第3節 金融・資本市場の動向と背景
実体経済の回復傾向にもかかわらず,金融関連の指標にはこれらの動きを明確に反映する動きがみられなかった。昨年来の金融指標の動きをみると( 第1-3-1図 ),金利については,短期金利はおおむね横ばいで低位安定するなか,長期金利は昨年後半から本年初にかけて1%ポイント程度低下し,長短スプレッドは縮小した。また,マネーサプライの伸びについては,その代表的指標であるM2+CD(平残,前年比)でみると,96年は年初から伸びを高め,6月に3.8%となったが,その後,徐々にその伸びが低下し,97年3月には一時的に2%台となった。また,M2+CDに郵便貯金等を含むやや広い概念(広義流動性)でみても,96年6月を境に伸びが鈍化し,97年入り後は3%台後半で推移している。さらに,株式市場については,4月以降に値を戻したとはいえ,昨年末から年初にかけては大幅な下落がみられた。
本節では,こうした金融面の指標の動きが,どのような要因によってもたらされ,それが何を意味するかを検討してみる。
1. 金利の動向
(金利と実体経済)
金利の動きには,それが実体経済に対して影響を与えるという側面がある一方,特に長期金利には実体経済の動きが反映するという側面がある(最近の金利低下が実体経済に与える影響は第4節で詳述)。すなわち,長期金利はその時々で振れはあるが,その水準は,理論的には,短期市場金利や海外金利との影響を受けつつ,将来にわたっての投資収益率,期待インフレ率に基づいて決定されるものだからである。
ちなみに,実際の長期金利変動が経済実態を反映しているかをみるために,政策金利と連動する短期金利との間のスプレッドをとって,鉱工業生産指数の先行き伸び率との関係をみると,両者の間に有意な関係を検出することができる(注1)
(リスクプレミアムの存在)
昨年後半から本年初めにかけて長期金利が低下し,長短金利差が縮小したが,現時点では,必ずしもこれらの動きが景気の先行きを予測していたとはいえない。そこで,昨年末から今年の3月ごろまでの金利データをやや詳しくみると,オーバーナイトコールレートが安定した水準に保たれるなか,譲渡性預金金利(3か月)もおおむね横ばい圏内で推移し,この間,短期国債(3か月)の発行金利との間に差が顕在化することとなった(注2)。このことは,安全資産である国債との間にリスクプレミアムが存在することとも考えられる。こうした安全資産へのシフトが投資家の資産運用難ともあいまって,短期及び長期の国債金利が低下する一因となった可能性がある。
また,公社債市場では,長期国債の利回りと金融債の利回りがともに低下しているが,両者の間に差が存在したことは事実である。なお,財政再建にむけて国債発行の減額が予想されることも,需給面から利回りの低下(債券価格の上昇)圧力となっているといわれるが,我が国の場合,時系列データからはこの点について明確な結論は得られない(注3)。
このように年初にみられた国債の利回り低下による長短金利差の縮小は,市場において,消費税率引上げ等を背景に景気の先行きについての見方が慎重化したことのほか,我が国経済の構造問題が意識されたことを反映していたものと考えられるが,4月以降,景気回復の足取りが確認され,金融機関の不良債権問題の処理が進むなか,長期金利は再び上昇に転じ,長短金利差も拡大した。
2. マネーサプライの伸びの低下の背景
(マネーサプライ変動の背景)
マネーサプライ(M2+CD)についても,実体経済が回復していくなかで前年比3%台の伸びを続けているが,本年に入りその伸びは幾分低下している。M2+CDの短期的・小幅な振れは必ずしも景気の先行きと一対一の対応関係があるとは限らないが,M2+CDは名目GDPに先行することが知られており(注4),このことをもって,M2+CDの伸び率鈍化が景気の先行き後退を予見しているという見方もある。
そこで,こうしたマネーの動きの背景をみるために,まずマネー指標のうちマネタリーベースの推移をみると(第1-3-2図),95年の秋口から日本銀行による一段の金融緩和措置を受けてその伸びが大きく高まっており,96年後半その伸びが鈍化したとはいえ,依然として高い伸び率となっていることが分かる。このことは,マネーサプライの低迷が政策的なものではなく,むしろ信用乗数の低下に起因しているということを意味する。
M2+CD(末残ベース,以下同じ)は96年の4~6月期にピークとなった後,7~9月期には伸びの鈍化がみられるが,通貨保有主体のバランスシートの動きからM2+CDの動きを分析してみると,その一つの要因として,金融負債,つまり企業や個人等による資金調達の伸びが低下していることがみてとれる(第1-3-3図)。つまり,借入れの伸びが鈍化することによってマネーサプライが鈍化し,その結果信用乗数が低下したといえる。これを企業の側からみれば,設備投資を拡大させたものの,資金面でおおむね自己資金の範囲内にあったということが,実体経済の回復と貸出しの低迷という相反するような関係になったと考えられる(注5)。
もっとも,M2+CDの動きをやや長い期間でみると,金融負債の寄与は95年半ばをピークに低下したが,M2+CDはその後96年4~6月期までむしろ伸びを高めた。これには,M2+CD対象外資産からM2+CD対象資産へのいわゆる「シフトイン」(注6)と中央政府純支払の伸びがM2+CDの伸びを高める方向に寄与している。「シフトイン」は必ずしも実体経済の動きに直接結び付くものではないが,中央政府の純支払がここ数年来の経済対策の下でM2+CDの安定的な押上げ要因であったことは注目すべきである。今次回復過程では,実体経済が足踏みを繰り返すなか,M2+CDは緩やかに伸びを高め,その後96年4~6月期をピークに伸びを鈍化させたが,この動きは中央政府純支払の変動によってある程度説明されるのである(コラム「バランスシートからみたマネーサプライ」参照)。
(バランスシートからみたマネーサプライ)
マネーサプライの統計量のうち,代表的な指標であるM2+CDは,民間非金融部門(一般法人,個人,公団・地方公共団体…通貨保有主体という)が保有する金融資産のうち現・預金が集計されたものである(図参照)。資金循環は,すべての経済主体の金融資産と負債がバランスする形で成り立つものである。したがって,M2+CDが変動した場合,必ずそれ以外の金融資産・負債,あるいは通貨保有主体以外の経済主体の金融資産・負債の増減の差額(資金過不足)の変動を伴う。このように,M2+CDの変動をその裏側で生じるバランスシートの変動から分析する方法は,「通貨保有主体のバランスシート・アプローチ」と呼ばれる。本文では,M2+CDの前年比をM2+CD対象外の金融資産,金融負債及び金融部門資金過不足,中央政府純支払,海外部門資金過不足のそれぞれの変動と対応させている。
また,下図の通貨保有主体の定義にあるとおり,中央政府が通貨保有主体外であるのに対し,公団や地方公共団体が通貨保有主体である。そこで,公的部門の影響を厳密に把握するためには,後者の保有するM2+CDを控除した純民間保有の「M2+CD(民間)」とそれに対する公的部門純支払の寄与度をみる必要がある(付図1-9参照)。
なお,こうしたアプローチは,マネーサプライの変動を実体に即した形で説明できる一方,資金循環表の公表を待たなければならず,足元の動きを分析できないという欠点がある。
(経済活動とマネーサプライの関係の安定性)
マネーサプライが実体経済にとって重要な指標である理由は,各種経済活動の決済等にマネーが必要であり,こうしたマネーの必要性(取引需要)は経済活動と一定の関係があると考えられるからである。実際,マネーとGDPとの間には,両者振れを伴いながらも長期的には均衡関係にあるということが統計的に証明されている(注7)。
しかしながら,同額の付加価値を生み出す経済活動でも,必要なマネーの数量は経済活動の種類や性質と無関係ではない。新たな経済活動が銀行借入とその資金を元手とした支出行為から展開されるならば,教科書的な信用創造が行われるが,必ずしもそのようなケースばかりではない。例えば,バブル期における土地や株式の取引には,銀行等からの借入れが伴ったことから,マネーに対する需要は拡大したが,今日のように,設備投資支出が企業のキャッシュフローの範囲内でなされるならば,それ自体は貸出し(=預金)の増加に結び付かない。つまり,民間の多様な経済活動は,マネー需要との関係にも振れをもたらす可能性がある。
また,公的支出については,資金の調達先・方法により最終的にマネーサプライに与える影響は異なるものの,非通貨保有主体である政府から,保有主体である企業等に資金が提供されるとの観点から,公的支出の時点だけに着眼すれば,マネーサプライに確実に影響を与えるものである(注8)。
そこで,民間支出,公的支出の1%の増加がM2+CDに与える影響についてタイムラグをもたせて分析すると,影響の大きさは民間支出の方が大きいものの(絶対額では公的支出の4倍程度),ラグに限ってみると,公的支出の増加は期初にかなり影響する一方,民間支出の場合は,やや遅れてその効果が現れるという傾向をみてとることができる(第1-3-4図)。これは,公的支出が支払段階に限ってみれば,マネーの残高に直接影響し,その後民間の貨幣需要に波及する一方,民間支出は,投資や消費といった波及プロセスの中で貨幣需要が徐々に高まるという姿と整合的である。
つまり,ここでの分析結果は,M2+CDを経済活動を反映する指標としてみる場合,実体経済における支出主体に注目する必要があることを示している。そして,昨今のM2+CDの伸び率鈍化についていえば,金融機関からの借入れが伸び悩んでいるといった民間支出要因もあるものの,マネーとの関係がより直接的であると分析される公的支出の動きが一因となっている。さらにマネーサプライの変動には,実体経済の動きに直接結びつかない「シフトイン・アウト」といった要因があることをかんがみれば,昨今の民需を中心とした景気回復という実体経済の動きとマネーサプライの伸び率鈍化は必ずしも矛盾したものではないということになるのである。
ただし,これは同時に借入依存度の高い不動産業,中小企業の一部等が,依然として低迷しているということも表しているかもしれない。すべての産業が満遍なくその活動を活発化させているならば,そこには通貨需要の高い業種も含まれるであろう。その意味で,昨今のM2+CDの動きからは,景気は回復しているものの,その広がりになお限度があることを示しているとも考えられる。
3. 不安定な動きを続けた株価
(株価変動とその背景)
株価については,4月以降値を戻しているが,昨年末から年初にかけては大幅に下落した。このとき,実体経済は確実に民需主導の回復過程を進んでおり,これもまた実体経済との関係で議論となった。株価が理論通り,企業の期待収益の割引現在価値によって決定されているならば,低金利が持続し,企業収益が回復しているなか,株価の着実な上昇がみられてもよかったはずである。
現実の株価と理論のかい離は様々な観点から説明がなされているが,主なものとしては①企業の期待収益が表面上に現れる企業収益に比べて悲観的である,②我が国における株価形成が実体経済を十分反映していない,という可能性や,③いわゆる「ケインズの美人投票」といった点が考えられる。
まず,企業の期待収益についていえば,今回の株価の変動過程においては,業種別,さらには個々の企業によって,動きがかなり異なっているという点が特徴的である。すなわち,業種別にみると,国際的な競争力が高く,足元の収益が極めて高い輸送用機器や電気機器は堅調な株価を維持する一方,不良債権問題等によってバランスシート面から収益の順調な回復が望めない金融,建設部門において株価を下げる姿がみてとれる(第1-3-5図)。
しかし,株価形成については,構造的な要因から,単純な理論モデルが当てはまらない可能性は高い。我が国の株式市場は,その保有主体からみても分かるとおり(注9),個人による所有比率が低い一方,金融機関や事業法人による保有比率が高く,株式投資には,持合いといわれるような中長期的な企業間の政策的な要因が影響する。
さらに,短期的なキャピタルゲインをねらった株式投資家にとっての最大の評価基準は,企業のファンダメンタルズというよりも,むしろ他の投資家の評価であり(いわゆる「ケインズの美人投票」),このため,株価が短期的には実体経済を反映しない可能性があるということはかねてより指摘されているところである。
こうしたことを考え合わせると,株価をみて単純にマクロの景気の先行きを判断することは適切ではない。ただし,業種別や個別企業の問題はある程度株価に反映されていると考えられ,株式市場がバブル崩壊によるバランスシート調整といった構造問題に対して情報を発信していることは確かであろう。近年,外国人投資家が増加するなかで,国際標準にのっとった投資尺度も普及し始めており,企業活動について株式市場が発する情報の役割は高まっている。
(株価が実体経済に与える影響)
株価の変動と実体経済の関係は,後者が前者に反映されているかどうかという点とともに,前者が後者に影響を与えるというフィードバックが問題となる。すなわち,株価の下落が経済主体の支出行動に与えるケースとしては,①家計の保有する株式の資産価値が下落することによって,消費が抑えられるルート(いわゆる「資産効果」),②株式の投資収益率が低下することによって,時価発行増資が困難になったり,転換社債等の利率が上昇して設備投資コストが増加し,設備投資が抑制されるルート,③金融機関の保有する株式含み益が減少し,バランスシートが悪化することから,貸出しが抑制され,間接的に設備投資が抑えられるルート,等が指摘されている。
そこで,まず消費の資産効果について,関数推計による分析を行うと,株価の動きと消費行動の間には安定的な関係は見出せなかった(注10)。しかし,これを所得階級別にみると,保有資産の多い高額所得の階級において株価の効果を弱いながらも検出することができ,一定の資産効果が存在する可能性もある。
次に,設備投資への影響のうち,上記②について,上場企業347社のパネルデータを使って,株式価格とエクイティ・ファイナンス,設備投資の関係をみると,株価が1割程度低下した会社でも,1~2ヶ月後に転換社債の発行や時価発行増資が実施されるケースは少なくないが,年初にTOPIX指数が2割以上も低下した95年は,年央のこれら資金調達はほとんどみられず,株価がエクイティ関連の資金調達に影響を与えていることが実証される(第1-3-6図)。ただし,同じくパネルデータを使って資金調達と設備投資の関係をみると,エクイティ・ファイナンスの有無で設備投資実積に変化があるわけではなく,その限りでは,株価の変動によって設備投資が資金面から影響を受けるという結論は導けない(注11)。このことは,上場企業のような大中堅企業において,資金面の制約がさほど厳しくないということが反映されているものと考えられる。
また,③のルートの存在については各方面で議論が分かれているが,金融機関の不良債権比率や自己資本比率と貸出しの伸び率の間にはっきりとした関係が実証されていない以上(注12),株価低下の影響としてこの点を強調することはできない。ただし,株価の動きは金融機関の自己資本に大きな影響を与えることは,留意する必要があろう(この点については第6節で詳述)。
(金融指標の動きが意味するもの)
本年初めにおける金融指標の動きは,実体経済が着実に回復過程にあるなか,様々な議論を呼んだ。これらの動きは,市場において景気の先行きに対する見方が慎重化したほかに,バブル崩壊によるバランスシート調整といった構造問題が改めて意識されたことを反映した面もあった。実際,4月以降,金利,株価等は上向いてきており,構造問題を織り込んだうえで,景気回復への確信の高まりが反映されるようになっている。ただし,株価における業種間の二極分化は解消されておらず,金利も歴史的にみれば極めて低い水準で推移している。金融・資本市場は短期的な変動が激しいが,金融指標が,我が国経済の構造問題に警告を発し,その改革を迫っているということを真摯に受け止める必要があろう。