平成4年

年次経済報告

調整をこえて新たな展開をめざす日本経済

平成4年7月28日

経済企画庁


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第2章 日本の景気循環の要因と今次循環の特徴

第5節 在庫調整

在庫投資の国内総生産に占めるウエイトは91年度は0.6%に過ぎないものの,55~64年度(昭和30年代)平均では3.1%であり,かつその変動は時として極めて大きく,設備投資と並んで景気循環を主導する役割を果たしてきた。特に,設備投資はその変動が景気の転換点に遅れて生じるのに対して,在庫変動は景気の転換点を形成することが多い。

1. 在庫変動のメカニズム

在庫変動は「意図した」ものと「意図せざる」ものに分けられるが,ここではそれぞれについて,その変動のメカニズムを考えてみよう。

(在庫の経済的役割)

生産者の製品在庫は,需要の変動に対して生産を平準化させる役割を持っている。需要の少ない月に在庫を積み増し,需要の多い月に逆に在庫を取り崩すことによって月々の生産を平準化し,生産費用を削減できることから,在庫の保有コストを考慮しても企業にとってはある程度の在庫を保有することが合理的である。しかし,在庫が平準化するのは主として短期的な需要変動であって,長期的な需要変動は在庫によって必ずしも平準化されない。長期的な需要の変動を在庫によって平準化するにはその間の在庫コストは余りに膨大なものとなり,しかも製品によっては品質が劣化したり,陳腐化したりして価値を失うものも多い。

現実に在庫投資は拡大期に増え,後退期に減ることによって,景気循環の過程で生産を平準化せず,むしろその変動を増幅する役割を果たしている。このことは,在庫がバッファ-として機能する上で,ある程度需要水準に比例した適正な在庫量が存在し,需要の変動とともに在庫が変動することを示している。

また,在庫は企業会計で棚卸資産と呼ばれるように資産としての性格をもち,長期保有には適さないものの,市況に対する短期的な予想が特に流通段階の在庫に影響を及ぼす。拡大期に市況が上昇する過程でより多くの在庫を保有すれば在庫評価益が増え,後退期に市況が下落する過程では在庫評価損を避けるためにできるだけ在庫を圧縮することが必要になる。こうして金融政策の変更は,在庫の保有コストと同時に物価上昇期待を変化させるという二重の経路を通じて在庫投資に影響を及ぼし,また金融政策が(名目金利一定という意味で)不変であっても物価上昇期待が変化する場合には在庫投資には自律的な変動が生じ得ることになる。

(意図せざる在庫変動)

景気の転換点近くでは,最終需要の予期しない変化が「意図せざる」在庫変動を引き起こすが,何期にもわたって「意図せざる」在庫変動が続くメカニズムとして,生産者側の判断の遅れが指摘される。一般に,一社だけが減産しても他社が同調しなければ市況は改善されず,売上が減少するが,一方費用は固定費があるため売上の減少ほどには減少せず,結局収益が悪化する。このため,企業はできるだけ減産を避けようとする。こうしたインセンティブは固定費圧力が強いほど働き易く,今次景気循環で在庫管理技術の進歩等在庫管理の徹底が指摘されながら在庫の大幅な増加が生じた背景として,人件費や減価償却費等の固定費の増加から,減産が収益悪化を招きやすいコスト構造が形成されてきたことを指摘することができる。

2. 在庫変動の役割の変化

既にみたように,高度成長期に比べて安定成長期には,産出の変動に対する在庫投資の寄与度が小幅化している(前掲 第2-1-1図② )。次に,こうした在庫変動の役割の変化の背景を考えてみよう。

(マクロの在庫率)

国民所得統計の最終需要在庫率は高度成長期,安定成長期を通じて傾向的に低下している( 第2-5-1図 )。この背景には,経済全体のなかで在庫をもたないサ-ビス業等の比重の拡大とともに,製造業における「かんばん方式」や流通業におけるPOS(販売時点情報管理システム)の急速な普及等,製造,流通の各段階における情報関連技術を駆使した在庫管理の徹底化が指摘されている。

マクロの在庫率の低下は,最終需要に比較して在庫の規模が相対的に縮小することを意味するから,同じ割合の在庫残高の変動のマクロ的な影響は在庫率の低下とともに小さくなる。したがって,在庫残高を前年比でみて過去の景気循環と同様の在庫循環が観察されても,実質GDP成長率に対する在庫投資の寄与度は縮小することになる。また,在庫管理の徹底は,マクロの在庫率を低下させるとともに, 第2-1-1図 にみられるように,安定成長期に最終需要の変動自体が小幅化していることと併せ,在庫投資の寄与度の変動を小幅化させる要因となっていると考えられる。

もちろん,マクロの在庫率が低下しているからといって,在庫変動自体がなくなったわけではない。今次景気循環においても, 第2-5-1図 にみられるように,在庫投資は大きな変動をみせ,また,第1章でみたように,鉱工業生産者製品在庫でみれば,在庫循環が明瞭なかたちで観察されている。

(製造業における製品在庫率指標)

国民所得統計では在庫が製品,仕掛品,原材料及び流通に区分されているが,製品在庫はほぼ全額が製造業のものと見做すことができる。そこでこれの製造業国内総生産に対する比率として製造業の付加価値生産額に対する製品在庫率を計算してみると,マクロの在庫率と同様,長期的に低下していることがわかる( 第2-5-2図 )。また法人企業統計で製造業の製・商品在庫(期末)の対売上高(月平均)比率を計算してみても,やはり長期的に低下している(両者の水準が異なるのは,国民所得統計では分母に付加価値生産額を,また法人企業統計では売上高を用いているためである)。このように,製造業でみても製品在庫率が長期的に低下していることは,マクロの在庫率の低下が単に非製造業の拡大を反映したものではなく,製造業内部でも在庫率を低下させる要因が働いていることを示している。

なお,通産統計でみると,製造工業の製品在庫率指数には明らかな低下傾向はみられていないが,製造工業の在庫指数を出荷指数で割る方法によって在庫率を試算してみると,法人企業統計と同様,在庫率は安定成長期に入って,長期的に低下している。これは受注生産品目のように性格上,製品在庫が存在しない品目の出荷が相対的に高い伸びを示していることのほか,製品在庫が存在する品目でも,在庫率が低い品目の出荷が相対的に高い伸びを示していることを反映したものと考えられる。

3. 形態別にみた在庫変動

在庫は形態別に,流通,製品,仕掛品,原材料に分けられるが,ここではこうした形態別に在庫変動の特徴とその相互の関係をみてみよう。

(形態別在庫の趨勢と変動)

法人企業統計で形態別在庫率の長期的な推移をみると,製造業では製品,仕掛品,原材料すべての形態で在庫率は長期的に低下しているが,卸・小売業の商品在庫率は70年代に高まりがみられるものの,長期的には0.6か月分前後でほぼ安定的に推移している( 第2-5-3図 )。また,短期変動については,①製造業では製品在庫率だけでなく,仕掛品在庫率もかなりの変動を示すこと,②製造業の原材料在庫率は2度の石油危機の頃に上昇したのを除いて,短期変動は小さいこと,また③卸・小売業の商品在庫率の変動も70年代を除いて,比較的小さいこと等が特徴として指摘できる。

(在庫の波及プロセス)

各形態の在庫の間には,従来,次のような波及プロセスが存在することが指摘されてきた。すなわち,拡大期には通常まず最終需要の増加に対して流通在庫が増加に転じる。次に最終財メ-カ-では流通段階からの需要が増えるにつれ生産を増加させるが,当初は景気後退期に積み上がった製品在庫の取崩しが生じ,増産は緩やかなものに止まる。こうして製品在庫が減少する一方で,生産の増加に対応して原材料在庫の増加が生じる。更に生産に使われる原材料の需要が増えると生産財の生産が増加するが,ここでも最終財メ-カ-と同様,製品在庫の減少と原材料在庫の増加が生じる。こうして,流通在庫が増加に転じると次に最終財,生産財メ-カ-の順に原材料在庫が増加に転じ,最終財,生産財メ-カ-の製品在庫が増加に転じるのは最後になる。以上は拡大期初期の典型的な在庫の動きであるが,拡大期末期に最終需要が鈍化した場合には,売れ行き不振による「意図せざる」在庫増が各段階で生じる。ここでは,流通段階での在庫増が最終財メ-カ-,生産財メ-カ-の順に波及する。

しかし,現実の統計でこうした波及プロセスが明確に観察されることは稀である。その理由の一つは,輸出の変動が流通を通じずに直接メ-カ-在庫の変動をもたらすことである。形態別実質在庫投資の推移をみると,流通在庫と製造業の製品在庫はおおむね似た変動を示しているが,「円高不況」時の86年頃には流通在庫が増加を続けるなかで製造業の製品在庫の大幅な減少が生じている( 第2-5-4図① 及び ④ )。これは国内需要が比較的堅調に推移するなかで,輸入品の流入増も流通在庫の増加に寄与した一方,輸出が減少し,輸出産業で在庫調整が行われたことを反映している。また最近期についても,流通在庫は90年末から91年初にかけてかなりの規模で調整が行われたが,製造業の製品在庫にはこれが反映されていない。このように,流通から製造へという在庫の波及は,最終需要が流通を通じず,直接メ-カ-在庫に影響する経路が存在するために明確には観察されない。

しかし,このことは流通から製造への波及が存在しないことを意味するものではなく,91年央以降流通在庫が加工型業種の製品在庫と歩調を合わせて増加していることには注意が必要である。

生産者製品在庫については,91年末にかけて加工型業種の在庫が急増し,これが既に在庫調整が進展している素材型業種に波及する懸念もあるが, 第2-5-4図 で加工型業種と素材型業種の製品在庫の関係をみると,これも流通在庫と製造業の製品在庫の関係と同様,余り明確ではない( 同図④ )。確かに「円高不況」時の86年頃には加工型業種の在庫調整が先行し,素材型業種の在庫調整が続くなかでまず加工型業種の在庫が増加に転じ,次に素材型業種の在庫も増加に転じている。しかし,その後については加工型業種の在庫投資が波を描いているのに対して素材型業種の在庫にはこれに対応した波が生じていない。このように加工型業種から素材型業種への在庫の波及が明確に観察されない理由としては,素材型業種では需要の変化に対して早めに生産調整で対応していることが考えられるが,それでも製品在庫が増加を続け,90年央以降在庫率が上昇していることには注意する必要がある。

(仕掛品在庫と生産調整)

製造業の仕掛品在庫は製品在庫とほぼ同じ規模を持ち,変動も大きい。生産調整を行う場合,工程の川下から川上に向かって生産が抑制されていくと,製品在庫は減少するが,川上の生産抑制が遅れるために仕掛品在庫は増える。これは生産を川上から抑制するか川下から抑制するかで異なってくるが,「円高不況」時の86年頃をみると,加工型業種では製品在庫が減少に転じてからしばらくして仕掛品在庫が減少に転じ,逆に製品在庫が増加に転じてからしばらくして仕掛品在庫も増加に転じる等,仕掛品在庫が製品在庫にラグを持って変動している(前掲 第2-5-4図③ )。しかしその後の動きをみると,製品在庫の増加が小幅化した89~90年に仕掛品在庫の増加幅が拡大し,逆に製品在庫の増加幅が拡大した91年には仕掛品在庫の増加幅が縮小する等両者は逆サイクルの動きを示している。89~90年の動きは,需要が予想以上に堅調であったため,製品在庫が取り崩される一方,生産の拡大を反映して仕掛品在庫が増加したものと考えられ,また91年の動きは,91年後半の減産開始を受けて仕掛品在庫の増加幅が縮小したものの,最終需要の鈍化から製品在庫が積み上がったものと考えられる。91年後半に加工型業種の仕掛品在庫の増加幅が縮小していることは,企業の生産工程で既に減産が開始されたことを示しており,92年1~3月期以降に製品在庫の調整が行われる前兆と考えることができる。


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