平成3年
年次経済報告
長期拡大の条件と国際社会における役割
平成3年8月9日
経済企画庁
第2章 資産価格の変動と景気循環
以上,地価や株価の変動の要因を分析し,その需要面や金融面への影響について検討してきたが,その検討結果を踏まえて,ここでマクロ経済政策,金融システムの安定性確保,土地政策などの経済政策上の課題についてまとめておこう。
経済のストック化の進展と資産効果の関係については,例えば資産残高の増加に伴って同率の資産価格の変動が引き起こす消費支出に対する富効果が大きくなるものと考えられる。第2節では,資産効果に関する諸理論を需要項目等に断片的に適用したに過ぎないが,資産効果がマクロ経済上どういう役割を果たすのか,資産効果が大きくなることはマクロ経済上どういう政策的含意を持つのか検討してみよう。
資産効果がマクロ経済上どういう役割を果たすのか,そして,資産効果が大きくなることはマクロ経済上どういう政策的含意を持つのか理論的側面から簡単にまとめておこう。
第一に,資産効果は金利の直接効果と同方向に作用するので,そのマクロ経済の短期均衡に果たす役割は,金利の直接効果と基本的に同じである。金利の低下に伴って資産価格は上昇し,金利の直接効果と資産効果はともに需要刺激効果を持つ。つまり,資産効果が大きくなることは,IS-LM分析のように貨幣以外の資産市場を捨象したモデルでは,需要の利子弾力性が高まる,すなわち,IS曲線の傾きが小さくなることを意味する。その結果,外的な需要変動によって引き起こされる利子率の変化が需要に与える効果が大きくなり,当初の外的需要変動をかなり相殺するようになり,経済は外的需要変動によって揺り動かされる程度が小さくなる。
第二に,資産効果は期待要因を通じて,外的ショック等が実体経済に波及する経路となる可能性が考えられる。例えば,石油危機のような場合には,経済成長の見通しが低下し,先行きの不透明感も増す結果,収益の期待成長率の低下,リスク・プレミアムの上昇を通じて資産価格が下落し,逆資産効果が発生し,交易条件の悪化による所得効果以外の経路から需要にマイナスの効果を与える可能性も考えられる。また,国際的資本取引の厚みが増すと,海外で起きた経済変動や外国の政策も国際資本移動のチャネルを通じて日本経済に波及する可能性もある。
第三に,資産効果は,短期的な経済変動に対して,中長期の成長経路に復帰させるように働く安定化要因と考えられる。例えば,マイナスの資産効果が働くような状況になると,そうでなかった場合に比べて消費支出が減少する一方,貯蓄性向が上昇して資産残高の成長速度が高まり,徐々に消費を押し戻す効果を与える。このように資産効果は基本的にいってストックとフローのバランスを保とうとする作用であり,資産効果を含む経済体系においては,資産残高が一種のアンカーの役割を果たす。したがって,資産効果が大きくなることは,景気循環を小幅化する方向に作用する可能性があると考えられる。
政策効果の発現の点では,先ほどみたIS-LM分析の下で考えれば,需要の利子弾力性が高まり,IS曲線の傾きが小さくなっているので,LM曲線のシフトで表される金融政策の需要創出効果は,資産効果が無いときに比べ相対的に大きくなると考えられる。財政政策については,需要拡大による利子率上昇が持つクラウディング・アウト効果が資産効果が無いときに比べ相対的に大きくなると考えられる。また,外的ショック等が期待要因を通じて資産価格に影響を与え資産効果が現れるという経路を経て,実体経済に影響を与える可能性があることも,経済情勢を注視する上で勘案すべきである。
金利の直接効果は需要項目別に影響度が異なるため,金利活動の結果特定分野の需給のバランスを大きく崩し,中長期的にみた供給サイドの資源配分に偏りを生じさせることが考えられる。資産効果の高まりは,上記のように金融政策の効果を大きくするばかりでなく,このような資源配分上の偏りを少なくする役割も果たすと考えられる。それは,金利変動による資産価格変動を通ずる資産効果は,金利に対する感応度の低い個人消費や大企業設備投資への影響が相対的に大きく,金利に対する感応度の高い住宅投資や中小企業への影響は相対的に小さいと考えられるためである。
さらに,今後,金融自由化の進展に伴い,金利機能を活用した金融政策が今後とも一層重要となっていくことから,ストック化による資産効果の高まりが有益となる局面もあると思われる。したがって,ストック化の進展した経済におけるマクロ経済政策には,以上のような様々な要因をも踏まえた適切な対応が求められるものと思われる。
金融技術革新の導入が促進されると,株価などの変動性(ヴォラティリティ)が増大する可能性が指摘されている。ヴォラティリティの増大が実証されているわけではないが,アメリカでは87年10月にニューヨーク市場に始まり世界的な株価の大幅下落を招いたブラック・マンデーをきっかけに,金融技術革新の一つであるプログラム・トレーディングは市場の安定性を損っているとの批判が高まった。また,市場機能への全幅の信頼からいかなる場合も市場を閉鎖すべきでないとする意見があったが,取引の一時停止も市場の落ち着きを取り戻すために有効であると認められるようになっている。さらに,この時の経験に照らせば,流動性供給の確保等の適切な政策運営がなされれば,資産価格の大幅な下落から信用秩序の混乱に至ってしまう危険を防止することができることが確認されたということができよう。
なお,我が国においてはブラック・マンデーの時のみならず,89年の年末にかけてとその後のいわゆる「トリプル安」の時期にも大幅な変動がみられた。しかし,これは,昨年度の年次経済報告で詳しくみたように金利の先行きについての期待や為替レートと相互に影響し合ったことなどにより,ヴォラティリティが高まる傾向にあることを意味するものではない。しかし,株式市場の動向については,今後とも注視をしていく必要があろう。
金融自由化は,金融機関相互の競争を強化し収益を圧縮する要因となる一方,業務範囲の拡大を通じた範囲の経済(エコノミーズ・オブ・スコープ)によってコストを低下させ収益を拡大する要因にもなる。これによって,金融の効率化が図られ,利用者の多様なニーズに対応して多様な金融商品・サービスが提供できるようになる一方,個々の金融機関の対応如何によっては金融機関経営の健全性に影響が出る可能性が指摘されている。また,預金金利が規制されていたときは,金融引締め期には貸出金利が預金金利よりも早く上昇したため金融機関の収益が良好であった。しかし,金融自由化の進展によって第2-4-1図に示すように金融機関の資金調達に占める自由金利商品の割合が高まっているため,金融引締め期において期間の短い自由金利預金金利の上昇により資金調達コストが上昇しやすくなっている。このような状況の下で貸出金利の改定が遅れると,金融機関の利ざやが縮小することになる。また,有価証券の利回りも近年低下している。第2-4-2図にみるように,今回の金融引締め期において金融機関の総資金利ざやが悪化していることには,このような要因が挙げられる。このように金融自由化の下で金利リスクのコントロールの難しさが顕在化してきている。
以上のようなリスクの高まりのなかで金融機関経営の健全性を確保するためには,自己責任原則の下に適切なリスク管理及び自己資本の充実が求められるところである。金融機関の一部では,提供する金融商品の利回りを巡る競争圧力の下で,充分にリスクを検討することなくハイリスク,ハイリターンの資産運用が促進された時期があったとみられる。現在ではリスク管理の面で金融機関の習熟が相当進んできたものと考えられるが,金融自由化を進めるにあたって,金融機関の適切なリスク管理はますます重要となる。また,自己資本の充実の面では国際業務を行う銀行経営の健全性と国際的な銀行システムの安定性の強化に資することを目的として,88年にBIS規制が導入されたが,金融自由化進展の下,リスクが一段と多様化するなかで,金融機関の自己資本の充実が強く求められている。
金融自由化は金融機関間の競争を促進し,産業としての金融の効率化を高めるものと期待されるが,効率化が進む過程で金融機関の経営格差が拡大することも考えられ,個別金融機関の不適切な対応によって経営の健全性が損なわれることのないように,かつそれが金融システム全体に波及することのないように注意する必要がある。これまでのところ日本においては,アメリカ,イギリスなどのように金融機関経営の健全性確保が大きな問題になるところまでには至っていない。しかし,今後,金融機関相互間の競争が一段と進展することを考えると,アメリカ,イギリスなどの先行している国々の経験に学び金融機関経営の健全性を確保するために,各金融機関の自己規律とリスク把握・管理体制の強化が基本であることはいうまでもないが,これに加えて,金融機関の自己資本の充実の促進,ディスクロージャーの拡充及び監督当局のモニタリング機能の向上などの諸措置を採ることが有効であるほか,預金保険制度の機能の向上も考えられよう。
預金保険制度(第2-4-3表)の充実に当たっては,セイフティ・ネットが過大なリスク負担を誘因するという道徳的危険(モラル・ハザード)の問題が生じないように充分注意を払う必要がある。アメリカにおけるS&L問題の経緯をみると,特定地域の不動産不況や,金融機関に対する監督不十分などの問題とともに,金融機関のリスク状態と無関係に預金保険の付保範囲や保険料率を決めていたことが,金融自由化による資金運用先の拡大のなかで過大なリスク負担を誘引したという預金保険制度の内容にも問題点があると思われるからである。したがって,預金保険制度については,モラル・ハザードの発生を回避しつつ,金融機関の経営危機への対応策を整備する観点から,合併等を行う救済金融機関に対する資金援助機能を含め,その機能が適切に発揮されるよう制度及び運用面について必要な検討を行っていくことが重要である。
アメリカにおいては,金融自由化以前から資本市場が整備されており,金融引締め期にディスインターメディエーションが起きると,銀行を通じた住宅金融や対個人向け信用が困難になる一方,大企業は社債などによる資金調達が可能であるという資源配分上の問題を引き起こしていた。これが,金融自由化によって解消されると期待されていたが,適切なリスク管理が行われなかったために,S&Lをはじめとする多くの中小金融機関の経営行き詰まりが目立つようになり,こうした経営の深刻化を背景として金融機関の貸し渋りが生じたとの見方もある。このような事態は資本市場が整備されていなければ一層深刻になったであろう。一方,日本においては,今回金融引締めでは金融機関の貸出態度は厳しくなっているものの,当面については,大企業は高水準の手元流動性を取り崩して設備投資資金をまかなっている。これが長期にわたると,我が国資本市場の整備の現状の下では大企業の資金需要が貸出市場に向かい,融資選別傾向の強まりから中小企業の資金調達が困難となるなど,円滑な産業資金供給に支障が生ずるおそれがある。このため,社債発行限度規制,受託制度,適債基準などの諸規制,諸慣行の見直し,撤廃により社債市場を始めとする資本市場の整備を早急に進める必要がある。また,中小企業等に対する長期資金供給の担い手としての政府系金融機関の役割は引き続き重要である。
今回の地価高騰は,安定成長下において物価が比較的落ち着いているなかで生じたため,所得など経済のフロー面と地価との間に大きなかい離をもたらした。このため,①大都市を中心に良質な住宅の確保を困難にしたこと,cir2;土地を持つ者と持たざる者の資産格差を拡大させ,社会的不公平感を増大させたこと,cir3;公共事業の用地取得を困難にし,社会資本整備に支障を生じさせたことといった深刻な諸問題を生じさせている。国民一人ひとりが我が国の経済力に見合った生活の豊かさを実感できないでいるのも,地価高騰を始めとする土地問題に起因するところが大きい。また,地価との対比における勤労の価値の相対的低下による勤労意欲の低下,大都市圏への新規参入障壁になることなどから経済社会の活力低下等の事態を招くといった懸念も指摘されている。
このような状況を是正するためには,総合的な土地対策が求められている。その最も重要な課題は,住宅地地価を中堅勤労者が相応の負担で一定水準の住宅を確保しうる適正な水準まで引き下げることであり,二度と地価高騰を起こさない制度的枠組みを築き上げることである。また,従来の土地対策に関する取り組みには,対応の遅れや施策の総合性,整合性に欠けるきらいがあったこと,対症療法的な施策が中心であったことが指摘されている。さらに,総合的な土地対策の実施のためには,国民や企業に痛みを伴う施策を含めて抜本的な対策が必要となっている。
政府は,以上のような問題点を踏まえて,土地取引の規制,土地税制の見直し,土地の有効利用の促進等,住宅・宅地の供給促進,土地利用計画の整備・充実及び機能分散の推進等を内容とする総合的な土地対策の推進等に取り組んできたところである。ここでは,資産としての土地と地価形成という観点から,これまでの土地政策を評価し,今後の課題について検討しよう。
土地はその利用の固定的性格から資産としては取引の回転率が低く,土地資産の大きさの割に土地市場は大きなものではない。したがって,地価には,土地市場に投機資金が流れ込むと土地の取引価格が急上昇し,ファンダメンタル価格からかい離し易いという性質がある。こうした土地投機の防止策の一つが監視区域制度などの土地取引への直接的介入であり,もう一つが金融機関,不動産業者等への指導である。監視区域制度については,より適正な地価形成をめざすため,土地の需給関係を歪める仮需要等を排除する土地需要の選別機能の強化等を図る必要がある。また,この制度の機動的な運用を図る必要性から,地価動向の常時的確な把握・予測を基にした先行的指定等の手法を確立するとともに,地方公共団体による円滑な運用のための諸条件の整備が必要である。他方,大蔵省は,金融機関に対して不動産業向け貸出の増加率が総貸出の増加率を超えないよう要請している。この不動産業向け融資の総量規制は投機的な土地取引をある程度抑制する効果があったと考えられるものの,金融市場の持つ資源配分機能を制約する面があり,これが常態化することは望ましいことではない。地価の動向に注意を払いながら,不動産業向け融資の動向を監視するとともに,必要がある場合に機動的に融資規制を発動するという体制に移行することを検討する必要があろう。また,より根本的には後述するような土地資産市場の拡大策によって厚みのある土地資産市場を形成することが重要である。
資産市場は互いに裁定取引で結ばれるなかで価格形成を行っていることは第1節でみたとおりである。資産間で税負担の違いがあると収益率の格差を生み,資産価格の形成に歪みを与えると考えられる。今回地価高騰の背景の一つには,土地が税制上他の資産に比べて有利な面があることが資産としての土地需要を高めたことがあると考えられる。土地転がし防止のための超短期重課税制度の創設,代替地需要を通ずる地価高騰の波及防止のための居住用財産の買換特例の原則廃止に続き,土地の取得,保有,譲渡等の各段階における適切な課税を目指した土地税制の総合的な見直しが行われた。まず,地価税法の成立により92年から地価税が導入されることとなった。相続税評価については,地価公示価格を基準にする考え方に立ち,評価割合の引き上げ等を行い,その適性化・均衡化を図る等の方針も決まっている。また,固定資産税評価についても,地価公示価格の一定割合を目標に,その均衡化・適性化を推進することとしている。さらに,三大都市圏の特定市の市街化区域内農地については,固定資産税及び相続税の特例の見直しが行われ,あわせて特別土地保有税の全般的見直し及び遊休地に対する課税の強化,土地譲渡所得に対する課税の強化等も行われている。これらの土地税制見直しによって,資産としての土地の有利性はある程度減殺されたものと考えられる。
資産としての土地と地価形成という観点からみると,今後に残されている課題のうちで最も重要なものの一つが土地利用計画の充実である。例えば,都心部におけるオフィス需要の増大に端を発した今回の地価高騰が住宅地にまで波及した原因の一つとして,住商並存を予定する地域への商業目的施設の進出が考えられるが,用途規制の強化等適正な土地利用規制によって,住宅地が隣接商業地の地価上昇から受ける影響を抑制する効果が期待できる。
次に,将来の地価高騰を防止するという観点では,土地資産市場の厚みを増すことが投機資金の影響力を削ぐ最も根本的な方法であると考えられる。しかしながら,土地は流動性が低く,資産目的での保有にはリスクが大きい。したがって,少々の取引コストの引下げやキャピタル・ゲイン課税の引下げでは土地の取引回転率が上昇するとは考えられない。キャピタル・ゲイン課税の引下げには投機資金の拡大を促進する側面があること,土地の有利性を高めるおそれがあること,土地転がしによる不労所得を税制上優遇することになるなど問題が多い。この点で,土地信託や土地証券の発行等は,本来,都市再開発や社会資本整備のために有効な手段として活用されるべきものであるが,同時に,流動性が高く,かつ,土地に直接リンクした資産を供給することにより,土地取引と裁定関係の強い,取引の活発な市場をつくり出す手段として活用することができるであろう。
最後に,土地評価に関する情報については,現在公表されている各種の土地評価の多くは,その目的が資産価値を的確に示すこと以外にある。公示地価が土地の市場価値を示すことを目的としているが,公表が年に一回であり,調査地点数も限られている。地価公示の調査地点の大幅な拡大とともに,短期的な地価動向を把握できるような調査を行うことが望まれる。さらに,前記の土地信託や土地証券等の活用はそれ自体として新しい迅速性のある地価情報を生み出すことにも注目する必要があろう。