第1章 多くの人が活躍できる労働市場の構築に向けて |
第2節 より多くの人が活躍できる労働市場の構築
1. 就労への意欲阻害要因の解消と就業能力向上のための支援
(2)就労を条件とした給付制度(アメリカ、英国の例)
働くことが経済的に見合ったもの(make work pay)とし、働き手の就労へのインセンティブを後押しするための制度として、勤労所得に対する税額控除 (17)等就労を条件とした低所得者層への給付制度(以下「就労型給付」という。)による支援策を導入する国が増えている。このような仕組みは、近年の「福祉から就労へ」といった流れを進める一つの方法として注目され、ここで紹介するアメリカ、英国のほか、カナダ、フィンランド、フランス、アイルランド、オランダ、ニュージーランド等の国々で実施されている。
背景には、従来の低所得層に対する政府の支援施策が、就労を条件としない給付(以下「非就労型給付」という。)を中心としていたため、経済的に働くことの魅力が薄れ、かえって福祉に多くを依存することにより就労意欲を阻害してきたとの懸念がある。就労型給付の制度により、低所得層への財政的支援とともに、経済面からの就労への動機付けがなされ、労働供給の促進につながることが期待される。
●アメリカの勤労所得税額控除(EITC)の仕組み
アメリカの勤労所得税額控除は、75年に連邦政府によりEITC (18)として導入された就労を条件とする個人所得税制上の税額控除措置であり、アメリカ内で抱える貧困問題への対処を背景として創設されたものである。その後、86年、90年及び93年に大幅な拡充が実施され、低所得層に対する支援施策の中心的役割を果たしている。EITCの規模は、75年導入時には適用者数620万人、控除総額12.5億ドルであったが、05年にはそれぞれ2,190万人、397億ドルに達している。
EITCの仕組みを簡単に示したものが(第1-2-6図)であるが、横軸に勤労所得額、縦軸に税額控除額をとると、勤労所得の増加に応じて、控除額が増加する局面(逓増領域)、定額となる局面(定額領域)、控除額が減少する局面(逓減領域)の三つの局面に分けられる。例えば、04年では、2人以上の子供がいる世帯では、年間勤労所得が10,570ドル以下であれば控除額は勤労所得の40%、15,040ドルまでは控除額は定額の4,300ドル、35,458ドルまでは追加的に21.06%の率で減額されていく形となっている。
●英国の勤労税額控除(WTC)の仕組み
英国の勤労税額控除導入の経緯は、扶養児童を有する低所得世帯を支援するため、71年に家族所得補助(FIS)が導入されたことに始まる。その後数回の制度変更を経て(19) 、子供を持つ低・中堅所得者層の所得を押し上げるために、99年に勤労世帯税額控除(WFTC(20) )に移行するとともに控除額の拡大がなされた。さらに、03年4月には、所得補助と求職者手当の一部機能等を統合して、勤労税額控除(WTC)、児童税額控除(CTC)の二つに改められている(21) 。WTCとCTCの額は、世帯構成、就業時間、年齢、さらには政府登録・認定の育児サービスを利用しているか否かなど各人の置かれた状況に応じて決定され、いずれも還付方式である。
WTCの特徴としては、第一に、週16時間以上の労働時間を就労条件とすることで、一定時間の就労をするインセンティブを付与する仕組みとなっている(第1-2-7図)。第二に、前述したアメリカのEITCと比較すると、収入増に伴い控除額が増加する逓増段階が存在せず、逓減段階のみ存在する。第一の特徴とともに、制度設計が就労に影響を与え、労働時間の分布に歪みを発生させる(22) 結果となっている。第三に、税制という枠組みを超えて、社会保障給付を切り替える形で導入されており、子供のいる世帯特に配偶者の無い母親世帯と無業の夫婦世帯への支援が中心に位置付けられている点が挙げられる。
● 配偶者の無い母親を中心に就労拡大に効果がみられる
こうした制度により想定される就労促進への効果については、特に控除額の逓増段階で、制度が無い場合と比べた限界的な所得税率(所得の増加分に対する税率)が低くなることから、既に就労している者の労働時間の拡大や(世帯合算方式の場合の)世帯で2人目の働き手に与えるインセンティブと比べて、もともと所得の無い世帯の就労インセンティブに特に効果が現れることが考えられる。
04年のアメリカのEITC制度に基づくシミュレーション (23)では、配偶者の無い母親が、無職からパートタイム、フルタイムの就労へ移行するケースでは、限界的な所得税率がマイナスとなり(勤労所得に対する課税額より控除額の方が大きい)、就労インセンティブの向上効果が特に大きいことが分かる(第1-2-8図)。パートタイムからフルタイムへ移行する場合には、控除額の逓減段階にかかるため前二者と比較して限界的な所得税率は高くなる。また、夫婦でパートナーがフルタイムで働いている場合には、世帯合算方式のため、2人の就労所得の合計額が、控除が行われる上限を超えEITCの対象外となる。
労働供給への効果に関する分析や試算においても、総じて、配偶者の無い母親の労働参加や就労促進に効果があるとされている。例えば、アメリカのEITCの効果については、86年改正(控除額の引上げ等)を挟む84〜86年と88〜90年との間で、配偶者の無い母親の労働参加率を2.8%押し上げる効果があった(73.0%→75.8%)とする一方、既に働いている配偶者の無い母親の労働時間を引き下げてしまうようなマイナスの効果についてはみられないとの分析がある(24) 。また、84〜96年の配偶者の無い母親の高い労働市場への参加には、税制や福祉政策等による就労インセンティブ向上策の中でEITCの寄与が一番大きく(就業増加分の63%)、これらのインセンティブ向上策は、単身女性や有子既婚女性、黒人男性等と比較して、配偶者の無い母親に対してより就労押上げ効果があったとの評価もある(25) 。
英国における控除額の引上げ等が行われた99年のWFTC導入時の就労促進効果について、例えば、配偶者の無い親の就業率を2.2%程度改善(39.8%→42.0%)させる効果があり、また家族属性別では、配偶者の無い親、配偶者が働いていない既婚女性の就労増加に効果がある一方、配偶者が働いている既婚女性ではマイナスの効果もあるとの試算がある(26) 。
●制度導入による効果と制度上の留意点
アメリカや英国の経験から、我が国においてもこのような就労型給付制度の導入が、働き手の意欲阻害要因を解消する方策の一つになり得ると考えられる(27) 。また、就労型給付には低所得者への所得再分配という面があるが、田近・八塩(2006)は、現在我が国で低所得者支援として行われている所得控除は、控除を拡張しても課税最低限以下の低所得者には税負担の軽減効果が及ばないことなどを指摘している。その上で、アメリカや英国のような還付方式の税額控除を活用することにより、低所得階層への経済支援を効果的にできるとしている。
また、アメリカや英国の経験等から、こうした制度については、次のような留意点が指摘されている。
第一に、労働供給の視点でいえば、控除額が高ければ高いほど、就労へのインセンティブを高めることができるが、一方で財政的な制約も考慮すれば(28) 、政策目的に合わせた効率的な制度設計が重要である。一つの方法としては、就労への動機付けとなるような控除額の水準を維持しつつ政策目的に合わせて対象者を限定することが考えられる。例えば、育児支援として家族構成により子供のいる世帯のみに対象を限定すること、就労の質を高めるインセンティブを重視し、給付期間を限定することにより労働時間の拡大やより賃金の高い職への早期の移行を促すことなども一案と考えられる (29)。
第二に、働き手にとって就労することが経済的に見合うものであるかどうかは、EITC等の就労型給付だけでなく、非就労型給付にも影響されることから、各種公的給付や税制間の整合性が重要である(詳しくは後述)。また、英国においては、他の手当や控除も含めた全体の制度の複雑さ、分かりにくさが指摘されており、そうした意味でも、既存の制度との重複や整合性を検討することが重要である。
このほか、アメリカのEITCについては、低所得層への財政的支援を税制として統合して実施することから、高い受給率と運営コストの軽減が実現できるといった評価がある一方、納税者の申告に依存することから不正申告による過大請求への対処が課題ともされている(30) 。