むすび

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この報告を終わるに当たり,これまでの議論を踏まえて,日本経済の現状,課題,今後の展望について改めて考えてみたい。

(三つのギャップと調整過程の重なり)

この報告では,短期,中期,長期という側面から近年の日本経済の動きをみてきた。こうした流れの中に93年度の日本経済を位置付けてみると,この間の日本経済は,次のような三つのギャップに直面し,それぞれに対する調整を求められていたといえよう。

その第一は,短期的な「期待と現実とのギャップ」である。93年以降の経済においては,一時高まりかけた景気回復期待が裏切られダウンサイドリスクが表面化することによって期待と現実がかい離し,更に円高が進行するなかで,家計・企業は更に一段と消費・設備投資計画の見直し,リストラクチュアリングなどの調整努力を強いられることになった。

第二は,中期的な「需給ギャップ」である。93年度経済においては,耐久消費財と設備ストックの調整過程,バブル崩壊への調整を背景とした,景気の後退が続くなかで,需要と供給の大きなギャップが残り続けた。こうした長引く景気の後退に対して,それぞれの経済主体は,バランスシート調整,価格の積極的な引下げによる需要拡大努力などの対応を図ってきたのである。

第三は,長期的な「構造ギャップ」とも呼ぶべきものである。93年度経済においては,景気の後退が長期化し,円高が進行するなかで,次第に日本の従来型の経済構造の限界が強く認識されるようになってきた。内外価格差の拡大,空洞化の懸念の高まり,雇用調整の進展などの中で,これまでの経済構造の下で,長期的にみて日本経済の良好なパフォーマンスを保つことができるのかという問題が強く意識されるようになったのである。

こうしていくつもの調整過程が重なりあっただけに,93年度という時期は,今回の景気後退のなかでも特に先行きについての不透明感が高まりやすく,かつ厳しい対応を迫られた時期だったといえよう。

(再び表面化したダウンサイドリスクと円高の影響)

短期的な視野で,93年度の経済を振り返ってみると,93年初から春先にかけて経済の一部に回復の動きがみられたが,その動きが経済全体に拡がるまでには至らず,その後も景気の後退が続くことになった。こうしてダウンサイドリスクが表面化したのは,①経済全体にストック調整とバブルの崩壊という二重の景気後退圧力が残り続けるなかで,②夏にかけて急速な円高が進行するなど予想し難い外生的な要因が景気にマイナスに作用したためだった。

円高は,経済のほとんどあらゆる面に同時に影響を及ぼすため,その影響を一つずつ取り出すことは難しいが,短期的な視点からは,外貨ベースの輸出価格の上昇・円ベースの輸入価格の低下→輸出数量の減少・輸入数量の増加→円でみた経常収支の黒字の減少(企業収益の減少)・ドルでみた黒字の増加,というルートで景気の回復を遅らせる一方,物価の安定化を通じ実質所得の下支え要因として作用した面もある。

こうして景気の低迷が続くなかで,鉱工業生産は停滞傾向を続け,企業の雇用調整も次第に厳しさを増すこととなった。

(今回の景気後退の背景)

次に,中期的な視点から,今回の景気後退過程を振り返ってみると,今回の景気後退は,その長さという点でも,深さという点でも戦後有数の厳しいものとなった。

これほど景気後退が厳しいものとなったのには,二つの理由がある。その第一は,循環的な側面から企業設備,家計の耐久消費財のストック調整が長期化していることである。家計の耐久消費財については,バブル期に買換えが集中したこともあって,乗用車を中心に大きなストック調整の動きがみられた。また,企業設備のストック調整もかなり長期化しているが,これは,稼働率の低下が続くなかで,製造業のストック調整が長引いていることに加え,今回は,通常の景気後退期には設備投資の下支え役を果たす非製造業についても,さらには機械設備分野に加えて建設分野の投資についてもストック調整の動きが生じたことによる。

第二は,バブル崩壊の後遺症が続いていることである。バブルの崩壊そのものは93年の時点でほぼ終了しているものと考えられるが,バブルの「後遺症」ともいうべき影響は依然として残っており,これが景気にマイナスの影響を及ぼし続けている可能性がある。

この後遺症としては二つを指摘することができる。その一つは,バランスシート調整である。80年代後半のバブルの時期に,企業は資産・負債を両建てで増加させた。この時資産価格が低下すると,資産は瞬時に減少するが,負債はそのまま残るため,必然的に企業のバランスシートは悪化し,金融機関にとっての不良債権が増加することになる。こうして悪化したバランスシートを調整する過程では,経済全体のリスク許容力(企業・金融機関などの経済主体がどの程度積極的にリスクをとろうとするか)が低下した。こうした状況では,企業では負債を圧縮しようとするインセンティブを通して,投資行動を抑制する可能性があるほか,金融機関の貸出しも,借り手のバランスシートの悪化に伴う資金需要の停滞に加え,バブル期にみられた過度の融資姿勢の正常化等を背景に,低迷した可能性があるものと考えられる。もう一つは,オフィスビルの需給バランスの悪化である。バブルの過程で建設され始めた多くのオフィスビルは,バブルが崩壊し,オフィススペースへの需要が減少しているなかで供給圧力として作用しており,建築投資を抑制している。

(今後の景気の展望)

以上のような,短期,中期的な景気という観点から今後を展望すると,94年に入ってからは,経済の一部に明るい動きがみられるようになってきており,これを本格的な回復に結び付けていくことが求められている。

94年に入ってからの明るい動きとしては,①個人消費の持ち直しの動き,②1~3月期における生産の増加・在庫調整の進展,③消費者・企業マインドの好転などがある。こうした動きは,将来の本格的な景気回復軌道への第一歩となり得るだけの要素を持っている。それは,①企業の設備,家計の耐久消費財のストック調整がかなり進んできていること,②海外景気が,先進国では英語圏諸国→大陸ヨーロッパという順で景気が回復軌道に乗り始めてきており,アジア諸国の経済も堅調な拡大を続けていること,③これまでの累次にわたる景気対策に加え,94年央以降は所得減税の効果が現れてくることが期待されること,などが考えられるからである。ただ,依然としてダウンサイドリスクが再び表面化する懸念も残っている。それは,①94年に入ってからの明るい動きについては,消費をめぐる所得環境がまだ悪いことや,生産の期末対策要因を考慮する必要があることなど,慎重に見定めなければならない面があること,②為替レートの変動,バランスシート調整の遅れなどが景気のマイナス要因として作用する可能性が残っていること,などがあるためである。

ダウンサイドリスクを再び表面化させることのないよう注意を払いながら,回復の芽を育て,これを本格的な景気回復へと結び付けていくことが重要である。

(景気問題と構造問題の関係について)

現在の日本経済が直面している課題を認識し,それにいかに対応していくかを考える際の重要なポイントは,景気問題と構造問題の関連をいかにとらえるかにあるように思われる。

この点に関しては,構造的な課題の存在が今回の景気後退が長期化している原因であり,それを解決しなければ日本経済の停滞は続くとする,「構造不況論」ともいうべき考え方がある。例えば,「消費需要が飽和していることが,消費の低迷をもたらしている」(消費飽和論),「従来型の財政金融政策の効果が薄れている」(財政金融政策無効論),「自動車,電機機械に代わって日本の産業の中核となるようなリーディング産業が見当たらない」(リーディング産業不在論)などがそれである。これらの指摘はいずれも重要な問題点を明らかにしてはいるものの,いずれもそれを景気後退長期化の背景として考えるのは必ずしも適当ではないことは,本報告でもみてきたところである。景気問題の中に,構造的な問題を持ち込むことにはかなり注意が必要である。それまでみられなかったことが生じたとき,「それは構造変化が生じたからだ」という説明は,分かりやすい反面で,しばしば「説明できない残差の部分を,構造問題として処理する」ことになりがちであることにも注意しなければならない。

構造問題を考えるとき景気が重要な意味を持ってくるのは,景気の停滞の中で,隠されていた構造的な課題が明確になるということであり,構造問題を解決しなければならないという危機意識が強まるなかで,新たな適応のための真剣な努力が芽生えるということである。

景気という点では,ストック調整が進展し,政府の景気対策も次第に効果を現してくることが期待されるため,いずれは景気は回復していくであろう。景気が回復すると構造問題は目立たなくなる可能性があるが,景気の回復によって構造問題が解決されることはない。だからこそ景気問題と構造問題の区別が重要なのである。こうしてみてくると,経済環境が変化しつつあるなかで,長期的に日本経済が良好なパフォーマンスを維持し,国民生活の質的な向上を実現していくことができるかどうかは,現時点で明らかになってきた長期的課題に対して,高まりつつある構造改革の機運をいかに育てていくかにかかっているということが分かるのである。

(日本経済が長期的に乗り越えなければならない課題)

日本経済は持続的な内需中心の成長と国民生活の質的な充実を実現していくことが求められている。そのためには,景気という観点からは,一刻も早く景気を回復軌道に乗せるとともに,長期的な観点から内需中心の成長と国民生活の質的向上を妨げている構造的な課題を解決していかなければならない。93年度において円高と景気後退の長期化の中で,浮かび上がってきた日本経済の長期的課題としては,次のようなものがある。

第一は,日本経済を世界経済の発展と調和した姿にしていくことである。近年の空洞化への懸念,内外価格差の拡大などの問題は,日本経済が対外的な側面で長期的に乗り越えるべきハードルを示している。

空洞化の問題は,日本の産業がいかに国際分業体制を築いていくかという問題である。空洞化として懸念されているような,製造業の生産拠点への海外への移転,海外直接投資の拡大は,短期的には生産・雇用面での調整により痛みを伴う場合もあろうが,長期的には,国内でそれによって開放される資源をより付加価値の高い分野に振り向けていくとともに,国際的には水平分業の進展を通じて日本を含めたアジア全体での経済発展を促進することにより,それを今後の発展の原動力として考えることができる。

内外価格差の存在は,為替レートや所得水準等のマクロ要因のみならず,それぞれに固有な要因によって価格水準が高められている分野の存在を示している。内外価格差の大きい財についてはそれぞれの産業での自助努力,規制緩和,流通効率化及び輸入の促進等を進め,生産性・効率性の向上,価格の低下を図っていくことが必要である。

第二は,従来型の日本の経済システム,制度などの枠組みを新たな時代の要請に合ったものに変革していくことである。具体的には,日本型の雇用システムの見直し,規制緩和の推進などがそれである。

終身雇用,年功序列賃金などに象徴される日本的な雇用システムは,企業内での協調的行動,人的資本の蓄積を促進し,雇用の安定を保つ上でも有効に機能してきた。しかし,高齢化の進展,グローバル化の進展,国民の価値観の変化など,これまで日本的な雇用システムを支えてきたマクロ的条件が揺らぎつつある。これまで日本的な雇用システムによってもたらされてきた,労働市場の柔軟性,人的資源の蓄積などの利点を生かしながら,①内部労働市場活用型の雇用形態が維持される部分と外部労働市場を活用した流動性が高い部分の企業の中での共存,②年功型の賃金と能力型の賃金の適切な組合せ,などにより,こうした新しい変化に対応できるようなシステムを構築していくことが求められている。

時代の変化に応じて規制の在り方を見直していくことは,現時点の日本経済にとって最も重要な政策課題の一つであり,政府も「経済的規制については原則自由・例外規制」という考え方の下に,公的規制の計画的な見直しを推進しているところである。それは,規制緩和に①企業のビジネス・チャンスを拡大させ,消費者の選択の範囲を拡大させることによって,内需の拡大に寄与すること,②低生産性部門に競争原理を導入することによる内外価格差の是正に貢献すること,③国際的な観点からの透明性の確保などをもたらすこと,などの役割が期待されているからである。経済的規制の根拠は決して不変のものではなく,技術革新の進展,消費者の意識・嗜好の変化,グローバリゼーションの進展などに応じて,常に見直しが図られるべきものである。しかし,規制は一度成立すると,規制の既得権化などによって自律的に環境変化に柔軟に対応することは難しい面があり,その結果,低生産性部門の温存などの経済的コストをもたらしやすい。既得権益化した不必要な規制を見直していくことは,消費者の品質・価格面での選択の幅を広げるとともに,非生産的な活動に振り向けられていた資源をより生産的な活動に向かわせ,経済の効率化をもたらすことになる。

第三は,長期的に日本経済の成長力,生産性を高めていくことである。具体的には,潜在成長力の維持,リーディング産業をめぐる視点などがそれである。

生産性の上昇,効率化の推進を背景として経済が持続的に成長していくことは,ほとんどすべての経済的課題の解決にとっての基礎的な条件である。国民生活の質的な充実も,実質所得の上昇も,効率化,生産性の上昇が伴ってこそ初めて可能になるからである。その成長力に関しては,その鍵を握るのは技術革新であり,その技術革新を生み出す源泉は企業の研究開発や人的資本への投資である。企業が,景気が低迷している時期を将来への飛躍のための基盤作りの機会とし,将来の技術革新に向けてR&Dや人的資本への投資を不断に継続していくことが,日本経済の新たなフロンティアの開拓につながっていくものと考えられる。

リーディング産業については,国内的視点からみて,産業の規模が大きく,他の産業への波及効果が大きく,経済全体の生産性の上昇に寄与するような産業が現れることは,経済の発展に大きく貢献する。しかし,国際的視点からみて,国際的に高い生産性,競争力を持つリーディング産業を持つことは,これまでの日本経済のキャッチ・アップ過程において不可欠の条件であったとはいえないし,統合化が進む世界経済の中で,ある国が特定の産業で極端に高い生産性,競争力を維持すること自体容易ではなくなっていると考えられる。既にキャッチアップ段階を終えた日本経済においては,先験的にリーディング産業を特定することは難しい。しかし,「生活大国」に向けての国民生活の質的充実が求められているということは,それだけ国内に満たされるべき潜在的な需要が数多く存在することを意味しているから,こうした需要分野に供給側からも効率的な対応が図られることにより,新たなリーディング産業が現れる余地は十分残されていると思われる。

(厳しい調整過程のなかでの政策対応)

幸いにして,これまでの戦後の日本経済の中では,石油危機,円高などの度に現れてきた構造的な悲観論は,実績によって否定されるということが繰り返されてきた。これは,その時々の悲観論が間違っていたからではなく,危機感に触発された企業,家計,政府が適応のための努力を払ってきたことが,悲観論が前提としていた与件を変えていったためである。今後についても,厳しい調整過程の中で,それぞれの経済主体が適応のための努力を図ることが,経済の姿を変え,新しい発展のための枠組みを形成していくことが期待される。

近年の日本経済が経験してきた調整過程は,その調整過程が進行している間は厳しい対応を迫られるが,それは,その後に続く新しい日本経済の姿を生むための準備期間だといえる。短・中期的な景気問題に対しては,機動的な財政金融政策の運営によって,ダウンサイドリスクの表面化に配慮しつつ,景気を一刻も早く本格的な回復軌道に乗せるよう努力する一方で,長期的な課題に対しては,厳しい調整過程の中で強まってきた危機意識を前向きに生かして,景気のいかんにかかわらず,規制緩和などの構造改革を推進していくことが必要である。

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