むすび
(長期の拡大という成果)
日本経済の息の長い拡大は86年11月を谷として始まった。今年7月現在で44か月連続の拡大である。 「いざなぎ景気」に次ぐ長さであり,今後どこまで続くかはわからないが,現時点での腰の強さからいって「いざなぎ景気」に匹敵するものになる可能性もある。
今回の景気上昇局面の特徴の第一は良好な国際環境に恵まれたということである。アメリカの長期の拡大,ヨーロッパの尻上がりの好調,最近では減速している国もあるが「ダイナミックな」という形容詞を冠せられたアジアの国・地域の発展,為替相場の動向が総じてみれば世界経済の拡大に寄与してきたこと,原油価格などの一次産品価格の基本的な安定などの状況が重なった。今回の景気上昇局面の第二の特徴は,外需に依存しない拡大であるということである。国際環境が良好であったために,輸出が激減するというような事態が避けられ,これが景気拡大にプラスに作用したともいえるが,輸入の増加から外需はマイナス基調で推移してきた。これは安定成長期に入ってからは始めてのことである。内需が中心の拡大であることは単に一つの特徴であるだけでなく,景気の持続力を説明する一つの要因でもある。第三の特徴は,成長率との関係でみると就業者数,雇用者数の伸びが著しく,しかも拡大が長期になったため労働力需給が引き締まってきたことである。多くの業種,職種で人手不足が問題になっている。第四の特徴は,それにもかかわらず賃金上昇率が比較的安定していることである。物価も,これと輸入の安全弁効果によっていまのところ安定している。第五の特徴は,こうした内需中心の拡大に,円高などの要因が加わって経常収支の縮小が進んだことである。特に89年度には,88年までの円高が貿易数量に及ぼす影響が尾を引く一方で,円安による交易条件の悪化という要因も加わって目立った縮小となった。
90年に入って,いわゆるトリプル安現象が生じ,89年中の3回の公定歩合引き上げと併せて,超低金利の時代が終わることとなった。この影響はしかし,これまでのところ景気の足取りにあまり大きな影響を与えていない。金利のこれまでの上昇は物価の安定を確かなものにすることによって,景気の持続力に貢献をするという側面もある。円安は物価の安定に対して潜在的に危険な材料であるし,物価にはねかえらない場合には素材産業にその兆候がすでにあらわれているように収益の圧迫を通じて,部分的にではあるが設備投資の抑制要因として働く可能性もある。しかし,為替レートはその後は安定した状態が続いており,もしこのままで推移すれば,深刻な影響をもたらすほどのものにはならないであろう。
また,設備投資の内容がストック調整が起こり難いものとなっていること,上でみたような物価・賃金面が安定していることなどから考えて,当面景気が反転し,景気下降局面に入る可能性は小さそうである。
海外において,例えば最近政治的変動期にあるような国で突発的な重大事件が起こり,世界経済が混乱して我が国経済も景気後退ということもありえないことではない。しかし,これらの危険は可能性であるにすぎない。また,今日,保護主義が強まりをみせており,それが世界経済の拡大ひいてはわが国の景気に影響を及ぼすという懸念もある,それについては,自由貿易体制の維持・強化を図っていかねばならず,そのためにも本年末までにウルグアイ・ラウンドを是非とも成功させる必要がある。それは各国が一致協力することにより成果が得られるはずのものである。さらに,最近の両ドイツの経済的統合や東欧情勢の急速な変化がもたらす事態については考えておかなければならないかもしれない。いまの段階では東ドイツをはじめとする東欧諸国の新しい動きが新たな供給能力を世界経済に追加するよりも,新たな需要を追加すると考えられている。だとすると世界経済が過熱するおそれ(世界的貯蓄不足と同じこと)があることになり,やがては世界的な金利上昇ということになりかねない。その意味で,アメリカの財政赤字の削減がいままで以上に重要となっており,西ドイツの財政にも節度が必要であるが,各国の努力が期待される。なお,アメリカ経済の拡大テンポがここのところ弱まっているが,これがさらに続くということもありえないことではない。
以上のように海外要因についてはなお不透明であるものの,我が国の景気の持続力は,それ自体としては,強いといってよい。
今回の景気拡大局面において,設備投資が重要な役割を演じていることはすでに述べたが,設備投資の拡大を支えている要因が能力増強以外のものも多いために,ストック調整的な事態はなかなか起こりそうもない。その中で見逃せないのは,技術革新との関連である。設備投資の中で研究開発投資は直接関連があるし,更新投資は技術進歩によってもたらされる,既存の設備の陳腐化に伴い増加する。また省力化投資も技術革新がなければ人間を機械で十分に置き換えることができるようにならない。
消費需要についても技術革新の影響がある。技術革新によって新たに登場した製品が新たな消費需要をもたらすということや,急速に技術の水準が変化するために,耐久消費財すらも陳腐化がすすみ,買換え需要が促進されることもある。これらの点については,現在の景気上昇局面の長期化との関連は否定できない。
(技術開発と日本経済の対応力)
また,こうした景気の持続力をもたらしている経済の構造や体質は,同時に,我が国経済の対応力,適応力ともいうべきものを支える要素の一部になっている。2度の石油ショックや円高を乗り切り,現在の良好なパフォーマンスをもたらしたのは,そうした体質である。そして,その中で重要なのは国民のたゆまぬ努力であり,企業の対応力である。この企業の対応力の背景にあるのが技術面での対応力,すなわち,活発な技術開発と製品開発である。
我が国の技術進歩についてはマクロ的にみても,アメリカよりも高いことが認められる。こうした技術進歩は資本の質や労働の質と密接不可分であり,したがって投資率の高さや教育の面での変化なども大いに関係する。しかし同時に最近の技術に対しては,人々の欲求の多様化,差別化された製品に対する需要に短期に応えるという要請が強い。これは重厚長大の画一的なマスプロ製品をつくり出す技術が中心となる時代が終わり,マイクロエレクトロニクスなどに典型的に現れる,より高度で柔軟な技術の時代に入ったということを意味しているともいえる。こうした変化に,日本において高度成長期を中心に民間企業において合理性を求める動きとして発生してきたシステムが適合したということも,マクロ的な要因に加えて重要であると思われる。
こうした日本経済のシステムについては,かつては官民一体となって戦後の復興にあたり,またキャッチ・アップを目指した時代も,あったことから,いまだに官民一体となった日本固有のものが支配的であるという誤解や,それが閉鎖性をねらいとして形成されている等の誤解も存在する。しかし,日本の企業が企業内で採用しているシステムや企業間でみられるシステムは排他性ではなく長期的な契約を前提として合理性を追求した結果うまれたものということができる。しかもそうしたシステムは日本以外においても,成功した企業,優秀な企業で類似のものをみることができるという意味で普遍性があるものであり,決して特殊なものではない。ということは,日本以外の国においても,マクロ経済政策(例えば投資率=貯蓄率を高めるような政策)や教育・訓練などが企業の長期的視野に立った合理性の追求を促す可能性は十分にある。したがって,日本とは本質的な違いがあり,競争はできない,したがって保護主義をとるしかない,ということはないのである。
それでも企業間の情報ネットワークに係わる問題については,ことの性質上,競争制限的な結果が現実に生じる場合もある。そうした場合には,たとえ取引当事者間では経済合理的な慣行であっても,厳しく是正していかなければならないのはいうまでもない。
我が国の活発な技術開発は,輸送機械,電気機械,精密機械,化学などの技術集約型産業に牽引されるかたちで進んでいるが,それが投入産出関係を通じて産業全体に広く伝播している。本文でみたように,第3次産業においても情報化,マイクロエレクトロニクス化の進展が目覚ましい部門もある。しかし,ここで述べたような技術開発が速やかな生産性の上昇に現実に結びついているのは,必ずしもすべての産業において,というわけではない。これ以外の部門では,日本の経済力が強いという評価では括れない状況も存在する。また,我が国の技術開発の活発さ,その背後にある企業内,企業間の慣行が成立している遠因として,労働者の質を支える教育熱心,あるいはホワイト・カラーとブルー・カラーの間の壁の低さ,フォーマルな組織を通じない「横の」情報交換をスムーズにする人間関係なども数えることができるが,これらは,我が国の社会が職業や地位の差にとらわれず,自由に意思や情報を交換することによって活性を保ってきたことを示すものであろう。
(経済力の活用と成果配分)
ところで,日本の経済力が強まったといってもいくつかの重要な課題が残されている。
地価の上昇は,経済のストック化という形でしばしば言われるように,日本経済の動向が,フローの問題だけでかたづかなくなった状況をさらに先鋭にさせた。資産価格の上昇は今回の景気拡大を支えてきた要因の一つであるが,その主要な要因である地価の高騰はいまや分配上の問題を生じさせている。土地付き持ち家を保有する世帯は5割を超えている(相続を期待できる潜在的土地持ちも含めると7割)から,地価上昇によって利益を得る世帯がかなり多いという主張もあるが,残りの4割強(あるいは3割)の人との格差は大きな問題である。地価上昇によるキャピタルゲインという観点からするとどうか。自宅のほかに(現住所以外の)宅地を所有している世帯は1割強に限られており,土地を資産として運用して直接利益を受ける世帯は多くない。しかし,所有している土地の上に住んでいる人々は地価上昇で何のメリットも受けないかというとそうではない。今土地を持っていない人が土地を手に入れるために払う金額にくらべて,地価急上昇前に土地を購入した人は少ない金額ですんだいうこと自体,大変な違いであるというべきである。その結果生じた格差は,人々が頑張って勤労したり,才能を十分に発揮したりして,人よりも余計に勤労所得を稼得してもなかなか埋められるような大きさのものではない。地価高騰による資産格差は「額に汗した」結果の格差ではない。また,相続によって得た土地が近年の著しい地価上昇により資産価値を増した結果,相続するべき土地を持たない人との間に大幅な格差が生じるのでは機会の平等も損われることになる。このような不平等があれば,勤労意欲を阻害するという面でも大きな問題である。
所得分布に対して財政や社会保障は再分配の機能を果たしているが,地価高騰による資産格差の拡大の結果,全体としての格差,広い意味での分配の問題に関する公正感が揺らぎつつあるというべきであろう。
土地問題は東京集中の問題とも密接な関わりをもっているが,東京集中が集積の利益を作り出し,それがさらに企業等の東京への集中傾向をうながしている。すなわち,東京に立地することの利益が大きいから企業はそれを選択しているのであり,そのことはとやかくいうことはできない。しかし,東京に立地した企業の従業員や一般市民が,長い通勤時間や交通機関の混雑といった犠牲を強いられているということになる。企業が東京以外に立地することを歓迎し分散型の国土利用が実現するような条件が整っていれば,東京とそれ以外での企業の生産性格差は,より小さくて,従業員の効用ははるかに大きくなる。一方で東京の土地利用効率を高めることも重要であるが,それによってさらに集中が加速しないかどうかは十分に検討する必要がある。土地の利用効率を高める政策と,集積の利益という外部経済を享受している経済主体があることに注目した政策などにより分散を促進する政策との併用が必要であろう。
また,我が国の企業と従業員の関係に関連していえば,それが企業内の情報ネットワークに関係していることは本文で述べたとおりであるが,他方では人間関係,取引関係の形成等に多くの時間を費やす等,という点で,いわゆる「会社人間」を作り出す場合もありうる他,共同で業務の遂行を行うといった仕事の進め方が多いことや取引先・顧客の便宜の考慮といったことは,労働時間の短縮を進めにくい面もあると考えられる。また,フリンジ・ベネフィットも勤労者福祉の向上に資するものであるが,法定外の福利費の一部などの間接的な配分の中には,金銭的な報酬に換算した場合に比べて自由度が少ないこと,すなわちライフ・スタイルが企業にある程度依存することになることが指摘できる他,福利厚生施設については企業間の格差が大きい点は留意する必要がある。
我が国の経済力の拡大は戦後の世界経済の順調な拡大とそれを支えた自由な貿易体制の恩恵を受けてのものである。ここ数年の経済の拡大と88年までの円高によって,我が国の経済力はそうした世界経済のシステムに対して還元をする余力を獲得し,還元をすべき水準に達した。我が国の経済協力は充実しつつあるが,援助の質・量の一層の充実を図るとともに,あわせて貿易も重要である。日本が高度成長を遂げた時期に開かれたアメリカの市場があったように,テイク・オフしつつある国々に対して日本が開かれた市場を提供しなけばならない。これは,単に利他的になれということではなく,日本の消費者のためでもある。地球環境問題への貢献も,国際公共財への貢献という意味で,我が国の経済力の還元の一つと位置づけることができる。
そうした世界に対する貢献と我が国のさらなる成長とは矛盾しない。我が国はある水準の効率性を獲得したといっても,国際競争にさらされている部門とそうではない部門の間では効率性に大きな差がある。そのために購買力平価でみると我が国の通貨の実力は現実の為替レート,あるいは貿易財の競争力ほど強くはない。ということは,消費者の利益のために,市場アクセスの改善を引き続き進めるとともに,ウルグアイ・ラウンドを成功させ,流通を合理化し,規制を緩和し,独占禁止法の運用を強化することは,それによって日本経済全体の効率も向上し,さらなる発展が生まれるということである。その際に痛みを伴う調整が必要かもしれない。しかし,我が国はこれまでも円高のもとでの経済構造調整を遂げてきた。もちろん部門により事態が異なることには留意する必要があるが,円高によって苦境にたった部門も,それぞれが置かれた状況の下で保護ではなく合理化努力により事態を克服したものが少なくない。構造調整は痛みを伴うかもしれないが,それが済んだ後においては経済全体でのより強い体質が待っているということについては我が国は幾多の経験を通じて学んできた。なお,すでに十分強い体質を持っているのではないかという疑問に対しては,今後の高齢化に伴う活力の変化,あるいは貯蓄率の長期的な変化の可能性が非常に高いということを想起すればよい。
我々はいまや,世界が一つになり,競争的市場経済の価値が全世界的に認められるという歴史的な変化を目撃している。世界が冷戦時代の発想を超えていこうとしているということは,世界中の国々が経済的に相互依存度を高めうるような変化が生じているということである。同時にこれまで市場経済の体制のもとにあった国々の間でも,経済的には国境がますます意味をなさなくなりつつある。こうした世界経済の一体化を妨げるのはいうまでもなく保護主義であり,地域主義の台頭である。それを防ぐために,我が国が内需主導型の成長を持続することの意味は依然として大きい。
21世紀にむけて,消費者・生活者のための発展,真の意味での豊かさの創造を目指すためには,いま一度,日本経済の効率性について見直し,豊かさの配分の方式を見直し,持続的成長の確保の重要性を認識する必要性があろう。