第1節 再び試される日本経済の適応力

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日本経済はいかにしてこれまで繰り返されてきた経済環境の変化に伴う困難を乗り切ってきたのか。この点を見るために,本節では,1973年末以降の2次にわたる石油危機,85年以降の円高の進行という二つのケースを取り上げ,経済的適応のプロセスを振り返り,現局面における長期的課題について述べる。

1 石油危機の克服

73年10月の第4次中東戦争を契機として,原油価格(輸入通関価格)はバーレル当たり3.3ドル(73年平均)から10.8ドル(74年平均)に急騰し,日本の名目GNPに対する石油輸入金額の割合は1.5%から4.1%まで高まった(第4-1-1表)。その結果,日本経済はインフレ,国際収支赤字に加え,戦後初めてマイナス成長を記録するという困難に陥った。日本は輸入石油に依存する度合いが大きかったこともあり,原油価格高騰の経済的負担,その後の経済的パフォーマンスの悪化は他の諸国以上に大きかった。しかし,その後の日本経済は,減量経営,省エネルギー努力の効果もあって,インフレ下の不況というスタグフレーションから他の国々よりもスムースに脱出することができ,一段と効率的な経済となって蘇ることができた。

(所得流出とサプライショック)

原油価格高騰は,交易条件の悪化に伴う所得流出というルートでマクロ経済パフォーマンスを悪化させた。74年の交易条件(GNPベースの輸出等デフレータ/輸入等デフレータ)は原油価格高騰により前年比18.9%も悪化し,これによる海外への所得の移転はGNP比2.7%に達した。この所得流出額は,アメリカ,ドイツなど他の先進諸国と比べても大きなものだった(アメリカ1.2%,ドイツ1.1%)。これは,①日本の石油輸入依存度が高かったこと,②日本の輸出の中心である工業製品は石油投入比率が低いため,輸出価格の上昇はエネルギー価格に比べ相対的には小さくなること,などによる。原油価格高騰の結果,消費者物価は2割を超える上昇を続け,実質賃金は大幅に伸びが鈍化した。企業収益も大幅な悪化をみた。これは,売上の減少,石油コストの上昇に賃金上昇の影響が加わったためである。こうして,国内需要は大きく減少し,景気は厳しい後退局面に入っていった。

こうした困難を克服する力となったのが,企業の減量経営と省エネルギー努力であった。企業収益が悪化するなかで,企業は減量経営に努め,退職や転職等の勧奨という厳しい人員削減措置など厳しいコスト削減を実施する一方,鉄鋼における連続鋳造設備の導入にみられるように大型の省エネルギー投資を実施しエネルギー消費の節約に努めた。この結果,日本のエネルギー消費効率は飛躍的に向上し,労働生産性も高まった。実質GDP単位当たりエネルギー消費は,第1次石油危機後,アメリカ,ドイツなど他の先進諸国を上回って急速に低下を示している。また,減量経営の効果によって労働生産性が急速に上昇した結果,単位労働コストが低下し,これが価格競争力の回復,企業収益の下支えに貢献した。

石油危機後のマクロ経済の動きをみると,日本の失業率の上昇は,他の諸国より軽微なものにとどまった。物価面でも,ホームメードインフレ率を示すGDPデフレータの上昇率は74年に高騰したものの,75年以降収束に向かった。こうしたマクロ経済パフォーマンスの背景には,企業の減量経営による単位労働コストの低下,エネルギー消費効率の向上が交易条件悪化の悪影響を相殺したためであると考えられる。

(第2次石油危機への対応)

78年12月に第2次石油危機が発生した。原油価格は81年にかけて2.7倍に達し,石油輸入金額のGNP比は80年に5.0%まで増加し,第1次石油危機(74年に4.1%)を上回った。卸売物価のうちの素原材料価格は第1次石油危機と同程度の上昇を示した。しかし,マクロ経済への悪影響は,第1次の場合に比べてずっと小さかった。これは,第1次の場合には,輸入インフレをきっかけとしてホームメードインフレが引き起こされたのに対して,第2次の際にはそれがなかったことによる面が大きい。ホームメイドインフレの指標であるGDPデフレータの動きをみると,74年は対前年比20.1%もの上昇を示したが,79年は2.7%にとどまっている。

これは,賃金の動きの差による面が大きい。この点を見るため,国内卸売物価指数の動きを要因分解してみると,どちらの時も輸入物価が大きな上昇要因となったものの,第1次石油危機の時は賃金上昇がコストプッシュ要因として大きく作用しているが,第2次石油危機後は賃金コスト要因が全く物価上昇に寄与していないという違いがみられる(第4-1-2図,推計方法は付注4-1参照)。

第2次石油危機の際にはマネーサプライが安定しておりインフレ予想が落ち着いていたなかで,第1次石油危機の教訓もあって,賃金が高騰しなかったことが物価の安定に貢献し,それがマクロ経済のパフォーマンスの悪化を防いだのである。

2 85年以降の円高への適応

85年9月のプラザ合意をきっかけとして,9月には237円(月中平均)だった円レートは,86年8月には154円(月中平均)まで上昇し,日本経済は円高への適応を迫られることとなった。

(大きく低下した輸出競争力)

円高は石油危機とは逆に,交易条件を有利化させ,実質所得の増加をもたらしたものの,反面では,輸出採算を悪化させ,国際的にみた賃金コストが上昇するなど,企業環境に大きな変化をもたらすこととなった。

こうした変化に対して,企業は次のような対応を進めた。

その第一は,輸出依存型の経営体質を改めることであり,そのために国内では事業の多角化によって内需の掘り起こしを図る一方,海外現地生産を進め,生産の国際分業体制を構築する動きが進められた。

第二は,コスト削減や合理化・省力化に努めることであり,そのための設備投資が積極的に行われた。

こうした円高適応努力の進展は,企業の採算レートの変化に端的に示されている。経済企画庁「企業行動アンケート調査」によると,為替レートの採算ラインは,86年2月調査では207円であったものが,87年1月には175円,88年には141円となっている(第4-1-3図)。企業の対応努力が,円高に耐えうる経営の実現を可能にしたのである。

こうしてミクロレベルでの適応努力が進むなかで,マクロ的には,円高の交易条件改善効果が次第に表面化してきた。円高の進行に原油価格低下の影響も加わり,86年には所得の流入がGNP比1.6%に達し,日本の実質購買力を高めた。この購買力の高まりによって家計消費は堅調に増加し,これが企業が内需転換に向けた構造調整を進めていくうえで需要面から有利な環境を整えることとなった。また,金融面では87年以降低金利が続いたことも企業の積極的な投資活動を支えることとなった。

このように企業が積極的な対応を図り,家計消費が堅調に拡大するなかで,貿易・産業構造の高付加価値化,企業経営のグローバル化が実現し,マクロ経済としても内需を中心として経済成長率は一段と高まることとなった。

3 適応力の源泉と今回の調整過程の特徴

日本経済はこうして,すぐれた適応力を発揮して,石油危機,円高の局面を切り抜け,そのたびに新しい時代環境にふさわしい経済体質への構造変化を実現してきた。では,そうした適応力を生み出してきたものは何だったのだろうか。また,現在渦中にある調整過程は,これまでの場合と比べてどのような違いがあるのかを考えてみる。

(日本経済の適応力の源泉 生産性上昇力と弾力的な賃金)

石油危機,円高への適応過程を振り返ってみると,日本経済の適応力をもたらしてきた要因として,次のような点を指摘できよう。

第一は,基礎的な生産性上昇力が大きかったことである。70年代以降の労働生産性(就業者一人当たりの実質国内生産額)の上昇率は,加工組立型製造業では70年代平均5.3%,80年代5.5%,素材型製造業でも70年代6.5%,80年代3.6%となっている。生産性の上昇は,単位労働コスト(生産物一単位当たりに要する賃金費用)を引下げ,石油危機後のエネルギーコストの上昇,円高後のドルでみた生産コストの上昇をその分引き下げる。それはまた,物価上昇圧力を弱め,国際競争力を強める結果となる。日本の単位労働コストの推移を,第1次石油危機までの時期,プラザ合意までの時期,それ以降の時期の三つに分け,アメリカやドイツと比較すると,日本の単位労働コストの上昇率は,第1次石油危機以降についてはアメリカを大きく下回り,85年以降においてはドイツをも下回っている(第4-1-4表)。こうした生産性の上昇は,ミクロ面での企業の効率化努力とマクロ面での生産性上昇力とがあいまって実現した。マクロ面での基礎的な生産性上昇力については,本章の最後で詳しく検討する。

第二は,賃金の弾力的な変動である。経済的ショックが生じたとき,賃金の変動が弾力的であることは,ショックの波及を和らげ,その影響を弾力的に吸収する上で重要な役割を果たす。経済的ショックの影響が雇用面に及ぶとき,その調整は雇用量か賃金のいずれかで行われる。賃金で調整されればその分雇用量への波及は小さくて済む。石油危機後も円高後も失業率が上昇し深刻な問題となったが,日本の失業率の上昇は諸外国ほど大幅ではなかった。これは一つには,賃金の弾力的な変動が雇用へのショックを吸収したためである。また,石油危機のように海外からインフレ要因が生じたとき,物価の上昇に対してそのまま賃金がスライドすると,輸入インフレをホームメードインフレに転嫁させることとなり,インフレの収束を難しくすることになる。

こうした観点から日本の賃金の変動をみると,日本においては賃金が弾力的に決定されるという特徴がある。日本の賃金関数を推計してみると,①失業率等の実体経済面での変化に応じて賃金が決まっていること,②交易条件の変化が賃金に有意な影響を与えており,交易条件の改善による企業収益の増加が賃金上昇をもたらす一方,同じ物価上昇であっても,輸入インフレによる物価上昇には賃金の反応度が相対的に小さいという特徴がみられる(第4-1-5表)。

このように日本の賃金が弾力的であるのは,①経済情勢が悪化しても終身雇用的な雇用慣行の下で,企業ができる限り人員削減による雇用の調整を避けようとしていること,②日本は賃金に占めるボーナスの比率が高く,これが企業収益,雇用情勢に応じて弾力的に変動する傾向があることなどによるものと考えられる。

(日本経済の適応力の源泉 企業の高付加価値化努力)

そして第三は,市場からのシグナルにしたがって,企業が競って活発な設備投資などによる経営体制の変革を図ったことである。すなわち,石油危機の場合には,エネルギーの相対価格が上昇することによって,企業にはエネルギー消費を節約すべきだというシグナルが,またエネルギー多消費型の産業は不利化するというシグナルが送られ,各企業はこのシグナルにしたがって,一斉に省エネルギー努力を開始した。また,円高の際には,輸出価格と輸入価格が変化し,輸出依存型の経営を変革すべきだというシグナルが送られ,企業はこれにしたがって,競って内需開拓努力,生産拠点の海外展開努力を行った。 80年代後半以降の企業の対応努力を,売上高の変動要因という観点からみたのが,第4-1-6図である。ここでは企業の売上高の変動を,①出荷数量要因,②産出物価要因,③高度化要因の三つに分けて,その変動要因の推移をみている。この高度化要因は,単なる出荷数量や産出物価の変動では説明できない分を総合的に示しており,個々の製品の高付加価値化,製品構成の高付加価値製品へのシフト,本業部門以外の理由による売上の増加等が含まれており,企業の長期的な対応努力を表すものと考えることができる。

これをみると,食料品,繊維で出荷要因以上に高度化要因の寄与が大きく,電気機械,輸送機械でも,出荷数量と並んで高度化要因が売上増に大きな役割を果たしてきていることが分かる。この時期には,海外現地生産が進展し高付加価値品は国内生産で,低付加価値品は海外生産で行うという分業化が進められたが,こうした動きも高度化要因を大きくしている。このように,企業は円高を克服するなかで内需対応を進め,製品の高付加価値化を積極的に行うなど,環境変化に果敢に対応してきた。こうしたミクロ面での企業の高付加価値化努力がマクロ面に積み重なって,経済全体としての変化への適応が進んだものと考えられる。

この時重要なことは,こうした市場からのシグナルが,ある程度長期的な変化を示すものであり,かつ各企業にとって共通のシグナルだったということである。それぞれの時点で,企業はエネルギー価格の上昇も円高も,短期的な変化ではなくかなり持続する長期的な変化だという意識を持っていた。だからこそ積極的な投資活動を踏まえた対応努力が行われたのである。またこのシグナルが各企業にとって外から共通のものとして与えられたからこそ,一斉に同じ条件下で適応努力を巡る企業間競争がスタートすることとなったのである。

(これまでの適応過程と今回の違い)

従来の適応過程と今回の場合には次のような違いがある。

第一は,市場からのシグナルの明瞭性の違いである。前述のように,石油危機の場合も,円高の場合も相対価格の変化という市場からのシグナルが明瞭であり,企業はこのシグナルに沿って対応努力を進めることができた。しかし,今回の調整局面では,これまでの適応過程のような市場からのシグナルは必ずしも明瞭ではない。このため企業にとっては,何を基準にどのような目標に向けて対応を進めていけばいいのかが不透明になっている。これが,今回は,第1次石油危機後や85年以降の円高時に比べると,企業のリストラクチュアリングが混迷化し,企業の不透明感が強い一つの理由であろう。

第二は,調整を必要とする原因が外から来ているか,内から来ているかの違いである。過去2回の調整はいずれも国際的な側面から調整を迫られるというものだった。国際的な側面から調整を迫られる場合,企業はその調整の原因となったことそのものは所与として受入れ,その条件下での調整に専念することとなる。しかし,今回の調整の原因となった景気後退の長期化,バブルの崩壊はいずれも国内現象であり,その原因自身所与となるものではなく,国内経済の中から生み出されたものである。したがって今回の調整では,単に変化への適応を図るだけではなく,それに先立つ長期拡大,バブル期における行動の見直しをも伴ったものでなければならない。これが今回はなかなか企業のコンフィデンスが回復しない一つの理由である。

第三は,景気局面の違いである。第1次石油危機や85年の円高の進行は,それ自身が景気局面を転換させたため,景気の山とタイミングが同じであった。これらのショックへの適応には時間を要したが,その適応努力を進めること自体が景気回復への助走の役割を果たした。その後の推移をみると,第1次石油危機後の景気後退は16か月,円高後は17か月で終わり,比較的短期に景気の谷を迎えた。そのため,本格的な調整はその後の景気上昇過程での構造調整となったという面があった。しかし,今回の場合は,景気調整局面が長期化しており,その分構造変化への適応を難しいものにしている。

第四は,従来の適応はミクロ面では主に企業経営の適応努力が中心となってきたが,今回は,企業のみならず,家計・消費者の適応も求められているという違いがあり,両者が車の両輪となって進められていく必要がある。今回の適応過程では,マクロ経済面での課題だけではなく,後述するような国民生活の質的充実という課題をも合わせ解決していかなければならないからである。

こうした問題意識の下に,以下では,現在進められている企業のリストラクチュアリングの努力,次に家計行動の変化について検討する。

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