第2章 先進各国の生産性等の動向:アメリカの「第二の波」と英国、フィンランド、アイルランド等の経験 |
第2節 英国、フィンランド、アイルランド等の経験
1.英国:構造改革の推進とマクロ経済の安定化による成長力の強化
英国はIT利用産業等を中心に比較的良好なパフォーマンスを示してきた。こうした英国経済の好調さの背景としては、サッチャー政権以来の改革により、生産物市場の規制が緩和され柔軟な労働市場が構築された面が大きいと考えられる。また、そうした改革の成果がより明確に現れてきたのは、90年代の前半以降マクロ経済環境が安定化して以降であることにも留意が必要である。
●保守党政権下の「サッチャリズム」改革
英国は、1950年当時で一人当たりGDPがアメリカの72%と、英国を含む西ヨーロッパ(22)が同52%であったのに対して相対的に高い水準にあった。しかし、50年代から第一次石油ショックまでの間、英国とアメリカとの格差はほとんど縮小せず、一方西ヨーロッパ各国の生産性が向上した。このため、73年には、一人当たりGDPは英国、西ヨーロッパともアメリカの73%と同水準となった(23)。また、70年代半ば以降消費者物価上昇率が二桁で推移する一方失業率も上昇するなど、スタグフレーションの状況
も生じ、生産性・経済成長の停滞は、「英国病」などともいわれた。
こうした状況を受け、79年に登場した保守党のサッチャー政権及び後継のメージャー政権では、小さな政府と市場原理を重視(「サッチャリズム」と呼ばれる。)して、規制改革、民営化、労働市場の改革、マクロ経済政策の転換、税制改革等広範な分野にわたる改革を急速に展開した。すなわち、(1)生産物市場の構造改革の面では、民営化と規制改革を重視し、79年の石油会社ブリテッィシュ・ペトロリアム(BP)に始まり、製造業(航空機、自動車)、航空輸送、電気通信、ガス、水道、電力、石炭、鉄道等広範な分野で民営化を進めるとともに、規制緩和の面では、金融ビックバンを始めとして、運輸、電力、通信事業等で改革を進めた(第2-2-1表)。(2)労働市場では、解雇規制の緩和、争議行為の事前手続の制度化、クローズド・ショップ制(組合員以外の新規採用を認めない制度)の廃止等により、労働市場の柔軟性を高める方向での改革を行った(同表参照)。(3)マクロ経済政策面では、ケインジアン的な需要管理政策からの転換を図り、インフレ抑制と小さな政府・財政の健全化を重視した。また、92年には、インフレ目標が導入された。(4)税制面では、経済主体のインセンティブを強化するため、79年の法人税・所得税の減税と付加価値税の引上げに始まり、累進税率の簡素化等経済主体のインセンティブ強化の観点からの税制改革を行った(第2-2-2表)。
●ブレア政権の「第三の道」
97年に保守党から政権を引き継いだ労働党のブレア政権は、サッチャリズムでもない、これまでの労働党や戦後の西ヨーロッパ各国で社会民主主義政権が実施した福祉国家的なモデルでもない、「第三の道(24)」を標榜し、市場の効率を重視するとともに、競争条件の整備や分配機能の強化に配意することとした。そうした方針の下、保守党政権下の生産物市場や労働市場の改革の多くを保持しつつも、労働市場の面では、「福祉から雇用へ」(25)を標榜し、若年者、長期失業者、一人親、中高年失業者等を対象に職業訓練等による就業促進を図ることとした(ニューディール政策)。また、税制面では、低所得者層に配慮して最低税率の引下げ(20%→10%)や、勤労税額控除(WTC、CTC)の導入等を行った(26)。
マクロ経済政策では、中期的安定性を確保するためのルールに基づく透明性の高い政策運営を重視した。まず、金融政策面では、すでに92年にインフレ目標が導入されていたが、97年には中央銀行(BOE)の独立性を強化し金利の決定はBOEが行うこととした。これにより、政策目標決定は政府が行い、中央銀行は政府の定めた目標に従って金融政策を運営する責任を負うとともに政策手段については独立性を確保する枠組みが整備された。また、BOEの金融政策決定を行う金融政策委員会(MPC)の議事要旨は2週間後に開示するなど政策決定プロセスの透明性が確保された。
また、財政政策面では、景気サイクル全体をならした平均的な収支でみて公的借入により手当てできるのは投資的支出に限ることとし、言い換えれば経常的歳出は経常的歳入により手当てすることとする「ゴールデン・ルール」や、公的債務残高をGDP比で安定的な水準(40%以下)に保つこととする「サステイナビリティ・ルール」といった財政ルールが導入され財政健全化が推進された(27)。
●マクロ経済環境
こうした改革により、英国の生産物市場、労働市場は、相当に柔軟なものとなってきた。実際、第1節(第2-1-7図)でみた指標では、英国の生産物市場規制は先進国の中でも最も緩やかな部類に属し、労働市場もかなり柔軟であり、IT投資も活発であることが分かる。貿易や対内投資の障壁も低いとされている。また、英国の生産性パフォーマンスは、アメリカを除く主要国の中では相対的に良好(例えば第2-1-2図)であり、特に近年においては、サービス産業の生産性パフォーマンスが良好(第2-1-3図、第2-1-4図)であることは第1節でみた通りである。とりわけ、金融産業については、80年代後半の金融ビッグバンにより、金融のグローバリゼーションに積極的に適応してニューヨークと並ぶ世界の金融センターとしての地位を確かなものとし、90年代以降良好な生産性パフォーマンスを示してきている。
しかし、こうした改革の成果が顕在化するには、マクロ経済環境の安定化が非常に重要であったと考えられる。第2-2-3図をみると、90年代の前半を境に、それまでは、経済成長率、失業率、物価上昇率等でみて大きな循環的変動がみられたが、それ以降は循環的な動きはある(28)ものの、安定的な成長が続く中で、失業率、物価上昇率も低下してきたことがみてとれる(29)。
そこで、92〜93年を境に、マクロ経済指標と生産性等について整理してみると(第2-2-4表)、92〜93年以降の期間では、物価、失業率が明確に低下するとともに成長は加速している。また、いずれの指標についても、振れ(標準偏差)は縮小する方向にあり、マクロ経済環境が安定化したことが確認できる。それぞれの期間について労働時間当たりの生産性をみると、日欧の生産性上昇率が減速している中で、英国の生産性上昇率は、90年代前半以降の期間においてむしろやや加速しており、92年以降の期間では主要国の中でも良好なものとなっている。さらに、92〜93年頃を境にマクロ経済環境が好転して失業が減少し就業者数が増加したことから、人口一人当たりのGDPでみると、92年以降の期間では英国の一人当たりGDPの成長率が最も高いものとなっており、英国の経済パフォーマンスの良好さがより明瞭にみてとれる。
また、西ヨーロッパの平均的な水準(図の西ヨーロッパ11か国)を100としてみると(第2-2-5図)、英国は、時間当たりGDPではなお西ヨーロッパの中でも相対的に低い水準にあるものの、失業率の低下もあり労働参加率が上昇していることから、一人当たりGDPでは、西ヨーロッパの平均的な水準や、ドイツ、フランスを上回る水準にある。
このように、サッチャー改革は80年代に相当に集中的に行われているが、生産性や豊かさ(一人当たりのGDP)の面で英国の改革の成果が明確化してくるのはむしろ90年代である。この時間的なずれについては、サッチャリズムのようなサプライサイド改革の成果が結実するにはある程度時間を要する面もあったと思われるが、90年代の前半を転機にマクロ経済環境が安定化し、インフレ率が低下するとともに景気の振れが平準化され、失業率が低下し雇用が増加したことが重要な条件となっていたことがうかがわれる。
生産性向上や経済成長の重要な起動力は経済主体の物的・人的な投資であるが、高いインフレや大幅な景気変動が想定され、あるいは期待成長率が低い場合には、経済主体が投資に積極的になりにくいと考えられる。さらに、国の豊かさに直結する一人当たりのGDPについては、時間当たりの生産性を向上させるとともに就業者を増加させることが重要である。こうしたことから、景気循環を平準化し物価水準を安定させることが、生産性の向上、成長力の強化に非常に重要と考えられる。