第二部 各論 一 貿易 2 輸出の動向
昭和二七年の輸出は約一三億ドルで前年と余りかわらなかつた。また輸出数量としてもほぼ前年の水準をもちこしている。
しかしその内容をみると、二六年との間にはかなり顕著な変化が生じている。
まず地域構成では前年まで不振であつたドル地域向け輸出が、鉄鋼、かん詰類、船舶などの増加によつて、その比重をたかめ、反面非ドル地域向け輸出が大巾に減退している。これは年初来のオープン勘定地域向け繊維、鉄鋼の減少と、下半期におけるポンド地域向け綿布、人絹製品の著減によるものである。
この結果、商品構成に占める繊維の比重は著しく低下し、繊維を主体とする消費財輸出は前年より約二割減少した。しかし他方において前年末いらいの動乱の余波と、六月における米国製鋼ストライキの影響によつて鉄鋼が増加し、また後進国における経済開発と工業化の需要が、その輸入制限実施後も資本財に対して依然持続されたことによつて、生産財輸出は逆に二割増加している。
船積実績は上のような地域、商品構成の変化を伴いながらも上半期は比較的好調に推移し、ことに二月には一億三千万ドルと年間のピークになつたが、三月以後英国連邦諸国をはじめとする輸入制限によつて繊維がまず減少した。ことに七月には動乱ブームの終熄による鉄鋼、非鉄金属の沈滞が加わり、この月の船積は九千万ドルと過去一年半の最低となつている。その後ドル地域向け食糧、生絲の増加と前記ストによる鉄鋼の回復によつて若干立直りを示したがポンド貿易逆調による下半期の不振は二七年輸出にとつて致命的であつた。
下半期におけるこのような輸出の減退は、主として英連邦諸国をはじめ一部のオープン勘定国における輸入制限によるところが少なくないが、反面において、前年来の非ドル地域向け出超累増に対する影響のあらわれとも解せられる。ことに二六年後半より、ポンド実勢価値の下落に伴う為替安によつて同地域向け輸出が増加したことはわが国に多くの減価ポンドを累積せしめ、一方オープン勘定地域に対する貸越債権の増大によつて、同地域との取引に多大の支障が生じた。このため二七年当初にかけて両地域向け輸出調整措置がとられ、その打開がはかられたのである。
しかるにその後これと相前後しておこなわれた前記輸入制限措置によつて、わが国は従来の輸出抑制から、その促進へと基本的な態度の変更を余儀なくされている。ことに二七年後半にはポンド価値の上昇による輸入採算の回復と非ドル地域より輸入転換の推進によつて、同地域からの入荷が促進された結果、わが国は逆にポンド貨の不足とオープン勘定バランスの悪化に悩むに至つた。このためわが国では、本年年初来、日英支払会談を通じて英本国以下英国連邦諸国との接衡にあたるとともに、爾余の非ドル地域諸国に対しても、その輸入緩和を要請することによつてこれらの地域との貿易規模の拡大をはかつている。
他方、以上のような輸出の推移とともに、従来わが貿易に内在していた種々の矛盾がようやく表面化しようとしている。なかんづく「物価」の章にのべるように、わが輸出品ことに重工業製品の価格は、西欧諸国に比して三―四割方割高となつており、このため年間輸出は鉄鋼を除きおおむね停滞している。ことに国際競争力におとる重機械はプラント類を中心に停頓し、また従来好調であつたミシン、自転車など耐久消費財輸出も近来減少に向つている。ただ鉄鋼は、二七年年間を通じ特殊需要に恵まれたために、ブリキ板、高級仕上鋼板、棒鋼など特定品種を除いては、その割高が直接輸出の障害によるまでには至らなかつた。しかしながら本年に入り米国鉄鋼生産の増加、シユーマンプランによる西欧共同市場の発足などによつて世界の需給が緩和されているので、そのコスト高は二月以降における鉄鋼受註の減少をもたらしている。
また海外における輸出競争も二七年に入つていよいよその激しさを加えてきた。ことに戦後わが国の有力な輸出市場として登場した東南アジア貿易については、英国、オランダなど旧宗主国の擡頭と米国、西独、ベルギーなど西欧諸国の進出によつてわが国の輸出が阻まれている。もつとも二七年後半における同地域の対ドル輸出制限は、第三二図のように戦後累増した米国の輸出を大巾に減退せしめているが、これに代つて綿製品を主体とするインドの進出がみとめられる。
動乱後、国際市況の好転を反映して逸早く伸長し、二六年以降における国民所得増大のきつかけをつくつた輸出は、以上の如く二七年後半に入つて全面的な停滞に逢著している。しかも他方においては以下にのべるような輸入規模の拡大がおこなわれ、貿易収支のアンバランスは著しく増大している。かくて入超額は二七年において七億六千万ドルとなり、同年における輸出額の六割を占めることとなつた。