平成元年

年次経済報告

平成経済の門出と日本経済の新しい潮流

平成元年8月8日

経済企画庁


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第5章 成長と循環の新しい姿

第2節 財政・金融政策の動向

昭和63年度の財政・金融政策をみると,均衡のとれた税体系の構築を目指した抜本的な税制改革が決定され,また,金融政策の面でも,新金融調節方式が昨年11月より導入され,平成元年5月には公定歩合が9年振りに引き上げられるなどの動きがあった。

ここでは,こうした63年度以降の財政・金融政策の動向をみる。次に,最近における経済環境の変化とそれが財政・金融政策に与える意味合いについて検討してみる。

1. 財政政策の動向

(平成元年度予算の内容)

平成元年度予算は,50日間の暫定予算の後,5月28日成立した。今年度予算をみると,第一に,歳出面では昭和63年度予算を上回る伸び率になっている(一般歳出の伸びを当初予算比でみると,63年度が1.2%増,平成元年度が3.3%増となっている。)ことがあげられる。これは,消費税の導入による影響額を適切に計上したこと等から,政策的経費では,社会保障関係費の伸びが大きいこと(4.9%),公共事業関係費(1.9%)の増加等の寄与があったことによる。第二に,歳入面では所得税,法人税等の減税,消費税の導入,物品税の廃止を中心とする税制改革が織り込まれていることがあげられる。63年12月に成立した税制改革関連法に基づき,平成元年1月より所得税減税が実施され,4月には消費税の実施,既存の物品税が廃止される等,大幅な改革が行われた。63年度の平年度ベースで約2兆6千億円の減税超過となっている。第三に,租税の増収見込みが近年としては大きい(当初予算比でみると,63年度が9.5%,平成元年度が13.1%となっている。)ことがあげられる。なお,国税の名目GNPに対する弾性値は,平成元年度の当初予算ベースで1.13と50年代の単純平均0.97よりやや高い水準になっている。第四に,50年代半ば以来進めてきた財政改革の効果や景気回復による税収の増加等に恵まれたこともあって,公債依存度が63年度当初予算の15.6%から11.8%へと低下していること(特例公債依存度をみると,各々6.5%から 2.6%へと低下している。)などがあげられる(第5-2-1図)。

63年度補正予算をみると,その規模は約5兆1500億円となっている。内訳をみると,歳出面では,公共事業以外に,1)厚生保険特別会計へ,57年度から60年度までの間に行った同事業に係る国庫負担金の繰入等の減額分及び減額分運用収入相当額約1兆5千億円,2)公債の償還財源に充てるため,62年度の剰余金の1/2に相当する約9千5百億円を国債整理基金特別会計へ繰り入れたこと,などがあげられる。この他,3)臨時福祉特別給付金等経費を含む,消費税創設等税制改革関連経費(約1千6百億円),4)農産物輸入自由化等関連対策費(約1千億円),5)貿易保険特別会計への繰入(9百億円)といった政策目的の経費が盛り込まれている。

また,歳入面では,1)当初予算に比し,3兆160億円の税収増加を見込んだ点,2)62年度に引き続き,前年度剰余金約3兆円弱を受け入れたこと,3)特例公債金を1兆3800億円減額したこと等により,公債金が8740億円減少したこと等に特色がある。この結果,63年度補正後でみた特例公債は1兆7710億円(特例公債依存度3.4%)となった。

政府では,平成2年度(1990年度)までに特例公債依存体質からの脱却及び公債依存度の引き下げという財政改革の目標の達成に努めて来たところである。最近の公債依存度の推移を61年度以降についてみると,21.0%,16.3%,12.9%(63年は補正後ベース)と着実に低下している(前掲,第5-2-1図)。歳出内容や構造の見直し,民間活力の導入等を行うことにより,財政改革の実があがっていると考えられる。

これを平成元年度予算でみると,特例公債の発行額は前年度当初額に比べ18,200億円減額され,公債依存度も11.8%に低下するなど当面の財政改革の努力目標達成に向け着実に前進している。しかしながら,平成2年度における特例公債の発行がゼロになったとしても,財政支出の繰延べや国債整理基金への定率繰入の停止などの臨時特例措置が行われて来たこと,公債残高は累増しており長期政府債務残高対名目GNP比率や利払費の対一般会計歳出比は先進国と比較して最も高い水準にあること等,今後とも財政運営は依然として厳しいことに十分留意する必要がある。

(歳入構造の特徴)

我が国の国民負担率(租税負担と社会保障負担の合計の国民所得に対する比率)は,45年度に24.3%であったものが,財政の経済全体に占める比重が上昇し,社会保障制度の充実が図られる中で,54年度以降30%を越え,62年度には38.4%,平成元年度も若干上昇することが見込まれている。租税負担率では,50年代の平均が約21%であったが,62年度27.3%,63年度,平成元年度もほぼ同水準が見込まれている。

次に,国税の動向をみると,租税負担率では,50年代前半の平均が12.5%であったが,同後半には14.8%となり,62年度17.4%,63年度以降もほぼ同水準が見込まれている。また,租税及び印紙収入の構成をみると (第5-2-2図),45年度には所得税,法人税等(直接税の内,所得税以外のもの)と間接税等の比率が31対35対34となっていたものが,55年度38対33対29,61年度39対34対27となり,税制改革前における直接税の割合,特に61年度までの所得税の高まりや間接税等の割合の低下が特徴となっている。

最近の税目別動向をみると,伸び率は合計で60年度9.4%,61年度9.6%,62年度11.8%増と50年代後半を上回る伸びとなっている。なかでも,法人税の伸びは,法人企業の申告所得が景気回復を受けて増加していることなどから,61年度以降高まっており,62年度には20.8%,63年度補正後で10%を越える伸びと,税収全体の伸びを上回っており,50年代後半と比べてかなり伸び率が高まっている。

法人税の変動を,経常的活動から生ずる要因として経常的経済活動要因(名目GNPから法人の財産所得を控除したもの),在庫品評価損益,資産要因(財産所得と値上がり利益等キャピタルゲインで含み資産を含む)を用いて要因分解してみよう(第5-2-3図)。この中では,例えば62年度についてみると,61年度の反動から在庫品評価損益要因が伸びを高める効果を生じさせており,経済活動の趨勢が経常的経済活動要因で表せるとすると,法人税の増加は経済活動の趨勢が高まったこともあるが,在庫要因,資産要因という経常的経済活動以外の要因が寄与したものと考えられる。この分析では,価格変化や資産価格の変動が落ち着くと,法人税の伸びは,経済活動の趨勢の伸びにより依存する可能性が高いとみられる。

(税制改革の概要)

昭和63年12月の税制改革をみてみよう。

改革前の税制は,シャウプ勧告に基づく昭和25年の税制改革以来大きな改正がなされなかったため,経済・社会との間に不整合が生じ,1)税体系の中で税負担が個人の嫁得所得,とりわけ給与所得に偏り,サラリーマンの重税感・不公平感が募る,2)従来の物品税等の個別間接税が最近の消費パターンの多様化やサービス化の進展の実態に対応できず,課税品目や税負担にアンバランスが目立つ,3)最近の地価高騰や証券市場の活況等を反映して,相続税の負担の軽減を求める声がある一方,株式等の譲渡益の原則非課税に対する不公平感がある,4)経済取引が国際化している中で,法人税率が国際的にみて高水準にあるなど,様々なゆがみが目立ってきていた。

さらに,人口の高齢化,経済の国際化が一層進展する中で,従来の税制の持つゆがみを放置すれば,サラリーマンを中心とする納税者の重税感・不公平感は一層深刻化し,また,税制の経済活動に対する中立性が損なわれるおそれがあった。

いかなる税目もそれぞれの長所を有する反面,なんらかの問題点を有するため,税収が特定の税目に依存しすぎる場合には,その税目の抱える問題点が増幅される。所得課税は,所得水準に応じ,累進的な負担を求めることができ,垂直的公平にも資するが,把握の状況如何によっては,実質的に公平が確保できない場合も生じうる。他方,消費課税は,累進的な税負担を求めにくいが,所得の把握状況如何によらず,消費の大きさに比例的な負担を求めることができ,水平的公平に資する。

こうしたことを踏まえ,今次税制改革は,国民の租税に対する不公平感を払拭するとともに,所得・消費・資産等に対する課税を適切に組み合わせることにより,均衡がとれた税体系を構築することを目的に実施された。

また,租税は国民が社会共通の費用を広く公平に分かち合うためのものであるという基本的認識の下に,税負担の公平を確保し,税制の経済に対する中立性を保持し,及び税制の簡素化を図ることを基本原則として行われた。

具体的には,1)所得税,個人住民税について税率の累進度を緩和するとともに,人的控除の引き上げを行うこと等により,負担の軽減・合理化を図ること,2)国際的視点に立った法人税制の確立を目指し,法人税の基本税率を引き下げる等負担の軽減・合理化を図ること,3)有価証券譲渡益の原則課税化,社会保険診療報酬課税の特例の見直し等負担の公平確保のための措置を講ずること,4)従来の個別間接税制度が直面している諸問題を解決するとともに,税体系全体を通ずる負担の公平を図る見地から,既存間接税の抜本的見直しを行うとともに,消費に広く薄く負担を求める消費税を創設すること等,税制全般にわたる改革が行われた (第5-2-4表, 第5-2-5表)。

今次税制改革が直接に消費に与える影響をみると,消費税による価格上昇の影響を,物品税等の廃止,所得税等の減税による消費拡大効果が上回り,全体として消費を増加させることとなろう。

このように,今次税制改革は,規模・範囲の点で大きなものであったが,今後とも,税負担の公平の確保に努めつつ,所得・消費・資産等の間で均衡のとれたよりよき税制の姿を求め不断の努力を行う必要があろう。

2. 今後の財政政策

(財政の役割)

市場経済における政府の役割は,公共財の供給などの面で重要な役割を果たしている。中央政府,地方政府を合わせた政府の規模(一般政府支出合計)を,名目GNPとの比率で昭和45年度から5年毎にみると,各々20.3%,27.7%,33.3%,33.4%となり,最近の61,62年度には33.8%と,社会保障関係の移転支出等の増加を主因として高まりがみられる。これを国際的にみると,61年にアメリカが36.8%,イギリスが46.3%,西ドイツが46.7%,フランスが53.0%と,主要先進国の中で政府規模は比較的小さいといえる。これまで我が国の経済パフォーマンスが比較的良好であったこととあわせると,簡素で効率的な政府活動を維持してきたといえよう。

現在の政府活動の中身をみると,司法,外交,防衛等といった狭義の公共財に相当するものに加え,教育,医療,社会保障・福祉サービス,社会資本整備等多岐に渡っている。そこで,市場経済における政府の役割を整理すると,主に,1)公共財の供給,2)所得再分配,3)「市場の失敗」への対応,4)経済の安定化という役割に大きく区分できよう。

第一に,公共財の供給をみよう。国民経済計算で一般政府サービスの支出(目的別支出の一般政府サービスと防衛の合計)を対GNP比でみると,55年度4.0%,最近の62年度でも4.0%と50年代後半以降は4%程度で概ね安定している。

第二に,所得再分配の機能をみよう。所得再分配政策のうち,社会保障移転の支出規模を国民所得の比率でみると,45年度には5.8%であったものが,50年度9.5%,55年度12.5%,60年度14.1%となり,最近の62年度には14.9%と,社会保障制度の充実と成熟化,人口構成の高齢化などから,急速に上昇している。

市場メカニズムは,個人の能力,蓄積された資産などに対し,その貢献に応じた成果の分配を行う機能をもつ。このようにして実現された所得配分は,社会的公平から見て必ずしも望ましい分配を保証するものではない。不慮の事故などで経済活動に参加する能力を失った場合などには,結果的に社会的不平等をもたらすものとなる。このため,政府では,社会的公平を促進する観点から,最低生活水準の保障,所得格差の是正(累進課税,社会保障等)を行っている。

第三に,外部不経済などが発生した場合など,市場の失敗を是正する役割を政府が担うことである。一般に,社会全体が負担する社会的費用と企業・個人などが負担する私的費用が乖離すると,市場メカニズムだけでは期待される望ましい資源配分が実現できなくなる。例えば,公害のように,市場に任せておいては環境汚染などが国民が許容する水準以上になってしまう。このような市場メカニズムの欠点を政府の手で補完することが要請されている。

第四に,経済の安定化である。市場だけに任せては,大きな景気変動や時には深刻な不況に陥る懸念があり,市場メカニズムではこれを十分予防することができない。このため,大きな景気変動を避け,安定した経済の拡大を図ることが政府に課せられた役割となっている。裁量的政策,自動安定化政策と呼ばれるものがそれである。

ここでは,様々な財政の役割のうち,経済変動に係わる役割を検討することとし,まず,経済の安定化への役割を中心にみていくことにする。

(景気変動と政策の有効性)

財政の安定化機能は,一つに,現在の税制や予算額を前提としたとき,循環的要因から生ずる財政収支の変化を通じて,経済の変動を安定化させる効果であり,自動安定化機能と呼ばれている。もう一つの機能が,税制を変更したり,財政支出を削減・追加する等して経済変動に影響させようと意図的に取る,裁量的政策の効果である。

財政の安定化機能を,一つの試算として,国・地方を合わせた国民経済計算のデータを用いた乗数モデルにより,自動安定化機能と裁量的政策の効果に分解してみよう (第5-2-6図(1))。51年度以降の効果の推移をみると,52,53の両年度に大きな裁量的政策の効果が見出せる。これは米西独とともに財政支出を拡大し,内需拡大を図った年であったことを反映している。60年代に至ると,裁量的政策の効果だけ抜き出せば (第5-2-6図(2)),内需拡大策(60年度),総合経済対策(61年度),緊急経済対策(62年度)と3年連続で取られた内需拡大にも配慮した政策が反映されている。また,経済全体に与えた効果を見ると,経済拡大を受けて自動安定化機能が作用したこと,また,先に見たように法人税の増収等が生じたこともあって,結果的には,自動安定化機能が大きく作用した姿となったと考えられる。

ここで,自動安定化機能が作用するプロセスをみよう。現在のような景気拡張期をみると,まず,累進税率構造を持つ所得税や景気感応的な法人税の税収が増大し,財政は経済に対し抑制的に作用し,急激な経済拡大を抑えることに繋がって,市場の需給を緩和する方向に働くことになる。逆に,景気の後退が生じたときには,逆にこれらの税収が自然に減少し,これが有効需要に拡張的に働くことになる。このような機能の大きさは,所得税の累進構造や法人税の景気感応度など直接税の税収に依存する度合が高いが,雇用調整を積極的に行う経済では雇用保険制度,生活扶助などの役割も重要となっている。

こうした財政の自動安定化機能が有効に働いても経済変動を完全に除去できる保証はない。また,循環的要因から裁量的政策の発動が要請される場合が生ずることがある。そこで,次に,裁量的政策の特徴をみよう。

まず,自動安定化機能にはない,裁量的政策固有の問題点として,政策のラッグ(認知,政策決定,政策効果のラッグ)に留意する必要がある。具体的には,1)統計データに基づいて政策発動が必要かどうか,また,事態が循環的要因で構造的要因に起因していないかどうかの判別のために時間がかかる,2)所要の政策の規模と歳出や税制の変更といった政策手段の構成を決定し,発動するために時間がかかる,3)政策が有効需要を直接,間接に変化させるため時間がかかる,などの点があげられる。裁量的政策は,循環的要因によって生ずる経済変動を真に平準化するよう機能させる必要があり,第一次石油危機以降の景気循環が平均25か月であったことを考慮すると,アナウンスメント効果も考慮に入れながら,効果的,機動的に執行されなければならない。

さらに,裁量的政策は本来の目的に鑑み,景気の好不況に応じて機動的かつ弾力的に実施されなければならないが,裁量的政策の実施にはかなりの非対称性がみられ,一度政策が取られると構造的な政策の中に取り入れられる可能性がある点にも留意する必要があろう。

(財政政策と民間部門の反応)

景気変動の観点から,財政政策が民間支出に与える影響の大きさは,一般的には,民間支出が政府の支出をどの程度考慮にいれているか,実施される経済状況が資源の完全雇用状態かどうかで,また,金融政策のスタンスによっても,大きく左右される。もし,増減税策や財政支出の増減が完全に民間支出の増減で置き替わるとすると,経済変動を平準化する財政政策は無効となる。政府支出が常に,完全に民間支出を減少させるというのは極端であろうし,また,このような影響が全く生じないとするのも逆の意味で現実妥当性が乏しい見方であろう。

所得税の増減税や財政支出の増減が民間支出に影響があるかをみるために,財政の収入,支出が民間消費に与える効果を試算してみよう。これは,国民が財政収支の増減を自らの恒常的な所得や資産の増減とどの程度同様に考えているかを計測することで,政府支出が民間支出に代替する大きさをみようとするものである。これまで議論されてきた標準的な枠組みでこれらの影響を計測した結果 (第5-2-7表)が示されている。

結果をみると,1)政府支出が常にマイナスで民間消費へ影響し,租税は民間消費に影響しないとする極端な考えは,計測されたとしても推計期間や変数の選び方といった技術的要因で左右される脆弱な関係であるとみられ,今回の試算では統計的に支持されていない。2)50年以降の期間では,減税が消費を増加させる傾向がみられることから,租税政策が有効であったこと,などの特徴が見出せる。

つまり,政府支出が完全に,同額の民間支出を減少させ,経済全体では影響がなかった,また,租税が民間支出に影響しなかったとするのは困難であり,むしろ影響があったと考えられる。これは,先に試算した,財政の安定化効果が認められたことと符合するものである。

それでは次に,国民経済のバランスや財政支出に働く構造的要因として,社会保障制度をマクロ経済活動との関係から概観することにしよう。

(我が国の人口構成の展望)

今後の社会保障の動向を見るために,まず,人口構成の見通しをみよう。今日,我が国の65歳以上人口比率は,昭和60年で10.3%と主要先進国のなかでも一番低い位置にある。ところが,今後10年強で16%程度と現在の西欧の水準に達した後,20年間程度で約23%程度と極めて高い水準になると予想 (第5-2-8図)されている。この時点で我が国は主要先進国で最も高齢化が進んだ社会となると見込まれる。

現在,人口の高齢化は予想を上回る速度で進行している。主要先進国で65歳以上人口が7%から14%に達するのに要した年数をみると,アメリカが75年間かかると見込まれ,既に14%の水準に達している西ドイツが45年,イギリスが45年かかっている。我が国ではこの期間が25年間と見込まれる。

(社会保障制度の現状と特徴)

現在,我が国の社会保障制度は,主に公的医療保険制度と公的年金制度から構成されている。なかでも,公的年金制度は国民の老後生活を支える基盤であり,高齢者が安定した老後生活を送れるように現役世代がその負担を行う「世代間扶養」の仕組みとして我が国の経済社会システムの中に組み込まれている。我が国の社会全体が本格的に高齢化社会に移行してゆく中で,この公的年金制度の果たすべき役割は,ますます大きくなっていき,また,これを支出面でみても公的年金給付費は,人口の高齢化を背景に趨勢的な増加が見込まれている。

日本ではいわゆる「国民皆年金制」が36年以降実施され,原則として国民は何れかの公的年金制度に加入することが可能となった。60年の制度改正により,国民年金は全国民に共通の基礎年金を支給する制度へと発展し,公的年金制度の1階部分については給付と負担の公平化が図られた。また,厚生年金保険と共済年金は基礎年金の上乗せとして,報酬比例の年金を支給する制度に改められた。更に,2階部分である共済年金と厚生年金保険の給付水準は将来に向けて整合性が図られることとなった(第5-2-9表)。

現行制度には大きく分けて,1)制度の長期的安定を図ること,すなわち,現行の給付水準を維持しつつ後代の保険料負担を適正なものにしていくこと,2)産業構造・就業構造の変化に耐えられるよう,公的年金制度を一元化すること,という二つの課題がある。

第一は,現行の給付水準を維持しつつ,後代の保険料負担を負担可能な範囲にとどめ,年金制度を長期的に安定したものとしていくことである。

我が国の平均寿命は男子75.6歳,女子81.4歳と世界トップである。しかも,今後人口の一層の高齢化が進み,例えば,厚生年金制度についてみると,30年後には老齢年金受給者数が現在の3倍強にまで増大する一方,保険料を負担する被保険者数はほぼ横ばいのままである。このため,支給開始年令を現行のままに据え置いた場合には,保険料ピーク時に当たる平成32年度には31.5%にまで引き上げざるを得ないものと見込まれ,後代の負担が過大となるおそれが大きい。

現行の給付水準を維持しつつ,こうした後代の負担を適正なものとし,制度の長期的安定を図るためには,支給開始年令を65歳へと段階的に引き上げていくことが最も現実的な対応策であり,これによって最終保険料率を26.1%に抑えることができる見通しである(第5-2-10図)。

第二は,公的年金制度を一元化していくことである。先に述べた制度改革における基礎年金の導入により1階部分の一元化は完了するとともに,2階部分に当たる被用者年金制度についても給付面での整合性が図られたところであり,今後は被用者年金制度の負担面について調整を行うことが必要である。

公的年金制度は老後生活の支柱としての役割を果たしており,人口の高齢化の進展,老後期間の長期化を踏まえ,高齢化社会においても長期的に安定したものにしていく必要がある。

(高齢化の経済への影響)

人口構成の高齢化は,1)社会全体の貯蓄への影響,2)公的年金・公的医療保険制度を通じた財政支出の増大,3)個人貯蓄への影響,という三つの面を通じて,国民経済に影響するといわれている。ここでは,高齢化と貯蓄の関係を分析することにしよう。

人口構成の高齢化は,そのものが経済全体の貯蓄へ影響することが考えられる。今後,数年の間では大きな影響が生ずるとは見込めないものの,高齢化の進展が影響して貯蓄率などに変化が現れることも考えられる。実際には高齢者世帯も平均的には貯蓄を行っているが,ここでは単純化の仮定を置き,高齢者が一定年齢で退職すると考え,高齢者世帯は財産所得や貯蓄の取崩しと生産世代からの所得移転で,専ら消費することになる場合を想定して,マクロ経済への影響を検討しよう。

かかる前提の下では,経済全体では,1)貯蓄率の高い生産年齢人口の構成比が低下し,消費性向の高い高齢者比率が高まることから,全体の貯蓄率が低下する。また,2)高齢化に伴う世代間の所得移転が増大し,生産年齢人口の世帯の可処分所得の伸びが鈍化し,1)の効果と相乗効果を生み,更に,社会全体の貯蓄率が低下すると見込まれる。

しかしながら,現実の国民生活は多様なものであることが知られている。高齢者の生活パターンでも同様な傾向がみられる。年齢階層別の消費パターンを全国消費実態調査(59年)でみると,世帯主が60~69歳世帯の消費行動は,世帯主が働いているかどうかで大きな違いがみられる (第5-2-11図)。とくに,1)60~69歳以上世帯は,50~59歳世代より低い水準となっているが,勤労者世帯と無職世帯の所得水準は両者で50%近い格差があること,2)勤労者世帯の場合,収入は勤め先収入が主で,貯蓄を行っている(実収入に対する比率で13.3%,50~59歳世代は11.6%)こと,3)無職世帯では,社会保障給付が主な収入で,逆に貯蓄の取崩しを行っている(実収入に対する比率で,-11.5%)こと,また,消費パターンでは,4)食料費の実額はほぼ同じであるが,選択的消費では大きな差がみられる等の特徴がある。

つまり,先に高齢化と貯蓄の関係を検討したとき,高齢者がある年齢で一斉に退職すると見なした点で現実の多様性を十分反映していないうらみがあるが,仮に今後,高齢者雇用が進まず,就業人口比率が低下していけば,長期の貯蓄・投資バランス面から経済運営にも大きな影響を与えることになる。

(活力ある経済社会の実現を目指して)

来たるべき高齢化社会において,高齢者が就業することは,就業人口比率の低下を緩やかにし,貯蓄率を下支えすることからマクロ経済的にも望ましい効果を持つといえよう。高齢者の就業意欲はかなり高く,また,労働力供給面からみても,今後若年労働力人口が減少していくと見込まれることから,高齢者の就業が期待されているところである。

このため,60歳代前半層の雇用の場を確保していくことは,極めて重要であり,今後その促進に一層の努力が必要である。このことは,先にみた経済全体の貯蓄率に好影響を生むばかりでなく,国民生活の充実,活力ある経済社会の実現を意味するものでもあるといえよう。

また,高齢者の種々の社会福祉や生活ニーズは,高齢化社会が本格化するのに伴い増大し,多様化していくため,これらに対応できる各種のサービスを提供できる体制を整備していくことが必要である。こうしたサービス提供体制を充実していくことは,高齢者の消費を通じ内需の拡大,経済成長に結びつき,高齢化社会に向けて活力ある経済社会を建設していくことにつながるものと考えられる。

3. 金融政策の動向

(金融の動向)

63年度の金利の動きは,景気の拡大や為替レートの動向等を映じたものとなった (第5-2-12図)。短期金利は,景気が堅調を続ける中6月頃から欧米各国の相次ぐ金利引上げ措置や円相場の下落を背景に上昇し,9月半ば以降円高傾向を受け,低下した。しかし,12月以降,原油価格の高騰や円安傾向を受けて,再び緩やかに上昇した。長期金利もほぼ同様な動きを示した。

株価の動向をみると,62年10月の株価大幅下落後,いちはやく回復し,4月まで上昇し,その後,長期金利の上昇を受けて,9月頃まで一進一退の動きとなった。しかし,11月には東証株価指数の最高水準を更新し,その後上昇基調をたどった。

マネーサプライ(M2+CD)をみると,金融緩和の浸透,資産の増大等の影響を受けて,63年度中対前年同期比10%を超える増加が続いた。マネーサプライは,主に,金融資産が増大したことが高い伸びとなって現れている。また,背景には,CD(譲渡性預金),MMC(市場金利連動型預金),大口定期預金の導入など資産構成に変化を与える新商品の開発という,いわば制度変更によって,ポートフォリオの持ち替えも影響していると考えられる。

日本銀行では,昨年11月以来,短期金融市場の運営方式の見直し,今年1月のコール・手形取引の拡充,5月にはCPオペを追加する等,調節手段の多様化,適正化に努めている。また,5月末には,経済・金融情勢を勘案して,公定歩合が0.75%ポイント引き上げられた。

(短期金融市場運営方針の見直し)

金融の自由化・国際化が進展する中で,金融政策の有効性を高めていくためには,金利の変動を通じて企業や個人の投資行動などに影響を与えていくこと,いわゆる金利機能の活用が極めて重要である。昭和63年11月に実施された短期金融市場運営方式の見直しは,こうした観点から,短期金融市場における金利裁定がより一層円滑に働くようにその環境整備を進めることを目的に行われたものである。

具体的には,(1)より機動的かつキメ細かい金融調節を行うため,金融調節手段の多様化の一環として新たに期間1か月未満の手形買いオペレーションの実施,(2)手形市場における売買期間を1週間物まで短期化するほか,(3)無コール市場における取引期間を6か月物まで長期化することを内容とするインターバンク市場の取引慣行の見直しが実施された。

こうした見直し実施後の市場の状況をみよう。手形市場においては,日中に複数レートで取引が成立する状況が常態化するなど,従来以上に敏感に市場地合いを反映するレート形成となっている。また,新たに導入された1か月未満の手形取引及び1か月以上の無担コール取引も順調に増大している。さらに,各市場間の裁定取引も一段と活発かつ円滑なものとなり,一時拡大したインターバンク金利とオープン金利間の格差がほぼ解消した結果,短期金融市場全体としてバランスのとれた自然なレート形成が行われている。市場の規模をみても,手形市場残高,無担市場残高が順調に増加し,インターバンク市場残高は,昭和63年10月末の21.8兆円から平成元年6月末には36.6兆円となり,大幅に拡大している。

以上,昭和63年度と平成元年度初の金融政策の動きは,大きな変化を含むものであった。まず,短期金融市場の運営方針の見直しがあげられる。短期金融市場では,オープン市場がインターバンク市場に比べ,60年末のシェアが約42%であったものが63年末には51%強と逆転する等,急速に拡大し,また,取引残高も60年から3年間で2.5倍へと増大しており,その影響力も一段と増加している。

このような環境の下で,5月,公定歩合が引き上げられた。これは,内外経済動向を反映して市場金利が上昇してきていた状況の下で,いわば水準調整を行ったものであり,時宜を得た判断であると考えられる。また,新短期プライムへの移行,短期の公債をオペレーションの対象にするなど,いずれもオープン市場が主体となりつつある短期金融市場の調節機能を高める方向にあると思われる。

4. インフレーションの抑制と今後の金融政策

(マネーサプライと金融政策)

金融政策は,通貨価値の安定を基本としつつ,内需中心の経済成長や対外不均衡の改善にも配慮し,適切かつ機動的に運営することが重要である。このうち,通貨価値の安定を実現していく上で,近年特徴的であるのは,各国の金融当局が,金融政策の運営に当たり程度の差はあれ,マネーサプライの増加率を中間目標とするスタンスを取っていることであろう。しかしながら,マネーサプライを重視するといっても,例えばマネーサプライの伸び率をある一定率に厳格にコントロールするような機械的なマネーサプライ管理政策は,必ずしも適切ではない。というのは,このような厳格なマネーサプライ管理政策が物価の安定をもたらすためには,マネーサプライが物価と実質経済活動に安定的に分割できることが必要である。つまり,中期的な実質経済活動が技術進歩等の非貨幣的要因で決まり,マネーサプライと名目GNPが厳密な比例関係にあるとき,マネーサプライのコントロールを通して,通貨価値の安定がもたらされることになる。この場合には通貨供給量を重視する政策が重要な役割を果たすことになる。他方,景気変動をならした後でも,マネーサプライと実質GNPとの伸び率の差がGNPデフレータの伸び率と大きく乖離し,且つ,乖離率が一定でなく,大きく変動する場合には,短期的な金融調節と独立した,通貨供給量を厳格に管理する政策の有効性に疑念を抱かせることになる。

そこで,マネーサプライ,物価と実質GNPとの間で,景気変動をならしたとき,3者の関係の安定性をみよう。第一次石油危機以降の平均的景気循環の長さを考慮して景気変動をならした分析 (第5-2-13表)では,マネーサプライの伸びから実質GNPの伸びを控除した値がGNPデフレータの変化率と乖離しており,乖離幅そのものも一定していない。つまり,技術的関係とされるマーシャルのkは景気変動をならしてみても安定的とはいえず,この変化がマネーサプライと名目GNPの伸び率の関係を最近18年間の平均で約2.9%乖離させ,数年をならした場合でも最大4.0%,最小1.6%の乖離をみせている。こうした乖離率の変動を安定的とみるかどうかは,なお評価の分かれるところである。いずれにせよ,中期的にみてこうした変動がみられることは,通貨価値の安定のためにマネーサプライの伸びを一定率に固定するという厳格なマネーサプライ管理政策の限界を示すものといえよう。

(貨幣供給と成長貨幣)

過去30年間でみて,貨幣供給が他の経済変数との関係で受動的か,自立的であったのかをみよう。このとき,日本経済が必ずしも一様な拡大を遂げていないことから,全ての期間を通して分析した場合と,大きな外的ショックのあった49年から57年までを除いて見た場合とを比較する必要があろう (第5-2-14表)。

まず,マネーサプライと名目GNPとの関係を期間別にみると,1)高度成長期を中心に48年第3四半期までの関係では,マネーサプライと名目GNPとは相互関係が認められ,一方が受動的で他方が自立的であったとは言えない結果となっている。2)二度の石油危機の影響を強く受けた期間をみると,マネーサプライの自律性と名目GNPの受動性が確認される結果となっている。また,名目GNPが自身に与える関係に強まりがみられることを併せると,貨幣的ショックとリアルショックが共存したことを窺わせる結果となっている。3)最後に,58年以降の関係では,一方で,マネーサプライから名目GNPに対する影響が認められなくなっているが,他方で,名目GNPは,関係がかなり弱いものの,マネーサプライに対し影響するという結果となっている。

交易条件の変化がマネーサプライと名目所得(GNP等)の関係をシフトさせることも無視できないことから,アブソープションとの関係でも検討したところ,名目GNPの場合とほぼ同じ結果となっているが,58年以降に相互関係が認められる点で違いがある。

また,マネーサプライ,生産(生産指数),物価(卸売物価)の3要因間の関係で,期間別に3要因の関係が変化したかどうかをみる(第5-2-15表)と,(1)48年までの関係では,3要素とも自身に対する影響は短期間で生じている。影響が認められない関係を取り出すと,マネーサプライから生産へ,生産からマネーサプライ及び物価へ,また,物価から生産への関係があげられる。このため,マネーサプライと物価の間には相互関係が存在し,生産は自律的な姿となっていることが窺える。(2)49年から57年までの間では,顕著な影響が認められるものは,生産からマネーサプライへ,物価からマネーサプライ及び生産への関係である。この間,リアルショックや投機的要因が存在したことを示唆する結果となっている。(3)58年から最近の期間では,生産が物価に,物価がマネーサプライに影響することがみてとれるが,全般的に影響の関係が弱くなって統計的に検出できにくくなっている。この期間は,60年以降大幅な円高が進行し,円高の直接的,間接的な効果が物価の安定や生産の動向に強い影響を及ぼすことになったが,三者の間の統計的な関係が弱まったことにはこうした事情もかなり影響しているものとみられる。(4)通期の分析結果は各期間の関係をいわば合成したものであるから,ここで検出された関係が全期間にわたって妥当するかどうか疑問なしとしないが,全体としてみると一方的な関係は見出せない。

以上の分析結果を踏まえて考えると,マネーサプライと物価,実体経済との関係は,期間により異なっている可能性はあるが,全体としては相互依存関係があることを示唆していると思われる。したがって金融政策の運営に当たっては,こうした点を十分踏まえた上で,マネーサプライの適切な管理を行う必要がある。この意味で,成長貨幣の供給に当たっては,それ自身が経済に撹乱をもたらさないよう,また,実体経済にいわゆるリアルショックが生じたときにはそれがインフレにつながらないよう,適切に供給されることが肝要である。

(金融の自由化と政策の効果)

金融政策の効果波及経路としては,金利の変化を通じたコスト効果,資産効果,アヴェイラビリティ効果などが挙げられる。最近では,金融の自由化・国際化,セキュリタイゼーションの進展等から,効果波及経路やそのウエイトに変化が生じているとみられる。即ち,従来は公定歩合の引き上げなどの金融引き締めは,金融機関の貸出採算の悪化を通じたコスト面からのインパクトが中心であった。しかしながら,最近に到り金融構造の変化の中で,同じコスト効果でも新短期プライムレートの導入によってより直接的な波及経路が現れたほか,資産(株式,債券等)価格の下落によるいわゆる「負の資産効果」,株式市況の下落を映じた資本市場調達の減少(アヴェイラビリティ効果)といった経路を通じての効果波及のウエイトが高まっているものと考えられる。このような変化が,政策変更の効果を強めたり,効果の波及を速める働きをすることから,従来に比べて調節機能を高めている可能性があるものとみられる。

つぎに,変動為替制度は,政策が実施される経済環境にもよるが,固定為替制度に比べ,インフレ等最終目標との関係では,金融政策の効果を強める方向に作用すると考えられる。また,国際金融取引の自由化の進展も金融政策の伝播を速める効果がある。つまり,金融政策が主に内外資産の保有に影響する場合,例えば金融引締めは,一般的には内外金利差の変化を通じて,資金移動を生じさせ,円に対する需要を増大させることで円高をもたらし,これが輸入物価の安定を通じてインフレを抑制する方向に作用すると考えられる。また,円高が純輸出を減少させ,需給の緩和をもたらすことで,物価を更に安定させると考えられる。資金保有の金利感応度が高まっていることは,金融調節が,市場間や国際間の資金移動を中心に影響するようになっていることの背景となっている。

(インフレとトレードオフ)

これまで,政策目標間にトレードオフが無い場合について,政策効果を検討したが,第一に,政策目標間に中長期でもトレードオフが存在する場合がある。第二に,中長期にはトレードオフが解消するとしても,その結果が政策的に許容範囲でない場合がある。ここでは,前者について,賃金,物価と失業の関係を事例として検討しよう。

中長期でもトレードオフが存在する場合があるかどうかは,典型的にはインフレ(賃金,物価)と雇用(失業率)の関係が考えられる。インフレ率と失業率の間に安的的な負の関係が存在するとき,失業率を低下させようとすればインフレ率が上昇してしまうという関係を指している。このような関係で,中長期的にトレードオフが存在しないのは,インフレ期待が中長期的に「合理的」である(インフレ期待が,平均すると,現実のインフレ率に一致する)場合である。

これを短期と中長期とで分けて分析してみよう。まず,期待そのものについてみると,期待物価上昇率のひとつの計測方法として消費者のサーベイデータを用いて期待物価上昇率を推定し,現実の物価上昇とこの期待物価上昇率との関係を比較した(第5-2-16表(1))。「合理的」であれば,その定義から現実の物価上昇率が期待物価上昇率と一致(定数が0,パラメータが1.0)するはずである。この計測結果による限りは,46年からこれまでのデータでは予想物価上昇率は,短期的には,「合理的」でないことが統計的に示されている。もちろん,期待と現実との乖離を時間をかけながら調整する場合がある。このため,つぎに,賃金,期待インフレ,失業率などとの関係をみよう。その結果,前節でみたように以前に比べトレードオフ関係は弱まっているものの,短期的にはインフレと雇用の間にトレードオフの関係が存在することが分かった。また,中長期ではこの期間にオイルショック等の構造変化期を含むことに留意する必要があるもののトレードオフが解消しない可能性があることを示している(第5-2-16表(2))。現実の失業率と先に求めた期待物価上昇率の推移をグラフにまとめたのをみても (第5-2-16表(3)),とくに50年代を中心にトレードオフとみられる関係が読み取れよう。

こうした観点から,政府として経済の安定化を図るうえで,財政,金融政策の実施にはコストを伴うことを踏まえつつ,内外の経済情勢に適切かつ機動的に対処していく必要がある。

5. 経済政策の協調と内外の政策運営

昭和60年9月のプラザ合意以降,62年2月のルーブル合意,サミットをはじめ7か国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)などの場において,各国の経済政策の協調及び為替市場での協力による為替レート安定の必要性が重ねて確認されてきた。今日まで,世界経済の不均衡是正と為替安定のため,経済政策協調に沿った政策努力が主要国間で進められてきた,約4年間であった。

これまでの経済政策協調は,不均衡是正や為替の安定に成果をあげている。主要国の不均衡は,GNP規模との対比ではアメリカがピークの62年3.4%から63年の2.8%へ,日本でも61年3.8%から63年の2.8%へと縮小している。また,国内政策面でも各国が経済構造調整を進めた点で大きな成果が認められる。日本でも内需の拡大に加え,経済構造の調整が進む中で輸入が増加し,製品輸入額が60年の402億ドルから63年には918億ドルへ約2.3倍となり,外需寄与度が61年以降マイナスで持続するなどの成果があった。

63年秋以降,世界経済は需給の引き締まりから,先進国の一部にインフレ懸念が表面化したり,顕在化する国が現れるようになってきた。このため,インフレへの対応が一部先進国には重要となってきている。

その中にあってアメリカでは,インフレ圧力の緩和のため,また,景気維持のためにも金融政策が活用される一方,財政赤字はグラム・ラドマン法が成立したときに期待されたほどの速さで削減されず,最近ではかなりの規模で持続されることが懸念されている。その結果,63年後半にはアメリカをはじめ対外不均衡の是正のテンポに鈍化がみられるようになった。また,為替レートも一時の水準に比べ,平成元年に入ってドル高の傾向となっている。現在,アメリカでは失業率は最近10年間の最低水準にあるが,労働供給に余裕があり,生産面では稼働率が頭打ちからやや低下傾向になるとともに,インフレ率は4~5%台となっている。対外面では輸出入数量の増加が最近半年ではほぼ同率となり,外需の寄与度はマイナスが続いている。

一方,欧州のいくつかの国では国内のインフレ圧力から金利引上げを行い,景気とインフレ抑制の両立という課題に直面しているアメリカには,1)持続的かつ均衡のとれた経済拡大,2)インフレ抑制,3)対外不均衡の是正という,三つの政策目標があるが,それらを金融政策だけで同時に達成しようとするのは困難であり,アメリカの財政赤字の削減なくしては,現在の状況を改善することができないと考えられる。例えば,平成元年6月のOECD閣僚理事会のコミュニケにあるように,アメリカのマクロ経済政策として,インフレ圧力の抑制,経常収支赤字の削減,この目的達成のため,内需の抑制,財政赤字の削減が極めて重要である。加えて,政策目標との関係から,貯蓄率を上昇させる構造政策が必要となっている。

我が国としても,財政,金融政策面で慎重な政策運営によりインフレを防ぎながら,引き続き内需主導による成長を続けることが必要である。また,経済の基礎的条件にあった為替レートの安定を図るとともに,市場開放・アクセスの改善を進め,制度の改革を含む構造政策を行うことにより,引き続き輸入の拡大に努めるべきである。これはまた,国民の経済厚生を高める道でもある。