第2節 長期化したストック調整

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循環的な側面から景気後退の背景をみるため,ここでは家計の耐久消費財のストック調整と企業の設備ストック調整を取り上げる。今回の景気後退局面では,この二つのストック調整が大方の予想を裏切って長引き,それが全体としての景気後退を長期化させる大きな要因となった。

1. 耐久消費財のストック調整

まず,家計における耐久消費財のストック調整が長期化してきた背景を考えよう。

(耐久消費財のフローとストックの推移)

まず,80年代後半以降の耐久消費財のフローとストックの変動をみよう。

フローの状況を示すものとして,耐久財の販売状況をみると,AV家電については86~88年に,白物家電には87~88年に,乗用車に関しても88~90年にかけて大きな需要のコブが発生している(前掲第1-3-4図)。こうした需要のコブは,これら耐久財の普及率が高いことからみて,基本的には買換え需要によって引き起こされているものと考えられる。いくつかの耐久財の出荷の変動を,新規購入要因,買換え要因,買い増し要因に分解してみると(第2-2-1図),普及率が相対的に低いVTR(普及率70%)では,新規購入要因が販売の動向に大きな影響を及ぼしているものの,普及率が80~100%と高い乗用車,カラーテレビ,冷蔵庫などでは,80年代後半にみられた高い伸びは買換えに支えられたものであり,逆に92年以降の前年割れは,その反動が大きいことが分かる。

こうした需要のコブが乗用車とAV,白物で時期がずれているのは,①買換えサイクルの長さが財によって異なること,②家電には白物を中心に相対的に必需的な需要が多いのに対し,乗用車は嗜好性が強いといった性格の違いがあること,③後にみるように,乗用車については通常のサイクルでは説明できない盛り上がりがみられたことなどによる。

次に,こうしたフローの動きが累積された結果,耐久財のストックがどのように推移してきたかをみたのが 第2-2-2図である。なお,買換えによる購入がストックに及ぼす影響を家計全体でみると,買換え前に保有されていたものも中古品としてストックにとどまることから,結果としてストックを増加させる。これによると,乗用車等のストックは80年代後半にかなり伸びを高めており,これがその後のストック調整圧力を強めた原因となった。家電製品等のストックについても,80年代後半に緩やかに伸びが高まり,その後の調整局面を迎えている。なお,92年以降のストックの伸び率は,ともにかなり低いレベルとなっており,ストック調整が進展してきていることがうかがえる。

以上のような80年代後半の耐久財販売及びストックの伸びのテンポに違いがみられるのは,前述のように家電製品は必需的な性格が強いため通常の買換えサイクルに近い動きを示したのに対して,乗用車では,後述のような好条件が重なったことにより,通常の買換えサイクルの需要に加えて,それ以外の買換え需要が顕現化したためと考えられる。

このように,今回の耐久消費財のストック調整は,特に,乗用車を中心に大きなものとなったといえる。

(ストック調整が耐久消費財消費に与えた影響)

では,こうしたストック調整の動きは,耐久消費財の消費にどの程度の影響を及ぼしただろうか。この点をみるために,耐久消費財消費の変動を,所得,金融資産,価格,ストック要因で説明する関数を推計し,要因分解を行ってみたのが第2-2-3図である。これによると,80年代後半に耐久消費財支出の増加率が高まったのは,資産効果や実質所得の増加が家計の耐久消費財購入姿勢を積極化させたためであり,その後の耐久消費財支出の鈍化は,資産効果の剥落や実質所得の減少にストック調整要因(ストック要因のマイナス幅が大きくなる)が加わったためであることが分かる。

その後92年には,ストック調整要因のマイナス幅はかなり小さくなっており,これが耐久消費財支出を抑える力はかなり弱まっている。94年に入ってから,家電製品の一部に持ち直しの動きがみられるのは,こうしたストック調整の進展を反映している可能性がある。

(乗用車販売盛り上がりの背景)

次に,80年代後半からその後の景気後退局面にかけて特に大きな変動を示した乗用車を取り上げ,その需要の変動が大きかった理由をやや詳しく検討してみよう。

88~90年にかけて乗用車の販売が急増したのは,景気拡大に伴う所得環境の改善,株価上昇による資産効果,物品税の廃止等に伴う価格低下等が背景となっている。

こうして経済環境が大幅に好転したため,この時には,ユーザーの買換え需要が集中的に顕在化したものと考えられる。すなわち,従来から3~5年(1回目,2回目の車検)といったサイクルで買換えを行ってきたユーザーのみならず,以下にみるように買換えサイクルが比較的長いユーザーが,一気に購入に回ったのである。

この点を確かめるために,新車購入世帯の買換え以前の車の使用期間をみたのが第2-2-4図である。これによると,「7年以上使用していた車からの買換え」の割合が,85年の22%から89年(販売台数の伸びがピークだった年)には32%まで上昇している。さらに,買換える際に登録抹消となった乗用車の車齢をみても,89~90年には車齢6年未満の乗用車に比べて,6年以上の車で登録抹消される台数が著しく増加しており,使用期間の長い車からの買換えが活発化したことが分かる(第2-2-5図)。このことは,88~90年にかけて買換えを行ったユーザーの中には,6~7年以上のサイクルを持ったユーザーが多かったことを示唆している。

今回の消費低迷の中で,乗用車に関しては,「これまでのサイクルに基づいて考えると,93年には,88年から90年に購入された車の買換え需要が顕現化するはずだ」といった期待が持たれていたが,結果的にはこうした期待は実現しなかった。これは,通常の3年~5年の買換えサイクルを持つユーザーが,最近の所得・雇用環境の悪化で購入を先送りしていることに加えて,バブル期に買換えを行った6~7年以上の買換えサイクルを持つユーザーが,まだ買換え時期を迎えていないことも影響していたためと考えられる。94年に入ってから一部の家電販売に持ち直しの動きがみられるなかで,乗用車販売の回復が遅れている一因はここにあろう。

(今後の耐久消費財販売動向)

今後の耐久財需要については,所得・雇用環境に引き続き改善がみられないことや,乗用車に関しても,前述のような6~7年以上の買換えサイクル層に係わる買換え需要がすぐには現れないことも考えられ,このことが全体の回復の姿を緩慢なものとする要因となる可能性がある。

ただ,ストック調整が全体として進展してきていることから,これが耐久財消費を抑制する力は次第に弱まっており,乗用車についても全体の買換え需要が潜在的に大きいことから,耐久財需要が回復する環境条件は整いつつあると考えられる。

2. 企業の設備ストック調整

今回の景気後退局面での特徴は,設備投資の低迷が長期化していることである。国民所得統計でみる民間設備投資は,91年第4四半期以降,10期連続して前期比マイナスとなっている。94年度についても,民間調査機関の設備投資計画調査は,前年度比マイナスの見通しとなっている。

もちろん,80年代後半のバブル期に,大きく資本ストックが積み上がっていたことを考えると,その後の調整期間も長期化することは当然ではあるが,今回の場合は,過去の例から考えると設備投資が増加し始めても不思議でない水準にまでストックの伸びが低下してからも更に設備投資の停滞が続いたなど,一段と調整が長期化している。以下では,まずストック調整が長期化した理由について考え,今後の設備投資の動きをみる上で重要なポイントについて述べる。

(1) 設備のストック調整が長期化した背景

今回の景気後退局面で,設備のストック調整が長期化した背景としては,①もともとストック調整の中心となる製造業でのストック調整が長期化したこと,②通常であれば,景気後退期に設備投資を下支えする非製造業についてもストック調整の動きがみられたこと,③投資部門別にみると,建設投資部門のストック調整が機械設備のストック調整に重なったこと,が指摘できる。

(製造業の設備ストック調整長期化の背景)

製造業の設備投資は,これまでもストック調整の動きが現れやすく,設備投資変動の中心であった。その製造業の設備ストックの調整が長期化したことが,設備全体のストック調整が長期化した第一の背景であった。

製造業の設備投資の決定プロセスは,基本的にはストック調整・加速度原理によって考えることができる。これは,①企業が目標とする生産水準に見合った「望ましい資本ストック水準」を考える,②現在のストック水準をその望ましい水準に調整する,③その過程でストックの差分としてのフローの設備投資額が決まる,とする考え方である。その「望ましい資本ストック」の伸びは,期待成長率の伸びと資本係数(資本ストック/生産)の上昇率によって変わってくる。期待成長率が低下すると,将来必要とする中期的な資本ストックの伸びも低下することになる。

また,資本係数は,生産能力当たりの資本ストック(資本ストック/生産能力,これは,省力化投資・研究開発投資など生産能力とは独立に決まる設備投資に影響される)と稼働率の変動によって決まる部分(生産能力/生産)に分けられる。前者については,近年の省力化・研究開発投資の増加によって上方トレンドを持っており,後者は景気に応じた循環的な動きをする。この場合,例えば,稼働率が低下すると,資本係数がトレンドを上回って上昇し,企業の設備過剰感が生じ,設備投資は抑制されることになる。

そこでまず,資本係数の推移をみてみよう(第2-2-6図①)。資本係数は,上述の通り,上方トレンドを持っていることが分かる。次に,稼働率の動きをみるために,資本係数のトレンドからのかい離をみると,88~90年にかけてトレンド線を大きく下回り,設備の不足感が強まった。91年以降は,逆にトレンド線を上回っており,そのかい離幅は高止まりしており,企業の設備過剰感が強いことが分かる。

この点を更に詳しくみるために,資本係数のトレンドからのかい離を,資本ストックの伸びと実質GDPの伸び率で要因分解してみたのが,第2-2-6図②である。これをみると,92年以降資本係数が上昇しているのは,主に需要の低迷(GDPの伸びの鈍化)によるものであることが分かる。特に93年には,資本ストックの伸び率自体は,過去のトレンド以下にまで低下してきているが,それを上回って最終需要が低迷したため,資本係数の上昇が生じている。

この資本係数の姿から考えると,近年は,資本ストックの伸びは相当程度低下してきたものの,それ以上に最終需要の低迷が進んだため,企業の設備過剰感は改善するどころか,一段と悪化し,その結果としてストック調整が長期化し,設備投資が低迷したことになる。

なお,前述のように,資本係数のトレンドからのかい離は,稼働率によって説明できることから,稼働率を説明変数に加えた設備投資関数を推計すると,非常に高い説明力が得られる。この推計式によっても,今回の景気後退過程では稼働率の低下が,設備投資の低迷の長期化を招いている主因となっていることが示される(後掲第2-3-12表)。

(期待成長率の低下と設備投資)

稼働率のほかに,期待成長率の下方屈折も設備投資に影響を与える。それは,稼働率が同じであっても中長期的に期待される需要の伸びが低下すると,それに合わせて必要となる設備の伸びも鈍化することになるからである。

こうした期待成長率が製造業の設備投資に与える影響をみてみよう。

企業の期待成長率は,70年代にそれまでの10%程度の成長期待が5%前後に低下した。また,近年においても景気後退が長期化するなかで成長期待が低下してきている(詳しくは,第3章第4節参照)。

こうした期待成長率の動きが製造業の設備投資に及ぼす影響をみるため,設備投資(対資本ストック比)を,稼働率指数と期待成長率の二つの要因で説明する式を作り,70年代の高度成長期と80年代以降の安定成長期に分けて,期待成長率を外挿させてそのかい離をみたのが,第2-2-7図である。これによれば,高度成長期において,71年以降も期待成長率が10%で推移したと仮定して外挿した結果は,現実の期待成長率を入れた推計値を大きく上回った。つまり,70年代に入ってからの期待成長率の下方屈折は,設備投資をかなり抑制する要因として作用していたことになる。一方,91年以降の期待成長率について,91年のままで推移すると仮定して外挿した場合には,実績値と外挿値がほぼ一致する結果となった。つまり,近年の期待成長率の低下は,設備投資にそれほど影響していないことになる。こうした違いが生じたのは,70年代には成長期待のトレンドが下方に屈折したのに対して,近年の場合は,成長期待はほぼ稼働率に見合って(つまり景気の循環に合わせて)変化しているためだと考えられる。

したがって,今後,稼働率が回復しても(つまり景気が上昇局面に入っても)成長期待が不変にとどまる場合には,成長期待の下方屈折が生じたこととなり,それが設備投資に影響する可能性はあるが,少なくともこれまでのところは,設備投資の減少は,最終需要の低迷を主因とする稼働率の低下等によって説明することができる。

(非製造業でも生じたストック調整の動き)

ここまでは,ストック調整が作用しやすい製造業の設備投資についてみてきた。しかし,今回の場合は,従来景気後退局面で設備投資を下支えしてきた非製造業の設備にもストック調整の動きがみられた。これが全体としてのストック調整が長期化した第二の理由であった。

まず,これまでの景気後退局面における,非製造業の設備投資の動きをみてみよう。70年以降の設備投資の変動を製造業,非製造業に寄与度分解してみると,①非製造業の設備投資が減少するのは稀であり,②景気後退局面で,今回と同程度非製造業のマイナス寄与が大きかったのは,第1次石油危機後の74~75年以来であることが分かる(第2-2-8図①)。

今回,非製造業の設備投資が減少してきた背景をみるため,その変動を業種別に寄与度分解してみると(第2-2-8図②),91年後半から,建設,不動産業が減少し始め,続いて卸・小売,サービス業での設備投資の減少が大きかったことが,全体としての非製造業の設備投資を低迷させている。よって,今回の非製造業の設備投資の減少は,①消費の低迷による卸・小売,サービス業の設備投資の減少に,②バブルの崩壊による建設,不動産の設備投資の減少が重なったものといえる。バブル崩壊の影響については3節で述べるので,以下では卸・小売のストック調整について考えてみる。

卸・小売業の資本係数(資本ストック/個人消費)の推移をみると,90年以降,トレンド線から上方に大きくかい離してきており,設備の過剰感が強まっていることを示している(第2-2-9図①)。この資本係数のトレンドからのかい離を要因分解してみると,90~91年の資本係数の伸びは,資本ストックが大きく伸びたことが主因となっているが,92年以降は,最終需要である個人消費がトレンドを下回って低迷していることが主因となっている( 同図②)。

(建設投資分野でのストック調整の動き)

建設投資は,着工から竣工までの懐妊期間が機械設備に比べて長いため,いったんストック調整が本格化すると,その終了までにはかなりの時間が必要となる(言い換えると調整速度が遅い)。今回の景気後退局面では,その建設投資分野で大きなストック調整の動きがみられた。これが全体としてのストック調整が長期化した第三の理由であった。

なお,90年時点の設備投資に占める建設投資のウエイトは,製造業で26%,非製造業で42%である。このうち,全建設投資の10%を占めるオフィスビルについては,バランスシート問題の後遺症として,第3節で取り上げる。

80年代後半には,オフィスビルだけでなく建設投資全体が大きな盛り上がりを示した。このことは,製造業の設備投資に占める建物・構築物の割合が,88年以降急上昇していることにもみることができる(第2-2-10図①)。なお,建設期間が長期にわたる建設投資は,途中段階では建設仮勘定に計上されるから,それによって大型建設投資の動きを知ることができる(ただし,据え付けに時間がかかる大規模機械も含まれていることに注意)。そこで,資本ストックに占める建設仮勘定の比率をみると,80年代後半に大きな高まりを示しており,本社や工場等の大規模工事が当時の建設投資をリードしていたことがうかがわれる(同図②)。

こうした建設投資の変動が設備投資全体に及ぼした影響について考えてみよう。

まず,80年代後半の設備投資拡大期についてみよう。第2-2-11図①は,建設仮勘定と「その他有形固定資産(主に機械設備)」の動きをみたものである。建設仮勘定はいったん伸びが高まると「その他有形固定資産」に比べて,その伸びが数四半期にわたって続く傾向がある。また,建築着工予定額(建設投資の意思決定を表す)と建設仮勘定の動きを比べてみると,前者が「その他有形固定資産」と同じタイミングで増加したあと,しばらく後者の伸びが続くという関係がある(同図②)。これは,建設投資の場合,投資決定の時期は機械設備と同時だったものの,懐妊期間が長く,工事が多年度にわたるため,建設仮勘定として数年間にわたって設備投資に計上されてきたことによる。

こうした建設投資は,89~90年の設備投資を下支えする役割を果たした。すなわち,その時々の投資判断を敏感に反映する機械設備(「その他有形固定資産」で代理)は,88~89年をピークに,91年にかけては伸び率が鈍化した。しかし,建設投資を示す建設仮勘定が,88年以降も数年にわたって計上され,このため全体としての設備投資も,89年~90年まで比較的高い伸びを維持できたのである(前掲第2-2-11図①)。

次に,その後の投資の減少局面における建設投資の動きについて考えよう。いったん完成した建設物は,機械設備よりも耐用年数が長い分,ストックの調整速度が遅くなり,全体としての設備のストック調整を長期化させることになる。

そこで,設備投資を機械と建物に分けて,それぞれのストック循環図を描いてみたのが第2-2-12図である。これをみると,機械ストックの伸びは,92年には既に86~87年の伸びを下回るまで低下しているが,建設ストックについては,92年になっても依然として高い伸びが続いており,ストックの調整が遅れていることがみてとれる。

このようなストック調整速度の違いは,機械受注に最近下げ止まりの動きがでてきている一方で,建設工事受注(住宅を除く民間)が引き続き低迷しているといったことにも現れている。

(2) 今後の設備投資を展望する上での留意点

次に,今後の設備投資の動きを展望する上で,留意すべきいくつかの点を検討する。ここで取り上げるのは,①企業のキャッシュフローと設備投資の関係,②稼働率のレベルと設備投資の関係,③中小企業の設備投資と全体の設備投資との関係,の三点である。

(キャッシュフローとの関係でみた設備投資動向)

企業のキャッシュフローが設備投資の「岩盤」であるという考え方がある。そこで,設備投資の総額と企業のキャッシュフローを比較してみると(第2-2-13図),設備投資がキャッシュフローを下回ったことがない。確かに,キャシュフローが設備投資の下限になっており,その意味で設備投資の「岩盤」となっているようにみえる。しかも,両者が接近してくると,両者の相関は強まる傾向がある(第2-2-14図)。

こうして設備投資とキャッシュフローが関係しあっているのは,①キャッシュフローが資金のアベイラビリティを通じて設備投資に影響を与えていること,②設備投資がキャッシュフローを下回るということは,新規の設備投資額が減価償却などの有形固定資産の減少額を下回る可能性が強いため簿価ベースでみて企業規模が縮小することになるが,企業経営者にとっては,こうした消極的な経営は好まれないこと,などの理由が考えられる。

こうした観点から93年以降の状況をみると,設備投資額がほとんどキャッシュフローと同水準にまで削減されてきており,これ以上設備投資を抑制していく余地は限られているといえよう。

ただし,①全産業の合計でみて,設備投資とキャッシュフローが一致するということは,すでに設備投資がキャッシュフローを下回っている企業が相当存在することを示しており,ミクロのレベルでは「岩盤」説が成立していないことになること(個々の企業で岩盤説が妥当すれば,マクロではキャッシュフローをある程度上回る水準がマクロの設備投資の岩盤になるはず),②今回の設備投資の低迷には,従来のようなストック調整だけではなく,バブルの崩壊に伴うバランスシート調整が企業マインドにマイナスの影響を及ぼしており,過去の経験がそのまま当てはまるとは限らないこと,といった点には注意が必要である。

(稼働率の水準と設備投資の関係)

稼働率の動きが設備投資の決定要因として重要な役割を果たしていることについては,既に述べてきたが,そこでは「稼働率の変化」を考えてきた。しかし,稼働率と設備投資の関係については,変化の方向だけではなく「水準」も重要であるという考え方がある。

そこで,設備投資と稼働率との関係が,稼働率のレベルによって影響を受けているかどうかをチェックしてみよう。まず設備投資の稼働率に対する弾性値(1%の稼働率の上昇で設備投資が何%増加するか)について,特定の稼働率を境に弾性値が変化しているかのチェックを行ってみると,稼働率90,91程度を境にして弾性値に変化があることが分かる(第2-2-15図②)。第2-2-15図①は,この点を示すため,稼働率90のレベルでサンプルを分けて,稼働率変化と設備投資の変化の関係をプロットしたものである(両者の関係の傾きが弾性値となる)。これによれば,稼働率90以上のグループの弾性値が2.3であるのに対して,90以下の期では0.7となっている。

こうした議論を最近の状況に当てはめてみると,94年第1四半期の稼働率水準(90年=100)は,83.2となっており,第1次石油危機後の景気後退局面(75年第1四半期80.5)に並ぶ低水準となっている。したがって,今後稼働率が上昇し始めても,稼働率90前後に達するまでは設備投資の増加テンポは緩やかなものにとどまる可能性があることを意味している。

ただし,これまで稼働率が90を大きく下回ったのは,第1次石油危機後だけであることを考えると,こうした議論は要するに,「今回も第1次石油危機後のように設備投資の回復が遅れる」といっているのとほぼ同じことになる。しかし,設備投資環境という観点から今回の局面と第1次石油危機後の局面を比較してみると,第1次石油危機後は,期待成長力が大きく下方屈折したため,設備過剰感がなかなか払拭されず設備投資の回復が遅れたことなどの差があり,必ずしも第1次石油危機後と同じ道をたどるとは必ずしもいえないことに留意する必要がある。

(中小・製造業の設備投資の先行性)

従来の設備投資の変動をみると,中小・製造業の設備投資が全体としての設備投資に先行するという関係がみられたが,今回はこの関係が崩れているのではないか,という見方がある。この点について検討してみよう。

まず,製造業の設備投資における中小企業の先行性を確かめてみよう(第2-2-16図)。中小企業と大企業の設備投資の相関関係をみると,中小企業が大企業に比べて2四半期程度先行する傾向にあることが確かめられる(同図①)。一方,業況判断については,中小企業の先行性はみられず,大企業と中小企業はほとんど同時に変動している(同図②)。この業況判断と設備投資との相関を規模別にみると(同図③),中小企業では業況判断が変化してから1四半期で設備投資が動き始めるのに対して,大企業ではそれが3四半期となっている。つまり,中小企業の投資に先行性が生ずるのは,中小企業の場合,企業規模が小さく機動的な経営を行うことが可能なため,業況の判断から投資決定までの意思決定プロセスが短くてすむという理由によるものだということが考えられる。

しかし,今回の製造業設備投資の減少局面をみると,91年後半以降の中小企業の設備投資は,大・中堅企業とほぼ同時に下降し始めており,従来のような先行性がみられなかった。

その背景をみるために,前述したような意思決定から投資までの遅れの企業規模間の違いを考慮して,今回の設備投資(ここでは稼働率との対応を考えて,機械部分に相当する「その他有形固定資産」をとっている)の変動が,従来の稼働率から投資までのラグ関係でどの程度説明できるかをチェックしてみたのが,第2-2-17図である。これによると,大企業では従来の稼働率から投資までのラグで今回の減少のタイミングを説明できるものの,中小企業では,91年半ばにみられた堅調な設備投資の動きを説明できない。これは,中小企業が,今回の景気後退に際して,稼働率等ファンダメンタルの低下に対して,従来のような機敏な投資決定ができなかったことを示している。

これは,当時の中小企業の先行きに対する投資マインドが,過去の例から考えられるよりは強気化していたことによるものと考えられる。このことは,当時の中小企業の業況判断の水準が,高い水準で推移したことにも現れている。

ただし,足元については,大企業の「その他有形固定資産」が引き続き減少しているなか,中小企業の「その他有形固定資産」のマイナス幅に92年以降下げ止まりの動きがみられており,再び中小企業の先行性をうかがわせる動きがでてきている(前掲第2-2-17図)。

3. 実物資産収益率の低下

次に,やや視点を変えて,企業のストック調整の問題を,ストックの収益率(実物資産収益率)の変化という観点から考えてみよう。というのは,今回の景気後退の中で,特に実物資産収益率の低下が目立っており,これが設備投資環境を悪化させているからである。

(実物資産収益率の低下)

まず,実物資産収益率(営業利益/実物資産)に金融資産収益率(営業外収益/金融資産)を加えたROA(総資産収益率)の推移をみると(第2-2-18図①),89年をピークに急速に低下しており,93年後半の時点では,製造業,非製造業ともかつてないほどの低水準となっている。こうした動きは,ROAの変動に占める実物資産収益率の寄与度が大きいことからすると,実物資産収益率の低下によってもたらされていると推察できる。

次に,実物資産収益率が急低下してきた背景を考えるために,ROAの要因分解を行ってみよう。同図②は,ROAの変動を売上高経常利益率と総資本回転率(売上高/総資本)に要因分解したものである。これをみると,89年までのROAの上昇は,負債調達増に伴う総資本回転率の低下(資産の効率性の低下)を上回る売上高経常利益率の上昇(資産の収益性の向上)によって可能となった。その後は,景気後退に伴い収益性が低下するなか,バランスシート調整による負債残高の圧縮を通した総資本回転率の改善も進まなかったことから,両者がROAの引下げに作用した。93年以降については,固定費の圧縮等の効果から利益率のマイナス寄与が小さくなっているものの,資産の効率性の低下が引き続きROAを押し下げている。

(限界資産収益率の低下)

このように,近年の実物資産収益率の低下は,景気後退によるところが大きいことは間違いないが,単なる景気要因ではこの激しい落ち込みは説明できない。この点をみるために,実物資産収益率を稼働率で回帰する式を推計し,89年以降を外挿して,実際の収益率の推移と比較してみると,実績値は推計値を大きく下回っている(第2-2-19図)。今回の景気後退過程では,景気要因では説明できないほど収益率が低下していることが分かる。

その理由として考えられるのが,80年代後半に実行した設備投資の限界収益性が低かったということである。つまり,バブル期に,企業の投資判断が甘くなり,収益率の低いストックが積み上がってしまい,それがその後の収益率の低下となった可能性がある。この点をみるために,これまでの景気循環局面における資本ストックの限界資産収益率(製造業,収益の増分の資本の増分に対する比率)をみると,景気上昇局面での限界収益率は今回(86年11月~91年4月)が約3%と,近来にない低水準となっている(第2-2-20図)。

バブル期の実物資産収益率の低さをもたらした主な背景である投資判断の甘さを端的に示しているのが,子会社設立を通じた事業多角化の動きであった。こうした企業行動が,結果として収益面にどのような影響を及ぼしたかを,連単比率(連結決算/単独決算)によってみたのが第2-2-21図である。これをみると,総資産,経常利益とも80年代後半に上昇を示したが,90年以降は総資産の比率が高止まっているのに対して,経常利益については,逆にこの比率が低下しており,資産の増加が収益の増加に寄与していない状況をみることができる。

こうした事態に対処して,企業は中長期的なリストラクチュアリングに取り組んできているが,1社当たりの関連会社数は,92年まで引き続き増加しており(三菱総合研究所「連結・企業経営の分析」,87年度67社→90年度81社→92年度88社),関連会社への親会社からの投融資についても,増加テンポは鈍化しつつあるものの,引き続き増加がみられる(日本銀行「主要企業経営分析」,投融資残高87年度13.7兆円→90年度25.5兆円→92年度29.4兆円)。こうした点からみて,資産収益率をめぐる環境は依然厳しいものがあるといえよう。

4. 今後の設備投資動向

これまでの分析でみてきたように,設備投資のストック調整が長期化したのは,資本ストックの伸び率は相当程度低下してきたものの,それ以上に最終需要が低迷したことから,稼働率が低下し設備過剰感が改善しなかったことによる。

今後の設備投資については,①資本ストックの伸び率が過去と比べても相当低下してきていること,②設備投資の水準自体もこれまでの「岩盤」とみられるキャッシュフローに近づいていること,③中小・製造業の投資判断を敏感に反映する「その他有形固定資産」の減少に下げ止まりの動きがみられること,などから,さらに一段の下押し圧力が働くことは考えにくく,最終需要が持ち直しさえすれば,回復していく環境にあるといえる。

もっとも,その後の回復の強さについては,以下のような理由からかなり緩やかなものとなる可能性があることには留意が必要である。

その第一は,建設投資のストック調整の長期化が,オフィスビルを含めて設備投資に抑制的に働くこと,

第二は,稼働率の水準が低いことが,稼働率が反転しても,当初の設備投資の増加テンポを緩やかにする可能性があること,

第三は,第3節でみるようにバランスシート調整は進展してきているものの,調整が終了していないことが,当面設備投資に抑制的な影響を及ぼす可能性もあること,などである。

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