第11節 日本経済の現状と展望
これまでの各節では,総じて低迷の続いた93年度の日本経済について,経済全体の動きを左右した円高の影響を縦糸とし,家計,企業,政府の各主体における対応を横糸としつつ,その変動要因とメカニズムについて検討してきた。ここでは,まず,景気の水準を示す一つの方法であるGDPギャップ,景気の変動の方向を集約的に示す景気動向指数をみた後,景気の現状を総括的に評価することを通じて今後の景気の足取りを展望してみよう。
(拡大したGDPギャップ)
まず,「景気の水準」という観点から景気の現状を集約的に示す指標として,GDPギャップの動きをみよう。
GDPギャップは,現在の経済活動の水準が,基準となる経済成長経路に沿った活動水準からどの程度かい離しているかを示したものである。GDPがあるトレンドの回りで循環的に変動するという考え方を前提とすれば,その大きさは資本,労働などを総合したマクロ的な需要と供給のかい離の度合いを示すことになる。ここでは,資本と労働の要素投入が85年以降の平均的な値をとった場合のGDPを「平均GDP」とし,現実のGDPと平均GDPとのかい離をGDPギャップと定義している。これによると(第1-11-1図,付注1-16),91年1~3月期から縮小に転じ,92年4~6月期にマイナスとなってからも急速にマイナス幅が拡大を続け,93年1~3月期には一時下げ止まったものの,その後93年中は再びマイナス幅が拡大することとなった。このことから,現在の経済活動水準はこれまでの平均よりかなり低いものとなっていることが分かる。
ただし,基準となるGDPの設定に関してはいくつかの方法が考えられ,上記の「平均GDP」に基づいたGDPギャップについても推計期間のとり方によって変わり得るものであり,ここでのGDPギャップの推計も十分幅を持って解釈する必要がある。したがって,その数字を根拠にした「ギャップを政策的に埋めるべきである」という議論は適当とは考えられない。
(景気動向指数の推移)
次に,景気変動の方向を総合的に示す指標として,景気動向指数の動きをみよう。
景気動向指数(DI)は,景気に敏感な経済指標を選定し,それらの変化の方向を合成することにより作成される。これが50%を超えているときには,上昇している指標が下落している指標より多いことを示しているから,この一致指数が50%を超える状態が続けば景気は上昇局面にあり,50%を下回る状態が続けば後退局面にあると判断することができる。
このDIの一致指数の動きをみると(第1-11-2図),基調としては91年6月以降50%を下回る状態が続いていたが,93年2~4月には一時的に50%を上回る(4月はちょうど50%)という動きを示した。また,94年に入ってからは,1月,3月,4月に50%を上回っている。
(94年に入ってからの明るい動き)
以上のように,GDPギャップでみた景気の「水準」は引き続き低いものとなっているが,DIの動きは,景気の局面が変化しつつある可能性を示している。実際,94年に入ってからは,総じて低迷する経済の中にも,一部に明るい動きがみられるようになってきている。
第一に,需要面をみると,93年度を通して公共投資が堅調,住宅建設が高水準で推移するなかで,93年末から94年初にかけて,耐久消費財の一部に回復の動きがみられるなど個人消費にやや持ち直しの動きが現れてきている。設備投資は依然として減少を続けているものの,半導体を中心とした電気機械の設備投資は既に増加の兆しがみられる。93年には円高の影響もあって減少傾向であった輸出も,このところアメリカを中心とする世界景気の回復の動きを受けて一進一退の動きとなっている。
第二に,供給面をみると,94年に入って,生産・出荷が増加し,在庫が減少して,在庫率が大幅に下がるという動きが生じている。すなわち,1~3月期の生産は1.5%増,出荷は1.9%増,在庫は1.9%減となり,在庫率は10~12月期の122.6から1~3月期は112.7に低下した。
第三に,金融面では,株価が安定的に推移している。なお,長期金利に上昇がみられるが,これは一部の経済指標が改善したことを反映しているという面もある。
第四に,実体面以上に消費者・企業マインドの好転が進んでいる。消費者マインドの動きを経済企画庁「消費動向調査」によると,1~3月期の消費者態度指数は,前期比5.6%の上昇となった。企業マインドについて,日銀「短観」の企業の業況判断の動きをみると,5月調査の結果は改善を示している。
ただ,こうした明るい動きを,更に詳しく検討してみると,①消費については,一部に持ち直しの動きがあることは確かだが,家計調査,百貨店・チェーンストア販売額など消費全体の動きを示す指標は,依然としてマイナスまたは低い伸びにとどまっていること,②1~3月期の生産・出荷の動きには,期末要因が含まれていること,などに注意する必要がある。こうしたことに加え,雇用情勢をみると,製造業を中心に依然として厳しい状況にある。したがって,94年に入ってからみられるようになった一部の明るい動きが,そのまま一本調子で景気の本格的な回復につながっていくという流れはまだみられない。
(今後の景気の展望)
それでは,こうした明るい動きは今後の景気回復につながっていくのだろうか,あるいは,93年のように一時的な動きに終わり,再びダウンサイドリスクが表面化してしまうのだろうか。
まず,94年に入ってから生じている明るい動きの背景には,今後の景気回復につながっていく力をうかがわせる動きもみられる。
その第一は,ストック調整圧力が次第に弱まってきていることである。まず,家計における耐久消費財のストック調整は一巡しつつあり,これが一部の家電製品に回復の動きをもたらしている。また,設備投資の低迷が続くなかで企業設備のストック調整も進展しており,その調整圧力は次第に弱まってきている。電気機械の設備投資にみられる明るい動きは,まさにこうした背景で生じていると考えられる。
第二は,海外景気が明るさを増してきていることである。今回の世界同時不況の中では,英語圏諸国(アメリカ,カナダ,イギリスなど)→大陸ヨーロッパ諸国→日本という順番で景気後退に陥っていった。逆に,93年以降の世界経済は,英語圏諸国では既に景気が着実な回復軌道に乗りつつあり,さらに大陸ヨーロッパの中のフランスで回復の動きがみられてきている。アジア諸国の経済も堅調な拡大を続けている。こうした海外景気の回復傾向は,日本経済にとっても大きなプラス要因となるものである。
第三は,景気対策による景気下支え効果であるが,第三次補正予算,所得減税を含む94年2月の総合経済対策の効果はこれから発現するわけであり,また,94年度予算についてもこれと合わせ景気への配慮がなされたところである。これまでの金融政策の効果の浸透とも相まって,こうした景気対策の効果が今後本格的に現れてくることが期待される。
第四は,93年に生じた円高の影響については,これまでは純輸出の減少を通じて企業収益や設備投資に及ぼすデフレ効果が強く作用していたものと考えられるが,こうした効果が次第に一巡しつつあるのに対し,消費者物価の安定という円高のメリットは引き続き個人消費に好影響を及ぼしていくことが期待される。
以上の検討を踏まえれば,現在みられる明るい動きは,それなりの背景となる力を持ったものであることが分かる。
ただ,以下のような力が,ダウンサイドリスク要因として残っていることに留意すべきである。
第一は,為替レートの動向である。94年6月下旬以降,主要通貨に対するドル安が進行し,こうしたなかで円ドルレートも7月日には円銭(戦後最高値)を記録するなど円高ドル安が進み,神経質な動きを示している。このように経済の実体からかい離して急速に円高が進むことが,93年の例にみられるように,企業収益,輸出などを通して実体経済の大きなマイナス要因となる懸念がある。
第二は,バランスシート調整の遅れである。もちろん,バランスシート調整は進展してきているものの,調整が終了していないことから,企業において負債残高を圧縮しようとするインセンティブが働いたり,金融機関の貸出しについても,借り手の財務内容の悪化やバブル期にみられた過度の融資姿勢の正常化等を背景に低迷が続くとするならば,設備投資の回復を緩慢なものとする要因となる可能性もある。
したがって,このようなダウンサイドリスクを表面化させることのないよう十分注意を払いながら,先般の総合経済対策の着実な実施など適切かつ機動的な経済運営に努めることにより,現在みられる明るい芽を育てていけば,今後景気を回復軌道に乗せていくことは十分可能であろう。