発行の増額が行われるなど,それ以後の大量の公債発行につながることになった。また金融面でも,物価面への警戒を続けつつも,75年中4次にわたって累計2.5%の公定歩合引下げが実施された。当時景気は捗々しい回復をみるまでには至らなかったものの,高度成長期から安定成長期へと日本経済が困難な過程を乗り切るに当たって,これら財政・金融政策が果たした役割は大きかったと考えられる。
こうした財政・金融政策のスタンスは,第二次石油危機直前の78年まで続けられた。これには,77年のロンドン・サミット及び78年のボン・サミット等で,対外経常黒字を続ける日本が世界経済回復の牽引車としての役割を担うべきとの議論(いわゆる「機関車論」)が高まったことも影響していた。金融政策面では,インフレの収束と77~78年にかけての大幅な円高という追い風を受けて,一段の公定歩合引下げが実施された(77~78年中2.5%の低下)。また,財政政策面では,公共投資の増額等各般の措置が採られ,公債発行によって歳出規模の拡大を図る政策が続けられた。
その一方で,70年代後半の積極財政は,公債依存度を高め(公債発行額の一般会計歳出全体に占める割合,74年度11.3%→79年度34.7%),公債残高の増大(同9.7兆円→56.3兆円,各年度末),国債費率の上昇(一般会計歳出に占める国債の利払い等の国債費の割合,同5.0%→10.6%)を招く等,急速な財政体質の硬直化をもたらし,今日に至る巨額の公債残高(92年度末見込み約174兆円)へとつながった。その結果,財政改革を進めることが重要な政策課題となった( 第2-8-7図 )。
(第二次石油危機後の財政・金融政策運営)
財政の硬直化の進行から,80年度以降の財政政策運営に当たっては,財政改革を図るため,82年度にはゼロシーリング,83年度からはマイナスシーリングの設定を梃子として,歳出の徹底的な節減合理化が図られた。しかしながら,税収の落ち込みから国債発行額は依然高水準を続けた。また,そうした状況の下,公共事業関係費等の伸びも厳しく抑制せざるを得なかった。
一方,金融政策面においても,81~82年にかけて,レーガノミクスに基づく米国の高金利政策に不安定な国際政治情勢が米ドルへの選好を強めたことも加わって,為替相場は対ドルで円安推移となり,経常収支不均衡の拡大にもつながる可能性があることから,金融緩和には大きな制約がかかることとなった。更に,国債大量発行の影響から長期金利は高止まり傾向を示しており,金融緩和が金利全般の低下につながりにくい状況にあった。このため,景気の低迷が続くなかで公定歩合は81年12月の引下げ以降2年近くにわたって据え置きを余儀なくされ,長期の貸出金利も一進一退のなかで高止まりを続けた。
第二次石油危機後の景気後退は,36カ月と過去最長のものとなった。この背景には,前にも触れたとおり,81年後半自律的景気回復の兆しがみられたところで米国景気の急速な後退に遭遇したという事情もあったが,更に以上のとおり財政・金融政策がそれぞれの制約要因のもと十分な景気刺激策を講じ得なかったという点も大きく影響したと考えられる。
(「円高不況」期の財政・金融政策運営)
経常収支不均衡縮小のための先進国間の政策協調が開始されたプラザ合意(85年9月)以降,ドル高修正が進行し,いわゆる「円高不況」となった。我が国は対外不均衡縮小及び内需を中心とした景気回復の必要性から,財政・金融面からの景気刺激策が求められていた。こうした状況下,金融政策面では,大幅な円高を背景に国内物価が一段と落ち着き傾向を示していたこともあって,86年1月から87年2月までの間5回にわたって2.5%という史上最低の水準にまで公定歩合が引き下げられる等,大幅な緩和策が講じられた。また,財政事情は引き続き極めて厳しい情勢にあったが,87年5月,NTT株式の売却収入の活用等による公共事業の大幅な増加,所得税減税等の施策がとられた。こうした財政・金融両面からの景気対策は,冷え込んでいた企業マインドを刺激し,様々な経路を通じてその後の長期に及ぶ力強い景気拡大の実現に寄与したものとみられるが,一方で,株価・地価急騰という副次的作用が発生したことも否めない。
このように,65年以降の景気循環と財政・金融政策について概観すると,景気の振幅を小さくするように運営されてきている。しかし,その一方で財政政策については,機関車論の70年代後半には,その政策が必ずしも所期の効果をあげられず,かえって大量の公債発行の結果,80年代以降においては,政策の余地が大きく制限されてきているなど,短期的な景気刺激策の弊害も現れている。
(現在の財政・金融政策を巡る状況と今後の政策スタンス)
最後に現在の財政・金融政策を巡る状況についてみてみよう。
まず,財政面では,90年には総額430兆円の公共投資基本計画(1991~2000年度)が策定され,中期的に着実な社会資本の整備を図っていくスタンスが打ち出された。また,92年度当初予算においても税収が低迷するなかで景気に配慮した予算編成が行われたほか,財政投融資についても積極的な活用が図られている。しかしながら,長年の財政改革努力の結果,90年度には特例公債の発行が回避されたとはいえ,これまでの長期にわたる多額の国債発行の結果174兆円程度(92年度末見込み)の国債残高を抱えており,国債費率が22.8%に達する等財政構造の硬直化が進んでいる。人口の高齢化や国際社会における責任の増大等のなかで財政が効率的にその本来の機能を発揮できるようにするためには,後世代に多大の負担を残さず,再び特例公債を発行しないことを基本として,公債依存度の引下げ等により,公債残高が累増しないような財政体質を作り上げ,財政の対応力の回復を図ることが緊要な課題である。
また,金融政策については,その時々の経済・金融情勢を踏まえて弾力的,機動的な運営がなされるというのが特徴である。ただし,この点については,かつて欧米諸国で,景気後退を避けるために短期的な視点からの政策変更を繰り返した結果,経済が次第にインフレ体質化したという経験を想起すべきであろう。91年7月以降,これまで4次にわたる公定歩合引下げが実施され(累計低下幅2.25%),その効果は既に徐々に浸透しつつあるが,こうした金融緩和が可能となったのは,国内卸売物価が一段と落ち着き傾向を示し,為替相場も総じて落ちついた動きを示す等,物価を巡る情勢が一頃に比べ改善しているという条件が満たされていたことが背景であった。金融政策についても,基本的な運営スタンスとしては,単に短期的な景気の方向のみを捉えてを行うのではなく,物価の安定とその下での持続的な成長を目指すという中期的な視点も重要と考えられる。
今後の財政・金融政策をはじめとする経済運営については,上記を踏まえつつ,引き続き内外の経済動向を注視し,適切かつ機動的に行うことが必要である。