平成元年
年次経済報告
平成経済の門出と日本経済の新しい潮流
平成元年8月8日
経済企画庁
(円高経済の定着)
昭和60年9月のプラザ合意以降,円高が大幅に進行した。63年度平均では,円相場は1ドル=128円となっており,60年9月時点に比べ,円は2倍近い上昇を示したことになる。この間の推移を見ると,円高は当初,大幅に進んだが,そのスピードを次第に緩め,63年度では120円から130円台後半の間を動いており,落ち着いた状態であった。
このような円高の進行の中で,我が国経済は大きく転換してきた。まず第一に,円高が生じたこと自体,これまでの日本経済の発展の成果が具体的に通貨の強さとなって表れたものである。すなわち,第一次,第二次石油危機を乗り越え,合理化を通じて価格競争力を強め,非価格競争力の強化とあいまって,大幅な貿易黒字をもたらしてきた。その結果,対外純資産が蓄積されるようになった。その背景には,省エネ化,合理化の進展があり,産業構造の面では,加工型製造業が伸長した。
第二には,円高への適応が進む過程で新たな発展が生じた。すなわち,産業の一段の高度化が進むとともに,消費生活での高級化,多様化が進んだ。製品輸入の急増から,これまでの輸出面における影響だけではなく,輸入大国としての役割も高まっており,また,資本取引面でも世界最大の債権国となった。日本経済全体は量質ともに,世界経済の循環に重要な役割を果たすことになった。
第三には,日本経済の長期的発展の中で,質的転換がみられる分野がある。例えば,資産(ストック)の蓄積が進んで実体経済への影響が表れてきたこと,マイクロエレクトロニクスなど技術革新の新しい波がみられること,非製造業が着実に発展していることがあげられる。
本報告においては,このような三つの要因による変化を「高度化」「グローバル化」「ストック化」に分けて分析した。すなわち,消費を中心にした生活の多様化,高級化と産業の情報化,技術集約化を併せた「高度化」,製品輸入や海外投資の拡大に伴う日本経済と世界経済の一体化,企業の世界的展開を示す「グローバル化」,資産蓄積や資産価格の上昇に伴う「ストック化」である。これらを重ね合わせると日本経済は新たな段階に入ったとみることができよう。
振り返ってみれば,為替相場は46年までは1ドル=360円であり,48年の変動相場制移行後,50年代は250円台であったものが,62年度138円,63年度128円という水準にある。
したがって,高度成長期,世界経済の調整過程,安定成長期に対し,現在の日本経済の姿を円高経済の定着とも位置づけることができよう。
それでは,新段階の日本経済が達成している姿は過去と比べた時,どのような特徴を有するだろうか。
第一に,経済成長率は,62年度5.2%,63年度5.1%となり,53,54年度以来の2年連続5%成長となった。これには「高度化」「グローバル化」を背景にした設備投資の盛上りがあり,需給両面で成長力につながっている。
第二に,成長の内容が高度成長期,安定成長期の輸出主導型から,内需主導型に移行していることである。高度成長期には「国際収支の天井」を高めるために輸出が促進され,安定成長期では石油価格上昇による貿易収支赤字に対して輸出増強が図られた。現在は大幅な経常収支黒字の縮小が目標であって,内需拡大による輸入の増加が重視されている。実際,外需は3年連続減少しており,内需の伸びは高い。
第三は,消費者物価の上昇が目立った高度成長期,原油価格高騰を背景にインフレに追われた安定成長期に比して,物価が安定していることである。これには,円高に伴う安い輸入品の増加が寄与しているほか,賃金,価格決定にもより安定的要素がみられる。
第四に,雇用面では,安定成長期には過剰労働力の懸念があったのに対し,現状は人手不足が生じている。
他面において,国際的に見た新段階の特徴は,まず,製品輸入の大幅増加であり,製品輸入比率は5割に達している。次に,それにもかかわらず経常収支黒字は依然大幅であり,金融機関のグローバルな活動と相まって活発な資本輸出国である。さらに,結果として世界最大の債権国であることである。
以上のような特徴は今回の景気上昇に反映しており,現在の景気局面に当てはめてみると,堅調な個人消費と旺盛な設備投資によって景気上昇の持続力は強く,上昇期間はすでに神武景気をこえている。
もちろん,好景気の持続,良好なパフォーマンスのなかでも,全ての問題が解決されている訳ではない。新段階の日本経済にも次の2種類の課題が残されている。
まず,全ての分野において,円高経済が定着している訳ではない。市場メカニズムの働きによって構造転換が進む部分と制度,慣行,意識の変化を要する部分とでは適応に大きな差がある。すなわち,企業はすでに円高に適応している。輸出企業の内需開拓努力も実を結んでいる。素材型製造業のリストラクチャリングも進んでいる。これに対し国民生活の充実のために必要である労働時間の短縮や,内外価格差の縮小はあまり進んでいない。こういった分野では個々の企業の努力だけではなく,制度や意識の変化を必要としている。
次に,発展とともに,新しい課題が生み出されているという側面に注意しなければならない。その一つの例は対外不均衡是正テンポの鈍化である。経常収支黒字のGNP比は61年度の4.5%から63年度には2.7%と低下した。しかし,63年度の動きをみると我が国の輸出は,伸びる商品への柔軟な移行を常に進め,世界的な設備投資ブームのなかで増加している。このため,輸入の増加にもかかわらず,不均衡是正のテンポは鈍化している。もう一つの例は東京圏の地価上昇である。金融緩和基調のなかで,東京の発展,国際金融市場としての成長を背景に,都市のオフィス需要が増加したこと等が地価上昇に繋がった。その結果,資産格差を生じ,住宅・社会資本整備に障害となっている。三つ目の例は,労働時間短縮のテンポの遅れである。改正労働基準法が施行された昨年4月以降所定内労働時間の短縮は進んでいるが,好況下では所定外労働時間が伸びてそれが相殺され,総実労働時間の短縮は十分に進んでいないことである。また,発展途上国との所得格差の拡大と人手不足感の拡がり等供給,需要両面の要因から,不法就労者が増加するなど外国人労働者問題が無視できないものとなっている。
順調な経済拡大の持続はこうした課題に積極的に取り組む好機でもある。
(世界経済の変化)
世界においても新しい動きがみられる。まず,アジアのNIEsやASEANの重層的発展である。対米輸出の急増によって急成長を遂げた韓国,台湾などに続いてASEAN諸国も目ざましい発展を示した。次いで,ヨーロッパでは,ECの1992年統合を目指して調整が続けられているが,企業もまたこれを契機に積極的な活動を展開し,設備投資ブームが生じている。さらに,ソ連では経済の停滞を打破するためのペレストロイカが推進されている。
もちろん,これらにも問題がないわけではない。アジアの発展はアメリカの景気後退によってストップする可能性があり,ECは域外に対し閉鎖的になる危険性を秘めている。ソ連の経済改革には種々の困難が予想される。いずれも経済発展を促進することを目指していると考えられ,前述のような障害を乗り越える努力が必要とされよう。また,中南米など発展途上国の累積債務問題の解決にもさらに,先進国の協力が必要とされている。
こうしたなかで,依然として,世界経済にとって大きな問題はアメリカ経済の抱える不均衡である。いわゆる「双子の赤字」,すなわち,財政赤字と貿易赤字は最悪の時期に比べれば改善しているものの,依然として巨額である。しかも88年からの動きをみると,その縮小テンポは鈍化している。これに対応する日独の黒字不均衡の是正もこのところ足踏みとなっている。
このような問題を抱えながら,先進国経済は,インフレ抑制と景気の持続を両立させるという難しい局面に至っている。これまでは,成長の持続は対外不均衡の是正につながり,かつインフレ懸念は薄かった。しかし,このところ,インフレ懸念の強まりは,次第に金融引締め基調への転換を余儀なくしている。この間,アメリカのインフレに対する高金利がドル高を招いたこともあって,対外不均衡是正は赤字国,黒字国の双方にとって進み難くなっている。さらに問題となるのは,アメリカが対外不均衡を背景に包括貿易法のスーパー301条を用いて,不公正慣行と国を指定するという保護主義的政策を導入していることである。アメリカの貿易赤字の持続は自らの国内の不均衡の反映であるというマクロ的要因と,質量両面の供給力不足という構造的要因によるものであって,これは保護主義的な措置によって対応すべきものではなく,かつ,それによって解決するものではない。保護主義はかえって問題の本質をおおい,解決を遅らすにすぎないとの認識が必要である。アメリカの対外不均衡是正には,財政赤字や低貯蓄率を改善し,国際競争力の強化を図ることが必要とされている。同時に,為替相場の過度の変動は赤字国,黒字国双方にとって,内外需のバランスを変え,不均衡是正を進めていく上で望ましくない。為替相場の安定を目指して国際協調に基づく対応が必要である。
(平成経済の目指すもの)
日本経済,世界経済の新しい動きに対応して,基本方向を考える際の我々の視点も変えていく必要がある。基本となるのは,経済力の強化よりも経済力の活用を一層重視することである。これまで,我が国は経済力を強めることに全力をあげてきた。石油危機や円高という障害も経済力を強めて克服してきた。しかし,ドルベースで換算した所得がアメリカを上回る事態は過大に表示されている部分はあるとしても決して幻影ではなく,日本経済の力を示すものである。さらに,日本の産業は引き続き高度化の努力を続けており,今後とも経済力においては更なる発展が期待できる。したがって現在,重視されるのはこうした経済力をどう活かすか,という視点である。名目所得の高さに比べて,暮らしに豊かさの実感に乏しいのは,日本経済の持つ力が生活面に十分活かされていないことの反映とも考えられる。
さらに,その際,留意すべきは次の2点である。
一つは,世界経済に占める日本経済の大きさ,量質両面における役割の自覚が必要である。例えば,量的には,我が国の輸出は世界輸出の1割を占め,GNPの増加はカナダのGNPと同じような水準である。日本の製品輸入はアジア諸国の成長率を高めるだけの大きさを有する。質的には,モノの面ばかりでなく,資本や技術の面でも供給国として重要であり,世界経済との一体化が進んでいる。このような日本経済のグローバル化に対応して,我が国のグローバルな役割を企業も個人も自覚する必要がある。
二つは,部分より全体的な判断,また,狭い経済分野よりもより広い視野を重視する必要がある。例えば,個々の事業者よりも消費者一般を考えることであり,個別業界よりも日本経済全体を重視することである。同時に,学術,文化などの分野も対象に入れる必要がある。ここには,企業の社会的責任という視点も含まれている。
このような視点に立つとき,平成経済は,どのような方向を目指すべきであろうか。
第一には,世界経済の発展に貢献し,地球的規模の諸問題の解決に積極的に取り組むことである。アメリカ経済力の再建,アジアの発展の持続,累積債務問題の解決,ECの統合など,各々について,日本の役割がある。輸入増加,資金供給,技術移転,経済協力など,全ての分野で我が国への期待は大きい。また,地球的規模の環境問題には我が国が寄与しうることが大きい。
第二には,国内における総体的に良好なパフォーマンスの中で,いくつかのギャップを埋め,アンバランスを是正していくことである。例えば,長い労働時間の短縮,内外価格差の縮小,住宅・社会資本の充実などであり,「生産力と豊かさのギャップ」の解消を図ることである。これらは生活面の課題であるばかりではなく,日本の産業にも投げかけられた課題である。
これらの方向を実現するために,基本的に要請されるのは,これまでの制度,慣行の見直しを図ることである。生活・産業の多様化,情報化などの「高度化」「グローバル化」「ストック化」という新しい動きに照らして,これまでの制度を見直すことが必要である。新しい段階の日本経済には,新しい枠組みが必要とされている。とりわけ「グローバル化」に応じて,開かれた日本の枠組みをさらに創ることが重要である。
同時に,必要とされるのは,内需主導型経済成長を持続することである。前述のように,円高経済の定着のなかで,今回の景気上昇は持続力がある。物価面,対外面の適切な対応を踏まえて,こうした内需主導型経済成長を持続していくことが国内外の期待である。内需主導型経済成長の持続は為替相場の安定とならんで,製品輸入の増大持続の基本である。
これらを通じて,日本経済の新しいイメージを定着させていくべきである。日本経済の良好な成果は決して,日本経済の特殊性を示すものではない。国民の努力と創意工夫が強い経済力となって実を結んだに過ぎない。これらを豊かさの実現と世界経済の発展に活かしていくことにより,「真に豊かな地球国家」として国際社会において尊敬され,名誉ある地位を占めることができるであろう。