第二部 各論 四 運輸通信 1 海外輸送
昭和二七年度における邦船の外航輸送実績は輸出入および外国相互輸送を合計して、一、五〇〇万屯に達し、前年度にくらべて五二%の増加を示した。しかるに運賃率の低落によつて邦船の運賃収入は二六年度の一四五百万ドルに対し、二七年度には一八六百万ドルで、二八%の増加に止まつている。
二七年度の海外輸送の大きな特色は第五一図に示すとおり、定期、不定期の配船割合に大きな変化が起つたことである。前年度までに相当の定期航路適格船を保有した上に、二七年度における高速優秀新造船約三〇万総屯の就航により定期往路は路線、航海数ともに拡張された。これは貿易物資輸送における速度と確実性の要求に基づく世界海運の定期船化の傾向と軌を一にするものであつて、日本海運の正常化の方向を示している。すなわち、定期航路は二六年度末の八航路、月三三航海に対して、二七年度末には新しく欧洲、濠洲、中南米、インドネシアおよび北米―南阿の各航路を加えて一三航路、月四五航海に達した。なかでもニユーヨーク航路においては二七年一〇月より一二航海となり、戦前の最高を超す盛況となつた。従つて外航船腹の就航状況は第四九図に示すとおりこの一ヶ年間に定期船が三倍近くに増加したのに対して、不定期船は逆に二割五分方減少し、定期不定期の比重を大きく変えた。それぞれの輸送量も船腹増加に応じて増加したが、とくに定期船船腹の増加により輸出貿易は大きな便宜を受けるとともに、定期船による三国間輸送は急速に伸張し前年に比し輸送量は四・七倍となつている。その結果、運賃市況の低下にも拘らず、八五六万ドルの外貨を獲得し、三国間輸送運賃収入の四割を占め、海運本来の面目を回復しつつある。油槽船における配船については、配船地域の変更はみられず、船腹の増加に伴う輸送量の増加をみたのみである。
しかしながら、邦船による貿易物資の積取比率をみると、第一六表のとおり戦後逐年増加しており、二六年にくらべると二七年はやや改善されたが、いまだ船腹量が不十分であるため、戦前にくらべるとなお低位あり、この結果二七年度の貿易外支払の大部分を外国船に対する運賃支払で占めている現況である。
つぎに、海上運賃市況の推移をみると、第五二図のとおりである。不定期船運賃市況は朝鮮動乱勃発後軒並みに動乱前の二・五~三倍に達し、いわゆる海運ブームを現出したが、この好況は一年足らずで去り、二七年春には二五年末の高騰率にも比すべき激しさで急落し、二七年上半期中に動乱前の水準まで下つた。秋口にいたつて欧州の穀物引合の増大、インド、パキスタンの穀物急需、日本の石炭緊急輸入などで多少引締つたが大きくは動かず、動乱前とほぼ同水準で二八年度を迎え現在にいたつている。この運賃水準は物価値上りを考慮すれば動乱前よりさらに二〇%安とみられる。
これに反し定期船は好採算を維持し、辛じて海運の総合経営を支えていたが、二八年三月に定期航路における自由運賃の問題が起つて海運界に大きな影響を与えた。すなわちニユーヨークおよびインド・パキスタン航路において海運同盟が盟外船との対抗上採つた自由運賃制により、対象品目の運賃率は急落して定期船の採算性は少なからず減少した。
タンカー運賃市況もこれと同一傾向を示したが、油槽船需給の逼迫度が貨物船より一層激しかつたため運賃の上昇も大巾で、かつ二七年度まで比較的高水準を維持した。しかるに秋に入つて石油貿易量の増加率が低下した上に、新造船が大量に就航しはじめて船腹需要が緩んだ。その結果タンカー市況も軟化しはじめて例年の冬高の傾向がみられず、かえつて下降の一途を辿り、二八年春には貨物船と同様に動乱前の水準となつた。
以上のような運賃事情は必然的に運賃収入減をきたし、海運業の経営は甚しく困難となつてきた。