第2節 グローバル経済の中での日本の景気回復
今回の景気回復過程は,輸出入や為替レートの動きによって大きな影響を受けた。回復期当初は急激な円高と外需のマイナス,さらにそれによる先行き不透明感が,バブル後遺症を抱える日本経済の景気回復テンポを一層スローなものにした。95年後半ばから円レートが低下に転じ,1年ほどのタイムラグを伴って外需へのプラス効果が現れ,景気回復基調を底堅いものにした。この間世界経済はアメリカやアジア諸国を中心に総じて拡大基調にあり,日本と欧州諸国が遅ればせながら次第に回復基調を強めてきている。アメリカはドル高の下輸入物価の低下と資本の供給にも助けられ,長期にわたってインフレなき景気拡大を続けてきた。一方,日本は民需の回復を続けるなか外需の寄与も好転し景気回復を確かなものにしてきた。また,欧州(大陸諸国)では外需が景気回復のけん引力となってきた。こうした見方は世界経済の一つの可能な構図といえ,今のところ対外バランス等の面からはその持続性に大きな問題は出ていない。他方,ドル高はアジア諸国の通貨を高めることにより,アジア経済の対外競争力に影響し,これまで高い成長を続けてきたこれらの国・地域の景気にスローダウンをもたらしている。
1. 円レートの変動と景気
(円レートの変動)
円レートは95年4月に1ドル=約80円となった後は円高是正が進み,特に96年末からのドルの全面高を受けて,円安基調で推移し,97年5月初に127円台をつけた。しかし,その後円は逆に主要通貨に対して全面高となった。 95年半ばからの円安基調の背景として次の点が指摘できる。第一に,経常収支黒字が大幅に縮小してきたことである。93年にはGDP比3.1%に達した日本の経常収支黒字は,その後の輸入の拡大によって急速に縮小し,96年には1.4%となった。第二は,アメリカ経済の好調に加え日本の実質長期金利が低下し日米の実質金利差が拡大したため,対米ドル建て証券投資が拡大したことである。第三に,日本経済の先行き不透明感や日本市場の透明性に対する疑問が高まっていたことである。
長期的にみれば,名目為替レートは各国通貨の購買力の比率で決まる購買力平価(PPP)に収れんしていく(第1-2-1図①)。しかし中期的には内外金利差等投資収益率の違いが資本移動の動因となり,また対外純資産の蓄積は外貨建て資産を持つリスクを拡大するため,そのリスクプレミアムが高まる分為替レートも増価することから,名目為替レートを購買力平価から円高方向へかい離させると考えられている。この両者の動きをみると(第1-2-1図②),内外実質金利差の拡大は円安をもたらす要因となっているとみられる一方,経常収支黒字の累積による対外資産蓄積や日本の貿易財の価格競争力の強まりは依然として円高要因であるとみられる。この二つの要因で円の対ドル実質為替レートを説明する推計式では,95年半ばまでの円高局面とそれ以降の円安局面において推計値と実積値の間にかい離がみられる(第1-2-1図③)。やはり経済や金融情勢に対する為替市場の評価が大きな影響を及ぼしているのであろう。
(円安の日本経済への影響)
95年央から円安基調に転じたものの,外需はその後1年ほど成長率にマイナス寄与を続けた。これは後に述べるように輸出入数量が相対価格変化にかなりのタイムラグをもって反応するためである。他方,円安による輸入価格の上昇は直ちに現れるので,円安当初は成長率に対する価格面のマイナス影響が出て,次第に数量面のプラス効果が出てきたと考えられる。
円安が国内マクロ経済に与える影響を整理すると,まず,プラス効果として,①輸出数量増,輸入数量減により,実質純輸出が増大し,実質GDPを増加させる,②円建て輸出価格上昇により輸出産業の企業収益の増加をもたらし,設備投資等国内需要を増加させる,③国内産業の海外移転圧力を軽減させる,等が考えられる。
他方,マイナス効果としては,①円建て輸入価格を上昇させることにより,国内物価を上昇させたり,輸入原材料に依存する産業の利潤圧縮をもたらし,実質GDPを減少させ(交易条件悪化効果,国内実質購買力の海外流出),さらに②国内物価上昇が長期金利の上昇につながる場合,内需減少要因となる,③将来も円安が続くと予想されれば,外貨建て資産を保有することでキャピタルゲインが得られるから,資本の対外流出を促進し,長期金利を上昇させて内需を減少させる,④仮に長期的には競争力を反映した均衡為替レートに沿って為替レートが動き,貿易財産業の調整や海外展開が進んでいくとすれば,短期的な過度の円安は産業調整プロセスを逆転させ,将来にわたって二重の調整を強いる結果となる可能性がある,等が考えられる。
今回の円安局面においては,97年初めごろまでマイナス効果を強調する声が多かった。これは,96年年末から97年年初にかけて円安が株価下落と一緒に起こったことによる「日本売り」といった悲観的な見方を反映していたものと考えられる。また,95年半ばに円レートが低下し始めてからも1年以上輸入の増加と輸出の鈍化が続き,数量効果がなかなか現れなかったことも影響したものと考えられる。このような動きをみるために,国内所得の伸びを示す名目GDP成長率のうち,内需拡大による部分,交易条件変化による効果,輸出入数量変化の効果が,それぞれどの程度寄与したかをみる(第1-2-2図)。これによれば,96年4~6月期までは95年央までの円高の影響が残って輸出入数量は名目GDPにマイナスに働き,円安による交易条件悪化の影響とあいまって,円安転換による景気へのプラス効果が現れていなかったとみられる。96年7~9月期になってようやく数量効果はプラスに転じ,交易条件効果のマイナスを上回って,所得増加要因となっている。したがって,外需が所得増加要因となるまでには,円安基調に転じてから1年以上かかったといえる。
(円安と物価動向)
景気回復テンポが緩やかななかで,国内的には物価が上昇する要因は大きくない。しかし円安の進行の物価への影響は注意を要する要因であった。
国内卸売物価の推移をみると,95年半ばからの円安の進行により輸入物価は上昇しているにもかかわらず,国内卸売物価はやや弱含みで推移した。国内卸売物価の前年同期比の変動を要因分解すると(第1-2-3図),生産コスト要因である損益分岐点売上高比率(注1)については,生産の増加や企業のリストラの進展等を反映して94年10~12月期以降物価押し下げ要因となっており,また,グローバル競争要因である輸入数量についても海外からの競争圧力を反映して物価押し下げ要因となっている。しかし,96年1~3月期までマイナスに寄与していた輸入コスト要因である円レートが4~6月期以降プラスの寄与へと転じ,その幅も大きくなっている。又需要要因である稼働率も,内外需の回復に伴ってプラスに寄与するようになった。
このように,これまで前年同期比で下落を続け,やや弱含みで推移していた国内卸売物価は,その下落幅を縮小し,ほぼ下げ止まっている。そのうち,輸入コスト増に直結するエネルギー関連や非鉄金属等は上昇する一方,国内外の競争にさらされ技術革新の活発な電気機械,半導体,自動車等機械類で下落が続き,両者が相殺しあう形で安定している。なお,4月の国内卸売物価は3月に比べ1.9%上昇し,消費税率引上げ分はほぼ適正に転嫁されたとみられる。
(消費者物価の安定続く)
輸入物価が上昇するなど,コスト上昇圧力があるが,消費者物価への影響は限られたものとなっている。消費者物価の動向をみると,生鮮食品については前年度の下落から上昇に転じ,生鮮食品を除く総合についても一般商品の下落幅が縮小しており,総合では95年度の0.1%下落から96年度には0.4%上昇となったが,安定基調で推移している。
消費税率が97年4月から引き上げられたが,97年4月の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合,季節調整値)は対前月比1.4%の上昇となり,消費税率引上げ分は製品・サービス価格におおむね適正に転嫁されたといえよう。
消費者物価が安定している背景には,生産性上昇や利幅の圧縮が起こっていることにより物価上昇圧力が相殺された面がある。一般商品の消費者物価とほぼこれに対応する消費財の卸売物価の変化率の動きをみると(注2),93年10~12月期に下落に転じた消費者物価の下落率が95年10~12月期には卸売物価の下落率を超え,その後かい離幅は拡大しており,特に耐久消費財でその傾向が強い。このことは小売段階でのマージン率圧縮の可能性を示唆するものであり,流通の効率化や競争活発化を反映したものであると考えられる。
2. 日本の景気と世界経済
(縮小から横ばいに転じた対外黒字)
日本の対外バランスは円高期を通じて黒字が急速に縮小してきた。貿易・サービス収支の黒字幅は95年まで縮小した後,96年からは円安の進行にもかかわらずおおむね横ばいで推移している。経常収支黒字のGDP比は93年の3.1%をピークに低下して96年1.4%と82年以来の低水準となり,四半期で見ても96年10~12月期は1.5%,97年1~3月期も同程度となっている。
96年下半期から輸出数量が強含みになり,輸入数量が上げ止まって,実質外需がマイナスからプラスに転じたにもかかわらず,対外黒字が横ばいなのは,円安による円建て輸入物価の上昇,いわゆるJカーブ効果と,原油の国際価格の上昇によるところが大きい(第1-2-4図)。輸入についてみると,数量は96年半ばからおおむね横ばいとなっているが,価格が上昇しているため,輸入金額は引き続き増加している。他方輸出は,数量面では強含みで推移しているが,円建て輸出価格の上昇が必ずしも大きくないことから,輸出金額は輸入金額に比べ緩やかな伸びとなっている。
最近は,為替レートが円安から円高に転じた。また,原油価格も安定してきた。したがって,Jカーブ効果における価格面の影響も次第に出尽くし,輸出金額の増加が貿易・サービス収支の黒字幅をある程度拡大させることは避けられない。ただし,もう少し長い目でみると,次のような輸出入に関する状況変化がみられ,今後の輸出入動向にも影響を及ぼすと考えられる。
まず,輸出入数量の為替レート等相対価格の変動に対する感応度は低下している可能性がある。輸出入数量関数を推計してみると,80年代前半に比べ,80年代後半以降は輸出の価格弾力性は半分程度に下がっており,また輸入の価格弾力性も日本企業の生産拠点の海外展開を考慮した場合には若干の低下がみられる(第1-2-5図)。こうした変化は,企業による生産活動の国際的展開や,日本市場のグローバル化といった構造変化が背景になっていると考えられ,製造業での国内生産から海外生産へのシフトや部品・資本財輸出の高まり等により,輸出数量が為替変動に影響を受けにくくなっているものとみられる。輸入についても,海外生産の増加による逆輸入増から,近年は為替変動の影響が小さくなっており,この変化はやや長期的なすう勢と考えられる。
これに関連して,今回の円安局面でも輸出数量が増加したが,これは国内の余剰設備能力を稼動させることによって賄われてきた。いまや日本の主要輸出産業は高い稼働率水準に達している。例えば自動車産業は,消費税引上げ前の駆け込み需要もあった97年1~3月期には国内需要と輸出需要とを同時に満足させることはできず,輸出の多くを消費税率引上げ前の97年初及び引上げ後に移したとされる。仮に円安が続き輸出需要が増加した場合,これらの企業は海外での能力増強投資を拡大するか,国内での能力増強を行うかの選択に迫られよう。しかし,これら企業は既に生産基盤をグローバルに展開しており,国内で輸出向け生産能力を拡張していく場合は為替リスクを伴う。企業向けの各種アンケート調査によっても,円安の場合にも企業は海外展開を続けるというところが多い(注3)。こうして,円安が進めばその分だけ純輸出数量面での景気押上げ効果が拡大していくとは必ずしも言い切れなくなっている。
さらに,より長期的にみれば工業製品輸入の拡大の余地はまだあると考えられる。日本の製品輸入浸透度(国内需要に占める輸入の割合)は90年の7.3%から特に93~95年の製品輸入数量の急増によって95年には8.2%に上昇したが,なおアメリカ等に比べて低く,内需の回復に伴って更に上昇していくと期待される。
(アメリカの景気拡大と日欧)
日本の対世界貿易・サービス収支が横ばいとなっているなかで,対米貿易収支差は,97年に入って前年比増加の兆しがみられる。これは対米輸出金額が96年後半から,自動車を中心に増加していることが主因となっている。
対米貿易黒字がある程度拡大することは,日米両国の景気局面とこれまでの円ドルレートの動向から見てやむを得ないと考えられる。そもそも,アメリカは91年春の景気の谷以来,6年以上にわたって景気拡大を続けてきており,97年4月には失業率が5%を下回るなど,従来であれば景気が過熱状態にあるといってもおかしくない状況である。3月にはアメリカ連邦準備制度理事会は,3月には2年2か月振りに短期金融市場の需給引締めを通じ,FFレートの上昇を促した。
こうした状況で,アメリカのインフレ率が落ち着いているのは,国内経済における生産性上昇とともに,職確保への不安や,ドル高の下で輸入物価が低下し財輸入の増加による外国製品との潜在的競争が価格や賃金の引上げに対する歯止めになっていることがその一因との見方もできよう。もっとも,アメリカのサービス貿易収支は依然堅調で,貿易・サービス収支や経常収支がGDP比で特に悪化しているわけではなく,その面から景気拡大の持続性に直ちに問題が出ているわけではない。
他方,日本と欧州大陸諸国は,景気回復過程にはあるものの,日本ではバブル期の後遺症が重荷となり,欧州では通貨統合のための財政赤字削減に取り組む必要があるなど,内需の回復テンポは緩やかであった。対ドル為替レートの低下により,日本では外需がそれまでの大幅なマイナス要因から96年下期にはプラス要因に転じ,景気回復の助けになった。またドイツでは96年下期には外需の成長寄与度が大幅になっている(第1-2-6図)。
こうして,ドルの独歩高とアメリカのインフレなき拡大の持続の下で,日欧の外需がある程度増加し,景気回復の下支えに寄与してきた。5月に入ってから円レートは上昇したが,必ずしもドル安になっておらず,ドルは欧州通貨やカナダ,中南米などの通貨に対しては依然として高い水準で推移している。
(アジア諸国の景気スローダウン)
米ドルの日本円等主要通貨に対する上昇は,それと多かれ少なかれ連動するアジアNIEs,ASEAN諸国等の通貨高を招き,これら諸国・地域の貿易財の価格競争力を低下させてきた。第1-2-7図が示すように,ASEAN諸国の実質実効レートは,米ドルと歩調を合わせて95年秋から上昇している。ただし,台湾は米ドルと連動関係になく,韓国は96年夏以来米ドルとの連動から切り離され,むしろウォン安に転じた。
総じて通貨高の結果,これら諸国の輸出は総じて伸びが鈍化し,韓国,シンガポール,インドネシア,タイ,マレイシアでは景気の減速,ないし景気拡大テンポの鈍化が見られる。
日本の対アジア輸入も,数量ベースでは伸びが鈍化し,特にアジアNIEsからの輸入数量は96年下期には前期比減少に転じている。他方,アメリカへの輸出においては,アジア諸国・地域は特に競争力を低下させているとはいえない(注4)。なお,アジア経済の減速により,96年に入ってからは,日本の対アジア輸出もやや伸びが鈍化している。
しかし,アジア諸国・地域の経済は経済改革を進めており,今回の為替増価をきっかけに更に効率化を進め,より競争力のある経済をつくっていくと期待される。我が国も,国内民間需要中心の自律的回復をより確かなものとすることにより,輸入を一層拡大し,アジア太平洋経済の動態的発展を一層堅固なものにすることが望ましい。