第1部 第2章 第1節 グローバル化に適応する地域の製造業 2. [事例2-5]

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[事例2-5]泡盛(沖縄県)

[グローバル化への対応]

  • 泡盛メーカーの経営体質強化に向けた県外出荷拡大への取組
  • 海外進出による販売市場の拡大

泡盛の出荷量

沖縄を代表する地場産品「泡盛(21)」は、近年出荷量が大きく増加している。90年からの泡盛の出荷量をみると、93年に出荷量が過去最高となり、以来11年連続で記録を更新している。内訳をみると、90年代は県内出荷が全体の出荷量に大きく寄与していたが、99年ごろからは県外出荷量の寄与が徐々に大きくなり、2003年には、県外出荷量の増加の方が寄与している。県外出荷が増加している要因は、沖縄ブームや焼酎ブーム、更には沖縄への観光客増加に伴い、沖縄を訪れた観光客が実際に泡盛に触れ、それが評価されていることなどが考えられる。

県外出荷拡大への取組

泡盛は、2007年に県内出荷に限り酒税が35%軽減される復帰特別措置法(22)の優遇措置が切れることから、業界では収益の悪化が懸念されている。メーカーの経営体質を強化するため、沖縄県や泡盛業界は、県外出荷量を拡大するための様々な取組を行っている。

まず、これまで沖縄県酒造組合連合会が行っていた泡盛のPR活動に対し、2004年度から沖縄県が支援することになった。総額約1,400万円の予算を県と酒造組合連合会とが負担し、雑誌等に沖縄の歴史、食文化等を紹介する広告を掲載する。

また、県外での販売拡大には、品質に関し消費者の信頼を得ることが重要であるため、酒造組合連合会は、県外の人からも不満の多かった「古酒」の年数表示等について、2004年6月から大幅に基準を改定し、厳格化した。例えば、これまで「古酒」の年数を表示する場合、3年以上貯蔵した泡盛が51%以上入っていれば、貯蔵年数に応じて5年もの、10年ものと表示できたが、新基準では、全量が表示年数以上貯蔵したものでなければ、年数を表示できなくなった。

海外進出

県外出荷が大きく伸びる中、海外に目を向ける酒造所もみられるようになった。比較的規模の大きな酒造所の中には、新たな市場を求めて海外に泡盛を出荷するところが出てきている。出荷先は、中国やアメリカなどで、主に飲食店やスーパーなどで販売されている。

また、海外に進出して泡盛を製造しているメーカーもある。以下では、沖縄で唯一泡盛の海外生産に乗り出したN社の事例を紹介する。

地図

N社は、沖縄県那覇市にある泡盛の製造、販売を行う酒造会社である。94年に、香港、台湾、タイの企業と共同出資し、中国内モンゴル自治区で合弁会社を設立、ウランホト市に泡盛工場を建設した。

中国進出の理由

泡盛はタイ米を使って製造されるが、同社は他の米を自由に選択してタイ米とは違った風味の泡盛を作ってみたいという思いから、海外生産のチャンスを探していた。進出先としては、タイやベトナムといった東南アジアの米の取れる地域も考えていたが、中国で米のビジネスを行っている人と偶然に知り合い、また中国内モンゴルで栽培される無農薬のジャポニカ米との出会いがきっかけとなり、海外進出する運びとなった。

内モンゴル工場の概要

工場の面積は、300坪、従業員数は50人弱で、日本人は1人である。他はすべて現地採用しており、日本人従業員は、技術や財務の管理を行っている。工場で使用する蒸留機などの制御装置や発酵装置、顕微鏡などの研究機材といった、泡盛を製造する上での重要な機材は日本から運び、他はできる限り現地で調達した。

内モンゴルで作る泡盛は、現地で生産される無農薬で栽培されたジャポニカ米を原料にしており、日本でも販売されている。

内モンゴルに進出して

進出に際して苦労したのは、現地従業員の仕事の方法や仕事に対する考え方が日本と違うことから、日本式の仕事のやり方が定着しなかったことである。一つ一つ仕事を教えていくという地道な努力の末、工場稼働後10年経った今では、それもかなり定着してきた。

また良かった点は、モンゴルという土地柄から来るイメージ(大草原、純朴な民族など)とタイ米で作るものと風味の違う泡盛ができたことで、日本人の受けも良いことである。

海外販売

中国では、北京、上海、大連を拠点に販売活動を行っている。日本人相手の居酒屋やレストラン等が主な受入先となっており、内モンゴル産の泡盛は、3割を中国、7割は日本で販売している。将来的には、中国での販売割合を7割まで高めたいとのことであった。

また、中国以外の国ではハワイ向けにも泡盛の販売活動を行っており、今後はスウェーデンでの販売も予定している。

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