第1節 91年から92年経済の概観
1. 調整過程にある我が国経済
87年以降力強い拡大を続けた我が国経済は,90年末から緩やかに景気の減速を始め,91年後半には調整過程に入った。景気が調整過程を迎えることとなったのは,87年から長期にわたって高成長が続き,設備投資,住宅建設,乗用車等耐久消費財への需要が一巡するストック調整に入ったことに加え,物価が安定する中で資産需要の高まりが地価や株価の高騰を招き,人手不足や高水準の稼働率,さらには湾岸危機を背景とするインフレ圧力の高まりに対して,予防的金融引締めがなされたことの影響によるものである。このため最終需要が鈍化し,在庫の積み上がりから生産調整,在庫調整の動きが続いている。このように,今回の減速は外的ショックにより引き起こされたものではなく,経済のバランスを基本的に保とうとする動きの下での自律的な調整であることを示している。
(91年から92年経済の動向)
87年度から90年度まで我が国経済は個人消費と民間設備投資に主導された力強い成長を続け,四年間の実質経済成長率はGDP(国内総生産)でみて年平均5.2%に達した(第1-1-1図)。91年初からの動きをGDP成長率(前期比,年率換算)でみると,91年第1四半期の6.7%成長の後,第2四半期には4.0%増に減速した。その後,第3四半期は1.7%増,第4四半期は0.1%減とストック調整のため一層成長は鈍化し,91年後半から景気は調整局面を迎えた。92年第1四半期は3.4%増と上昇に転じたが,91年度は3.5%成長とこれまでに比べ低い伸びにとどまった。92年第1四半期が比較的高い成長率となったのは,個人消費がサービス関連支出を中心に堅調な伸びを示したこと,また政府支出が政府在庫の反動増もあって高い寄与を示したことにより,内需が堅調に推移したためである。海外との要素所得の受払を加えたGNP(国民総生産)でみると,91年度の実質成長率は3.5%となり,内外需別では,内需の寄与度は2.2%,外需の寄与度は1.3%となった(第1-1-2表)。仮に資本と労働力の要素投入が85年以降の平均的な値をとった場合を想定し導出した実質GDPと現実のGDPを比較すると,上述の経済の減速を反映した動きとなっている。
企業の業況判断を日本銀行の主要企業短期経済観測(92年5月調査)によりみると,減速感が続いている(第1-1-3図)。87年以降の景気拡大局面では,業況が良いと判断する企業が悪いとする企業を大幅に上回って推移してきたが,92年に入って業況判断に減速感の広まりがみられた。92年5月調査では,非製造業では良いとする企業が悪いとする企業を1%ポイント上回っているものの,製造業では悪いとする企業が良いとする企業を24%ポイント上回る結果となり,2月調査に比べて両業種の業況判断は一層の低下を示したが,製造業が若干の業況持ち直しを予想しており,非製造業ではほぼ横ばい圏内で推移するとの見通しとなっている。
91年から最近までの経済をみると,次の四点が特徴として指摘できる。第一に,これまで長期にわたり高い成長を続けた設備投資,住宅投資等の最終需要がストック調整局面に入った。91年度の実質民間設備投資は3.0%増にとどまり86年度以来の低い伸びにとどまった。また,92年第1四半期は前年同期比0.9%減となり,83年第2四半期以来9年ぶりに前年水準を下回った。実質民間住宅投資は91年度11.3%の減少となり,これは83年度来のマイナスである。
第二に,資産価格が低下した。89年末をピークとする株価は91年度中も続落し,92年3月末の日経平均株価はピーク比50.3%減の19,345円となった。4月には17,000円を下回り,その後も軟調な相場展開が続いている。株価の低迷は基本的には株式市場の需給バランスが崩れていることが原因である。また,90年後半から一部地域で始まった地価の下落は継続しており,広範な地域に波及した。
第三に,国内物価は一層安定し,労働力需給は依然引締まり基調で推移した。景気が調整過程に入り国内需給に緩和がみられた他,円高,原油価格下落の効果もあり,国内卸売物価は91年後半以降急速に落ち着き,91年度は0.6%の微増となった。また,消費者物価は2.8%増と前年より落ち着いた動きを示した。他方,有効求人倍率は91年度中低下を続け,92年5月には1.14倍となったが,依然求人数が求職者数を上回っている。
第四に,三大都市圏を中心とする大都市圏に比べ,地方圏の景況に減速感がみられるのが遅れた。この要因としては,大都市圏における地価高騰や人手不足感の高まりから,加工組立型業種を中心とする多くの企業が地方へ進出し,内需主導の経済成長下において地方経済の基盤が強化されたこと,資産価格下落の影響が地方では相対的に小さかったとみられ,消費への影響が一層軽微であったことが挙げられる。また,着実に実施される公共事業が地方の景気を支えるという効果もある。
なお,対外バランス面では,湾岸危機後の原油価格低下,高級品輸入の減少や投資用金輸入の急減といったことに加え,円高のJカーブ効果等から貿易黒字は拡大し,91年度の経常収支は12.0兆円(902億ドル)の黒字になり,GNP比率は90年度の1.1%から91年度は2.6%へ上昇した。投資収益の受取増加及び湾岸における武力行使による一時的な旅行収支赤字の減少により,貿易外収支の赤字幅は縮小した。また,81年度から続いていた長期資本のネットの流出超は,91年度に流入超へ転じた。これは,本邦資本は引き続き流出しているものの,外国資本が大幅な流入超に転じるなど,外国人投資家のポートフォリオ選択に変化が生じたためである。
2. 改善の動きがみられる先進国経済
90年から景気後退局面に入ったアメリカ,イギリス,カナダ等の国では,金融緩和効果の浸透から91年半ばには回復の動きが始まったが,92年の経済成長は低い伸びにとどまるとみられている。92年4月発表のIMF見通しによれば,92年の先進国全体(23か国)の成長率は前年より1%ポイント高まり,1.8%に回復する。東欧,旧ソ連を除く途上国計は,前年を大幅に上回る6.7%成長が見込まれている。東欧については生産の低下が底を打ちつつあるが,旧ソ連では92年も引き続き生産は大きく低下するとみられている。
アメリカ経済は91年央に回復の兆しがみられたものの,その後弱い動きを続け,92年に入って回復の動きが現われている。金融緩和の効果から民間住宅建設が回復に転じ,鉱工業生産は緩やかな回復基調にある。今回の景気後退局面では,不動産不況の深刻化,家計,企業部門の債務累増を背景に,金融機関の貸出態度が厳しくなるなどの現象がみられ,90年秋以降の本格的な金融緩和効果の発現が予想されたよりも遅れている。しかしながら,91年後半以降,金融機関や家計,企業部門のバランスシートには改善の動きがみられるようになっており,92年央からの景気回復が期待されている。
ドイツ経済をみると,90年のドイツ統一による国内需要増から91年前半まで高成長を続けた西独地域は,需要の一巡,インフレ抑制のための金融引締め,増税の実施等の影響から,91年後半にマイナス成長に転じた。インフレ抑制重視の姿勢から,92年前半においても金融引締めが堅持されており,景気は調整過程にある。東独地域経済は91年半ば以降安定化の兆しがみられ,経済情勢の悪化は底を打ちつつある。フランス,イタリア等の欧州諸国では,90年の景気減速以後景気の動きは弱い。この一因として,欧州通貨制度の下で対マルクレートを安定的に維持する要請のために,ドイツの高金利が国内金利の低下を困難にしていることが挙げられる。労働市場の硬直性など構造的な要因に加え,景気回復が遅れていることもあって,EC域内の失業者数は増大しており,失業率は91年末には前年平均を0.9%ポイント上回り9.2%に達した。
アジア途上国・地域経済は,世界経済の成長センターとして世界のどの地域よりも高い成長を続けている。韓国,台湾等のNIEs諸国・地域は,内需中心に経済が拡大している。また,中国は消費,投資,輸出の高い伸びに支えられて高成長を保っている。東欧諸国は経済の安定化政策を実施しつつ,経済の供給構造を強化するため,構造改革に取り組んでいる。緊縮政策の実施と旧コメコン域内貿易の減少のため,総じて鉱工業生産の減少,失業の増大,物価の上昇が続いているものの,生産に下げ止まりのみられる国もある。旧ソ連・独立国家共同体(CIS)地域では,CISの創設とソ連邦の消滅という政治的変革を経て,92年から価格自由化等の経済改革に踏み出している。しかし,各国では生産の減少,財政の破綻,インフレの高まり,貿易の縮小等,経済の混迷が続いている。
経常収支の動向をみると,アメリカの91年の経常収支赤字は,湾岸危機にかかる同盟国の拠出金受入れや貿易収支赤字の縮小があったことなどから37億ドルの赤字と大幅に縮小したが,92年にはその反動から赤字幅の拡大が見込まれている。ドイツは91年前半より東独地域の需要増大等から経常収支の赤字国に転じ,92年に入っても赤字が続いている。アジアNIEs諸国・地域では,内需拡大による資本財,耐久消費財の輸入が高い伸びを示しており,経常収支は黒字であるものの,91年で合計90億ドル程度となっており,80年代後半に比べると黒字幅が大きく低下している。先進国経済の減速を反映して,91年の国際商品市況は弱含みで推移したが,92年に入っても軟調な動きである。湾岸危機終息後,原油価格が急速に低下したが,91年央以降やや持ち直し,92年に入ってからはおおむね安定的に推移している。
我が国経済の動きをこのような世界経済の中に位置づけてみると,共通点や相違点が浮かび上がってくる。まず,先進国の中では,我が国とドイツは他の国に比べて遅れて景気調整過程入りしたことが挙げられる。しかしながら,先程のIMF見通し等によると,これから93年に向けて,両国はそれぞれ景気調整過程の後に回復局面を迎えると見込まれている。アメリカ,イギリス,カナダ等先に景気が減速した国では,91年から株価が上昇に転じたのに対し,我が国では92年前半においても株価は軟調な展開となっていることは相違点である。他方,これらの国では不動産市場の低迷が長引いており,金融緩和にもかかわらず債務を抱えた家計,企業,金融機関のバランスシートの改善が緩慢であり,景気回復の遅れが生じている。また,多くの国では景気の減速に伴い失業者数が増大しているが,我が国ではこれまでのところ失業率の上昇はみられていない。最後の点としては,OECD加盟24か国中91年において経常収支黒字を計上した国は,日本,オランダ,スイス,ノルウェー,ベルギー等の9か国である。調和ある対外経済関係を形成する観点から,我が国は今後とも市場開放を含む構造調整の努力を続けていく必要があろう。