昭和63年

年次経済報告

内需型成長の持続と国際社会への貢献

昭和63年8月5日

経済企画庁


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第4章 豊かな国民生活の課題

第3節 国民生活の向上と公的部門の役割

日本経済が発展を遂げる中で,労働時間,円高差益還元あるいは東京と地方のアンバランスさらには資産格差といった面で歪みが生じ,また,社会資本は着実に整備されつつあるものの,なお質・量とも先進諸国に見劣りのする部分が少なくなく,国民生活の向上が必ずしも実感として受け取れないという不満が生じているが,それを是正するために公的部門の果たす役割が大きい。もっとも,時代の流れの変化とともにその役割も変わってきている中で,公的部門が柔軟に適切な対応をとることができず,国民生活上の不満が生じている分野もある。ここでは国民生活との関連を中心に公的部門の役割についてみていくこととする。

1. 変わる公私の役割分担

(公的部門の役割)

経済政策における公的部門の役割は,経済成長・経済安定のためのマクロ的な政策を別にすると,「適切な資源配分」と「所得分配の平等」を維持することが目標とされている。公的部門の関与の仕方としては①実際に公的部門が財・サービスの提供を行う,②公的規制,情報の提供などによって目標達成に向けて民間活動を誘導するという二つの形があり,どちらの形が用いられるかについては,供給される財・サービスの特性や社会事情や時代背景によって選択される。

はじめに,公的部門の市場への関与が必要とされる従来の理論的な整理についてみてみよう。まず,公共財,不確実性,規模の利益などの理由から市場メカニズムにまかせておくと資源配分等を損ねてしまうといったいわゆる「市場の失敗」があげられることが多い。「公共財」は通常,「非排除性」を手がかりに定義されることが多い。それは,道路,公園,下水道,橋等利用に際して,受益者が特定できないあるいは著しく困難,換言すれば対価を徴収するコストが極めて高いという性格を有している。ただ,公共財と言っても実際には高速道路,長大橋などのように受益者が特定され,実際に料金も徴収されているものもあり,財・サービスの提供形態によっては,技術的には排除可能な財が存在するとの指摘もある点には留意する必要がある。また,「外部効果」は個々の利用者の便益以上に社会全体が受ける効果が大きいことを示しており,外部性が強いほど,市場メカニズムに任せておくと社会全体からみて適切な量が供給されない事態が生ずる。「不確実性」は,例えば空港,長大橋のように事業リスクが大きいことないし事業採算が黒字に転化するまでの懐妊期間が相当長期となることから,民間部門での対応が難しいというものである。このため,公共財や外部効果の働く財あるいは不確実性が強い財については,公的部門による財・サービスの提供が行われている場合がすくなくない。また,「規模の利益」(費用逓減)は鉄道,電力,通信,ガス等巨大な固定設備を必要とする産業では新規参入が困難であり,競争原理が働きにくいというものである。

次にこのような資源配分の適正化に加えて所得分配上の公正の確保等がある。こうした配慮から公的部門が民間部門を補完すること等を目的に財貨・サービスを提供している分野がある。また,先に「市場の失敗」が起こる分野としてみた鉄道,電力,通信,ガス等については,自由競争に委ねると都市部等,高収益地域に供給が集中する一方,山間部等採算の悪い地域にはサービスが提供されたとしても,収益性に応じた価格設定が行われる結果割高になるという「いいとこ取り」(クリーム・スキミング)が発生するため,所得分配上の配慮から公的部門が関与するという側面がある。

(変わる公私の役割分担)

公私の役割分担は,理論的には以上のように整理できようが,現実のシステムは必ずしも理論どおり構築されている訳ではない。現在の公私の役割分担を事業という観点から簡単に整理してみると,①公的部門がサービスを供給しているもの(郵便,上水道,道路等),②官民並存しているもの(金融,教育,鉄道,ガス等),③規制の下に民間部門が供給しているもの(電気通信,電力等),④自由に民間部門が供給しているもの,の4つに分けられる。現在のこうしたシステムは,無論これまでみてきたような理論的な財・サービスの特性に応じて構築されたものもあるが,歴史的な経済・社会の変化の中で,その時代の要請等により生み出されたものという側面も持合せているものもある。そこで歴史的な公私の役割分担の変遷を眺めてみると(付表4-2),現在のシステムに至るまで各々の財・サービスが歴史的な流れの下で時には公的部門,また時には民間部門の手に委ねられてきたことがみてとれる。更に,現在のシステムのうち,公的部門の手に委ねられているものの多くは明治初期あるいは第2次大戦前後につくられた体制にそのルーツが見受けられる点には留意する必要がある。

このような歴史的な変遷から,さらに公的部門の役割は社会的条件,技術的条件の変化のなかで変わりつつある。

第一に,技術革新によって,性格が変わってきたものがある。例えば規模の利益では,技術革新の進展の下で参入に際してのコスト(サンク・コスト-埋没費用)が著しく低下している場合があり,一部分野では,新規参入の動きがみられる。この間,日本の物理的広さ,あるいは,少品種大量から多品種少量化を勘案すると本当に「規模の利益」が働くために「市場の失敗」が生じるのか十分な吟味が必要とみられる。ただし,競争政策の推進にあたっては新規参入者のクリーム・スキミングの問題との兼ね合いにも配慮していく必要がある。

第二に,経済発展とともに所得水準が向上し民間企業の成長も著しい。このため,所得分配の観点から公的部門が活動しているものが必ずしも必要でなくなっているケースがある。また,民間部門が十分に成長している状況下,民間との競合が生じているものもできている。

第三に,必ずしも公的部門が直接提供する役割を果たす必要はなく,民間活動を助成・誘導することで目的を達しうる場合も増えてきた。例えば,「不確実性」では,採算が黒字転化するまでの懐妊期間が長いとしても,その目途がつくものであれば公的部門が後押ししつつ,民間部門に実際の事業は任せることも考えられる。また,「外部性」では,それが大きく発生するのであれば,公的部門としては開発利益を算定し,利益者に応分の負担を求める仕組みを用意すれば民間部門に任せることができるのであり,必ずしも公的部門が事業そのものに直接乗り出す必要はない。実際,神戸のポートアイランドのように街づくりで,官民相乗りの第三セクター方式の下で,民間の企画力を活用しつつ開発利益をうまく処理しているケースがある。

こうした状況の中で特筆すべき大きな状況変化が進行している。すなわち民営化と民活プロジェクトの実施等に代表される公私の役割分担の急速な変化である。

民営化については,三公社五現業のうち,電電公社,専売公社,国鉄,アルコール専売が民営化されたほか,特殊法人である日本航空が完全民営化された。このような民営化が一般に受け入れられた背景について振り返ってみると,これまでに民営化された公的部門は,①経営責任が不明確な中で,自主的・積極的な経営意欲が低く,また制度上の制約下で事業分野等での機動的対応力が弱かったことや,②「親方日の丸」体質と称されるサービス向上意識,コスト意識,生産性向上意欲の低さが,問題点としてしばしば指摘されていた。一方,民間の経営体は,公的部門に比べて一般的に,①経営責任が明確で経営が効率的であり,②競争下にあってサービス向上意識,ニーズへの素早い対応を迫られ,③価格についても弾力的な行動がみられている。このような背景のもとで,民間経営形態の導入が公共サービスの適切な供給という目的と合致した。

また,東京湾横断道路,関西国際空港等といった公共性の高い事業を民間企業もしくは第三セクターが事業主体として実施する民活プロジェクトが実行に移されている(付表4-3)。民活プロジェクトは,公共性の他プロジェクトリスクの大きさ等から従来公的部門が供給主体となってきた分野において,技術革新の進展,ニーズの多様化の下で民間部門が蓄積しているマネジメント能力,ニーズの把握のための情報,人材,ノウハウ等を積極的に活用していこうとするものである。

これらの民営化,民活プロジェクトは,公的部門が全体としてみれば直接的な事業実施-財・サービスの提供から,より間接的なルール設立や助成を通じて,社会的条件,技術的条件への対応を行いつつ,目標へと誘導する役割も重視しつつあることを示している

2. 公的部門の担うべき役割

民営化や民活プロジェクトは手段の変化であって,国民生活の豊かさを実現していく上では公的部門の果たすべき役割は大きい。その役割とは①基本理念の確立,②それに基づくグランドデザインの策定,提示,③達成に必要な資源の確保,④制度の見直しないし整備,⑤民間活動のための的確な情報提供などである。それでは以下では個別にみていくこととする。

第一に国民生活の豊かさを実現していくにあたっては,その基本理念を明確にしていく必要がある。一言でいえば,様々な側面における生活重視であるが,具体的には,まず,生産者よりも生活者,消費者としての国民の重視である。生産段階では効率化と多様化によって,消費者のニーズ-「良い品を安く」に応えることを優先する。その場合,必要な調整コストの負担や他の公的目標との調整は考慮する。

次に,土地における公共性の認識である。土地は国民生活や社会経済活動の基盤として欠くことができないものである一方,①量的に限りのある資源であり,その場所から動かすことができず,また②建築物等を建設すれば容易には利用転換ができない,③取引に必要な情報が通常不十分である。などの特質がある。このような土地の特性は,土地の保有や利用をすべて自由な市場メカニズムに委ねたままでは,経済的,社会的に最適な結果を得ることが難しい。土地は,特にその利用面で,他の財に比べ公共的,社会的制約を大きく受けざるを得ないものであり,公的な意思に基づく強制や公的主体による制限,誘導等を欠くことができない。

第二に公的部門の担うべき役割としては,基本理念に基づき実現のためグランドデザインを策定,提示し合意形成に努めることである。「経済運営5カ年計画」,「全国総合開発計画」あるいは「総合土地対策要綱」,「地域医療計画」は大きな例であるが,その他に道路,空港といった社会資本に関する建設のビジョン,各地域の開発計画,都市計画等街づくりの青写真策定なども重要である。

第三に資源の確保である。社会資本の充実には資金の確保が必要であり,租税,NTT株売却益等租税以外の収入,公債,財政投融資資金,民間資金等を整備主体と財の性格に応じ適切に組み合わせることが必要である。民間資金については海外へ証券投資といった形で流出している資金等が我が国の社会資本充実に今少しでも活用されるように,公的部門としても不確実性,外部性へ対応しつつ,促進することが望まれる。そうした観点から,「民活プロジェクト」はそれ自身適切な考え方とみられるが,今後は更に,①プロジェクトの企画・立案の段階で民間部門の蓄積が活用されているか,②事業リスクや開発利益の配分が十分検討されているか,といった点に留意しつつ,「民活プロジェクト」を一層定着させていくことが必要である。

第四に制度や規制の見直しがあげられる。これまでの制度ないしその運用については,環境変化に応じて弾力的な見直しが行われているものが存在する半面,既存の事業者の保護に重点が置かれていたり,制度が時代の流れに即応しておらず,必ずしも適切な見直しが行われていないものもみられる。そこで制度の見直しが必要であるが,具体的には社会条件の変化,技術革新に応じた規制緩和,国際化に対応する市場アクセスの改善,ルールの整備などがあげられる。

一部の農産物価格,航空,鉄道,タクシー等の交通運賃,電信・電話料金,電気・ガス料金,預金金利などについては政府が一定の関与を行っているが,これらには価格安定化,独占体等による不適正な価格形成の排除,システムの安定性確保等が必要であるといったそれぞれ固有の観点から,本来国民の保護はもとより,国民経済の健全な発展などを目的として設けられたものが少なくない。こうしたものについては今後とも本来の目的に則った対応が望まれる。

また,技術革新等の環境変化への対応も必要である。電気通信料金についても光ファイバーやデジタル通信の普及,通信衛星の出現等によるコスト低下を反映した料金全般の低廉化が望まれる。

ともすれば,一度できあがった制度・慣行は,そのまま維持され,変更が困難であるが,円高下で生じた名目所得と生活実感との乖離や地価上昇を契機として,積極的に見直しを進めていくことが必要である。

第五に,民間部門が円滑に活動しうるように的確な情報提供を行うことである。土地問題でみたように,土地取引や地価形成の適正化のためには,公的部門が土地取引の実態や地価について情報提供を行うことが望まれるというのが一例である。


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