第I部 海外経済の政策分析 |
第1章 中国高成長の要因と今後の展望
90年代に直接投資の呼び込みに成功し、「世界の工場」となった中国であるが、90年代末以降、我が国同様にデフレ的状況が続いている。本節ではまず、デフレの要因を明らかにすることを通じて、中国経済が抱える問題点について考察する。さらに、2001年に実現したWTO加盟による影響を検討した上で、90年代の経験をもとに、2010年までの中国経済の姿を2つのシナリオに分けて展望を試みる。
OECDでは、今後中国経済が克服すべき課題として、非効率な国有部門、活用されていない農村部労働力、未発達な金融システム等をあげている(15)。本項でも、デフレの要因に関する分析を通じることによって、同様に国有企業の非効率な生産体制、過剰な労働力といった中国経済が抱える問題点が明らかになる。
●デフレの要因
98年以降、中国ではデフレ傾向が続いている(16)。デフレは、地域的な現象ではなく、中国経済全体に及んでいる。例えば、デフレが最も深刻であった99年についてみると、北京市、上海市、湖南省の3省市のみを除き、全国各地でデフレとなっている。
デフレが生じる要因としては、中央銀行の金融緩和が充分でないなどの理由により、実体経済に比べてマネーサプライが過少となっているか、もしくは経済の総需要が総供給に比べて弱い(総需要不足(または総供給超過))状態にあることが考えられる。
デフレが生じる前後のマネーサプライ(M2)の伸び率をみると、デフレ的状況となる98年までに大きく低下した後は、おおむね横ばいで推移している(第I-1-13図(i))。この間、中央銀行である人民銀行は、デフレに対して積極的な金融緩和(17)を行ったとみられる(第I-1-13図(ii))。人民銀行のコントロールが強く及ぶマネタリーベース(流通通貨+中央銀行預金)の伸び率をみても、デフレが深刻となる99年の前半までは低下を続けていたが、99年の後半以降は大幅な増加に転じている。また、再びデフレとなった2001年の10〜12月期以降にも大幅な増加をみせており、デフレ脱却に向けた金融緩和の姿勢がうかがえる(18)。
こうした金融緩和措置が、必ずしもマネーサプライの伸びに結びついていない理由としては、不良債権を抱える銀行部門がいわゆる「貸し渋り」を行っている可能性のほか、実体経済面で借入需要が少ないことが考えられる。デフレ期の経済成長率は平均で7.5%と、90年代の平均値である9.7%を大きく下回っている。このことからは、経済が総需要不足(または総供給超過)の状態にあり、それがデフレの主因となっている可能性は高いといえる。総需要不足(または総供給超過)の状態にあることの具体的な要因としては、景気循環的な需要面での弱さに加え、過剰な労働力の存在や国有企業による過剰生産など、供給面で構造的な過剰状態にある可能性が指摘される(19)。
この点を明らかにするため、99年の省市別データを用いて、各省市における消費者物価上昇率と、(i)労働需給要因(1−求人数/求職者数)、(ii)労働コスト要因(賃金上昇率−労働生産性上昇率)、(iii)過剰生産要因(国有企業(20)製品売れ残り率)、(iv)国内需要要因(一人当たり実質消費支出増加率)、との関係をみたところ(第I-1-14表)、過剰な労働力の存在を背景に、求人倍率の低下や労働コストの低下等が物価下落要因となっていること、また国有企業における過剰生産も物価下落要因であることがわかった。一方、消費の弱さと物価下落との間には統計上有意な関係は見出せず、99年当時の景気が物価下落に与えた影響は必ずしも明らかとならなかった。
●比較的温存されている国有企業の生産・雇用体制
国有企業製品の売れ残り率がデフレの約4割を説明するとの上記分析結果は、この時期のマネーサプライの低い伸び(90〜98年平均:28.1%→99年14.7%)にみられるように、経済の総需要が弱くなっている中で、国有企業が硬直的に過剰な生産を行っている可能性と、国内市場における国有企業製品のシェアはいまだに大きいものである可能性を示唆する。総生産額に占める国有企業の割合は90年代に低下しているが、99年における総生産額に占める国有企業の割合を、輸出の5割を担う外資企業の輸出額を差し引いて試算すると55%(21)となり、国有企業製品はなお国内市場の過半を占めている可能性がある。また、雇用に占める割合(22)は、90年代の生産シェアの低下にもかかわらず、ほとんど変わっておらず(74%(90年)→71%(99年))、国有企業は過剰な雇用を抱えている可能性が高い。さらに、第1節で指摘したように国有企業はいまだに生産活動見合い以上の銀行融資を受けているとみられる。90年代の直接投資流入の拡大が急激であったことに照らせば、国有企業の生産・雇用体制は比較的温存されているとみることができよう。
先に述べたように、90年代に入り外資企業は第3次産業にも進出するなど、国内市場を対象とした活動に広がりをみせているが、製造業においては国内市場向け製品の生産が特に拡大するようなことはみられない。生産に占める輸出の割合は90年代を通じてほぼ一定で推移しており(93年:40.2%→2001年:41.6%(23))、この間、輸出志向型と中国国内市場での販売を目的とした国内市場志向の外資企業の生産活動が同程度に増加したことがうかがえる。この背景には、第2節で指摘した輸出志向の外資製造業企業に対する優遇措置のほか、外資企業に対する外貨収支の均衡要求などの規制が、国内市場志向の外資企業の進出を相対的に抑える役割を果たしたことがあるとみられる。この結果、90年代においては外資企業と国有企業の棲み分けはある程度確保され、国有企業の生産・雇用体制の温存が可能になったと考えられる。
90年代に変貌を遂げた中国経済であるが、このように国有企業の生産・雇用体制は比較的温存されており、これを支えている銀行部門と併せ、改革が必要であることがうかがえる。
●容易でないデフレの克服
上記の分析結果はまた、デフレの克服が容易でないことも示している。
デフレの要因が主として、国有企業による過剰な生産、過剰労働力の存在といった経済の供給面にあり、景気循環的な需要の弱さとの関係が明らかにならなかったことは、99年以来3度にわたり行われている公務員給与の引上げなどの一時的な需要喚起策のみではデフレの解決は困難であり、国有企業の硬直的な生産体制を改めるような供給面における構造的な施策が必要であることを示している。
また、金融政策によるデフレへの対応には限界があることも示唆される。生産が過剰となっている状況下では、金融緩和によって資本コストが軽減されても、新規設備投資需要が喚起されるとは考えにくい。加えて、金融市場の発展が遅れており、金融調節の手段も限られていることは、金融政策による対応を一層困難なものとする。
さらに、過剰な労働力を背景に資本を労働で代替(機械化が可能な工程で労働力を活用)することもみられる中国では、労働コストの低下が金融緩和による資本コスト軽減の効果を小さくする面もあると思われる。
前項では、デフレの要因に関する分析を通じて、過剰な労働力の供給圧力が存在すること、国有企業の硬直的な生産・雇用体制が比較的温存されていることが明らかとなった。WTO加盟にともなって見込まれる国内市場への急激な競争圧力の高まりは、中国経済が抱えるこうした問題点を表面化させる可能性がある。
本項では、WTO加盟の影響を検討した上で、2010年までの中国経済の姿を2つのシナリオに分けて展望を試みる。
●WTO加盟で見込まれる直接投資流入の拡大とデフレ圧力の高まり
2001年に実現したWTO加盟をうけて、中国は輸入関税率の引下げや輸入数量割当等の非関税措置の削減・撤廃に加え、金融・流通等サービス分野における国内市場の開放を含む直接投資受入れにかかる規制の削減・撤廃を進めることとしている。こうした措置は、直接投資の流入を拡大させると見込まれているが、短期的にはデフレ圧力を高める可能性もある。
中国ではこれまで、特に輸出志向の製造業企業を中心に外資企業の誘致を重視し、様々な優遇措置を講じてきた。企業所得税負担を、地方政府による様々な優遇措置も考慮した平均税率でみると、国内企業が25%程度であるのに対し、外資企業は13%程度と約2倍の開きがあるという(24)。しかしながら、WTO加盟にともない、国内の国有企業や私営企業の競争力を強化する必要に迫られているほか、企業形態に依らない公正な競争を確保するとの立場から、こうした外資企業への優遇措置は廃止・縮減される方向にあるとみられる(25)。
WTO加盟にともない、外資企業に対する優遇措置の撤廃・縮減が見込まれることに加え、これまでの外資企業に対する原材料の現地調達要求や外貨収支の均衡要求などの規制が緩和されること、サービス分野の国内市場が開放されることから、今後については、国内市場志向の製造業やサービス業など、より多様な外資企業の進出が見込まれる。また、前節でみたように、安い人件費や消費市場の拡大といった直接投資流入の経済的条件にかかる優位性は失われないとみられ、仮に外資製造業企業への優遇措置が廃止・縮減されたとしても直接投資の流入は拡大することが見込まれる(26)。
今後は、これまで外資企業と国有企業の棲み分けをある程度可能にした条件が失われ、国有企業など国内の企業は急激に競争に晒されることとなる。先に指摘したように、国有企業ではいまだに硬直的な生産を行っているとみられるが、競争圧力の高まりは、国有企業にこうした生産体制の見直しも迫ることとなろう。これまで漸進的に進められてきた国有企業改革によっても大幅に失業者は増加したとみられる(27)が、競争圧力の高まりは過剰人員を雇用している国有企業(28)を中心に、一層の失業者の増大をもたらす可能性がある。
さらに、WTO加盟にともなう輸入関税率の引下げや輸入数量割当・輸入許可等の非関税措置の削減・撤廃は、これまで保護されてきた農業部門を国際競争にさらすこととなる。中国では米、小麦、綿花等主要農産物価格は国際価格を上回る水準に設定されており、農業部門の国際競争力は極めて低いとみられている。さらに、農村は国有企業以上に過剰な雇用を抱えている(29)とみられ、農業部門からも大量に失業者が生じる可能性がある(30)。
WTO加盟にともなう国有部門、農業部門への競争圧力の高まりは、中国経済が抱える過剰労働力の問題を失業問題として表面化させる可能性があり、現在のデフレ的状況はさらに深刻なものとなる恐れもある。
●2010年の中国経済―2つの成長シナリオ
労働力が過剰に存在する中国では、労働生産性が低く、経済成長は資本に大きく依存する。成長会計の手法による既存の実証分析でも、資本の寄与率はおおむね6〜7割となっている。今後の経済成長についても、過剰となる労働力は一層の増大が見込まれることから、資本の動向に大きく依存すると考えられる。特に、90年代の成長に貢献した直接投資流入の動向は重要な役割を果たすと考えられる。
2010年までの10年間の経済を展望するにあたり、まず90年代の経済成長に果たした外国資本(直接投資)と国内資本の役割について、省市別データを用いて推計した(第I-1-15表)。直接投資の流入が急拡大した90年代前半では、外国資本が国内資本の8割(=28.5/36.7)に匹敵する成長への寄与を示している。一方、直接投資流入の伸びに鈍化がみられた90年代後半については、外国資本の成長への寄与は低下するものの、直接投資が生産性を高めたためか、全要素生産性の寄与度に若干の伸びがみられる。
90年代の推計結果をもとに、2000〜2005年と2005〜2010年の2つの期間について、直接投資と国内投資の伸びがともに加速する場合と、直接投資を中心に投資が停滞する場合の2つのシナリオを想定し、経済成長率を試算した(第I-1-16表)。投資加速シナリオに基づくと、2010年までに8〜9%の経済成長率を達成する可能性が充分にある一方、投資停滞シナリオに基づけば、5〜6%にとどまる可能性もあることが示唆される。
なお、中国政府は第10次5か年計画(2000-2005)の成長目標が7%、2010年までにGDPを2000年の2倍(2000年価格)にするとしている。
●WTO加盟を機に求められる一層の市場経済システムの活用
92年の「南巡講話」以降、中国は改革開放政策を加速させ、外資企業を積極的に誘致した。この頃の世界的な直接投資ブームもあり、対中直接投資は急激に拡大し、「世界の工場」と呼ばれるに至っている。
ただし、これまでに誘致された外資企業の多くは輸出志向の製造業であり、国内企業への競争圧力は比較的限定的であったとみられる。90年代末から続くデフレ的状況は、過剰な労働力の供給圧力が存在することと、国有企業の生産・雇用体制が比較的温存されていることを示している。
これまで国内経済の改革は漸進的に進められてきたが、2001年に実現したWTO加盟は、急速な改革の必要性を高めている。貿易・投資の自由化は、競争圧力の高まりを通じて、長期的には中国経済の潜在成長率を高めるとみられているが、短期的には国有企業や農業部門における過剰労働力の問題を失業問題として表面化させ、デフレ圧力となる可能性がある。
今後は、WTO加盟の便益を中国がいかに速やかに手にすることができるかが注目される。そのためには、雇用や銀行融資などの面でいまだ高いシェアを占める国有企業の改革を加速させて競争力を高める一方、私営企業の発展を促して雇用の受け皿を準備しておくことが必要となろう。第1節で銀行融資の国有企業への偏りが私営企業の成長の制約となっている可能性を指摘したが、今後は、コーポレート・ガバナンスが機能する銀行融資体制、株式市場の整備が求められる。また、OECD(31)では財政収支の悪化によるマクロ経済運営の困難化の問題を指摘しており、金融市場を発展させることは、より効果的な金融政策運営手法を確立するとの観点からも重要である。WTO加盟を契機に、さらなる市場経済システムの活用が求められている。