第一部 總説……独立日本の経済力 五 結語
以上説明してきたところによつてわが国が正常貿易のみで自立経済の達成をはかることはなかなか容易でない事情が明かになつたであろう。かりに輸出増大の努力目標を約一五億ドルとして一方で食糧、合成繊維の増産や外航船舶の増強によつて約三億ドルの外貨負担を節約し、その他贅沢品の輸入削減などあらゆる手を打つても、正常貿易だけで国際収支のバランスを計ることが必ずしも容易でない。その上交易条件の低下や、賠償の負担などを考えれば、なおさら困難であろう。
こうして考えてくると、現在でもわが国の経済は、その正常貿易のゆるす実力以上の経済水準を保つているのである。正常貿易においてさえ、交易条件の改善によつて、比較的少ない輸出で多くの輸入を賄い、わが国は外国との取引で得をしている。この点からいえば企業者も、勤労者も国際的に比較した場合にその生産性以上の報酬をえているのである。
このように現在の経済水準が実力以上に保たれているということをはつきり認識するならば、金持ちはこれ以上の奢侈を、企業者は社用的消費を慎むとともに、勤労者としても現在の事情をよく納得して、生産性の向上以上の賃金引上げを自粛する態度が必要であろう。
前述のような経済分析から導かれる第二の問題は、特需があるという前提のもとにおいては、わが国の経済循環が一応バランスしているという事実を再認識することである。現在バランスしている経済循環において、さらに輸出を延ばすということ、あるいは輸出を延ばすための準備として物価を切下げるということは、ある意味においては現在成立している均衡を破壊することである。言葉をかえていえば、目先日本は輸出超過国であるに拘らず、あるいは少くとも収支バランス国であるに拘らず、長期的には輸入超過国としての対策を必要としているのである。
このような事情は、たとえば特需があるという前提の下でそれ相応の水準に止まつているにすぎない物価を、輸出を増加するためには引下げねばならぬという要請に現われている。現在の国内の景気を維持するということと、輸出競争力をつけるということは物価についてみれば相互に相反する面を持つている。すなわち現在バランスしている経済循環からいかにして将来の自立の契機をみつけるかは、必ずしも容易でない。それは漸進的変化ではなくある飛躍を、言葉をかえていえば、手術を必要とする。それは勤労者にとつて農民にとつてまた企業者にとつて将来的に目先の苦痛を耐え忍ぶことを意味する。
しかし当面病状が覆いかくされ、痛みが少ない時においては、苦痛を伴う手術を納得させることは困難である。けれども特別の外貨収入がなくなつて、手術するより仕方なくなつてからでは手遅れである。手術をうける体力がある時には、うける決心がつかない。病勢が悪化して手術をうけるより仕方がなくなつた時には体力がない。これがわが国の経済の当面する最も深刻な矛盾である。
事態は一見遠い先のことのようであるが実はさし迫つている。前に述べたような自立の体制は、今すぐはじめても早すぎることはない。しかもこの間に世界は進んでいる。われわれは終戦いらい八年、ひたすら生産量の回復につとめてきた間に、欧米においては復興の主眼を生産の向上においていた、米国ではその民間投資の四割を古い設備の取替えと近代化においている。英国は産業の若返りに必死である。フランスのモネ・プランは実は近代化の計画である。日本はそれおかれた地理的位置から、欧米先進国とアジア諸国との間の中間的位置を占めることによつてその存在価値を保つてきた。今やアジアの諸国は軽工業化によつて日本が明治、大正以来たどつてきた道を歩み初めた。しかるに日本は欧米諸国との間に、産業の発展段階のギヤツプを拡げている。すなわち欧米、日本アジアの雁行形態においてわが国は次第に中央から後の位置にずり下つているのだ。
今は世界各国の澎湃をして漲つている産業再構成の動向は、これを第二次産業革命とも名付けうるであろう。これを機運に乗ることに失敗したならば、日本経済の発展、ひいては国民生活の効用は停滞し、経済的のみならず、社会的、政治的に深刻な苦悶に直面しなければならないであろう。
以上述べてきたような意味において、本報告書が国民各位のそれぞれの利害の立場をはなれ、国民全体、すなわち日本民族としての見地から、わが国経済の運命を再検討するきつかけともなるならば、われわれの欣快これにすぎるものはない。