第2節 雇用をめぐる長期的な課題

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雇用の安定は,経済政策の最も基本的な目標の一つであることはいうまでもない。それは,単に「人的資源を有効に活用する」「家計の所得の源泉となる」という経済的意味合いだけからではなく,雇用は個人が社会に参加し,自己実現を図る最も基本的な場となっているからである。

雇用の安定に対する関心は,近年,世界的な高まりをみせている。その基本的な背景は,世界的に雇用の安定が揺らいでいることにある。93年の時点(見込み)でOECD諸国の失業者数は3,330万人,平均失業率は8.2%となっている。特に,ヨーロッパ諸国では,経済活動の水準いかんにかかわらず失業率が高止まりする傾向がみられる。さらに,世界経済が市場経済の枠組みの中で統合される度合いが強まるにつれ,産業調整のコストが雇用面に集中的に現れるのではないかという懸念も強まっている。こうしたなかで,柔軟な労働市場を保つことによって,雇用の安定を確保していくことが世界的に重要な課題となっている。

こうしたなかで日本は,これまでいわゆる日本的な雇用システムの存在によって,雇用の安定という点では,比較的良好なパフォーマンスを維持してきた。しかし,景気後退が長期化し,企業の雇用調整が進むなかで,企業を取り巻く環境条件が変化しつつあり,「これまで雇用の安定に寄与してきた日本的な雇用システムが維持できなくなってきているのではないか」という懸念が強まっている。

そこで本節では,まず,①日本的な雇用システムとは何かを経済的に明らかにし(ミクロ的特徴),次に,②日本の労働市場の「柔軟的」を取り上げ,この点に日本的な雇用システムがどのように関連しているかをみる(マクロ的特徴)。さらに,③これまで日本的な雇用システムを支えてきた条件が変わりつつあることを示し,その全体としての変化の方向を考える。そして最後に,④政策的に重要な課題である,雇用と高齢化との関係について考えることとする。

1. 日本の雇用システムの特徴

これまで,日本の雇用システムは,一つの安定的なシステムとして,日本経済に根づき,有効に機能してきた。まず,この日本の雇用システムがどの程度日本的な特徴であるのか,またその特徴を経済的にどのように理解すべきかをみておこう。

以下では,しばしば日本的な雇用システムの代表的な例とされる,終身雇用(長期雇用)と年功賃金(年齢による累進度の高い賃金)の二つについて検討しているが,最初に次の二点を指摘しておきたい。

第一は,終身雇用や年功賃金は,いずれも日本の雇用システムの特徴であることは間違いないが,それほど強固な制度的存在ではないということである。終身雇用も年功賃金も,原則として明文化されているわけではなく,いわば事実上の慣行として行われている場合が多い。また,いずれも戦後の経済成長の過程で日本に根づいてきたものであり,それほど強い歴史的な存在ではない。また,日本の雇用システム全体が,こうした特徴によってカバーし尽くされているわけでは必ずしもないし,国際的にみると,日本だけが際立ってこうした特徴を持っているわけでもない。

第二は,こうした日本の雇用システムの特徴とその機能は,一つのタイプの経済システムとして論理的に説明可能なものであり,その意味で決して「特殊な」ものではないということである。この点は,こうした雇用システムが,これまで日本経済の良好な経済パフォーマンスと安定的に共存してきたという事実によっても明らかなことである。

(内部労働市場の下での長期雇用)

最初に,終身雇用として知られる日本の長期雇用について考えてみよう。

まず,終身雇用的な状況がどの程度日本的な特徴であるかをみるために,主要国の平均勤続年数を比較してみると,日本は,ドイツ,フランスなどともに最も勤続年数の長い国であることは間違いないが,日本だけが飛び抜けて長いというわけではない(第3-2-1図)。

さらに,第3-2-2図は,男女別に,年齢階層別の勤続年数プロファイル(断面図)をみたものである。このプロファイルは,横軸に年齢階層,縦軸に勤続年数をとったもので,傾きが急であるほど,長期雇用の度合いが強いことを示している。これをみると,①日本,ドイツは,アメリカに比べて男女とも傾きが急である,②いずれの国でも男子のほうが傾きが急である,③特に傾きが急な日本,ドイツの男子の場合,50代前半までは日本もドイツも同程度の傾きとなっているが,日本では50代後半からは急激に強いマイナスの傾きとなる(長期雇用の度合いが小さくなる),といった点が分かる。

第3-2-3図は,企業規模別に勤続年数を日米比較したものである。これによれば,日米とも大企業の方が,中小企業よりもプロファイルの傾きが急であり,長期雇用の程度が強いことは変わらない。しかし,日本の方が大企業,中小企業ともアメリカよりも傾きが急であることが分かる。

次に,日本について,どんなタイプの労働者で長期勤務の度合いが強いかを見よう。 第3-2-4図は,75年当時,20~24歳(高卒については19歳以下)で勤続年数5年未満の男子労働者が,その後どのような勤務状況をたどったのかを示したものである。これによると,規模別では中小企業よりも大企業が,学歴別では高卒よりも大卒が,職種別では生産労働者よりも管理・事務・技術労働者の方が継続勤務している者の割合が高い。

以上のような検討から,日本の長期雇用という慣行については,①国際的にみて,日本の労働者は長期雇用の度合いが高いが,際立って高いというわけではない,②労働者全体に適用されているわけではなく,大企業の男子・正規労働者(特に,管理・事務・技術労働者)が中心である,ということが分かる。

こうした日本の長期雇用という特徴を理解するために,「内部労働市場」という概念を導入してみよう。賃金というシグナルを媒介に労働力需給の調整が行われるという通常の意味でのスポット的な労働市場を「外部労働市場」とすると,企業内部で労働力需給の様々な調整を行う「内部労働市場」では,長期的な視点から労働者への訓練,配置転換,昇進等の企業内の制度・慣行によって労働力の配分が行われ,労働者間の競争条件が作りだされる。こうした内部労働市場の利点としては,①雇用の安定が図られること,②企業からみれば募集・採用・訓練費用,労働者からみれば,解雇された場合の職探し費用等の取引費用が節約されること,③長期にわたる組織への所属,構成員間の人間関係を通じて,様々な情報が交換・共有・蓄積され,また構成員間に協調的信頼関係が生まれることにより,生産,経営,研究開発等の効率性を高めること,④労働者の流動性が低いため,企業,労働者の双方に,企業に固有な人的投資(OJT等の訓練)を行うインセンティブが生まれること,が挙げられる。

(累進度の高い賃金プロファイル)

次に,年功賃金についてみよう。

第3-2-5図は,年齢と賃金との関係(年齢別賃金プロファイル)を国際比較したものである。これをみると,各国とも,①年齢に応じて賃金が上昇する傾向があり,②生産労働者よりも管理・事務・技術労働者において賃金の累進度が高いという点は共通している。こうして年齢等に従って賃金が上昇するのは,年齢が上がるにつれて,訓練や経験等によって人的資本の蓄積が進み,それに伴って限界生産性が増加することに対応している。管理・事務・技術労働者は,生産労働者よりも長期雇用がより適用されていることを考えると,管理・事務・技術労働者のほうが賃金の累進度が高いのは当然である。

ただ,日本の場合はプロファイルの傾きが急であり,年齢による賃金の累進度が高く,50歳以上になると他の国と比較して賃金の低下幅が大きいという特徴がある。また,管理・事務・技術労働者のほうが累進度が高いという点は他の国と同様であるが,いずれについてもプロファイルの傾きが急である。

このような日本の賃金プロファイルの特色を説明する代表的な考え方としては,「インセンティブ仮説」がある。これは,若年期には限界生産性よりも低い賃金を受けるかわりに,高年期には限界生産性を上回る賃金を受け取ることにより,賃金の累進性が高くなっているという考え方である。いわば,「賃金の先送り」が行われているわけである。こうした枠組の下では,高年者は相対的に賃金コストが高くなるため,次第に長期雇用からは外れていくこととなる。日本では,50代になると勤続年数についても賃金についても,プロファイルのマイナスの傾きが急になるのはこのためである。

また,このような賃金プロファイルは,年齢に応じて生計費が上昇していくのに対応しており,結果的に,企業が賃金によって労働者の生計費を保証することになっている(生計費保障仮説)。企業が,若年労働者から中高年労働者への所得の再分配機能を果たしているのである。

こうした賃金構造は,前述の内部労働市場による労働力配分の仕組みの下で,有効に機能してきた。すなわち,この賃金構造は,労働者からみると,将来の賃金の受取が現在の努力,パフォーマンスにも依存するものとなっているため,労働へのインセンティブや企業への定着率を高める効果がある。これが,企業内での,労働者同士の長期的な競争と,企業と労働者との協調的な関係を可能にしている。

このようにみると,日本的な雇用システムの特色は,長期勤続の下で,企業内での協調的行動,人的資本の蓄積を促進し,それが企業の効率性,技術革新に寄与してきたものと考えられる。一方で,長期雇用の下での雇用の安定は,労働者の側のモラル・ハザード(勤務状態のいかんにかかわらず,安定した雇用が保証されているので,勤労へのインセンティブが失われやすい)を起こしやすいが,累進度の高い賃金プロファイル,遅い昇進によって労働者の長期的な競争へのインセンティブを高めていることが,この問題を解決しているのである。

しかし,労働者の立場からすれば,こうした雇用システムには,①長期間の競争への高いインセンティブ,従業員同士の情報交換等を通じる協調的な関係や職務分担のあいまいさがともすれば,長い労働時間,有給休暇の消化不足などの問題を生んでいること,②労働者の選好や外部環境等が変化しても,転職コスト(転職に伴う賃金低下等)が高いため,転職しにくいと考えられること(つまり「やり直し」を行いにくい制度である),などの欠点があることにも十分留意する必要がある。



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(失業率の国際比較)


日本の失業率が他の主要国と比べて低いのは失業率の定義が異なるためで,定義を揃えると日本の失業率はかなり高くなるという議論がしばしば聞かれる。確かに,各国から公表されている失業率は定義が異なるため,そのままで国際比較することは不適当な面がある。そこで,定義をできるだけ揃えるためにILOにおいてガイドラインが策定され,それに基づいた標準化失業率が公表されている。

各国から公表されている失業率と,ILO基準による標準化失業率を比較したのが表①である(詳しくは付注3-5参照)。これによれば,日本,アメリカ,カナダはそもそもILO基準に準拠した労働力調査方式によって失業率を調査しているため,両者はほとんど変わらない。他方,イギリス,ドイツ等は職業安定機関による業務統計に基づいて失業率を計算しているため,公表失業率と標準化失業率に若干の差がみられる。しかしながら,日本の失業率が低いことは標準化失業率でみても変わりがない。

ただし,この標準化失業率も,細かい定義においては必ずしも各国で完全に一致しているわけではない。例えば,日本とアメリカの失業の定義を比較してみると,①求職活動期間(「1か月以内に求職活動を行っていないが過去の求職活動の結果を待っている者」については,日本では失業者となるのに対し,アメリカでは非労働力人口となる),②就職内定者に対する扱い(「1か月以内の就職が内定している者」については,日本では非労働力人口となるのに対し,アメリカでは失業者となる),③家族従業者に対する扱い(「週15時間未満の無給の家族従業者」については,日本では就業者となるのに対し,アメリカでは非労働力人口となる),など若干の違いがある。

そこで,日本の失業率をアメリカの定義にできるだけ近づけるような調整を行ってみたのが,表②である。これによると,アメリカの定義による日本の失業率は,公表失業率とほぼ同じか,またはむしろ0.0~0.2%ポイント低下するという結果が得られる。



2. マクロからみた日本の労働市場の特徴

日本の失業率が欧米に比べて常に低水準であることに象徴されるように,外的なショック,景気の変動などのなかで,日本の雇用は総じて安定していた。これに関連して,日本の労働市場の「柔軟性」が雇用の安定に寄与してきたことがしばしば指摘される。しかし,労働市場の「柔軟性」が具体的に何を指しているのかは,必ずしも明確ではない。そこで,以下では,欧米と比べた失業率の低さ,雇用の安定を支えてきた要因という意味での日本の労働市場の「柔軟性」を,①雇用調整の性格,②非正規労働者の役割,③賃金の伸縮性,④労働移動の効率性という四つの観点から考えてみる。

(雇用調整の性格)

労働市場の「柔軟性」を示す第一の側面は,雇用が調整されるとき,日本では雇用者数での調整が行われにくいという点である。

この点を確認するために,生産の変動に伴って,労働投入量(雇用者数×労働時間)がどう変動するか,また雇用者数,労働時間のそれぞれがどう変動するかを,国際比較したのが第3-2-6表①である。これをみると,日本は特に,安定成長期以降(74~93年),生産の変動は最も大きいにも関わらず,雇用者数の変動量は最も小さいことが分かる。これは,①日本は生産の変動が大きいにもかかわらず,労働投入量の変動が小さい,②労働投入量の変動に比して,雇用者数の変動が小さい,という二つが重なったことによってもたらされている。このうち,生産の変動に比べて,労働投入量の変動が小さいのは,日本の場合,他の国よりも配置転換が行われたり,前述のような労働密度の変動(第1章第8節参照)によって調整される度合いが大きいことによっている。また,労働投入量の変動の割には雇用者数の変動が小さいのは,日本では雇用調整が主として労働時間の調整によって行われているためである。

次に,雇用量の調整の速度を国際比較するため,雇用量を前期の雇用量,鉱工業生産,実質賃金で説明した雇用量調整関数を主要国について計測してみたのが,同表②である。(付注3-6参照)。この雇用量調整関数において,前期の雇用量の係数(λとする)は今期の雇用量に前期の雇用量がどの程度影響を及ぼし続けるかを示したものであるから,逆に,1-λは雇用量の調整速度を表すことになる(大きいほど調整速度が速い)。これをみると,雇用量の調整速度は各期を通じて日本が最も小さく,近年それが更に低下している一方,アメリカは,調整速度が際立って高いことが分かる。

このように,日本の場合,雇用調整が行われる場合,欧米諸国よりも労働時間等で対応する場合が多く,雇用者数での調整の度合い,調整速度は比較的小さく,人員調整や失業の発生に伴うコストをあまり生じさせることなく雇用調整を行っている。これが,日本の労働市場が「柔軟的」だと評価される大きな理由である。

(非正規労働者の役割)

第二の側面は,非正規労働者の存在に伴う労働市場の「柔軟性」である。

非正規労働者には,臨時・日雇,パートタイム,派遣労働者等が含まれると考えられるが,ここでは臨時・日雇労働者について,その変動度合いを常用雇用と比較してみると(第3-2-7図),景気循環に対応した雇用変動度合いは常用雇用に比べてかなり大きく,臨時・日雇が,景気変動のショック・アブゾーバー(緩衝材)としての役割を果たしてきたことがうかがわれる。また,臨時・日雇が雇用者全体に占める割合を国際比較すると,日本は91年10.5%であり,イギリス(同5.3%),ドイツ(同9.5%),フランス(同10.2%),イタリア(同5.4%)と同程度かやや高くなっている。

このように,日本では,非正規労働者を中心としたより流動性の高い労働市場の存在が労働市場全体の「柔軟性」と正規労働者の長期雇用・雇用安定を両立させてきたと考えられる。

(賃金の伸縮性)

第三は,賃金の伸縮性によってもたらされる労働市場の「柔軟性」である。

この点は,経済に外的ショックが生じたとき,重要な役割を果たすことになる。例えば,日本経済が,第二次石油危機を欧米諸国に比して円滑に乗り越えることができた背景の一つとしては,第一次石油危機の教訓もあって,交易条件の悪化に見合って実質賃金が低下したことがしばしば指摘されている。

ここでは,いくつかの手法により賃金の伸縮性を国際比較してみよう。まず,日本の賃金(製造業)の変動度合い(変化率の標準偏差)を国際比較してみると(第3-2-8表),マンアワー・ベース(一人・時間当たり),マン・ベース(一人当たり),または,名目,実質を問わず,日本の賃金の変動度合いが最も大きく,日本の賃金の伸縮性の高さを示している。

ただしこの賃金の伸縮性は,賃金に影響する多くの要素が総合的に作用した結果もたらされたものである(例えば,景気の変動の度合いが大きければ,賃金の変動度合いも大きくなる)。そこで,どのような要素が賃金の伸縮性に最も関連しているかをみるため,賃金関数を推計した結果が,第3-2-9表である(付注3-7参照)。これは,主要国それぞれについて,実質賃金を,失業率,物価上昇率の変化率,交易条件の変化,失業者の職探しの効率性,資本・労働比率で説明したものである。それぞれの変数の意味と期待される係数の符号は次のようになる。①失業率が高まるということは,労働力需給の緩和を意味し,こうした状況においては実質賃金は低下する(-)(実質賃金の伸縮性),②インフレが加速的に進んでいる時は,名目賃金の変化がインフレに追いつかず,実質賃金は低下する(-)(その度合いは名目賃金の硬直性が大きいほど大きい),③交易条件等の悪化が加速的に進んでいる時は,実質賃金上昇圧力となる(+),④失業者の職探しの効率性(基本的にはUーV曲線(失業率と未充足求人率との関係を表した曲線)のU切片×-1,この値が大きくなれば(絶対値が小さくなれば),U-V曲線は原点の方へ移動し,職探しの効率性が増す)が高まれば,実質賃金には下方圧力となる(-),⑤資本・労働比率が高まり,生産性が上昇すれば,実質賃金も上昇する(+)。

各係数を各国比較すると,次のようなことがいえる。まず,失業率の変化に応じて実質賃金が変化する度合いを示す失業率の係数(絶対値)は日本が最も高い。これは,さきでみたように日本では雇用者数による調整度合いが小さいことを反映している。また,名目賃金の硬直性を示す物価上昇率の変化率の係数(絶対値)は,日本が最も小さく,多年度の賃金契約が主体のアメリカやカナダでは係数(絶対値)は大きくなっている。交易条件悪化の場合の賃金上昇圧力を示す係数は日本の場合,マイナスでかつその絶対値は比較的大きい。これは,日本の場合,交易条件が悪化したときは,むしろ実質賃金が低下する場合が多いことを示している。失業者の職探しの効率性を示す係数(絶対値)も日本は高い。これは,後でみるように日本は,長期失業者の割合が低く,労働移動の効率性も高いことによるものと考えられる。

日本の場合,他の先進諸国と比較して名目,実質賃金ともおおむね伸縮的であるのは,以上のような各種の要因に対して,日本の実質賃金が最も柔軟的に変化しているためであることが分かる。

(労働移動の効率性)

労働市場の柔軟性に関連する第四の側面は,労働移動の効率性である。つまり,経済状況の変化に応じて,労働市場における労働力の再配分がいかに効率的に行われるかという観点である。

ヨーロッパでは80年代を通じて構造的失業の増大がみられたが,その重要な背景の一つとして長期失業者の増加が指摘されている。失業が長期化すると,失業者の能力・就業意欲が低下し,企業も長期失業者を雇用しようとするインセンティブが減退するという悪循環が生まれ,失業問題を更に深刻化させるという大きな経済的,社会的コストが生じることになる。全失業者に対する長期失業者の割合を国際比較してみると(第3-2-10表),1990年で,日本は19.1%となっており,アメリカ,カナダに比べれば高いものの,おおむね30%以上のヨーロッパ諸国に比べればかなり低い。

この長期失業者の割合を決定づけるのは,就業者から失業者となる(失業のプールに入る)確率と失業者から就業者となる(失業のプールから出る)確率である。失業のプールに入る確率が高く,失業のプールから出る確率が低いほど,長期失業者の割合は高くなる。そこで,この二つの確率を国際比較したのが第3-2-11表である。これをみると,長期失業者の割合の高いヨーロッパ諸国は,総じて失業者のプールに入る確率は低いものの,失業のプールから出て,職を得る確率は他の諸国に比べてかなり低くなっており,これが長期失業者の割合が高い要因となっていることが分かる。つまり,いったん失業するとなかなか就業する機会がみつけられず,長期失業者となりやすいのである。一方,アメリカ,カナダは,失業のプールに入る確率はヨーロッパ諸国に比べてかなり高いものの,失業のプールから出る確率も高いため,結果的には長期失業者の割合が非常に低くなっている。日本の場合は,失業のプールに入る確率はヨーロッパ並に低く,かつ,失業のプールから出る確率はアメリカほどではないものの比較的高いという両面から,長期失業者の割合が比較的低くなっていると考えられる。

それでは,失業のプールから出る確率が,諸外国でこのように異なるのはなぜだろうか。まず,ヨーロッパでは,失業給付が期間やカバレッジの面で手厚いことが失業者の就業インセンティブを低下させてきたことと合わせて,労働移動の効率性が低いことも影響していたと考えられる。具体的には,安い公的住宅の家賃や高失業地域への所得政策などにより,地域間の労働移動が阻害され,特定の地域で高失業が集中する傾向がみられる。一方,アメリカでは,地域間の労働移動が活発なため,経済にマイナスの影響が及んだ場合でも,経済の各地域・部門間で調整が進展し,一時的に失業率が増加しても構造的な問題になりにくくなっている。日本の場合は,労働移動の効率性はアメリカほどではないものの,ヨーロッパにみられるような制度的阻害要因はあまりみられない。

以上のようないくつかの側面からみて,日本の労働市場は,諸外国以上に柔軟性に富んでいたといえる。



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(雇用者数の変化の影に隠れたダイナミズム)


雇用者数の動きは,労働市場の動向を示す最も基本的な指標の一つである。しかし,雇用者数全体の増減は事業所ベースの雇用増,雇用減を集計したネットの概念であることは見落とされがちである。つまり,雇用者の増減は,①既存の事業所における従業員の増加,②既存の事業所における従業員の減少,③事業所の新設に伴う従業員の増加,④事業所の廃止に伴う従業員の減少,の総和として求められるものであり,①~④までのグロスの変化はネットの雇用者増減よりもダイナミックな変化を示していると考えられる。

まず,日本について,86~91年の変化をみると(),全産業,事業所ベースの雇用者増(ネット,年率)2.4%のうち,既存の事業所の従業員の増減の寄与(①+②)は2.2%,事業所の新設に伴う従業員増の寄与(③)は3.6%,事業所の廃止に伴う従業員減(④)はマイナス3.4%となっており,事業所新設,廃止による従業員の増加,減少といったグロスの寄与(絶対値)はネットの雇用者増に比べて大きいことがわかる。業種別にみると,製造業に比べて非製造業の事業所の新設に伴う従業員増の寄与が高くなっている。特に,卸売・小売業,飲食店では,事業所の新設に伴う従業員増,事業所の廃止に伴う従業員減の両者ともその変化が大きく,ネットの雇用者増との差はより大きくなっている。卸売・小売業,飲食店等のように事業所の新設と廃止による従業員の増減が大きい業種では労働者の転職率も高く,労働市場がより流動的であるといえる。これは当該業種からみれば雇用が不安定な側面もあるが,産業全体でみればこのような流動性の高いセクターが労働市場における再配分を容易にし,労働市場全体の柔軟性に寄与していると考えられる。

一方,アメリカについても統計の差異等の問題はあるものの,88~90年の間で全産業,事業所ベースの雇用者増(ネット,年率)1.4%のうち,既存の事業所の従業員の増減の寄与は1.6%,事業所の新設に伴う従業員増の寄与は7.4%,事業所の廃止に伴う従業員減はマイナス7.6%となっており,日本よりも事業所の新設に伴う従業員増,事業所の廃止に伴う従業員減はかなり大きい。アメリカの場合,日本よりも労働市場の流動性も高く,個々の産業,企業の構造調整がよりダイナミックに行われていることが想像できる。



3. 雇用システムの最近の変化

以上のような日本の雇用システムは,企業内での協調的行動,人的資本の蓄積を促進し,更に経済環境が変化するなかで雇用を安定的に保つ上で有効に機能してきた。では,このような雇用システムに,最近変化は生じてきているのであろうか。まず,長期勤続について,次に年功賃金について考えてみよう。

(長期雇用の変化)

長期雇用が変化しているかどうかをみるために,労働市場の流動化の状況を調べてみよう。第3-2-12図は転職入職率(転職によって雇用された人が全体の雇用者に占める割合)の推移をみたものである。これによれば,規模別には終身雇用制度がより定着している大企業の方が,転職入職率が低く,業種別には,中小企業の割合の高いサービス業や卸売・小売業,飲食店といった業種でこの比率が高い。近年の推移をみると,80年代後半以降,特にサービス産業を中心として転職入職率の高まりがみられた。当時は,中途採用予定企業の割合も上昇していたため,「終身雇用が崩れ,労働市場が構造的に流動化しているのではないか」という指摘もみられた。しかし,転職入職率は,今回の景気後退のなかで低下してきており,中途採用予定企業の割合も低下した。したがって,80年代後半の転職の増加は,構造的な変化というよりは,長期景気拡大の下での人手不足によるものだったと考えられ,労働市場の構造的な流動化は,あったとしても部分的なものだといえる。

企業側の意識をみても,今回の景気後退期においても雇用を維持しようとする姿勢は依然として強い。例えば,企業が今後,終身雇用慣行についてどう考えていくかについての調査をみると(第3-2-13表),「終身雇用慣行を重視する」企業の割合は,「終身雇用慣行にこだわらない」とする割合を下回っているものの,88年以来上昇を続けており,両者の差は縮小傾向にある。また,企業規模別にみてもほぼ同様の傾向がみられるが,特に,1,000人以上の大企業では「終身雇用慣行を重視する」企業の割合の方が高く,両者の差も拡大しており,終身雇用慣行を重視する傾向が強まっている。この結果をみても,最近になって,終身雇用制が崩れつつあるという形跡は見られない。

(年功型賃金を可能にした経済条件の変化)

次に,年功賃金型の賃金体系の変化について考えよう。この点については,これまで高い賃金の累進度を可能にしていたマクロ経済的条件が,次のような点で変化しつつある。

第一は,豊富な若年労働力の存在である。企業内の人員構成が,高齢化するに従い従業員数が減少するピラミッド型であれば,その時々において若年から中高年の従業員への所得移転を行うことは,企業側からみて容易であり,賃金の累進度を高めることができる。

しかし,最近では,労働者の年齢構成において,中高年のウエイトが大きくなってきている。第3-2-14図は,男子労働者の年齢構成を82年と92年で比較したものである。年齢構成が,全体として中高年の比率が高まる形で変化してきたことが分かる。職種別にみると,いずれの職種も50歳以上において構成比の拡大がみられるが,管理・事務・技術労働者(いわゆるホワイトカラー)においては,特に中高年比率の上昇がみられる。こうした点を考慮すると,高い賃金プロファイルの累進度を維持することは難しくなっており,このような人件費負担の相対的高まりが,特に,中高年ホワイトカラーの過剰感を生んでいるといえる。また,今後,中長期的には若年労働力が不足することが予想されるなかで,彼らを採用するためには若年者の賃金をより引き上げなければならず,賃金プロファイルも緩やかな勾配にならざる得ないものと考えられる。

では,実際の賃金プロファイルの傾きは変化しているだろうか。第3-2-15図は,生産労働者と管理・事務・技術労働者について,年齢を勤続年数で補正したベース(新規学卒者を始点に年齢の上昇に応じた勤続年数を持つ労働者を対象としたもの)賃金プロファイルの5年ごとの変化をみたものである。これをみると,87~92年にかけて,若年層の賃金が相対的に上昇する形で,特に生産労働者の賃金プロファイルの傾きが緩やかになっている。これは,当時の人手不足による面もあるが,企業が中長期的な労働力供給制約に対応して賃金体系を見直そうとしていることも大きく影響しているものと考えられる。

第二は,企業,及び経済の高い成長である。労働者側からみて重要なのは,自分の現在の所得と将来の所得を比較した異時点間の賃金プロファイルである。企業が高い成長を続けると予想される場合,将来の企業の収益も高まるため,労働者も事前的に累進度の高い賃金プロファイルを期待できるし,実際に成長が実現すれば,企業も事後的にそうした期待に沿った賃金体系を実現できる。そこで,経済成長率(製造業の実質生産)の変化と製造業の賃金プロファイルの傾きの変化の関係をみたのが第3-2-16図である。成長率の推移と賃金プロファイルの傾きがほぼ対応した動きとなっており,高い成長率と賃金プロファイルの高い傾きが両立しやすいことがうかがわれる。職種別には,特に管理・事務・技術労働者,業種別では電気機器において両者の対応関係が明確になっている。近年では,景気後退が長期化するなかで,企業の期待成長率も鈍化している。こうした状況下では,事前的に高い勾配の賃金プロファイルを労働者が期待し,また,企業側がそれを暗黙的に約束することは難しくなっているといえる。

(賃金体系にみられる新しい動き)

以上のように,これまでと同じ形での賃金体系を維持することが難しくなるなかで,企業側には従来の年功序列制にとらわれず,能力中心に従業員を評価していこうとする動きがみられる。なかでも注目されるのは,年俸制導入の動きであろう。日本生産性本部のアンケート調査(92年10月)によれば,年俸制導入済の企業の割合は10.4%とまだ低いが,将来導入を予定している企業まで含めると40.1%となっている。現在,導入されている年俸制は主に管理職を対象としたものであり,上記調査でも年俸制を採用している企業のうち,管理職に対して適用していると答えた割合は83.3%となっている。

年俸制の導入は,もちろん,業績評価の明確化,実力主義の重視等を目的としたものである。しかし,中高年を中心とした管理職層が限界生産性よりも高い賃金を受け取っているとすると,能力に見合った賃金体系にしていくことは,企業にとっての人件費対策としての意味も大きいであろう。このように,年俸制の導入は,雇用過剰感の強いなか,中高年ホワイトカラー対策といった色彩も強いことに留意する必要があろう。もちろん,能力に見合った賃金体系を考える場合,従来,その限界生産性よりも低い賃金しか受け取っていないと考えられる若年層に対する配慮も重要である。

(雇用システムと「補完性」)

日本的な雇用システムについては,これまでも景気後退期になるとしばしば,「日本的な雇用システムは崩壊するのではないか」,又は,「変質するのではないか」という指摘がみられた。しかし,それが安定的なシステムとして機能し続けてきたという事実は,これらの景気後退期における「日本的雇用システム変質論」が景気循環的な変化を長期的・構造的な変化と見誤って認識していたことを示している。現時点で,今後の雇用システムを展望する場合にも,こうした循環的変化と構造的変化の区別には十分注意する必要があろう。ここでは,雇用システム全体としての安定性,変化の可能性を考える上でのポイントをいくつか指摘したい。

日本において,これまでみてきたような雇用システムが,比較的安定的に維持されてきたのはなぜであろうか。この点を考えるため,ここでは「補完性」(complementarity)という概念に着目する。これは,「各々の主体の行動や仕組みの選択がお互いに補完又は補強しあう」という一種の正の外部性が働く状況を示した概念である。雇用システムについては,次のようなタイプの補完性が作用してきたものと考えられる。

第一は,雇用システムの構成要素間における「補完性」である。例えば,終身雇用制の企業の割合が大きいほど,労働者が外部での雇用機会を得ようとしても,他の企業が終身雇用,年功賃金を維持している限り,転職は不利となり,転職のインセンティブは小さくなる。また,企業の側も労働者を解雇して新たに雇用しようとしても,終身雇用の割合が高ければ,優秀な人材を中途採用することは難しくなる。このような観点からみると,内部労働市場活用型の「終身雇用」は雇用システムの一つの均衡として安定的であることが分かる。一方,その対極として外部労働市場活用型の「流動的な雇用」も別の形での均衡を形成する。

第二は,日本の市場経済システムを構成する他の分野のシステムと雇用システムとの間の「補完性」である。例えば,終身雇用が維持されるためには,経営が安定していることが重要な前提となる。仮に,企業買収等で経営陣が変われば,それまでの経営者と労働者との間の暗黙的な契約が破棄される場合があり,長期的信頼関係のなかで初めて可能になる企業内での協調的な行動,企業固有の人的資本の蓄積といった内部労働市場の利点を生かすことができなくなる。日本の場合,戦後,企業グループ間での株式持ち合いを進めるとともに,安定株主(メインバンク等)が経営を監視するという仕組みをとることで,敵対的な企業買収を防ぎ,経営を安定させてきたことが,終身雇用制を「補完」してきたと考えられる。また,生産,流通系列にみられるような垂直的企業間関係を通じて,出向を行い,企業グループ内での雇用安定を図ってきたことも,日本的な雇用システムの維持に貢献してきたことも重要である。

(雇用システムを変化させていく推進力)

前述のように,これまでの日本の雇用システム,ひいては,市場経済システムは「補完性」により,安定的な均衡を形成している。しかし,いったん,安定的となったシステムは全く変化しないということではない。例えば,上記のような日本の市場経済システムを構成する特徴は,ほとんどが戦後築きあげられてきたものであり,日本の労働市場も1910年代頃までは定着率が低かったことが知られている。現在のシステムは決して歴史的に強固な基盤を持ったシステムなのではなく,十分変わり得るものなのである。

したがって,経済全体に関わる大きな環境変化(big push)が起きて,市場経済システムを構成する要素が同時に変化していく場合には,別の安定的なシステム,均衡へ変化していく可能性も十分考えられる。そのような変化を引き起こす推進力となる可能性のあるものとしては,第一に,さきに指摘したように中長期的な労働力供給制約,高齢化が挙げられる。この問題については,後で更に詳しく検討する。

第二は,国民の価値観,意識の変化である。例えば,最近,若年層を中心として将来の所得よりも現在の所得をより重視する(時間選好率の上昇),また,所得の増大よりも自由時間の増大を重視する(余暇選好の上昇)傾向が強くなっている。さらに,能力,実力主義を志向するといった意識も強くなっている。総理府「勤労意識に関する世論調査」により,有職者の年功序列制度に対する意識についてみると,92年調査では87年調査(有職者について再計算)と比べて「労働者にとって良い制度だ」とする割合が低下する(33.9%→24.5%)とともに,「企業,労働者両方にとって良い制度ではない」とする割合が増加している(18.0%→23.5%)。

第三は,技術革新の進展である。これまでの日本のイノベーションの特徴としては,絶え間ない品質改良,プロセス・イノベーション,経験による習熟などが指摘されてきた。こうしたタイプのイノベーションが実現してきた背景としては,内部労働市場活用型の雇用システムの下での,OJT等の企業に固有な人的資本の蓄積,生産・販売部門との連携を強める人事ローテーションなどが重要な役割を果たしてきた。しかし,今後の日本は,革新的なプロダクト・イノベーションをより重視していかなければならないとすれば,それに応じて労働者の独創性,能力の発揮を行いやすいような雇用システムに改めていく必要があろう。

第四は,グローバリゼーションの一層の進展である。特に,海外で企業経営を行う場合,どのような雇用システムを採用するかが問題となる。労使関係の安定のためには,できるだけ現地型の雇用システムを採用しなければならず,現に海外に進出した日本企業では,雇用システムの「現地化」が進行している。他方,日本企業の場合,QCサークル等の職務区分が柔軟でチームワークを重視する生産システムが現地に移入され成功している例も多く,日本的なシステムが,日本企業の海外進出に伴って「輸出」される場合もある。今後は,企業活動のグローバリゼーションの進展とともに,現地企業での経験が積み重ねられ,雇用システムに関しても互いに優れた部分を採り入れるという形で,企業システムの相互浸透,国際間のコンバージェンス(収斂)が進展していくこととなろう。

(今後の日本の雇用システムの展望)

以上のように,長期的な観点からみて,日本の雇用システムにも変化の波が押し寄せてきていることは事実である。ただし,これらの要因がすぐさま抜本的なシステム全体の変化を生むほど大きな力であるかは疑問であろう。むしろ,これまでの日本の雇用システムによってもたらされてきた労働市場の柔軟性,人的資源の蓄積などの利点を生かしながら,こうした新しい変化に対応できるようなシステムの構築が求められている。そこで,あえて,今後の日本の雇用システムの今後の変化の流れを展望してみると,次のような可能性が考えられよう。

第一に,これまでみてきたように,内部労働市場を活用した長期雇用に関しては,これを維持していこうとする力が相当強いものと考えられるが,賃金体系に関しては,企業内の年齢構成,労働者の価値観・意識などの変化の下で,能力主義の重視,職務給等の導入などの見直しがある程度進み,賃金プロファイルの傾きもそれに応じて緩やかになる可能性が考えられる。例えば,日本型雇用制度の今後について,企業がどういう意識を持っているかをみると(第3-2-17図①),「年功序列制は維持できない」とする割合が全体の78%と高い割合を占めているが,「終身雇用制は実質崩壊する」とする割合は21.4%と低く,「年功序列制は維持できないが,終身雇用制は維持される」とする割合は46.1%と比較的高い割合を占めている。

第二に,これまでの内部労働市場活用型の雇用形態が,長期雇用,年功賃金が維持される従来型の部分と,非正規労働者(パート,派遣,契約社員),能力給を中心とした流動性が高い部分に分かれ,それらが企業の中で共存していくという方向が考えられる。終身雇用制度の展望に関するアンケート調査をみると(同図②),基本的に終身雇用を維持するという考え方が全体の8割程度を占める一方,「実質的に終身雇用が崩れている」とする割合は5.2%とわずかであり,また,「終身雇用の適用従業員と非終身雇用の適用従業員が共存する」とする割合が13.0%を占めている。

それでは,具体的にどのような部分の流動性が高まるのであろうか。内部労働市場よりも流動性の高い外部労働市場の方が効率的に処理できる仕事の条件としては,①企業内の他の部署や従業員と情報を共有したり,特定の企業内での経験を必要とせず,②必要な技能が自己責任で外部で身につけられ,③業績が客観的に判断し易い,といったものが考えられる。このような仕事の例としては,単純で定型化された業務や高度の専門的知識・経験・能力・才能を必要とする業務などが挙げられる。一方,非定型的であり,企業内の経験が重要な要素となる仕事については,従来通り,内部労働市場活用型のシステムが効率的であるため,こうした仕事については長期雇用が維持されると考えられる。

4. 高齢化と雇用

最後に,今後の雇用システムを変化させる推進力として指摘した四つの要因のうち,確実に進行し,政策的にも重要な意味を持つと思われる高齢化と雇用との関係について,さらに考えてみよう。

(高齢化の進展と労働力率の低下)

今後,日本の人口の高齢化は,諸外国と比較して急速に進んでいくものと見込まれている。主要国の高齢者(65歳以上)人口の割合の推移及び今後の見通しによると,日本の高齢者人口の割合は主要国の中で85年までは最も低かったが,1990年から2020年にかけて急速に上昇し,世界的にみても極めて高い水準となることが予想されている。こうして日本の高齢化が特に進展するのは,日本の平均寿命が伸び(日本は世界の最長寿国),出生率が低下しているからである(日本の93年の合計特殊出生率は,長期的な意味で人口の維持に必要な2.08を下回っており,1.46まで低下している)。

このような高齢化の急速な進展は,経済にとってマイナスのイメージを持つものとして語られることが多い。労働力の減少や医療,年金等の社会保障コストが若年層,中年層といった現役世代の負担を増大させ,日本の経済社会の活力を弱めることが懸念されるからである。確かに,今後の経済を展望するに当たって,日本の高齢化が諸外国に類をみないスピードで進むことが経済社会の様々な分野に与える影響を過小評価すべきでないことはいうまでもない。しかし,日本の場合,平均寿命の増加で高齢化が進展している部分については,高年齢層においてもこれまでより健康で就業可能な人の割合が高くなっていることを意味している。このような高齢者の特徴を積極的に評価して,高齢者の労働力率を高めていくことは十分可能であり,それは高齢化のマイナスのイメージは相当程度弱まるはずである。

そこで,高齢者(男子)の労働力率の推移を国際比較してみると(第3-2-18図①),日本の労働力率の水準は最も高く,高齢者の就業意欲はかなり高いといえる。さらに,70年代以降の変化の方向をみると(同図②),男子の場合,90年以降はやや上昇しているものの,トレンドとしては低下傾向が続いてきたことが分かる。こうした点からみて,高齢化への対処に関しては,趨勢的に労働力率の低下がみられてきた高齢者の雇用拡大をいかに実現していくかが重要なポイントだといえよう。

そこで以下では,高齢者の雇用拡大を図るための基本的な論点について考えてみたい。

(高齢者の雇用拡大に向けて)

まず第一に,定年制と長期雇用に係わる問題について考えよう。定年制延長の動きが進展するなかで,60~64歳定年制の企業の割合は急速に増加し,1994年には一律定年制を定める企業の8割程度に達している(第3-2-19図)。したがって,60歳以上の高齢者の就業機会を高める方法としては,まず,同一企業における勤務延長,再雇用が図られることが重要である。しかし,60~64歳定年制を定める企業のうち,少なくとも65歳までの勤務延長制度,再雇用制度を有するものは,5割程度にとどまっている。さらに,少なくとも65歳まで雇用が保障されている企業(60~64歳定年を定める企業で原則として希望者全員を対象に65歳までの雇用を確保している企業と65歳以上の定年制を設けている企業の合計)は2割程度に過ぎない。65歳までの継続雇用を推進することについて国民のコンセンサスを形成し,事業主等に対する啓発を行うことが重要である。

あわせて,高齢者の働く意欲と能力に応え,定年後60歳から65歳までの雇用の継続を援助,促進するための高年齢雇用継続給付を雇用保険制度に設けることとしており,これにより高齢者の働くことへの意欲がより喚起されることが期待される。

第二は,高齢者の就業機会・選択の多様化のための基盤作りである。高齢者は他の年齢層に比較して,健康・体力,所得・資産水準,選好等はより多様化していると考えられる。高齢者の多様なバックグラウンドは,就業ニーズもまた多様化していることを意味する。同じ高齢者といっても,就労するか引退するか,また,就労の中でも常勤かパートかなど様々な人々がいるはずである。高齢就業者の就業理由をみると(第3-2-20図①),年齢層が高くなるに従い,「経済上の理由」の割合が低くなる一方,「健康上の理由」,「生きがい,社会参加のため」,とする割合が高くなっており,就業理由が多様化していることが分かる。また,希望する就業形態をみても(同図②),年齢層が上昇するにつれて,普通勤務で会社などに雇われたいとする者の割合が低下する一方,任意就業,内職,自営業主等を希望する者の割合が上昇し,前者の中でも「普通勤務希望」の割合が低下(「短時間勤務希望」の割合は上昇)しており,希望する就業形態がより多様化している。

このような多様な高齢者像を考えると,高齢者の就業促進に際しては,すべての高年齢者に単一の就業形態を強制するのではなく,高齢者の多様性に応じた選択肢が用意されることで,結果的に高齢者の就業機会が高まることが望ましい。これは企業内における雇用システムの在り方にもつながる問題である。前述のように,比較的同質の労働者の長期雇用で成り立っていた内部労働市場的な雇用システムと併存する形で,外部労働市場的な流動性の高い部分が形成されていけば,これが就業意欲の高い高齢者の多様なニーズに答えていく基盤となるものと期待される。

高齢者の就業選択の多様化という観点からは,公的年金制度と高齢者の雇用との関係も重要である。前述のように,高齢者の労働力率が趨勢的に低下している一つの背景として,公的年金制度のスキーム自体が高齢者の就業を抑制してきた側面がある。在職高齢者の賃金と年金支給額との関係をみると(第3-2-21表①),現行制度では賃金が一定額(9.5万円)を越えると,賃金の上昇に伴って年金が減額されるので,賃金と公的年金を合わせた総収入額があまり増加せず,これが就業インセンティブ(特に,年金支給の減額される割合の大きい場合)を阻害していた面は否定できない。このような状況を踏まえ,現在,国会に提出されている厚生年金制度の改正では,高齢者の雇用の促進を図るため,賃金の増加に応じて賃金と年金の合計額が増加するよう改善が図られている(同表②)。また,高齢者の就業意欲を阻害していたとみられる年金と失業給付の併給についても,これを廃止することとしており,このような制度変更が高齢者の就業インセンティブを促進させることが期待される。

第三は,高齢者の選択の多様性が認められるようになるためにも,高齢労働者が企業にとって魅力ある存在になる必要である。確かに高齢者にとって,OJT等による新たな企業に固有な技能の習得はなかなか難しい面があろう。しかし,経済活動における生産要素として「知識」の重要性が高まるなかで,高齢者の既に蓄積された知識,技能,経験等の人的資本の「ストック」は積極的に活用されるべきであり,活用の余地は大きいものと思われる。例えば,年齢階層別学歴の動向をみると(第3-2-22図),現在,60歳以上で高卒の割合は50~55%程度,大卒以上が11%程度であるが,30~34歳の世代は高卒が95.3%,大卒以上が40.5%とかなり高くなっており,今後,高齢化が進むとともに,教育水準を考慮した高齢者の人的資本の「ストック」は徐々に高まっていくと考えられる。また,個々の労働者にとっても,将来同一企業で勤め続ける場合でも,転職を行う場合でも,他の人にはない熟練・技能の「ストック」があれば,それが高齢者のバーゲニング・パワー(交渉力)を高めることになるから,若年のうちからそのような「ストック」を着実に形成していくことが重要であろう。

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