昭和63年

年次経済報告

内需型成長の持続と国際社会への貢献

昭和63年8月5日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第2章 世界経済の中の日本経済

第1節 世界経済の不均衡の現状

1. 世界経済の不均衡の構図

1987年の世界経済は10月に発生した世界的な株価暴落という混乱はあったものの,全体としては緩やかな拡大を遂げた。しかし,世界経済の不安定要因となっている先進国間の対外不均衡は,85年以降大幅な為替レートの調整が実現したものの,依然として大きく,改善が求められている。また,累積債務問題を中心とした途上国(本書で言及する「国」には地域を含む場合がある)の対外不均衡も依然として未解決のまま残されている。

経常収支の赤字・黒字などの対外不均衡は景気循環の過程や石油危機等の外的ショックにより作り出され,変動為替制度の下では経済メカニズムで短期間に解消されるものが多い。しかし,今日のアメリカが抱える経常赤字のように大規模でかつ長期間に及ぶ対外不均衡は,為替レートに対する影響以外に,それ自身の効果として,①国内に需給のアンバランスを作り出すとともにこれを契機として対外競争に曝される部分で貿易摩擦を生ずる,②対外債務を急速に累積するが,将来の返済時点で大幅な経常黒字を作り出すことが求められるといった不安定化要因を内在させることになる,③比較優位に基づいた国際貿易に比べ,財をアメリカに集中させることになる,④他国の国内市場において貿易財価格を相対的に上昇させるため非貿易財から貿易財へと資源のシフトを生み,生産構造に偏りを生じさせる,また,⑤国際金融市場ではアメリカへ大規模な資金の流れを生じさせてしまう効果を持つ。このような面で,長期間続く大規模な不均衡は世界経済のバランスある発展に好ましいことではなく,金利・為替レート等の調整も長期で大幅なものとなり,外的ショックで市場が混乱する恐れが強くなる等長期にわたる不安定化要因を生み出す結果になっている。

対外不均衡を貿易,経常収支,資金フローの各面でとらえて,10年間の変化からその特徴をみてみよう(第2-1-1図)。1986年の貿易フローをみると,アメリカは日本のみならず全ての相手と大幅な赤字を作りだしている。一方,日本は全ての相手に対して黒字を計上している。途上国はアメリカとの間で黒字となっている。「その他先進国」はアメリカと「途上国」との間で大きな黒字を作り出している。

このパターンを経常収支や資金フローと重ねてみると,以下のような特徴が浮き出てくる。日本と「その他の先進国」はアメリカとの貿易黒字の多くをアメリカへ還流している。途上国は対米貿易黒字と日本及び「その他の先進国」から受け入れた資金を用い,利払いとアメリカへの資金償還を行っている。また,これを10年前と比較してみると,更に,以下のことが明らかとなる。アメリカはこの10年で全ての相手との間で貿易収支が悪化した。日本と途上国との関係は原油価格の低下を反映して黒字幅が拡大した。アメリカから途上国への資金フローはこの10年で逆転し,資金を最も必要としている国から最も豊かな国へ資金を吸い上げるようになった。

このように,不均衡の現状をみると,特に,①世界の不均衡が貿易収支と経常収支の面で拡大し,発生した赤字を返済する資金フローの面でも拡大したこと,②最も資本蓄積の遅れた途上国からアメリカに資金が吸い上げられていること,という特徴が見出せる。

(不均衡発生のメカニズム)

世界経済にこうした大幅な不均衡が発生したのは1980年代に入ってからである。不均衡の発生プロセスを3段階に分けてみてみよう。

まず,1979年の第二次石油危機後,アメリカは高まったインフレ圧力・期待の抑制を目的に79年から82年夏まで,マネタリズムに基づく厳しい通貨の量的管理を行った。この結果,ドル金利は81年に歴史的最高水準に達し,アメリカは景気後退に陥るとともに,国際金融市場で信用の逼迫が生じた。商業資金が自由に調達可能であるとの前提に基づいて発展政策を採っていたラテン・アメリカNIEs,特に82年夏にはメキシコが資金繰りに行き詰まり,国際金融危機・債務問題を発生させた。これを踏まえ,他の債務国では一次産品の供給を急増させ,輸出額の増加を図ったが,これが既に反落していた一次産品価格を更に下落させる悪循環を生じさせた。非産油途上国は一方で大幅な輸入抑制を迫られるとともに,他方でリスケジュール(債務返済の繰延べ)等金融的救済措置に訴えざるをえなかった。これが不均衡発生の第一段階といえよう。

アメリカは82年夏以降,金融政策を緩和基調に変更するとともに,「経済再生計画」に基づく大規模な個人税減税の効果が現れ始めた結果,アメリカ経済は82年秋を底に急速な回復へと転換した。83年から84年にはアメリカ経済が力強く拡大するとともに,インフレの鎮静化もあって,明るい展望を抱かせた。他の先進国でも緩やかながら対米輸出に引っ張られたかたちで景気回復が緒につき,更に,緩やかな拡大へとつながっている。途上国の多くでは輸出の下げ止まりもあって,債務問題を短期間で解決できるとの期待の下で国内の緊縮政策を採った。一次産品価格も84年に至り回復がみられ,また,輸出指向の途上国では成長の回復もみられるようになった。このような動きとは対照的に対外収支や部門間のバランスで大きな歪みが発生していた。これはドル高,実質金利の高さ,アメリカの財政赤字,経常収支赤字に典型的にみられる。国際金融市場で考えると,アメリカが国内で不足した資金を大規模に吸収(経常収支で,83年467億ドル,84年1,065億ドル)し,OPECでも資金不足になっていたこともあって,途上国の資金調達を排除した可能性を否定できない(第2-1-2表)。したがって,このような状況の下で途上国は十分な資金調達を継続させることができなかった可能性が高く,途上国の新規の開発計画に使用する資金であるニュー・マネーと,利払い・返済の資金繰りの両面での困難等が生じたことから債務問題が短期的に解決できないことを理解させることになった。

第3段階に至ると,経済拡大を持続させるためにも世界的な不均衡の是正が必要になった。先進国間では85年より始められたアメリカの金融緩和政策によって徐々にドル高調整が実現し,財政赤字縮小の方向も示されることで同年秋以降,先進国との為替調整も大幅に進展した。先進国間の不均衡は徐々にではあるが是正されつつあると思われるれるものの,依然としてその不均衡の程度は大きい。一方,途上国では,①輸出指向型の諸国と輸入代替型の諸国で経済パフォーマンスに大きな差が生じる一方,②先進諸国の成長の鈍化や債務問題の行き詰まり等もあって,需給バランスが崩れ,85,86年に再度一次産品・原油価格の下落が生じた。

(アメリカ,日本,西ドイツの不均衡拡大)

これらの不均衡のうち,まず,先進3ヵ国の動きをみてみよう。アメリカで貿易収支が赤字を示し始めたのは1970年代に入ってからであり,それも73年,75年には黒字となるなど70年代前半の赤字額は小さかった。それが77年以降,300億ドル前後まで赤字が拡大するようになった。81年までは殆ど横這いで推移したが,82年以降急速に拡大し,87年には1,712億ドルの赤字を計上するまでになった。アメリカで貿易赤字が真に深刻な問題となったのはここ数年のことといってよいだろう。経常収支が大幅に赤字に転ずるのは82年からであり,経常収支でみるとこの変遷がより鮮明になる。

では,日本ではどうであろうか。1960年代までは景気循環と貿易収支に密接な関係が存在し,景気が過熱すると貿易収支が赤字化するという傾向を見いだせた。しかし,70年代に入り,貿易収支では黒字傾向が定着し,2度の石油危機では減少したものの,一貫して黒字を計上してきた。大きさは年によって変動があるが対GNP比率で見た場合,2%を大きく越えて増大したのはアメリカの貿易赤字が深刻になってからであった。西ドイツでは一貫して貿易収支の黒字を計上しているが,二度の石油危機,ECの景気後退期等でかなりの変動も見られる。しかし,84年以降の黒字幅はこの趨勢からみても急激な拡大となっている。

そこで,この先進3ヵ国について80年代の不均衡拡大の要因についてみてみよう。こうした不均衡の拡大要因として,①循環的要因,②政策的要因,③構造的要因の3つについて分析してみることとする。

第一に循環的要因についてみてみよう。第二次石油危機の影響を受け,1979年以降世界的なスタグフレーションの様相を呈していたが,82年秋以降,アメリカ経済は回復から拡大へと向かい,現在に至るまで息の長い拡大が続いている。景気の変化がもたらした影響を対外収支からみてみよう。①アメリカ経済が内需中心に景気拡大したため輸入が増大した,②他の主要国が対米輸出の増大に引っ張られた後追いの景気拡大であったことから,景気のすれ違いが生じたこと,また,③ラテン・アメリカへの輸出が債務問題に伴う経済停滞で減少したこと,が貿易赤字を大幅なものにした。

第二の要因として政策についてみると,1980年代に日本,西ドイツの財政収支改善努力に比し,アメリカでは財政赤字の拡大がみられる。アメリカの財政赤字は81年に採られた「経済再生計画」に基づく減税策が講じられた一方,社会保障費,国防費等歳出が増大した結果,財政赤字を生み出すことになったと考えられる。その規模は84年以降の平均GNP比率が3.0%に達する大規模なものになっている。

第三の構造的要因としては,まず,家計の貯蓄率が日本,西ドイツで高く,アメリカで特に低いことがあげられよう。日本,西ドイツでは多少低下気味であるものの,各々17%,13%前後で推移している。一方,アメリカの場合80年代初め7%位であったものが,87年には3.7%まで低下しており,80年代に入っての低下傾向には著しいものがある。一つにはインフレの鎮静化や失業率の低下から予備的動機による貯蓄の減少,二つには消費者信用システムの拡充による消費の増大,三つには金利低下に伴う資産効果等が理由として考えられよう。もちろん,民間貯蓄の2/3を占める企業設備等の固定資本減耗は対GNP比10.9%とこのところ安定した動きを示しており,民間の貯蓄・投資バランスでみると,景気循環をならした動きでは投資対GNP比率の低下傾向が貯蓄のそれに見合う姿で打ち消し合っている。民間部門を取出せば大きな不均衡は未だ見いだせないが,貯蓄率の著しい低下が国外からの資金流入を必要とする点は無視できないものである(第2-1-3図)。一方,日本では,貯蓄率自体は70年代からみて低下しているものの,近年若干の増加をみせる投資比率を考えてみても民間部門は未だ相当規模の貯蓄超過となっている。西ドイツでも高い貯蓄率を背景に民間の貯蓄・投資バランスは大きな黒字となっている。したがって,民間の貯蓄・投資バランスについては,こうした要因が不均衡拡大の一因となっているとの見方もある。

次に,対外面の構造的要因では,①アメリカ経済は経済学でいう「大国」という性格から他国への影響力が強いものの他国からの影響を受けにくいという特性があること,②アメリカでは高い所得弾性値の下で輸入が急増するのに対して,③日本では製品輸入の割合が低いことや西ドイツではEC域内取引が多いこと等から,アメリカの輸出が伸び悩んだ,また,④アメリカでは比較優位にある農産物が,ECと競合したり,世界的な需給緩和等により,伸び難いこと,工業品の場合耐久財等はアメリカンスタンダードのため他国の消費者に受け入れられ難い面を持っていることやハイテク分野でも一部に技術革新を商品に体化することに遅れた分野を持つこと等の面が不均衡を拡大したことも否定できない。

構造的要因の三つ目に,金融引締め策の下で財政赤字を拡大した結果,高金利とドルの独歩高がもたらされたが,このようなドル高はアメリカ,日本,西ドイツの輸出入面で構造的不均衡を拡大する方向に作用したことである。ドル高は交易条件を変化させ,アメリカでは貿易財の生産を不利化し,輸入を有利化し,基礎資材,部品組立等の海外立地を促進させることになった。日本や西ドイツでは,逆に,アメリカの生産や消費に組み込まれた形の輸出(相手企業ブランドで生産するOEM生産等)が増進されることとなった。両者の構造変化を合わせてみると,従来みられた輸入依存型のアメリカ経済,輸出依存型の日・西独といった不均衡構造を拡大する方向に作用したといえよう。

以上のように,景気循環のズレ,アメリカの財政赤字の拡大,民間部門の貯蓄・投資バランス及び日本,西ドイツの経済運営といった要因が相まって,アメリカの貿易赤字及び日本,西ドイツの貿易黒字が大幅に増加し,不均衡が拡大したといえよう。このうち,低貯蓄率の下でアメリカが財政赤字を拡大したことが最大の要因であったことは否定しえない。

(途上国の不均衡の現状)

途上国のうち,まず,NIEsではラテン・アメリカとアジアのそれで,経済の動向,対外収支等が大きく異なってきた(第2-1-4表)。一般的に経済発展の初期においては成長の加速化で貿易収支が悪化するという現象が見られる。これは,高度成長期までの我が国にもみられたように,資本蓄積が十分進んでいない段階で成長率の高まりから投資が過度に刺激され,資本財の輸入が急増するためといえる。その後,資本蓄積が進むとともに次第に資本財輸入比率の低下が生じ,加えて,輸出比率,貯蓄率も上昇して赤字体質からの脱却が可能となる。アジアNIEsのように輸出指向型の開発戦略を採った国・地域ではこうした順調な発展がみられる。また,近年急速な黒字化が生じているが,これは発展段階の要因に加え,これらの国の通貨のドルに対する実効為替レートの調整が先進国通貨よりも遅れたため,先進諸国に対し競争力を強め,世界市場に浸透するとともに輸出を伸ばしたこともその要因であろう。輸出振興策が効を奏し,債務問題は生じていないが,逆に,87年に4カ国・地域で320億ドルに達した経常黒字は今後調整を要するようになるであろう。

それに対し,ラテン・アメリカNIEsでは,①輸入代替を開発戦略にしてきた,そのため,②為替レートを割高に設定したことから実質賃金も高くなり,③石油危機等で生じた交易条件の改善から消費性向が高くなり,生産力の増大がほとんど国内消費に向けられた,この結果,④経済発展にもかかわらず輸出余力を持ちえなかった等の特徴がある。これらはいずれもラテン・アメリカNIEsを輸入依存型にし,貿易赤字を生じさせ,開発資金の不足を外国に依存させることになった。80年代に始まった不均衡が債務問題を生じさせたことは既に述べたが,当初,流動性不足の問題としてとらえ,短期的に輸入を強力に抑制(第2-1-5図)することで,債務問題に対処しようとした。中長期政策として輸出指向型への転換をはかるため構造調整も試みているが,未だ十分な成果をあげていない。一部では経常収支の改善もみられるが元本の償還も含めた対外収支の改善まで至っていない。

その他の途上国をみると,産油途上国は,①第一次石油危機から交易条件が著しく有利化し,積極的に国内開発を行ったこともあり,70年代後半に支出を高めた。②第二次石油危機により81年以降貿易収支の黒字幅が早いペースで減少している。

非産油途上国は第二次石油危機により大きな影響を受け,現在においても経済発展の遅延には深刻なものがある。これを貿易面の変化でみてみると,①原油価格の高騰から81年にかけ赤字幅が拡大している。②その後,債務問題の発生にともなって発展計画を中断する等して輸入削減を行ったため,赤字幅の減少が生じたものの,③債務問題解決の前提となる貿易黒字を計上するまでには至っていないことから,資金の流出が続いている状態である。

(累積債務問題の現状)

1982年に債務問題が発生してから6年目を迎えようとしている。当初,各国は債務問題を短期の流動性不足と捉え,輸入需要の抑制に力点を置いた緊縮政策を実施した。加えて,先進国等の債権者によって元利払いの延期(リスケジュール)や短期の資金繰りのための資金供与を行なわれた。アメリカの輸入拡大もあって,一時,債務問題の解決に進展があったかにみられたが,その後,資金不足もあって債務は減少するどころか増大している(前掲第2-1-2表)。途上国全体の債務残高は問題が発生した82年に8,310億ドルであったものが87年には11,900億ドルと43%も増加している。この間,大幅な為替レート調整がみられたが,自国の通貨引下げを回避する資本逃避が発生した国がみられた。現状では,累積債務問題が解決可能かどうか楽観を許さない状況にある。

途上国の現状は1984年末から生じた一次産品価格の下落と86年の原油価格の急落で,様々な努力にもかかわらず,債務問題を短期的に解決できない状態となっており,返済能力をつける成長政策の必要性が広く理解されるようになった。債務問題が中期的にしか解決できないことが明らかになった現在,課題は返済能力をつけるための手段と資金があるかどうかということになる。

まず,中期的な解決手段があるかという問題をみてみよう。資本蓄積を外国資金で行うためには利払いと償還(デット・サービス)を持続させる必要がある。途上国のように交換性のない通貨の場合,輸出による外貨収入が必要で,それも中長期的に債務比率をある程度以下にしようとすると,輸出の伸びは少なくとも借入の伸び率と利子率の合計以上でなければならない。つまり,いわゆる輸出指向型の成長政策に転換する必要があることになる。アジアNIEsの韓国がラテン・アメリカと同程度の債務をもっていて,問題を生じさせていないことがこれを示している(前掲第2-1-4表)。つまり,中期的に輸出指向の成長政策を採ることは債務問題を解決・軽減しうること,加えて,緊縮政策にみられた大量の失業発生や生活水準の切り下げといった社会不安を発生させにくい面がある。他方,困難もある。成長を促すためには多額の新規開発資金,つまり,ニュー・マネーを必要とするが,リスクの高い途上国は債務返済能力を回復するまで,十分な資金供給を受けられない。輸入代替指向等これまでの発展戦略の見直しやインデクセーション制の改廃等の構造改革を行って債務返済能力をつける必要があるが,政治体制がそれに必要なほど強固でない。現状では,ラテン・アメリカNIEsを中心に多くの国では構造調整政策を実施中であるが,債務問題が解決の方向に向う国,或いは未だ困難に直面している国もある。

第二に,金融面をみると債務救済措置はリスケジュールが中心的手段となっている。一部にニュー・マネーの供与もみられるが,84年以降中長期の純資金フローはマイナスとなっている(前掲第2-1-1図,2表)。加えて,アメリカとの資金収支がマイナスであることを考慮すると,債務問題にもアメリカの対外不均衡が影響しているのが分かる。このため,逆に市場メカニズムを活かした工夫も生じている。例えば,途上国側の債務の軽減と併せて先進国から途上国への直接投資の促進をねらった,民間債権の「債務の株式化」や88年にメキシコが既存債権を割引き,新たに担保を付した証券に交換した「債務の債券化」といった途上国の債務軽減の努力がある。前者の「債務の株式化」については,理論的にいえば,例えば先進国の民間企業が途上国へ直接投資しようとするとき債務を取引手段として介在させた上で,このドル表示の民間債券を現地通貨に交換する際,経常取引のレートより資本取引のレートを優遇する二重為替レート制をあたかも用いたかのような効果を生ずることで直接投資を優遇し,これを促進しようとする政策と理解できよう。一方,債権者側でも一部不良債権を償却したり,貸倒れ引当金の積増し等の財務体質の強化の努力といった新たな展開がそれである。累積債務問題が中・長期的にしか解決の道がないとすると,債権者側及び債務者側も中・長期を見据えた対応でなくてはならないであろう。

このように,累積債務問題の解決は時間を要するが,その場合,最大の問題はその解決に至るまでの間に遭遇する途上国経済の短期の資金繰りを含むファイナンスの問題である。現状では不確定部分が多く明確に答えうるものはない。しかし,この問題の検討にあたっては主要な論点が二つある。第一に既往の累積債務の返済に係わるファイナンスの問題である。デット・サービスを自らの力で行うとすると,途上国全体で毎年1,000億ドル以上の貿易黒字が必要になるだろう。これをファイナンス面から検討するうえで,援助や民間の直接投資等の将来展望,途上国の構造調整の進展,一次産品価格の動向や輸出市場の成長力等といったことが重要な要素となろう。第二に新規の開発資金の調達方法に関してである。成長指向型の経済発展は多額の開発資金を必要とするが,これを供給できるのは主として民間資金である。民間資金を導入するにはまず途上国が十分な返済能力を持つことが必要である。この可能性をどうみるかで公的役割の比重が決まることになる。

残された課題は多いが,今後の課題については以下の第3節でみることにする。

2. 変動相場制の効果

1973年に主要国が変動相場制へ移行し15年が経過している。その間,急速な国際化(ボーダーレス化)の進展の中で,為替相場の重要性が一層増してきている。

この間の動きは多様であり,その決定について様々なモデルが考えられてきたが,その多くは一局面は説明しえても変動制の期間全体を通じて,特に80年代の動きを説明することは難しい。この間,為替レートの安定自体が重要な政策目標となり,その安定のために政策協調やポリシーミックスが考えられるなど15年前には予測され得なかった事態となっている。後に詳しくみるように為替レートが貿易収支の不均衡を調整するように決定されるといった側面が薄れ,より一層資本取引によって決定される側面が強く表れ,実体経済水準から乖離したと思われるような為替相場が出現したためである。以下で為替相場の推移を追い,為替レート変化の効果についてみることとする。

(為替レートの推移)

ドル減価でスタートした変動相場制は,円・ドル関係でみると,途中何度かの円安局面があったものの,長期的には日米間の物価上昇率の違いを相殺する方向に動く円高進行の歴史であった。しかしながら短期的に,時によっては中期的に様々な要因から物価上昇率の違いによって説明される以上の為替相場変動が生じ,実質為替レートは大きく変動している(第2-1-6図)。

15年間を通してみた場合,単相関をとってみると日米の物価差や累積経常収支で説明することは為替の大きな変動をみる上では有効であるが,短期的な変動を追うことは非常に難しい。また日米の長期金利差は期待されるようには働いておらず,長期間の動きを説明することには無理がある(第2-1-7表①)。しかし,こうした変数を用いて為替レート関数を推計した場合には,物価差,累積経常収支とも有意に働き金利差もその拡大が為替レート(円/ドル)を減価させるという期待される符号条件を持つにいたっており,金利差が短期的な変動を説明するものとして考えられる。以下で時期を分けて為替の変動を追いながら,その決定要因と思われる,物価差,金利差,累積経常収支,石油価格などについてその有効性をみてみよう。

1973年2月に変動相場制に移行後しばらくは,直物レートに動きのない状況が続いた(265円/ドル)。73年10月に第一次石油危機が起こり,原油価格を始めとして物価が急騰したことや経常収支の赤字化が認識されたことで,急速に円安に向かい74年1月には300円/ドルとなった。その円安には,同1月末のアメリカの資本流出規制撤廃の発表で歯止めがかかった。

この時期においては石油価格上昇の影響が大きく,石油価格の変動自体や日米物価差が高い説明力をもっている。他の要因では十分に説明が行い得ない(第2-1-7表②)。

74年からは,日本が第一次石油危機後のインフレや不況を短期間で乗り切り,輸出主導で景気回復を達成し経常収支黒字が急速に拡大したため,諸外国からの円安批判の強まりとともに円高が進行した。特に77・78年の円高は急激であり,78年10月には一時175円/ドル台まで上昇した。この円高進行期においては日米物価差や,累積経常収支いいかえればリスクプレミアムの大きさが為替変動を左右したといえる(第2-1-7表③)。

ドル暴落を懸念したアメリカが78年11月に「ドル防衛宣言」を発表したため,円高に歯止めが掛かった。79年10月には連邦準備制度理事会がインフレ抑制を目的として新金融調整方式を採用したことがアメリカの高金利を生んでいき,79年には第二次石油危機が起こったこともあり,再び円安となった。

それまでの円高要因をつくり出したリスクプレミアムは79年から黒字が縮小し始めたこともあって,この時期においても有効に働いているものの,石油価格の上昇が円安をもたらすという関係を明確に見ることができる(第2-1-7表④)。また,日米間の長期金利差が単相関で有意ではないものの期待される符号条件を示している。

このようにみてみると,1970年代は日本の貿易黒字の拡大による円高が続いた後,原油価格の上昇が起こり円安へ動くという構図であったと言えよう。

1980年代に入ると,円・ドルレートは資本取引の影響をより強く受けるようになった。我が国の貯蓄超過が明瞭となっていったことや,80年に外為法が改正されて原則として資本取引が自由化され,さらには実需原則の撤廃等により為替取引も大幅に自由化されたことがその背景である。アメリカにおいてはインフレ抑制を目指して高金利政策が続けられたため,多量の資本がアメリカの金融資産を求めて流入した結果が,80年代前半の円安・ドル高の背景である。この時期の為替レートは,内外資産の期待収益率の動向から生じる資本移動から説明しやすい。折しも世界情勢の緊迫が続き,累積債務国問題が深刻化する状況下で,強いアメリカを標榜するレーガン政権への信認から基軸通貨としてのドル需要が強まったこともドル高を支えた。しかし85年になると,財政赤字と貿易赤字の双子の赤字の大きさの認識が強まり,アメリカ経済の健全性が問題とされてきた。

この80年から85年の間のドル高を説明することは難しい。ドル高自体が市場の期待をよんでそれ以降のドルの高水準を支えていた可能性がある。ただ,ここにおいては日米間の金利差が有意ではないものの期待される符号条件を示していることが目立っている(第2-1-7表⑤)。そこで,この期間をアメリカで金融引締めの行われてきた82年10月までとそれ以後とに分けてみた(第2-1-7表⑥⑦)。結果としては全期間と大きな差はないが,金利差の符号条件が後半の期間においては逆になっている。

85年9月のG5(プラザ合意)でドル高修正に合意がなされ,主要国間で協調介入が行われたのを契機に,緩やかに進んでいた円高の動きに拍車が掛かった。85年末に200円/ドルを割ったあとも円高は止まらず,86年には150円/ドル台まで進んだ。このようにドル高修正が大幅であったにも拘らず,アメリカの対外不均衡の改善は進展せず,又国内のインフレ懸念からアメリカは一段の金融緩和を行えず,政府高官発言をめぐる市場筋の思惑もあり,その後も依然為替レートは不安定な動きを続けた。

今回の円高の進行は,ドル高期待が崩れ,累積経常収支の大きさが強く反映したものと思われる。推計式においてもこれらの他80年代前半において有意に働いていなかった日米物価差や石油価格の下落も円高要因となっている(第2-1-7表⑧)。しかし,金利差は期待されるようには働いていない。

こうした中で87年2月にパリでG7が開催され,「現状においては,大臣及び総裁は,為替レートを当面の水準の周辺に安定させることを促進するために緊密に協力することに合意した。」との声明を発表し(ルーブル合意),暫くは比較的変動が小さかった。しかし87年夏以降米国長期金利が緩やかに上昇する中で,10月の株価暴落の後再びドル安・円高が進行した。その後,年末に掛けてさらにドルが売られ円高が加速し,年末年始には一時120円/ドル台にまで達した。本年になってからは,各国の協調姿勢の強さや経済運営が基本的に順調なことからドルの暴落懸念は収まり,為替レートはアメリカの貿易赤字額の大小に反応しながらもほぼ落ち着きを見せている。

(変動相場制の効果)

変動相場制には,理論的に次のようなメリットがあると考えられていた。すなわち,①為替レート調整により経常収支の均衡が自動的に確保され,②相場の変動によって外国の経済変動が緩和吸収され,③その結果各国の経済政策を国内的諸目標の達成のために集中的に利用でき,④外貨準備の必要性も低下すること等である。一方懸念されたのは,①将来の不確定性から円滑な貿易取引が阻害され縮小均衡に陥ることと,②投機的な資本移動が急激な為替の変動を招くことであった。しかし現実には理論通りいかず,現在の状況をみると,改善しているものの大幅な貿易収支・経常収支不均衡が存在し,外国の経済変動が為替相場の変動を通じ各国の経済政策に大きく影響を与える一方,資本移動は急増している。予想と現実とが大きく異なった背景には,その間に起こった二度に亘る石油危機や,各国の経済政策の相違や,各国の経済構造の違いや成長等の差に加え,この15年間の規制緩和等の制度の改定により資本取引の自由化が進展したことの影響や,情報・通信化の急速な進展等による世界経済の一体化・同時化があげられよう。

確かに,1970年代には貿易黒字国の為替レートが上昇し赤字国のそれが下落して,収支が改善に向かったと思われる時期が存在する。しかし資本移動の自由化が促進された1980年代前半の為替レートの動きは,前述のように貿易収支よりも資本取引によって大きく影響を受けていたように見える。85年以降は貿易収支の不均衡を是正する方向に為替レートは動いているが,大幅に円高・ドル安になったにも拘らず初期条件の不均衡が非常に大きいため,収支は改善傾向にあるものの不均衡は依然として存在している。さらに,二度に亘る石油危機や米国の財政赤字拡大によるクラウディングアウトといった世界経済全体に影響を及ぼす実体的な出来事が生じたことが,主要国の輸出入に直接影響を与え,為替レートの調整機能を限界的なものとしたり,収支の不均衡を拡大する方向に働いたりしたため,変動相場制度自体の調整力を見えにくくしたのも事実であろう。

主要国の中での対外不均衡の問題は,やはりアメリカを中心として発生しているといっても過言ではあるまい。80年代前半にドル高となった時には,為替レートの水準やその調整力が問題とされることはなく,アメリカ自身も強い米国経済力の現れとしてそれを評価していた。しかし,ドル高の継続でアメリカの貿易収支の赤字が一層拡大し,輸出産業の打撃が大きいことが明らかになっていくに連れ,為替レートの水準が問題とされだしたのである。アメリカの財政赤字の増大とともに各国のドル資産保有が増え,且つアメリカが純債務国になってドル資産のリスクが高まり,プラザ合意以降急速にドル高修正が進んだのも前述の通りである。

こうした事態は,固定相場制が崩れ変動相場制へ移行した1970年代初頭の国際通貨制度の変化を促した状況とよく似ている。1970年にはアメリカの貿易収支は未だ黒字であったが,黒字幅が縮小し赤字に転落することでドル・金リンク制のもとでの基軸通貨としてのドルの立場が守り切れないという立場から,ドル平価の切り下げとドル・金リンクの切り離しが行われた。しかしJカーブ効果等もあって貿易収支はさらに悪化し,1973年には僅か2年でそのスミソニアン体制が放棄され変動相場制へと移行せざるをえなかった。この間にアメリカにおいて見られた現象は,貯蓄率が低下していく中でヴェトナム戦争の影響もあって財政赤字が傾向的に拡大し,国内のISバランスが投資超過に陥るという経済構造であり,規模こそ違えこうした状況は昨今と異なっていない。このように見るかぎり,アメリカ経済構造が調整されなければ対外不均衡の改善は進みがたいと言えよう。また,1980年代前半には,金融引き締めや財政赤字の一層の拡大によるドル高の出現が,そうした経済構造の下で不均衡拡大へ拍車を掛けたと言える。したがって現在の経済構造を前提とする限り,為替レートの調整により対外不均衡を是正することには限界があると言わざるをえない。

しかし同時に,経済構造自体は決して不変のものではなく,相対価格体系の変化によっても構造変化がもたらされる。即ち,為替レートの変化は国内財と外国財との相対価格を変化させることによって,輸出と輸入に全く別の影響を与えるが,それに伴う国内経済の反応は,その変化が一時的なものか持続的なものかによって異なってくる。

①変化が一時的なものと認識されるのであれば,生産要素の移動は生じず輸出入の動向にも大きな影響はなく,専らキャピタルゲインを目的とした資本移動を活発化するだけといえよう。

②変化が持続的なものと認識されるのであれば,輸出入数量にも影響を及ぼしていく。為替レートの増価の場合は,短期的には既存の生産設備や雇用者数が存在するため,ある程度の稼働率を維持して固定費負担の軽減を図る必要があり,輸出価格をあまり上げずに低い転嫁率で採算を悪化させながらも輸出数量の確保を目指すため,輸出数量の目立った減少は生じにくい。一方,輸入は安価な商品供給が行われることにより増加していく。逆に為替レートの減価の場合には,輸出採算の好転から輸出数量が増加し,既存設備のフル稼働が起こり,輸入は価格の上昇から伸び悩む。

③こうした状況が続けば国内企業は設備投資計画を変更することとなり,増価の場合には合理化の貫徹により生産コストを削り輸出採算の回復を図るとともに,過剰設備や余剰人員の整理を行い,交易条件の改善により拡大する国内市場向けの商品を開発し,内需・内販刺激型の投資を行っていく。一方減価の場合には,輸出主導型の設備投資が活発になる。また,企業行動のみならず家計部門においても行動変化が見られてくる。増価の場合には輸入物価の下落による代替効果から輸入品の購入が増え,国内物価の安定による所得効果から国内品の購入も増加するなど消費が活発になる。

このような為替レートの大幅な修正による対外不均衡の調整は,より長い目で見た場合より大きなものとなっていくと考えられる。事実,日米双方の実質純輸出の動きに見られるように徐々に構造変化が生じていることが観察されている。

為替レートの変化が経済構造に及ぼす影響をみると,1980年代前半のドル高時には,わが国の輸出比率が上昇していく一方でアメリカの輸出比率の低下が見てとれ,輸入比率についてはほぼ逆の傾向がみられる(第2-1-8図)。1980年から85年にかけての生産構造をみると,わが国では輸出型製造業のウェイトが高まり,中でも電気機械,精密機械,一般機械などの増加が目立っており,これらの業種の出荷状況から,輸出が出荷の伸びに大きく貢献していることが分かる。一方アメリカにおいては,わが国が輸出を伸ばした業種においては生産の伸びが大幅に落ち込み,逆に国内需要型の業種については従来の伸びを維持している(第2-1-9図)。

86年のドル高修正以後はこうした状況に変化が見られ,わが国においては製品輸入が目覚ましい勢いで増加を始め,輸出にはかつての伸びが見られなくなり,生産活動の国内需要に対する依存度が増している。一方アメリカにおいては依然輸入が増加しているものの,輸出の伸びが最近高まっている。このように為替レートの大幅な修正に伴って,需要構造に変化が生じている。

しかし86年においては,アジアNIEsの為替レートがドルに対してあまり切り上がらなかったため,価格競争力の高まりなどからアジアNIEsがアメリカ市場で機械類・輸送用機器を中心に輸出を伸ばし,アメリカの貿易赤字の拡大の一つの要因となった。このため87年からはこれら諸国の通貨もドルに対して徐々に切り上げられており,次第に不均衡是正に効果を表すものと期待される。

しかし,現在までのところアメリカの貿易赤字と財政赤字は依然大きな水準で存在しており,アメリカ内でインフレを懸念する見方が出てきていることもあって為替レートの不安定化につながりかねない。そのため,アメリカがこの双子の赤字を早期に解消すべく努力することが求められよう。

変動為替相場制度は完全ではないまでも,二度に亘る石油危機といった大規模な衝撃を緩和するとともに,再び均衡へ向かって調整する働きをし,国際貿易等の拡大に貢献してきた。しかし,この制度にも為替レートの変動幅が予想されたより大きく,各国の経済ファンダメンタルズから乖離して動くという欠点が認識され,様々な為替制度の代替案や補強案が提示されるようになっている。その中でも,固定相場制,ターゲット・ゾーン制,政策相互監視(サーベイランス)で補強した変動制という主な3つの提案を概観してみよう。

まず,金本位制に代表される固定相場制への復帰案は現在の変動制の欠点である為替変動を抑制することを目的とする。固定相場制は,為替レートが安定していることによる経済主体への不確実性の軽減というメリットはあるが,①為替レートの水準の決定が困難なこと,②為替取引の規模が拡大しているため介入のみで相場を固定することが困難なこと,③構造的な不均衡が先進国間にみられる場合には,変動相場制に比べむしろ調整コストが大きくなること,④為替レートの水準を維持できたとしても,不均衡を調整するために採られる政策が他の経済政策の目標と矛盾する可能性があること,⑤不均衡を調整し得ず,為替レートの変更をするしかなくなったときにはむしろ大幅な変更を余儀なくされること等のデメリットがあげられる。

次にターゲット・ゾーン制は為替レートの相場圏(ゾーン)を設定し,為替レートの安定的関係を維持しようとするものであるが,①ゾーンの水準を確定することが困難であること,②為替相場をゾーン内に維持するための措置の責任分担を決定するのが困難であること,③ゾーンの変更が必要になった場合,機動的対応ができないおそれがあること,④ゾーンを公表した場合,投機の標的を与え,かえって為替変動が大きくなること,⑤為替取引の規模が大幅に拡大している現状では,介入のみによって相場をゾーン内に収めることが困難であること,⑥短期的な相場維持のために財政金融政策を運営することは,中期戦略に基づく節度ある財政金融政策を阻害するおそれがあること等問題がある。

最後にサーベイランスで補強した変動制は,政策協調を進めることで中期的に為替レートを安定させようとするもので,①政策の協調度合い,②国内政策と対外政策の優先度,③不均衡が存在する場合の介入レートの決め方等問題もある。ターゲット・ゾーン,サーベイランスで補強した政策協調とも各国の国内均衡なくしては十分に機能することは難しいと考えられる。したがって現下でこうした制度を採用することは現在の不均衡の大きな原因の改善なしには考えられない。原因の一つであるアメリカの財政赤字が継続する下では潜在的なドル安圧力があり各国の政策が国内均衡を達成するためのものとはなりにくいからである。現在のところ決定的に現行の制度に代わるものはなく,当面は政策協調を通じ変動相場制の機能の改善を図り,インフレなき持続的成長と安定した為替相場が可能になる道を模索していくのが現実的であろう。