第1節 所得・資産格差の実態
ここでは,世帯または個人の所得・資産保有格差の現状を概観する。家計資産の増大とその中の土地保有格差が地価高騰などで拡大していることを確認し,次に,ストックの影響も含めて所得格差の動向をみる。また,富の世代間移転の状況についてもライフサイクル貯蓄の観点からあわせて分析する。
1. 資産価格変動と資産保有
(膨張する家計資産)
日本の国民純資産である国富の合計額は,毎年急速に増大し,88年末には2,804兆円になった。その主たる構成は,法人企業(金融機関を含む)が512兆円,一般政府が256兆円,家計(個人企業を含む)が1,985兆円であり,家計部門の純資産が国富全体の70%強を占めている。家計部門が保有する富の構成は,88年末で土地が1,198兆円,預金,株式など純金融資産が548兆円などとなっている。同年の世帯数は4,056万であるから,1世帯あたり平均2,950万円の土地と1,350万円の純金融資産を保有していることになる。家計部門の土地資産額は,東京圏で地価が上昇し始めた83年末には595兆円であったから,この5年間で2倍以上に膨らんだことになる。純金融資産残高も,株価の上昇などを背景に,同じ5年間に2倍近くになっている(第3-1-1図)。
なお,国民経済計算統計上,一般政府部門の中の社会保障基金の保有する資産の大部分と,法人企業の保有する退職年金資産は,最終的には家計に移転されるものであるから,実質的に家計の資産であるともいえる。また,自動車,家具等は,SNAの国民資産としては計上されないが,耐久性を持った消費財が実質的に資産であることは自明である。これらの要因を含めると,家計部門の資産はさらに大きくなると考えられる。
(地方へ波及する地価上昇)
このように,日本経済の資産残高の増大は,地価や株価の上昇に大きく支えられたものである。特に,土地は家計資産の6割を占め,圧倒的な重要性を持つと思われるので,土地資産額の変動の背景にある地価の変動について詳しく分析しておく必要がある。
80年代後半の地価上昇は,83年頃に東京圏都心部の商業地から始まり,徐々に周辺住宅地へ波及し,また大阪圏へ,さらには地方都市へと波及している。
累積上昇率は周辺へ波及する過程で次第に減衰しているとみられるが,大阪圏では東京圏にほぼ匹敵するほどの上昇率になっている。
こうした最近の地価上昇の原因を分析し,地代の動きに対して地価上昇が過大ではないかという点を検討する。そのため,現在の地価か将来にわたる予想地代収入の割引現在価値であると考える簡単な収益還元モデルを考えよう。基本的なケースとして,地代収入については現在の水準が将来にわたって続くと仮定する。また,割引率(安全資産の利回り+リスクプレミアム)については,土地にリスクプレミアムがなく,現在の長期債利回りがそのまま割引率となり,かつそれが将来とも変わらないと仮定する。こうした前提のもとでは,地代を割引率で除したものが理論地価とよばれるものとなる。この理論地価の動きを3大都市圏について計算したうえで,現実地価の動きと比較してみた(第3-1-2図)。なお,地代にはデータ制約があるため,ビル賃料,家賃を指数として代用している。
まず,東京圏の商業地については,現実地価が83年から上昇率を高めたのに対し,理論地価上昇率は,3年ほど遅れて86年から,地代の上昇と金利(割引率)の低下を背景に加速し,87年以降は理論地価上昇率の方が高くなっている。
89年は,金利上昇の結果,理論地価上昇率はマイナスに転じたが,現実の地価上昇率は下がらず,その地価水準は高止まったままである。東京圏の住宅地についてもほぼ同様であるが,現実地価上昇率が理論地価上昇率を大幅に上回っているのは86年以降であり,89年は商業地と同様に理論地価が大幅に低下している。
一方,大阪圏の商業地については,東京圏より遅れたが,87年以降現実地価上昇率が理論地価上昇率を一貫して大幅に上回っている。大阪圏の住宅地については,82年から87年まではむしろ理論地価上昇率が現実地価上昇率を上回ってきたが,88年以降は東京圏同様,現実地価上昇率が理論地価上昇率を上回っている。また,名古屋圏でも東京圏とは異なった動きがみられる。すなわち商業地では81年から87年まで,また住宅地では82年から87年まで理論地価上昇率が現実地価上昇率を上回っており,88年から89年にかけては逆の動きとなっている。
こうした現実地価と理論地価の動きに違いが生じる理由は,ここでの理論地価が,地代と割引率(金利)が将来とも変わらないという静学的な予想に基づいて算出されているのに対して,現実の地価は,将来の地代上昇(下落)や割引率低下(上昇)に関する人々の予想を反映して上昇(下落)すると考えられることである。しかし,89年以降の現実地価,特に商業地のそれの水準は理論地価をかなり上回っており,それは,将来相当急速な地代の上昇または割引率の低下が見込まれていると考えないかぎり説明がつかないものである。
大阪圏の商業地を例にとってみると,86年から89年の3年間で実際のビル賃料は1.14倍(年率4.5%の上昇)となったが,現実の地価上昇は,この理論モデルにおいてビル賃料が2.58倍(年率38.2%の上昇)にまでならないと説明できないものであった。一般に,地代上昇率が土地の生産性を大きく上回りつづけることは考えにくいことからみても,このようなビル賃料の大幅な上昇は非現実的であろう。
したがって,三大都市圏におけるここ数年の地価上昇は,上述の収益還元モデルによる理論地価の動向から乖離したものであると考えられる。現実の地価は,ここでいう理論地価で考慮しなかった実体的な要因も含め様々な要因が複合的に影響して決まるため,以上の結果は幅をもってみる必要があるが,近年の地価上昇の要因に投機的バブルの要因が含まれていることを示唆するものとみられる。
(土地資産格差の拡大)
こうした地価上昇とその地方への波及をうけて,土地資産の保有分布も大きく変わっている。国民の住生活に直接関係する住宅地を中心に土地資産の保有分布をみる。
まず,総務庁「住宅統計調査」によって,住宅地を保有する世帯の比率をみよう。88年においては,居住世帯のある住宅のうち持家住宅(借地,マンションを含む)の比率は,全国で61.3%,東京圏で51.9%である。このうち,土地付き持家(土地付き1戸建及び長屋建て)は,全国で55.1%,東京圏では41.7%となっている。この土地付き持家の比率は,83年調査よりも東京圏で2.7ポイント低下している。こうした数字をみて,日本には地価上昇によって利益を得る世帯がかなり多いと主張する向きもあるが,土地資産の運用利益ということでなら,これは正しくないと考えられる。というのは,自宅のほかに運用資産としての貸家を保有する世帯は,全普通世帯の3.6%にすぎず,なんらかの利用目的で現住所以外の宅地を所有している世帯は10.7%にすぎないからである。このように,土地資産を売却でき,地価上昇により直接利益を受ける(すなわちキャピタルゲインを実現できる)世帯はそれほど多くないとみられる。
なお,総務庁「貯蓄動向調査」により,89年の持家率をみると,勤労者世帯の持家率は63.2%と,法人経営者世帯(84.7%),個人経営者世帯(87.6%)などよりはるかに低い水準にとどまっている。
ただし,現在,土地・住宅を所有していない世帯のなかで特に若い世帯の中には,将来,相続の形で土地・住宅を取得すると見込まれる者が相当数あるとの指摘もある。たとえば,貯蓄広報中央委員会「貯蓄に関する世論調査」によると,非持家世帯のうち相続等により持家取得を予定している世帯が20.2%ある。また,住宅金融公庫「首都圏住宅意識調査」では,首都圏でも持家世帯に相続できる親の家がある世帯を加えた「潜在持家保有率」は,20歳代でも67.3%にのぼるというのである。しかし,このことは逆にいえば,現在家を持たず,かつ相続も期待出来ない世帯が3割以上あることを示している。近年の著しい地価上昇に伴い,こうした住宅・土地の相続をした人や相続できる人と相続できない人の間で,人生のスタート時点における(潜在的)資産格差が従来よりも拡大し,機会の平等が相当程度侵食されていることは,決して楽観視すべき事実ではないと思われる。
こうした住宅・土地保有別の世帯数割合を前提にして,最近の地価高騰は資産分配にどのような影響を与えできただろうか。先にみたように,地価上昇のパターンが,東京圏からその他地域へ時差をもって波及しているため,土地を持つものと持たない者の間ではもちろん,土地を持つものの中でも,どの地域に保有するかで資産額の格差が拡大していると考えられる。
そこで,土地付き持家居住世帯のなかで,その土地資産額(敷地の資産価額)の分布をジニ係数(付注3-1 )を用いてみると,86年から88年にかけて大幅な不平等化が生じていることがわかる。これに対し,敷地面積の不平等化はほとんどみられず,このことから,資産保有額の不平等化は,この間に起こった東京圏を中心とする地価高騰によるものであることがわかる。また,土地付き持家以外に居住する世帯を含めた全世帯の土地資産のジニ係数をみると,やはり86年から88年にかけて上昇している。89年から90年にかけては,地価上昇が東京圏以外へ波及しているところから,ジニ係数は見かけ上やや低下しているが,大都市圏と地方圏で地価上昇率が大きく異なることもあって,依然として大きな格差が残っている(第3-1-3図)。
なお,こうした土地資産保有分布の評価については,地価が上昇しても,キャピタルゲインが直ちに実現されるわけではないから過大評価であるとの見方もありうる。しかし,地価高騰の後では,土地の取得は著しく困難になってしまっているわけであるから,地価高騰前に土地を取得した者との格差は,土地を取得し損なったことの機会費用という面からは歴然としているというべきだろう。
(金融資産の保有分布)
最近の株価上昇などを背景に,家計部門の金融資産残高も増大してきたが,その保有分布がどのように変化しているかみてみよう。
総務庁「貯蓄動向調査」の全世帯についてみると,各世帯の保有する金融資産から負債を差し引いた純金融資産については,ジニ係数でみた格差の程度は89年で0.68となっている。これは,後述する所得分配のそれより高いが,それは所得階層毎の貯蓄率の違いなどを反映したものと考えられる。しかし,その推移をみると,最近の株価上昇などを考慮するとやや通念と異なるかもしれないが,85年以降格差の拡大は明瞭にみられない。これは,一つには,個人の資産選択について,総資産の規模が大きくなるにつれて,金融資産を取り崩し,土地など実物資産の割合を高める傾向があるからだと思われる。また,実物資産を取得するために借入を行うと純金融資産が減少するという場合もありえよう。そこで,純金融資産に,土地・住宅購入のための負債(これが借入金により購入した土地・住宅の資産額に見合っていると考える)を加えた形で資産分布の推移をみると,逆に80年代後半に入りわずかながらジニ係数の上昇がみられる(第3-1-4図)。
2. 所得格差の動向
個人の所得は,勤労所得と財産所得からなる。勤労所得の分配は,第2節でみる賃金構造を反映する面が大きい。財産所得は,通常,利子,配当,地代等のインカムゲインをいうが,所得をより包括的に捉える時には土地や株式の値上がりに伴うキャピタルゲインを含めることができる。
(所得格差の推移とその要因)
総務庁「家計調査」によって全世帯の年間収入5分位階級別のジニ係数の推移をみると,84年までに比べ上昇しているものの,85年以降はおおむね横ばいの動きとなっている。次に,勤労者世帯の実収入,可処分所得の年間収入5分位階級別ジニ係数の推移をみると,同様におおむね横ばいの動きとなっている。また,総務庁「貯蓄動向調査」によって同様,に全世帯の年間収入5分位階級別のジニ係数をみると,70年代後半にやや低下した後,80年代に入ってからは,景気変動などによる振れはあるもののほぼ一貫してジニ係数がやや高まる傾向をみせ,89年には0.29となった(第3-1-5図)。
長期的にみると,高度成長期には,いわゆる労働市場の二重構造が解消する過程で,傾向的な所得分配の格差縮小の動きがみられた。また,従来,所得の不均等度は,不況期に上昇し,好況期に下落するという循環的パターンがみられた。これは,景気の上昇とともに失業率が低下し,失業による低所得者が滅少するとともに,労働力需給の引締まりから賃金格差の縮小が生じるためであると考えられる。しかし,今回の景気上昇局面では,明瞭な格差の縮小は認められない。最近の所得格差の推移については,共働き世帯の増加に伴い所得に占める妻の収入のウェイトが高まっていること,人口高齢化に伴い収入の少ない高齢者世帯が増加していることなども影響している,と考えられる。最近における不均等度の変動がどのような要因によって生じているかを分析するため,「貯蓄動向調査」全世帯の年間収入5分位階級別ジニ係数の上昇を回帰分析により要因分解してみると,家計資産の増大が不均等度を上昇させる方向に働いている一方,家計所得の増加や失業率の低下が不均等度を低下させる方向に寄与している。このように,最近の所得不均等度の変化を説明するには,ストックの影響が無視できなくなっていることがわかる(第3-1-6図)。
さて,以上は家計の属性の違いを考慮せずに不均等度をみたものであるが,年功序列賃金制の下で,賃金所得は年齢とともに上昇するのが一般的なパターンであるので,これを考慮に入れると,同年齢層の中での所得格差は,全体での格差より縮小するはずである。実際,「貯蓄動向調査」により,世帯主の年齢階級別の年間収入不均等度をみると,少なくとも働き盛りの50~54歳層までは,どの年齢階級をとっても,全体のものよりはジニ係数が低いことがわかる(第3-1-7図)。
また,全年齢層を通じて,年齢階級が高くなるに伴い次第に不均等度が高まる傾向がみられる。これは,退職年齢にばらつきがあることのほか,勤労生活のスタート時点では収入の差が小さいが,年功賃金カーブの産業,企業規模等による差,個人の能力,勤務する企業の盛衰などによって,次第に所得の差が拡大してくることを表していると考えられる。この点は,第2節の賃金構造の分析でさらにくわしく考察する。
最後に日本の所得分布を国際比較の観点からみよう。日本については「家計調査」を,外国についてはこれと比較が可能と思われる統計を用いて,5分位階級別の家計実収入についてのジニ係数をみると,日本は,依然としてアメリカ,イギリス,西ドイツなどよりも低くなっており,所得格差が小さいことを示唆している(第3-1-8表)。ただし,日本の家計調査では,単身世帯や農家世帯が含まれていないが,イギリス,西ドイツ等では含まれているなど,各国で統計定義,調査範囲等が異なるため,国際比較には十分な留意が必要である。
(資産所得の実態)
次に,家計所得のうち,資産保有から得られる所得について,詳しくみてみよう。資産からの所得としては,インカムゲインとキャピタルゲインがある。
インカムゲインすなわち利子,配当,地代といった財産所得の規模は,資産残高の規模と平均収益率に依存する。先にみたように,家計部門の金融資産,実物資産残高は,80年代後半に急速に増加してきた。しかし,そうした名目額の増加は,かなりの程度資産価格上昇に起因するものであり,それは,金融緩和に伴う割引率の低下によるものであった。したがって,資産残高の増加と平均収益率の低下は,いわば同じコインの裏表という関係にあり,かなりの程度相殺される性質のものである。実際,SNA統計でみると,家計部門の財産所得の合計額は,86年をピークに頭打ち傾向にある(第3-1-9図①)。また,税務統計により配当所得のジニ係数をみても,明瞭な上昇傾向はみられない(後出第3-1-10図)。
次に,キャピタルゲインの推移をみよう。家計部門(個人企業を含む)が保有する株式と土地から発生したキャピタルゲインの規模は,実現したもの,未実現のものをあわせると,88年中に172兆円となっている。その内訳は,株式から51兆円,土地から121兆円である。土地からのキャピタルゲインは,東京圏の地価上昇率が低下してきたため,87年よりも縮小しているが,株式からのキャピタルゲインは株価の上昇を反映して87年よりも増大した。なお,株式については,89年にも39兆円のキャピタルゲインが発生していると見込まれるが,90年に入ってからは,第1章でみたように株価が大幅に下落したため,たとえば1~3月期中に48兆円程度のキャピタルロスが発生したものと推計される(第3-1-9図②)。
このうち,実現したキャピタルゲインについてその不均等度をみるため,税務統計によって土地売却を中心とする長期譲渡所得の収入階級別分布をみると,いずれの年についても所得のそれよりもはるかに不均等度が高い。また,83年以降不均等度が高まっているが,東京圏の地価上昇が加速した時期とほぼ一致しており,このことから,地価上昇は,資産ストックの不均等度を高めただけでなく,資産譲渡所得の不均等度をも高めたことが推察される(第3-1-10図)。
(資産保有が所得分配に与える影響)
資産を多く持っている世帯は,より多くの所得を得ると考えるのが自然である。総務庁「貯蓄動向調査」の年間収入10分位階級別の平均純金融資産残高をみると,年間収入と金融資産残高の相関係数は0.94となっており,相関性はかなり高いといえる。なお,これは負債を差し引いた純資産であるので,先に指摘したように,外部から資金を調達して(負債を増やして)実物資産を購入するケースがあることからすると,この純資産残高はその分低く現れる可能性がある。そこで,総資産残高との相関係数をみると,0.96とやはりやや高くなっている(第3-1-11図)。
こうした高い相関の原因としては,第一に,所得が多いほど平均貯蓄率が高く,資産蓄積により多くの割合を振り向けることが考えられる。第二に,自明のことであるが,運用できる資産の規模が大きいほど,資産がらの所得額は大きいと考えられる。第三に,運用できる資産規模が大きいほど,資産構成(ポートフォリオ)の中でリスクの大小の組合せ,リスクの相関が低い組合せなどを選択する余地が拡がり,予想平均収益率を高めることができる。この結果,資産の残高規模が大きいほど,株式などリスクは大きいが予想収益率も高い資産のウエイトが高まるということになると思われる。たとえば,総務庁「貯蓄動向調査」により,金融資産について,89年末の年間収入階級別のポートフォリオをみると,こうした傾向があることが例証される(第3-1-12図①)。
この場合,資産残高が大きいほど平均的な予想収益率が高いから,初期時点における資産保有の不均等度は,時間とともに次第に大きくなり,同時に所得不均等度も大きくなる傾向を内在していることになる。これを確かめるため,各年末の各資産残高階級別の金融資産ポートフォリオがその後の1年間にどれだけの収益(インカムゲインとキャピタルゲイン)を生み出したかを試算してみると,初期資産残高の格差よりも収益の格差の方が各年とも大きくなることがわかる(第3-1-12図②)。これは,資産格差に資産運用益のより大きな格差が加わることによって格差が拡大していくことを示している。
3. 貯蓄率と世代間移転
周知のように,日本では高齢者世帯でも貯蓄率が比較的高く,また意識調査でもいざという時のための備荒的貯蓄が多く,結果としてかなりの資産を死亡時に残すことになる。また,伝統的に家系の継続と繁栄を重視する日本社会にあっては,積極的に「子孫に美田を残す」行動をとっていることも考えられる。
いずれにしても,資産格差の推移と相続・贈与の間には重要な関係がある。したがって,所得・資産分配を考察する場合に,世代間の富の移転の状況を把握しておくことが不可欠と思われる。そこで,ライフサイクルに応じた貯蓄行動の変化と遺産相続の規模などについて分析を加えることとする。
(ライフサイクルと貯蓄行動)
日本の家計貯蓄率(SNAベース)は,高度成長期に傾向的に高まった後,70年代半ばをピークにして緩やかに低下しており,87年に15.1%,88年には14.8%となった。こうした貯蓄率の変動には,ライフサイクルに応じた貯蓄率の変化を反映して,人口の年齢構成が大きな影響を持っと考えられる。たとえば,貯蓄率関数を推計して貯蓄率の変動の要因をみると,非生産年齢人口比率(全人口に占める15歳未満及び65歳以上人口の比率)の上昇が,貯蓄率を引下げる関係にあることが確認できる。しかるに,82年以降,65歳以上人口の増加を15歳未満人口の減少が凌駕しているため,この要因はこの時期一貫して貯蓄率押し上げ要因としで働いている。しかし,今後は,高齢化がさらに進むとみられるところから,人口要因は早晩貯蓄率引下げ要因に転じるよ見込まれ,今後の貯蓄率の動向を左右する重要な要素であると考えられる(第3-1-13図)。
ところで,家計貯蓄率(家計調査ベース)を世帯主年齢階級別にみると,高齢者世帯は若年者世帯とならんで,平均よりも貯蓄率が低いことが確認されるものの,水準としては依然として高い率を維持している。このことは,日本の家計では,世帯主の高齢化が進んでもなお貯蓄を続け,富の蓄積を続行していることを意味している。
また,貯蓄広報中央委員会「貯蓄に関する世論調査」によって,家計の最も重要な貯蓄目的をみると,「病気・災害への備え」を挙げる世帯が全体の34%と最も多く,これに「とくに目的はないが貯蓄していれば安心」とする世帯を加えると,全体の半数近くが広い意味でのいざという時のための「備荒的貯蓄」を行っていることになる。こうした動機による貯蓄は,明確な使用目的を持った貯蓄とは異なり,結果的に取り崩されずに子孫に相続される蓋然性が高いと考えられる。
(遺産相続による世代間の資産移転)
前項では,高齢者世帯の貯蓄行動を中心に遺産相続による世代間の資産移転の重要性を示唆したが,ここで,税務統計等から遺産相続の規模力がどのくらい大きいかみてみよう。
まず,相続税の課税対象額をみると,取得財産価額の合計は,88年には,9.6兆円にのぼり,これは被相続人一人当たり2.6億円,相続人一人当たり5,900万円に相当する。なお取得財産価額を財産の種類別にみると土地の構成比が圧倒的に高い(88年において69%)。ここには,相続税の課税対象とならないような小規模の財産移転は含まれないため(例えば,88年において相続税の課税対象となる遺産を残した被相続人の数は死亡者数の4.6%にすぎない),これを含めた全体としての相続の規模はこれよりはるかに大きいものと考えられる。
次に,相続による持家の取得状況をみよう。貯蓄広報中央委員会「貯蓄に関する世論調査」によると,89年の持家世帯数のうち,約27%は遺産相続により土地・住宅を取得したものである。また,現在持家を持たない世帯のなかでも,20%強は将来において相続により自宅を取得することを予定している。このように,住宅取得に占める相続の役割は相当大きなものがあることがわかる。
そうした遺産相続によって,資産分布の不均等度が世代を超えてどの程度移転していくだろうか。これをみるため,遺産相続を陽表的に取り入れる形で拡張した簡単なライフサイクル・モデルを用いて,勤労者世帯の年間収入5分位階級別に生涯にわたる資産(金融資産および実物資産)の蓄積パターンをみてみよう (モデルの概要は付注3-2参照)。
このモデル計算によると,年間収入第1分位(低所得層)では,平均的に210万円(85年価格,以下同)の相続を受け,生存中の賃金収入が加わり,また消費が差し引かれ,さらに生涯にわたる資産運用を考慮すると,死亡時に1,100万円の遺産を残すことになる。一方,年間収入第5分位(高所得層)では,平均的に2,000万円の相続を受け,死亡時には9,900万円の遺産を残すことになる。このモデル計算は,効用関数や資産運用利回りなどについて一定の仮定を置いて計算したものであり,そのまま現実を表すものではないが,この単純化されたシミュレーションから,収入階級によって平均的な相続額も,また平均的な遺贈額も大きく異なり,収入の多い者ほど相続額,遺贈額とも犬きいことがわかる(第3-1-14表)。
こうした場合には,世代が交代していくにともなって,資産の格差が大きくなっていくかどうかに興味がもたれる。しかし,どの程度不平等が拡大するがは,長子相続,階層内結婚,子供数,税制など様々な条件に依存する。すなわち,一般的には,長子相続または長男相続の程度が大きいほど,同じまたは類似する所得・資産階層同士の結婚の程度が高いほど,世代を超えた不平等の移転が生じやすいと考えられる。また,累進的な相続税等の働きでそうした傾向は緩和される。日本では,家計資産のなかで分割のしにくい土地の割合が高いことやイエの継承を重視することから,子供に均等に分割するよりも,土地・住宅を中心に現在でも長男等に傾斜的に相続する傾向がみられる。また,結婚については,夫婦の学歴や親の職業などが似通った「同類婚」の比率が高いという事実がある(厚生省人口問題研究所「日本人の結婚と出産」)。しかし,資産格差が世代をまたがってどの程度拡大するが,また税制などでどの程度補正されているかなど,定量的にはまだ明らかでない部分が多く,今後さらに検証の必要がある。
(教育と世代間移転)
以上では,遺産相続という形での資産移転のみを考えたが,それ以外にも,親が子供に対して生前から行う様々な形態の移転がある。その例としては,子供の一般的な養育費支出,日常的な親の知識や教養の伝達,家業(のれん)の継承などである。
こうしたなかには教育も含まれる。もとより,どの段階まで教育を受けるかという意思決定は,費用対効果の観点からだけで行われるものではないが,たとえば,高等教育を受けるかどうかが生涯賃金に与える影響を試算してみると,次のようになっている。労働省「賃金構造基本統計調査」等のデータに基づき,男子労働者(全産業平均,60歳定年を仮定)のモデル生涯賃金(89年価格で,残業手当,賞与,退職金を含む。)を試算すると,高卒の場合約2億6千万円であるのに対し,大卒の場合には,平均就業年数が大学在学中の分だけ短いにもかかわらず3億円強となっている(付注3-3参照)。
もちろん大学教育を受けるためには,大学進学準備のための費用を含め,多大な費用がかかるから,このことから直ちに大学教育がネットで収益を生むとは即断できない。しかし,現実には多くの学生が親からの学費・生活費の資金援助を受けており,子供にとっては,費用負担なしで教育を受けているという見方もできる。一般に,学生の修学に伴う経費は仕送りなど家庭からの給付,奨学金,アルバイト収入などでまかなわれているが,文部省「学生生活調査」によると,たとえば,大学昼間部の学生を持っ家庭の年間収入に占める学生への給付額の比率をみると,76年の12.2%から88年には14.9%に増加してきている(第3-1-15図①)。
このように教育費支出の割合が大きくなっていることを考えると,親の所得や資産の額にかかわらず教育の機会均等を確保することが,機会の平等を確保する上で極めて重要であることを意味している。そのためには,奨学金事業や私学への助成,税制面の措置などが重要となる。日本の公的な奨学金制度のなかで代表的な日本育英会奨学金をみると,89年度において貸与人員は約45万人に増加しており,また民間奨学団体等を含めた奨学金の受給者構成は相対的に低所得者層ほど多くなっており,教育の機会均等に寄与するという目的を果たしていると評価される(第3-1-15図②)。今後も,こうした奨学金制度の一層の充実が求められるとともに,第2節で述べるようなフイランソロピー活動の一環として,民間奨学団体等による奨学金制度に対する期待もますます大きなものとなろう。