第1節 マクロの需給動向
昨年度の「年次経済報告」では,景気拡大の長期化にともなって,景気回復初期には豊富にあった供給余力が縮小し,需給が引き締まってきていることを指摘した。その後ほぼ1年の間,景気拡大は更に続き,90年度には前年度を上回る5.7%という第1次石油危機以後の安定成長期としては高い経済成長率が達成された。こうした需要の伸びはそれ自体としては需給の一層の引締まりを示唆するものであるが,重要なことは同時に設備投資が実質二桁の増加を続け,また雇用も堅調に拡大したことから,供給面でも着実な生産能力の増加が実現されたと考えられることである。
1 GNPギャップの動向
企業の生産活動では労働力と生産設備,それに原材料や動力・燃料が生産要素として使用されるが,生産額から原材料や動力・燃料などの中間投入額を差し引いた付加価値は生産要素としての労働と資本に帰属し,両者に分配される。したがって,国民経済全体としての付加価値生産額である実質GNPも,我が国の総就業者と総資本ストックを生産要素として生産されたものと考えることができる。こうした考えから,実質GNPを労働投入量と稼働資本ストックで説明する生産関数を推計し,右辺の労働投入量と稼働資本ストックの変数にその時々の「最大投入可能量」を与えることによってマクロの生産能力(潜在GNP)が計算されるが,この計算された生産能力と現実の実質GNPの差はマクロの供給余力の指標として,GNPギャップと呼ばれ,通常,生産能力に対する比率(%)で示される(詳細は付注3-1)。一般に,景気拡大にともなって失業が減少し,また設備稼働率が上昇して,遊休している生産要素が全体として減少すると供給余力を示すGNPギャップは縮小し,逆に景気後退期にはGNPギャップが拡大することになる。
(GNPギャップの推移)
第3-1-1図は,こうして計算されたGNPギャップの推移を示したものである。この図からGNPギャップの長期的な推移をみると,高度成長期には概してGNPギャップが小さかったが,第1次石油危機を契機とした景気後退から75年には大幅なGNPギャップが発生し,以後80年代前半まで石油危機時をやや下回るGNPギャップが持続している。しかし,75年以降の安定成長期を通してみると,GNPギャップは景気循環を反映した変動を繰り返しながらも長期的には縮小傾向にあり,高度成長期に比べて緩やかな成長率のもとで経済全体として需要と供給のバランスが次第に回復してきたことがわかる。
今回の景気拡大局面における動向をみると,GNPギャップは86年頃より90年まで3年連続で縮小を示し,90年には73年以来の低い水準となっている。しかし,年々の縮小幅をみると,88年には比較的大きな縮小が見られたものが,89年には縮小幅が半減し,更に90年になると縮小幅が前年より更に半減している。実質GNPの増加率が89年の4.7%から90年には5.6%へと高まるなかでこうしたGNPギャップの縮小幅の鈍化が生じた背景としては,後にみるように,技術革新を背景とした生産性の大幅な上昇や活発な設備投資を反映して生産能力が着実に増加したことが挙げられる。一般に,需要が急拡大する場合には設備投資の能力化が間に合わず,かえって設備投資の需要としての効果が需給を更にひっ迫化させる可能性が考えられるのに対して,今回の景気拡大期における需要の伸びは安定成長期としては高いものの高度成長期に比べれば緩やかなものであり,需要の増加に生産能力の拡大が追いつくことが可能であったといえよう。
また,GNPギャップの水準を高度成長期との比較でみると,最近設備不足感が強いとはいえ稼働率は過去のピークを下回っていること,また労働力についても高度成長期における労働力需給のひっ迫は現在以上であり,67,69年には現実の失業率が労働力需給が全体として一致する「構造的失業率」を下回って負のGNPギャップを生じさせていたのに対し,最近においては,失業率がほぼ構造的失業率に近い水準で推移していることなど,客観的にみれば高度成長期ほどにマクロの需給が引き締まっているとは必ずしもいえないことがわかる。しかし,安定成長期としてはGNPギャップがかなり縮小していることは確かで,その意味で,需給はかなりの引締まりを続けているということができる。
次に,この生産関数を用いて,経済成長の要因を生産要素である労働と資本,そして技術進歩に相当する全要素生産性に分解してみると,第3-1-2図に示されるように,高度成長期には全要素生産性の寄与,次いで資本の寄与が大きかったが,安定成長期に入ると資本の寄与が縮小すると同時に全要素生産性の寄与も縮小し,代わって労働の寄与がやや増大している。これを今回の景気拡大期についてみると,87年以降資本の寄与が高まるとともに,全要素生産性の寄与が高まっており,両者の寄与度はほぼ等しくなっている。こうして,第1章第4節で述べたように,情報化・マイクロエレクトロニクス化を中心とした近年の技術革新の成果が経済全体の生産性の向上をもたらし,経済成長に大きく寄与していることがわかる。一方,労働の寄与は87,88年に拡大し,資本,全要素生産性と並んで経済成長に寄与していたが,その後になると寄与が縮小している。これは就業者数の増加率が高まる一方,労働時間の短縮を反映して就業者数×労働時間で計った労働投入量の増加率が87,88年に比べ89,90年ではほぼ半減しているためである。
(製造業の稼動率と生産能力)
次に,製造工業における設備稼動率の動向から景気の現局面における需給バランスの状況をみてみよう。
今回の景気拡大局面における製造工業の稼動率の推移をみると,設備調整の続いていた素材型工業の稼働率が内需の回復を背景に86年後半から上昇に転じ,続いて円高による輸出減から稼働率低下を余儀無くされていた機械工業の稼働率も上昇に転じたことから,87年後半からは「全員参加型」ともいうべき稼働率の上昇が生じている(第3-1-3図)。最近の動向をみると,機械工業,素材型工業とも稼動率は89年末から90年初にかけていったん弱含んだ後,90年に入って再び上昇を示しており,90年10~12月期には製造工業全体では86.7%と75年以降のピークである80年1~3月期の83.6%を上回る水準に達しているが,91年1~3月期には機械工業を中心に稼働率は低下している。最近の状況を機械工業,素材型工業の別にみると,機械工業の稼動率は高水準にあるものの素材型工業の稼動率は機械工業を下回っており,生産能力の制約が相対的に機械工業では強いものの,素材型工業ではある程度の生産余力が維持されていることがわかる。機械工業では生産能力を上回る受注が受注残として次期に繰り越され,需給のひっ迫といった事態が生じにくいのに対し,素材型業種でそうしたことが生じると全般的な「物不足」に結びつきやすい。こうした観点からは,素材型工業の稼動率にある程度の余裕が維持されてきたことは,長期拡大のなかで物価の安定基調が維持されてきた一つの要因であったと考えられる。また,機械工業の稼動率をみても,90年10~12月期においても75年以降のピークをわずかではあるが下回っており,機械工業の稼動率が高水準にあるとはいってもその生産余力が過去の需給ひっ迫時ほどには縮小しているわけではなく,また,91年1~3月期には機械工業の稼動率は低下している。
先に,GNPギャップの縮小幅が90年に大きく鈍化した背景として,活発な設備投資を反映して生産能力の着実な拡大が見られたことを挙げたが,製造業の生産能力指数をみても,加工型業種が一貫して堅調な拡大を続けていることに加え,88年後半になって,それまで設備調整から全体として減少を続けていた素材型業種の生産能力が化学,パルプ・紙,非鉄金属等の業種を中心に拡大に転じたことから,89年初以降生産能力の増加テンポが高まってきている(第3-1-4図)。また,製造業の資本ストック(85年価格,進捗ベース)も90年10~12月期末には前年比で8.5%増と,第1次石油危機後の安定成長期では最も高い伸びを記録している。こうして,設備稼働率の上昇に対して生産能力増強の動きが活発化したことから,第3-1-3図に見られるように,稼働率の上昇テンポは次第に鈍化しており,また91年1~3月期には低下が見られるなど,稼働率水準が依然高いとはいえ,設備能力の不足から全般的な需給ひっ迫が生じる状況にはないと見られる。
2 企業の製品需給判断
需給動向の主観的ではあるが直接的な指標は,企業の製品需給についての判断である。第3-1-5図は,日本銀行「企業短期経済観測」による製造業主要企業の製品需給判断DI(「需要超過」とみる企業の割合から「供給超過」とみる企業の割合を引いたもの,%)の推移を示したものであるが,これによれば,86年11月を底に景気回復とともに急速に「供給超」幅が減少し,89年5,8月,90年8月に「需要超」が「供給超」を上回ったが,90年11月以降は「供給超」幅が拡大し,需給の引締まり感はやや後退している。最近の動きを素材業種と加工業種にわけてみると,素材業種では89年5月以降「供給超」幅が拡大しており,加工業種でも,91年5月時点でなお「需要超」が「供給超」を上回っているものの,「需要超」幅は最近,低下傾向にある。
こうして企業の製品需給判断からみると,全体としてなお強い引締まり感が続いているものの,素材業種では既に89年以降引締まり感は後退しており,また加工業種についても一時の強い引締まり感は見られなくなってきているといえよう。
3 国内需給と輸入
近年の製品輸入の増加は国内需給の引締まりによる物価上昇圧力を緩和する効果(「輸入の安全弁効果」)をもつことが指摘されている。
我が国の輸入数量は85年から90年にかけての5年間に年率9.8%の増加を示しているが,なかでも製品輸入数量は同17.4%と顕著な増加を示しており,90年だけをみても,製品輸入数量は前年比10.3%の増加と全体の輸入数量の増加5.8%を上回る着実な拡大を続けている。こうした製品輸入増加の要因としては,我が国の国内市場の拡大とともに輸入品の相対的な低価格が挙げられるが,89年以降についてみると,為替が円安に転じ,またアジアNIEsでも賃金上昇が加速したことから,輸入品の価格競争力が低下し,第3節でみるように,製品輸入数量の増加が国内物価を抑制する,いわゆる「輸入の安全弁効果」は,85~89年に比較すると弱まっている。
こうしたなかで,近年の製品輸入数量の増加はもっぱら所得効果,つまり我が国の内需の拡大と製品輸入の所得弾性値の上昇によってもたらされている。推計期間の終期を変えて製品輸入関数の計測を行ってみると,価格弾性値は推計期間の終期によらずほぼ0.6前後の値が得られるのに対し,所得弾性値は終期を88年以降の最近にとるほど高まり,90年10~12月期を終期とした場合には2.5近くに達している(第3-1-6図)。88年以降最近2年間についての製品輸入数量の動向をみてみると,製品全体で年率11.3%の増加が見られるなかで,輸送機械(同21.1%),電気機械(同19.7%),一般機械(同16.9%)など機械機器(同15.0%)の増加が目立っており,航空機の含まれる輸送機械を除いてみても,加工型業種を中心とする設備不足感や需給の引締まりが機械機器類を中心とする製品輸入増加の一因となっている可能性が考えられる。
また,素材業種においても業種や品目によって国内需給を反映した輸出入の動きが見られている。例として鉄鋼の輸出入を数量ベースでみると,90年は輸出が前年比16%減少した一方,輸入が8%増加し,輸出超過幅は535万トンと前年の935万トンと比べほぼ半減している。これを今回の景気拡大が始まる前の86年と比較すると,輸出超過幅は2,507万トンから535万トンへと,4年間でほぼ5分の1に減少している。90年の輸出入を品種別にみると,輸出では表面処理鋼板やシームレスパイプなど我が国が技術優位を有している品種では増加した一方,国内需給のひっ迫が見られた形鋼,棒鋼など鋼材が急減し,また,輸入では銑鉄(前年比44%増)や鋼塊・半製品(同41%増)などの製鋼原料や棒鋼(同26%増)等の輸入が大幅に増加している。