平成5年
年次経済報告
バブルの教訓と新たな発展への課題
平成5年7月27日
経済企画庁
第2章 バブルの発生・崩壊と日本経済
バブルの発生を伴う急激な資産インフレは,日本経済に様々な影響をもたらした。ここではその影響を,①資産・所得分配への影響,②資源配分への影響,③マクロ経済への影響という3つの観点から整理してみる。
(突出して高騰した株価・地価)
今回のバブル発生の過程では,一般諸物価や賃金が落ち着いた動きをたどるなかで,株価・地価のみが突出して高騰した。この点は,前回株価・地価が高騰した70年代前半にはみられなかった今回の特徴である。
70年代前半の場合と今回の場合について,地価,株価,消費者物価,賃金の動きを比較してみたのが 第2-3-1図 である。70年代前半には,地価,株価の高騰にやや遅れて消費者物価も騰勢を強め,賃金水準も大幅に上昇した。このため,当初は地価,株価の水準が他の価格より割高となっていたが,74年には賃金,消費者物価とのかい離がかなり縮小し,土地・株式の割高感はそれほどは生じなかった。これに対して80年代後半の場合は,消費者物価及び賃金がほぼ横ばいないし緩やかな上昇に止まっていたため,これらと株価,地価との格差がかなり拡大し,そうした状況が87年から90年にかけ4年間も継続した。最近においても地価については依然としてかい離したままの状態が続いている。
また,地価の動向を地域別に見ると,前回の場合は東京圏の地価と全国平均とが同じような動きを示していることからもわかるように,地域間で地価の動きに差が小さかった。これに対して,今回の場合は,本章第2節で既にみたように,三大都市圏と地方圏で地価上昇率に大きな違いがみらるなど地域別に地価の動きにかなりの差がみられた。
(資産・所得格差の拡大)
このように,株価,地価が突出して高騰したことは,資産・所得分配面で大きな歪みを生じさせた。
前述のような形で資産インフレが進行すると,「持てる者はますます持つようになる」という形で資産の分配が不平等化するのは,ほぼ自明である。それは,①高所得者層ほど資産の保有ストックが大きく,②その保有資産の価値が資産インフレによって上昇するからである。今回の場合はさらに,土地について,元々価格水準の高い三大都市圏の方が上昇率が高いという事態となったが,これも土地を持てるものと持たざるものの格差を一段と拡大させた。また,「持てる者」のみが,値上がりした資産の売却によって多額の売買益を享受するという形で,所得の分配の面でも格差が拡大した。
資産・所得分配の状況を具体的に見よう。まず株式について,所得階層別に貯蓄の種類別構成比をみると,低所得者層ほど総じて定期性預貯金などの安全資産のウエイトが高く,高所得者層ほど株式のウエイトが高い( 第2-3-2表 )。したがって,今回の資産インフレの過程では,高所得者ほど株価上昇のメリットを享受したことになり,バブル発生は家計の資産格差を拡大させたものと考えられる。
土地に関しても,税務統計によって長期譲渡所得の収入階層別分布をみると,もともと他の所得項目に比べて不均等度が高いが,地価が急騰した86年から87年にかけては一段と不均等度が高まっている( 第2-3-3図 )。長期譲渡所得の多くが土地の売却によるものであることを考えると,これは,地価の上昇による土地のキャピタルゲインの実現が所得の格差を拡大したことを示している。
さらに,今回の地価高騰によって地域間の資産・所得格差も拡大した。地域別の土地資産の増加額(主にキャピタルゲイン)を国民経済計算の参考表を用いて計算すると,三大都市圏では86年から90年までの5年間で1千兆円に達しており,当該地域における同期間中の総生産額と丁度同じ規模となっている。これに対し,地方圏では同期間中2百兆円で,当該地域の総生産額の4分の1に止まっている( 第2-3-4表 )。このように今回の地価高騰の過程では,もともと地価が高く,また一人当たり県民所得の水準も高い大都市圏にキャピタルゲインの発生が偏っており,これが地域間の資産・所得格差の拡大につながったと考えられる。
(不労所得の増大)
資産インフレに伴い株式・土地の評価益(キャピタルゲイン)が急増したことはすでに第1節で見た。このキャピタルゲインは,基本的には勤労努力なしに,資産を保有しているだけで得られるものであり,いわゆる不労所得である。このことは労働の対価として得られる所得の比重を相対的に低下させることとなり,勤労意欲の低下をもたらすことになったのではないかという指摘がある。
国民経済計算の家計部門(個人企業を含む)について,労働の対価として得られる所得(雇用者所得と営業余剰の合計から持ち家の営業余剰を除いたもの)が,キャピタルゲイン・ロスを加えた所得総額に占める割合の変化をみたものが 第2-3-5図 である。キャピタルゲイン・ロスとして,土地を含むすべての資産を対象とした場合(図の実線),評価益を実現させる場合の容易さを勘案し金融資産のみを対象とした場合(図の点線),いずれについても,80年代後半の資産インフレの局面で労働の対価として得られる所得の割合が低下していることがわかる。
こうした労働の価値の相対的な低下が最も強く意識されることになるのは,勤労者が新たに住宅を取得しようとする時であろう。87年から90年にかけては,賃金に比べて地価が相対的に大幅に上昇したため(前出 第2-3-1図 ),それまでは勤労者は年収の5倍程度で東京の通勤圏で標準的な住宅を取得できたのが,88年から91年にかけては住宅価格の年収比が7~8倍程度にまで跳ね上がってしまった。国土庁が90年12月に行った「土地資産格差に関するアンケート調査」によれば,地価高騰について「大変困っている」との回答が,貸家,社宅等に住む者で5割,持家に住む者も含めた全体でも3割に達している。さらに,大変困っている理由としては(複数回答),「住宅・土地購入が困難」が72.7%と最も多いが,2番目には「勤労意欲が減退する」(33.4%)となっている( 第2-3-6表 )。このように,今回の資産インフレは,資産を持たない者を中心に所得分配の不公平感を高めさせたうえ,勤労意欲にも悪影響を及ぼした可能性がある。
バブルは,資源配分という面でも大きな歪みをもたらすこととなった。
一般的には,需給の実態を反映した相対価格の変化は,経済的な資源配分を変化させるシグナルとしての役割を果たす。これは一般の財・サービス価格でも資産価格でも同じである。しかし,今回のバブルの局面では,一時的な投機によって支えられた価格の上昇をそのままシグナルとして受け取ってしまい,これを前提に長期的な資源配分を行ってしまったケースがかなり見られた。こうした錯覚(又は予測の誤り)に基づく資源配分は,その後の資産価格急落があって初めてその非効率性が誰の目にも明らかとなる。バブルが崩壊した今,我々の身の回りではバブルがもたらした資源配分上の歪みが様々な形態で顕在化してきている。その歪みとは具体的にどのような点か,それを以下順に見ていこう。
(市況高騰を前提にした不動産の過剰供給)
資源配分の歪みとして第一に指摘できるのは,不動産の供給過剰である。
地価の高騰や不動産取引の活況が長期化するにつれ,オフィスビル建設やリゾート開発等の大型プロジェクトが続々と実行に移された。こうしたプロジェクトは懐妊期間が長いため,バブルが崩壊した最近になって完成が相次ぎ,先行き大幅な供給過剰が懸念されている。バブルの発生は,不動産の供給を過度に刺激し,結果として利用度の低い資本ストックの積み上がりを招くなど,非効率な資源配分をもたらした。
東京における商業ビル建設は,事務所賃料の上昇を背景に,80年代後半極めて活発化した。事務所賃料の上昇が,金融の国際化,オフィスのインテリジェント化,経済のソフト化に伴うオフィスワーカーの増加等を反映した需要の増加によるものである限りは,資源配分上望ましいことである。価格上昇により供給が促されることは,東京のオフィス不足を解消させるからである。しかし,87年以降進められてきた東京における事務所床面積の供給は,過大であったとの指摘もある。 第2-3-7図 は,東京都区部における事務所床面積のこれまでの供給実績を,86~87年時点における各種調査機関の2000年のオフィス需要予測に重ね合わせてみたものである。これをみると,92年時点における供給実績は,すでに2000年のオフィス需要予測にほぼ達している。このように供給実績が伸びたのは,オフィスワーカーの増加が当時の予測以上であったことにもよるが,業者が地価や事務所賃料の上昇をすべて長期的な資源配分変更のシグナルと錯覚したために,商業地取得を過度に活発化させ,建設ラッシュを巻き起こしたことによる面もあるとも考えられる。当時の建設ラッシュの結果として,今後もさらに大量の新規供給が見込まれており,オフィスビルの需給関係のだぶつき感が解消に向かうまでには,これからかなりの時間を要するとの見方が一般的となっている。
また,賃貸ワンルームマンション等の貸家建設もこの時期急増したが,これには節税対策を意識したものが多かったと考えられる。急激かつ大幅な地価上昇の結果,節税対策として借入金の増加や貸家建設といった行動が促進された。貸家のうち占有面積30m2以下のワンルームマンションの着工戸数は,89年から90年にかけて大幅に増加している。その結果,純粋な投資行動としてみれば採算に乗らないような資産が多数形成されたという意味で,マクロ的には資源配分の歪みをもたらした面があった。
同じことは,リゾート物件の建設などについても指摘できる。バブル期には,かなり高額な物件まで好調な売行きをみせ,リゾート開発も極めて活発化した。しかしながら,これらの購入にも投機や節税目的のものがかなり含まれていたと見られ,バブル崩壊とともに需要は大きく落ち込んでいる。この結果,リゾートの分譲物件には相場の下落が生じているほか,開発途上で計画の見直しを余儀なくされたプロジェクトも多い。リゾートマンションの発売戸数を見ると,88年に前年比4倍と急増した後90年まで増加を続けたが,その後は発売戸数がかなり減少するなかで契約率も大幅に低下しており,リゾート物件の購入意欲は急速に薄らいでいる。また,国土庁の推計による土地利用転換の概況をみると,住宅地や公共用地への転換は,85年から91年にかけてほぼ横ばいで推移する一方,レジャー施設用地への転換のみが86~88年にかけて突出して増加し,その後も高水準を続けたことが分かる( 第2-3-8図 )。
このように,今回の地価高騰局面では,オフィスビルやワンルームマンション,リゾート施設等の建設が活発に行われたが,総合的に見ると必ずしも土地の有効利用が促進されたとはいえない面がある。オフィスビル建設の過程で用地買収に手間取った案件では,未利用状態が長期にわたって継続するなど,却って土地利用の非効率化を招く結果となったほか,開発計画が頓挫し虫食い状態のままその処分に苦慮している例もみられる。また,バブル当時に供給されたオフィスビルには,新規用地取得難からペンシルビルと呼ばれるような物件も多かったとの指摘もあり,必ずしも良質な事務所スペースの供給とはならなかった面もあった。
また,住宅地についても,今回の地価の高騰は必ずしも土地の有効利用促進に結び付かなかった。例えば,東京都23区における宅地(商業地等も含む)の概算容積率の推移をみると85年から90年にかけて約10%ポイント上昇しているが,その上昇テンポはこれまでのトレンド線上のものであり(80~85年で9%ポイントの上昇),地価高騰によって住宅地の高度利用化が進んだとはいえない。
(財テク・不動産投機による利益の追求)
資源配分の歪みの第二は,財テク,不動産投機の活発化である。
バブル発生の過程では,一般企業が,人材や資金などの限られた経営資源を,財テクや不動産投機による利益の追求のために振り向ける動きが広まった。日本銀行「事業分野の多角化状況調査」(91年8月)によれば,他業種からの進出が活発な事業分野としては,不動産賃貸,不動産売買,不動産開発・管理等が上位を占めている。その,進出元の業種をみても,製造業・非製造業を問わず幅広い業種に及んでいる( 第2-3-9表 )。また,通商産業省・工業統計表の「企業多角化の状況」(製造業)によれば,85年から89年にかけて子会社数は20%増加したが,このうち,金融・保険業を営む子会社数は79%の増加となっている。
しかし,これら業務において超過的な収益機会が発生したのは,まさにバブルによるものであったため,バブルの収束とともにこれら子会社の収益環境は著しく悪化し,最近では,多くが業績不振に喘いでいるほか,親会社による吸収や救済の例が相次いでいる。
(土地取得を伴う投資計画の阻害)
資源配分の歪みの第三の側面は,土地取得を伴う投資計画が阻害されたことである。
例えば,地価の高騰によって開業時にかかる費用が増大し,中小企業を中心に事業の新規参入が阻害された可能性がある。「開業実態調査」(91年12月調査,中小企業庁)によれば,近年中小企業の新規開業費用は大幅に増加しているが,なかでも土地・建物の購入費・建設費や賃貸料・保証料の割合が増加しており,地価高騰が新規開業の阻害要因として働いているものとみられる。この結果,開業資金を金融機関からの借り入れに依存する度合いが高まっている。「新規開業の実態」(89年10月調査,国民金融公庫)によると,新規開業に当たって,不動産を所有しない企業は,所有する企業に比べ金融機関からの借入比率がかなり低くなっている( 第2-3-10図 )。一般に開業時の企業は信用力が不十分であるため,不動産等の物的担保を保有しているかどうかによって金融機関からの資金調達力に大きく差が出ると考えられる。地価の高騰は資金調達力の格差を拡大させ,不動産を所有しない企業にとっては,相対的に参入障壁が高まることになったといえよう。
また,公共事業に関しても,東京都などでは用地費率が急激に増加し,用地取得の困難化から事業計画の延期を余儀なくされるなど,公共事業の円滑な遂行に支障を来した。東京都における道路整備事業についてみると,80年代後半に用地費率が急増し,88年から90年にかけては総事業費のうち実に8割近くが用地取得に費やされていた( 第2-3-11図 )。
地価の高騰は,このように投資そのものを困難にしただけではない。地価の上昇が予想を超えて進展したため,それまでの価格体系を基に長期的に行われていた貯蓄などの計画的行動の価値も台無しになるという意味で,非効率な資源配分をもたらすという面もあった。
その端的な例が,都市部を中心に,マイホームの取得を断念ないし延期する動きが広まったことである。「貯蓄と消費に関する世論調査」(92年,貯蓄広報中央委員会)によれば,今回の地価高騰後の非持家世帯の考え方は,「マイホーム取得を諦めた」とするものが38.2%,「取得の時期を繰り延べた」とするものが28.4%にも上っている。こうしたマイホーム取得の断念・延期は,地域別には大都市圏で,所得別には低所得者層ほど,その割合が高い( 第2-3-12表 )。住宅取得を断念した家計では,貯蓄した資金を高級乗用車や海外旅行などの贅沢なサービス消費に振り向けるといった,いわゆる「あきらめ消費」の発生があったという指摘もある。
(大都市圏における極端な土地節約の動き)
資源配分の歪みの第四は,大都市圏を中心に極端な土地節約的行動もみられたことである。例えば,地価が高騰した大都市圏において,土地取得を諦めて遠隔地に土地を求めたり,土地を極力使用しないといった行動がみられた。
まず,家計についてみると,東京に勤務する者が,地価の高騰した東京都区部を諦め,近隣各県で住宅を取得する動きが広範化した。例えば,新幹線による通勤を前提に,静岡,栃木,群馬県等で住宅を取得する動きも増加した。 第2-3-13図 は,一日当たりの新幹線定期旅客人員の推移であるが,このところ急速に増加していることが分かる。こうした選択は,当時の東京圏の高騰した住宅価格と遠距離通勤のコスト等を勘案した場合,個々に見ればかなり合理的なものだったともいえる。
また,商業形態をみても,例えば,ピザ宅配業やカタログショッピングによる通信販売のような無店舗形態のサービス・小売業が普及・拡大した。これらは,基本的には消費者サイドのニーズを反映した面もあるが,供給サイドにおいても,高いコストを払って店舗を維持する従来型の販売形態に比べ,相対的にコスト面での競争力が増したことが,こうしたサービスを普及させる大きな要因になったと考えられる。また,店舗を構える形態の小売業においても,大きな敷地を必要とする総合スーパーマーケットに比べ,小規模店舗のコンビニエンスストアの増加が目立っており,これも消費者のライフスタイルの変化等に対応したものではあるが,地価高騰が影響している可能性もある。このほか,ここ数年新たに発生・普及したニューサービスの業務内容をみると,①レンタル編集室,有料自習室,倉庫ギャラリーホール,貸研究室団地といったスペースレンタル業や,②トランクルームサービス,本預かり業といった保管業の進出がみられた。このようなサービスが発生・普及したのは,新たなニーズに合致したためであるが,それらが事業として採算に乗るようになったのは,企業や個人が従来であれば自前で備えていたようなスペースを確保することが困難となり,これら有料のサービスを利用するほうがコスト的にかなり有利化したためであろう。
このように,地価の高騰に直面して土地を節約しようと工夫するのは,個々の経済主体にとっては合理的な行動であった。ただし,全体としてみると,通勤・通学の遠距離化は,交通費負担の増加や通勤・通学時間増加による生活時間の圧縮,疲労の増大等様々な形で国民の生活にマイナス効果をもたらすこととなった。また,宅配サービスや多頻度少量輸送の増加は,道路の混雑や大気汚染等の外部不経済をもたらした可能性もある。住宅の取得や事業形態の変更といった大きな投資は,一旦実行してしまえば,価格体系が元の状態に戻っても,簡単には変更できない。マクロ的に日本経済の資源配分という観点からみた場合,バブルによる地価高騰を前提としたこれらの投資は,結果的に非効率なものとなってしまった可能性は否定できない。
(行き過ぎた投資・消費活動)
最後に,バブルの過程で,バブルから生み出された一時的な所得を背景に,行き過ぎた消費・投資活動があったという面を指摘しておこう。
バブルの過程で巨額のキャピタルゲインが発生したことにより,国民の一部に,豊かになったという錯覚が生まれ,従来見られなかったような高額品の購入や贅沢なサービス消費が幅広く行われた。また,保有資産の担保価値の増加を通じて資金の借入能力が向上し,加えて大企業では株価上昇に伴い見かけ上資金コストの低いエクイティファイナンスが可能となったこともあって,企業の投資行動やマクロ的に見た資金の流れにも特徴的な動きがみられた。
バブル期における消費とその後の消費行動の変化については,第4章でみることとするが,企業においても,含み益が増大するなかで,エクイティファイナンスにより短期的には低利の資金調達が可能となったこともあって投資行動を積極化する動きが見られた。その内容を見ると,自社ビル建設や社宅建設といった直接には収益に寄与しない投資や,新規事業分野への進出や海外事業展開といった収益化までの懐妊期間の長い投資が目につく。
バブル経済の収束した今日の時点で,こうした投資をどう評価するかについて,一概に判断を下すことは難しい。それぞれの投資は,いずれもが重要な意義を持っており,企業にとっていずれは必要な投資だったということもできる。しかしその一方で,これらの投資の中には,その後のバブル崩壊や景気後退という環境変化に伴い,最近の企業のリストラクチャリングの動きの一環として撤退の対象となっているものも多いうえ,一部には多額の損失を生じ企業自体の存続を脅かす例も見られるなど,結果として失敗に終わるケースが多かったことも否定できない。こうしてみると,当時活発化した投資のなかには,リスクを十分考慮せず,甘い投資採算見通しのもとで実行に移され,結果的に無駄な資源配分が行われてしまったという面も相当あったものと考えられる。
資産価格の高騰は,様々な経路を通じてマクロ経済のパフォーマンスに影響を及ぼした。ここでは,景気,物価の順にそれぞれどのような影響を与えたかをみたあと,バブルの発生がこの時期のマクロ経済に与えた効果について総合的に評価することとしよう。
(景気への影響)
資産価格の高騰は,キャピタルゲインの発生を通じて各経済主体の支出行動を積極化させたり(富効果ないし実質残高効果),資金調達コストの低下を通じて投資を増加させる(資産選択を通ずる効果)ことにより,景気を刺激する効果があった。この点については,平成3年度,4年度経済白書において詳しく分析されているし,また第1章でも既に述べたところであるが,改めてまとめてみると次のようになろう。資産価格上昇の景気刺激効果の第一は,家計が保有する株式等の資産価値の増大が,消費の拡大に寄与したことである。これは「資産効果」として知られているが,特に,耐久消費財などの消費を刺激したものと考えられる。
第二は,住宅投資を刺激する効果である。地価の上昇は,土地を保有しない家計にとっては住宅取得費用の増大となるから,その面では住宅投資を抑制する要因となる。しかし他方では,地価の上昇は,地価上昇期待の高まりや税負担増加への対応,不動産担保価値増大による資金アヴェイラビリティの向上等を通じて住宅投資を刺激するという効果がある。こうした地価上昇の刺激効果が,80年代後半に,東京圏での貸家建設,地方中核都市やリゾート地での投資目的のための分譲住宅,従業員用の給与住宅の建設を増加させたものと考えられる。
第三は,企業の設備投資を刺激する効果である。株価・地価の高騰は,企業の資金調達を容易にする効果があった。すなわち,地価の上昇は,企業が保有する土地の担保価値の増大を通じて,金融機関からの借入能力を高めた。また,株価の上昇は,上場企業の転換社債やワラント債の発行を活発化させ,見かけ上資金コストの低い資金調達を可能にした。また,地価の高騰は,一面では土地取得を伴う投資を阻害する面があったが,他面では,保有地の効率利用を目指した建設投資を促進するという効果もあった。
このように資産インフレは,様々な経路を通じてこの時期の景気に対し刺激効果をもたらしたものと考えられる。個々の需要項目ごとに検討してみると,資産インフレの直接的な刺激効果は,必ずしもこの時期それぞれの需要項目が増加したことの主因ではなかった。したがって,一部に見られるように,当時の景気拡大が全面的にバブルに依存し,バブル崩壊とともに景気拡大が終わったとする見方は,妥当ではないと考えられる。しかし,それが生産面,所得面を通じて次の段階の需要を誘発するという間接的な効果まで含めて考えると,資産インフレの景気刺激効果は,直接的効果をかなり上回るものであったと考えられる。
(資産価格と一般物価との関係)
前述のように,今回の資産インフレの過程における大きな特徴は,資産価格が急騰したにもかかわらず,一般物価は極めて安定していたことである。では,なぜこうした状況が生じたのか。その理由を考えてみよう。
まず,考えておかなければならないのは,資産価格が一般物価を直接的に上昇させる度合いはそれほど大きくなかったということである。
株価・地価の高騰が,財やサービス等一般の物価に与える直接的な影響を考えてみると,株価はそもそも一般物価とは関係がないが,地価と消費者物価には関係がある。地価そのものは,消費者物価の対象品目とはなっていないが,消費者物価のなかには地価と関連して価格が動くと考えられる品目が含まれているからである。前にも触れたとおり,理論的には土地の価格はそれがもたらす収益によって規定され,因果関係はその逆ではない。ただし,供給サイドである土地の保有者からみた場合,何らかの理由で地価が上昇してしまえば,土地保有費用(ないしは機会費用)の増加を土地利用料に転嫁しない限りフローベースの採算は悪化することになる。実際に,消費者物価や企業向けサービス価格指数のなかで,土地利用型のサービスである家賃,車庫借料・駐車料金,不動産賃貸料の80年代後半以降の動きをみると,いずれも全体としての物価より高い上昇傾向を示しており,地価の高騰がこれらの価格の上昇要因として作用していた可能性が考えられる。しかし一方で,その上昇率は,この間の地価の上昇率よりもかなり低いことも事実である( 第2-3-14図 )。フローの土地の利用価格の上昇率がストックの土地価格に比べ相対的に低かった理由としては,土地の保有者の間に,更なる地価上昇期待が強く,フローベースの採算悪化を補うだけのキャピタルゲイン期待が生じていた点を指摘できよう。
このほか一般的な財・サービスについても,資産インフレの影響として,土地の利用コストの上昇がコストプッシュ要因として,また,バブルによる需要刺激効果がディマンドプル要因として物価上昇に作用した可能性が考えられる。しかし,全体としてみれば,資産インフレの一般物価に対する波及は極めて小さなものに止まったといえよう。
次に,資産価格の高騰と一般物価の安定という対照的な動きが生じた原因について考えてみよう。これについては,以下の3点が指摘できる。
第一に,輸入との関係で資産価格と一般物価とのあいだには決定的な違いがある。
これにはさらに二つの側面がある。一つは,コスト面からみて,輸入価格下落の影響が一般物価には反映されやすいが,資産価格にはほとんど無関係だということである。
85年秋から86年にかけての大幅な円高に伴い輸入物価は大幅に下落し,これが,工業原材料,燃料等の投入価格の低下を通じて,コスト面から一般物価の低下要因となった。 第2-3-15図 をみると,消費者物価よりも国内卸売物価の方が,消費者物価のなかでもサービスよりも商品の方が安定化の度合いが強かった。これは共に,輸入物価の影響を受けやすい分野の価格が安定化していたことを示している。
もう一つの側面は,一般物価にはいわゆる「輸入の安全弁効果」が働くが,資産価格にはそれがないということである。今回の長期景気上昇局面で,製品需給の急激な引き締まりが回避された要因として,中間財,最終財等の製品輸入が大幅に増加したことがある。こうした加工度の高い製品輸入の増大は,直接川下段階での価格を抑制することにより,川上からの素原材料輸入コスト低下からの波及とは別のルートで,国内物価の安定要因として作用した。 第2-3-16図 は,総供給(=総需要=実質GNP+実質輸入)の増加額に占める輸入のウエイトを,景気の谷からの累積変化率でみたものである。これによれば,今回の景気拡大期には,輸入のウエイトが3~4割を維持しており,これまでの景気拡大期以上に,輸入の増大が国内需給の逼迫回避に貢献していたことがわかる。
このように,財を中心とした一般物価の安定には,円高を背景とした輸入面からの影響が大きく寄与していたが,輸入による供給を期待できない土地や株式についてはこうした効果が働かなかった。この違いが,一般物価と資産価格の間に対照的な動きを生じさせた大きな原因だったと考えられる。
第二は,資産価格の上昇が賃金に影響しなかったため,労働コストを通じたコストプッシュが発生しなかったことである。日本の賃金の全体としての動きは,基本的には,企業収益と労働需給と消費者物価の三つによって決まる度合いが強く,賃金の決定に際し資産価格の動きを直接勘案するということは少ない。これが,資産インフレと一般物価の動きを遮断する役割を果たした。仮に,賃金に資産価格の上昇が反映されていたら,それが人件費の高騰を通じて一般物価の安定を損なうことになっていたと考えられる。
第三は,資産価格に強い値上がり期待が生じるなかにあって,一般物価の期待インフレ率が高まることはなかったことである。期待インフレ率の落ち着きは,流通在庫の動きからも明確に読み取ることができる。 第2-3-17図 は,これまでの景気拡大局面における卸小売業の在庫率の動きを見たものである。列島改造ブームの渦中にあった第7循環(72年1月~)では,景気拡大期に入った直後から在庫率が上昇しており,流通業者の間に思惑的な在庫積み増しの動きが広がったことがみてとれる。こうした仮需が需給逼迫に拍車をかけて実際に物価上昇をもたらすという悪循環が生じたものと考えられる。これに対して,安定成長期入り後の景気拡大期には,在庫率は低下傾向をたどっており,思惑的な動きはみられない。このような慎重な企業行動の積み重ねは,ディスインフレの定着という形で実際の物価動向に反映され,今回の局面でも,長期にわたる金融緩和にもかかわらず,在庫率の動きに見られるように,期待インフレ率の落ち着きを維持し,思惑的な動きを回避させる結果につながったといえよう。
資産価格が急騰したにもかかわらず,インフレ期待が極めて安定していたのは,80年代後半には,政府・民間とも物価の安定こそが経済運営の重点事項であるという点について,各方面における認識が一致していた(民間が政府・日銀の物価抑制姿勢に対して強いコンフィデンスを持っていた)こと,前述のような輸入面からの物価安定化効果の存在が広く認識されていたことなどによるものと考えられる。
(マクロ経済全体への影響)
以上,資産価格の高騰が景気,物価に与えた影響についてそれぞれみてきた。これを総合してみれば,バブルはこの時期のマクロ経済全体のパフォーマンスを好転させたという評価も可能であろう。しかし,次のような点を考慮すると,単純に当時のマクロの経済パフォーマンスだけから資産インフレの経済的影響を評価することはできない。
第一に,金融緩和の持続が景気拡大の長期化に大きく寄与したと考えられるが,同時にそうした中で,資産インフレも長期化した面もある。日本銀行は,金融機関に対し節度ある融資行動を要請すると同時に,経済活動全般の物価面への影響について,細心の注意を払っていたが,現実の物価上昇率が落ち着いていたこともあって,金融緩和は89年5月まで継続された。
第二に,マクロ経済が良好なパフォーマンスを維持していたその反面では,先に見たような所得分配,資源配分面での歪みが拡大し,それが大きな経済的コストとなっていた。確かに景気は拡大したが,その見返りとして我々が支払ったコストは,余りにも大き過ぎたように思われる。
第三に,バブルによる景気の拡大は,持続的なものではありえない。バブルが永遠に続くことはないからである。持続しないばかりか,バブルによる景気拡大は,崩壊後の反動的な景気後退と必ずセットになって実現されることとなる。その意味では,今回の景気後退は,我々がバブルによる景気上昇というメリットを受け取ってしまった以上は,いつかは経験しなければならないデメリットだったという側面を持っている。バブルによる景気拡大は,「持続性」という観点からも,「安定性」という観点からも,低い評価にならざるをえないことがわかる。