第2章 先進各国の生産性等の動向:アメリカの「第二の波」と英国、フィンランド、アイルランド等の経験 |
第2節 英国、フィンランド、アイルランド等の経験
2.フィンランド:経済危機への迅速な対応、改革の継続、教育・研究開発重視
フィンランドについては、90年代の経済危機以降に焦点を当ててみてみよう。
●90年代前半の経済危機
フィンランドは、戦後、農業国から順調な工業化を続け、高度成長を遂げるとともに、北ヨーロッパ型の福祉国家として社会保障制度を発達させてきた。しかし、90年代前半には、経済成長率が3年連続でマイナスとなる経済危機に直面した(第2-2-6図)。これは、80年代末に金融・不動産バブルが崩壊(30)したことに加え、91年のソ連崩壊とその後の旧ソ連・東ヨーロッパ地域の経済混乱からこれら地域向けの輸出が急減したことによる。例えば、ソ連向けの輸出は、86年には、フィンランドの輸出の20%を占めていたが、92年には3%に低下している。この結果80年代は5%前後で安定していた失業率も10%台後半まで急上昇した。また、89年にはGDP比6.8%の財政黒字を計上するなど非常に健全であった財政状況も、失業給付等の歳出の急増や税収の急減により急激に悪化し、93年には同7.2%の赤字を計上するに至った。
●経済危機への対応―迅速な不良債権処理
フィンランドは、経済危機以降、財政が急激に悪化したこともあり、広範な対応・改革を実施した。フィンランドの対応で特徴的なことは、第一に、経済危機の主因となった金融システムリスクへの対応を比較的短期間に行ったこと、第二に、社会保障給付の削減、民営化、規制緩和等の広範な分野での改革・対応を継続的に実施したこと、第三に、そうした中でも将来への投資としての研究開発と教育については重視してきたことである。そして第四に、マクロ経済環境の安定化も図られた。
まず、経済危機に際しては不良債権処理が早期に行われた。金融、不動産バブルの崩壊により、不動産関連融資等で不良債権が急増し不良債権比率は一時13%に達したが、全ての銀行に対する予防的な公的資金の注入や、41の貯蓄銀行の合併、公的資産管理会社による不良債権の一括買取り等が短期間に行われた。これらに注入された公的資金の総額はGDP比11%に上るなど相当なコストも生じたが、景気の回復もあり、金融危機は約4年で克服された(31)。
●包括的な対応
労働市場や社会保障制度の面の対応では、経済危機後の財政負担抑制の観点からの給付抑制のための制度改正が中心となった。これらは、財政面での効果も大きかったが(32)、労働市場の規制緩和や税制改革等とあいまって、労働市場の柔軟性を強め、就労を促進する効果も大きかったと考えられる(以下第2-2-7表を参照。)。まず、労働市場(33)の面では、失業給付の受給要件の厳格化や賃金スライドから物価スライドへの移行等が行われるとともに、労働市場の規制の面では、労働者派遣事業や民営職業紹介の自由化が行われた。また、一方で就業を促進する観点から職業訓練等の積極的雇用政策も強化された。年金については、94年以降累次にわたって早期退職者の年金受給年齢が引き上げられ、年金や失業給付の物価スライドへの移行等により、こうした社会保障給付の抑制が進められた。
規制改革等の面では、電気通信分野の規制緩和が80年代半ばより開始されていたが、経済危機後は、近距離電話・長距離電話・国際電話の各セクターでも参入が自由化された。また、電力、郵便(信書便)、バス交通等の自由化も進められた。このほか、地方自治体が、公共サービスを民間委託することを可能にするなどの公的部門の改革も進められた。
●研究開発と教育の重視
フィンランドは、従前より研究開発や教育に注力してきたが、経済危機やそれ以降もこうした分野は引き続き重視された。特に、経済再生の観点からもIT部門が戦略的な産業部門として位置づけられ、COEプログラムによる産学官の連携による産業クラスターの育成が進められるなどの振興策が推進された。研究開発費の推移をみても、政府負担の研究開発費は、経済危機の時期においてもGDP比では増加しており、その後は、特にノキア等のIT企業の成功もあって民間負担の研究費が90年代後半に大幅に増加したため、最近時点では、GDP比でみる限り先進各国の中でも最高水準にあり、フィンランドの経済成長・生産性の向上の大きな要因となっていると考えられる(第2-2-8図)。なお、日本は、研究開発費のGDP比では、同図にみるようにフィンランドに次ぐ位置にあり、これがこれまでの我が国の生産性、競争力を支える重要な要因の一つとなってきたと考えられるが、研究開発の質等の面で一層の向上の必要性が指摘されてきていることには留意すべきであろう(34)。
教育水準が高いこともフィンランドの重要な特色である。その背景としては、学校や教師の自由度が高いことや、教育機会の均等に配慮されていることなどが挙げられている。特に、近年においては、OECD調査では中等教育の水準は、各分野で世界最高水準とされている(第2-2-9表)。また、高等教育については、就学率も高く(第2-2-10図)、教育の質についても、例えば、世界経済フォーラムが、教育システムの質で世界1位、数学や科学の教育の質について世界2位、高等教育全体でも世界1位と評価するなど、高い評価がされている(35)。
●マクロ経済環境の安定
マクロ経済政策の面でも、経済危機以降は、90年代の世界的なIT景気を背景とした高成長や2000年代初頭の低成長等の景気循環はあるものの非常に大きな変動は回避されてきている(前掲第2-2-6図)。そうした中で、物価は基本的には安定的に推移しており、金利水準も90年代後半以降は振れが小さくなってきている。また、経済危機への対応のため社会保障支出等の歳出削減が進められたことなどから、98年以降は一般政府の財政収支は黒字で推移している。なお、02年にはユーロ圏に参加し、金融政策は欧州中央銀行(ECB)に一元化された。
●一人当たりGDPでは西ヨーロッパの平均水準を凌駕
以上を踏まえて、経済的なパフォーマンスとして生産性等についてみると、経済危機時には急激に低下したもののその後は速い回復・上昇を遂げ(前掲第2-2-5図)、一人当たりGDPでは03年には西ヨーロッパの平均的な水準(図の西ヨーロッパ11か国)を上回る水準に達し、その後もその差を若干ながら広げている。フィンランドが経済危機を乗り越え、その後急速に生産性を向上させることができたのは、フィンランド経済で大きなウェイトを占めるノキア等のIT企業が、経済のグローバリゼーションの中で、ヨーロッパのみならず世界的なIT機器生産の拠点として成功してきた面が非常に大きいが、その背景としては、経済危機の時期とそれ以降、既に述べたような広範な対応・改革を継続的に実施してきたことにより、こうした企業活動の環境整備が図られてきた面が大きかったと考えられる。
●サービス産業の生産性向上等が課題
実際、産業別の生産性(前掲第2-1-3図)や、経済全体の労働生産性への各産業の寄与(第2-2-11図)をみてみると、フィンランドの生産性の上昇はIT関係と製造業中心であり、世界的なIT化の波に乗って高成長を遂げてきたことがみてとれる。
しかし、その一方で、アメリカ、英国とは異なりサービス産業分野での生産性上昇率はむしろ低下しており、アメリカの「第二の波」のようにIT利用産業での生産性向上を実現することが課題となってきている。生産性をリードしてきた電気機械等のIT生産部門についても、低賃金国へのアウトソーシングが今後の生産性に対して与える影響を懸念する指摘(36)もある。前掲第2-1-7図にみるように、生産物市場の規制についてはなお緩和の余地も相当にあると考えられるところであり、今後、経済全体の生産性を更に上昇させていくためには、規制緩和等による競争促進によりIT利用産業や産業全体を活性化していくことが課題となろう。
さらに、高い経済成長にもかかわらず失業率が高止まりしていることへの対応も重要な政策課題である。この背景としては、これまでの労働市場の改革にもかかわらず、労働市場の柔軟性が西ヨーロッパの大陸諸国並みに低いことが挙げられる(前掲第2-1-7図参照)。特に、「税のくさび」が先進国の中でもなお有数の高さにあること(第1章付図1-3参照)や、社会保障給付・負担についても失業した場合の税負担等を考慮した実質的な給付が50代の早期退職者や長期失業者については先進国の中でもかなり手厚い水準にあり、労働インセンティブの阻害要因となっていることなどが問題として指摘されてきている。今後も高い成長力を維持していくためにはこうした分野でのさらなる対応も必要であろう(37)。