第1節 日本の価格競争力
円高は我が国企業の「国際競争力」にどの程度の影響を与えているだろうか。「国際競争力」という言葉は必ずしも厳密に定義されて用いられているとはいえないが,非価格競争力(品質,デザイン,納期,決済条件など)を別にすれば,自国と外国のそれぞれの自国通貨建ての相対的価格と為替レートを反映した価格競争力によって影響されると考えることができる。本節では日本の国際競争力の推移を日米間に絞り,両国の製造業の生産コスト,及びそれを構成するコスト構造に則して分析する。具体的にはまず第一に日米の生産コストの上昇率とその要因を比較する。第二に,日本の製造業の生産コストの低下に大きく寄与している中間投入コストのうち,製造業自身と非製造業のどちらがより大きく寄与しているかという点を分析する。また,製造業の中間投入コストの構成を日本とアメリカで比較する。
1. 単位総コストの日米比較
(分析道具)
日米の製造業の生産コスト面からみた価格競争力の比較は日本の自国通貨建ての生産コストを為替レートによってドル換算し,これをアメリカの生産コストと対比するのが最も簡単である。ここでは,日米の自国通貨建ての生産コストを単位総コスト(ユニット・トータル・コスト)でみることにする。なお,単位総コストは付加価値(実質総生産)を1単位生み出すのに必要とされるコスト(単位中間投入コスト+単位労働コスト+単位資本コスト)である。(単位総コストとそれを構成する各コストの算出方法については,付注2-1-1参照)。単位中間投入コストは,更に中間投入価格要因と中間投入原単位要因に分けられる。後者の中間投入原単位は付加価値を1単位生み出すのに必要な中間投入量であり生産効率の逆数である。単位労働コストは賃金要因(雇用者一人当たりの雇用者所得)と労働生産性(雇用者一人当たりが生み出す付加価値)に分解され,さらに,単位資本コストは付加価値1単位を生み出すに当たっての資本設備に対する減価償却費等の要因と純金融費用要因(資本を稼働させるのに必要な費用)に分解される。
このような分析道具を用いて以下においてはアメリカとの比較でみた日本の価格競争力の変化をそれぞれの国の単位総コスト及びその構成要因の寄与度で見てみよう。なお日本の単位総コストについては円建ての場合とドルに変換した場合の両者について見る。
(単位総コストの日米比較)
単位総コストの変化率は日本とアメリカでどのように推移しているのであろうか。まず,日米の製造業の単位総コストをドルベースで比較すると,日本の単位総コストは1986~88年,91~93年の円高期にアメリカのそれを大きく上回って上昇していることが分かる(86~88年平均:日本19.1%,アメリカ0.5%,91~93年平均:日本7.9%,アメリカ1.6%)(第2-1-1図)。特に最近についてみると,91,92年で約6%,93年で約12%という高い上昇率を示しており,その後も円高が更に進んだことから,日本の価格競争力はアメリカに比べて急速に低下していることが分かる(なお,このことは,日米のコストの絶対水準の比較ではないことに注意する必要がある)。
一方,自国通貨ベースでの単位総コストの上昇率で比較すると,日本はアメリカよりもコストパフォーマンスが良い。まず日本では,80年代以降についてみれば,第二次石油危機直後の81年と,バブル期で円安局面であった89年と90年以外は,ほとんどの時期で単位総コストは前年比で低下している(第2-1-2図①)。それに関しては特に単位中間投入コスト低下の寄与が大きくなっている。91年以降についてみれば,単位資本コストと単位労働コストが押上げ要因として比較的高い寄与を示しているものの,単位中間投入コストの大きな低下を反映して全体としては低下傾向にある。これに対して,アメリカの単位総コストは85~87年を除くと一貫して前年比で上昇している(同図②)。その要因をみると,単位中間投入コスト,単位労働コスト,単位資本コストともが総じてプラスに寄与しており,なかでも中間投入コストの押上げ寄与が大きい。特に92年,93年は,単位労働コスト,単位資本コストの寄与度が目立って縮小した一方で,中間投入コストの上昇の寄与が大きい。このように単位中間投入コストの寄与が日米で大きく異なっていることは注目すべきである。
次に自国通貨ベースでの単位総コストの上昇を,価格要因(中間投入価格要因+賃金要因:コスト押上げ要因)と効率化要因(労働生産性要因-中間投入原単位要因:コスト押下げ要因)という観点で日米比較を行うと価格要因,効率要因ともに日本の方がコストパフォーマンスが優れていることが分かる(第2-1-3図)。価格要因によるコスト押上げ寄与は日本は一貫してアメリカより小さい。特に92,93年はアメリカでコスト押上げに寄与しているのに対し,日本ではコスト押下げに寄与している。これは,日本で92年以降,円高を背景としたディスインフレにより中間投入価格が大きく押下げに寄与したのに加えて,景気後退期にあって賃金要因の押上げ寄与が顕著に縮小したのに対し,アメリカでは中間投入価格はわずかながら,また賃金要因は大きくコスト押上げに寄与したことによる( 付図2-1-2①②④⑤)。
効率化要因によるコスト押下げ効果も日本の方がほぼ大きいが,日本においては92,93年にはほとんど寄与しなくなっている。これは中間投入における効率向上が労働生産性の低下に相殺されているからである。すなわち,日本においては86年以外は中間投入原単位要因がほぼ一貫してコスト押下げに寄与しているが,その寄与は89年以降の寄与は僅かではあるが縮小している(同図①)。また,労働生産性は景気後退期の雇用調整が日本では比較的緩やかであったことを反映して,景気後退期に労働生産性が低下することによりコスト押上げ要因になっており,92,93年とコスト押上げに寄与している(同図②)。一方,アメリカでは,92,93年に効率要因の低下がコスト押上げに働いているが,これはアメリカでは日本と対照的に景気の拡大を背景に労働生産性が一貫して上昇しているものの,中間投入において中間投入効率が顕著に低下し,労働生産性の上昇を上回ったことによる(同図④,⑤)。
なお,日本の単位資本コストについては,83~89年の金融緩和期においては金融費用要因がコスト押下げに寄与してきたが,90年,91年の引締めにより,コスト押上げに転じた(同図③)。一方,減価償却費等要因については,景気拡大期に民間企業設備投資が旺盛に行われた(84年11.7%,85年12.1%,88年14.8%,89年16.6%,90年11.4%,いずれも実質対前年増加率,経済企画庁「国民経済計算」による)後の景気後退期には設備の償却負担(減価償却費の増大)がコスト押上げ要因となっている。92年以降については,景気低迷が長期に渡ったなかで,バブル期に積み上がった設備の償却負担が単位資本コストを大きく押し上げている状況を示している。
以上をまとめると,日本のコストパフォーマンスはアメリカより総じて優れている。92,93年についても日本では中間投入における価格の低下と投入効率の改善が労働生産性の低下と設備の償却負担を上回った結果,コスト低下をもたらしたのに対し,アメリカでは中間投入効率の低下と賃金上昇によりコストパフォーマンスは日本より劣っている。こうした日本の優れたコストパフォーマンスにもかかわらず,90年以降の円高はドルベースでみた日本の価格競争力の顕著な低下をもたらしている。
2. 製造業の中間投入構造でウエイトを高めている非製造業
1でみたように,日本では総じて中間投入コストを低下させることで単位総コストの低下を実現してきた。ここで,産業連関表を用いて我が国製造業の中間投入構造を分析し,製造業部門からの中間投入と非製造業部門からの中間投入の動きを比較する。80~85年と85~90年について単位中間投入コストの上昇率を要因分解すると,両期間とも製造業部門,非製造業部門双方ともコスト引下げに寄与したが,製造業部門の寄与が圧倒的に大きい(第2-1-4図①)。製造業部門自身からの中間投入コストの低下は80~85年でみると専ら生産効率の向上で説明できる(同図②)。85~90年は効率化要因は顕著に鈍化したが,円高の影響等により価格要因が大きくコスト引下げに寄与した結果,80~85年に比べて低下率が大きくなっている。ー方,非製造業部門からの中間投入コストについてみると,80~85年では効率化要因により低下しているものの,価格要因が押上げる方向に働いている(同図③)。85~90年は価格要因はコスト引下げ方向に働くようになったものの,効率化要因が大きく鈍化したため,コスト低下率がやや小さくなった。
以上をまとめると,85年以降の我が国製造業の中間投入コストの低下は製造業部門自身からの価格要因の寄与が大きい反面,非製造業部門については価格要因,効率化要因とも,中間投入コスト低下に対する貢献は製造業に比べてはるかに小さかったといえよう。特に留意すべき点は非製造業部門の効率化要因の改善が85年以降鈍化していることである。
それでは,製造業の中間投入構造において非製造業はどの程度の割合を占めているのだろうか。ここでは,日米の産業連関表から製造業の中間投入構造における名目ベースの業種別構成比を過去の3時点において見てみよう(第2-1-5図)。なお,日本の産業連関表においては製造業部門自身の卸売が製造業に含まれているのに対し,アメリカにおいてそれは卸売業部門に属するとされているため,日本の製造業比率が高めに,卸売業の比率が低めに出ている可能性があるなど構成比の単純な比較は適切ではないと思われるので,主として日米それぞれの時系列的変化を見ることにする。日米共に製造業が約6割と最大の部分を占めるが,非製造業の比率が期を追って高まっており,高まりのテンポは日本の方が急速である。その際,両国共に高まりがみられるのは,サービス,商業(卸売・小売)である。特に日本におけるサービスのシェアの高まりは急速であり,アメリカを上回るものとなっている。このように,製造業の中間投入構造における非製造業の割合が高まっており,中でもサービスの高まりは顕著である。
3. 非製造業の価格と効率
2でみたように,日本ではアメリカに比べて製造業の中間投入に占める非製造業の割合が高まってきているが,上でみたように,非製造業は価格要因,効率化要因ともに製造業の中間投入コスト低下への貢献度が80年代後半以降小さくなっている。ここで,85年から93年の間の産出デフレータをみると,製造業は年率1.3%低下したのに対し,非製造業については,ほとんどの業種で上昇傾向にある(付図2-1-3)。特に,サービス,不動産,建設はほぼ一貫して上昇しており,価格の硬直性を示している。なお,非製造業の中でも卸売・小売業デフレータは比較的上昇が緩やかである。このように,非製造業の価格が上昇傾向にある背景は,後の第3節でみるように生産性の低さを原因とする単位労働コストの上昇があるものと推測される。
以上を要約すると,日本の製造業の価格競争力の最近の低下の基本的要因としては円高のテンポが製造業のコスト低下のスピードより速いことが挙げられるが,さらには,円高による中間原材料の低下や中間投入効率の上昇といったコストパフォーマンスの改善はあるものの,最近の景気を反映した労働生産性の鈍化や非製造業からの中間投入コストは円高になってもそれほど大きく低下しないことも最近の価格競争力の低下の背景になっていると考えられる。それゆえ,今後の円高下の日本の貿易財部門のダイナミズムの復活の在り方を考えていく上で,生産性の上昇を通じた非製造業部門の価格の低下や,さらにはそれを担保するための競争条件の一層の整備が鍵になるといえよう。