サッチャー政権発足当初は、第二次石油危機で急上昇したインフレを抑制するために引締め的な金融運営が行われ、80年代半ばには物価上昇率は5%前後まで低下したものの、経済は停滞し80年代の最初の2年間はマイナス成長となり、失業率も10%前後まで上昇した。また、80年代末においても、景気過熱を受けて金融政策が再び引締め的に運営され、90年代の初頭には経済は停滞し91年は再びマイナス成長となるとともに、失業率も再び上昇した。しかし、90年に英国がポンドをドイツマルクに連動させる為替レート・メカニズム(ERM)に参加し、ポンド相場を維持する必要があったこともあり、金融政策はなお引締め的に運営された。いわゆる欧州通貨危機により92年9月にERM離脱を余儀なくされた後は金融政策は緩和され(ERM離脱直前まで9.875%であった政策金利は、93年1月には5%台まで引き下げられた。)、一方でERMに代わる金融政策のアンカーとして、92年10月にインフレ目標が導入された。