昭和63年
年次経済報告
内需型成長の持続と国際社会への貢献
昭和63年8月5日
経済企画庁
第4章 豊かな国民生活の課題
日本経済は62年度も4%を越える成長を示すとともに,一人当たり所得で世界最高水準に達しているなど広い意味で豊かさを実現しているといいうるであろう。しかし,国民の意識では,よりよいものを求め続けるという向上意欲がもたらす現状への不満足感を割り引いても,十分満足できるという状況には至っていない。これには,経済的豊かさの中にも種々の不満や将来の生活設計に不安があり,また,住環境にみられるストック面での貧弱さが残っているためもあろう。これに加え,土地,株式といった資産を多く持っているものと,持っていないものとの格差が拡大しつつあることである。また,地域毎にも所得水準,資産保有といった面で格差があり,この格差の拡大も生じている。
日本は,昭和61年のGNPで先進工業国中第2位,一人当たりGNPでは16,330ドル(同5位)と目覚ましい水準に達している。過去5年間の経済成長率では4.0%と先進工業国平均3.3%を上回る伸びを示し,また,IMF等の国際機関の予測では今後もこの傾向を維持するとしており,活力のある経済を維持しているといえよう。この間,我が国は対外純資産の面でも世界最大となった。
別の角度から生活基盤の面をみてみると,①一人当たりのカロリー摂取量はこの20年間ほぼ一定の2,550キロカロリー前後で推移している,②一家族当たり住宅戸数は50年代初めにはほぼ充足され,③衣類の年間購入量は一人当たり4着強に達し,国民生活の基本である「食・住・衣」の量的な面は国民全般が満足しうる水準に達しているとみられる。さらに,電話普及率,テレビ普及率,新聞普及率,一人年間図書購読数,といった情報面では世界でも高い水準にある。家庭内には乗用車,エアコン,VTRといった耐久消費財もかなり普及しており(第4-1-1表),最近では海外旅行者が年間683万人と10年で倍以上の伸びを示している。このように,日本はフローを中心として経済的には十分豊かになっていると評価できよう。
こうした経済的豊かさは,①日本が平和であり,また勤勉であるといった社会的,文化的要素や,②幾度か訪れた石油危機のような経済困難を総じて克服し,成長や失業の面で比較的良好なパフォーマンスを維持しえたこと,また,③最近の大幅な円高にも柔軟に適応し,むしろ強靭な適応力を持つに至ったといったことによってもたらされたものと考えられる。これを他の主要先進国と比較してみると,62年は失業率,インフレ率ともほぼ最低位という低さになる(第4-1-2表)。
このように日本は成長力を維持しながら世界でも最高の所得水準を達成しているが,こうした中でも解決すべき様々な歪みが存在し,また,新たに生じているのも事実である。なかでも,「外に強い円,内に弱い円」といった言葉に代表される内外価格差,長い労働時間の問題,住環境や社会資本にみられるストック面の貧弱さの問題,あるいは資産価値の急上昇がもたらした「持てるもの,持てないもの」の間の拡大しつつある資産の格差の問題があり,これらを順に取り上げてみよう。
円高によるドルベースでみた1人当たり所得の上昇にみあった生活水準の向上を実現するためには,我が国の全体的な物価水準の引下げが必要である。もちろん円高メリットを受けるのは消費者だけではなく,例えば商品によっては需給状況やその他の要因によって円高差益がすべて消費者に還元されるとは限らず,輸出品についてもコスト低下は円高による輸出採算の悪化を一部相殺する役割を果たしている場合もある。
以下で,円高メリットの活用を円高差益の還元と内外価格差の縮少という観点から分析してみよう。
(円高差益の還元)
まず卸売段階において,輸入物価の低下がどのように国内物価に影響してきているかについてみてみよう。輸入原材料については,輸入された原材料の価格が下がっても製品価格に占める原材料費の割合は一部であることや,マージン(仕入価格と販売価格の差であり,人件費,宣伝費などの諸経費を含むので利益と同じではない)等もかかることから,製品価格の下落は円レートの変化に比べて小さくなるばかりでなく,その効果が現れるのには時間がかかる。急速な円高と原油価格の下落から61年央にかけて輸入素原材料価格は大幅に下落したが,その後,タイムラグを伴いながら,程度を減じつつ最終財まで波及している(第4-1-3図)。
他方,製品輸入は輸入価格の低下が小売価格の低下に結びつきやすいといえるが,それでも輸入価格の低下の影響を直接受けないマージン(同上)等がかかるため,輸入価格と同率では低下しない。卸売物価における最終財輸入品価格は,輸入素原材料価格ほど下落しなかったものの,輸入物価の下落に対する寄与率は60年の0.0%から61年5.8%,62年14.6%,さらに,63年第1四半期は33.1%と高まっている。また,製品輸入の増大は,国内品との競合圧力を高めて,間接的に国内卸売物価に影響を及ぼしているものと考えられる。これを直接的に計測することは困難であるが,輸入数量の増加すなわち輸入浸透度の上昇が国内卸売物価の下落とある因果関係をもっている(第4-1-4図)。
そこで,輸入物価下落の波及の程度をみるために,輸入物価の低下が完全に国内物価に波及した場合の試算値を産業連関表により算出し,これを実際の国内卸売物価の動向と比較してみる(第4-1-5図)。この試算にあたっては,55年の産業構造を前提としていること,コストの変化が即時に波及するものと仮定していること,需給関係,流通コストの変化等を考慮していないなどの限界があることに留意する必要がある。
これによると,国内卸売物価は60年秋から61年秋頃までは推計値の方が実績値より大きく下落していたが,その後は推計値は円高一服から下げ止まる一方実績値は緩やかな低下を続けた結果ほぼ同水準になった。62年11月頃から更なる円高の進行に伴って再び推計値の下落が実績値よりやや大きくなっている。この試算では瞬時の調整という非現実的な前提を置いているため実績値が推計値より遅れて下落する形になるのは当然であるが,水準としては実績値は十分推計値に追いついているといえよう。推計にあたっては賃金コストの増加を含んでいないこと,この間に人件費比率が上昇していることを考慮すれば,円高等の影響は卸売物価段階ではかなり国内物価に波及してきているといえる。この推計値と実績値の関係を商品分類別にみてみよう(第4-1-6図)。繊維製品,非鉄金属,電気製品,農林水産物では実績値が試算値より下落しているが,これは需給要因とともに競合輸入品価格の低下などの要因が作用しているものとみられる。しかし,その他では程度の差はあれ実績値が推計値に達していない。
さらに,実績値として国内卸売物価に輸出物価を加えてこれを推計値と対比してみると,商品分類別にはばらつきがあるものの,総合では実績値が推計値より下落している。これは,輸出部門などでは円高に伴う輸出手取り分の減少を直ちに外貨建て価格の引上げによって取り戻すことができず,円ベース輸出価格の引下げを甘受せざるをえない状況も生じたことを示している。現実の企業経営では,こうした輸出手取りの減少による企業収益の悪化を補うために円高差益が用いられている可能性があり,差益の総てが国内価格引下げに回されるとは限らない。この場合,円高差益の国内消費者等への還元はそれだけ圧縮されている可能性もある。
円高差益の還元は価格の低下という形で広く国民一般に還元されることが望ましい。しかしながら現実には,需給状況その他の要因によって価格低下の形をとらずに利潤等にまわるなど,円高差益が必ずしも,十分還元されていない場合もある。また,我が国の輸入構造は原油など原材料輸入の割合が欧米先進国に比べて高く,これが国内で各種の加工,流通過程を経ることが多いことなどから円高の効果は広い範囲の製品,サービスに及ぶものの末端では薄められてしまう面もあると考えられる。
このようなこともあって,総理府が昨年12月に実施した「物価問題に関する世論調査」に依れば,円高の消費者物価への効果については「ある程度反映している」「かなり反映している」を合わせて50.2%となり,昭和53年次の円高時の同調査結果の34.2%に比べれば大きくなっているものの,「ほとんど反映していない」も32.9%あり,国民の円高による物価引下げに関する実感は必ずしも十分とはいえない結果となっている。
(内外価格差の縮小)
我が国の消費者物価は,円高の進行のもとでかってない落ち着きをみせているが,国内と国外との価格差という観点からみれば問題がある。とりわけ今回の急激かつ大幅な円高の進行によって国際的にみた物価水準の割高感が表面化することとなった。これは,例えば小売価格が変化しなくとも為替レートの変化によって価格差が生ずるものであり,折りからの海外旅行者の増大や逆輸入の増加もあって,こうした内外価格差を具体的に実感する人々も増えている。
そこで,内外価格差をみるためにOECD試算による購買力平価と為替レートを比較してみよう。このような比較は,為替レートが需給関係の変化などによって短期的に大きく変動すること,OECD試算も一つの試算であって,購買力平価の正確な推計には種々困難があることなど留意すべき事項が多いが,全体的な物価水準を国際比較するうえで一つの指標となりうる。OECD試算による60年の購買力平価を62年に延長した試算(第4-1-7表)により日米の購買力平価(消費購買力平価)をみると,60年の1ドル218.1円から62年の1ドル211.3円となり,それほど変化していない。購買力平価が211.3円/ドルであるということは平均的にはアメリカで1ドルで買えるものが,日本では211.3円で買えることを示している。これに対し,円の対ドルレートが60年の238.5円から62年には144.6円へと大幅な円高となったことにより,アメリカで1ドルのもの,つまり円で144.6円のものが,日本では211.3円もかかることになり為替レートで換算した物価水準は大幅な割高となった。費目別にみると,特にリクリエーション・教育,交通・通信,食料・飲料・たばこで割高となっている。欧米と比較すると習慣や制度に大きな違いがあることに注意する必要があるものの,急激に円高となった為替レートで評価すれば日本の物価水準が国際的にみて割高となっていることが推察されよう。
ここで,費目別の支出関数を用いて,仮に我が国において第4-1-7表に掲げた米国並みの物価水準が実現した場合の厚生変化を計測してみた。この計算は,日本の購買力平価の水準が1987年平均の為替レートの水準に即座に等しくなったという仮定の上に立つものであり,また為替レートが変化すればそれだけ我が国の米国に対する相対価格が変化することを前提としているなど現実的なものとはいえないが,物価水準が引下げられることによる消費者側に与える効果を示す一つの試算にはなりえよう。この試算によると,我が国の現在の一人当たり個人消費支出が約3割少なくなっても現在の物価水準の下におけるのと同じ生活水準を享受できるという結果になる(付注4-2)。いずれにしても物価水準の引下げは消費支出の減少という形で家計の実質購買力を増加させることにつながるわけである。
我が国の物価水準を国際的にみて引き下げるためには,円高差益の還元を徹底して進め,今後も引き続き家計消費部門に波及するように競争条件の整備の促進等に努めることが重要であるが,差益の還元だけでは物価水準の引下げには限界がある。国際的にみた物価水準の引下げを検討する場合に,生産性の向上という視点も必要である。我が国の生産性をみると,製造業の生産性に比べて第一次産業などの非製造業の生産性がかなり低く,米国,西独と比べてもこれら非製造業の製造業に対する生産性格差がみられる(第4-1-8図)。こうした部門で一層生産性の向上を促進することが内外価格差の縮小に資することになる。
また,内外価格差をみるうえで,貿易財と非貿易財に分けて考えてみると,非貿易財部門の中には,規制や制度的要因によって競争要因の働きにくい一部の公共料金等があり,その中には内外価格差が存在するものもあることから(第4-1-9表),今後とも内外価格差の縮小にも充分配慮した料金設定を行っていくとともに,生産性の向上を図っていくことが必要である。
他方,貿易財については,国内での価格と国外での価格という側面と国産品の国内価格と輸出価格という側面に分けて考える必要がある。第1の国内の価格と国外の価格において,価格差があるものについては製品等の輸入拡大が重要である。製品輸入の増大は,単に安い輸入品が消費可能になるだけでなく,それによって国内市場での競争を促進させるとともに,国内での生産,流通の一層の効率化などを促す効果があり,全体として物価水準の引下げに大きく寄与するものとみられる。
第二の国産品の国内価格と輸出価格については,国内卸売物価と輸出物価の相対価格比にみられるように(第4-1-10図),商品分類別にばらつきがあるものの,60年2月の円高局面以降をとってみれば国内卸売物価が相対的に割高となっている。これは商品分類によって輸出比率が異なり,輸出価格が企業経営に与える影響が異なっているものの,ここ数年の大幅な円高の進展に対して価格改定が追いつかないこと,輸出契約を締結してから実際に輸出されるまでかなりのタイムラグがあることも原因となっているとみられる。このため,結果として輸出価格が円ベースで相対的に低目となり,為替レートの変化を通じ輸出先国と我が国の購買力の格差を大きくしている要因にもなっている。従って,一層内需指向型の企業対応が必要であり,これは,我が国の産業構造の変換を図り,我が国の国際的責務を果たすと共に,我が国の国内物価水準の引下げに大きく寄与するものとみられる。
さらに,貿易財,非貿易財を問わず価格形成に係わる規制の緩和及び制度の改善を図ることが重要である。近年,国内において通信,運輸,エネルギーなどの分野で規制緩和が進められていることや農産物での輸入自由化の動きは市場への参入や競争の促進等を通じて価格水準の調整をもたらすことになろう。これらのことは,国内の相対価格構造を変化させ,国際的にみた我が国の物価水準の割高感を弱める上で重要である。ただし,以上のような価格差の是正には,時に供給サイドへの負担,調整コストの発生等に留意する必要がある。
(長い労働時間)
我が国の労働時間の推移をみると(第4-1-11図),高度成長期に大幅な短縮をみたが,その後,50年代に入ってから下げ止まり,最近では所定外労働時間の増加をうけてやや増加している。その主な原因は第一次石油危機以降,成長率が鈍化し労働力需給が緩和したことにより,企業にとって労働時間短縮を進める誘因が小さくなったこと,労働生産性の伸びが大きく低下するなかでその向上の成果が賃金や利益に回されて時間短縮には振りむけられなかったこと,また,企業が減量経営の一環として,生産の増加に対しては雇用増よりも所定外労働時間の増加で対応しようとする傾向が強まっていること,等にあると考えられる。
我が国の労働時間を先進国との比較でみると(第4-1-12図),総労働時間はアメリカ,イギリスより10%程度,西ドイツ,フランスより30%程度長くなっている。その格差の要因として,①完全週休2日制の普及が停滞気味で出勤日数が多く,特に適用労働者の割合でみると大企業(50.6%)に比べ中企業(15.6%),小企業(3.5%)において遅れていること,②年次有給休暇の付与日数が少ないうえに取得率が低く(第4-1-13図),長期休暇を取得する習慣にも乏しいこと,③所定外労働時間が長い,といったことが挙げられる。また,企業間競争が激しく同業他社との関係などから一企業だけでは時間短縮を進めにくいことや,既雇用者の時間短縮を補うために新規雇用者を雇い入れた場合相当の初期コストを伴うことも時間短縮を妨げていると考えられる。
このように,我が国の労働時間は短縮が進まず,また,外国との比較においても長時間となっている。このような長い労働時間は,①生活のゆとりを奪い,豊かさを実感できる生活が送れない,②旅行,観劇のような時間の有無が購入の意志決定に大きな影響を持つ消費(時間消費型消費)活動の拡大が困難になる,③通勤時間の長さを併せ考えると,勤労者の疲労・ストレスの解消が困難になる等の点において,ゆとりある国民生活の実現に大きな阻害要素となっている。逆に,労働時間の短縮によって多様な生活様式を作り出し,所得水準に見合った豊かさを享受することが可能となるほか,消費を中心とした内需の増大が期待される。また,ME(マイクロ・エレクトロニクス)化が進展しつつあり,これまで労働生産性の向上が困難であった分野の効率化が可能となっていることも労働時間短縮につながるものである。このような観点から労働時間の短縮が求められているわけである。
(労働時間短縮の経済的効果)
労働時間の短縮は,①需要面への効果,②供給面への効果,③物価への効果等がある。以下では,労働生産性の向上の範囲内で労働時間の短縮を行った場合の経済効果を順次考えてみよう。
第一に,自由時間の増加により時間消費型活動の拡大が可能になるため,経済全体では労働時間短縮前に比べ消費需要が増大する可能性がある。このため,需要の増大がサービス産業等特定部門に集中するおそれが生ずる。この需要の増大に対応した生産やサービスを確保すべく,こうした産業においては新たな雇用需要や投資需要が喚起されることが考えられる。ここで追加的な労働需要が発生すれば労働需給がタイトになり,賃金率が上昇する可能性があることから,労働の一部を資本で代替する動きが生じ,一層投資需要が増大する傾向を持つとともに,投資の増大は持続的な生産性向上にとって重要な要素となろう。
第二に供給面では,労働時間が削減されるため労働投入量(マン・アワー)が減少するが,この減少分を労働生産性の向上でカバーすることによって従来の生産水準を維持できるため,供給能力の低下を招く心配はない。第三に,物価については労働生産性の向上によりコスト面から価格上昇圧力は生じないものの,需要が特定の部門に偏って増加した場合には当該部門の価格が上昇するおそれがある。またこの他労働時間の短縮は,余暇活動を通じて健康の確保や知的欲求の充足を図ることにより,社会全体が活性化し創造性を育む等,それ自体に労働生産性を向上させる効果もあると考えられる。
このように労働時間の短縮を行っても,労働生産性の向上が伴う場合,マクロ経済バランスには大きな問題は生じないが,相当のテンポで労働時間の短縮を行う場合には,労働生産性の向上が重要な鍵を担うことになる。
(労働時間短縮の課題)
労働時間の短縮は経済全体として若干の留意すべき点があることも事実である。
第一に,労働時間の短縮は国民の意識の変革なくしては実施できないことである。国民の労働時間あるいは余暇に対する意識は着実に変化しており,余暇を重視する傾向が強まっている(第4-1-14図)ものの,依然として所定外労働時間は長いままで止まっている。これは,雇用主側では需要の変化に対し,雇用を増減させるよりも若干の割増賃金を支払っても超過勤務で対応したほうがコストが低いという事情があり,また労働者側でみると,所定外給与が生活費の恒常的な一部になっている面があるとともに,労働時間が長くなっても所得増加を求める傾向がブルーカラー・ワーカーを中心にみられるという事情があるからである。他方,欧米並みといわれる1,800時間程度の労働時間を実現するには300時間以上の短縮が必要であり,それには今後の生産性向上の成果を労働時間の短縮に積極的に配分していく必要があるが,第4-1-15図からもわかるように,最近の状況では労働生産性の上昇分は主に実質賃金の上昇に吸収されており,労働時間の短縮にはほとんど配分されていない。したがって,労働時間を短縮するにはまず余暇時間と所得の関係に対する国民の選好の変革が必要である。加えて,生活必需品の価格引下げによって所得の減少を補填するよう実質購買力を向上させることなどにより時間短縮を実施し易い環境を作ることが重要であろう。
第二に,労働生産性向上の重要性である。十分な労働生産性の向上がない場合,労働時間の短縮は単位労働コストの上昇をもたらし,価格上昇に結びつく可能性がある。また,生産性向上で補完しきれない労働投入量の減少分を新たな雇用や資本ストックの増加で代替できなければ生産水準(GNP)が低下するおそれもある。このとき労働生産性のもつ役割は重要で,十分な労働生産性の上昇があれば労働コストの上昇は抑えられ,労働分配率の変動,価格上昇,成長率の低下なしに労働時間の短縮が実現できることになる。
以上のように労働時間の短縮には困難が少なくないが,豊かな生活条件を整備するため,完全週休2日制の一段の普及や我が国の職場環境を考慮した四季折々の連続休暇の導入促進等,国民の勤勉性を尊重しつつ,労働時間短縮に向けて政府も努力する必要がある
日本の住宅は,既にみたように量的には充足されている。また,社会資本についても,道路の総延長距離,同舗装率,下水道普及率などにみられるように着実に整備されつつある(第4-1-16表)。しかしながら,住宅についてはその質の問題が残されているほか,社会資本については質・量とも先進諸国に見劣りのする部分が少なくない。
(住宅問題)
住宅問題は日本全体としての問題というよりは,都市集中化に伴う都市問題の一環としてとらえることが適切であろう。また,諸外国ではあまり意識されない宅地価格の問題であるともいえよう。詳細の検討は第2節に譲るものとして,問題の概略をみてみよう。
都市の住宅問題は大都市圏,特に,東京の住宅事情がこの特徴を典型的に表している。まず,第一に,住宅取得価格ないし家賃が高いことである。土地付きの持家を取得しようとすれば多額の借金が必要になり,返済・利払いの負担が著しく大きくなる。また,貸家の場合も家計に占める家賃の割合が他地域と比べて高水準となっている。第二に,手狭なことである。住居は生活を営むうえで基本となるものであり,それが狭いことは家庭環境にゆとりがなくなってしまう。第三に,持家の郊外化現象が生じている。これは通勤時間を長くし,家庭生活にあてうる時間を短くする。また,通勤の混雑を増す側面もある。
このような住宅事情の改善には以下のような積極的な住宅政策の実施が必要である。まず,第一に,思い切った土地対策の推進である。第二に,住宅金融については,需要の高度化や多様化に対応した融資制度の充実,第三に,良質な貸家の建設の推進,第四に,居住環境の向上を効率的に進めるため,既存住宅の活用の推進,といった施策を強力に推進する必要がある。
加えて,上記のような強力な住宅政策を実施するうえで,住宅及び土地所有に関する国民の意識の変革があればその効果を高めるものと期待される。住宅の所有形態を考えると,一つの極に「土地付き一戸建持家住宅」があり,他の極に「集合借家住宅」がある。両極の間には土地と住宅の所有形態に様々な組合せがある。現在の国民の選好を前提にすれば土地付き一戸建持家住宅を求めるのであるが,これは都心部など土地の高度利用を図るべき地域では,社会的には不効率なものといえよう。また,全ての国民が首都圏のような地価の高い地域で土地付き一戸建住宅を所有しようとしても実現できないおそれが高い。これらを踏まえると,集合住宅等土地の高度利用を図っていくことが必要であろう。
住宅及び土地所有に関する意識の変革があれば,住宅の所有が必ずしも土地の取得を伴わなくなることにより,住宅購入そのものへより多くの資金を投入することが可能となり,より良質な住宅を所有することが可能となるものと期待されよう。
(社会資本の充実)
いわゆる社会資本について経済学的に明確な概念規定は困難であるが,ここでは一般的に「公共財」の特徴をもつ資本ストックであって,国民生活,経済活動の基礎をなし,生産活動や国民生活の維持,向上に不可欠のもの,と定義しておこう。この範疇の社会資本は,一般的には民間に委ねると適切な供給が図れないおそれがあったため,これまでその多くが公共部門によって供給されてきた。社会資本の例としては,道路,公園,堤防,下水道等があげられる。
行政投資額の総額でみると,57~59年度は前年度を下回る水準となっている。また,①事業目的別構成比率,②地域配分等をみると,以下の特徴がみられる(第4-1-17表,18図)。まず,事業目的別構成の推移では,一つに,道路,文教施設,農林水産といった目的が主要な行政投資の対象となっていること,二つに,文教施設,住宅では行政投資に占める割合が低下していること,の特徴がみられる。また,最近の推移をみるとその特徴は,高度成長期に比べ,構成の変化が小さくなっていること,下水道,都市計画といった都市型の投資の増加がみられることである。次に,地域別配分については,三大都市圏以外の地域の割合が高く,また,内容をみると,三大都市圏では生活基盤投資が中心となっているのに対し,三大都市圏以外の地域では相対的に農林水産投資,国土保全投資の割合が高くなっている。
社会資本整備において重要なことは,第一に,需要の変化を的確にとらえ,効果的な整備をすすめることである。これは価格メカニズムが機能しないため,政府自ら世の変化を把握することが求められるからである。例えば,航空機の利用頻度の上昇やモータリゼーションの進展を勘案すれば,空港や高規格幹線道路はひきつづき着実な整備が求められている(第4-1-19図)。その充実を図るうえで,計画的な社会資本の整備が望まれる。また,民間部門において効率的に供給されうるものについては,民間活力の導入を図ることも重要である。
第二に,地域間のバランスを十分吟味する必要がある。社会資本整備の主要課題としては,①多極分散促進のための高速交通ネットワークの整備,②豊かさを実感できる経済社会の実現のための国民生活基盤の整備,③産業構造調整の円滑化のための基盤整備,④次代に向けた新しい発展基盤の整備があげられる。これらの整備には,地域間のバランスに十分配慮をはらいながら整備を推進していく必要がある。
最後に,公共財はその供給を社会的ニーズと社会的コストを反映した水準に決定することが非常に困難なものである。公共財の性格から,費用を分担しなくてもその成果だけを利用することが可能であり,これがよくいわれる「タダ乗り論」である。このような影響が多ければ,理論的には,公共財は社会的ニーズに適合しない水準で供給されたり,あるいは,十分に社会的コストが負担されないことがおこる可能性もある。このため社会資本の整備にも社会全体が負担するコストを反映させたときの社会的ニーズを的確にとらえる経済効率性原則をできる限り取り入れるとともに,社会資本を伴う開発についてはその利益の内部化を図ることが必要である。
我が国経済の着実な成長と高い貯蓄率の持続により,家計(個人企業を含む)の資産蓄積(資産から負債を控除した正味資産)は名目GNPの成長率を上回る速さで増大してきた。最近5年間でみると,名目GNP成長率が5.4%であるのに対し,正味資産のそれは8.9%となっている。資産構成では,近年土地や株式のウェイトが上昇しており,地価公示価格や株価の動向からみてこのウェイトは62年に更に上昇したものと考えられる
階層別の資産保有をみると,まず,金融資産については,勤労者の所得階層別でみて,所得階層の高い層ほど金融資産残高が高くなっている。また,持家比率も所得が高いほど高くなっている。所得階層間の格差をみると,長期的には40年代から50年代にかけておおむね緩やかな縮小傾向を示している。なお,近年の動向をみると,50年代に比べわずかながら拡大している。これは,61,62年の株価の急上昇,地価の高騰による資産価値の増大が一因となって生じたものと考えられよう(第4-1-20表)。
(消費と資産効果)
資産価格の上昇や物価の下落による資産価値の増大(資産効果)が消費に与えた影響をみてみよう。資産効果のうち,実質残高効果(実質現金通貨残高の購買力がもたらす経済効果)については従来から理論的に分析されてきたが,表面価格が変化する資産についても実証的に資産価格の上昇は消費を高めることが確認されており財別消費支出への影響については未だ確たる結論が得られたわけではないが,耐久性のある消費財ほど資産効果のあることが知られる。また,所得階層別の消費支出でみると(第4-1-21表),勤労者世帯平均では実質金融資産残高が10%増加すると,消費の伸びを1.5%程度増大させる効果をもつ。これを62年に当てはめると,実質金融資産残高が12%増加したことが消費の伸び1.0%を支えたといえる。所得階層別にみてみると,大きさにばらつきはあるものの,各階層とも実質資産残高の増加が消費支出を高める効果がみられ,後でみるように資産価値の増大がより多く高所得者層に帰属したと考えうる可能性があるとすれば,より強く高所得者層の消費支出に影響したものと思われる。財別消費と所得階層別消費への資産効果の影響を合わせてみると,資産効果が生じた結果,高所得者が耐久消費財の消費を増大させたという一面があることが窺える。これが,大型テレビや大型乗用車でヒット商品が生まれた一つの背景であろう。
(資産保有と資産価格の特徴)
国全体でみた資産は資本,土地といった生産要素,原油,鉄鉱石といった天然資源,特許権のような知的所有権及び外国に対する債権を合計したものである。これらの資産は生産活動と結び付いてはじめて「価値」を生ずるものであって,基本的には経済発展が長期的な資産価格を決定するとともに,資産の蓄積もキャピタルゲインではなく,家計の貯蓄や固定資本減耗によって賄われるものである。我が国の最近の10年間でもこのような傾向が窺える。
資産の保有は貯蓄の一部であるが,その特徴は売買時点を自ら選択できるため,将来の資産価格の予想が収益の予想を考慮するうえで重要となることである。資産を保有したときの期待収益は期待販売価格から購入費用と保有コストを控除したものであり,資産価格はこの期待収益を利子率で割り引いて現在価値化したものである。したがって,資産の価格形成の特徴は,第一に,必ず期待の要素が入っていることである。期待が将来の不確定なものに依存していることから価格の乱高下を生ずる原因となりやすい。もちろん,期待が実物経済の裏付けなしに長期間維持できるものでないことは投機の「泡」がいつか破れるのと同じである。ただし,土地に典型的にみられるように,自らは何ら変化することがなくとも,他の生産要素の技術革新等によってその潜在的限界生産力が向上して価値が高まったり,供給が物理的に限られていることもあり,需要のシフトで価格が大幅に変化したりすることがある。ただ所有するだけで資産価値が高まることを非難されるのはこうした背景があるからである。第二に,保有期間を収益を最大にするよう選択することも可能であるから,現実の取引には様々な要因があるが,理論的には保有,取引等に伴うコストの果たす役割が大きいことが考えられる。この場合,資産保有等にかかるコストや資産取引等にかかるコストは,金融費用や税制等にも依存していると言われている。
(資産格差拡大の問題点)
現在,我が国では円高の影響を受けた利子率の低下や国際化の進展に伴う新たなニーズが発生しており,これらの変化が期待収益を上昇させ,資産価格の上昇に大きな影響を生じたことは否定できない。加えて,低利子率のもとで少しの利子率の変化が資産価格に大きな変化を生じさせることも事実である。
現在生じている資産格差の拡大が持つ問題点はおよそ以下のようにまとめられる。まず,公平の問題である。一般には高所得者ほど有価証券や土地の保有は多いと考えられており,近年の株価,地価の大幅な上昇による資産価値の増大は,より多く高所得者に帰属していると考えうる可能性があるとすれば(第4-1-22表),国民の不公平感の一因となったとの見方もありうる。
第二は,世代間を越えて不平等を拡大する恐れである。たとえば,土地を相続財産とした場合,通常の相続に比べ課税額を低くする余地があると言われている。もし,このような方法により相続税が軽減できたとすると,資産の蓄積に功があった世代のみならず,何ら功がない次世代にまで資産格差を持ち込むことになる。
第三は,経済の不安定化を促進する恐れである。既に述べたように,低利子率のもとでは資産価格は変動率の高まることが考えられる。そのなかで,人々が収益性に特に重点を置いた資産運用を行うと,高収益資産は高リスクなものが多いことから,期待に大幅な変更が生じた場合等には手痛い打撃を受け,昨年10月の株価暴落のような事態が生じた場合には,大きな影響を実物経済に与えることになりかねない。また,期待が常に実現する場合には,「土地神話」のように,資産の供給が手控えられ,価格の下方硬直性が発生したり,キャピタルゲインのみを求める市場になり,資源配分や資源の効率的利用に支障が生ずることになる。
資産格差の拡大とそれがもたらす問題点について整理したが,政府としても土地政策等様々な分野にわたって対応を求められている。個別の問題については,節を改めて,検討しよう。